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作者: カラコルム
第四十一話 呪いの清算
 掛け替えのない肉親であり、敬愛してやまなかった師でもある、父親との決別。
 その証とも言える極太の青い光線が、黒い靄と成り果てたジャックを貫かんと迫る。

《無駄だ――》

 ジャックを包む赤い光がその妖しい輝きを増し、一瞬弾かれるように拡散したかと思うとたちまち一本に収束し、シェイドの放ったそれと同じく赤色の光線となって放たれた。
 月光で彩られた中庭の中空で、青と赤の光波が真っ向から激しく衝突する。流れの速い支流同士がぶつかって大河に注ぎ込まれるかのように、弾け飛んだ青赤双方の飛沫が絡み合い、満月の光のベールに溶け込んでは消えてゆく。

「ぐううっっ!!」

 ステッキを両手で支えながら、シェイドが苦しげな呻きを漏らす。食いしばった歯を剥き出しにし、額には汗の玉が浮かんでいた。
 色の違う光の奔流は、互いに一進一退を繰り返してはいるものの、辛うじて拮抗状態を維持しているシェイドに対し、ジャックの方はゆとりがある笑みを浮かべている。

《どうした? そんなものなのか?》

 嘲笑う声と共に、ジャックから放たれる赤い光波が更に大きく、太くなった。圧倒的な力と量に圧され、シェイドの身体が少しずつ後退してゆく。ザリザリザリ、と足の裏で地面に跡を残しながらどうにか踏み止まろうとしているが、姿勢を維持するだけで精一杯のようだ。

「……っ! 月夜の晩だというのに、これですか……っ!?」

 恐るべき父の執念。いや、それとも打ち砕かれまいとする“アポロンの血晶”の足掻きであろうか?
 月光という活力を得た“ヘカテーの落涙”の力をもってしても、アンダーイーヴズに蔓延る呪いの根源を消去するのは容易ではないと、今更ながらに思い知らされる。
 だが……
 これも、予想していた事だ。

《……!?》

 ジャックが僅かにその虚ろな眼を見開く。
 いつの間にか、シェイドの後退が止まっていた。伏せられた息子の表情は、ジャックからはよく見えない。

《ええい……っ!》

 仄かに薫る不吉な予感を振り払うように、ジャックが“アポロンの血晶”に残された力を全て解放する。
 赤い光波は今や津波となり、荒れ狂う濁流のようにシェイドを押し流さんとしている。
 その膨大な魔力の余波は、サニーの立つ場所にまで及ぼうとしていた。

「きゃっ……!?」

 サニーは顔を背け、身を守るように両腕を前にかざした。そうしたところで防げないと分かってはいても、やらずにはいられない虚しい防衛本能だった。
 だが、いくら待っても身体を襲う激しい衝撃は来ない。

「……? ――っ!?」

 恐る恐る目を開けたサニーは、驚きで息を呑んだ。
 青い光が、まるで壁のように自分の眼前に広がっていて、押し寄せる赤い光のシャワーからサニーを守っていたのだ。

「シェイドさん……!?」

 サニーは即座にシェイドを見た。
 “ヘカテーの落涙”から生じる光波は、いつの間にか半球状の障壁に姿を変えて自分と彼を覆っていた。
 いや、それだけではない。

「……っ!? シェイドさん、身体から光が――!?」

 一瞬、見間違いかとサニーは思った。だが、違う。
 シェイドの全身が、青く光り輝いている。
 “ヘカテーの落涙”に照らされてそう見えるのでは無い。確かに、彼自身が眩く発光しているのだ。

「……サニーさん。ひとつ、お願いがあります」

 赤い光の洪水を捌きながら、場違いな程に落ち着いた声でシェイドはサニーに語りかける。

「私の部屋に、何通かの書簡が置いてあります。全て机の上です。それらに従い、諸々の手続きを処理して頂きたいのです」

「な、に……言ってるんですか……?」

 その落ち着いた声音に、口にした言葉の内容に、サニーは言い知れない不安を覚える。
 何故、こんな緊迫した状況でそんな事を言うのか?

「最後の最後までお手数をお掛けしてしまって、心から申し訳なく思います。ですが、頼める人は貴女しかおりません」

「だから! なんで、そんなこと言うんですか!?」

 サニーの漠然とした不安が、俄に真実味を帯びて心の中で膨れ上がる。
 まさか、まさかシェイドは……!

「以前も申し上げたように、私の願いは、アンダーイーヴズの救済。その為であれば、元よりこの生命すら捧げるつもりでした」

「――っ!?」

 悪い予感は、的中してしまった。

「そんな……! ダメです、シェイドさんっ!!」

 サニーはシェイドを引き留めるべく、彼に向かって足を踏み出そうとした。
 
「……!? なに、これ!?」

 だがすぐに、目の前に青い光の壁が立ち塞がる。
 シェイドとサニーを守っていた魔力の防壁が形を変え、二人を分かつように間に仕切りを作ったのだ。

「お許しください、サニーさん。これは、我が家の不始末。父の罪は我が罪。なればこそ、私が全てのけじめを付ける必要があるのです」

「違う……! 違います、シェイドさんっ! 街の呪いがレインフォール家の仕業なのだとしても、死ぬことで清算しようなんて間違ってる!!」

 サニーは必死に声を張り上げ、行く手を遮る光の壁を叩く。しかし、強固な魔力で作られた防壁は、彼女がどれだけ力を込めて叩いてもびくともしない。彼女の切羽詰まった呼び掛けも、シェイドを翻意させるには至らない。

「これからじゃないですか! 街から呪いが消えた後も、シェイドさんにはやるべき事が沢山あるでしょう!? バース炭鉱を再開させたり、昼間に不慣れな人々の指導をしたり! あなたにしか出来ない仕事が山程待っている筈です!!」

 それでも一縷の望みを掛けて、サニーはシェイドに言葉を贈り続ける。
 そんなサニーを振り返り、シェイドは柔らかく微笑んだ。

「ありがとう、サニーさん。貴女と出会えて良かった」
 
 シェイドの脳裏に、これまでサニーと共に過ごして来た日々が蘇る。
 最初は物好きな女性だと思った。無鉄砲だと、少々辟易する気持ちもあった。その一方で、彼女が持つ芯の強さや前向きさに大きく助けられた。
 彼女無しでは、此処まで辿り着けなかっただろう。

「本を書いて下さい。物語を完成させるんです。この結末を見届け、貴女の望むように調理し、至高の一品を完成させると宜しいでしょう。願わくば、脚色も潤色も無い、真実をありのままに著した内容にして頂けるとありがたいですがね」

 最後にそう言葉を遺すと、シェイドは振り切るようにサニーから視線を外し、正面を見据えた。
 今や彼の目に映るのはただひとつ。

「さあ父上、終わらせましょう――!」

 シェイドは強くステッキを握り直す。彼を包む眩い青光が、一際その強さを増した。
 祖母の編み出した呪いの解呪法。その最後の一手。

 自分の生命を媒介に、“ヘカテーの落涙”の力を限界にまで引き出す。

 後は、剥き出しになった“アポロンの血晶”に、思い切り打ち付けるのみ――!

「……!?」

 サニーは見た。
 父親に向かって歩き出すシェイドの傍に、寄り添うように佇むひとりの女性を。
 姿形は朧気である。今にも周囲に満ちる光の氾濫に紛れて消えていってしまいそうな程、透き通った姿容をしている。
 しかしながら、サニーにはその人物が誰であるか、直感的に思い当たった。

「フリエ、さん……?」

 透明感で溢れるその女性は、慈しむような顔でシェイドを、そして彼方のジャックを見ている。
 その優しい風貌が、以前写真で見たシェイドの祖母の姿と重なる。

 ――“ありがとう”。

 フリエは、最後にサニーの方を見て軽くお辞儀をする。その瞬間、彼女の感謝の声がサニーには聴こえた気がした。

《う、おおおおおッッ!!》

 自らが放つ赤い魔力の光波を掻き分け、真っ直ぐ向かってくる我が子に気圧されたように、ジャックを構成する黒い靄がその形を変えて逃れようとする。

《――ッ!!?》

 だが、その動きを抑え込むように、地表から新たな靄が立ち上って彼に絡みついた。
 そこに浮かび上がったのは、彼が最も信頼して死後の仕事をも任せた、右腕に等しかった少女の顔。

《セレン……! 何をしている!? は、離せ……ッ! 離してくれッ!!》

 主人の嘆願にも関わらず、セレンは悲しげな目を彼に向けるだけでその命令に従おうとはしない。

『もう、充分でしょう、先代様。そろそろ、お休みになりましょう』

 それは、土壇場での変心か。それとも、呪いの影響から脱したことによる、セレンの本心だったか――。
 黒い窪みとなった彼女の表情からでは、全ての内心を推し量る事は出来なかった。
 そして――


「ハアアアアッッ!!」


《おのれ……! こんな、ところで……! シェイドォォォォォ――!!》


 親子の、魂魄を振り絞るような叫びと共に。
 中庭は、光で埋め尽くされた。
 シェイドも、ジャックも、セレンも、フリエも。

 全てが、その中に呑み込まれて――消えた。



「……ぅぅっ! ……!? シェイドさんっ!!」

 光が収まり、中庭に残されたもの。
 呆然と立ち尽くしていたサニーの眼下に映ったのは――

 砕け散った青と赤のダイヤモンドの破片の山と。

 手を繋ぐように倒れ込んだ、若い二人の男女の姿だった。
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