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作者: 小説書き123456
1話
「ところで萌えとはどういうものなのでしょうか?」

 新年をとうに迎え、2月は半ばを過ぎた。

 そんな寒い冬の中にも春の染みが出始めた頃合に私は友人を訪ねた。

 友人とは言うが、彼は私の年齢の倍近くもあり友人というよりも先生のように接するべきほど離れてはいた。

 しかし「久方ぶりに新しい交友を結べたのだからやはり一人の友人でありたいとおもっています。ですからどうか友人と呼ばせてください」
 
 かつては精悍であったろう表情。 しかしながらその肌の表面には皺が走り、重ねた年月が角を取ったのか優しげで穏やかなその姿は紳士というのはこういう人を言うのだなと合点がいった。

「そう言われたならわかりました。こうして口にわざわざ出すのはなにか恥ずかしくはありますけど友達になりましょう」

 その言葉どおりにほんの少し肌に差す熱を頬に感じながら右手を差し出すと、

「若い頃はそんなことを思いもしないものです、言葉にするのも野暮だと思うようになりますのは青年を越えた頃に感じるもの、ですが私のように爺になりますとあえて言葉にすることも大事だと思えるものですよ」

 冗談なのかそれとも本気なのか? ニコリとつつましく笑う老人に彼の子供にも満たないほどの年齢の私は「はあ…そういうものですか」とあいまいに笑って握手した。
 
 こうして彼と私は友人にはなったが、学生の時分のように頻繁に会うわけでもなく、メールを送ることもない。
 
 ただたまに近況をお互いに連絡しあう程度で返信は数日から数週間くらいは間が開いていて、本当に手紙をやり取りするような間隔であった。

 友人の家は住宅地の真ん中にあり、小さいがよく手入れのされた庭と同じく清潔に片付けられた一軒家だった。

 最初に来訪した際には「冬は寒いですが、こうやって縁側に腰掛けながら訪ねてくる友人や家族とよく話をしていました」

 友人は一人暮らしで奥さんはすでに鬼籍に入って長く、子供たちも郊外で各々の家族を築き、節目にはやってくるそうだ。

『若い頃以来の気軽な一人暮らしですが、寂しいときもありますのでこちらに来る際にはぜひお立ち寄りください』
   
 あるとき送ってくれたメールの文面にはそう記されていて、それは本当かもしれないが、こちらが気を使わないようにという気遣いにも私は思えた。

 そして2月の晴れた日。 新年から忙しく動き回っていた世間的な行動も一段落ついたこともあり、私は彼の家を尋ねたのだ。

 最初は互いの近況を語り合い、次に世間話をして、互いに話す言葉が途切れたところで友人がふと件の問いを口にした。

「萌え…ですか?」

「はい…萌えです」

 およそ老人と言っても差し障り無い人生の先輩から意外な言葉に私はオウム返しに問い返してしまう。

 昨今は便利になったものでパソコンとネットを繋げればアニメやスポーツなどが見れる。

 私もまたメールや近況を話す際にいまハマッているアニメやマンガの話をしてはいたが、まさかそんなことに興味を抱いてくれるとは夢にも思わなかった。

「若い時分から働いてばかりいましたので、そういった物はあまり見たことがありませんで、定年を迎えて暇になったのであなたから教えてもらった幾つかをあれを使ってみているんです」

 友人が向けた先にはPCが置いてあり、私がセッティングした折りにほんの悪戯心で動画サイトをお気に入りに入れておいたことを思い出した。

「いくつか見てみましたらこれは面白いものだなと感じましてね、そうしていきますと色々知りたくなるのが人情というものです。ですが萌えというものがどうにもわからないのです」

 そうまっすぐに私を見る友人にさてどうしたものかと考えあぐねてしまう。

「辞書で調べては見ましたがどうにもわかりません。いえいえ、理解できないというわけではなくてですね、見ているとああこれが萌えという感情なのだと…こう、左胸の辺りがキュウっと締め付けましてね、別に心臓を煩っているわけではないですよ?」

 なんとも反応に困るジョーク(?)に私も苦笑いしながらもふと考えてみる。

 萌え…感じるのは簡単ではあるが感嘆というのとは違うような気がする。 だからといって一言で表すのは難しい。 

「…言われてみれば言葉で表すのは難しいですね」

 感動でもなく、切ないでもなく、ましてや性欲とも少し違う。 魅力的な女性を見たときの反応とも違う。

 今までは当たり前のように使ってはいたけれどそれを説明するのに適した言語が出てこない。

「あなたはどんな時に萌えを感じるのですか?」

 困った様子の私に助け舟を出すように友人が再度問いかける。

「…そうですね、自分なら好きな人に素直になれないで思いと逆の言葉を吐いてしまい落ち込んでしまうヒロインに感じますね」

「ああ…ツンデレというやつですね。私も嫌いではないですが、萌えという感情はあまりわきません」

「それではどんなときに…その…萌え…という感情を抱きますか?」

 私の問いに彼はそれがすでに決められていた台詞のように口を開く。

「私ならば好意を表したときに聞こえていない、あるいは本気に思われていない態度を示されたときのヒロインの感情を考えると強く感じます」

「ああ、それは良いですね。自分も好きです。しかしそれは切ないという感情ではないですか?」

「確かにいくらかは切ないという思いはありますが、それとは違う…なんというのでしょうか…その…劇の場面そのものに萌え?を抱きます」

 友人の言葉はあいまいではあるが、その声色に私の『切ない』という考えを否定する真摯さが見て取れる。

「そうすると萌えというものは登場人物だけではなくて全体的なものに感じるということなのでは?」

「ああ…それは近いかもしれませんね、そうすると萌えというものは各々の場面で感じるということなのですか?」

「それは違いますね」

 言葉がハッキリと唇から出る。 その強さに私は驚いた。 

 萌えという曖昧な言葉をクッキリと指し示す言葉を持ち合わせていないにも関わらず私は反射的にそれを否定した。

「それではやはり物語の終盤、ぶつかりあった主役とヒロインが心を重ねあった瞬間というのはどうですか?」

「それも違うと思います。確かに優れたストーリーならばそのシーンで大きく感情は動きますし、『萌え』を感じることもあるでしょうが、どちらかといえばそれは感動の方が大きいでしょう」

 私の言葉に老人は顎に手をやりながらわずかに頷く。 どうやら理解はしてくれたようだ。

「なるほど…つまり萌えと感動は両立するものと考えてもよろしいということですね」

「ええ…ですがなんとも歯切れ悪いのですが、その感動の中に萌えが混じっていてそれは分化できるものではないかもしれませんね」

「つまり萌えと感動は両立はするがいささか混じるものでもあると?」

「けれどいわゆる性愛的というかエッチなシーンでも萌えを感じることもありますので感動とはまた違う感情なのかもしれません」

「ふむ…感動と性愛、いわゆるスケベ心の中にも萌えは宿ると…そうなると人間の喜怒哀楽の感情のほかにも萌えという単語が入ってくるのでしょうか?」

「それは…どうでしょう?」

 友人の仮説に対してもうひとつ付け加えたことでますます混乱してきてしまった。

 ふと気づくと来たときには鮮やかな青色だった空はすっかりとくすんでしまい黒く染まり始めていた。

 友人の思案顔も暗くなったことで見えづらい。 気温も下がってきたようで少し肌寒くなってきた。

 それでも友人は姿勢を崩さない。 冷たい板の間に正座しながら腕を組み、考えては「うーん」と思考を続けている。

 ふとこの状況がなんだかおかしく思えてきた。

 もはや青年どころか一人は老人、もう一人は中年に至る男二人が風に拭かれながらアレコレ議論しているのだ。

 それも別段大したことでもない。 いや他人から見ればくだらないとも思える『萌え』についてあれこれ考えているのだ。

「…フフッ」

「おや?なにかありましたか?」

 思わず笑いが漏れてしまったのを友人が訪ねる。 その顔には先ほどのしかめっ面とは違うなにかこちらも嬉しくなるような微笑みだった。

「いえ、大の男二人が『萌え』についてこんなに長く語ってるなんて笑ってしまうなと思いまして…」

「ああ…確かにこんなところを孫や家内が見たらそうしてしまうでしょうね……おや、また一つ『萌え』 というものがわからなくなってきました」

「なにかまた思いついたんですか?」

 背中をそらして後ろで手を床に下ろした私を見ながら友人は、

「あなたのいまの仕草を見てわずかながら『萌え』というものを感じてしまいました…おっと誤解してほしくないのですが、もちろんあなたに対して性愛を感じたわけではないですよ?」

 口角を上げて笑いながらそんなことを言う友人。 ふとなにか懐かしいものを感じて私も自然に笑ってしまった。

「この仕草で、ですか?」

 まるで子供が話しに飽きて空を見上げているような格好の私。 それを肯定するように友人はうんうんとうなづく。

「ええ、そうです…なんていうんですかね?『萌え』と懐かしいもの、いやふと息子の子供時代を思い出しましてね、私がちょっとした説教をしたときによくそういうことをしていたな」

「ああ…それもきっと『萌え』なんでしょうね。私は子供どころかまだ結婚すらしていないですが、アニメで幼女が子供らしい仕草をしたときにおそらくあなたがいま言ったような『萌え』を感じます…もちろん性愛的な意味ではないですよ?」

 私の返しに友人は「勿論、勿論」と笑い返す。 だがその後に友人はゆっくりと首を振る。

 それは言葉の最後にではなく、前半の言葉に対してだろう。

「いいえ、私の思ったことといま貴方が言った『萌え』は多分違うのでしょう」

 言葉は優しい。 ふと私はさきほど感じた懐かしさの正体を知った。

「ああ…かもしれませんね。おそらくは…それは」

「私は私のかつての経験とそのときに感じた息子に感じた肉親としての想い…ですがあなたのは…」

「ええ、わかっていますよ。自分は子供はいないですからね、その子供らしい仕草に対しての可愛らしいという想いなんでしょうね」

「はい…そのとおりです。しかし困りました…萌えとは何なのかますますわからなくなってしまいました。感動でもなく、切なさでも性愛でもない、肉親としての情だけでもない、ですがどれにも多分に含まれていて違いを語れるわけでもない…いやはや、これはなんとも難しい言葉ですな『萌え』とは…」

「ええ、まったくそのとおりです…喜怒哀楽のどれにも当てはまるわけでもなくかといって外れてもいない…結局のところはなんなんでしょうかね?『萌え』というのは…」

 そのままお互いに黙り込む。 だがその沈黙は心地よかった。

 外はすっかりと夜になっていて澄んだ空にはもう星が見え始めている。 

 それでも私達。 年齢の離れた友人である二人はじっと空を見上げていた。

 風がふっと吹く。 ブルリと身体が震える。

「おや、もうこんな時間になってしまいましたね…そろそろ戸を閉めてしまいましょう。よかったらこの後、一杯どうですか?」

 問いの答えはいまだ出ていない。 それでも友人は何か良いことがあったかのようにすっきりとした顔をしていた。

 きっと私もそうだろう。 先ほどの言語化できないもどかしさはとうに消え去っていまはこの気のおけない友人と酒を飲みながら語り合いたい気分だ。

 もちろん『萌え』でもいいし、それ以外でもいい。 

「それではご相伴に預かりましょう。ちょうどいまハマっているアニメがアップされている時間ですので一緒にみましょうか?」

「ええ良いですとも。こうやって良いものを見て、語り合い、笑いあうというものはすばらしいことですね…これもまた『萌え』ってやつですかね」

「いやいやそれは少し違うかもしれません」

「なるほど私はそう思うのですが、あなたはそうは思わない、もしかしたら『萌え』
というものは人それぞれ微妙に違うのかもしれませんね」

「あるいはその違いを語りあって理解しあうものかもしれませんよ?」

「ほっほっほ、確かに、確かに」

 戸を閉め、友人は台所に向かう。 おそらくは酒を持ってくるのだろう。
 
 私はその間に暖房のスイッチを入れ、パソコンを起動させる。

 果たして彼は私がハマっているアニメを好きになってくれるだろうか?

 もしかしたら各々で『萌え』のシーンが違うかもしれないし、重なるかもしれない。

 そうやって互いの違いを、感性を曝け出して語り合うのだ。

 いずれにしても『萌え』とは何なのかという答えを私は言語化して説明することはできない。

 それでも『萌え』はすばらしい。 それだけは二人の間には不変なのだから。
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