残酷な描写あり
第三十一話 バース炭鉱へ
セレンは尚も走行を続けている。
既に街中を抜け、郊外へと至る道に差し掛かった。にも関わらず、依然として彼女の足取りには衰えが見えない。
むしろ、息が乱れてきているのはケルティーの方だった。
――フヒッ! ブフンッ! フーッ!
鼻の詰まったような不規則な呼吸を繰り返し、半開きの口からは止めどなく涎が垂れている。ケルティーに限界が近付いてきている事は、シェイドにもサニーにも痛い程理解できた。
「頑張って下さい、ケルティー……!」
首を撫でながらシェイドが懸命に励ますが、言ってどうなるものでもないと彼自身分かっていただろう。
心做しか、徐々にセレンとの距離も開いてきている。このままでは完全に引き離されるのも時間の問題だ。
「シェイドさん! この先には、何かあるんですかっ!?」
セレンの走り方に迷いがない事から見て、彼女には明確な目的地があるとサニーは踏んでいた。その目星さえ付けられれば、仮にこのままセレンを見失っても追跡は可能かも知れない。
「ええ、バース炭鉱です! セレンは恐らく、そこに向かっているのでしょう!」
果たして、手応えありだ。確信の込もったシェイドの言葉を聴き、心の暗雲が少しだけ晴れたような気がする。
「じゃあ、少しケルティーを休ませても……!」
「ダメです! 目的地の見当が付いても、確証がない以上見失う訳にはいきません!」
シェイドの答えはにべもなかった。ケルティーも『気遣い無用!』とばかりに一際大きな息を吐いた。
セレンを止めなければならない、という使命感を心に燃やす彼らには不要な気遣いなのだろう。
「……っ!」
サニーに出来る事は、彼らの覚悟を尊重し、自分もまたそれに追従する事だけだった。
◆◆◆
レインフォール家の所有するバース炭鉱は、アンダーイーヴズから少し離れたところにある。
鉱員達は日が暮れると、予め用意されていた送迎用の乗り合い馬車に乗り込み、此処へと通ってくる。
夜中は鉱員達の掛け声や振り下ろされるツルハシの音、上下に分かれた区画を行き来するリフトの駆動音、採掘された炭鉱を運ぶトロッコの走行音等で賑やかな坑道も、今はすっかり静まり返って不気味な暗闇を湛えるばかりだった。
その無人の坑道内を、二つの灯りがゆらゆらと不安げに揺れながら動いている。
「……シェイドさん、本当にこっちの道で合ってますか?」
「此処の構造は把握しています。迷う心配はありませんよ、サニーさん」
サニーとシェイドは、それぞれランタンを掲げながら慎重に歩みを進めていた。
「ただ、セレンが何処に潜んでいるかは皆目見当も付きません。不意打ちをされないよう、神経を研ぎ澄ませておいて下さい」
「は、はい……!」
ごくり、と生唾を呑み込んで、サニーは若干引きつった返事を返した。
セレンが逃げ込んだ先は、やはりこのバース炭鉱だった。
シェイドは坑道に駆け込んで行く彼女を視認すると、入り口の手前でケルティーを停止させた。
「此処まで良く頑張ってくれました。ありがとう、ケルティー。後は私に任せて、休んでいて下さい」
荒い息を吐きながら身を横たえるケルティーに、深い感謝の込もったねぎらいの言葉を贈ると、シェイドは手前の事務所に行って坑道内部へ入る準備を済ませた。頭を守るヘルメットと厚い綿製の手袋、それに使い古したランタンがひとつという最低限の装備ではあったが。
「サニーさん、この先は危険です。ですから……」
「“自分ひとりで行く”、なんて言いっこ無しですよ、シェイドさん」
ちゃっかり自分もランタンとヘルメットを用意しながら、サニーは強い眼差しでシェイドを見た。
「あたしにだって、出来る事が何かあるかも知れません。ここまできたら、一蓮托生ですっ!」
「……分かりました。ただ、くれぐれも注意は怠らないで下さい。中で待ち受けるセレンは勿論ですが、坑道内には常に引火の危険が満ちています。火の扱いには、特に用心するようお願いします」
そして今に至る。
シェイドと共にセレンに挑むと決めた事に後悔は無いものの、坑道内を取り巻く暗闇と静けさによる恐怖感の助長はサニーの想像以上であり、いつセレンが襲ってくるかという緊張感も手伝ってじわじわとメンタルを削ってくる。
果たして次にセレンと対峙した際、本当に自分達は彼女に勝てるのか? レッド・ダイヤモンドの破壊は叶うのだろうか?
今頃になって、そんな不安がサニーの胸中で肥大化してきた。
サニーは、縋るような気持ちで前を歩くシェイドの背中を見た。
「私達の持つダイヤモンドも、此処で採掘されたものなんですよ」
泰然とした足取りで歩を進めながら、不意にシェイドが言った。
「ブルー・ダイヤモンドとレッド・ダイヤモンドが、ですか?」
言わずもがなの事だろうが、それでもサニーは尋ねずにはいられなかった。
「はい。バース炭鉱は元々祖父が発見し、事業として確立させた場所。此処で採れた赤と青のダイヤを、祖父は縁起物と見なして祖母との婚姻の証にしたのです」
「そうだったんですか……」
「レッド・ダイヤモンドを所持したセレンが迷わず此処に向かったのも、何か考えがあっての事なのか……。それとも、むしろ……」
そこでシェイドは少し言葉を溜めた。
「……ダイヤモンド自身によって導かれたのか」
ステッキに嵌め込まれたブルー・ダイヤモンドに目を落とし、意味深に言うのだった。
「シェイドさん……あっ、そうだ!」
今の内に、祖母の手紙の内容を掻い摘んで教えておこうか。
そう思い至ったサニーが、頭の中で話す情報を整理していると――
「しっ! サニーさん、聴いて下さい」
シェイドが口に人差し指を立ててサニーを制した。
「……! これは……?」
耳を澄ませると、微かに『ヒュー、ヒュー』といった息遣いのようなものが奥から聴こえてくる。
セレンだろうか? この先に、彼女は居るのだろうか?
「……行きましょう。慎重に」
ランタンを掲げ直し、片手にステッキを構えながら、シェイドとサニーはそちらに向けて歩みを再開した。
やがて開けた場所に出る。そこで蠢く、赤い二つの光。
「やはり――!」
シェイドが悔しげに呻く。
部屋の奥に蹲る影。ランタンで僅かに照らされた、その歪な姿。
「シェ……イ、ド……さ……ま……」
そこに居たのは、『影』によって身体の半分を呑まれかけた、セレンであった。
既に街中を抜け、郊外へと至る道に差し掛かった。にも関わらず、依然として彼女の足取りには衰えが見えない。
むしろ、息が乱れてきているのはケルティーの方だった。
――フヒッ! ブフンッ! フーッ!
鼻の詰まったような不規則な呼吸を繰り返し、半開きの口からは止めどなく涎が垂れている。ケルティーに限界が近付いてきている事は、シェイドにもサニーにも痛い程理解できた。
「頑張って下さい、ケルティー……!」
首を撫でながらシェイドが懸命に励ますが、言ってどうなるものでもないと彼自身分かっていただろう。
心做しか、徐々にセレンとの距離も開いてきている。このままでは完全に引き離されるのも時間の問題だ。
「シェイドさん! この先には、何かあるんですかっ!?」
セレンの走り方に迷いがない事から見て、彼女には明確な目的地があるとサニーは踏んでいた。その目星さえ付けられれば、仮にこのままセレンを見失っても追跡は可能かも知れない。
「ええ、バース炭鉱です! セレンは恐らく、そこに向かっているのでしょう!」
果たして、手応えありだ。確信の込もったシェイドの言葉を聴き、心の暗雲が少しだけ晴れたような気がする。
「じゃあ、少しケルティーを休ませても……!」
「ダメです! 目的地の見当が付いても、確証がない以上見失う訳にはいきません!」
シェイドの答えはにべもなかった。ケルティーも『気遣い無用!』とばかりに一際大きな息を吐いた。
セレンを止めなければならない、という使命感を心に燃やす彼らには不要な気遣いなのだろう。
「……っ!」
サニーに出来る事は、彼らの覚悟を尊重し、自分もまたそれに追従する事だけだった。
◆◆◆
レインフォール家の所有するバース炭鉱は、アンダーイーヴズから少し離れたところにある。
鉱員達は日が暮れると、予め用意されていた送迎用の乗り合い馬車に乗り込み、此処へと通ってくる。
夜中は鉱員達の掛け声や振り下ろされるツルハシの音、上下に分かれた区画を行き来するリフトの駆動音、採掘された炭鉱を運ぶトロッコの走行音等で賑やかな坑道も、今はすっかり静まり返って不気味な暗闇を湛えるばかりだった。
その無人の坑道内を、二つの灯りがゆらゆらと不安げに揺れながら動いている。
「……シェイドさん、本当にこっちの道で合ってますか?」
「此処の構造は把握しています。迷う心配はありませんよ、サニーさん」
サニーとシェイドは、それぞれランタンを掲げながら慎重に歩みを進めていた。
「ただ、セレンが何処に潜んでいるかは皆目見当も付きません。不意打ちをされないよう、神経を研ぎ澄ませておいて下さい」
「は、はい……!」
ごくり、と生唾を呑み込んで、サニーは若干引きつった返事を返した。
セレンが逃げ込んだ先は、やはりこのバース炭鉱だった。
シェイドは坑道に駆け込んで行く彼女を視認すると、入り口の手前でケルティーを停止させた。
「此処まで良く頑張ってくれました。ありがとう、ケルティー。後は私に任せて、休んでいて下さい」
荒い息を吐きながら身を横たえるケルティーに、深い感謝の込もったねぎらいの言葉を贈ると、シェイドは手前の事務所に行って坑道内部へ入る準備を済ませた。頭を守るヘルメットと厚い綿製の手袋、それに使い古したランタンがひとつという最低限の装備ではあったが。
「サニーさん、この先は危険です。ですから……」
「“自分ひとりで行く”、なんて言いっこ無しですよ、シェイドさん」
ちゃっかり自分もランタンとヘルメットを用意しながら、サニーは強い眼差しでシェイドを見た。
「あたしにだって、出来る事が何かあるかも知れません。ここまできたら、一蓮托生ですっ!」
「……分かりました。ただ、くれぐれも注意は怠らないで下さい。中で待ち受けるセレンは勿論ですが、坑道内には常に引火の危険が満ちています。火の扱いには、特に用心するようお願いします」
そして今に至る。
シェイドと共にセレンに挑むと決めた事に後悔は無いものの、坑道内を取り巻く暗闇と静けさによる恐怖感の助長はサニーの想像以上であり、いつセレンが襲ってくるかという緊張感も手伝ってじわじわとメンタルを削ってくる。
果たして次にセレンと対峙した際、本当に自分達は彼女に勝てるのか? レッド・ダイヤモンドの破壊は叶うのだろうか?
今頃になって、そんな不安がサニーの胸中で肥大化してきた。
サニーは、縋るような気持ちで前を歩くシェイドの背中を見た。
「私達の持つダイヤモンドも、此処で採掘されたものなんですよ」
泰然とした足取りで歩を進めながら、不意にシェイドが言った。
「ブルー・ダイヤモンドとレッド・ダイヤモンドが、ですか?」
言わずもがなの事だろうが、それでもサニーは尋ねずにはいられなかった。
「はい。バース炭鉱は元々祖父が発見し、事業として確立させた場所。此処で採れた赤と青のダイヤを、祖父は縁起物と見なして祖母との婚姻の証にしたのです」
「そうだったんですか……」
「レッド・ダイヤモンドを所持したセレンが迷わず此処に向かったのも、何か考えがあっての事なのか……。それとも、むしろ……」
そこでシェイドは少し言葉を溜めた。
「……ダイヤモンド自身によって導かれたのか」
ステッキに嵌め込まれたブルー・ダイヤモンドに目を落とし、意味深に言うのだった。
「シェイドさん……あっ、そうだ!」
今の内に、祖母の手紙の内容を掻い摘んで教えておこうか。
そう思い至ったサニーが、頭の中で話す情報を整理していると――
「しっ! サニーさん、聴いて下さい」
シェイドが口に人差し指を立ててサニーを制した。
「……! これは……?」
耳を澄ませると、微かに『ヒュー、ヒュー』といった息遣いのようなものが奥から聴こえてくる。
セレンだろうか? この先に、彼女は居るのだろうか?
「……行きましょう。慎重に」
ランタンを掲げ直し、片手にステッキを構えながら、シェイドとサニーはそちらに向けて歩みを再開した。
やがて開けた場所に出る。そこで蠢く、赤い二つの光。
「やはり――!」
シェイドが悔しげに呻く。
部屋の奥に蹲る影。ランタンで僅かに照らされた、その歪な姿。
「シェ……イ、ド……さ……ま……」
そこに居たのは、『影』によって身体の半分を呑まれかけた、セレンであった。