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作者: 月ノ瀬 静流
残酷な描写あり
1.吊し上げの獅子-1
 ひやりとした空気が、部屋中に満ちていた。

 比喩的な意味ではなく、現実として室温が低いのである。初夏と呼ぶにはやや早い陽気にも関わらず、空調がひっきりなしに冷気を送り込んでいるためだ。

 昼間ではあったが、電灯が室内を照らしている。もとより窓はない。

 ぴっちりと閉ざされた異次元――通称『仕事部屋』。

 ルイフォンは普段、多種多様な機械類の載った、車座に配置された机の内側で作業をする。メイシアが魔方陣と呼ぶ場所である。

 だが今日は、彼は魔方陣の外にいた。

 専門書の詰まった壁一面の棚と、魔方陣の間の広々とした空間で、ルイフォンは集めた一同の顔を見渡していた。

 向かい合うように座する彼の父、鷹刀一族総帥イーレオをはじめ、異母兄にして次期総帥エルファン、武術の師匠であり総帥の護衛であるチャオラウ。それから、年上の姪のミンウェイと、同じく年上の甥のリュイセン――鷹刀一族の中枢たる顔ぶれが並んでいる。

 一方、ルイフォンのがわには、彼の最愛のメイシアが寄り添うように控えていた。

「忙しいところ、すまなかった。ありがとう」

 ルイフォンは、皆に向かってテノールを響かせた。

 口調だけは感謝に似ていた。しかし、肘掛け付きの回転椅子にどっかりと座り、足を組んだ姿勢の彼から、謝意を感じとれる者はいない。

 眉間に皺を寄せたリュイセンが、皆を代表するように苛々と口を開く。

「何を偉そうに言ってんだ? 話があるって言うから来てやったけど、せめて執務室か食堂に集めろよ」

 適当に並べられた丸椅子に不平を鳴らしたイーレオのため、リュイセンは続き部屋となっているルイフォンの私室からソファーを運ばされたのである。

「まぁ、そう言うな。今回は、俺の領域テリトリーであることに意味があるんだから」

 リュイセンと共にソファーを運んだルイフォンが苦笑する。

 文句たらたらの兄貴分に言われるがまま、快く労働力を提供したあたり、ルイフォンだって一応は年長者への敬意はあるのだ。――ただ、謙虚さが抜け落ちているがために、尊大さが目立っているだけで。

「ともかく、始めるぞ。この部屋は完全防音だ。如何いかな声も漏れることはないから、安心してくれ」

 話が横道にそれる前にと、ルイフォンは舵を切る。ひとりひとりの表情を確かめ、彼は口を開いた。

「話というのは〈七つの大罪〉と〈悪魔〉についてだ。本当は、シャオリエとユイランにも来てもらいたかったんだが――」

 もと一族の娼館の女主人、シャオリエ。エルファンの正妻にして、かつては総帥の補佐を努めていたユイラン。共に、〈七つの大罪〉に関して詳しいはずだ。

「――屋敷の外にいる彼女らを呼ぶのは気が引けた。それに、鷹刀イーレオさえ協力的ならば、俺の目的は果たせるからな」

 父であり、総帥たるイーレオの名を呼び捨てたことに、場が色めきだつ。しかしルイフォンは、猫のような目をすっと細め、好戦的に嗤った。

「分かってんだろ? ――鷹刀一族総帥、鷹刀イーレオ」

「そりゃ、俺自身がメイシアに教えたようなものだからな。お前に伝わるのも、お前が怒るのも時間の問題だと思っていたさ」

 ルイフォンの挑発に、イーレオが魅惑の笑みで応じる。

 少ない言葉のやり取りで、すべてが通じてしまうのは、良くも悪くも互いを理解し合っているからだろう。単に、似た者同士というだけかもしれないが。

 けれど、皆が以心伝心であるわけもない。故に、ルイフォンの期待通り、リュイセンが割り込んできた。

「おい、ルイフォン。感じ悪いぞ。俺たちが置いてけぼりだ。お前が招集をかけた以上、集まってくれた人間に対して、きちんと説明するのが礼儀スジってもんだろう?」

 リュイセンのもっともな発言に、ルイフォンは「すまんな」と確信犯の笑みを浮かべる。それから組んでいた足を解き、背を起こした。

「まず始めに。この座席の配置が、俺の立ち位置だ」

 そう言って、すっと右手を横に滑らせ、自分の前に境界線を描く。

「どういう意味だ?」

「分からないか、リュイセン」

 ルイフォンは口の端を上げる。

「お前たちは『鷹刀』だが、俺とメイシアは違う。俺たちは、〈フェレース〉とそのパートナー。鷹刀の『対等な協力者』に過ぎない」

 彼はそう言って、ぎろりとイーレオを睨みつけた。

「しかも『協力者』と言ったって、ただの口約束だ。なんの契約もない。だから、この俺が、鷹刀は協力するに値しないと判断したとき、いつでも解消できる関係だ。それを履き違えてもらっては困る」

 宣戦布告にも等しいルイフォンの口上を、イーレオはのんびりとソファーに寄り掛かりながら聞いていた。涼し気な美貌をわずかにほころばせ、やんちゃな息子を愛しげに見つめている――そんな顔だ。

 ルイフォンの視線が、異論はあるか? と問いかける。するとイーレオは少しだけ姿勢を正し、穏やかに尋ねた。

「つまりお前は、俺の返答次第では、鷹刀と縁を切ると言っているわけだな」

 言葉の内容とは裏腹に、口元は楽しげだ。

 ルイフォンが強気の姿勢を崩さずに「そうだ」と鋭く明快に答えると、イーレオは喉の奥で笑いを漏らした。そして、ぱっと両手を上げる。――降伏の仕草だった。

「今回は、俺が悪い。全面的に〈フェレース〉に従おう」

「祖父上!?」

 一族を背負って立つ総帥のまさかの行動に、リュイセンが目をむく。その他の者たちも、声には出さずとも狼狽を隠しきれない。

 そんな皆を諭すように、イーレオはゆっくりとかぶりを振った。

「俺はルイフォンのことも、メイシアのことも気に入っている。彼らは、俺を魅了してやまない。――だから俺は、契約を交わさずとも、彼らの協力を得られるような人間でありたいと願うだけだ」

「親父……」

 予想外の返答に、ルイフォンは困惑した。

 追い詰める台詞なら、幾らも考えておいた。だが、こうもあっさりと白旗を掲げられたら、調子が狂ってしまう。

 ――こんな大海のように構えられたら、こちらが主導権を握ったはずなのに、なんとなく負けた気がするではないか……。

 ルイフォンの内心をよそに、イーレオが面白そうに問うてきた。

「お前の要求はなんだ、〈フェレース〉? 自分の領域テリトリーに連れ込んで、力関係を主張して。――俺に何をさせたい?」

「あ、ああ……」

 イーレオの軽い物言いが、話を円滑に進めようと誘っている。戸惑っていたルイフォンも、それに応え、いつもの不敵な笑みを取り戻した。

「分かっているだろ? 自分から言えよ。隠されているのも不快だが、暴露するのはもっと胸糞悪い」

 ほんの一瞬、イーレオは虚をかれたように言葉を詰まらせた。

 そして、目を細める。

「お前は……。本当に、俺の『協力者』だな」

 一族の和を乱さぬよう、あばくのではなく、自ら語るように仕向ける。――ルイフォンの意図にイーレオは感謝を込めて頷くと、にわかに剣呑な雰囲気を身にまとった。

「では〈フェレース〉の要求に従い、告白しよう。――俺は〈七つの大罪〉の〈悪魔〉、〈獅子レオ〉だった」

 がたん……。

 リノリウムの床に、椅子の倒れる音が響いた。丸椅子に腰掛けていたリュイセンが、勢いよく立ち上がったのだ。

「ど、どういうことですか!?」

 ふらつく足でイーレオへと一歩寄るが、立場をわきまえてか、身動きが取れなくなる。

 動揺する兄貴分を横目に、ルイフォンは冷静に皆の表情を観察していた。そして、注目を集めるように、「やはりな」と声高に発する。

「知らなかったのは、リュイセンとミンウェイだけか」

 ルイフォンはそう言い、イーレオの様子を窺った。それから、猫の目をすっと細め、ゆっくりと問いかける。

「それじゃ、エルファンやチャオラウも〈悪魔〉なのか? シャオリエとユイランはどうなんだ?」

 イーレオは、ただ小さく息を吐いた。

「いや。〈悪魔〉は、俺と――昔のシャオリエだけだ」

 常に余裕綽々のイーレオの美貌が、シャオリエの名を口にした途端に陰る。

「昔の……?」

「今のシャオリエは〈影〉だ。彼女の本来の体は、とっくに死んでいる」

「!」

 常々、シャオリエには何かあると感じていた。けれど、さすがに想定外だ。目の前に危険が迫っているわけでもないのに、ルイフォンは怖気おぞけを覚えた。

「彼女は、俺を育ててくれたひとだ。〈七つの大罪〉から、鷹刀を解き放つためにやむを得ず、本来の体を捨てた。……もっと詳しく知りたいか?」

 いつもとは別人のような顔で、イーレオが冷たく嗤う。

 蔑みの響きをまとった、ぞくりとする低音。嘲りの対象は、シャオリエを犠牲にした過去のイーレオ自身だろう。

「……いや。今は、それはいい」

 ルイフォンは、首を振った。

 ――本当は気になる。凄く、気になる。……だが、イーレオの古傷をえぐったところで、ルイフォンの好奇心が満たされる以外のなんの効果もない。

 今回の目的は、あくまでも現状の整理。シャオリエの件は、もしも必要なときが来たら、改めて訊けばよいのだ。

「ただ、これだけは確認させてくれ。親父は今も、〈七つの大罪〉と裏で繋がっているのか?」

 勿論、ルイフォンは、現在のイーレオは〈七つの大罪〉とは無関係だと思っている。

 いまだに何かあるのなら、〈ムスカ〉に対して、ここまで遅れを取ることはないのだ。だから、これは皆を安心させるためのやり取りだった。

「完全に切れている。俺が総帥になって鷹刀が新しく生まれ変わり、〈七つの大罪〉と絶縁したときに、俺とシャオリエの〈悪魔〉としての活動も終わった」

「そうか。では、現在についての話をしよう」

 そう言って進めようとしたとき、ルイフォンは中途半端にイーレオに近寄ったままのリュイセンに気づいた。兄貴分の気持ちは、手に取るように分かる。生真面目な彼からすれば、天地がひっくり返るような思いだろう。

 ルイフォンは小さく咳払いをして、立ち尽くしたままのリュイセンに着席するよう、目で促した。それから「言っておくが」と続ける。

「親父が〈悪魔〉となった理由なら察しがついている。過去の鷹刀では、〈七つの大罪〉の内部にいたほうが、情報が手に入りやすかったんだろ?」

「そんなところだ」

 イーレオは首肯して、ちらりとリュイセンとミンウェイを盗み見る。そして、彼らに言い聞かせるように、つけ加えた。

「俺は血族の者が〈七つの大罪〉の〈にえ〉に捧げられるのを止めたかった。そのために、〈七つの大罪〉が何をしているのか。何故〈にえ〉を必要としているのかを知りたかった」

 それは遠い、若き日のイーレオの決意。

 慈愛に満ちた思いは、昔も今も変わらない。如何いかにもイーレオらしい言葉だった。

「親父、信じていいんだな?」

「ああ、勿論だ」

 イーレオが深く頷くと、安堵の息がふたつ聞こえた。――リュイセンとミンウェイの顔が明るんでいた。

 皆が納得した様子に、ルイフォンはひとまず安心した。

 場が落ち着いたのを確認すると、彼は口火を切る。いよいよ、ここからだ。

「では、改めて――。鷹刀イーレオ、答えろ。お前が〈悪魔〉だったということを、何故、俺に黙っていた?」

 冴え冴えとしたテノールが、部屋の冷気を斬り裂く。静かな怒りをはらみながら、ルイフォンは更に語調を強めた。

「俺は情報屋〈フェレース〉。情報というものの価値を重んじる者だ」

 彼は、ゆっくりと視線を巡らせ、イーレオを睥睨する。

「この俺を『対等な協力者』として迎えたのなら、お前が知っているあらゆる情報は、俺に開示すべきものだ。つまり俺は、軽んじられたと解釈する」

 畳み掛けるルイフォンに、イーレオは「弁解の余地もない」と呟く。そして、気負いのない、少しだけ頼りなさげにすら見える顔で苦笑した。

「過去のしがらみに、若いお前たちを巻き込むべきではない。〈ムスカ〉に対しては年寄り連中だけで対処しよう、そう考えて口を閉ざした。――だから、ずっと黙っているつもりだったんだが、ユイランがキリファの遺した『手紙』があると言い出し、それから、メイシアに……まぁ、諭されてだな」

「えっ!?」

 急に名を出され、メイシアが驚きの声を上げた。そして、イーレオが何を指して言っているのかに気づき、はっと顔色を変える。

 ルイフォンの記憶が改竄されているのではないかと、イーレオと二人きりで話をしたときのことだ。そのとき彼女は『イーレオ様の役に立つ権利がある』などと、出過ぎた口をきいてしまったのである。

「イーレオ様。あのっ、その節は……」

 慌てて頭を下げようとするメイシアを、ルイフォンは彼女の髪をくしゃりとして遮った。

 ここは恐縮する場面ではない。逆だ。誇るべきところなのだ。

 ルイフォンとしては、さすがは俺のメイシアだと、抱きしめたいくらいだったのだが、さすがに場をわきまえた。

 そんな息子の胸中を見透かしたように、イーレオがにやりと笑う。だが、すぐに表情を引き締め、秀でた額に皺を寄せた。

「――……俺が〈悪魔〉であることを黙っていたのには、もうひとつ理由がある」

「もうひとつ……?」

 微妙な雰囲気を感じとり、ルイフォンは不審げに眉をひそめる。

「〈七つの大罪〉は、もはや存在しないはずの組織だからだ」

「存在しないはず……だと?」

 耳を疑った。

 あり得ないことだった。

「お前が、現在の状況を『鷹刀と、〈七つの大罪〉との争い』だと考えているのだとしたら、それは違う」

「どういうことだよ?」

「俺が所属していた〈七つの大罪〉と、現在〈七つの大罪〉を名乗っている輩は、別の組織だ。なのに、『俺は〈悪魔〉だった』などと言えば、混乱を招くと思ったのだ」

「そんな、馬鹿な!」

 ルイフォンは眉を吊り上げ、不可解な言葉を発したイーレオを視線で刺す。ぐっと身を乗り出すと、背中で金の鈴が転がった。

「〈七つの大罪〉は、なくなるはずがない……。何故なら……っ!」

 次の句を、彼は一瞬ためらった。

 今日ここに皆を集め、イーレオを問いただそうとした最大の理由を、こんな勢いのままに吐き出してよいものかと迷った。

 けれど……問わずにはいられなかった。

「〈七つの大罪〉の正体は、王族フェイラの研究機関だろ!? なくなるはずがない!」

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