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作者: 霜月かつろう
憧れのその先 その1
「えっ。ほんとに美鶴ちゃんなの?」

 すっかりお母さんに見えるのは抱えている子どもを見つめる瞳が慈愛に満ちているからか。記憶の中の琥珀さんと比べて随分と丸くなった印象も相まって、同じ人だよな。と自信がなくなっていたところに、そんな喜びに満ちた声を出されたら本人だと認めるしかない。いかに自分が憧れていた彼女と違ってもだ。

「ええ。そうです。お久しぶりです琥珀さん」
「そんな。さん呼びだなんて照れるね。でも、ちゃん呼びっていうのも変よね。もう子どももいるしね」

 琥珀さんの腕の中で大人しくこちらを見つめてくる小さい男の子は琥珀さんにはあんまり似ていない。きっとお父さん似なんだろう。それにしても、なんでじっとこっちを見ている?
 ちょっとだけしか歳も変わらない琥珀さんに子どもがいることも驚きだが、それ以上に自分との差が開いたのを思い知らされて笹木美鶴は戸惑っていた。
 って言うかどうして、琥珀さんがここにいるのだ。

「ほら。優太。美鶴お姉ちゃんだよ。覚えな」

 眠そうな子どもを揺り起こしている。眠そうにしているのだから無理に起こさなくてもいいのに。

「こんばんは。優太くん。よろしくね」
「うん。美鶴お姉ちゃん。よろしくね」

 あまりにかわいいその言い方に表情が緩んでしまう。知り合いに小学生くらいまではいるけれど。ここまで小さい子はなかなかいない。

「優太くんは何歳ですか?」

 私はどちらに問いかけているのだろう。琥珀さんか優太くんかどちらでもいいのは確かだ。

「三歳です」

 しっかりとした返事をしたのは優太くんだ。琥珀さんが空いてる手で背中をトンッと押したのが見えた。そうやって促してるのか。教育も行き届いているなとなぜだかそんなことが気になってしまう。

「三歳も、もう半分くらいだね」
「保育園通ってるんですか?」
「それがね。そんな余裕なくってさ。これまでずっと優太と一緒に働いてたの。それを許してくれる人たちばかりで良かったんだけどね。たくさん迷惑掛けちゃったなぁ」

 そう愛おしそうに優太くんを見つめる。優太くんといえばキョトンとした表情に変わる。琥珀さんが何を持って自分を見つめているのかわからないのだろう。

「こんどから幼稚園通うんだ」

 なにかに気がついたように優太くんの表情が弾けるように喜びに変わる。こんなにもコロコロと表情が変わる人間を久しぶりに見た。小さな子どもならではなんだろうか。

「はいはい。よかったね。今度おじいちゃんとおばあちゃんにお礼を言うんだよ」

 そのやり取りからふたりの中では定番なやり取りなのがわかる。

「ごめんね。幼稚園通えるのが分かってから、優太ってば誰かに構わず言いふらしてて。もうちょっとでブームも終わると思うんだけど。何がそんなの嬉しいのやら」

 うーん。琥珀さんが嬉しそうにしてるからじゃないかなぁ。
 そう言いたいのは山々だけど。野暮なことをわざわざ口にする必要もない。ふたりは随分と幸せそうに見える。立花琥珀です。昔と変わらずそう名乗ったのだけが少し気になったのだけど。そこをわざわざ掘り下げる必要もないだろう。それこそ野暮な質問だ。

「ほら。ふたりとも再会が嬉しいのはわかったけど。練習始めるぞ」

 ひときわ身体の大きなおじさんが和やかな空気に緊張を走らせる。海藤靴店の店主。海藤さんだ。なんどか美鶴も買い物をしたことがある靴屋さんだ。

「ストレッチしたら氷の上に行くぞ」

 そこでようやく美鶴は自分が置かれた状況を再認識する。そう、別に琥珀さんと遊ぶために来たわけじゃない。今日は商店街対抗戦。その部門のひとつであるフィギュアスケート部門の練習会だ。

 栄口南商店街。美鶴たちが所属する商店街の名前だ。古くからある商店街で美鶴としては子どもの頃からずっとそばにあるもの。大きくなるに連れて寄る機会も減ったし、最後に買い物をした記憶も定かではないのだけれど。なんとなく、ここは自分の居場所のひとつ。そう思えるくらいには美鶴の中で大きな意味を持つ場所だ。

 琥珀さんの名字が変わっていないのを知ったのは先程、初顔合わせということで全員自己紹介したからだ。美鶴が自己紹介するとそれまで疑惑の目でこちらを見てきた琥珀さんの目が輝いたのがわかった。それは美鶴も同じだ。

 他にも上里コーチの娘さんのアリスちゃん。リーダーを務める海藤さんがこの場にはいる。
 上里コーチは今回の対抗戦の監督を努めてくれる。娘のアリスちゃんが出場することになって自ら手を上げたらしい。身体の線は細いものの筋肉の付き方はしっかりしており、細マッチョといえばいいのか。童顔なのも相まってアリスちゃんみたいな歳の子がいるだなんて信じられない。兄妹とかのほうが納得できるというものだ。

 そのアリスちゃんは見るからにハーフ。どの国かまでは分からない。白い肌に金髪のその姿は日本ではあまりお目にかかれない姿だ。相当上手らしいということだけは聞いているが初心者同然の美鶴からすれば選手を続けている以上みんなすごい。

 そしてホントはもうひとりいるらしいのだけれど今日も来ないと聞いた。
 それに美鶴を合わせた、合計五人で行う対抗戦にはそれぞれ枠がある。商店街から選抜されたほぼ初心者の三人に加え。元選手と現役選手。その五人だ。

 元選手は琥珀さん。現役選手はアリスちゃんだ。初心者枠に美鶴と海藤さん。今日欠席しているもうひとりが商店街からの選抜。
 この商店街選抜というのが結構曖昧で、なんらかの形で商店街に関わっていればそれでいいらしい。

 海藤さんともうひとりは商店街でお店をしている。それは当然わかる。しかし美鶴は地元の大学に通う三年生。商店街でバイトをしているわけでもなければ、親が店を持っているわけでもない。たまたま、ふらりと商店街を訪れただけのただのお客さんのつもりだった。
 それがまさかこんなことになるなんて。

「それにしてもどうして美鶴ちゃんが対抗戦に?」
「ええ。海藤さんと太田さんが困ってるところにたまたま居合わせまして。海藤さんが太田さんにアルバイトで対抗戦に出場できる人はいないかって」
「太田さん? あのセカンドダイスの?」

 セカンドダイスは同じ商店街にあるボードゲームカフェだ。商店街としては新しめのお店で太田さんはそこの店長だ。海藤さんと年齢が近いこともあって商店街の悩みはふたりでよく共有してた。セカンドダイスで遊んでいたところ、そこにたまたまその現場に居合わせたのがことの発端だ。

「ええ。それでアルバイトじゃないけど常連客ならいるぜって。なぜか得意げに」
「なるほど。思い浮かぶわ。それにしてもボードゲームか。私も商店街にお世話になってから知ったんだけど。難しそうだなぁって思ってたの。でも美鶴ちゃんがやってるなら私もやってみようかな」
「それって私の頭が弱いってことですか」
「えぇっ? 違うよー。ごめん、ごめん。そんなつもりはないんだよ。許して美鶴ちゃん」
「ええ。じゃあそのお詫びに今度ボードゲームしにいきましょうね」

 キョトンとしたあと、琥珀さんは珍しいものを見るような目で笑った。不思議に思うのも無理はない。琥珀さんが知ってる頃はこんな冗談言えやしなかった。

「だってさ。優太。今度一緒に行こうね」

 優太くんみたいに小さい子でも出来るゲームがあるのだろうか。今度、調べておかないとな。

「ほら。いつまで話をしてるんだ。貸切練習時間は限られてるんだから大事にしような」
「はーい」

 まるで引率の先生に返すように琥珀さんが手を上げて返事をする。

「海藤さんって先生みたいだよね」

 琥珀さんも同じように思っていたのか。それが嬉しくって琥珀さんと顔を見合って笑いあった。
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