残酷な描写あり
3.闇夜の凶報-2
「盗み聞きをしていたことなら謝るわ。……でも、ふたりの邪魔をしたら悪いと思ったのよっ!」
クーティエは、開き直って言い放った。白状したところによると、ずっと聞き耳を立てていたのだという。
完全に気配を消していたらしく、ルイフォンは不覚にも、まったく気づかなかった。どうやら、気が向いたときに適当に鍛錬を行っているだけの彼よりも、たとえ六歳年下でも、日々の訓練をきちんとこなしているクーティエのほうが、よほど手練れといえそうだった。
これから寝ようと思っていたのか、彼女は寝間着に着替えており、いつもは高く結い上げている髪は、まっすぐにおろされている。そのためか、心持ち大人びて見えるのだが、……しかし、中身は変わらず、元気娘だった。
「だって、夜中に『ハオリュウ!』って、大きな声が聞こえてきたら、気になっても仕方がないでしょ!」
甲高い声が、耳をつんざく。
「すまん」
「ご、ごめんなさい」
それほど『夜中』でもないのだが、確かに騒ぎ立てていた。非はこちらにある。ルイフォンとメイシアは口々に謝った。
ただ、ハオリュウの名前に引き寄せられたのは、クーティエの側に事情があるだろう。
彼女は、ハオリュウが好きなのだ。
草薙家に厄介になるまで気づかなかったのが不思議なくらい、分かりやすく一直線に惚れ込んでいる。本人は隠しているつもりのようだが、明白すぎて可哀想なので、ルイフォンもメイシアも素知らぬふりをしているだけだ。
いつだったか、クーティエは、ラベンダーの押し花の栞を見せてくれた。ハオリュウが手ずから庭の花を摘んで、彼女に贈った花束から作ったのだという。本当は、色とりどりの花でいっぱいの大きな花束だったそうだが、うまく押し花にできたのが、このラベンダーだけだったのだと言い訳をしていた。
続けて強引に見せられた写真には、ひと抱えもある花束に押しつぶされそうになりながらも、満面の笑顔を浮かべるクーティエが写っていた。貴族の庭から摘んできたのだから、どうということはないだろうが、普通の家だったら花壇が丸坊主になっていたに違いない。
比較的、淡い色合いの小さな花が多いのは、クーティエに対するハオリュウの印象なのだろう。ルイフォンだったら、元気な向日葵を一輪だけ摘んでくる。
つまり、ハオリュウにとっても、クーティエは特別なのだ。
そうでなければ、貴族の当主が、わざわざ自らの手で、あれほどの数の花を摘んだりはしない。ましてや、ハオリュウは足が不自由なのだ。立ったり、しゃがんだりの繰り返しには、さぞ苦労したことだろう。
そして、現在――。
ハオリュウの一大事だと、すっ飛んできたクーティエは、ルイフォンとメイシアに、ぐいと詰め寄った。
鬼気迫る顔に、ふたりとも無意識に体を引く。
「緋扇シュアンが逮捕されたんでしょ! このままなら、処刑されちゃうんでしょ! ハオリュウは、それをついさっき聞いて、今、ショックを受けているんでしょ!」
クーティエは矢継ぎ早にまくし立てる。
何故、彼女は、これほどまでに興奮しているのか。ルイフォンには、今ひとつ理解できずに戸惑う。
確かに、ハオリュウのことは心配だが――否、だからこそ、今から情報収集に取り掛かろうとしているわけで、彼女に噛み付かれる謂れなどないはずだ。
「クーティエ、ちょっと落ち着け……」
なだめようとした彼を、彼女は険しい目で、ぎろりと睨みつけた。
「なんで『明日』、どうにかしよう、なんて言うのよ! ハオリュウは『今』、恐怖と戦っているのよ!」
「……?」
「だったら『今』、彼を『ひとり』にしたら、駄目じゃない!」
クーティエは拳を震わせて叫ぶ。
「ハオリュウは『今』、たった『ひとり』で、怖いに決まっているでしょ! 不安に押しつぶされそうになっているはずよ! なんで分かんないのよ!」
細く澄んだ声が、耳を貫く。
それはまるで、彼女が手にする直刀のように、まっすぐな想いだった。
気圧されたように絶句するルイフォンの隣で、メイシアが呟く。
「クーティエの言う通りかもしれない……。さっきのハオリュウ……、心配……」
刹那。
クーティエがメイシアに駆け寄り、勢いよく頭を下げた。
「メイシア、お願い! 私、今すぐ、ハオリュウのところに行きたいの! だから、私を藤咲のお屋敷に入れてくれるように、ハオリュウに頼んで!」
「え…………」
メイシアは声を詰まらせた。寝間着姿のクーティエの頭から足先までを見渡し、困ったように顔を曇らせる。
今は、夜だ。まだ宵の口とはいえ、夜だ。クーティエのような少女が出歩くような時間ではない。しかも、相手は矜持の高いハオリュウだ。弱っているところなど、誰にも見せたくないであろう。――それが、心憎からず思っているクーティエならば、なおさらだ。
ルイフォンには、メイシアの思考が手に取るように分かった。それは、そのまま表情に出ていたからではあるが、後ろ姿であったとしても読み取れた自信はある。
そして、彼もまた、今からクーティエが藤咲家に行くことなど、現実的ではないと結論づけた。
そのときだった。
「クーティエ、着替えておいで」
不意に扉が開き、甘やかな響きと共に、すらりとした長身が現れた。
この家の主であり、クーティエの父親のレイウェンである。後ろには、母親のシャンリーも控えており、どうやら騒ぎを聞きつけ、揃って、ここまでやってきたらしい。
「父上……?」
戸惑いの表情で振り返った娘に、レイウェンは穏やかに告げる。
「今すぐ、ハオリュウさんのところに行ってあげなさい」
「――っ!? いいの!?」
信じられないとばかりに目を見開き、クーティエは喜色を浮かべた。
レイウェンは深々と頷き、「ただし」と、言い含めるように声を落とす。
「ハオリュウさんには内緒で押しかけるんだ。見栄っ張りで、意地っ張りなハオリュウさんは、正攻法では屋敷に入れてくれないだろうからね。――裏技を使うよ」
優しげな声色で、まるでいたずらでも仕掛けるかのように、レイウェンは口角を上げる。『見栄っ張りで、意地っ張り』という、メイシアの口上を真似て言うあたり、彼らもずっと気配を消して、どこかで聞き耳を立てていたということだろう。
クーティエは『何を言われたのか、理解できない』と大きく顔に書き、ぽかんと父を見上げた。そのまま、しばらく呆然としていたが、はっと顔色を変え、「裏技って、どういうこと!?」と、喰らいつく。
そんな娘の肩を捕まえ、レイウェンは、彼女をルイフォンとメイシアのほうへと向かせた。そして柔らかに、けれど有無を言わせぬ迫力でもって、「まずは、きちんと非礼を詫びなさい」と諭す。
「ルイフォン、メイシアさん、夜分に失礼いたしました。不躾にお邪魔して申し訳ございません」
娘の頭を下げさせつつ、自らも頭を下げ、レイウェンが謝罪する。それまで、唖然と状況を見守ってきたルイフォンは、突然のことに「あ、ああ……」と、なんとも冴えない返事しかできなかった。
「――ですが、クーティエの言う通り、今はハオリュウさんをひとりにすべきではありません。メイシアさんも、そう思われたでしょう?」
あくまでも腰は低く、だのに強硬。レイウェンに水を向けられたメイシアは、促されるままに首肯する。
「ええ……。ですが、どうすれば……」
口ごもるメイシアに、レイウェンは微笑んだ。そして、背後を振り返り、妻へ指示を出す。
「シャンリー、母上を呼んできてほしい。あと車は、私が行くとハオリュウさんが嫌がりそうだから、タオロンに運転を任せる。彼にも声を掛けてくれ。それから、メイシアさんは藤咲家に連絡を。ただし、ハオリュウさんではなくて……」
身支度を整えたクーティエとユイランを乗せ、タオロンの運転する車は、漆黒の闇の中へ走り出した。
押し切られる形でクーティエを見送ったルイフォンは、腑に落ちないながらも、作業に戻った。「君は引き続き、情報収集を頼む」と、レイウェンに丁寧に頭を下げられたためである。傲岸不遜な鷹刀一族特有の顔で下手に出られると、どうにも逆らえないルイフォンだった。
「おい、レイウェン」
寝室に戻ったシャンリーは腰に手を当て、今の一幕を問答無用で取り仕切った夫に迫った。
「私は、これからファンルゥの添い寝に行く。万が一、夜中に目を覚ましたとき、そばにタオロンがいなかったら不安だろうからな。だから、その前に教えろ。――なんで、あんなに必死になって、クーティエをハオリュウのもとへ送り出した?」
「……シャンリー。俺が焦っていたこと、シャンリーには、ばれていた?」
「え?」
レイウェンのまとう雰囲気が、先ほどまでと、がらりと変わっていた。
美麗な顔は苦々しげに眉を寄せ、鷹刀一族特有の魅惑の低音は険を帯びている。焦りというよりも静かな憤りを感じ、シャンリーは狼狽した。
「祖父上みたいに、飄々とした調子のつもりだったんだけどな……。俺も、まだまだだ」
ぽつりと落とされた声は悔しげで、シャンリーは「いや、そうじゃなくて……」と慌てて弁明する。
「イーレオ様のようだったかは、さておき、態度におかしなところはなかった。安心してくれ。……けど、どう考えたって、今の時間にクーティエを押しかけさせるなんて、普通じゃないだろ?」
「……まぁ、そうだよね」
軽い苦笑と共に、レイウェンの表情が少しだけ和らぐ。しかし、声からは、彼ならではの甘やかさが消えたままであった。
「レイウェン……。――いったい、何を知っている?」
問いかけながら、シャンリーは先刻の奇襲作戦を思い返す。
レイウェンの策は、特段、奇をてらうものではなかった。単にメイシアに、彼女が生きていることを知っている数少ない人間のひとり、藤咲家の執事に話をつけてもらっただけである。
ユイランが同行したのは『藤咲家の許可証を持った、おかかえの仕立て屋が、明日の衣装のことで緊急に用事がある』という体裁を整えるためだ。少々、苦しい理由だが、使用人たちが疑問に思っても、これで一応の説明がつくというわけだ。
そして、クーティエは『仕立て屋の助手』ということにした。かなり無理があるが、藤咲家の門衛は、レイウェンの警備会社からの派遣の者たちだ。クーティエとユイランを不審に思うことはない。
しかし、招かれてもいないのに、『平民が貴族の屋敷に押しかける』。しかも、それが夜になってからとなれば、非常識にもほどがあるだろう。
何より、当主が望んでいないのだ。
だのに、クーティエを行かせるからには、何かしらの根拠があるはずだと、シャンリーは言っているのである。
「……っ」
不自然に、レイウェンの頬が動いた。――奥歯を噛んだのだ。
そして、歪んだ顔のまま、彼は重い口を開く。
「ハオリュウさんは今日、王宮に行ったんだ」
「王宮に?」
シャンリーは、わずかに首をかしげた。おうむ返しの言葉は、『どうしてそんなことが分かるのだ?』という質問だ。
「ハオリュウさんにつけた護衛が、業務日誌で報告してきた。……依頼主の個人情報になるから、ルイフォンたちには言えなかったけどね」
「――なるほど」
「ハオリュウさんは、母上に仕立ててもらったばかりの服を着ていったそうだ。ならば、摂政殿下に呼ばれたと考えて間違いない。――そして、同じ日に緋扇さんが逮捕されたとなれば……」
「!」
シャンリーは息を呑んだ。
顔色を変え、かすれた声で呟く。
「シュアンの逮捕は、摂政からハオリュウへの脅迫……!」
「おそらく」
「つまり、シュアンの命と引き換えに、ハオリュウは女王の婚約者になるように迫られている――ってことか」
得心がいったと膝を打つシャンリーに、しかし、レイウェンは首を振る。
「いや、『婚約者になれ』というだけなら、王族と貴族の身分の差だけで、ハオリュウさんには断ることはできないはずだ」
「え?」
「だから、婚約者じゃない。ハオリュウさんは、『それ以上のこと』を要求されたんだ」
凍りつくような冷たい声で、レイウェンは告げる。
シャンリーは、まるで冷気に当てられたかのように、ぶるりと体を震わせた。そして、硬い声で尋ねる。
「――『それ以上のこと』って、なんだ?」
「それは分からない。でも、クーティエの言う通り、ハオリュウさんを孤独にしたら駄目だ。彼は見た目と違って、気性が激しい……暴走しかねないよ。今の彼は、非常に危うい状態だ。何しろ――」
遠い王宮を睨めつけ、レイウェンの瞳が憎悪を帯びる。
「ハオリュウさんの行動ひとつで、緋扇さんの運命が決まってしまうんだからね」
クーティエは、開き直って言い放った。白状したところによると、ずっと聞き耳を立てていたのだという。
完全に気配を消していたらしく、ルイフォンは不覚にも、まったく気づかなかった。どうやら、気が向いたときに適当に鍛錬を行っているだけの彼よりも、たとえ六歳年下でも、日々の訓練をきちんとこなしているクーティエのほうが、よほど手練れといえそうだった。
これから寝ようと思っていたのか、彼女は寝間着に着替えており、いつもは高く結い上げている髪は、まっすぐにおろされている。そのためか、心持ち大人びて見えるのだが、……しかし、中身は変わらず、元気娘だった。
「だって、夜中に『ハオリュウ!』って、大きな声が聞こえてきたら、気になっても仕方がないでしょ!」
甲高い声が、耳をつんざく。
「すまん」
「ご、ごめんなさい」
それほど『夜中』でもないのだが、確かに騒ぎ立てていた。非はこちらにある。ルイフォンとメイシアは口々に謝った。
ただ、ハオリュウの名前に引き寄せられたのは、クーティエの側に事情があるだろう。
彼女は、ハオリュウが好きなのだ。
草薙家に厄介になるまで気づかなかったのが不思議なくらい、分かりやすく一直線に惚れ込んでいる。本人は隠しているつもりのようだが、明白すぎて可哀想なので、ルイフォンもメイシアも素知らぬふりをしているだけだ。
いつだったか、クーティエは、ラベンダーの押し花の栞を見せてくれた。ハオリュウが手ずから庭の花を摘んで、彼女に贈った花束から作ったのだという。本当は、色とりどりの花でいっぱいの大きな花束だったそうだが、うまく押し花にできたのが、このラベンダーだけだったのだと言い訳をしていた。
続けて強引に見せられた写真には、ひと抱えもある花束に押しつぶされそうになりながらも、満面の笑顔を浮かべるクーティエが写っていた。貴族の庭から摘んできたのだから、どうということはないだろうが、普通の家だったら花壇が丸坊主になっていたに違いない。
比較的、淡い色合いの小さな花が多いのは、クーティエに対するハオリュウの印象なのだろう。ルイフォンだったら、元気な向日葵を一輪だけ摘んでくる。
つまり、ハオリュウにとっても、クーティエは特別なのだ。
そうでなければ、貴族の当主が、わざわざ自らの手で、あれほどの数の花を摘んだりはしない。ましてや、ハオリュウは足が不自由なのだ。立ったり、しゃがんだりの繰り返しには、さぞ苦労したことだろう。
そして、現在――。
ハオリュウの一大事だと、すっ飛んできたクーティエは、ルイフォンとメイシアに、ぐいと詰め寄った。
鬼気迫る顔に、ふたりとも無意識に体を引く。
「緋扇シュアンが逮捕されたんでしょ! このままなら、処刑されちゃうんでしょ! ハオリュウは、それをついさっき聞いて、今、ショックを受けているんでしょ!」
クーティエは矢継ぎ早にまくし立てる。
何故、彼女は、これほどまでに興奮しているのか。ルイフォンには、今ひとつ理解できずに戸惑う。
確かに、ハオリュウのことは心配だが――否、だからこそ、今から情報収集に取り掛かろうとしているわけで、彼女に噛み付かれる謂れなどないはずだ。
「クーティエ、ちょっと落ち着け……」
なだめようとした彼を、彼女は険しい目で、ぎろりと睨みつけた。
「なんで『明日』、どうにかしよう、なんて言うのよ! ハオリュウは『今』、恐怖と戦っているのよ!」
「……?」
「だったら『今』、彼を『ひとり』にしたら、駄目じゃない!」
クーティエは拳を震わせて叫ぶ。
「ハオリュウは『今』、たった『ひとり』で、怖いに決まっているでしょ! 不安に押しつぶされそうになっているはずよ! なんで分かんないのよ!」
細く澄んだ声が、耳を貫く。
それはまるで、彼女が手にする直刀のように、まっすぐな想いだった。
気圧されたように絶句するルイフォンの隣で、メイシアが呟く。
「クーティエの言う通りかもしれない……。さっきのハオリュウ……、心配……」
刹那。
クーティエがメイシアに駆け寄り、勢いよく頭を下げた。
「メイシア、お願い! 私、今すぐ、ハオリュウのところに行きたいの! だから、私を藤咲のお屋敷に入れてくれるように、ハオリュウに頼んで!」
「え…………」
メイシアは声を詰まらせた。寝間着姿のクーティエの頭から足先までを見渡し、困ったように顔を曇らせる。
今は、夜だ。まだ宵の口とはいえ、夜だ。クーティエのような少女が出歩くような時間ではない。しかも、相手は矜持の高いハオリュウだ。弱っているところなど、誰にも見せたくないであろう。――それが、心憎からず思っているクーティエならば、なおさらだ。
ルイフォンには、メイシアの思考が手に取るように分かった。それは、そのまま表情に出ていたからではあるが、後ろ姿であったとしても読み取れた自信はある。
そして、彼もまた、今からクーティエが藤咲家に行くことなど、現実的ではないと結論づけた。
そのときだった。
「クーティエ、着替えておいで」
不意に扉が開き、甘やかな響きと共に、すらりとした長身が現れた。
この家の主であり、クーティエの父親のレイウェンである。後ろには、母親のシャンリーも控えており、どうやら騒ぎを聞きつけ、揃って、ここまでやってきたらしい。
「父上……?」
戸惑いの表情で振り返った娘に、レイウェンは穏やかに告げる。
「今すぐ、ハオリュウさんのところに行ってあげなさい」
「――っ!? いいの!?」
信じられないとばかりに目を見開き、クーティエは喜色を浮かべた。
レイウェンは深々と頷き、「ただし」と、言い含めるように声を落とす。
「ハオリュウさんには内緒で押しかけるんだ。見栄っ張りで、意地っ張りなハオリュウさんは、正攻法では屋敷に入れてくれないだろうからね。――裏技を使うよ」
優しげな声色で、まるでいたずらでも仕掛けるかのように、レイウェンは口角を上げる。『見栄っ張りで、意地っ張り』という、メイシアの口上を真似て言うあたり、彼らもずっと気配を消して、どこかで聞き耳を立てていたということだろう。
クーティエは『何を言われたのか、理解できない』と大きく顔に書き、ぽかんと父を見上げた。そのまま、しばらく呆然としていたが、はっと顔色を変え、「裏技って、どういうこと!?」と、喰らいつく。
そんな娘の肩を捕まえ、レイウェンは、彼女をルイフォンとメイシアのほうへと向かせた。そして柔らかに、けれど有無を言わせぬ迫力でもって、「まずは、きちんと非礼を詫びなさい」と諭す。
「ルイフォン、メイシアさん、夜分に失礼いたしました。不躾にお邪魔して申し訳ございません」
娘の頭を下げさせつつ、自らも頭を下げ、レイウェンが謝罪する。それまで、唖然と状況を見守ってきたルイフォンは、突然のことに「あ、ああ……」と、なんとも冴えない返事しかできなかった。
「――ですが、クーティエの言う通り、今はハオリュウさんをひとりにすべきではありません。メイシアさんも、そう思われたでしょう?」
あくまでも腰は低く、だのに強硬。レイウェンに水を向けられたメイシアは、促されるままに首肯する。
「ええ……。ですが、どうすれば……」
口ごもるメイシアに、レイウェンは微笑んだ。そして、背後を振り返り、妻へ指示を出す。
「シャンリー、母上を呼んできてほしい。あと車は、私が行くとハオリュウさんが嫌がりそうだから、タオロンに運転を任せる。彼にも声を掛けてくれ。それから、メイシアさんは藤咲家に連絡を。ただし、ハオリュウさんではなくて……」
身支度を整えたクーティエとユイランを乗せ、タオロンの運転する車は、漆黒の闇の中へ走り出した。
押し切られる形でクーティエを見送ったルイフォンは、腑に落ちないながらも、作業に戻った。「君は引き続き、情報収集を頼む」と、レイウェンに丁寧に頭を下げられたためである。傲岸不遜な鷹刀一族特有の顔で下手に出られると、どうにも逆らえないルイフォンだった。
「おい、レイウェン」
寝室に戻ったシャンリーは腰に手を当て、今の一幕を問答無用で取り仕切った夫に迫った。
「私は、これからファンルゥの添い寝に行く。万が一、夜中に目を覚ましたとき、そばにタオロンがいなかったら不安だろうからな。だから、その前に教えろ。――なんで、あんなに必死になって、クーティエをハオリュウのもとへ送り出した?」
「……シャンリー。俺が焦っていたこと、シャンリーには、ばれていた?」
「え?」
レイウェンのまとう雰囲気が、先ほどまでと、がらりと変わっていた。
美麗な顔は苦々しげに眉を寄せ、鷹刀一族特有の魅惑の低音は険を帯びている。焦りというよりも静かな憤りを感じ、シャンリーは狼狽した。
「祖父上みたいに、飄々とした調子のつもりだったんだけどな……。俺も、まだまだだ」
ぽつりと落とされた声は悔しげで、シャンリーは「いや、そうじゃなくて……」と慌てて弁明する。
「イーレオ様のようだったかは、さておき、態度におかしなところはなかった。安心してくれ。……けど、どう考えたって、今の時間にクーティエを押しかけさせるなんて、普通じゃないだろ?」
「……まぁ、そうだよね」
軽い苦笑と共に、レイウェンの表情が少しだけ和らぐ。しかし、声からは、彼ならではの甘やかさが消えたままであった。
「レイウェン……。――いったい、何を知っている?」
問いかけながら、シャンリーは先刻の奇襲作戦を思い返す。
レイウェンの策は、特段、奇をてらうものではなかった。単にメイシアに、彼女が生きていることを知っている数少ない人間のひとり、藤咲家の執事に話をつけてもらっただけである。
ユイランが同行したのは『藤咲家の許可証を持った、おかかえの仕立て屋が、明日の衣装のことで緊急に用事がある』という体裁を整えるためだ。少々、苦しい理由だが、使用人たちが疑問に思っても、これで一応の説明がつくというわけだ。
そして、クーティエは『仕立て屋の助手』ということにした。かなり無理があるが、藤咲家の門衛は、レイウェンの警備会社からの派遣の者たちだ。クーティエとユイランを不審に思うことはない。
しかし、招かれてもいないのに、『平民が貴族の屋敷に押しかける』。しかも、それが夜になってからとなれば、非常識にもほどがあるだろう。
何より、当主が望んでいないのだ。
だのに、クーティエを行かせるからには、何かしらの根拠があるはずだと、シャンリーは言っているのである。
「……っ」
不自然に、レイウェンの頬が動いた。――奥歯を噛んだのだ。
そして、歪んだ顔のまま、彼は重い口を開く。
「ハオリュウさんは今日、王宮に行ったんだ」
「王宮に?」
シャンリーは、わずかに首をかしげた。おうむ返しの言葉は、『どうしてそんなことが分かるのだ?』という質問だ。
「ハオリュウさんにつけた護衛が、業務日誌で報告してきた。……依頼主の個人情報になるから、ルイフォンたちには言えなかったけどね」
「――なるほど」
「ハオリュウさんは、母上に仕立ててもらったばかりの服を着ていったそうだ。ならば、摂政殿下に呼ばれたと考えて間違いない。――そして、同じ日に緋扇さんが逮捕されたとなれば……」
「!」
シャンリーは息を呑んだ。
顔色を変え、かすれた声で呟く。
「シュアンの逮捕は、摂政からハオリュウへの脅迫……!」
「おそらく」
「つまり、シュアンの命と引き換えに、ハオリュウは女王の婚約者になるように迫られている――ってことか」
得心がいったと膝を打つシャンリーに、しかし、レイウェンは首を振る。
「いや、『婚約者になれ』というだけなら、王族と貴族の身分の差だけで、ハオリュウさんには断ることはできないはずだ」
「え?」
「だから、婚約者じゃない。ハオリュウさんは、『それ以上のこと』を要求されたんだ」
凍りつくような冷たい声で、レイウェンは告げる。
シャンリーは、まるで冷気に当てられたかのように、ぶるりと体を震わせた。そして、硬い声で尋ねる。
「――『それ以上のこと』って、なんだ?」
「それは分からない。でも、クーティエの言う通り、ハオリュウさんを孤独にしたら駄目だ。彼は見た目と違って、気性が激しい……暴走しかねないよ。今の彼は、非常に危うい状態だ。何しろ――」
遠い王宮を睨めつけ、レイウェンの瞳が憎悪を帯びる。
「ハオリュウさんの行動ひとつで、緋扇さんの運命が決まってしまうんだからね」