これから
「し、伸哉……」
ベンチに帰ってきた伸哉は、涼紀が声を掛けにくそうにするほど、がっくりとうなだれていた。
伸哉は悔しかった。
この回は追加点を取る絶好のチャンスだった。いくら凄い球だったとしても、バントするなりカットするなりして、とにかくランナーを進めなければいけなかった。
それが一切出来なかったことが、悔しかったのだ。
「ま、まあ気にするなよ……」
涼紀が声をかけるが、ただ頷くのみで声は返ってこなかった。
「おい! いい加減にしろよ!」
涼紀は伸哉の胸ぐらを掴んだ。
「どんなに悔やんでももう終わったことだろ。だったら気持ち切り替えろよ! そんな状態で投げて打たれたらどうすんだよ! 入部したいって気持ちは嘘だったのかよ?! どうにか言えよ!」
突然響いた罵声に、ベンチが静まり返った。
「ふふふ」
不意に伸哉が笑出す。涼紀は自分の言ったことが何か不味かったのかと思い、少し慌てだした。
「そうだったね。ありがとう涼紀くん。おかげで目が覚めたよ。じゃあ、抑えてくるよ」
涼紀の言葉で吹っ切れたのか、笑いながら伸哉はグラウンドへ飛び出た。
涼紀はよかった、とつぶやきながらホッとしていた。
「ナイスピッチング。木場」
小代羅は息をあげながら戻ってきた大地を手放しで褒めた。糸の切れた人形のようにベンチに座るその様子を見る限り、これ以上の続投は無理なようだ。
本来の投球はそれだけ相当な負担になるようだ。
「ナイスピッチング。次のイニング新崎出すからライトに回ってくれ」
「わ、わかり……ました。けど早く、点を……」
大地は息を切らしながらベンチにもたれかかり、自分の顔にタオルを被せた。
もちろん小代羅も早く点が欲しい。本来の予定ならもっと点を取っている予定だが、打線は完全に沈黙し、スコアボードに刻まれているのは零だけだ。
この状況に小代羅はとにかく焦りと苛立ちを隠し切れなかった。
「流石に一年間もブランクがあるからと聞いて無策で臨んだのは、ちょっと不味かったなあ。しっかし、本当一年間野球をやってなかったんか? いくら木場が突然ギア上げたとはいえ、そろそろ球威が落ち始めるはず。なのに、全然落ちる気配がない。おかしい。木場と同じくらいの体格の添木が疲れないの……、待てよ?」
小代羅は突然立ち上がるなり、記録員のつけているスコアブックに目を通した。
「そうか。そりゃそうだわ。これならスタミナの消費も最小限のはずだわ」
スコアブックに記されていた大地のこれまでの投球数は七十八球と、おおよそ平均的な球数である。
一方で伸哉の球数は六回が終わった時点で五十一球とかなり少ない。これなら、伸哉の球威が衰えないのも当然である。
そして、小代羅はもう一つの事実に気付いた。それは、殆どの打者が早いカウントでツーシームを打たされて、内野ゴロや外野フライを連発してしまっていることだ。
「ふふーん。初回の木場のあれを見て、追い込まれたら不味いぞって思った結果、それを上手く利用され甘いコースのツーシームに引っ掛けられてたんやな。けど、それが分かった以上は、対策が練れる」
ニヤリっと小代羅は微笑んだ。
「これで、添木伸哉攻略法はほぼ完成や」
小代羅は部員を集めこれからの作戦を伝えた。
「異論はないな」
小代羅が聞くと部員の殆どが無言で頷くなか、西浦だけが手を挙げた。
「それって結局、相手を舐めていたから今頃になってやりはじめるんですよね。そんな作戦に意味あるんすか?」
「そ、それは」
「だから俺と大地は試合前に言ったじゃないですか。ブランクがあるとはいえ凄い投手だから、何か作戦を立てた方がいいのでは、って。しかも一回り以降も作戦を立てない出来たから、終盤の今頃までうちがビハインドを背負ってるんじゃないですか? 違いますか?」
「す、すまなかった」
西浦の鋭い指摘に、小代羅はただ平謝りするしかなかった。
「僕はもういやなんです。たとえ自分だけが活躍しようがしまいが、ずっと試合に負けるのは。もう、たくさんなんです……」
突然トーンダウンしたかと思うと、今度は下を向いて俯いた。
西浦の勝利への執念は、小代羅にも他の部員達にも痛いほど伝わってきた。
その熱い思いに、久良目商業ベンチはただ黙り込むしかなかった。そんな中、ベンチにへたり込んでいた大地が沈黙を打ち破るかのように、ゆっくりと立ち上がり、西浦の肩を軽く二回ほど叩いた。
「それは俺だって同じだ」
大地は優しく言葉を掛けた。
「試合をする前からわざと負けようだなんて誰が思う? みんな勝ちたいって思ってるはず。少なくともここにいる誰もが同じはずさ。たしかに、ここまでの攻撃は闇雲すぎた。結果、うちは零に抑えられてる。けど、まだイニングは残ってる。ならまだ逆転のチャンスはいくらでもあるじゃないか。そのための作戦を敷いたんだ。こういうことでしょ、小代羅さんが言いたかったことは」
「あ、ああ。そうだ」
大地のフォローに小代羅は救われたような気がした。
「西浦くん。小代羅さんは本気だ。だったらちゃんとやってくれるよね」
「当たり前だろ」
西浦は再び顔を上げた。それを見て、小代羅はもう一度指示を出した。
「よし。じゃあとにかくツーストライクまではスイング禁止。あと、変化球はどんなコースに来てようと一切振るな。それで三振しても俺は一切怒らない。狙い球はストレート系統のみ。最後に、ミートポイントをいつもより後ろに置くこととノーステップ。これを意識することいいな!」
『はい!』
久良目商業ナインのボルテージが上がった。
ベンチに帰ってきた伸哉は、涼紀が声を掛けにくそうにするほど、がっくりとうなだれていた。
伸哉は悔しかった。
この回は追加点を取る絶好のチャンスだった。いくら凄い球だったとしても、バントするなりカットするなりして、とにかくランナーを進めなければいけなかった。
それが一切出来なかったことが、悔しかったのだ。
「ま、まあ気にするなよ……」
涼紀が声をかけるが、ただ頷くのみで声は返ってこなかった。
「おい! いい加減にしろよ!」
涼紀は伸哉の胸ぐらを掴んだ。
「どんなに悔やんでももう終わったことだろ。だったら気持ち切り替えろよ! そんな状態で投げて打たれたらどうすんだよ! 入部したいって気持ちは嘘だったのかよ?! どうにか言えよ!」
突然響いた罵声に、ベンチが静まり返った。
「ふふふ」
不意に伸哉が笑出す。涼紀は自分の言ったことが何か不味かったのかと思い、少し慌てだした。
「そうだったね。ありがとう涼紀くん。おかげで目が覚めたよ。じゃあ、抑えてくるよ」
涼紀の言葉で吹っ切れたのか、笑いながら伸哉はグラウンドへ飛び出た。
涼紀はよかった、とつぶやきながらホッとしていた。
「ナイスピッチング。木場」
小代羅は息をあげながら戻ってきた大地を手放しで褒めた。糸の切れた人形のようにベンチに座るその様子を見る限り、これ以上の続投は無理なようだ。
本来の投球はそれだけ相当な負担になるようだ。
「ナイスピッチング。次のイニング新崎出すからライトに回ってくれ」
「わ、わかり……ました。けど早く、点を……」
大地は息を切らしながらベンチにもたれかかり、自分の顔にタオルを被せた。
もちろん小代羅も早く点が欲しい。本来の予定ならもっと点を取っている予定だが、打線は完全に沈黙し、スコアボードに刻まれているのは零だけだ。
この状況に小代羅はとにかく焦りと苛立ちを隠し切れなかった。
「流石に一年間もブランクがあるからと聞いて無策で臨んだのは、ちょっと不味かったなあ。しっかし、本当一年間野球をやってなかったんか? いくら木場が突然ギア上げたとはいえ、そろそろ球威が落ち始めるはず。なのに、全然落ちる気配がない。おかしい。木場と同じくらいの体格の添木が疲れないの……、待てよ?」
小代羅は突然立ち上がるなり、記録員のつけているスコアブックに目を通した。
「そうか。そりゃそうだわ。これならスタミナの消費も最小限のはずだわ」
スコアブックに記されていた大地のこれまでの投球数は七十八球と、おおよそ平均的な球数である。
一方で伸哉の球数は六回が終わった時点で五十一球とかなり少ない。これなら、伸哉の球威が衰えないのも当然である。
そして、小代羅はもう一つの事実に気付いた。それは、殆どの打者が早いカウントでツーシームを打たされて、内野ゴロや外野フライを連発してしまっていることだ。
「ふふーん。初回の木場のあれを見て、追い込まれたら不味いぞって思った結果、それを上手く利用され甘いコースのツーシームに引っ掛けられてたんやな。けど、それが分かった以上は、対策が練れる」
ニヤリっと小代羅は微笑んだ。
「これで、添木伸哉攻略法はほぼ完成や」
小代羅は部員を集めこれからの作戦を伝えた。
「異論はないな」
小代羅が聞くと部員の殆どが無言で頷くなか、西浦だけが手を挙げた。
「それって結局、相手を舐めていたから今頃になってやりはじめるんですよね。そんな作戦に意味あるんすか?」
「そ、それは」
「だから俺と大地は試合前に言ったじゃないですか。ブランクがあるとはいえ凄い投手だから、何か作戦を立てた方がいいのでは、って。しかも一回り以降も作戦を立てない出来たから、終盤の今頃までうちがビハインドを背負ってるんじゃないですか? 違いますか?」
「す、すまなかった」
西浦の鋭い指摘に、小代羅はただ平謝りするしかなかった。
「僕はもういやなんです。たとえ自分だけが活躍しようがしまいが、ずっと試合に負けるのは。もう、たくさんなんです……」
突然トーンダウンしたかと思うと、今度は下を向いて俯いた。
西浦の勝利への執念は、小代羅にも他の部員達にも痛いほど伝わってきた。
その熱い思いに、久良目商業ベンチはただ黙り込むしかなかった。そんな中、ベンチにへたり込んでいた大地が沈黙を打ち破るかのように、ゆっくりと立ち上がり、西浦の肩を軽く二回ほど叩いた。
「それは俺だって同じだ」
大地は優しく言葉を掛けた。
「試合をする前からわざと負けようだなんて誰が思う? みんな勝ちたいって思ってるはず。少なくともここにいる誰もが同じはずさ。たしかに、ここまでの攻撃は闇雲すぎた。結果、うちは零に抑えられてる。けど、まだイニングは残ってる。ならまだ逆転のチャンスはいくらでもあるじゃないか。そのための作戦を敷いたんだ。こういうことでしょ、小代羅さんが言いたかったことは」
「あ、ああ。そうだ」
大地のフォローに小代羅は救われたような気がした。
「西浦くん。小代羅さんは本気だ。だったらちゃんとやってくれるよね」
「当たり前だろ」
西浦は再び顔を上げた。それを見て、小代羅はもう一度指示を出した。
「よし。じゃあとにかくツーストライクまではスイング禁止。あと、変化球はどんなコースに来てようと一切振るな。それで三振しても俺は一切怒らない。狙い球はストレート系統のみ。最後に、ミートポイントをいつもより後ろに置くこととノーステップ。これを意識することいいな!」
『はい!』
久良目商業ナインのボルテージが上がった。