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作者: 霜月かつろう
憧れのその先 その7
「この曲なら何度か生徒が使ったことあるからすぐに用意できると思うし、美鶴ちゃんには合ってるんじゃないかな。うん。いいと思うよ」

 貸切練習の後に上里コーチを捕まえて演技で使う曲の提案をした。それは昔、美鶴が大会に出たときに一緒に出ていた琥珀さんが使っていた曲だ。

 有名曲をジャズテイストにいたもので、その演技を見たときの感動は忘れられないでいる。テレビでオリンピックを観ている時とはまた違う、生での演技の迫力を知った。

 あの時から琥珀さんを追いかけているような気がする。

「あとは衣装だね。一度っきりだしレンタルでいいとは思う。ちょっと知り合いを何人か当たってみるよ。曲の雰囲気に合ったものを探して見るね」

 このときのために作るのは流石に金銭面でも時間面でもできっこなかった。自分だけの衣装を持つことに憧れはあるもののそれは贅沢過ぎるというものだ。

「次回までに演技構成は作ってくるから、それを覚えて。あとは実践あるのみだね」

 そのために、基礎練習をコツコツとやってきたのだ。待ってましたと自然と拳を握りしめる。

「次回から最後のメンバーも合流できるし、ようやくスタートラインに立てたね。これで一安心だ」

 上里コーチとすれば、対抗戦までにメンバーを形にすることすら不安だったのだろう。胸をなでおろしている。美鶴からするとこれからなのだが、ある程度の見込みは立っているということか。

「前回とか、ほんとギリギリまでなんの準備でも出来なく困っちゃったからね。みんな忙しいのもあるけど、今年はやる気が違うよ」

 嬉しそうにすらしている。よっぽど去年は酷いものだったのだろうか。

「もしかしたら今年はいい勝負が出来るかもしれないと思うとそれはそれでプレッシャーなんだけどね。あはは」

 力なく笑い、最後に誤魔化す辺りが上里コーチらしいなと思う。ちゃんとここまで練習できているのは上里コーチのおかげだと言うのに。みんなもきっと同じ気持ちだ。

「そう言えばこの前、リンクの外でちょっとだけ不審者っぽい人を見かけたんですけど。上里コーチはなにか知ってます?」

 女の子がたくさんいる。衣装がそれなりにきわどい。誰でも入れる。などの状況もあってスケートリンクでの不審者は割りと重要な項目であり、それに関わるコーチたちもそこには気を配っているはず。であれば、先日の不審者らしき人と琥珀さんのおかしな様子の情報があるかと思ったのだが、上里コーチは首を傾げるだけだ。

「そんな人がいたの? 知らないなぁ。リンクの人たちもその辺りは神経質になってくれているからすぐに注意をしてくれてると思うけど。その人になにかされた? 大丈夫?」
「あっ。いえ私は大丈夫です。でも、琥珀さんも様子を見て来るって言ってたんですけど。もどってきてからどこか様子がおかしくて」
「えっ。それって大丈夫だったのかな。立花さんはなんて?」
「いえ。特になんでもなさそうだったって」

 すると上里コーチはちょっと安心したようだった。心配させるような言い方をしてしまった。

「そっか。それは良かった。けど気になるね。こっちでも気をつけておくよ。情報ありがとう」

 関係者たちが気にしてくれるのであれば美鶴に出来ることは少ないだろう。あんまり気にしても仕方のないことかもしれない。と考えすぎないようにする。気にし過ぎは悪い癖なのだと自覚している。

「じゃあ、次の練習楽しみにしててね」
「はいっ」

 元気に返事をしてしまった自分に恥ずかしさを覚えながらも、それだけ楽しみにしているのだと気づけた。
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