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作者: 月ノ瀬 静流
残酷な描写あり
3.蓮蕾の女王-1
 イーレオたちが去り、ほどなくして、氷の浮かんだレモンティーと料理長自慢のマカロンが、執務室に届けられた。

 リュイセンは、運んできたメイドの気配が完全に消えたのを確認すると、「もう、顔を隠さなくて大丈夫だぞ」と、女王に告げる。

 いくら空調の効いた室内とはいえ、黒づくめの姿は、やはり暑苦しかったのだろう。彼女は、サングラスを外し、フェイスカバーを取り、目深まぶかかぶっていたフードごとパーカーを脱ぎ捨てた。

 それから、可愛らしく「ふぅ」と息をつく。

 その目元は腫れていたが、涙は止まっていた。リュイセンは安堵し、同時に、神々しいまでの綺羅の美貌に、どきりとする。

 陽光を模したような白金の髪と、蒼天を映したような青灰色の瞳。

 彼女の素顔なら、先ほどイーレオたちに挨拶をしたときに、既に見ている。それでも、こうして落ち着いて向かい合えば、改めて目を奪われた。

 禁忌に触れそうなほどの、儚げな危うさ。

 そして。

 神秘を極めた、人とは思えぬ異質の美しさ……。

 なるほど、〈神の御子〉とは、よく言ったものだと思う。この麗姿で『天空神の代理人』を唱えられれば、凡庸な民草は『異色の神性』を信じるしかない、というわけだ。

 リュイセンは、魔性の美を誇る、鷹刀一族の直系である。整った顔立ちなら、見慣れているはずだった。しかし、それは、あくまでも人の次元でのことだったらしい。

 彼女の美は、神の領域だ。

 魔性の彼は、神性な彼女に惹き寄せられ、魅入られる。



 ……けど。こいつは、誰よりも『人』だ。



 知れず、止めていた息を吐き出し、リュイセンは切れ長の目を切なげに細めた。

 彼女は、鷹刀の血族以上に義姉セレイエの死を悼み、さざなみの涙を流した。高貴な身分のくせに、門衛たちに素直に感謝し、先王父親が世話になった相手イーレオに、無邪気な親愛を寄せるような奴なのだ。

 だいたい、白く透き通った先天性白皮症アルビノの肌は、傍目はためには至高の美しさと映っても、その実、太陽のもとでは暑苦しい布地で覆わねばならないものだ。神秘の青い瞳だって、視力はあるようだが弱視かもしれないし、色素が少ないために、人一倍、まぶしさを感じやすいものだと聞いている。

 まるで、強いの光をいとい、昼には花びらを閉じてしまう裏庭の白蓮だ。さぞ、不自由を強いられていることだろう……。

「どうしたの?」

 高い声に、はっと我に返れば、困惑顔の女王に顔を覗き込まれていた。リュイセンは、無言で彼女を凝視していた自分に気づき、慌てて謝罪する。

「す、すまん! 不躾に失礼だった。……断じて、好奇心などではなく――」

「え?」

 女王は瞳をまたたかせた。彼女としては、リュイセンが急に押し黙ってしまったから声を掛けただけなので、どうしてそんなに慌てるのか、謎だった。

 だが、その心情を理解できないリュイセンは、思わず口走ってしまった『好奇心』という言葉が、彼女を傷つけてしまったのだと勘違いして、更に焦る。

「あ……、その……、〈神の御子〉の容姿が、先天性白皮症アルビノに依るものだということは知っている。俺は、思わず見惚みとれてしまったが、お前にとっては大変な体質で、俺の視線は不快だったはずだ。悪い……!」

 さすがに、立ち上がって床に手を付くことまではしなかったが、リュイセンは着席のまま、可能な限り深く、頭を下げる。一方、包み隠さず『見惚みとれていた』と言われた上に、気遣いまでされてしまった女王は、頬を紅潮させた。

 生まれつき、〈神の御子〉という容姿を持った彼女にとって、人の目を惹き寄せることは日常茶飯事。だが、敬意や崇拝はあっても、あくまでも異質な存在としての扱いだ。彼のような歩み寄った言動は初めてで、どう返してよいのか分からない。とっさに口をいた言葉の支離滅裂さは、まとまらない彼女の心そのものだった。

「なんで、リュイセンが謝るのよ!? この外見は、注目されて当然でしょう? それに、先天性白皮症アルビノと知っている、って……? 助かるけど……」

 心の底から狼狽うろたえる女王。対して、リュイセンは、いわおの如く動じない。

「無礼な行為を働いたら、詫びるのが道理だ」

「リュイセン……」

 彼の名を呟き、彼女は、しばし絶句する。

 やがて、大きく見開かれていた青灰色の瞳がまたたきを思い出し、天界の琴を弾いたような笑みが、くすりと漏れた。

「本当に……、セレイエの言っていた通りなのね」

「?」

 リュイセンは、反射的に顔を上げる。相対あいたいした彼女は、何故か、とても嬉しそうな顔をしていた。

「リュイセンは兄弟の中で一番、律儀で、生真面目で、融通が利かなくて、不器用で、要領が悪くて、損ばかりしていて、劣等感コンプレックスまみれで……」

「なっ!?」

「――でも、一番、優しいんだって」

 白い指先を唇にあて、秘密を打ち明ける子供のように、彼女が微笑む。

「…………っ」

 リュイセンが声を詰まらせたのは、予想外の単語が出てきたからか。それとも、それを告げた彼女の表情かおに呑まれたからか。

「……なんだよ、それ」

 ひと呼吸遅れての反応は、どことなく間が抜けていた。けれど、女王は軽やかに髪を揺らしながら、リュイセンのほうへと身を乗り出す。

「あのね、セレイエから兄弟の話を聞いたとき、『リュイセン』は、私に似ていると思ったの」

「似ている? どこがだ?」

 眉を上げたリュイセンに、女王は「あっ」と口元を押さえて言いよどむ。それから、可愛らしく首をすくめながら、「怒らないでね?」と続けた。

「リュイセンは、頭の切れる兄と弟分を差し置いて、鷹刀一族の後継者。私は〈神の御子〉というだけで、たくさんの兄弟たちを押しのけて、女王様……」

 わずかにうつむき、女王は白金の睫毛まつげを伏せた。綺羅の美貌が陰り、神ではなく、人である彼女の苦悩が落とされる。

「……なるほど」

 否定できない。怒るどころか、まさにその通りだと思う。そして、妙に親しげな彼女の言動も、腑に落ちた。

「だからね、私は勝手にリュイセンに親近感をいだいていたの。いつか会ってみたいって、ずっと思っていたのよ。――でも、本物のリュイセンは、私とは違ったわ。義姉セレイエ異母弟おとうとだから、私と同じくらいの歳かと思っていたら、ずっと年上で。しかも、しっかりしていて、頼もしかった」

「はぁ? 俺が『頼もしい』?」

「うん。……それは、リュイセンが『優しい』からなんだ――って。今、分かったの」

 ふわりと花がほころぶように、彼女は純粋無垢な笑顔を浮かべる。

 リュイセンは思わず魅入られそうになり、けれど、すぐに彼女が「想像していたよりもリュイセンが立派だったのは、ちょっと悔しいわ」と、ねたように頬を膨らませたので、途中でなんともいえない苦笑に変わった。

 ころころと、よく表情が変わる。感情の豊かな、ごく普通の少女だ。華奢な双肩に、重すぎる荷を背負わされてしまったというだけの……。

「私ね、リュイセンに会えて、本当に嬉しいの! ――こんな形での出会いだったのは残念だけど……、……っ」

 自分の言葉に、セレイエの死を思い出してしまったのだろう。青灰色の瞳から、はらりと涙がこぼれ落ち、彼女は慌てて目元を押さえた。

「ご、ごめんなさいっ……」

 一度、堰を切ってしまった涙は、簡単には止まらないらしい。彼女本人の焦りとは裏腹に、透明な雫は、あとからあとから、はらはらと流れ落ちる。

「――っ、女王。とりあえず、飲み物と菓子を……。うちの料理長自慢の品だから、美味いはずだ……」

 女の涙は心臓に悪い。リュイセンは、どうにか彼女の気持ちを落ち着かせようと、しどろもどろに提案する。

「リュイセン、ありがとう。――でも、私の名前は『女王』じゃなくて、『アイリー』なの」

 言葉は拙くとも、思いは伝わる。

 彼女は泣きながら、精いっぱいに笑ってくれた。





 甘い菓子には、魔法が掛かっているらしい。さくさくの生地が、口の中で、すぅっと溶けると、ふたりの間を漂っていた、ぎこちない空気も、ほわりとけていった。

 彼女は小動物的な仕草で、三つ目のマカロンを口に運ぶ。それを舌の上でとろかせながら、涙の乾いた瞳で「リュイセン」と切り出してきた。

「さっきイーレオさんが言っていた、『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』というのが、ライシェンを生き返らせる計画の名称なのね。……セレイエは、本当に『死者の蘇生』を実行に移して……、……そして、亡くなってしまったのね……」

「……ああ」

 どうやって話を始めようかと悩んでいたリュイセンは、口火を切ってくれた彼女に感謝しつつ頷く。

「四年前……、〈冥王プルート〉から『ライシェンの記憶』を集めたら、セレイエは熱暴走で命を落とすだろう――って。ヤンイェンお異母兄にい様もセレイエも、ちゃんと理解していたわ」

 なじるように、強がるように、彼女は唇をとがらせた。

「計算の上では、間違いなく助からない。何かよい手段はないかと、セレイエは同じく〈天使〉のお母様に相談に行ったけれど、『禁忌に触れる行為だ』と猛反対されて、喧嘩別れして帰ってきたの」

 興奮気味の口調で、彼女は四年前を口にする。

『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』について教えてほしいと、すぐにも質問攻めにされる覚悟をしていたリュイセンとしては、拍子抜けだった。

 だが、次第に理解する。

 彼女は、ずっと孤独だったのだ。

 彼女の周りには、彼女の辛さや悲しさを、親身になって受け止めてくれる相手などいなかった。彼女は、ひとりで抱えていくしかなかった。

 誰にも頼ることができなかった彼女は、だから、やっと出会えた『身内』に、今までの経緯ことを、そのときの思いを、やっと吐き出すことができたのだ……。

「ライシェンが生き返っても、代わりにセレイエが亡くなってしまったら、なんにもならない。だから、ヤンイェンお異母兄にい様とセレイエは、私の知る限りでは、『死者の蘇生』について必死に調べはしても、実行には移していなかったの。――でも……っ」

 不意に、語尾が震えた。

 彼女は、やるせない眼差しで、奥歯を噛みしめる。

「セレイエのお母様が、セレイエを強く叱りつけたのと同じように……。先王お父様がヤンイェンお異母兄にい様に、ライシェンの蘇生を諦めるよう、厳しく言い渡したとき……。お異母兄にい様は憎しみを抑えきることができずに、先王お父様を殺めてしまった……」

 彼女は目線を落とし、視界に映ったレモンティーを手に取った。結露による水滴も気にせず、むしろ、たかぶる感情を冷やそうとでもするかのようにグラスを握りしめる。

先王お父様と、お異母兄にい様。どちらにも、譲れない思いがあったのよ。どちらが悪いなんて、言えないの……」

 ぽつりとした呟きが、グラスの中にさざなみを落とす。

「一緒にいたら、セレイエもきっと罪に問われる。王族フェイラのお異母兄にい様はともかく、平民バイスアのセレイエは処刑されてしまう。だから、お異母兄にい様はセレイエを逃したの。……けど、セレイエにしてみれば、たったひとりで自由の身になったって、なんの意味もなかったのよ。だって、愛するお異母兄にい様も、ライシェンもいないんだもの」

 彼女は語気を強め、「だから――!」と、続けた。セレイエの義妹いもうとである自分には、義姉あねの気持ちなんて、お見通しなのだ、と。

「だから、セレイエは『死者の蘇生』を――『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』を実行に移した。……そういうことでしょう?」

「ああ……、そうだ」

 リュイセンは、静かに肯定した。直接、セレイエから聞いたわけではないが、セレイエの記憶を受け取ったメイシアが、ほぼ同様のことを言っていたから――。

「リュイセン」

 彼の名を呼びながら、彼女が、ゆっくりと顔を上げた。綺羅の美貌は変わらぬままであるのに、今までと、どこか面差しが変わっていた。

「もし鷹刀がセレイエの遺志を継ぐつもりなら、私は鷹刀の敵になるわ」

 澄んだ青灰色の瞳が、まっすぐに向けられる。

 まるで、高い空に惹き込まれていくような錯覚に、リュイセンは陥る。

「四年前、私はライシェンを生き返らせることには反対だったの。でも、嘆き悲しむ、お異母兄にい様とセレイエを前に、私は何も言えなかった。――もう、後悔したくないの」

「お前……」

 お飾りの女王だと聞いていた。幼さの残る、か弱い少女なのだと。

 本当に、そうなのだろうか。

 リュイセンが疑問を覚えたとき、彼女は、ぎゅっと唇を噛んだ。

 華奢な肩が震え、白金の髪が波打つ。どうしたのかと彼が顔色を変えれば、彼女の雰囲気は一変して、口から、ひくりと、弱々しい嗚咽が漏れた。

「だって……! 亡くなったライシェンの代わりなんか存在しないもの……!」

 叩きつけるように、彼女は訴える。

「ライシェンはね、凄く可愛い子だったのよ。そばにいるだけで、幸せな気持ちになれたわ。私は、あの子が大好きだったの」

 儚げな顔立ちが、今にも泣き出しそうなほどに悲痛に歪んだ。けれど、ぐっと口元を結び、彼女は懸命にこらえる。いつまでも弱いままではいけないと、自分に言い聞かせるかのように。

「ライシェンは私と同じ〈神の御子〉で、しかも男の子だから、きっと辛いことが、たくさん起こる。でも、私が守ってあげる、って――約束……したのに……!」

「…………」

 哀哭の叫びに、リュイセンは、やるせない思いで拳を握りしめる。

 強さと弱さとが、ないまぜになった、素顔の彼女。

 精いっぱいの背伸びをしても、やはり、まだまだ半人前だ。

 だが、夢見る少女ではない。現実を見据え、進むべき道を見誤らないようにと必死に足掻あがく。――リュイセンと同じように……。

「女王」

 リュイセンは、そう呼びかけて、直後に首を振った。

 彼女にふさわしい名前は『女王これ』ではない。口にするのは、どことなく気恥ずかしいが、それでも、きちんと彼女の名前を声に乗せる。

「アイリー」

「リュイセン?」

「お前、辛かったな。今までひとりで、よく耐えてきたな」

「!」

 青灰色の瞳が、ぱっと見開かれた。その弾みで、ひと粒の涙が、はらりとこぼれ落ちた。

「安心しろ。鷹刀は――正確には『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』を託されたルイフォンとメイシアは、セレイエの願いをそのまま叶えるつもりはない」

「え!?」

「『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』は、セレイエの我儘。――これが、俺たちの見解だ」

「そ……、そうなの……?」

 アイリーは狼狽する。

 どうやら、『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』のかなめであるらしい鷹刀一族は、セレイエの遺志を継ぐものと信じていたらしい。

 ただ――。

『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』は、誰も予期しなかった方向へと迷走している。

 さて、この複雑な現状をどう説明したものか。

 リュイセンは渋面を作り、「ええとな……」と、歯切れの悪い調子で続けた。

「『ライシェンの肉体』は、既に出来上がっていて、いつ生まれてもいいように凍結保存されている」

「既に……」

 白い喉が、小さく、こくりと動いた。

「その状態で未来を託されたルイフォンとメイシアは、彼を幸せにしてやりたいと――そのために、いろいろ面倒なことになっている」

 眉間に皺を寄せたリュイセンに、「あ、待って!」と、アイリーが鋭く叫んだ。

「『ライシェンの肉体』が、どこにあるかは言わないで! カイウォルお兄様が、私から情報を得ようと、躍起になっているの」

「え?」

 唐突に出てきた摂政カイウォルの名に、リュイセンは戸惑う。

「カイウォルお兄様が、『ライシェンの肉体』の行方を探していることは、鷹刀も把握しているでしょう?」

「あ、ああ……」

「それで、カイウォルお兄様は、セレイエと仲の良かった私なら、何か知っているのではないかと、誘導尋問みたいなことをしてくるのよ。侍女だったホンシュアが脅迫してきたとか、私が消息を気にしているのを承知で、あえて語り聞かせてくるの」

 アイリーは唇をとがらせ、頬を膨らませた。

「お兄様は、ご自分の知っている情報を呼び水に、私が思わず、ぽろりと漏らすのを期待しているのよ。今までは、本当に何も知らなかったからよかったけど、もし、『ライシェンの肉体』の居場所を聞いちゃったら、私には隠し通せる自信がないわ」

「なるほど」

 妹を相手に誘導尋問とは、また穏やかではないが、あの摂政であれば、容易に想像できる。特にアイリーは、リュイセンと同じく単純――もとい、素直な性格なので、くみやすしと思われても仕方ないだろう。

「ヤンイェンが、仲の良い異母妹いもうとのお前に『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』のことを教えなかったのは、摂政に情報が伝わることを恐れた、というわけか」

「それは違うと思うわ」

 得心したリュイセンを、しかし、アイリーは冷たい声で、ぴしゃりと否定した。

「四年前。私は強い態度で、ヤンイェンお異母兄にい様とセレイエを止めることはできなかったわ。でも、ライシェンを生き返らせることに反対なのは、ふたりとも分かっていたと思うの。――だから、隠すのよ。私に、邪魔をされたくないから」

 そして、ひと呼吸おいて、アイリーは言葉を重ねる。

「それでいいのよ。人にはそれぞれ、譲れないものがあるんだから」

 天界の音色が、強い意志を放った。

 人懐っこい、無垢な少女は、かつての後悔を忘れない。故に、無邪気なままではいられない。

 レモンティーのグラスの中で、小さくなった氷が踊り、硝子を奏でる。からん、と涼しげな音は、溶けた氷は戻らぬのだと、告げているかのようであった。

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