残酷な描写あり
6.絹布の織りなす道-1
音声通話は、どうしてもセキュリティが甘くなる。そのため、話が一段落したところで、ハオリュウたちは通話を切った。伝えきれなかった報告は、先ほどハオリュウが言った通り、あとでゆっくり書面で送る手はずだ。
女王は気前よく、『今度は明日の午後、摂政が外に出掛けるから、そのときまで携帯端末を貸してあげるわ!』と言ってくれた。摂政の不在を狙って、またこの部屋を訪れるから、と。
ただし、『リュイセンとの遣り取りの履歴は、絶対に見ないように!』と、念を押された。
そんな野暮をするものかと、反射的にむっとしたものの、恥じらうように頬を染める彼女を前に毒気を抜かれた。ハオリュウとしては、不可思議な組み合わせとしか思えないのだが、どうやら、とても仲良くやっているようだ。
それはさておき――。
ハオリュウは、借りた携帯端末を丁重にテーブルの端に置く。
女王に話があるのだ。
今日は、午前中いっぱい、摂政が視察だそうだから、今が機会だ。メッセージを送るのは、あとでいい。彼女が、この部屋を出て行ってからで充分だ。
ハオリュウが口火を切ろうとしたとき、女王が、もじもじとしていることに気づく。彼女もまた、彼に言いたいことがあるらしい。
彼は目線で促し、先を譲る。臣下として当然のことであるし、こちらの用件は落ち着いて聞いてもらいたい。
「あ、あのね。もし、違っていたらごめんなさい」
女王は遠慮がちに切り出した。
「さっきの、ユイランさんのお店に連れて行ってくれるとか、ダブルデートとか。あれは初めから企んでいたことじゃなくて、この婚約が避けられないなら、前向きに考えよう――っていう、あなたの気遣いだったんじゃないかな、って」
「え?」
「だって、あなた。そんな、お気楽な性格には見えないもの」
「……」
ハオリュウは軽く目を見張る。
――思っていたよりも鋭いな。
しかし、本心は腹の底に押し込め、屈託のない笑顔で答えた。
「陛下。買いかぶり過ぎですよ。私は『腹黒』なんですから」
「なっ!? ちょっと、茶化さないでよ!」
女王は、ぷうっと頬を膨らませる。
それから、ひと呼吸ののちに、はっと顔色を変え、「また、あなたのペースに乗せられるところだったわ!」と叫んだ。
「本当に、あなたが私より年下だなんて、信じられないわ」
わざとらしい溜め息で、頬の空気を完全に外に吐き出したかと思えば、「ああ、違うの! 私は文句を言いたかったわけじゃないのよ!」と弁明する。
まったく、忙しない女性である。
ハオリュウが、なんともいえない微笑を浮かべると、彼女は顔を赤くして身を乗り出した。
「私はねっ、あなたにお礼を言いたかったの! 今の気遣いも含めて!」
「お礼……ですか?」
首をかしげたハオリュウに、女王は今までの赤面を吹き飛ばし、白蓮の花が咲きほころぶように綺麗に笑った。
「私の婚礼衣装を、ユイランさんに頼んでくれてありがとう!」
「え?」
純粋無垢な笑顔と、思いもよらぬ言葉。突然のことに、ハオリュウは狼狽する。
「本当は凄く嬉しかったのに、謁見のときは素っ気ない態度でごめんなさい。澄ましているようにって、摂政にきつく言われていたのと、……その、女王様なんだから、受け入れなきゃいけないのは分かっていたんだけど、やっぱり衣装は嬉しくても、『結婚』は、ね……?」
ごにょごにょと口ごもり、『分かってくれるわよね?』と、白金の眉を寄せた上目遣いで訴える。
「陛下……」
「いくら、ユイランさんが人気のデザイナーでも、古くからの付き合いのある老舗の仕立て屋を押しのけて大抜擢したんだから、あなたへの風当たりも強かったでしょう? なのに、あなたは一番、いいと思った人を選んでくれた……。凄く、嬉しかったの」
「……」
ハオリュウがユイランを選んだのは、異母姉に最高の花嫁衣装を贈りたかったからである。女王は『おまけ』に過ぎない。
また、草薙家と縁を結びたかったハオリュウにとって、『女王陛下の婚礼衣装の依頼』という手土産は、またとない最強の手札だった。
血統がものをいう上流階級において、母親が平民であるハオリュウの立場は弱い。いずれ当主として立ったときに何を武器にするか。幼いころからずっと、彼は考えていた。
そして、たどり着いた答えが、これである。
『身分の低い者たちを味方につける』
生まれを変えることができないのなら、それを逆手に取ればいい。血の半分が平民のハオリュウは、それだけで庶民に歓迎される。
熟れきった果実のような上流階級に媚を売り、迎合するのではなく、未来の実力者である平民や自由民の支持を得て、実を取るのだ。
その足掛かりとして、白羽の矢を立てたのが草薙家だった。
想定よりも遥かに早く当主になり、一時は途方に暮れかけたのだが、数奇な縁で巡り合った鷹刀一族――その親戚筋にあたる、草薙家の存在を知ったときには、まさに天啓だと思った。
――まさか、その先に訪れたクーティエとの出逢いが、僕の人生を変えるとは思ってもいなかったけどね。
ハオリュウの口元が、ふわりと緩む。
流れる血がどうであれ、ハオリュウは生粋の貴族だ。庶民の生活も知らなければ、身分制度の廃止など考えたこともなかった。
身分の低い者たちがハオリュウに好意的なのは、『貴族であるにも関わらず、親しみを覚える』からだ。あくまでも『ハオリュウは貴族である』ことを前提にした感情だ。
貴族という身分がなくなれば、彼は、ただの小生意気な子供にすぎない。
上流階級の特権を持ったまま、下層の者たちと親しくすることと、身分そのものをなくしてしまうことは、似て非なるものだ。
それでも――。
僕はクーティエと手を取り合って、同じ道を歩きたい。
ハオリュウへの礼を言い終わったからだろう。女王は、どことなくご機嫌な顔をしていた。
ならば、今が、こちらの用件を切り出す、よいタイミングということだ。
ハオリュウは表情を引き締めると、「陛下」と呼びかけた。
「陛下。私は、クーティエを愛しています」
しなやかに風をはらむ、絹布の如く。柔らかな響きで、そう告げる。
刹那、女王は、むせこんだ。
「な、な、な、何をいきなり言い出すの!? そ、そんなこと、わ、分かっているわよ!」
先天性白皮症の肌を真っ赤に染め、噛みつくように叫ぶ。
赤面するのであれば、自分であろうに。リュイセンと好い仲になったと聞いたのだが、この女性は、まだまだ純情可憐だな、などと思いつつ、ハオリュウは大真面目に続ける。
「けれど、私は、クーティエに愛を語ったことはありません」
「えっ!?」
女王の顔色が、にわかに変わった。ハオリュウの思惑通りに。
「ど、どういうこと!? だって、あなた、『レイウェンお兄ちゃん』に決闘を申し込んだんでしょう!?」
テーブルの向こうから、女王が詰め寄る――が、先を読んでいたハオリュウが動じるわけもない。すっと体を引いて適正な距離を保つと、彼は立て板に水を流すように答えた。
「私は決闘で想いを示すことはできても、言葉で将来を約束できるような立場にはないからです」
「え……」
声を失う女王に、彼は畳み掛ける。
「だって、そうでしょう? 私は貴族で、クーティエは平民です。当主である私は、家のために、良家の令嬢と婚姻を結ぶ義務があります」
「あ……、そ、そうよ……ね……」
国のため、異母兄との婚約が発表された女王は言い返せない。
「無論、私の両親のように、貴族の当主と平民の女性が結婚することは可能です。しかし、ふたりは常に周りから冷たくあしらわれ、萎縮していました」
「……」
「それでも当人たちは、添い遂げることができて満足だったかもしれません。けれど、私の目から見て幸せとは言い難かったですし、ふたりの間に産まれた子供は、母が平民というだけで、上流階級から爪弾きの憂き目に遭いました」
ハオリュウは女王に目線を合わせるように首を傾け、そっと囁く。
「同じことを繰り返すのは、愚かだと思いませんか?」
「――っ」
女王の肩が震える。
「私はクーティエにも、自分の子供にも、同じ思いをさせたくありません」
「…………」
白い喉が、こくりと嚥下し、青灰色の瞳が凍りつく。色素の薄い顔の中で唯一、淡い彩りを誇る唇からも色が抜け落ちた。
綺羅の美貌が翳り、輝きを失う。
「ごめんなさい……。……なんて謝ったらいいのか分からないわ……」
「いえ。あなたが謝るようなことは、何もございません。――それより、陛下」
意味ありげに、ゆっくりと。
ハオリュウは身を乗り出した。
黒絹の髪がふわりとなびき、善良そのものの顔が女王に近づく。
「……なっ、何……?」
音程を外したような、かすれた声。
本能的な恐怖を感じたのだろう。人懐っこく、距離感の近いはずの女王が、あろうことかソファーの背に阻まれるまで、勢いよく後ろに身を引いた。
「聞けば、あなたは『最後の王』になるそうですね?」
「えっ!? そ、そのつもり……。あ、『つもり』じゃなくて、そう『なる』のよ……、――って、思って、努力しているところ……」
その意志はあっても、具体的な道筋など、まるで見えていないのが丸わかりの反応。――ハオリュウが想像していた通りだ。
ルイフォンが『ハオリュウと女王は、協力し合えるのではないか』と勧めてくれたとき、迷わず断ったのは無理からぬことだった、と言わせてほしい。
「あなたが『最後の王』になるのは、クローンに頼ってまで〈神の御子〉を生み出してきたこの国の制度に終止符を打つため――そう聞きました」
「え、ええ……」
「その志は立派だと思いますが、王を『神の代理人』と崇める宗教国家のこの国から、王が失われるというのは、想像を絶する混乱を招くことと思います」
「うっ……」
青灰色の瞳が、居心地悪くそらされる。
「――陛下」
冷ややかな光沢を放つ絹布が、するりと巻きつくように。硬質な声が、冷気を放ちながら、にじり寄る。
視線を彷徨わせていた女王は、びくりと肩を上げた。叱られた子供のように、おずおずとハオリュウを見上げる。
「甘いお考えだと思います」
「――っ! わ、分かっているわよ!」
真っ赤になって、女王が叫んだ。
すべては、ハオリュウの用意したシナリオに沿って。
あまりにも、あっけなくて、肩透かしを食らった気分だ。いくら、彼女の覚悟の甘さに釘を差しておきたかったとはいえ、少し遣り過ぎたかもしれない。
ハオリュウは、凡庸ながらも人当たりのよい善人顔をほころばせ、穏やかに笑った。
「――ですが、私もまた、無謀を承知で理想に挑もうとする、愚か者なのです」
「……え?」
耳を疑うように、女王が小首をかしげた。その動きに併せ、青絹の髪飾りが揺れ惑う。
「先ほどの話に戻りますが、私がクーティエへの想いを言葉にできないのは、私たちの間に『貴族』と『平民』などという身分の違いがあるからです」
そこで一度、息をつくと、ハオリュウは冷ややかに嗤った。
「だったら、身分など、なくしてしまえばいい」
普段の優しげな彼の声からは、想像もできないほどの、怨嗟の響き。深淵の闇に触れ、女王の肌が粟立つ。
その様を確認すると、ハオリュウは非礼を詫びるかのように瞳を伏せた。
「私は、そんなことを考える、未熟な子供です」
「……あ、……あなた……?」
口をぱくぱくとさせる女王。
ハオリュウは構わず、「ですから、陛下――」と続ける。
「この私と、手を組みませんか? あなたの思いと私の願いには、通じるものがあると思いますよ」
女王は気前よく、『今度は明日の午後、摂政が外に出掛けるから、そのときまで携帯端末を貸してあげるわ!』と言ってくれた。摂政の不在を狙って、またこの部屋を訪れるから、と。
ただし、『リュイセンとの遣り取りの履歴は、絶対に見ないように!』と、念を押された。
そんな野暮をするものかと、反射的にむっとしたものの、恥じらうように頬を染める彼女を前に毒気を抜かれた。ハオリュウとしては、不可思議な組み合わせとしか思えないのだが、どうやら、とても仲良くやっているようだ。
それはさておき――。
ハオリュウは、借りた携帯端末を丁重にテーブルの端に置く。
女王に話があるのだ。
今日は、午前中いっぱい、摂政が視察だそうだから、今が機会だ。メッセージを送るのは、あとでいい。彼女が、この部屋を出て行ってからで充分だ。
ハオリュウが口火を切ろうとしたとき、女王が、もじもじとしていることに気づく。彼女もまた、彼に言いたいことがあるらしい。
彼は目線で促し、先を譲る。臣下として当然のことであるし、こちらの用件は落ち着いて聞いてもらいたい。
「あ、あのね。もし、違っていたらごめんなさい」
女王は遠慮がちに切り出した。
「さっきの、ユイランさんのお店に連れて行ってくれるとか、ダブルデートとか。あれは初めから企んでいたことじゃなくて、この婚約が避けられないなら、前向きに考えよう――っていう、あなたの気遣いだったんじゃないかな、って」
「え?」
「だって、あなた。そんな、お気楽な性格には見えないもの」
「……」
ハオリュウは軽く目を見張る。
――思っていたよりも鋭いな。
しかし、本心は腹の底に押し込め、屈託のない笑顔で答えた。
「陛下。買いかぶり過ぎですよ。私は『腹黒』なんですから」
「なっ!? ちょっと、茶化さないでよ!」
女王は、ぷうっと頬を膨らませる。
それから、ひと呼吸ののちに、はっと顔色を変え、「また、あなたのペースに乗せられるところだったわ!」と叫んだ。
「本当に、あなたが私より年下だなんて、信じられないわ」
わざとらしい溜め息で、頬の空気を完全に外に吐き出したかと思えば、「ああ、違うの! 私は文句を言いたかったわけじゃないのよ!」と弁明する。
まったく、忙しない女性である。
ハオリュウが、なんともいえない微笑を浮かべると、彼女は顔を赤くして身を乗り出した。
「私はねっ、あなたにお礼を言いたかったの! 今の気遣いも含めて!」
「お礼……ですか?」
首をかしげたハオリュウに、女王は今までの赤面を吹き飛ばし、白蓮の花が咲きほころぶように綺麗に笑った。
「私の婚礼衣装を、ユイランさんに頼んでくれてありがとう!」
「え?」
純粋無垢な笑顔と、思いもよらぬ言葉。突然のことに、ハオリュウは狼狽する。
「本当は凄く嬉しかったのに、謁見のときは素っ気ない態度でごめんなさい。澄ましているようにって、摂政にきつく言われていたのと、……その、女王様なんだから、受け入れなきゃいけないのは分かっていたんだけど、やっぱり衣装は嬉しくても、『結婚』は、ね……?」
ごにょごにょと口ごもり、『分かってくれるわよね?』と、白金の眉を寄せた上目遣いで訴える。
「陛下……」
「いくら、ユイランさんが人気のデザイナーでも、古くからの付き合いのある老舗の仕立て屋を押しのけて大抜擢したんだから、あなたへの風当たりも強かったでしょう? なのに、あなたは一番、いいと思った人を選んでくれた……。凄く、嬉しかったの」
「……」
ハオリュウがユイランを選んだのは、異母姉に最高の花嫁衣装を贈りたかったからである。女王は『おまけ』に過ぎない。
また、草薙家と縁を結びたかったハオリュウにとって、『女王陛下の婚礼衣装の依頼』という手土産は、またとない最強の手札だった。
血統がものをいう上流階級において、母親が平民であるハオリュウの立場は弱い。いずれ当主として立ったときに何を武器にするか。幼いころからずっと、彼は考えていた。
そして、たどり着いた答えが、これである。
『身分の低い者たちを味方につける』
生まれを変えることができないのなら、それを逆手に取ればいい。血の半分が平民のハオリュウは、それだけで庶民に歓迎される。
熟れきった果実のような上流階級に媚を売り、迎合するのではなく、未来の実力者である平民や自由民の支持を得て、実を取るのだ。
その足掛かりとして、白羽の矢を立てたのが草薙家だった。
想定よりも遥かに早く当主になり、一時は途方に暮れかけたのだが、数奇な縁で巡り合った鷹刀一族――その親戚筋にあたる、草薙家の存在を知ったときには、まさに天啓だと思った。
――まさか、その先に訪れたクーティエとの出逢いが、僕の人生を変えるとは思ってもいなかったけどね。
ハオリュウの口元が、ふわりと緩む。
流れる血がどうであれ、ハオリュウは生粋の貴族だ。庶民の生活も知らなければ、身分制度の廃止など考えたこともなかった。
身分の低い者たちがハオリュウに好意的なのは、『貴族であるにも関わらず、親しみを覚える』からだ。あくまでも『ハオリュウは貴族である』ことを前提にした感情だ。
貴族という身分がなくなれば、彼は、ただの小生意気な子供にすぎない。
上流階級の特権を持ったまま、下層の者たちと親しくすることと、身分そのものをなくしてしまうことは、似て非なるものだ。
それでも――。
僕はクーティエと手を取り合って、同じ道を歩きたい。
ハオリュウへの礼を言い終わったからだろう。女王は、どことなくご機嫌な顔をしていた。
ならば、今が、こちらの用件を切り出す、よいタイミングということだ。
ハオリュウは表情を引き締めると、「陛下」と呼びかけた。
「陛下。私は、クーティエを愛しています」
しなやかに風をはらむ、絹布の如く。柔らかな響きで、そう告げる。
刹那、女王は、むせこんだ。
「な、な、な、何をいきなり言い出すの!? そ、そんなこと、わ、分かっているわよ!」
先天性白皮症の肌を真っ赤に染め、噛みつくように叫ぶ。
赤面するのであれば、自分であろうに。リュイセンと好い仲になったと聞いたのだが、この女性は、まだまだ純情可憐だな、などと思いつつ、ハオリュウは大真面目に続ける。
「けれど、私は、クーティエに愛を語ったことはありません」
「えっ!?」
女王の顔色が、にわかに変わった。ハオリュウの思惑通りに。
「ど、どういうこと!? だって、あなた、『レイウェンお兄ちゃん』に決闘を申し込んだんでしょう!?」
テーブルの向こうから、女王が詰め寄る――が、先を読んでいたハオリュウが動じるわけもない。すっと体を引いて適正な距離を保つと、彼は立て板に水を流すように答えた。
「私は決闘で想いを示すことはできても、言葉で将来を約束できるような立場にはないからです」
「え……」
声を失う女王に、彼は畳み掛ける。
「だって、そうでしょう? 私は貴族で、クーティエは平民です。当主である私は、家のために、良家の令嬢と婚姻を結ぶ義務があります」
「あ……、そ、そうよ……ね……」
国のため、異母兄との婚約が発表された女王は言い返せない。
「無論、私の両親のように、貴族の当主と平民の女性が結婚することは可能です。しかし、ふたりは常に周りから冷たくあしらわれ、萎縮していました」
「……」
「それでも当人たちは、添い遂げることができて満足だったかもしれません。けれど、私の目から見て幸せとは言い難かったですし、ふたりの間に産まれた子供は、母が平民というだけで、上流階級から爪弾きの憂き目に遭いました」
ハオリュウは女王に目線を合わせるように首を傾け、そっと囁く。
「同じことを繰り返すのは、愚かだと思いませんか?」
「――っ」
女王の肩が震える。
「私はクーティエにも、自分の子供にも、同じ思いをさせたくありません」
「…………」
白い喉が、こくりと嚥下し、青灰色の瞳が凍りつく。色素の薄い顔の中で唯一、淡い彩りを誇る唇からも色が抜け落ちた。
綺羅の美貌が翳り、輝きを失う。
「ごめんなさい……。……なんて謝ったらいいのか分からないわ……」
「いえ。あなたが謝るようなことは、何もございません。――それより、陛下」
意味ありげに、ゆっくりと。
ハオリュウは身を乗り出した。
黒絹の髪がふわりとなびき、善良そのものの顔が女王に近づく。
「……なっ、何……?」
音程を外したような、かすれた声。
本能的な恐怖を感じたのだろう。人懐っこく、距離感の近いはずの女王が、あろうことかソファーの背に阻まれるまで、勢いよく後ろに身を引いた。
「聞けば、あなたは『最後の王』になるそうですね?」
「えっ!? そ、そのつもり……。あ、『つもり』じゃなくて、そう『なる』のよ……、――って、思って、努力しているところ……」
その意志はあっても、具体的な道筋など、まるで見えていないのが丸わかりの反応。――ハオリュウが想像していた通りだ。
ルイフォンが『ハオリュウと女王は、協力し合えるのではないか』と勧めてくれたとき、迷わず断ったのは無理からぬことだった、と言わせてほしい。
「あなたが『最後の王』になるのは、クローンに頼ってまで〈神の御子〉を生み出してきたこの国の制度に終止符を打つため――そう聞きました」
「え、ええ……」
「その志は立派だと思いますが、王を『神の代理人』と崇める宗教国家のこの国から、王が失われるというのは、想像を絶する混乱を招くことと思います」
「うっ……」
青灰色の瞳が、居心地悪くそらされる。
「――陛下」
冷ややかな光沢を放つ絹布が、するりと巻きつくように。硬質な声が、冷気を放ちながら、にじり寄る。
視線を彷徨わせていた女王は、びくりと肩を上げた。叱られた子供のように、おずおずとハオリュウを見上げる。
「甘いお考えだと思います」
「――っ! わ、分かっているわよ!」
真っ赤になって、女王が叫んだ。
すべては、ハオリュウの用意したシナリオに沿って。
あまりにも、あっけなくて、肩透かしを食らった気分だ。いくら、彼女の覚悟の甘さに釘を差しておきたかったとはいえ、少し遣り過ぎたかもしれない。
ハオリュウは、凡庸ながらも人当たりのよい善人顔をほころばせ、穏やかに笑った。
「――ですが、私もまた、無謀を承知で理想に挑もうとする、愚か者なのです」
「……え?」
耳を疑うように、女王が小首をかしげた。その動きに併せ、青絹の髪飾りが揺れ惑う。
「先ほどの話に戻りますが、私がクーティエへの想いを言葉にできないのは、私たちの間に『貴族』と『平民』などという身分の違いがあるからです」
そこで一度、息をつくと、ハオリュウは冷ややかに嗤った。
「だったら、身分など、なくしてしまえばいい」
普段の優しげな彼の声からは、想像もできないほどの、怨嗟の響き。深淵の闇に触れ、女王の肌が粟立つ。
その様を確認すると、ハオリュウは非礼を詫びるかのように瞳を伏せた。
「私は、そんなことを考える、未熟な子供です」
「……あ、……あなた……?」
口をぱくぱくとさせる女王。
ハオリュウは構わず、「ですから、陛下――」と続ける。
「この私と、手を組みませんか? あなたの思いと私の願いには、通じるものがあると思いますよ」