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作者: 霜月かつろう
ないものねだり その3
 栄口南商店街。
 アーチ状の看板に調べても出てきそうもない手書きのフォントでそう標されている。そこをくぐれば左右を店が立ち並ぶ昔ながらの商店街が出迎えてくれる。

 かつては賑わいを見せていたであろうことは、見て取れる。そうは言っても時代は進む。近くにショッピングモールができれば客足は遠のくし、お店の主人が歳で動けなくなればお店は閉まる。そうして徐々に削られていくこの場所がそれでも活気が残っているように思えるのはみんなが必死だからだと思う。

 良二が教室を構える場所も元は蕎麦屋さんだった場所だ。夫婦で長年やっていたらしいのだが、跡継ぎもいなかったこともあって早々にお店を閉めてしまった。なんでも。動けなくなる前にキレイにしておきたかったらしく、元気なうちから片付けをしてしまい。今は老人ホームでふたり仲良く余生を過ごしているらしい。

 空いた場所でなにをするか。それは商店街でも白熱する話題だったと聞いている。改築する必要がなく、きれいな状態になっている物件は珍しく使い勝手もいい。であればできるだけ人を集められる場所にしたい。それが商店街の願いだった。

 それが、どうすればパソコン教室なんてものになってしまうのか良二にはわかりかねる。確かに人は集まる。しかし、集まるのは商店街の関係者ばかり。商店街全体の集客には程遠く、良二自身も貢献できている気がしない。

 スケートの練習を終え、冷えた身体が急速に夏の日差しに温められていくのを感じながらパソコン教室の入り口の鍵を開ける。

 朝は八時から十一時半まで。昼休みを挟んで十三時から十六時半まで。ひと枠九十分を四回行う。枠の間には小休止が入る。生徒は多くて四人。少ない枠だとひとりのときもある。一枠の料金は千円。それが高いのか安いのか良二にはいまいち分からなかった。商店街の決定でその料金にしてくれとお願いされただけだ。

 正直、商店街からの補助がなければ生活していくのもままならない。どんな仕組みで補助金が降りているのか良二にはよくわからなかったが。助けてもらっていることには感謝している。

 今日は水曜日だ。実は月曜日と水曜日だけは午前中の教室がない。その代わり、その時間帯はスケートの練習をしなくてはならない。これがパソコン教室を任されるに当たって海藤さんと交わした約束だった。

 それが二ヶ月間サボり続けたのだ。流石に怒鳴り込んでこなかったものの明らかに機嫌が悪そうな海藤さんを目の当たりにしてビビった。

 あんな表情の海藤さんは見たことがなかった。言い訳のひとつもしないで謝り倒して。行きます。そう返事をした。そしてようやく練習に出向いたのが今日のことだ。

 それにしても前途多難だ。前回のときもそうだったが、滑っている自分の姿を想像できない。できたとしても不格好なまま前に進むのが精一杯の姿だ。とてもじゃないが音楽に合わせて自由自在に動き回るなんてできそうにない。

『それをわかった上でお願いしているだからいいんだよ』

 最初にお願いされた時、できっこないと反論したときの海藤さんの返事だ。そんなことを言われたら断る理由がなくなる。大体、断りでもしたら職を失いかねない状況だ。やるしかなかった。

 午後の教室が始まるまで少し時間があるので、イスに座って一休みしながら今日の名簿を確認する。受講者は商店街でまとめてくれる。良二は教えるだけ。だから誰が来るかはその日に分かるのだが。そこに立花琥珀の文字列を見つけてイスから転げ落ちそうになる。

 なんだって彼女がここに来るのだ。戻ってきていることは確かだ。だとしてもパソコン教室だ。そんなものを受ける必要があるようには到底思えなかった。

 彼女はこことは別世界にいる。だから、来るはずはないと勝手に頭が判断していた。

 もうすぐ受講者たちが集まってくる時間だ。どうしようと慌てはするがどうしようもないことも分かっている。でも慌てずにはいられない。

「こんにちわー。もう入ってもいいですか?」

 そんなことをしているうちに聞き覚えのある声がして、そちらを向く。

 確かに彼女だ。でも、その身に纏う雰囲気は記憶の中とは違っている。いや、高校生の頃の記憶の中とはだ。もっと最近。二ヶ月前の記憶の中の姿とは一致している。

「えっ。あっ。どうぞ。どうぞ」

 我ながら情けない声を出している。おじいちゃん、おばあちゃん相手では出したことない声だ。

「あれ?」

 琥珀が入るなり動きを止めた。じっとこちらを見ている。

「もしかして、川島くん?」
「う、うん。そうだよ。久しぶりだね。立花さん」
「えっ。うっそ。もしかして川島くんが教えてくれるの? よかったー。私パソコンはてんでダメだから厳しい人だったらどうしようって不安だったの。川島くんじゃ、一安心だね」

 こっちは不安でたまらないよ。平常心でいられるか分からないんだ。

 立花琥珀。同じ高校で一年生、二年生と同じクラス。三年生は選択で別のクラスになってしまったが、見かけるたびに胸の高鳴りを覚えていた。

 一番長い片想いの相手。それが良二にとっての立花琥珀だ。
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