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作者: 紅粉 藍
note.3 リッチーはふわふわで。
 モルツワーバ鉱山。
 ここで採鉱されるのは石炭。まれに輝石の鉱脈が見つかる。

 炭鉱の歴史は二百年程とかなり長いが、何故なぜモルツワーバは在り得ない長さで石炭を採鉱し続けられるのか。答えは、地球に存在する山ではないからだ。地球の尺度で物事を推し量ることは理解を遠ざける行いである。

 ここに一人の炭鉱作業員の少年がいる。
 うさぎのような長い耳。ピンク色の肉球、爪のやや伸びた四ツ指の手。ほわほわの長いしっぽ。
 炭鉱作業員らしく丈夫なつなぎを着こんだ小さな体躯たいくで、新緑を彷彿ほうふつとさせるグリーンの瞳は薄暗い坑道の行き止まりを見据えている。

 彼の名前をリッチーという。
 モルット族――獣人の種族だ。

 ポケットから取り出したのは、赤銅色をしたサイコロのような手のひらサイズの多角形。坑道のあかりを鈍く反射している。握りしめたそいつを視線の先の突き当りにそうっと置いた。

発破玉はっぱだまを作ったお父さん! この爆破で村にイイ稼ぎをください! なにとぞおぅ~~~~っ……!」

 発破玉に向かってぺこぺこと頭を下げ、両手を握り合わせて天を仰ぐ。長く細い息を神経質に吐き出し、ぎゅっと閉じた目をゆっくり開く。
 仕事前のルーティンみたいなものだ。今日は緊張して仕方がない発破の役目である。

 十五メートルほど後退したリッチーが前に腕を伸ばすと、坑道の空気が総毛立つ。
 気弱そうだった真ん丸な瞳は真っすぐに先を見つめ、まるで野生の獣のごとく、見えない何かをじっと感じているようだ。
 綿毛のようだったしっぽがぶわわっと逆立ち、長い両耳がピンと上にそそり立ったその時。

 バチバチッ――!!!!

 青白く細くうねる電流がリッチーの手からほとばしった。
 が……。
 放たれた電流は狙ったはずの発破玉をかすめたに終わった。即ち、爆発させたかった突き当りの壁が吹っ飛ばせなかったということである。

「あーあ、考え事してたらはずしちゃったよーもう……」

 独りで言い訳をしながら小走りに発破玉の元へ向かう。そして拾い上げた小さな塊をつぶさに観察した。

「うん、まだ消費されてない。よかった。無駄にすると親方に怒られるから……ん?」

 モルット族の長い耳は音に敏感で、小さな音も遠くの音も、まるですぐ傍で聞いているかのように察知することが出来る。さらに、爆音のような音量でもひるむことなく様々さまざまな音を聞き分けるという、聴覚の優れた動物とはまた違った特性を持っていた。

「誰かが、『助けて』って言ってる……?」

 発破玉を爆発させる予定だった突き当りの岩壁付近、何者かの声が確かにする。ぴくりと長い耳はその方角を向いた。

「た、大変だ! 岩壁の向こうから助けを呼んでる! ……あれ、でも何でこんなところに?」

 もちろん、壁の向こう側は部屋や坑道はおろか、一言でいえば人の手の入ってないただの『山』。あっても虫の巣くらいである。

「おばけじゃないよね……?」

 ひとまず回収した発破玉をポケットに。リッチーは誰かがいるらしい壁に向かい合った。

「あ、あの、僕の声聞こえますか!? 僕、モルット族のリッチーっていいます! あなたは誰ですか?」

 冷たい壁にぴっとりと長い耳をあてて返答を待つ。

「……き? きんぐ? それは名前? 聞いたことない種族だけど……」

 リッチー少年は逡巡しゅんじゅんする。
 最近は物騒なことに、村を出て山を下りると、魔物に襲われる被害が頻出していた。もし、会話している相手が魔物で、壁を挟んで自分を奇襲するのを待ち構えているのだとしたら……。とても恐ろしい想像に、ひげがピピンと張り詰めた。

「え? 名前とかいいから? ……ああ、硬い岩盤や土に囲まれてまったく身動きが取れないんですね?」

 尚の事どうしてそんな事態に、と疑問が沸く。
 とはいえ、仕事としてその壁を吹っ飛ばそうとしていたわけで、無視してこのまま仕事を遂行しようにも人一人を一緒くたに爆破することになる。魔物ならいいが、人か魔物かなんてリッチーには判断がつかない。それに、鉱山の外にいる親方に相談してる間に窒息死するかもしれない。

 リッチーは独りで決断を下す。

「ちょっと待ってて! 今そこを爆破して君を助けるから!」
「爆破!?」

 今度ははっきりと声が聞こえた。

「大丈夫! モルットの……お父さんの作った発破玉があれば、小さいのも大爆発も自在に操れるんだ。僕の匙加減さじかげんでね」

 リッチーが不安を取り除こうと説明したところ、「死にたくねー!」という必死な叫び声が聞こえてきた。

「安心して! 絶対に大丈夫だから! 僕を信じて!」

 発破玉はあの壁から少しだけ離した場所に置こう。その方が中に閉じ込められてる人に被害が行く可能性は低いはず。
 流す電流は、少ないよりは多めに。でも多すぎてはいけない。

(難しい加減だけど、やれないことはない……僕なら!)

 何故なぜだか、体が軽い。
 トクトク、と胸が跳ねる。

(緊張はする。失敗が怖い。仕事ではいつもそうだ。だけど……今はこう、きゅうっと、ちょっとだけ心臓が痛むくらいに……わくわくしてる)

 後退あとずさって発破玉から距離をとると、標的の壁をにらんだ。

 綿毛のようだったしっぽがぶわわっと逆立ち、長い両耳がピン、と上にそそり立った。

 バツッ! バヂヂヂヂヂ――――――ッ!!!!

 青白い光が明滅する。瞬きをするまでもないコンマの時間を置いて、爆音――そして岩壁が崩れる轟音ごうおん。ガラガラと雪崩る瓦礫がれきの中から、一人分の影が転がり出てきた。

「危ない……っ!」

 リッチーは思わずふわふわボディを落下する人影の下へ滑り込ませた。固くとがった岩になんか落っこちたら、せっかく出て来られたと思った時には頭をぶつけて死んでしまう。

「助かったぜリッチー!」
「どういたしまして。えーっと……きんぐさん?」
「おう、ステージではキングって名乗ってんだ。キングでいいぜ……って、あれ? リッチーはどこだ?」
「君の下敷きになってますよー……」

 リッチーの腹の上にキングはちょうど尻餅をついた形でいた。

「わりぃっ、今退くから……お? ふわふわ?」
「うゥ、ウヒヒっ! くすぐったいよ!」

 地面に突いたと思った手元を見れば、巨大なうさぎのようなぬいぐるみがマズルをひくひくとさせて、困ったようにキングを見つめている。衣服を着ている様は絵本の世界染みている。それはリッチーなのだが。

「な、何でぬいぐるみが」
「ぬいぐるみ? 僕はモルット族のリッチーだよ」
「お、お前がリッチー? 俺を助けてくれた?」
「う、うん。えへへ……」

 下敷きにしていたふわふわを触ったらリッチーで。

 キングを助けてくれたのはリッチーで。

 リッチーはふわふわで。

「ああ、着ぐるみかなんか着てるのか」
「ちっがーーーーーーーーーーう!!!! もうっ、早く降りてよ! 重い!!!!」
「あっ、ごめん」

 ようやく瓦礫がれきの山から二人は安全な場所に足を着けた。



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 一見用途不明だが多目的な白い部屋。
 コンセントは使用者もおらず、ぽつねんと剥き出しになっている。

「まさか……」
「これは脱走じゃのう」

 キーロイは腕を組んでふむ、とうなった。
 白いブラウスに吊下つりさげの白いカボチャパンツ、その上から白いケープという白尽くし。背景に溶け込んで見失いそうだ。白髪の合間からのぞく真っ赤な双眸そうぼうが異様さを印象付けている。

 その横で、あおい長髪を垂らした青年が唖然あぜんとした表情で立ち尽くしていた。ドラマーの宇宙人だ。

「イデオがつ前に、何か怪しい挙動はなかったか?」

 イデオと呼ばれた青年は、顔に掛かった後れ毛を耳に掛け直して、眉根を寄せた。

「何かということもないが……萩原旭鳴はぎわら あさひなと演奏をして、少し会話をして、ここでしばらく待っているように伝えた。……了承したと思っていた」
「ふうむ」

 キーロイは小さな手のひらを目の前にかざした。ちょうどそこに半透明なボタン群が現れる。指先でスイスイ操作すると、黒い画面が浮き上がった。イデオも注視する。

「操作ログによると、萩原旭鳴は転移装置を作動し、ラボを脱出したようじゃ。地球人は他人を見て模倣する程度の知能は持っておったな。おそらくだが、わしが呼び出した際のイデオの仕草しぐさを真似て、たまたま転移装置の呼び出しに成功したのじゃろう」
「そんな、あいつはただの日本人だ。ノーアウィーン世界を何も知らない」
「だから、たまたまだと言っている。ほれ、見てみろ。転移先は――無茶苦茶むちゃくちゃじゃのう、ヒョッヒョッヒョ」
「……モルツワーバ山の、土中!?」

 キーロイはひとしきり笑うと、中空に表示されていた大量の文字列をき捨てるように腕を払った。圧されて霧散する文字列。

「ま、面倒なことになる前に萩原旭鳴を回収するんじゃな」
「俺がか?」
「わしはまだやることがあるでな。何かあれば連絡を寄越せ。そのピアスでな」

 如何いかにも釈然としないといった顔で、イデオは血の色をしたしずく型のピアスに触れた。

「いつまでに完了したらいい?」
「んーそうじゃのう。イデオは気が済んだのか?」

 その問いにイデオは、首肯も否定も見せなかった。ただ、少しうつむいた。

「まあ、わしの管理不行き届きから始まった縁じゃ。もう少し機構に黙っておくことは出来るが?」

 仕方がない、といった風情でキーロイはイデオのシャープな顔を見上げる。だがイデオはその視線を断つようにきびすを返し、マントを翻した。

「いや、いい。迅速に地球に帰そう、萩原旭鳴を」

(俺は、エール・ヴィースなんだから――)

 硬い足音と共に、イデオの姿は陰影のない真っ白な壁に溶けて行った。
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