残酷な描写あり
3.蓮蕾の女王-1
イーレオたちが去り、ほどなくして、氷の浮かんだレモンティーと料理長自慢のマカロンが、執務室に届けられた。
リュイセンは、運んできたメイドの気配が完全に消えたのを確認すると、「もう、顔を隠さなくて大丈夫だぞ」と、女王に告げる。
いくら空調の効いた室内とはいえ、黒づくめの姿は、やはり暑苦しかったのだろう。彼女は、サングラスを外し、フェイスカバーを取り、目深に被っていたフードごとパーカーを脱ぎ捨てた。
それから、可愛らしく「ふぅ」と息をつく。
その目元は腫れていたが、涙は止まっていた。リュイセンは安堵し、同時に、神々しいまでの綺羅の美貌に、どきりとする。
陽光を模したような白金の髪と、蒼天を映したような青灰色の瞳。
彼女の素顔なら、先ほどイーレオたちに挨拶をしたときに、既に見ている。それでも、こうして落ち着いて向かい合えば、改めて目を奪われた。
禁忌に触れそうなほどの、儚げな危うさ。
そして。
神秘を極めた、人とは思えぬ異質の美しさ……。
なるほど、〈神の御子〉とは、よく言ったものだと思う。この麗姿で『天空神の代理人』を唱えられれば、凡庸な民草は『異色の神性』を信じるしかない、というわけだ。
リュイセンは、魔性の美を誇る、鷹刀一族の直系である。整った顔立ちなら、見慣れているはずだった。しかし、それは、あくまでも人の次元でのことだったらしい。
彼女の美は、神の領域だ。
魔性の彼は、神性な彼女に惹き寄せられ、魅入られる。
……けど。こいつは、誰よりも『人』だ。
知れず、止めていた息を吐き出し、リュイセンは切れ長の目を切なげに細めた。
彼女は、鷹刀の血族以上に義姉の死を悼み、漣の涙を流した。高貴な身分のくせに、門衛たちに素直に感謝し、先王が世話になった相手に、無邪気な親愛を寄せるような奴なのだ。
だいたい、白く透き通った先天性白皮症の肌は、傍目には至高の美しさと映っても、その実、太陽の下では暑苦しい布地で覆わねばならないものだ。神秘の青い瞳だって、視力はあるようだが弱視かもしれないし、色素が少ないために、人一倍、眩しさを感じやすいものだと聞いている。
まるで、強い陽の光を厭い、昼には花びらを閉じてしまう裏庭の白蓮だ。さぞ、不自由を強いられていることだろう……。
「どうしたの?」
高い声に、はっと我に返れば、困惑顔の女王に顔を覗き込まれていた。リュイセンは、無言で彼女を凝視していた自分に気づき、慌てて謝罪する。
「す、すまん! 不躾に失礼だった。……断じて、好奇心などではなく――」
「え?」
女王は瞳を瞬かせた。彼女としては、リュイセンが急に押し黙ってしまったから声を掛けただけなので、どうしてそんなに慌てるのか、謎だった。
だが、その心情を理解できないリュイセンは、思わず口走ってしまった『好奇心』という言葉が、彼女を傷つけてしまったのだと勘違いして、更に焦る。
「あ……、その……、〈神の御子〉の容姿が、先天性白皮症に依るものだということは知っている。俺は、思わず見惚れてしまったが、お前にとっては大変な体質で、俺の視線は不快だったはずだ。悪い……!」
さすがに、立ち上がって床に手を付くことまではしなかったが、リュイセンは着席のまま、可能な限り深く、頭を下げる。一方、包み隠さず『見惚れていた』と言われた上に、気遣いまでされてしまった女王は、頬を紅潮させた。
生まれつき、〈神の御子〉という容姿を持った彼女にとって、人の目を惹き寄せることは日常茶飯事。だが、敬意や崇拝はあっても、あくまでも異質な存在としての扱いだ。彼のような歩み寄った言動は初めてで、どう返してよいのか分からない。とっさに口を衝いた言葉の支離滅裂さは、まとまらない彼女の心そのものだった。
「なんで、リュイセンが謝るのよ!? この外見は、注目されて当然でしょう? それに、先天性白皮症と知っている、って……? 助かるけど……」
心の底から狼狽える女王。対して、リュイセンは、巌の如く動じない。
「無礼な行為を働いたら、詫びるのが道理だ」
「リュイセン……」
彼の名を呟き、彼女は、しばし絶句する。
やがて、大きく見開かれていた青灰色の瞳が瞬きを思い出し、天界の琴を弾いたような笑みが、くすりと漏れた。
「本当に……、セレイエの言っていた通りなのね」
「?」
リュイセンは、反射的に顔を上げる。相対した彼女は、何故か、とても嬉しそうな顔をしていた。
「リュイセンは兄弟の中で一番、律儀で、生真面目で、融通が利かなくて、不器用で、要領が悪くて、損ばかりしていて、劣等感まみれで……」
「なっ!?」
「――でも、一番、優しいんだって」
白い指先を唇にあて、秘密を打ち明ける子供のように、彼女が微笑む。
「…………っ」
リュイセンが声を詰まらせたのは、予想外の単語が出てきたからか。それとも、それを告げた彼女の表情に呑まれたからか。
「……なんだよ、それ」
ひと呼吸遅れての反応は、どことなく間が抜けていた。けれど、女王は軽やかに髪を揺らしながら、リュイセンのほうへと身を乗り出す。
「あのね、セレイエから兄弟の話を聞いたとき、『リュイセン』は、私に似ていると思ったの」
「似ている? どこがだ?」
眉を上げたリュイセンに、女王は「あっ」と口元を押さえて言いよどむ。それから、可愛らしく首をすくめながら、「怒らないでね?」と続けた。
「リュイセンは、頭の切れる兄と弟分を差し置いて、鷹刀一族の後継者。私は〈神の御子〉というだけで、たくさんの兄弟たちを押しのけて、女王様……」
わずかに俯き、女王は白金の睫毛を伏せた。綺羅の美貌が陰り、神ではなく、人である彼女の苦悩が落とされる。
「……なるほど」
否定できない。怒るどころか、まさにその通りだと思う。そして、妙に親しげな彼女の言動も、腑に落ちた。
「だからね、私は勝手にリュイセンに親近感を抱いていたの。いつか会ってみたいって、ずっと思っていたのよ。――でも、本物のリュイセンは、私とは違ったわ。義姉の異母弟だから、私と同じくらいの歳かと思っていたら、ずっと年上で。しかも、しっかりしていて、頼もしかった」
「はぁ? 俺が『頼もしい』?」
「うん。……それは、リュイセンが『優しい』からなんだ――って。今、分かったの」
ふわりと花がほころぶように、彼女は純粋無垢な笑顔を浮かべる。
リュイセンは思わず魅入られそうになり、けれど、すぐに彼女が「想像していたよりもリュイセンが立派だったのは、ちょっと悔しいわ」と、拗ねたように頬を膨らませたので、途中でなんともいえない苦笑に変わった。
ころころと、よく表情が変わる。感情の豊かな、ごく普通の少女だ。華奢な双肩に、重すぎる荷を背負わされてしまったというだけの……。
「私ね、リュイセンに会えて、本当に嬉しいの! ――こんな形での出会いだったのは残念だけど……、……っ」
自分の言葉に、セレイエの死を思い出してしまったのだろう。青灰色の瞳から、はらりと涙がこぼれ落ち、彼女は慌てて目元を押さえた。
「ご、ごめんなさいっ……」
一度、堰を切ってしまった涙は、簡単には止まらないらしい。彼女本人の焦りとは裏腹に、透明な雫は、あとからあとから、はらはらと流れ落ちる。
「――っ、女王。とりあえず、飲み物と菓子を……。うちの料理長自慢の品だから、美味いはずだ……」
女の涙は心臓に悪い。リュイセンは、どうにか彼女の気持ちを落ち着かせようと、しどろもどろに提案する。
「リュイセン、ありがとう。――でも、私の名前は『女王』じゃなくて、『アイリー』なの」
言葉は拙くとも、思いは伝わる。
彼女は泣きながら、精いっぱいに笑ってくれた。
甘い菓子には、魔法が掛かっているらしい。さくさくの生地が、口の中で、すぅっと溶けると、ふたりの間を漂っていた、ぎこちない空気も、ほわりと解けていった。
彼女は小動物的な仕草で、三つ目のマカロンを口に運ぶ。それを舌の上で蕩かせながら、涙の乾いた瞳で「リュイセン」と切り出してきた。
「さっきイーレオさんが言っていた、『デヴァイン・シンフォニア計画』というのが、ライシェンを生き返らせる計画の名称なのね。……セレイエは、本当に『死者の蘇生』を実行に移して……、……そして、亡くなってしまったのね……」
「……ああ」
どうやって話を始めようかと悩んでいたリュイセンは、口火を切ってくれた彼女に感謝しつつ頷く。
「四年前……、〈冥王〉から『ライシェンの記憶』を集めたら、セレイエは熱暴走で命を落とすだろう――って。ヤンイェンお異母兄様もセレイエも、ちゃんと理解していたわ」
詰るように、強がるように、彼女は唇を尖らせた。
「計算の上では、間違いなく助からない。何かよい手段はないかと、セレイエは同じく〈天使〉のお母様に相談に行ったけれど、『禁忌に触れる行為だ』と猛反対されて、喧嘩別れして帰ってきたの」
興奮気味の口調で、彼女は四年前を口にする。
『デヴァイン・シンフォニア計画』について教えてほしいと、すぐにも質問攻めにされる覚悟をしていたリュイセンとしては、拍子抜けだった。
だが、次第に理解する。
彼女は、ずっと孤独だったのだ。
彼女の周りには、彼女の辛さや悲しさを、親身になって受け止めてくれる相手などいなかった。彼女は、ひとりで抱えていくしかなかった。
誰にも頼ることができなかった彼女は、だから、やっと出会えた『身内』に、今までの経緯を、そのときの思いを、やっと吐き出すことができたのだ……。
「ライシェンが生き返っても、代わりにセレイエが亡くなってしまったら、なんにもならない。だから、ヤンイェンお異母兄様とセレイエは、私の知る限りでは、『死者の蘇生』について必死に調べはしても、実行には移していなかったの。――でも……っ」
不意に、語尾が震えた。
彼女は、やるせない眼差しで、奥歯を噛みしめる。
「セレイエのお母様が、セレイエを強く叱りつけたのと同じように……。先王がヤンイェンお異母兄様に、ライシェンの蘇生を諦めるよう、厳しく言い渡したとき……。お異母兄様は憎しみを抑えきることができずに、先王を殺めてしまった……」
彼女は目線を落とし、視界に映ったレモンティーを手に取った。結露による水滴も気にせず、むしろ、昂ぶる感情を冷やそうとでもするかのようにグラスを握りしめる。
「先王と、お異母兄様。どちらにも、譲れない思いがあったのよ。どちらが悪いなんて、言えないの……」
ぽつりとした呟きが、グラスの中に漣を落とす。
「一緒にいたら、セレイエもきっと罪に問われる。王族のお異母兄様はともかく、平民のセレイエは処刑されてしまう。だから、お異母兄様はセレイエを逃したの。……けど、セレイエにしてみれば、たったひとりで自由の身になったって、なんの意味もなかったのよ。だって、愛するお異母兄様も、ライシェンもいないんだもの」
彼女は語気を強め、「だから――!」と、続けた。セレイエの義妹である自分には、義姉の気持ちなんて、お見通しなのだ、と。
「だから、セレイエは『死者の蘇生』を――『デヴァイン・シンフォニア計画』を実行に移した。……そういうことでしょう?」
「ああ……、そうだ」
リュイセンは、静かに肯定した。直接、セレイエから聞いたわけではないが、セレイエの記憶を受け取ったメイシアが、ほぼ同様のことを言っていたから――。
「リュイセン」
彼の名を呼びながら、彼女が、ゆっくりと顔を上げた。綺羅の美貌は変わらぬままであるのに、今までと、どこか面差しが変わっていた。
「もし鷹刀がセレイエの遺志を継ぐつもりなら、私は鷹刀の敵になるわ」
澄んだ青灰色の瞳が、まっすぐに向けられる。
まるで、高い空に惹き込まれていくような錯覚に、リュイセンは陥る。
「四年前、私はライシェンを生き返らせることには反対だったの。でも、嘆き悲しむ、お異母兄様とセレイエを前に、私は何も言えなかった。――もう、後悔したくないの」
「お前……」
お飾りの女王だと聞いていた。幼さの残る、か弱い少女なのだと。
本当に、そうなのだろうか。
リュイセンが疑問を覚えたとき、彼女は、ぎゅっと唇を噛んだ。
華奢な肩が震え、白金の髪が波打つ。どうしたのかと彼が顔色を変えれば、彼女の雰囲気は一変して、口から、ひくりと、弱々しい嗚咽が漏れた。
「だって……! 亡くなったライシェンの代わりなんか存在しないもの……!」
叩きつけるように、彼女は訴える。
「ライシェンはね、凄く可愛い子だったのよ。そばにいるだけで、幸せな気持ちになれたわ。私は、あの子が大好きだったの」
儚げな顔立ちが、今にも泣き出しそうなほどに悲痛に歪んだ。けれど、ぐっと口元を結び、彼女は懸命に堪える。いつまでも弱いままではいけないと、自分に言い聞かせるかのように。
「ライシェンは私と同じ〈神の御子〉で、しかも男の子だから、きっと辛いことが、たくさん起こる。でも、私が守ってあげる、って――約束……したのに……!」
「…………」
哀哭の叫びに、リュイセンは、やるせない思いで拳を握りしめる。
強さと弱さとが、ないまぜになった、素顔の彼女。
精いっぱいの背伸びをしても、やはり、まだまだ半人前だ。
だが、夢見る少女ではない。現実を見据え、進むべき道を見誤らないようにと必死に足掻く。――リュイセンと同じように……。
「女王」
リュイセンは、そう呼びかけて、直後に首を振った。
彼女にふさわしい名前は『女王』ではない。口にするのは、どことなく気恥ずかしいが、それでも、きちんと彼女の名前を声に乗せる。
「アイリー」
「リュイセン?」
「お前、辛かったな。今までひとりで、よく耐えてきたな」
「!」
青灰色の瞳が、ぱっと見開かれた。その弾みで、ひと粒の涙が、はらりとこぼれ落ちた。
「安心しろ。鷹刀は――正確には『デヴァイン・シンフォニア計画』を託されたルイフォンとメイシアは、セレイエの願いをそのまま叶えるつもりはない」
「え!?」
「『デヴァイン・シンフォニア計画』は、セレイエの我儘。――これが、俺たちの見解だ」
「そ……、そうなの……?」
アイリーは狼狽する。
どうやら、『デヴァイン・シンフォニア計画』の要であるらしい鷹刀一族は、セレイエの遺志を継ぐものと信じていたらしい。
ただ――。
『デヴァイン・シンフォニア計画』は、誰も予期しなかった方向へと迷走している。
さて、この複雑な現状をどう説明したものか。
リュイセンは渋面を作り、「ええとな……」と、歯切れの悪い調子で続けた。
「『ライシェンの肉体』は、既に出来上がっていて、いつ生まれてもいいように凍結保存されている」
「既に……」
白い喉が、小さく、こくりと動いた。
「その状態で未来を託されたルイフォンとメイシアは、彼を幸せにしてやりたいと――そのために、いろいろ面倒なことになっている」
眉間に皺を寄せたリュイセンに、「あ、待って!」と、アイリーが鋭く叫んだ。
「『ライシェンの肉体』が、どこにあるかは言わないで! カイウォルお兄様が、私から情報を得ようと、躍起になっているの」
「え?」
唐突に出てきた摂政カイウォルの名に、リュイセンは戸惑う。
「カイウォルお兄様が、『ライシェンの肉体』の行方を探していることは、鷹刀も把握しているでしょう?」
「あ、ああ……」
「それで、カイウォルお兄様は、セレイエと仲の良かった私なら、何か知っているのではないかと、誘導尋問みたいなことをしてくるのよ。侍女だったホンシュアが脅迫してきたとか、私が消息を気にしているのを承知で、あえて語り聞かせてくるの」
アイリーは唇を尖らせ、頬を膨らませた。
「お兄様は、ご自分の知っている情報を呼び水に、私が思わず、ぽろりと漏らすのを期待しているのよ。今までは、本当に何も知らなかったからよかったけど、もし、『ライシェンの肉体』の居場所を聞いちゃったら、私には隠し通せる自信がないわ」
「なるほど」
妹を相手に誘導尋問とは、また穏やかではないが、あの摂政であれば、容易に想像できる。特にアイリーは、リュイセンと同じく単純――もとい、素直な性格なので、与し易しと思われても仕方ないだろう。
「ヤンイェンが、仲の良い異母妹のお前に『デヴァイン・シンフォニア計画』のことを教えなかったのは、摂政に情報が伝わることを恐れた、というわけか」
「それは違うと思うわ」
得心したリュイセンを、しかし、アイリーは冷たい声で、ぴしゃりと否定した。
「四年前。私は強い態度で、ヤンイェンお異母兄様とセレイエを止めることはできなかったわ。でも、ライシェンを生き返らせることに反対なのは、ふたりとも分かっていたと思うの。――だから、隠すのよ。私に、邪魔をされたくないから」
そして、ひと呼吸おいて、アイリーは言葉を重ねる。
「それでいいのよ。人にはそれぞれ、譲れないものがあるんだから」
天界の音色が、強い意志を放った。
人懐っこい、無垢な少女は、かつての後悔を忘れない。故に、無邪気なままではいられない。
レモンティーのグラスの中で、小さくなった氷が踊り、硝子を奏でる。からん、と涼しげな音は、溶けた氷は戻らぬのだと、告げているかのようであった。
リュイセンは、運んできたメイドの気配が完全に消えたのを確認すると、「もう、顔を隠さなくて大丈夫だぞ」と、女王に告げる。
いくら空調の効いた室内とはいえ、黒づくめの姿は、やはり暑苦しかったのだろう。彼女は、サングラスを外し、フェイスカバーを取り、目深に被っていたフードごとパーカーを脱ぎ捨てた。
それから、可愛らしく「ふぅ」と息をつく。
その目元は腫れていたが、涙は止まっていた。リュイセンは安堵し、同時に、神々しいまでの綺羅の美貌に、どきりとする。
陽光を模したような白金の髪と、蒼天を映したような青灰色の瞳。
彼女の素顔なら、先ほどイーレオたちに挨拶をしたときに、既に見ている。それでも、こうして落ち着いて向かい合えば、改めて目を奪われた。
禁忌に触れそうなほどの、儚げな危うさ。
そして。
神秘を極めた、人とは思えぬ異質の美しさ……。
なるほど、〈神の御子〉とは、よく言ったものだと思う。この麗姿で『天空神の代理人』を唱えられれば、凡庸な民草は『異色の神性』を信じるしかない、というわけだ。
リュイセンは、魔性の美を誇る、鷹刀一族の直系である。整った顔立ちなら、見慣れているはずだった。しかし、それは、あくまでも人の次元でのことだったらしい。
彼女の美は、神の領域だ。
魔性の彼は、神性な彼女に惹き寄せられ、魅入られる。
……けど。こいつは、誰よりも『人』だ。
知れず、止めていた息を吐き出し、リュイセンは切れ長の目を切なげに細めた。
彼女は、鷹刀の血族以上に義姉の死を悼み、漣の涙を流した。高貴な身分のくせに、門衛たちに素直に感謝し、先王が世話になった相手に、無邪気な親愛を寄せるような奴なのだ。
だいたい、白く透き通った先天性白皮症の肌は、傍目には至高の美しさと映っても、その実、太陽の下では暑苦しい布地で覆わねばならないものだ。神秘の青い瞳だって、視力はあるようだが弱視かもしれないし、色素が少ないために、人一倍、眩しさを感じやすいものだと聞いている。
まるで、強い陽の光を厭い、昼には花びらを閉じてしまう裏庭の白蓮だ。さぞ、不自由を強いられていることだろう……。
「どうしたの?」
高い声に、はっと我に返れば、困惑顔の女王に顔を覗き込まれていた。リュイセンは、無言で彼女を凝視していた自分に気づき、慌てて謝罪する。
「す、すまん! 不躾に失礼だった。……断じて、好奇心などではなく――」
「え?」
女王は瞳を瞬かせた。彼女としては、リュイセンが急に押し黙ってしまったから声を掛けただけなので、どうしてそんなに慌てるのか、謎だった。
だが、その心情を理解できないリュイセンは、思わず口走ってしまった『好奇心』という言葉が、彼女を傷つけてしまったのだと勘違いして、更に焦る。
「あ……、その……、〈神の御子〉の容姿が、先天性白皮症に依るものだということは知っている。俺は、思わず見惚れてしまったが、お前にとっては大変な体質で、俺の視線は不快だったはずだ。悪い……!」
さすがに、立ち上がって床に手を付くことまではしなかったが、リュイセンは着席のまま、可能な限り深く、頭を下げる。一方、包み隠さず『見惚れていた』と言われた上に、気遣いまでされてしまった女王は、頬を紅潮させた。
生まれつき、〈神の御子〉という容姿を持った彼女にとって、人の目を惹き寄せることは日常茶飯事。だが、敬意や崇拝はあっても、あくまでも異質な存在としての扱いだ。彼のような歩み寄った言動は初めてで、どう返してよいのか分からない。とっさに口を衝いた言葉の支離滅裂さは、まとまらない彼女の心そのものだった。
「なんで、リュイセンが謝るのよ!? この外見は、注目されて当然でしょう? それに、先天性白皮症と知っている、って……? 助かるけど……」
心の底から狼狽える女王。対して、リュイセンは、巌の如く動じない。
「無礼な行為を働いたら、詫びるのが道理だ」
「リュイセン……」
彼の名を呟き、彼女は、しばし絶句する。
やがて、大きく見開かれていた青灰色の瞳が瞬きを思い出し、天界の琴を弾いたような笑みが、くすりと漏れた。
「本当に……、セレイエの言っていた通りなのね」
「?」
リュイセンは、反射的に顔を上げる。相対した彼女は、何故か、とても嬉しそうな顔をしていた。
「リュイセンは兄弟の中で一番、律儀で、生真面目で、融通が利かなくて、不器用で、要領が悪くて、損ばかりしていて、劣等感まみれで……」
「なっ!?」
「――でも、一番、優しいんだって」
白い指先を唇にあて、秘密を打ち明ける子供のように、彼女が微笑む。
「…………っ」
リュイセンが声を詰まらせたのは、予想外の単語が出てきたからか。それとも、それを告げた彼女の表情に呑まれたからか。
「……なんだよ、それ」
ひと呼吸遅れての反応は、どことなく間が抜けていた。けれど、女王は軽やかに髪を揺らしながら、リュイセンのほうへと身を乗り出す。
「あのね、セレイエから兄弟の話を聞いたとき、『リュイセン』は、私に似ていると思ったの」
「似ている? どこがだ?」
眉を上げたリュイセンに、女王は「あっ」と口元を押さえて言いよどむ。それから、可愛らしく首をすくめながら、「怒らないでね?」と続けた。
「リュイセンは、頭の切れる兄と弟分を差し置いて、鷹刀一族の後継者。私は〈神の御子〉というだけで、たくさんの兄弟たちを押しのけて、女王様……」
わずかに俯き、女王は白金の睫毛を伏せた。綺羅の美貌が陰り、神ではなく、人である彼女の苦悩が落とされる。
「……なるほど」
否定できない。怒るどころか、まさにその通りだと思う。そして、妙に親しげな彼女の言動も、腑に落ちた。
「だからね、私は勝手にリュイセンに親近感を抱いていたの。いつか会ってみたいって、ずっと思っていたのよ。――でも、本物のリュイセンは、私とは違ったわ。義姉の異母弟だから、私と同じくらいの歳かと思っていたら、ずっと年上で。しかも、しっかりしていて、頼もしかった」
「はぁ? 俺が『頼もしい』?」
「うん。……それは、リュイセンが『優しい』からなんだ――って。今、分かったの」
ふわりと花がほころぶように、彼女は純粋無垢な笑顔を浮かべる。
リュイセンは思わず魅入られそうになり、けれど、すぐに彼女が「想像していたよりもリュイセンが立派だったのは、ちょっと悔しいわ」と、拗ねたように頬を膨らませたので、途中でなんともいえない苦笑に変わった。
ころころと、よく表情が変わる。感情の豊かな、ごく普通の少女だ。華奢な双肩に、重すぎる荷を背負わされてしまったというだけの……。
「私ね、リュイセンに会えて、本当に嬉しいの! ――こんな形での出会いだったのは残念だけど……、……っ」
自分の言葉に、セレイエの死を思い出してしまったのだろう。青灰色の瞳から、はらりと涙がこぼれ落ち、彼女は慌てて目元を押さえた。
「ご、ごめんなさいっ……」
一度、堰を切ってしまった涙は、簡単には止まらないらしい。彼女本人の焦りとは裏腹に、透明な雫は、あとからあとから、はらはらと流れ落ちる。
「――っ、女王。とりあえず、飲み物と菓子を……。うちの料理長自慢の品だから、美味いはずだ……」
女の涙は心臓に悪い。リュイセンは、どうにか彼女の気持ちを落ち着かせようと、しどろもどろに提案する。
「リュイセン、ありがとう。――でも、私の名前は『女王』じゃなくて、『アイリー』なの」
言葉は拙くとも、思いは伝わる。
彼女は泣きながら、精いっぱいに笑ってくれた。
甘い菓子には、魔法が掛かっているらしい。さくさくの生地が、口の中で、すぅっと溶けると、ふたりの間を漂っていた、ぎこちない空気も、ほわりと解けていった。
彼女は小動物的な仕草で、三つ目のマカロンを口に運ぶ。それを舌の上で蕩かせながら、涙の乾いた瞳で「リュイセン」と切り出してきた。
「さっきイーレオさんが言っていた、『デヴァイン・シンフォニア計画』というのが、ライシェンを生き返らせる計画の名称なのね。……セレイエは、本当に『死者の蘇生』を実行に移して……、……そして、亡くなってしまったのね……」
「……ああ」
どうやって話を始めようかと悩んでいたリュイセンは、口火を切ってくれた彼女に感謝しつつ頷く。
「四年前……、〈冥王〉から『ライシェンの記憶』を集めたら、セレイエは熱暴走で命を落とすだろう――って。ヤンイェンお異母兄様もセレイエも、ちゃんと理解していたわ」
詰るように、強がるように、彼女は唇を尖らせた。
「計算の上では、間違いなく助からない。何かよい手段はないかと、セレイエは同じく〈天使〉のお母様に相談に行ったけれど、『禁忌に触れる行為だ』と猛反対されて、喧嘩別れして帰ってきたの」
興奮気味の口調で、彼女は四年前を口にする。
『デヴァイン・シンフォニア計画』について教えてほしいと、すぐにも質問攻めにされる覚悟をしていたリュイセンとしては、拍子抜けだった。
だが、次第に理解する。
彼女は、ずっと孤独だったのだ。
彼女の周りには、彼女の辛さや悲しさを、親身になって受け止めてくれる相手などいなかった。彼女は、ひとりで抱えていくしかなかった。
誰にも頼ることができなかった彼女は、だから、やっと出会えた『身内』に、今までの経緯を、そのときの思いを、やっと吐き出すことができたのだ……。
「ライシェンが生き返っても、代わりにセレイエが亡くなってしまったら、なんにもならない。だから、ヤンイェンお異母兄様とセレイエは、私の知る限りでは、『死者の蘇生』について必死に調べはしても、実行には移していなかったの。――でも……っ」
不意に、語尾が震えた。
彼女は、やるせない眼差しで、奥歯を噛みしめる。
「セレイエのお母様が、セレイエを強く叱りつけたのと同じように……。先王がヤンイェンお異母兄様に、ライシェンの蘇生を諦めるよう、厳しく言い渡したとき……。お異母兄様は憎しみを抑えきることができずに、先王を殺めてしまった……」
彼女は目線を落とし、視界に映ったレモンティーを手に取った。結露による水滴も気にせず、むしろ、昂ぶる感情を冷やそうとでもするかのようにグラスを握りしめる。
「先王と、お異母兄様。どちらにも、譲れない思いがあったのよ。どちらが悪いなんて、言えないの……」
ぽつりとした呟きが、グラスの中に漣を落とす。
「一緒にいたら、セレイエもきっと罪に問われる。王族のお異母兄様はともかく、平民のセレイエは処刑されてしまう。だから、お異母兄様はセレイエを逃したの。……けど、セレイエにしてみれば、たったひとりで自由の身になったって、なんの意味もなかったのよ。だって、愛するお異母兄様も、ライシェンもいないんだもの」
彼女は語気を強め、「だから――!」と、続けた。セレイエの義妹である自分には、義姉の気持ちなんて、お見通しなのだ、と。
「だから、セレイエは『死者の蘇生』を――『デヴァイン・シンフォニア計画』を実行に移した。……そういうことでしょう?」
「ああ……、そうだ」
リュイセンは、静かに肯定した。直接、セレイエから聞いたわけではないが、セレイエの記憶を受け取ったメイシアが、ほぼ同様のことを言っていたから――。
「リュイセン」
彼の名を呼びながら、彼女が、ゆっくりと顔を上げた。綺羅の美貌は変わらぬままであるのに、今までと、どこか面差しが変わっていた。
「もし鷹刀がセレイエの遺志を継ぐつもりなら、私は鷹刀の敵になるわ」
澄んだ青灰色の瞳が、まっすぐに向けられる。
まるで、高い空に惹き込まれていくような錯覚に、リュイセンは陥る。
「四年前、私はライシェンを生き返らせることには反対だったの。でも、嘆き悲しむ、お異母兄様とセレイエを前に、私は何も言えなかった。――もう、後悔したくないの」
「お前……」
お飾りの女王だと聞いていた。幼さの残る、か弱い少女なのだと。
本当に、そうなのだろうか。
リュイセンが疑問を覚えたとき、彼女は、ぎゅっと唇を噛んだ。
華奢な肩が震え、白金の髪が波打つ。どうしたのかと彼が顔色を変えれば、彼女の雰囲気は一変して、口から、ひくりと、弱々しい嗚咽が漏れた。
「だって……! 亡くなったライシェンの代わりなんか存在しないもの……!」
叩きつけるように、彼女は訴える。
「ライシェンはね、凄く可愛い子だったのよ。そばにいるだけで、幸せな気持ちになれたわ。私は、あの子が大好きだったの」
儚げな顔立ちが、今にも泣き出しそうなほどに悲痛に歪んだ。けれど、ぐっと口元を結び、彼女は懸命に堪える。いつまでも弱いままではいけないと、自分に言い聞かせるかのように。
「ライシェンは私と同じ〈神の御子〉で、しかも男の子だから、きっと辛いことが、たくさん起こる。でも、私が守ってあげる、って――約束……したのに……!」
「…………」
哀哭の叫びに、リュイセンは、やるせない思いで拳を握りしめる。
強さと弱さとが、ないまぜになった、素顔の彼女。
精いっぱいの背伸びをしても、やはり、まだまだ半人前だ。
だが、夢見る少女ではない。現実を見据え、進むべき道を見誤らないようにと必死に足掻く。――リュイセンと同じように……。
「女王」
リュイセンは、そう呼びかけて、直後に首を振った。
彼女にふさわしい名前は『女王』ではない。口にするのは、どことなく気恥ずかしいが、それでも、きちんと彼女の名前を声に乗せる。
「アイリー」
「リュイセン?」
「お前、辛かったな。今までひとりで、よく耐えてきたな」
「!」
青灰色の瞳が、ぱっと見開かれた。その弾みで、ひと粒の涙が、はらりとこぼれ落ちた。
「安心しろ。鷹刀は――正確には『デヴァイン・シンフォニア計画』を託されたルイフォンとメイシアは、セレイエの願いをそのまま叶えるつもりはない」
「え!?」
「『デヴァイン・シンフォニア計画』は、セレイエの我儘。――これが、俺たちの見解だ」
「そ……、そうなの……?」
アイリーは狼狽する。
どうやら、『デヴァイン・シンフォニア計画』の要であるらしい鷹刀一族は、セレイエの遺志を継ぐものと信じていたらしい。
ただ――。
『デヴァイン・シンフォニア計画』は、誰も予期しなかった方向へと迷走している。
さて、この複雑な現状をどう説明したものか。
リュイセンは渋面を作り、「ええとな……」と、歯切れの悪い調子で続けた。
「『ライシェンの肉体』は、既に出来上がっていて、いつ生まれてもいいように凍結保存されている」
「既に……」
白い喉が、小さく、こくりと動いた。
「その状態で未来を託されたルイフォンとメイシアは、彼を幸せにしてやりたいと――そのために、いろいろ面倒なことになっている」
眉間に皺を寄せたリュイセンに、「あ、待って!」と、アイリーが鋭く叫んだ。
「『ライシェンの肉体』が、どこにあるかは言わないで! カイウォルお兄様が、私から情報を得ようと、躍起になっているの」
「え?」
唐突に出てきた摂政カイウォルの名に、リュイセンは戸惑う。
「カイウォルお兄様が、『ライシェンの肉体』の行方を探していることは、鷹刀も把握しているでしょう?」
「あ、ああ……」
「それで、カイウォルお兄様は、セレイエと仲の良かった私なら、何か知っているのではないかと、誘導尋問みたいなことをしてくるのよ。侍女だったホンシュアが脅迫してきたとか、私が消息を気にしているのを承知で、あえて語り聞かせてくるの」
アイリーは唇を尖らせ、頬を膨らませた。
「お兄様は、ご自分の知っている情報を呼び水に、私が思わず、ぽろりと漏らすのを期待しているのよ。今までは、本当に何も知らなかったからよかったけど、もし、『ライシェンの肉体』の居場所を聞いちゃったら、私には隠し通せる自信がないわ」
「なるほど」
妹を相手に誘導尋問とは、また穏やかではないが、あの摂政であれば、容易に想像できる。特にアイリーは、リュイセンと同じく単純――もとい、素直な性格なので、与し易しと思われても仕方ないだろう。
「ヤンイェンが、仲の良い異母妹のお前に『デヴァイン・シンフォニア計画』のことを教えなかったのは、摂政に情報が伝わることを恐れた、というわけか」
「それは違うと思うわ」
得心したリュイセンを、しかし、アイリーは冷たい声で、ぴしゃりと否定した。
「四年前。私は強い態度で、ヤンイェンお異母兄様とセレイエを止めることはできなかったわ。でも、ライシェンを生き返らせることに反対なのは、ふたりとも分かっていたと思うの。――だから、隠すのよ。私に、邪魔をされたくないから」
そして、ひと呼吸おいて、アイリーは言葉を重ねる。
「それでいいのよ。人にはそれぞれ、譲れないものがあるんだから」
天界の音色が、強い意志を放った。
人懐っこい、無垢な少女は、かつての後悔を忘れない。故に、無邪気なままではいられない。
レモンティーのグラスの中で、小さくなった氷が踊り、硝子を奏でる。からん、と涼しげな音は、溶けた氷は戻らぬのだと、告げているかのようであった。