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作者: 紅粉 藍
note.5 目を輝かせて、リッチーは大きく頷いた。
「て、てんし、ぞく? 天使つったら、聖書とか教会とか、羽が生えてて輪っかが頭にある……」

 クリスマスに宇宙人にさらわれたと思ったら、天使が降臨していたとは。
 しかしあおい髪の天使は、キングが並べ立てるものとは似ても似つかない。

「その天使族は解らないけど……僕が知ってるのは、この世界や国や、誰かに対して、文字通り命を懸けたりして役目を全うする種族。自分のためじゃなく、目的のために生まれてきた人たち」
「目的?」
「うん。だから、もしかしたらキングに何かを伝えることが役目だったのかなって、僕は聞いてて思ったんだ」
「何かって、何を?」
「それを聞かずに逃げてきちゃったんでしょ?」
「あー……だなぁー」

 しまった、と頭を抱えるキング。それに対してリッチーはやれやれ、といった風情で白湯に口をつけた。

「エールっていうのは天使語で『運命』って意味らしいよ。だから天使族はみんな何らかの『運命』を背負って生まれてきて、っていう名前が付けられるんだって」
「ヴィースの意味は?」
「それは知らない」
「ぐぬぅー……」

 リッチーの話も聞けた。

 リッチーの両親は小さい頃に亡くなったらしい。だから今はこの家に独りで住んでいて、表札もそのままにしてあるとのこと。キング達が下りてきたモルツワーバの山で仕事をしてモルットの仲間たちと村で助け合いながら暮らしている。
 職場の上司である親方には両親が死んだ頃からお世話になっているので、後でキングも挨拶あいさつに行こうという話になった。

「モルット族の中では年功序列とまではいかないけど、何かあったときは年上の人に相談して、指示を貰うことが正しい順番なんだ」
「それ面倒だし、逆に何かあったらどうすんの?」
「何かあったら……そうだね。その人の責任にはされるかな」

 キングとリッチーが出会ってまだ数時間。それに加えて、リッチーは人間とは違い、獣のような顔をしている。
 それでも、キングはリッチーがどこか遠くを見ているような表情に気付いていた。

(リッチーの歳、十五ってことは中坊か。それでご両親亡くして、学校にも行かず父親の上司の下で働いて生活費稼いで自分で飯作って……すげぇよなあ)

 歳の割にしっかり考えた上で自分の意見を言ったり、見知らぬ人間にも落ち着いた対応ができたり、年上を敬ったり。二十五になったキングでも、大変な事だと思う。尊敬すべきだ。

(すげぇヤツだけど……でもよ、笑ってるリッチーはまだ見てないんだな。十五なんて、俺だったら何でも面白い盛りだった気がするけど。こっちではそうでもないんかな……って俺も二十五だってのに、この考え方はさすがにオッサン過ぎか?)

 目の前のリッチーは、それこそ落ち着いた様子で青紫色のスープをすすっている。たまに息を吹きかけては、ちまちまとスプーンを口に含む。いかにも小動物らしい仕草しぐさで、つい口元がほころんだ。
 すると、リッチーと目が合う。

「……キング、何か面白い事でもあった?」
「いいや。なあリッチー、元気か?」
「は?」

 突然、何を言い出すんだ。
 と言いたげな顔で、リッチーはスプーンを止めた。

「リッチーに壁の中から出してもらって、相談に乗ってもらったり、一宿一飯の恩を受けてんだ。何かお返しできねえかなって思ってさ」
「はあ」
「何だよその返事は」
「いや……キングのその無駄に据わった肝ってさ、何由来なのかなって」
「どういう意味だ!」
「どう考えても意味不明で不可思議で奇想天外で奇々怪々な目に合ってるのに、妙に余裕そうだから?」
「結構困ってるつもりなんだけど!?」

 こんなに悩んでいるのに、心外である。

 しかしながら指摘された通りなのだ。パニックになって発狂したり、正気を失って自暴自棄になったり、逆に無気力になったり。そんな傾向はない。

(みっともねえところは、俺の相棒の前では見せられねえからな)

 ギターと音楽があれば、キングはどこまでも、どんなところへも行ける。

「まあそういうわけだからさ、リッチーに元気になってもらいたいわけよ」
「僕、一言も元気じゃないとは言ってないけど」
「今の俺にできることがこれだけなんだよ。リッチーを元気にすること」
「はあ」

 そうと決まれば、気合満々でスープを腹に流し込む。サラダをかき込み、白湯だけはゆっくり飲み込む。
 それに反して、リッチーはずっと怪訝けげんそうである。

「僕を元気にするって、何をするつもりなの?」
「ちょっと待ってな」

 キングは窮屈だった椅子から下り、ギターケースを開いた。ファスナー式のありきたりな黒いケース。ちょっとした物が入れられるポケットがあるが、そこにははみ出るほど大量の五線譜がぶち込まれていて閉まらなくなっている。

 そして中から出てきたのは、朝焼けのような美しいサンバーストのセミアコースティックギター。

「キング……それは、何?」

 リッチーも椅子から立ち上がる。

「セミアコ。初めて見るのか?」
「え? う、うん……見たことない。それは何をするものなの?」
「ギターなんだから、弾くだろ」
「ヒく?」
「あと、俺が歌う」
「うたう……?」

 慣れた様子でアンプ、チューナー、エフェクターが取り出され、並べられる。

「そうだ、プラグ挿すとこどこ?」
「ぷらぐを挿す……って?」
「エレキギターは電気が無いとイイ音鳴らないんだよ」
「電気なら僕出せるけど」
「えっ……え?」

(もしかして、ここって日本式のプラグ挿せるところ、無いのか)

 手の中のコードを見つめる。だがそれは一瞬だった。

「これ持っててくれ!」
「わかった」

 ふわふわの小さな手に、そいつを託した。

(どうなるのかわかんねえけど、一心同体っていうのか? これはセッションとも違うわくわくだな!)

「キング、これってどのくらいの電気が必要なの?」
「えーと……専門外だからわかんねえや。とりあえずここにある一式の電力必要なやつが動くくらい」
「適当だなあー」

 リッチーはキングの構えたギターを見、スピーカーを見、ほか一通ひととおり見たり突いたりしていた。初めてのものに出会って興奮する小さな子供のようだ。

「試しに少しだけ電流やっていい? 大事なものなんだろうから、壊さないように少しだけ」
「おう! いいぜ」

 変わって、至極真剣な表情で自分の手から伸びたコードのその先を見澄ます。今迄いままでとは違った目付きだった。

「……うん、なんとなくわかった」
「スピーカーの音量上げたらまた電力消費量変わるかも」
「そうなんだ。まあでも何とかなると思う……たぶん」
「それよりさ、リッチー! 弾いてみたい!」
「そのヒくって何?」

 キングは大袈裟おおげさに弾き真似まねだけ見せた。所謂いわゆるエアギターというものだ。

「そうすると、スピーカーから音が出るの?」
「そうなんだよ、スゲーだろ!? 俺とリッチーでそれが出来るんだ! やってみようぜ!」

 リッチーの体毛がぶわわっと逆立った。

「うん……うんっ! やってみよう!」

 目を輝かせて、リッチーは大きくうなずいた。


 ギュギュッ……ギイィィィィィンッ!

 リッチーが生まれて初めて聞くエレキギターの音である。

 大きな生物の咆哮ほうこうのようにも思えた。

(こんなに大きな音をキングは手元で操っているんだ……仕組みはわからないけど。でもこれで僕が元気になるってどういうことだろう?)

「リッチー、はじめるぜ」
「えっ? まだ始まってなかったの?」
「お、リッチーはチューニングからもうライブに入り込んじゃうタイプか?」

 キングの言葉の意味はわからないが、カラカラ笑ってるのもわからない。

「俺は鳴かず飛ばずのギターボーカルなんだけどよ、手持ちの歌はいっぱいあるんだ。その分選考とかオーディションに落ちたってわけだけど……でも誰かを元気にするために歌いたいんだ。歌い続けてぇんだよ」

(キングが言ってるっていうのが何かわからないけど、僕のために何かしたいって気持ちは伝わってくる)

 キングとリッチーは向かい合って立っている。

 キングとリッチーは一本のコードと、諸々のモノでつながっている。

 キングはギターのボディを四度ノックして、リズムを取った。


   まずいよな 傘が無いなんて
   誰の天気予報も 当てにならない
   この道 明日 地平の果ても
   誰も教えちゃくれない

   道案内 こっちでいいんだっけ
   悲しみの道 苦しみの道 後戻り
   自分がどこにいるのかすら
   誰も教えちゃくれない

   迷子なんだ 居場所はあるのにさ
   雨宿りする余裕もなくて
   ぐちゃぐちゃなんだけど 祈りたい

   ぬかるみに足を取られてるなら
   そこで待っていてくれよ 必ず辿たどり着く
   大丈夫 大丈夫 大丈夫
   こっちもこっちで大変だけどさ
   いつか手をつないで 空を見上げようよ
   虹がかかるはずだから
   大丈夫 大丈夫 大丈夫


 優しい和音が、潮が引くように消えた。
 爪弾く指先から顔を上げた時、リッチーの大きな瞳からぽろぽろっと零れるものがあった。

「ぅうっ、ううううううぅ~~~~~~~~~…………」
「あ、あれ、リッチー? 泣いてんのか……?」
「うぅわあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん…………っ」

 赤ん坊のように泣き出してしまった。後から後から、湧く涙。ふわふわだった頬が、すっかりぺしゃんこになっている。

 握りしめたままのコードは、もう通電してはいないらしい。ひとまず、キングはそれを小さな手から取り上げた。

(リッチー……苦労したみたいだしな)

 まだ十五の少年だ。

 父親も母親もいたはずの部屋で、孤独をいくつも耐えてきたのだ。仕事でも嫌なことやつらいことがあっただろうし、大人と渡り合ってやっていくのに、悔しい思いも沢山たくさんしたはずだ。

 キングは頼りなげな丸い頭をでた。

「……っ、子供扱いすんな! 元気なんか出ないじゃんかっ! バカ! キングのうそつき! ぅぅうわああああ……っ」
「はいはい悪かったよ。よしよし」

 止めどなく零れ落ちる涙が、リッチーの顔をぐしょぐしょにらす。それをまたふわふわの手で拭おうとするので、手もぐしょぐしょになった。

(小さい……いや小さいのは種族がとかじゃなくて、まだ子供なんだな。俺も子供っぽいって言われるけど、本当の子供はまだ守られてるべきなんだ……)

 そんなことを考えていると、リッチーの家の外からドタドタと乱暴な足音が近づいてくるのが聞こえた。
 なんだろうか、と思う暇もなくドアが音を立てて開け放たれる。

「うるせえぞリッチーィ!! 何時だと思ってやがるッ!?」
「お、親方……!?」
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