残酷な描写あり
1.吊し上げの獅子-1
ひやりとした空気が、部屋中に満ちていた。
比喩的な意味ではなく、現実として室温が低いのである。初夏と呼ぶにはやや早い陽気にも関わらず、空調がひっきりなしに冷気を送り込んでいるためだ。
昼間ではあったが、電灯が室内を照らしている。もとより窓はない。
ぴっちりと閉ざされた異次元――通称『仕事部屋』。
ルイフォンは普段、多種多様な機械類の載った、車座に配置された机の内側で作業をする。メイシアが魔方陣と呼ぶ場所である。
だが今日は、彼は魔方陣の外にいた。
専門書の詰まった壁一面の棚と、魔方陣の間の広々とした空間で、ルイフォンは集めた一同の顔を見渡していた。
向かい合うように座する彼の父、鷹刀一族総帥イーレオをはじめ、異母兄にして次期総帥エルファン、武術の師匠であり総帥の護衛であるチャオラウ。それから、年上の姪のミンウェイと、同じく年上の甥のリュイセン――鷹刀一族の中枢たる顔ぶれが並んでいる。
一方、ルイフォンの側には、彼の最愛のメイシアが寄り添うように控えていた。
「忙しいところ、すまなかった。ありがとう」
ルイフォンは、皆に向かってテノールを響かせた。
口調だけは感謝に似ていた。しかし、肘掛け付きの回転椅子にどっかりと座り、足を組んだ姿勢の彼から、謝意を感じとれる者はいない。
眉間に皺を寄せたリュイセンが、皆を代表するように苛々と口を開く。
「何を偉そうに言ってんだ? 話があるって言うから来てやったけど、せめて執務室か食堂に集めろよ」
適当に並べられた丸椅子に不平を鳴らしたイーレオのため、リュイセンは続き部屋となっているルイフォンの私室からソファーを運ばされたのである。
「まぁ、そう言うな。今回は、俺の領域であることに意味があるんだから」
リュイセンと共にソファーを運んだルイフォンが苦笑する。
文句たらたらの兄貴分に言われるがまま、快く労働力を提供したあたり、ルイフォンだって一応は年長者への敬意はあるのだ。――ただ、謙虚さが抜け落ちているがために、尊大さが目立っているだけで。
「ともかく、始めるぞ。この部屋は完全防音だ。如何な声も漏れることはないから、安心してくれ」
話が横道にそれる前にと、ルイフォンは舵を切る。ひとりひとりの表情を確かめ、彼は口を開いた。
「話というのは〈七つの大罪〉と〈悪魔〉についてだ。本当は、シャオリエとユイランにも来てもらいたかったんだが――」
もと一族の娼館の女主人、シャオリエ。エルファンの正妻にして、かつては総帥の補佐を努めていたユイラン。共に、〈七つの大罪〉に関して詳しいはずだ。
「――屋敷の外にいる彼女らを呼ぶのは気が引けた。それに、鷹刀イーレオさえ協力的ならば、俺の目的は果たせるからな」
父であり、総帥たるイーレオの名を呼び捨てたことに、場が色めきだつ。しかしルイフォンは、猫のような目をすっと細め、好戦的に嗤った。
「分かってんだろ? ――鷹刀一族総帥、鷹刀イーレオ」
「そりゃ、俺自身がメイシアに教えたようなものだからな。お前に伝わるのも、お前が怒るのも時間の問題だと思っていたさ」
ルイフォンの挑発に、イーレオが魅惑の笑みで応じる。
少ない言葉のやり取りで、すべてが通じてしまうのは、良くも悪くも互いを理解し合っているからだろう。単に、似た者同士というだけかもしれないが。
けれど、皆が以心伝心であるわけもない。故に、ルイフォンの期待通り、リュイセンが割り込んできた。
「おい、ルイフォン。感じ悪いぞ。俺たちが置いてけぼりだ。お前が招集をかけた以上、集まってくれた人間に対して、きちんと説明するのが礼儀ってもんだろう?」
リュイセンのもっともな発言に、ルイフォンは「すまんな」と確信犯の笑みを浮かべる。それから組んでいた足を解き、背を起こした。
「まず始めに。この座席の配置が、俺の立ち位置だ」
そう言って、すっと右手を横に滑らせ、自分の前に境界線を描く。
「どういう意味だ?」
「分からないか、リュイセン」
ルイフォンは口の端を上げる。
「お前たちは『鷹刀』だが、俺とメイシアは違う。俺たちは、〈猫〉とそのパートナー。鷹刀の『対等な協力者』に過ぎない」
彼はそう言って、ぎろりとイーレオを睨みつけた。
「しかも『協力者』と言ったって、ただの口約束だ。なんの契約もない。だから、この俺が、鷹刀は協力するに値しないと判断したとき、いつでも解消できる関係だ。それを履き違えてもらっては困る」
宣戦布告にも等しいルイフォンの口上を、イーレオはのんびりとソファーに寄り掛かりながら聞いていた。涼し気な美貌をわずかにほころばせ、やんちゃな息子を愛しげに見つめている――そんな顔だ。
ルイフォンの視線が、異論はあるか? と問いかける。するとイーレオは少しだけ姿勢を正し、穏やかに尋ねた。
「つまりお前は、俺の返答次第では、鷹刀と縁を切ると言っているわけだな」
言葉の内容とは裏腹に、口元は楽しげだ。
ルイフォンが強気の姿勢を崩さずに「そうだ」と鋭く明快に答えると、イーレオは喉の奥で笑いを漏らした。そして、ぱっと両手を上げる。――降伏の仕草だった。
「今回は、俺が悪い。全面的に〈猫〉に従おう」
「祖父上!?」
一族を背負って立つ総帥のまさかの行動に、リュイセンが目をむく。その他の者たちも、声には出さずとも狼狽を隠しきれない。
そんな皆を諭すように、イーレオはゆっくりと頭を振った。
「俺はルイフォンのことも、メイシアのことも気に入っている。彼らは、俺を魅了してやまない。――だから俺は、契約を交わさずとも、彼らの協力を得られるような人間でありたいと願うだけだ」
「親父……」
予想外の返答に、ルイフォンは困惑した。
追い詰める台詞なら、幾らも考えておいた。だが、こうもあっさりと白旗を掲げられたら、調子が狂ってしまう。
――こんな大海のように構えられたら、こちらが主導権を握ったはずなのに、なんとなく負けた気がするではないか……。
ルイフォンの内心をよそに、イーレオが面白そうに問うてきた。
「お前の要求はなんだ、〈猫〉? 自分の領域に連れ込んで、力関係を主張して。――俺に何をさせたい?」
「あ、ああ……」
イーレオの軽い物言いが、話を円滑に進めようと誘っている。戸惑っていたルイフォンも、それに応え、いつもの不敵な笑みを取り戻した。
「分かっているだろ? 自分から言えよ。隠されているのも不快だが、暴露するのはもっと胸糞悪い」
ほんの一瞬、イーレオは虚を衝かれたように言葉を詰まらせた。
そして、目を細める。
「お前は……。本当に、俺の『協力者』だな」
一族の和を乱さぬよう、暴くのではなく、自ら語るように仕向ける。――ルイフォンの意図にイーレオは感謝を込めて頷くと、にわかに剣呑な雰囲気を身にまとった。
「では〈猫〉の要求に従い、告白しよう。――俺は〈七つの大罪〉の〈悪魔〉、〈獅子〉だった」
がたん……。
リノリウムの床に、椅子の倒れる音が響いた。丸椅子に腰掛けていたリュイセンが、勢いよく立ち上がったのだ。
「ど、どういうことですか!?」
ふらつく足でイーレオへと一歩寄るが、立場をわきまえてか、身動きが取れなくなる。
動揺する兄貴分を横目に、ルイフォンは冷静に皆の表情を観察していた。そして、注目を集めるように、「やはりな」と声高に発する。
「知らなかったのは、リュイセンとミンウェイだけか」
ルイフォンはそう言い、イーレオの様子を窺った。それから、猫の目をすっと細め、ゆっくりと問いかける。
「それじゃ、エルファンやチャオラウも〈悪魔〉なのか? シャオリエとユイランはどうなんだ?」
イーレオは、ただ小さく息を吐いた。
「いや。〈悪魔〉は、俺と――昔のシャオリエだけだ」
常に余裕綽々のイーレオの美貌が、シャオリエの名を口にした途端に陰る。
「昔の……?」
「今のシャオリエは〈影〉だ。彼女の本来の体は、とっくに死んでいる」
「!」
常々、シャオリエには何かあると感じていた。けれど、さすがに想定外だ。目の前に危険が迫っているわけでもないのに、ルイフォンは怖気を覚えた。
「彼女は、俺を育ててくれた女だ。〈七つの大罪〉から、鷹刀を解き放つためにやむを得ず、本来の体を捨てた。……もっと詳しく知りたいか?」
いつもとは別人のような顔で、イーレオが冷たく嗤う。
蔑みの響きをまとった、ぞくりとする低音。嘲りの対象は、シャオリエを犠牲にした過去のイーレオ自身だろう。
「……いや。今は、それはいい」
ルイフォンは、首を振った。
――本当は気になる。凄く、気になる。……だが、イーレオの古傷をえぐったところで、ルイフォンの好奇心が満たされる以外のなんの効果もない。
今回の目的は、あくまでも現状の整理。シャオリエの件は、もしも必要なときが来たら、改めて訊けばよいのだ。
「ただ、これだけは確認させてくれ。親父は今も、〈七つの大罪〉と裏で繋がっているのか?」
勿論、ルイフォンは、現在のイーレオは〈七つの大罪〉とは無関係だと思っている。
いまだに何かあるのなら、〈蝿〉に対して、ここまで遅れを取ることはないのだ。だから、これは皆を安心させるためのやり取りだった。
「完全に切れている。俺が総帥になって鷹刀が新しく生まれ変わり、〈七つの大罪〉と絶縁したときに、俺とシャオリエの〈悪魔〉としての活動も終わった」
「そうか。では、現在についての話をしよう」
そう言って進めようとしたとき、ルイフォンは中途半端にイーレオに近寄ったままのリュイセンに気づいた。兄貴分の気持ちは、手に取るように分かる。生真面目な彼からすれば、天地がひっくり返るような思いだろう。
ルイフォンは小さく咳払いをして、立ち尽くしたままのリュイセンに着席するよう、目で促した。それから「言っておくが」と続ける。
「親父が〈悪魔〉となった理由なら察しがついている。過去の鷹刀では、〈七つの大罪〉の内部にいたほうが、情報が手に入りやすかったんだろ?」
「そんなところだ」
イーレオは首肯して、ちらりとリュイセンとミンウェイを盗み見る。そして、彼らに言い聞かせるように、つけ加えた。
「俺は血族の者が〈七つの大罪〉の〈贄〉に捧げられるのを止めたかった。そのために、〈七つの大罪〉が何をしているのか。何故〈贄〉を必要としているのかを知りたかった」
それは遠い、若き日のイーレオの決意。
慈愛に満ちた思いは、昔も今も変わらない。如何にもイーレオらしい言葉だった。
「親父、信じていいんだな?」
「ああ、勿論だ」
イーレオが深く頷くと、安堵の息がふたつ聞こえた。――リュイセンとミンウェイの顔が明るんでいた。
皆が納得した様子に、ルイフォンはひとまず安心した。
場が落ち着いたのを確認すると、彼は口火を切る。いよいよ、ここからだ。
「では、改めて――。鷹刀イーレオ、答えろ。お前が〈悪魔〉だったということを、何故、俺に黙っていた?」
冴え冴えとしたテノールが、部屋の冷気を斬り裂く。静かな怒りをはらみながら、ルイフォンは更に語調を強めた。
「俺は情報屋〈猫〉。情報というものの価値を重んじる者だ」
彼は、ゆっくりと視線を巡らせ、イーレオを睥睨する。
「この俺を『対等な協力者』として迎えたのなら、お前が知っているあらゆる情報は、俺に開示すべきものだ。つまり俺は、軽んじられたと解釈する」
畳み掛けるルイフォンに、イーレオは「弁解の余地もない」と呟く。そして、気負いのない、少しだけ頼りなさげにすら見える顔で苦笑した。
「過去のしがらみに、若いお前たちを巻き込むべきではない。〈蝿〉に対しては年寄り連中だけで対処しよう、そう考えて口を閉ざした。――だから、ずっと黙っているつもりだったんだが、ユイランがキリファの遺した『手紙』があると言い出し、それから、メイシアに……まぁ、諭されてだな」
「えっ!?」
急に名を出され、メイシアが驚きの声を上げた。そして、イーレオが何を指して言っているのかに気づき、はっと顔色を変える。
ルイフォンの記憶が改竄されているのではないかと、イーレオと二人きりで話をしたときのことだ。そのとき彼女は『イーレオ様の役に立つ権利がある』などと、出過ぎた口をきいてしまったのである。
「イーレオ様。あのっ、その節は……」
慌てて頭を下げようとするメイシアを、ルイフォンは彼女の髪をくしゃりとして遮った。
ここは恐縮する場面ではない。逆だ。誇るべきところなのだ。
ルイフォンとしては、さすがは俺のメイシアだと、抱きしめたいくらいだったのだが、さすがに場をわきまえた。
そんな息子の胸中を見透かしたように、イーレオがにやりと笑う。だが、すぐに表情を引き締め、秀でた額に皺を寄せた。
「――……俺が〈悪魔〉であることを黙っていたのには、もうひとつ理由がある」
「もうひとつ……?」
微妙な雰囲気を感じとり、ルイフォンは不審げに眉をひそめる。
「〈七つの大罪〉は、もはや存在しないはずの組織だからだ」
「存在しないはず……だと?」
耳を疑った。
あり得ないことだった。
「お前が、現在の状況を『鷹刀と、〈七つの大罪〉との争い』だと考えているのだとしたら、それは違う」
「どういうことだよ?」
「俺が所属していた〈七つの大罪〉と、現在〈七つの大罪〉を名乗っている輩は、別の組織だ。なのに、『俺は〈悪魔〉だった』などと言えば、混乱を招くと思ったのだ」
「そんな、馬鹿な!」
ルイフォンは眉を吊り上げ、不可解な言葉を発したイーレオを視線で刺す。ぐっと身を乗り出すと、背中で金の鈴が転がった。
「〈七つの大罪〉は、なくなるはずがない……。何故なら……っ!」
次の句を、彼は一瞬ためらった。
今日ここに皆を集め、イーレオを問いただそうとした最大の理由を、こんな勢いのままに吐き出してよいものかと迷った。
けれど……問わずにはいられなかった。
「〈七つの大罪〉の正体は、王族の研究機関だろ!? なくなるはずがない!」
比喩的な意味ではなく、現実として室温が低いのである。初夏と呼ぶにはやや早い陽気にも関わらず、空調がひっきりなしに冷気を送り込んでいるためだ。
昼間ではあったが、電灯が室内を照らしている。もとより窓はない。
ぴっちりと閉ざされた異次元――通称『仕事部屋』。
ルイフォンは普段、多種多様な機械類の載った、車座に配置された机の内側で作業をする。メイシアが魔方陣と呼ぶ場所である。
だが今日は、彼は魔方陣の外にいた。
専門書の詰まった壁一面の棚と、魔方陣の間の広々とした空間で、ルイフォンは集めた一同の顔を見渡していた。
向かい合うように座する彼の父、鷹刀一族総帥イーレオをはじめ、異母兄にして次期総帥エルファン、武術の師匠であり総帥の護衛であるチャオラウ。それから、年上の姪のミンウェイと、同じく年上の甥のリュイセン――鷹刀一族の中枢たる顔ぶれが並んでいる。
一方、ルイフォンの側には、彼の最愛のメイシアが寄り添うように控えていた。
「忙しいところ、すまなかった。ありがとう」
ルイフォンは、皆に向かってテノールを響かせた。
口調だけは感謝に似ていた。しかし、肘掛け付きの回転椅子にどっかりと座り、足を組んだ姿勢の彼から、謝意を感じとれる者はいない。
眉間に皺を寄せたリュイセンが、皆を代表するように苛々と口を開く。
「何を偉そうに言ってんだ? 話があるって言うから来てやったけど、せめて執務室か食堂に集めろよ」
適当に並べられた丸椅子に不平を鳴らしたイーレオのため、リュイセンは続き部屋となっているルイフォンの私室からソファーを運ばされたのである。
「まぁ、そう言うな。今回は、俺の領域であることに意味があるんだから」
リュイセンと共にソファーを運んだルイフォンが苦笑する。
文句たらたらの兄貴分に言われるがまま、快く労働力を提供したあたり、ルイフォンだって一応は年長者への敬意はあるのだ。――ただ、謙虚さが抜け落ちているがために、尊大さが目立っているだけで。
「ともかく、始めるぞ。この部屋は完全防音だ。如何な声も漏れることはないから、安心してくれ」
話が横道にそれる前にと、ルイフォンは舵を切る。ひとりひとりの表情を確かめ、彼は口を開いた。
「話というのは〈七つの大罪〉と〈悪魔〉についてだ。本当は、シャオリエとユイランにも来てもらいたかったんだが――」
もと一族の娼館の女主人、シャオリエ。エルファンの正妻にして、かつては総帥の補佐を努めていたユイラン。共に、〈七つの大罪〉に関して詳しいはずだ。
「――屋敷の外にいる彼女らを呼ぶのは気が引けた。それに、鷹刀イーレオさえ協力的ならば、俺の目的は果たせるからな」
父であり、総帥たるイーレオの名を呼び捨てたことに、場が色めきだつ。しかしルイフォンは、猫のような目をすっと細め、好戦的に嗤った。
「分かってんだろ? ――鷹刀一族総帥、鷹刀イーレオ」
「そりゃ、俺自身がメイシアに教えたようなものだからな。お前に伝わるのも、お前が怒るのも時間の問題だと思っていたさ」
ルイフォンの挑発に、イーレオが魅惑の笑みで応じる。
少ない言葉のやり取りで、すべてが通じてしまうのは、良くも悪くも互いを理解し合っているからだろう。単に、似た者同士というだけかもしれないが。
けれど、皆が以心伝心であるわけもない。故に、ルイフォンの期待通り、リュイセンが割り込んできた。
「おい、ルイフォン。感じ悪いぞ。俺たちが置いてけぼりだ。お前が招集をかけた以上、集まってくれた人間に対して、きちんと説明するのが礼儀ってもんだろう?」
リュイセンのもっともな発言に、ルイフォンは「すまんな」と確信犯の笑みを浮かべる。それから組んでいた足を解き、背を起こした。
「まず始めに。この座席の配置が、俺の立ち位置だ」
そう言って、すっと右手を横に滑らせ、自分の前に境界線を描く。
「どういう意味だ?」
「分からないか、リュイセン」
ルイフォンは口の端を上げる。
「お前たちは『鷹刀』だが、俺とメイシアは違う。俺たちは、〈猫〉とそのパートナー。鷹刀の『対等な協力者』に過ぎない」
彼はそう言って、ぎろりとイーレオを睨みつけた。
「しかも『協力者』と言ったって、ただの口約束だ。なんの契約もない。だから、この俺が、鷹刀は協力するに値しないと判断したとき、いつでも解消できる関係だ。それを履き違えてもらっては困る」
宣戦布告にも等しいルイフォンの口上を、イーレオはのんびりとソファーに寄り掛かりながら聞いていた。涼し気な美貌をわずかにほころばせ、やんちゃな息子を愛しげに見つめている――そんな顔だ。
ルイフォンの視線が、異論はあるか? と問いかける。するとイーレオは少しだけ姿勢を正し、穏やかに尋ねた。
「つまりお前は、俺の返答次第では、鷹刀と縁を切ると言っているわけだな」
言葉の内容とは裏腹に、口元は楽しげだ。
ルイフォンが強気の姿勢を崩さずに「そうだ」と鋭く明快に答えると、イーレオは喉の奥で笑いを漏らした。そして、ぱっと両手を上げる。――降伏の仕草だった。
「今回は、俺が悪い。全面的に〈猫〉に従おう」
「祖父上!?」
一族を背負って立つ総帥のまさかの行動に、リュイセンが目をむく。その他の者たちも、声には出さずとも狼狽を隠しきれない。
そんな皆を諭すように、イーレオはゆっくりと頭を振った。
「俺はルイフォンのことも、メイシアのことも気に入っている。彼らは、俺を魅了してやまない。――だから俺は、契約を交わさずとも、彼らの協力を得られるような人間でありたいと願うだけだ」
「親父……」
予想外の返答に、ルイフォンは困惑した。
追い詰める台詞なら、幾らも考えておいた。だが、こうもあっさりと白旗を掲げられたら、調子が狂ってしまう。
――こんな大海のように構えられたら、こちらが主導権を握ったはずなのに、なんとなく負けた気がするではないか……。
ルイフォンの内心をよそに、イーレオが面白そうに問うてきた。
「お前の要求はなんだ、〈猫〉? 自分の領域に連れ込んで、力関係を主張して。――俺に何をさせたい?」
「あ、ああ……」
イーレオの軽い物言いが、話を円滑に進めようと誘っている。戸惑っていたルイフォンも、それに応え、いつもの不敵な笑みを取り戻した。
「分かっているだろ? 自分から言えよ。隠されているのも不快だが、暴露するのはもっと胸糞悪い」
ほんの一瞬、イーレオは虚を衝かれたように言葉を詰まらせた。
そして、目を細める。
「お前は……。本当に、俺の『協力者』だな」
一族の和を乱さぬよう、暴くのではなく、自ら語るように仕向ける。――ルイフォンの意図にイーレオは感謝を込めて頷くと、にわかに剣呑な雰囲気を身にまとった。
「では〈猫〉の要求に従い、告白しよう。――俺は〈七つの大罪〉の〈悪魔〉、〈獅子〉だった」
がたん……。
リノリウムの床に、椅子の倒れる音が響いた。丸椅子に腰掛けていたリュイセンが、勢いよく立ち上がったのだ。
「ど、どういうことですか!?」
ふらつく足でイーレオへと一歩寄るが、立場をわきまえてか、身動きが取れなくなる。
動揺する兄貴分を横目に、ルイフォンは冷静に皆の表情を観察していた。そして、注目を集めるように、「やはりな」と声高に発する。
「知らなかったのは、リュイセンとミンウェイだけか」
ルイフォンはそう言い、イーレオの様子を窺った。それから、猫の目をすっと細め、ゆっくりと問いかける。
「それじゃ、エルファンやチャオラウも〈悪魔〉なのか? シャオリエとユイランはどうなんだ?」
イーレオは、ただ小さく息を吐いた。
「いや。〈悪魔〉は、俺と――昔のシャオリエだけだ」
常に余裕綽々のイーレオの美貌が、シャオリエの名を口にした途端に陰る。
「昔の……?」
「今のシャオリエは〈影〉だ。彼女の本来の体は、とっくに死んでいる」
「!」
常々、シャオリエには何かあると感じていた。けれど、さすがに想定外だ。目の前に危険が迫っているわけでもないのに、ルイフォンは怖気を覚えた。
「彼女は、俺を育ててくれた女だ。〈七つの大罪〉から、鷹刀を解き放つためにやむを得ず、本来の体を捨てた。……もっと詳しく知りたいか?」
いつもとは別人のような顔で、イーレオが冷たく嗤う。
蔑みの響きをまとった、ぞくりとする低音。嘲りの対象は、シャオリエを犠牲にした過去のイーレオ自身だろう。
「……いや。今は、それはいい」
ルイフォンは、首を振った。
――本当は気になる。凄く、気になる。……だが、イーレオの古傷をえぐったところで、ルイフォンの好奇心が満たされる以外のなんの効果もない。
今回の目的は、あくまでも現状の整理。シャオリエの件は、もしも必要なときが来たら、改めて訊けばよいのだ。
「ただ、これだけは確認させてくれ。親父は今も、〈七つの大罪〉と裏で繋がっているのか?」
勿論、ルイフォンは、現在のイーレオは〈七つの大罪〉とは無関係だと思っている。
いまだに何かあるのなら、〈蝿〉に対して、ここまで遅れを取ることはないのだ。だから、これは皆を安心させるためのやり取りだった。
「完全に切れている。俺が総帥になって鷹刀が新しく生まれ変わり、〈七つの大罪〉と絶縁したときに、俺とシャオリエの〈悪魔〉としての活動も終わった」
「そうか。では、現在についての話をしよう」
そう言って進めようとしたとき、ルイフォンは中途半端にイーレオに近寄ったままのリュイセンに気づいた。兄貴分の気持ちは、手に取るように分かる。生真面目な彼からすれば、天地がひっくり返るような思いだろう。
ルイフォンは小さく咳払いをして、立ち尽くしたままのリュイセンに着席するよう、目で促した。それから「言っておくが」と続ける。
「親父が〈悪魔〉となった理由なら察しがついている。過去の鷹刀では、〈七つの大罪〉の内部にいたほうが、情報が手に入りやすかったんだろ?」
「そんなところだ」
イーレオは首肯して、ちらりとリュイセンとミンウェイを盗み見る。そして、彼らに言い聞かせるように、つけ加えた。
「俺は血族の者が〈七つの大罪〉の〈贄〉に捧げられるのを止めたかった。そのために、〈七つの大罪〉が何をしているのか。何故〈贄〉を必要としているのかを知りたかった」
それは遠い、若き日のイーレオの決意。
慈愛に満ちた思いは、昔も今も変わらない。如何にもイーレオらしい言葉だった。
「親父、信じていいんだな?」
「ああ、勿論だ」
イーレオが深く頷くと、安堵の息がふたつ聞こえた。――リュイセンとミンウェイの顔が明るんでいた。
皆が納得した様子に、ルイフォンはひとまず安心した。
場が落ち着いたのを確認すると、彼は口火を切る。いよいよ、ここからだ。
「では、改めて――。鷹刀イーレオ、答えろ。お前が〈悪魔〉だったということを、何故、俺に黙っていた?」
冴え冴えとしたテノールが、部屋の冷気を斬り裂く。静かな怒りをはらみながら、ルイフォンは更に語調を強めた。
「俺は情報屋〈猫〉。情報というものの価値を重んじる者だ」
彼は、ゆっくりと視線を巡らせ、イーレオを睥睨する。
「この俺を『対等な協力者』として迎えたのなら、お前が知っているあらゆる情報は、俺に開示すべきものだ。つまり俺は、軽んじられたと解釈する」
畳み掛けるルイフォンに、イーレオは「弁解の余地もない」と呟く。そして、気負いのない、少しだけ頼りなさげにすら見える顔で苦笑した。
「過去のしがらみに、若いお前たちを巻き込むべきではない。〈蝿〉に対しては年寄り連中だけで対処しよう、そう考えて口を閉ざした。――だから、ずっと黙っているつもりだったんだが、ユイランがキリファの遺した『手紙』があると言い出し、それから、メイシアに……まぁ、諭されてだな」
「えっ!?」
急に名を出され、メイシアが驚きの声を上げた。そして、イーレオが何を指して言っているのかに気づき、はっと顔色を変える。
ルイフォンの記憶が改竄されているのではないかと、イーレオと二人きりで話をしたときのことだ。そのとき彼女は『イーレオ様の役に立つ権利がある』などと、出過ぎた口をきいてしまったのである。
「イーレオ様。あのっ、その節は……」
慌てて頭を下げようとするメイシアを、ルイフォンは彼女の髪をくしゃりとして遮った。
ここは恐縮する場面ではない。逆だ。誇るべきところなのだ。
ルイフォンとしては、さすがは俺のメイシアだと、抱きしめたいくらいだったのだが、さすがに場をわきまえた。
そんな息子の胸中を見透かしたように、イーレオがにやりと笑う。だが、すぐに表情を引き締め、秀でた額に皺を寄せた。
「――……俺が〈悪魔〉であることを黙っていたのには、もうひとつ理由がある」
「もうひとつ……?」
微妙な雰囲気を感じとり、ルイフォンは不審げに眉をひそめる。
「〈七つの大罪〉は、もはや存在しないはずの組織だからだ」
「存在しないはず……だと?」
耳を疑った。
あり得ないことだった。
「お前が、現在の状況を『鷹刀と、〈七つの大罪〉との争い』だと考えているのだとしたら、それは違う」
「どういうことだよ?」
「俺が所属していた〈七つの大罪〉と、現在〈七つの大罪〉を名乗っている輩は、別の組織だ。なのに、『俺は〈悪魔〉だった』などと言えば、混乱を招くと思ったのだ」
「そんな、馬鹿な!」
ルイフォンは眉を吊り上げ、不可解な言葉を発したイーレオを視線で刺す。ぐっと身を乗り出すと、背中で金の鈴が転がった。
「〈七つの大罪〉は、なくなるはずがない……。何故なら……っ!」
次の句を、彼は一瞬ためらった。
今日ここに皆を集め、イーレオを問いただそうとした最大の理由を、こんな勢いのままに吐き出してよいものかと迷った。
けれど……問わずにはいられなかった。
「〈七つの大罪〉の正体は、王族の研究機関だろ!? なくなるはずがない!」