恋敵(ライバル)の友情
よく晴れた暖かい秋の夕暮れ。陽はかなり傾き始め、空は紅葉色に染まっている。そんな中黒髪の少女、高浪芳佳は、公園の隅にあるベンチに座りながら、一人寂しく街の書店で買ってきた本を、つまらなそうに読んでいた。
「話題の作品だったから買ったけど、イマイチ面白くない。これなら前に読んだあっちの方が面白かった。買って損した」
不満そうな表情を浮かべながら、右手でぱたんと本を閉じる。そして、読書用のメガネをケースに直してから、ゆっくりと立ち上がり、グッと背伸びをする。それは本という魔物から解放されたようにも見えた。その後少しぼーっとしてから家に帰ろうとしたときだった。
「よっす、芳佳!」
茜色の髪を肩口まで伸ばした女子生徒が、フェンス越しに声をかけてきた。芳佳は制服から同じ学校であることとは分かったが、誰であったのかを思い出せない。
「えっと、どちら様ですか?」
困った顔をしてストレートに聞いてみることにした。
「おやおや、あたしを覚えてないとは、ずいぶんな呑気さんだねえ」
呆れ顔でそう言うと、女子生徒は袈裟掛けしたエナメルバックからエアゴムを取り出し、髪を結んだ。
「あっ!」
芳佳はそのポニーテールの髪を見て、声を掛けてきたのが西野茜であることに気が付いた。
「ようやくわかってくれたか」
「いつもの髪型と違っていたのでつい」
きまりが悪そうに、芳佳は顔を赤くする。それもそのはずだ。芳佳にとって、最も意識をしないといけないライバルであるからだ。
「まあいいや。で、せっかくこういうとこで会ったんだからさ、ちょっと話そうぜ」
そう言うと、茜は軽々とフェンスをよじ登り、芳佳の左隣に座った。
「で、こんなとこで何してたんだ? 振られたか?」
ウキウキとした気分を顔に出しながら、茜は聞いてくる。
「違います。ただ本を買ってきたから公園で読んでいただけです」
素っ気なく芳佳は首を横に振る。それをみて茜は、なーんだ、と言いながら、残念そうに背もたれにふんぞり返った。
「というより、西野さんはなんでそんなことズバズバと聞いてくるんですか?」
「だってえー、あたし嘘つけないし、芳佳みたいに、えっと、……びぶらーとだっけ?」
「オブラートです」
「おお、それだそれ! オブラートだ!」
なるほど、と言って茜はポンと右手を打つ反応を見せる。どうやらボケていたわけではないようだ。
「で、そのオブラートに包む、みたいなそういう回りくどい言い方するの嫌いだし」
「だからって、そんな。ストレートすぎますよ……」
呆れ果てているのか首を横に傾ける芳佳に対して、茜は無邪気そうに笑っていた。
「それにさあ、ライバルが減ってくれた方がありがたいじゃん?」
「確かに、そうですけど……」
「でしょでしょ? 私みたいな子が減ってくれた方が嬉しいでしょ?」
何の意図もないことは分かってはいるが、芳佳にはどうしても、茜の言葉が自分に対する嫌みのように聞こえた。
茜は学校内でも一、二を争うくらいにスタイルがよく、胸も程よく大きい。最も重要なポイントである顔もボーイッシュさと可愛いさを上手く兼ね備えている。外見上なら殆ど敵無しだ。
一方で芳佳の方はというと、顔自体は儚くも美しい月の光を表したかのような美人顔ではあるものの――ただし、自覚は無い――、スタイルでは茜に完全に負けている。胸に至ってはどう見ても高校二年生のそれには見えず、小学生といっても差し支えないものだった。
「ん?どうした?急にそっぽむけてさあ?」
「別に、関係ないでしょ? 西野さんは私にとってのラスボスなんですから」
「ラスボスぅ? ハハハッ! そりゃずいぶん凄い存在だな。芳佳にとってあたしは。でもどうしてなんだい?」
「そ、それは。西野さんは私に比べてスタイルがいいですし、胸も大きいですし、運動だってできるし、性格も明るくて常に前向きで、声だって凄く可愛い声しているし。私にないものばかりで、羨ましいんです……西野さんのことが」
ムキになってしまったせいか、芳佳はつい本音を漏らしてしまっていた。それを聞いた茜は、照れくさそうな笑みを浮かべながら、右手を頭の後ろへ当てた。
「羨ましいねえ。それはありがたい話だけどあたしも、芳佳のこと羨ましいなって思うときあるよ」
「へ? 私に?」
「うん。決して褒めてもらったからじゃなくて、ホントにいつも思っていることだよ」
「なんで?」
そう言われると茜は、斜め上を向きながら芳佳の目をのぞき込むように言った。
「なんでって、だって芳佳は頭いいし、料理作るの上手そうだしさ。顔だってあたしも少しは自信あるけど、芳佳の方が全然いいし、」
「いや、そんなことないですよ、西野さ――」
茜は芳佳の反論を左手で遮り、続けた。
「だからさ、誰だって自分にないものを羨ましがるんだよ。こんな感じでな」
「西野さん……」
「だから、これ以上はナシだ」
ニヤリと無邪気な笑みを浮かべ、茜は言った。この時芳佳は、きっと恋敵でなければいい友達になれるのだろうな、と思った。
「じゃあ、そろそろ帰りますか」
芳佳が空を見上げると、紅葉色の空が薄暗くなり始めていた。
「ええ。そうですね。これ以上暗くなると危ないですし」
茜は立ち上がりながら、エナメルバッグを再び左肩に掛けなおした。それに続くように、芳佳も膝の上に置いていたバッグの中に本を仕舞込んだ。そして、二人は一緒に公園の出口へと向かって歩いた。
「えっと、芳佳」
公園から一歩出たところで、恥ずかしそうに、茜は芳佳に声を掛ける。唐突な呼びかけに、芳佳の目はきょとんとしていた。
「なんでしょうか?」
「あのさあ、今度から苗字じゃなくて、下の名前で呼んでくれないか?」
「ええっと……」
思いもよらない言葉に、芳佳は動揺を隠せなかった。
「いやあ、あたしって苗字で呼ばれるのに慣れてなくてな。だから、さん付けでもいいから下の名前で呼んでくれない?」
芳佳は言われた通りにするかどうか迷っていた。というのも、親しい人しか名前で呼ぶことが殆どないからだ。
確か茜とはこれ以前にも色々と話す機会はあったが、それは微々たるものだった。さらに言えば茜は自分と敵対関係である。どう考えても、名前で呼ぶべき相手ではない。
だが、
「分かりました。茜さん」
口から発していたのは、茜という名前だった。
「お、ありがとう! じゃあこれからお互い頑張ろうな。芳佳!」
「はい。茜さん。私も負けませんので」
「おう、そうでなくちゃ!!」
二人は別れの挨拶を交わし、それぞれの帰り道へと別れた。
「思わず、名前で呼んじゃったなあ」
芳佳はその時のことを振り返ると、恥ずかしさのあまり、少し頬が赤くなった。
「まあ、いいか。それにこういうこと言うのもなんだけど、茜さんと仲良くなれそうだし。うん。今日一日、案外悪くなかったかな」
芳佳の足取りは、心なしかいつもよりも軽やかだった。
「話題の作品だったから買ったけど、イマイチ面白くない。これなら前に読んだあっちの方が面白かった。買って損した」
不満そうな表情を浮かべながら、右手でぱたんと本を閉じる。そして、読書用のメガネをケースに直してから、ゆっくりと立ち上がり、グッと背伸びをする。それは本という魔物から解放されたようにも見えた。その後少しぼーっとしてから家に帰ろうとしたときだった。
「よっす、芳佳!」
茜色の髪を肩口まで伸ばした女子生徒が、フェンス越しに声をかけてきた。芳佳は制服から同じ学校であることとは分かったが、誰であったのかを思い出せない。
「えっと、どちら様ですか?」
困った顔をしてストレートに聞いてみることにした。
「おやおや、あたしを覚えてないとは、ずいぶんな呑気さんだねえ」
呆れ顔でそう言うと、女子生徒は袈裟掛けしたエナメルバックからエアゴムを取り出し、髪を結んだ。
「あっ!」
芳佳はそのポニーテールの髪を見て、声を掛けてきたのが西野茜であることに気が付いた。
「ようやくわかってくれたか」
「いつもの髪型と違っていたのでつい」
きまりが悪そうに、芳佳は顔を赤くする。それもそのはずだ。芳佳にとって、最も意識をしないといけないライバルであるからだ。
「まあいいや。で、せっかくこういうとこで会ったんだからさ、ちょっと話そうぜ」
そう言うと、茜は軽々とフェンスをよじ登り、芳佳の左隣に座った。
「で、こんなとこで何してたんだ? 振られたか?」
ウキウキとした気分を顔に出しながら、茜は聞いてくる。
「違います。ただ本を買ってきたから公園で読んでいただけです」
素っ気なく芳佳は首を横に振る。それをみて茜は、なーんだ、と言いながら、残念そうに背もたれにふんぞり返った。
「というより、西野さんはなんでそんなことズバズバと聞いてくるんですか?」
「だってえー、あたし嘘つけないし、芳佳みたいに、えっと、……びぶらーとだっけ?」
「オブラートです」
「おお、それだそれ! オブラートだ!」
なるほど、と言って茜はポンと右手を打つ反応を見せる。どうやらボケていたわけではないようだ。
「で、そのオブラートに包む、みたいなそういう回りくどい言い方するの嫌いだし」
「だからって、そんな。ストレートすぎますよ……」
呆れ果てているのか首を横に傾ける芳佳に対して、茜は無邪気そうに笑っていた。
「それにさあ、ライバルが減ってくれた方がありがたいじゃん?」
「確かに、そうですけど……」
「でしょでしょ? 私みたいな子が減ってくれた方が嬉しいでしょ?」
何の意図もないことは分かってはいるが、芳佳にはどうしても、茜の言葉が自分に対する嫌みのように聞こえた。
茜は学校内でも一、二を争うくらいにスタイルがよく、胸も程よく大きい。最も重要なポイントである顔もボーイッシュさと可愛いさを上手く兼ね備えている。外見上なら殆ど敵無しだ。
一方で芳佳の方はというと、顔自体は儚くも美しい月の光を表したかのような美人顔ではあるものの――ただし、自覚は無い――、スタイルでは茜に完全に負けている。胸に至ってはどう見ても高校二年生のそれには見えず、小学生といっても差し支えないものだった。
「ん?どうした?急にそっぽむけてさあ?」
「別に、関係ないでしょ? 西野さんは私にとってのラスボスなんですから」
「ラスボスぅ? ハハハッ! そりゃずいぶん凄い存在だな。芳佳にとってあたしは。でもどうしてなんだい?」
「そ、それは。西野さんは私に比べてスタイルがいいですし、胸も大きいですし、運動だってできるし、性格も明るくて常に前向きで、声だって凄く可愛い声しているし。私にないものばかりで、羨ましいんです……西野さんのことが」
ムキになってしまったせいか、芳佳はつい本音を漏らしてしまっていた。それを聞いた茜は、照れくさそうな笑みを浮かべながら、右手を頭の後ろへ当てた。
「羨ましいねえ。それはありがたい話だけどあたしも、芳佳のこと羨ましいなって思うときあるよ」
「へ? 私に?」
「うん。決して褒めてもらったからじゃなくて、ホントにいつも思っていることだよ」
「なんで?」
そう言われると茜は、斜め上を向きながら芳佳の目をのぞき込むように言った。
「なんでって、だって芳佳は頭いいし、料理作るの上手そうだしさ。顔だってあたしも少しは自信あるけど、芳佳の方が全然いいし、」
「いや、そんなことないですよ、西野さ――」
茜は芳佳の反論を左手で遮り、続けた。
「だからさ、誰だって自分にないものを羨ましがるんだよ。こんな感じでな」
「西野さん……」
「だから、これ以上はナシだ」
ニヤリと無邪気な笑みを浮かべ、茜は言った。この時芳佳は、きっと恋敵でなければいい友達になれるのだろうな、と思った。
「じゃあ、そろそろ帰りますか」
芳佳が空を見上げると、紅葉色の空が薄暗くなり始めていた。
「ええ。そうですね。これ以上暗くなると危ないですし」
茜は立ち上がりながら、エナメルバッグを再び左肩に掛けなおした。それに続くように、芳佳も膝の上に置いていたバッグの中に本を仕舞込んだ。そして、二人は一緒に公園の出口へと向かって歩いた。
「えっと、芳佳」
公園から一歩出たところで、恥ずかしそうに、茜は芳佳に声を掛ける。唐突な呼びかけに、芳佳の目はきょとんとしていた。
「なんでしょうか?」
「あのさあ、今度から苗字じゃなくて、下の名前で呼んでくれないか?」
「ええっと……」
思いもよらない言葉に、芳佳は動揺を隠せなかった。
「いやあ、あたしって苗字で呼ばれるのに慣れてなくてな。だから、さん付けでもいいから下の名前で呼んでくれない?」
芳佳は言われた通りにするかどうか迷っていた。というのも、親しい人しか名前で呼ぶことが殆どないからだ。
確か茜とはこれ以前にも色々と話す機会はあったが、それは微々たるものだった。さらに言えば茜は自分と敵対関係である。どう考えても、名前で呼ぶべき相手ではない。
だが、
「分かりました。茜さん」
口から発していたのは、茜という名前だった。
「お、ありがとう! じゃあこれからお互い頑張ろうな。芳佳!」
「はい。茜さん。私も負けませんので」
「おう、そうでなくちゃ!!」
二人は別れの挨拶を交わし、それぞれの帰り道へと別れた。
「思わず、名前で呼んじゃったなあ」
芳佳はその時のことを振り返ると、恥ずかしさのあまり、少し頬が赤くなった。
「まあ、いいか。それにこういうこと言うのもなんだけど、茜さんと仲良くなれそうだし。うん。今日一日、案外悪くなかったかな」
芳佳の足取りは、心なしかいつもよりも軽やかだった。