▼詳細検索を開く
作者: 水無月 龍那
ウツロさんの一日 前編
 用務員、ウツロの朝は早い。

 朝。
 日が昇る少し前に目を覚ましたら、まずは身支度。
 着替えてヒゲが伸びていたら整えて。それを鏡でチェックする。

 朝食の準備当番以外の日は、談話室と化している理科室でコーヒーを淹れる。
 基本的にはインスタントだが、気が向いたらフラスコを改造した容器でドリップする。ついでに急須と茶葉を用意しておくと、コーヒーができる頃にはハナブサが起きてくる。

 ハナブサは淡い色の髪を緑の紐で束ねた少年だ。ヤミより少し背は高いが、彼も小柄な部類に入る。
 長袖シャツの下には黒のハイネック、両手には手袋と、少し着込んでいるようにも見えるが、特筆すべきは顔の半分を覆う布だろう。長い前髪も相まって、顔の右半分は厳重に隠されていた。
 だが、それ以外は普通の、にこやかで礼儀正しい少年と言えるだろう。

「おはよう、ウツロ」
「おはよう。茶はそこに用意してある」
 挨拶を交わしながら、彼はコーヒーを淹れるウツロの隣に立つ。
「うん、いつもありがとう」
「別に。ついでだ」
「うん」
 何が嬉しいのか、頷いたハナブサはにこにこと用意された急須にお湯を注ぐ。
 
 慣れた手つきで茶を淹れるハナブサは、表情や仕草に年期を感じることがある。いや、実際この学園の中では年長者だから、その認識は間違っていない。それなのに彼は一見すると小中学生と見間違うほど幼い。ウツロと並べば、よくて親子、下手すれば祖父と孫だ。

 外見が若々しいのは彼に限った話ではない。
 この学園の「住人」は、若い外見をした者が大半だ。大人の方が珍しい。
 最も大きな理由は「都合がいいから」だろう。噂話や備品に出自を持つ者は特にそうだ。生徒に混ざるなら近しい姿が望ましいというわけだ。
 次点は「こっち側へやってきたのがその年代だった」になる。生徒であれ教師であれ、校内で命を落とし、こちら側の存在と成り果てた者は、そのままの姿で在ることが多い。
 だが、時折その枠から外れた外見を持つ者がいる。その内のひとりが、彼だ。
 
 ハナブサと一服を終えたら、朝食の時間。
 食事は基本的に調理実習室で済ませる。調理担当が腕を振るうが、朝夕は手伝い当番が割り当てられている。当番はおかずなどのリクエストが可能なため、その日を心待ちにする者もいるらしい。
 並ぶ皿から食べたい物をトレイに乗せる。
 白米。目玉焼き。味噌汁に小鉢。なんとなくフルーツも追加する。
 朝食のメニューはある程度定番化しているが、食材の使い方や焼き方で、誰が当番だったのかはなんとなく予想はつく。
「今日はヤミとハナか?」
「ん」
 こくりとトーストを齧るヤミが頷く。
「ボクはオムレツの気分だったんだがな。トーストなら目玉焼きがいいとヤミちゃんったら譲らないんだ」
 隣に座るハナが、トーストに目玉焼きやサラダを乗せながら口を尖らせる。
「嘘をつくな。お前最初だし巻き卵って言っただろうが」
「やだなあヤミちゃん。君なら妥協案でスパニッシュオムレツとか言ってくれるという期待だよ。春の空のように移り変わる乙女心を理解しないとモテないぞ?」
「秋な。そんな山の天気より変わりやすいもん理解できてたまるか。俺に何を期待してんだ。無難が一番。朝から挑戦するな。結局お前の分作んの俺だし……」
「ボクだって盛りつけは手伝ったじゃないか」
 からっと笑うハナの答えにヤミは心底疲れたような溜息をついて、味噌汁の椀に手を伸ばした。

 ヤミは和食を好む。けれども作る物は洋風で比較的手軽なものが多い。
 料理は得意じゃないから、とヤミは言うが、彼の作る食事にハズレがあった記憶はない。
 一方ハナは和洋折衷。興味を持っては色々と挑戦・披露してくる。
「どうだい。印象に反して料理は上手いだろう?」
 彼女は自分でそう言って笑う。否定はしない。それなりに教え込まれてるのは分かるし、味も悪くない。ごくたまに小麦粉と片栗粉とか、砂糖と塩とか。間違えたりしなければ文句はない。
 なので、彼女の言葉に対するウツロの返事はいつも同じだ。
「そうだな。だがブラックでと頼んだ俺のコーヒーにシーザードレッシングを注いだ事は忘れんからな」

 では。こうして食事にあれこれ思うウツロ自身はというと、インスタントを愛用している。作ろうと思えばある程度は作れるが、凝った物は作れないし、便利さには敵わない。
 元々料理なんてしたことなかったのだ。当時に比べれば上出来だ。

 □ ■ □

 日中は特にやる事がない。
 だから、適当に中庭の掃除や花壇の手入れをする。備品が足りなかったら手帳にメモをして、後で調達する。たまには表――生徒達が学び舎として使用している側の校舎にも出向き、そっち側の花壇の世話をしたりする。
「あ、こんにちは」
「……どうも」
 生徒達はウツロのことを「時々居る用務員」と認識している。それは正しい。存在しないはずの用務員、それが学校の怪談としてのウツロだ。
 たまに挨拶を交わす生徒もいる。だが、それ以上の関わりはない。というか、持たないようにしている。そもそも今時の若者との付き合い方など分からない。
 生徒から見れば無愛想だろうが、その位の距離が一番楽だ。
 
 適当に昼食を済ませ、腹ごなしがてら表の学校内も一通り見回る。校内の備品で気になることあれば、適当にメモして事務室に放り込む。人に悪さをしようとするものを見つけたら軽く追い払ったりもする。

 午後の授業が始まると、休憩の合図。
 理科室に戻ってハナブサと世間話をしたり、読書をしたり。気ままに過ごす。
 そんなウツロの姿を見て、ハナブサは湯呑みを手に言う。
「ウツロは勤勉だよね」
「そうか?」
「うん。こうして毎日平和なのはウツロの力があってこそだよ」
 そうだろうか、と考える。
「勤勉、なあ。……まあ、英がそう思うのなら、それが俺の性分ってやつなんだろう……どうにもこういう仕事が向いているらしい」
「そうだね。おかげでみんなもウツロの事を慕ってる」
「慕われてる……か?」
 思わず首を傾げる。
 生徒達とは関わりを持たず、こっち側の住人も近所の子供のような扱いをしている。うるさい時にはうるさいと言い、怪我したと騒げばツバをつけとけ嫌なら保健室に行けと言う。そんな対応で慕われるものなのだろうか。
「うん。慕われていると思うよ。良い保護者だね」
「そういうものか?」
「そういうものだよ。私にはできない事だから」
「俺には英の方が良い保護者に見えるが」
「はは。それは隣の芝生が青く見えるってやつだよ」
 ハナブサは穏やかにウツロを肯定する。ウツロはよく分からないと呟いてコーヒーを口にした。
Twitter