おまつりのあとに 前編
「いや、ホント今回は迷惑掛けたねー」
「ごめんねえ」
「いやいや、無事だったのならいいのさ」
「ありがとう、ございます」
カガミの仕事は丸一日かかったが。シャロン。ミサギ。スイバをはじめとした他数名。ドッペルゲンガーに取り込まれていた人達は無事、本来の姿を取り戻すに至った。
そして夜の科学室に集まり、お茶を前にのんびりと話をしていた。
ハロウィンはとうに終わり、文化祭も最終日。
表では今、後夜祭をやっているらしい。空はすっかり暗いのに、賑やかな声がどこからともなく聞こえてくる。
テーブルの上にはサカキのクッキーをはじめとした手作りのお菓子とハナブサが用意したお茶。他にも焼きそばやらお好み焼きやら、文化祭の屋台で売られていた品々が並んでいた。
「カガミの二人も、ありがとねー」
「うまくいって良かった」
「出てこなかったらどうしようかと思った」
カガミは疲れているのか、机に突っ伏すようにしてへらりと笑う。
「ところで気になっていることがあるんだが」
いいかい? と言うハナの声に全員の視線が集まった。
「気になってることって?」
不思議そうなハナブサの声に、ハナはうむと頷く。
「今回の一件。先代の鏡が原因だった。それはどこかにずっと潜んでいたとして、だよ」
「うん」
「ボクにはまだひとつ、疑問が残ってるんだ」
サカキのクッキーをかじりながら、ハナは言葉を続ける。
「スイバちゃん」
「うん?」
名前を呼ばれたスイバが、お好み焼きを口に運ぶ手を止めて首を傾げた。
「あのね。ヤミちゃんが少し前にラジオを壊したんだよ」
「えっ」
「待て」
「いや、待ったも何も事実だろう?」
「そうだけど、それだと俺が意味もなく壊したとか誤解される」
「……辞書の耳を見失って壊したの?」
スイバがこてん、と首を傾げて問うと、ヤミは深々と溜息をついた。
「ほら……こうだよ。あのな。あのラジオが点呼と称して俺達の前に現れたんだ。あの名前、聴いたら良くない物だって気付いて。それで……ほら。あれだ。つい。いや、害がある存在だと認識して」
なんだか歯切れの悪いヤミの言葉に気付かなかったのか無視したのか。
ともかく、スイバは「うーんとねえ」と話の入り口を探す。
「あのラジオの話は聞いた?」
「それなりには」
「一応」
「うん。昔ね。そんな事件があった。ハナちゃんとかヤミくんは歯車が合わなかったし、私がちっとも波に乗れなかったから片付けたの。まあ、ラジオだし。放送ですし。それなら私がノイズをつまんで真直ぐにすればぐるぐる巻きで万事解決」
ぱっ、と両手を開いて見せた彼女は、「それで?」と問う。
「封印されてたはずのラジオがどうして外にあったか、って聞きたいのかな?」
「うむ。そういう事だよ」
「うーんと。これも私の予想でしかないから、鶴の折り目くらいの気持ちで聞いて欲しいんだけど。私、時々様子を見に行ってたの。ほら。鍵かかってるかとか寂しくないかとか、そんなチェック」
「ほう」
「普段はなんともなかったの。いつもの音の波が寄せて返す。昔に比べたら穏やかになってきてて」
でもね。とスイバはマグを両手で包む。
「この間見に行ったら、鍵がね。壊れてたんだよ」
「ほうほう。それで?」
「古い鍵だったから壊れることもあるけど、中身は大丈夫かなってちょっと覗いて。新しい鍵持ってきて、かけ直そうとしたら――目が合った」
「目が……?」
「うん。しまい込んでた棚の奥。ラジオとノイズともう一つ。何か居たんだ」
スイバが言うには、それで動けなくなり、ノイズを残して消え去った感覚がした。それきり意識は真っ暗で、何も分からないままで。気が付いたら全てが終わった後だったと。
そういう事だった。
「だから。それで。きっとラジオは目につく所にあって……今回の引き金になったんじゃないかな」
ごめんね、とスイバは申し訳なさそうに俯く。
「いやいや、スイバちゃんも利用された身。悪くなんてないさ。となると……あのラジオも利用されただけなのだろうな」
「かもねー。放送はコピーではなくて復唱だから」
ね。とスイバがサクラに話題を向ける。お茶を飲んでいた彼は、「そうだね」と頷いた。
ヤミがその話に「なるほどな」と頷きながらも「むしろ」と言葉を続けた。
「俺はミキが忘れられかけてた備品をしっかり管理してたことに驚いた」
「……なんで驚かれたのかな」
「いや、昔の話だと聞いてたから」
ヤミの言葉にスイバは「そっか」と頷いてお好み焼きをぱくりと口に運ぶ。
「ヤミくんは覚えてない? 昔々の苦い夜とか影の声とか。そんな。時々思い出しちゃう、泡のようなもの」
「う」
「まあ、本当は忘れられてる方が良かったのかもしれない。インクの染みはいつまで経っても残ってしまうけど、声の染みの方も消えにくい。人の噂も声インクだね」
覚えてる人が居るからこそ、存在し続けるんだし。とスイバは溜息をついた。
□ ■ □
お茶会も一段落し、ウツロに「お前らそろそろ寝ろ」と追い出された後。
「ねえ、カガミ」
人通りのない廊下で、シャロンはカガミを呼び止めた。
一瞬身構えかけたカガミは、ふー、と息をついて振り返る。
「どうしたのシャロンちゃん」
「なにかあったのシャロンちゃん」
二人はてこてこと彼女に近付いてきた。
本当はまだちょっと怖いかもしれないのに。いつもと変わらない様子で二人はシャロンの元へとやってきた。それがなんだか嬉しくて、思わず頬が緩んだ。
「うん。ちょっと話したい事があって」
「うんうん」
「なになに?」
首を傾げて問う二人に、シャロンは胸ポケットから小さなメモリーカードを取り出した。
「これ。鏡の中に居た時に見つけたの。見たことない情報だから咄嗟に抱え込んじゃったんだけどさー」
指の先程の小さなその板を二人はまじまじと見つめる。
「食事の前にちょっと解析してみたんだけど。これ、多分君達のじゃないかなー、って」
「カガミの?」
「情報?」
うん、とシャロンは頷く。
「二人でひとりのカガミ。君達がおまじないをしていた頃に鏡が見ていた君達の姿、奪われた名前や記憶。多分だけど……君達が失った多くの物が、ほんのちょっとだけど詰まってる」
「……」
「あ。中身はほとんど見てないし、バックアップもないからそれきりなんだけど」
私が持ってるのもどうかと思ってね-、とシャロンはそのカードをはい、と手渡した。
「私だと媒体それにするくらいしかできなくてさー。持ってる携帯にでも入れたら読めると思う」
それだけ。とシャロンは話を締めくくる。
カガミは二人で手の平に置かれたそのカードをじっと見ていた。
「どうする?」
「どうしようか?」
顔を見合わせ、頷き合う。
そしてカガミはそのカードをそっと摘まみ上げ。
ぱき。
折った。
「!?」
思わず言葉を失ったシャロンを前に、二人は折ったメモリーカードをひとつずつ手にして。にっこりと。この上なく楽しそうに笑った。
「「カガミはカガミだから」」
「今が楽しいから」
「昔なんていらないよ」
「知らないものは知らないし」
「覚えてることだけ覚えとく」
「表に居たのは別のひとだよ」
「それはもう、カガミじゃないよ」
「だからごめんね、シャロンちゃん」
「だけどありがと、シャロンちゃん」
「「カガミはここが大好きだから、きっと要らない物なんだ」」
その表情と声はとても清々しくて。
なんだか眩しくて。
シャロンもつられて「そっか」と笑った。
「うん。それならいいや。じゃあ、カガミ」
「うん?」
「なあに?」
「夜も遅いし――部屋に戻ろう。今日は私ももう寝るよー」
「そうだね。また明日会おうね」
「おやすみ。また明日遊ぼうね」
「――うん。また明日」
そう言い合って、それぞれの部屋へと戻っていく。
カードは綺麗に折られてしまったけど。後悔のこの字もないほど清々しい笑顔だったな、とシャロンは廊下をひとり歩きながらついさっきの事を思い返す。
「まあ、カガミらしい決断かなー」
でもなー、と、シャロンは小さく溜息をつく。
「情報の削除ってのはやっぱり痛いねー」
そう言って揺れる髪の毛先は欠けるように、数個のドットになって消えていった。
祭りも終わり、明日が来る。
これで明日からは普段通りに戻るのだろう。
いつもの。ちょっと忙しくて。騒がしくて。不可解だけど楽しい日常に。
そんな。なんてことの無い想像でひとりくすくすと笑いながら、シャロンもまた廊下の奥――自分の部屋へと姿を消した。
「ごめんねえ」
「いやいや、無事だったのならいいのさ」
「ありがとう、ございます」
カガミの仕事は丸一日かかったが。シャロン。ミサギ。スイバをはじめとした他数名。ドッペルゲンガーに取り込まれていた人達は無事、本来の姿を取り戻すに至った。
そして夜の科学室に集まり、お茶を前にのんびりと話をしていた。
ハロウィンはとうに終わり、文化祭も最終日。
表では今、後夜祭をやっているらしい。空はすっかり暗いのに、賑やかな声がどこからともなく聞こえてくる。
テーブルの上にはサカキのクッキーをはじめとした手作りのお菓子とハナブサが用意したお茶。他にも焼きそばやらお好み焼きやら、文化祭の屋台で売られていた品々が並んでいた。
「カガミの二人も、ありがとねー」
「うまくいって良かった」
「出てこなかったらどうしようかと思った」
カガミは疲れているのか、机に突っ伏すようにしてへらりと笑う。
「ところで気になっていることがあるんだが」
いいかい? と言うハナの声に全員の視線が集まった。
「気になってることって?」
不思議そうなハナブサの声に、ハナはうむと頷く。
「今回の一件。先代の鏡が原因だった。それはどこかにずっと潜んでいたとして、だよ」
「うん」
「ボクにはまだひとつ、疑問が残ってるんだ」
サカキのクッキーをかじりながら、ハナは言葉を続ける。
「スイバちゃん」
「うん?」
名前を呼ばれたスイバが、お好み焼きを口に運ぶ手を止めて首を傾げた。
「あのね。ヤミちゃんが少し前にラジオを壊したんだよ」
「えっ」
「待て」
「いや、待ったも何も事実だろう?」
「そうだけど、それだと俺が意味もなく壊したとか誤解される」
「……辞書の耳を見失って壊したの?」
スイバがこてん、と首を傾げて問うと、ヤミは深々と溜息をついた。
「ほら……こうだよ。あのな。あのラジオが点呼と称して俺達の前に現れたんだ。あの名前、聴いたら良くない物だって気付いて。それで……ほら。あれだ。つい。いや、害がある存在だと認識して」
なんだか歯切れの悪いヤミの言葉に気付かなかったのか無視したのか。
ともかく、スイバは「うーんとねえ」と話の入り口を探す。
「あのラジオの話は聞いた?」
「それなりには」
「一応」
「うん。昔ね。そんな事件があった。ハナちゃんとかヤミくんは歯車が合わなかったし、私がちっとも波に乗れなかったから片付けたの。まあ、ラジオだし。放送ですし。それなら私がノイズをつまんで真直ぐにすればぐるぐる巻きで万事解決」
ぱっ、と両手を開いて見せた彼女は、「それで?」と問う。
「封印されてたはずのラジオがどうして外にあったか、って聞きたいのかな?」
「うむ。そういう事だよ」
「うーんと。これも私の予想でしかないから、鶴の折り目くらいの気持ちで聞いて欲しいんだけど。私、時々様子を見に行ってたの。ほら。鍵かかってるかとか寂しくないかとか、そんなチェック」
「ほう」
「普段はなんともなかったの。いつもの音の波が寄せて返す。昔に比べたら穏やかになってきてて」
でもね。とスイバはマグを両手で包む。
「この間見に行ったら、鍵がね。壊れてたんだよ」
「ほうほう。それで?」
「古い鍵だったから壊れることもあるけど、中身は大丈夫かなってちょっと覗いて。新しい鍵持ってきて、かけ直そうとしたら――目が合った」
「目が……?」
「うん。しまい込んでた棚の奥。ラジオとノイズともう一つ。何か居たんだ」
スイバが言うには、それで動けなくなり、ノイズを残して消え去った感覚がした。それきり意識は真っ暗で、何も分からないままで。気が付いたら全てが終わった後だったと。
そういう事だった。
「だから。それで。きっとラジオは目につく所にあって……今回の引き金になったんじゃないかな」
ごめんね、とスイバは申し訳なさそうに俯く。
「いやいや、スイバちゃんも利用された身。悪くなんてないさ。となると……あのラジオも利用されただけなのだろうな」
「かもねー。放送はコピーではなくて復唱だから」
ね。とスイバがサクラに話題を向ける。お茶を飲んでいた彼は、「そうだね」と頷いた。
ヤミがその話に「なるほどな」と頷きながらも「むしろ」と言葉を続けた。
「俺はミキが忘れられかけてた備品をしっかり管理してたことに驚いた」
「……なんで驚かれたのかな」
「いや、昔の話だと聞いてたから」
ヤミの言葉にスイバは「そっか」と頷いてお好み焼きをぱくりと口に運ぶ。
「ヤミくんは覚えてない? 昔々の苦い夜とか影の声とか。そんな。時々思い出しちゃう、泡のようなもの」
「う」
「まあ、本当は忘れられてる方が良かったのかもしれない。インクの染みはいつまで経っても残ってしまうけど、声の染みの方も消えにくい。人の噂も声インクだね」
覚えてる人が居るからこそ、存在し続けるんだし。とスイバは溜息をついた。
□ ■ □
お茶会も一段落し、ウツロに「お前らそろそろ寝ろ」と追い出された後。
「ねえ、カガミ」
人通りのない廊下で、シャロンはカガミを呼び止めた。
一瞬身構えかけたカガミは、ふー、と息をついて振り返る。
「どうしたのシャロンちゃん」
「なにかあったのシャロンちゃん」
二人はてこてこと彼女に近付いてきた。
本当はまだちょっと怖いかもしれないのに。いつもと変わらない様子で二人はシャロンの元へとやってきた。それがなんだか嬉しくて、思わず頬が緩んだ。
「うん。ちょっと話したい事があって」
「うんうん」
「なになに?」
首を傾げて問う二人に、シャロンは胸ポケットから小さなメモリーカードを取り出した。
「これ。鏡の中に居た時に見つけたの。見たことない情報だから咄嗟に抱え込んじゃったんだけどさー」
指の先程の小さなその板を二人はまじまじと見つめる。
「食事の前にちょっと解析してみたんだけど。これ、多分君達のじゃないかなー、って」
「カガミの?」
「情報?」
うん、とシャロンは頷く。
「二人でひとりのカガミ。君達がおまじないをしていた頃に鏡が見ていた君達の姿、奪われた名前や記憶。多分だけど……君達が失った多くの物が、ほんのちょっとだけど詰まってる」
「……」
「あ。中身はほとんど見てないし、バックアップもないからそれきりなんだけど」
私が持ってるのもどうかと思ってね-、とシャロンはそのカードをはい、と手渡した。
「私だと媒体それにするくらいしかできなくてさー。持ってる携帯にでも入れたら読めると思う」
それだけ。とシャロンは話を締めくくる。
カガミは二人で手の平に置かれたそのカードをじっと見ていた。
「どうする?」
「どうしようか?」
顔を見合わせ、頷き合う。
そしてカガミはそのカードをそっと摘まみ上げ。
ぱき。
折った。
「!?」
思わず言葉を失ったシャロンを前に、二人は折ったメモリーカードをひとつずつ手にして。にっこりと。この上なく楽しそうに笑った。
「「カガミはカガミだから」」
「今が楽しいから」
「昔なんていらないよ」
「知らないものは知らないし」
「覚えてることだけ覚えとく」
「表に居たのは別のひとだよ」
「それはもう、カガミじゃないよ」
「だからごめんね、シャロンちゃん」
「だけどありがと、シャロンちゃん」
「「カガミはここが大好きだから、きっと要らない物なんだ」」
その表情と声はとても清々しくて。
なんだか眩しくて。
シャロンもつられて「そっか」と笑った。
「うん。それならいいや。じゃあ、カガミ」
「うん?」
「なあに?」
「夜も遅いし――部屋に戻ろう。今日は私ももう寝るよー」
「そうだね。また明日会おうね」
「おやすみ。また明日遊ぼうね」
「――うん。また明日」
そう言い合って、それぞれの部屋へと戻っていく。
カードは綺麗に折られてしまったけど。後悔のこの字もないほど清々しい笑顔だったな、とシャロンは廊下をひとり歩きながらついさっきの事を思い返す。
「まあ、カガミらしい決断かなー」
でもなー、と、シャロンは小さく溜息をつく。
「情報の削除ってのはやっぱり痛いねー」
そう言って揺れる髪の毛先は欠けるように、数個のドットになって消えていった。
祭りも終わり、明日が来る。
これで明日からは普段通りに戻るのだろう。
いつもの。ちょっと忙しくて。騒がしくて。不可解だけど楽しい日常に。
そんな。なんてことの無い想像でひとりくすくすと笑いながら、シャロンもまた廊下の奥――自分の部屋へと姿を消した。