残酷な描写あり
第十一話 シェイドの悲願
「……以上が、全ての発端となった四十年前の事件のあらましです」
アンダーイーヴズの呪い。その経緯を語り終え、シェイドは深く溜息をついた。
「そんな事が……! 四十年前のおばあさんの怨みが、今になっても尾を引いてるなんて……!」
予想を遥かに超えるとんでもない事実に、サニーの顔はどうしようもなく青ざめる。
「それで!? シェイドさんのおばあさんは今、何処に!?」
呪いを掛けた人物がはっきりしているのなら、その人に頼んで解呪してもらえば良い。サニーはすぐさまその結論に飛びつき、身を乗り出すようにシェイドに尋ねた。
しかし、それが甘い考えだと、直後に分からされる。
「亡くなりました。私が産まれて、まもなくして」
遣る瀬無いと言わんばかりにシェイドが首を振る。
「祖母は最期までこの街を怨み、呪いを残したまま世を去りました。祖父は、祖母が抱える心の闇に気付いていたようですが、愛した弱みでしょうか、祖母の所業を黙認したまま、祖母に先駆けて他界したと聴いています」
シェイドの祖父もまた、既にこの世の人ではない。その事実に、サニーの心は更に重くなる。
「これらの真実を私に教えてくれたのは、私の父です」
「シェイドさんのお父さん……。もしかしなくても、それってお話に出てきたフリエさんの子供……?」
「はい。父は魔女狩りの一件も、祖母の怨みも、街に施された呪いも、全てをその目で見てきた生き証人でした。父もまた、祖母を止める事が出来ず、アンダーイーヴズの人々が呪いで苦しむ様を歯痒い思いで傍観していたと言っていました」
シェイドが、手元のステッキに目を落とす。握りに嵌め込まれたブルー・ダイヤモンドが、主人の視線に応えるかのように青い輝きを反射した。
「祖母の《魔術》は強大で、実の子である父ですら太刀打ち出来なかった。父にも祖母の素質は受け継がれていましたが、祖母に比べれば微々たるものでしかありませんでしたから。しかしある時祖母は、自らの無力を苛む父にこのステッキを渡しました」
シェイドが、ブルー・ダイヤモンドをサニーに見えるようにステッキを掲げる。
「このブルー・ダイヤモンドこそ、祖母が万が一を考え保険の為に用意した、呪いへの唯一の対抗手段。この青いダイヤに込められた魔力は、人の心の闇を喰らって取り除く事が出来たのです。祖母はこれを父に手渡して、こう言いました」
すう、と。シェイドが一度大きく息を吸う。
「『そんなにこの穢れた街の住民を守りたいのなら、このステッキで怪物の影を喰らうと良い。お前自身の手で、あのケダモノ共に再び人の皮を被せてやれば良い。そして連中を絶望させろ。結局は残り僅かの余生を過ごす事になるのだと』」
淡々と語るシェイドだが、並べられた語句のひとつひとつから祖母の怨念が染み出してくるようだった。
「確か、心の闇を……自分の影を消された人は、あと数年しか生きられなくなるって……」
背筋に薄ら寒いものを覚えながら、サニーは先程のシェイドの言葉を思い出す。
「ええ。怪物化から逃れ、呪いの影響から脱しても、後に待ち受けるのは死のみです」
もう一度、シェイドは肺の空気を全て吐き出すような大きな溜息を吐いた。
「祖母は高をくくっていたのでしょう。父には呪いは解けないと。それで戯れに、怪物化した住民から自身を守る目的で作ったこのステッキを譲渡したんです」
「それで……お父さんはどうしたんですか?」
恐る恐る、慎重にサニーは問うた。
「父は、戦いました。祖母の思惑通りに。常に街の様子に気を配り、怪物化した人が出ればそれを祓う。自分に出来る事はそれだけだと思い定めて。先年に亡くなるまで、ずっと」
「お父さんも、お亡くなりに……!?」
「はい……。病にて……。私は父から全てを聴き、そして役目を受け継いだのです」
シェイドが顔を上げる。サニーに向けられた彼の形の良い目には、強い決意と覚悟が顕れていた。
「私は、父の無念を晴らしたい。祖母の呪いを解き、街を救いたいのです」
力を込めてそう語るシェイドの表情には、一切の迷いも怯えも無かった。
「今日のアングリッドや、ベニタさんのような人をもう生み出したくありません。祖母が受けた仕打ちがいくら理不尽で怖ろしいものであったとは言え、あれからもう四十年です。祖母自身も既にこの世を去り、当時の人々も今では殆どが亡くなり、あるいは引退して街の人々は次の世代に替わっています。今を生きる彼らに罪は無いのです。もう、アンダーイーヴズは許されても良い頃でしょう?」
そのシェイドの問いかけは、目の前のサニーや端に控えるセレンに向けられたものであると同時に、彼女達以外の誰かにも届けたいという意図が込もったものだったであろう。彼の透き通った瞳はサニーを通して別の何かを……今はもうこの世に居ない、自分の祖母を視ているのかも知れない。
「……分かります。あたしも、シェイドさんが正しいと思います。おばあさんの話は不憫に思うけど、結局は息子さん共々無事だったんだし、こんなに長く怨みや憎しみを街に向け続けるのも、復讐としてはちょっとどうかな? って思いますし」
「ご理解頂けたようで何よりです」
と、それまで黙って主人とサニーのやり取りを見守っていたセレンが、唐突に声を掛けてきた。
「それでは、今夜にでもこの街をお立ち下さい、サンライト様。アンダーイーヴズがどれほど危険かという事は、よくよくご納得頂けた筈。貴女様のご安全の為にも、早々にご出立されるのが望ましかろうと思われます。一番近場の村までであれば、この街でも夜中に馬車が走っています。まずはそこまで行き、それからその村で新たな足を確保なさるのが宜しいでしょう」
立て板に水というように、冷たい無表情を保ったままスラスラとセレンがまくしたてる。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って下さい!?」
まるで急いで追い出したいかのような物言いに、流石にサニーは辟易してセレンの言葉を押し止める。
このままではなし崩し的に、サニーの夜逃げが決定されてしまいそうだ。
「セレン、そんなに一度に申し上げてはサニーさんも困ってしまいますよ。少し落ち着きなさい」
シェイドが、自分の背後に控えるセレンを柔らかく嗜める。
「……失礼致しました」
忠実な使用人である彼女は、シェイドの言葉を素直に受け取り頭を下げた。
その一瞬、サニーを見詰める目が鋭く変化したが、サニーもシェイドもそれには気付かなかった。
「セレンが失礼しました、サニーさん」
サニーに向き直り、こほんと咳払いをひとつしながらシェイドが詫びる。
「しかし、セレンが申し上げた事には私も同意見です。これ以上、街の外からお越しになられた貴女を危険に晒す訳には参りません。とは言え、急に去れと迫るのも少々不人情な話ではあります」
シェイドは居住まいを正し、改めてサニーに向き直った。
「明日の昼、私自ら貴女を隣街までお送りしましょう」
「……っ!? シェイド様、それは……!」
サニーが答えるより先にセレンが口を挟みかけたが、彼女はそこで言い掛けた言葉を飲み込み、黙念と主人の背中を見詰める。
「私であれば、街の呪いは影響を及ぼしません。流石に祖母も、自分の子や孫まで呪いを掛ける程見境を無くしてはいませんでしたから。ですので、今夜一晩お身体をお休めになって、アンダーイーヴズを後になさるのは明日になさる……如何でしょうか?」
「それは……」
サニーは迷った。シェイドが厚意で言ってくれているのは分かる。客観的に見て、自分がこれ以上この街に居ない方が良いという事も、理屈では理解出来る。
しかしその一方で、サニーの好奇心や冒険心、あるいは良心が、彼女に囁きかけてくるのだ。
『こんな機会を逃す手は無い。この街が抱えていた秘密は思った以上だった。最後まで見届け、自分の作品に活かすべき!』
『それに、呪いで苦しむ人々の姿を実際にこの目で見たのだ。このまま見捨てるように尻尾を巻いて逃げ出したら、きっと後悔する。自分にも、呪いを解く為に出来る事が何かあるかも知れない。だったら……!』
打算や野心も大いに混じった不純な動機。しかしながら、そこには間違いなくサニー自身の良心も少なからず含まれている。
しばらく自問自答を続けるサニーを、シェイドは静かに見守っている。
そして、サニーがようやく心の中で答えを出して、それを口にしようとした時だ。
「シェイド様、そろそろお時間でございます」
セレンが、懐中時計を取り出しながらシェイドに近づき、彼にそれを見せる。
「ああ、もうそんな時間ですか。皆さんも、もうレーメ川の畔に集まっている頃ですね」
「あ、あのっ! これから何かあるんですか!?」
腰を浮かせたシェイドに、サニーは慌てて食いついた。
そんなサニーと対照的に、シェイドは静かに、そして哀悼するかのように答えた。
「《影送りの儀》が始まります。今日消えたアングリッドの『影』を、これから街の皆さんで追悼するのです」
アンダーイーヴズの呪い。その経緯を語り終え、シェイドは深く溜息をついた。
「そんな事が……! 四十年前のおばあさんの怨みが、今になっても尾を引いてるなんて……!」
予想を遥かに超えるとんでもない事実に、サニーの顔はどうしようもなく青ざめる。
「それで!? シェイドさんのおばあさんは今、何処に!?」
呪いを掛けた人物がはっきりしているのなら、その人に頼んで解呪してもらえば良い。サニーはすぐさまその結論に飛びつき、身を乗り出すようにシェイドに尋ねた。
しかし、それが甘い考えだと、直後に分からされる。
「亡くなりました。私が産まれて、まもなくして」
遣る瀬無いと言わんばかりにシェイドが首を振る。
「祖母は最期までこの街を怨み、呪いを残したまま世を去りました。祖父は、祖母が抱える心の闇に気付いていたようですが、愛した弱みでしょうか、祖母の所業を黙認したまま、祖母に先駆けて他界したと聴いています」
シェイドの祖父もまた、既にこの世の人ではない。その事実に、サニーの心は更に重くなる。
「これらの真実を私に教えてくれたのは、私の父です」
「シェイドさんのお父さん……。もしかしなくても、それってお話に出てきたフリエさんの子供……?」
「はい。父は魔女狩りの一件も、祖母の怨みも、街に施された呪いも、全てをその目で見てきた生き証人でした。父もまた、祖母を止める事が出来ず、アンダーイーヴズの人々が呪いで苦しむ様を歯痒い思いで傍観していたと言っていました」
シェイドが、手元のステッキに目を落とす。握りに嵌め込まれたブルー・ダイヤモンドが、主人の視線に応えるかのように青い輝きを反射した。
「祖母の《魔術》は強大で、実の子である父ですら太刀打ち出来なかった。父にも祖母の素質は受け継がれていましたが、祖母に比べれば微々たるものでしかありませんでしたから。しかしある時祖母は、自らの無力を苛む父にこのステッキを渡しました」
シェイドが、ブルー・ダイヤモンドをサニーに見えるようにステッキを掲げる。
「このブルー・ダイヤモンドこそ、祖母が万が一を考え保険の為に用意した、呪いへの唯一の対抗手段。この青いダイヤに込められた魔力は、人の心の闇を喰らって取り除く事が出来たのです。祖母はこれを父に手渡して、こう言いました」
すう、と。シェイドが一度大きく息を吸う。
「『そんなにこの穢れた街の住民を守りたいのなら、このステッキで怪物の影を喰らうと良い。お前自身の手で、あのケダモノ共に再び人の皮を被せてやれば良い。そして連中を絶望させろ。結局は残り僅かの余生を過ごす事になるのだと』」
淡々と語るシェイドだが、並べられた語句のひとつひとつから祖母の怨念が染み出してくるようだった。
「確か、心の闇を……自分の影を消された人は、あと数年しか生きられなくなるって……」
背筋に薄ら寒いものを覚えながら、サニーは先程のシェイドの言葉を思い出す。
「ええ。怪物化から逃れ、呪いの影響から脱しても、後に待ち受けるのは死のみです」
もう一度、シェイドは肺の空気を全て吐き出すような大きな溜息を吐いた。
「祖母は高をくくっていたのでしょう。父には呪いは解けないと。それで戯れに、怪物化した住民から自身を守る目的で作ったこのステッキを譲渡したんです」
「それで……お父さんはどうしたんですか?」
恐る恐る、慎重にサニーは問うた。
「父は、戦いました。祖母の思惑通りに。常に街の様子に気を配り、怪物化した人が出ればそれを祓う。自分に出来る事はそれだけだと思い定めて。先年に亡くなるまで、ずっと」
「お父さんも、お亡くなりに……!?」
「はい……。病にて……。私は父から全てを聴き、そして役目を受け継いだのです」
シェイドが顔を上げる。サニーに向けられた彼の形の良い目には、強い決意と覚悟が顕れていた。
「私は、父の無念を晴らしたい。祖母の呪いを解き、街を救いたいのです」
力を込めてそう語るシェイドの表情には、一切の迷いも怯えも無かった。
「今日のアングリッドや、ベニタさんのような人をもう生み出したくありません。祖母が受けた仕打ちがいくら理不尽で怖ろしいものであったとは言え、あれからもう四十年です。祖母自身も既にこの世を去り、当時の人々も今では殆どが亡くなり、あるいは引退して街の人々は次の世代に替わっています。今を生きる彼らに罪は無いのです。もう、アンダーイーヴズは許されても良い頃でしょう?」
そのシェイドの問いかけは、目の前のサニーや端に控えるセレンに向けられたものであると同時に、彼女達以外の誰かにも届けたいという意図が込もったものだったであろう。彼の透き通った瞳はサニーを通して別の何かを……今はもうこの世に居ない、自分の祖母を視ているのかも知れない。
「……分かります。あたしも、シェイドさんが正しいと思います。おばあさんの話は不憫に思うけど、結局は息子さん共々無事だったんだし、こんなに長く怨みや憎しみを街に向け続けるのも、復讐としてはちょっとどうかな? って思いますし」
「ご理解頂けたようで何よりです」
と、それまで黙って主人とサニーのやり取りを見守っていたセレンが、唐突に声を掛けてきた。
「それでは、今夜にでもこの街をお立ち下さい、サンライト様。アンダーイーヴズがどれほど危険かという事は、よくよくご納得頂けた筈。貴女様のご安全の為にも、早々にご出立されるのが望ましかろうと思われます。一番近場の村までであれば、この街でも夜中に馬車が走っています。まずはそこまで行き、それからその村で新たな足を確保なさるのが宜しいでしょう」
立て板に水というように、冷たい無表情を保ったままスラスラとセレンがまくしたてる。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って下さい!?」
まるで急いで追い出したいかのような物言いに、流石にサニーは辟易してセレンの言葉を押し止める。
このままではなし崩し的に、サニーの夜逃げが決定されてしまいそうだ。
「セレン、そんなに一度に申し上げてはサニーさんも困ってしまいますよ。少し落ち着きなさい」
シェイドが、自分の背後に控えるセレンを柔らかく嗜める。
「……失礼致しました」
忠実な使用人である彼女は、シェイドの言葉を素直に受け取り頭を下げた。
その一瞬、サニーを見詰める目が鋭く変化したが、サニーもシェイドもそれには気付かなかった。
「セレンが失礼しました、サニーさん」
サニーに向き直り、こほんと咳払いをひとつしながらシェイドが詫びる。
「しかし、セレンが申し上げた事には私も同意見です。これ以上、街の外からお越しになられた貴女を危険に晒す訳には参りません。とは言え、急に去れと迫るのも少々不人情な話ではあります」
シェイドは居住まいを正し、改めてサニーに向き直った。
「明日の昼、私自ら貴女を隣街までお送りしましょう」
「……っ!? シェイド様、それは……!」
サニーが答えるより先にセレンが口を挟みかけたが、彼女はそこで言い掛けた言葉を飲み込み、黙念と主人の背中を見詰める。
「私であれば、街の呪いは影響を及ぼしません。流石に祖母も、自分の子や孫まで呪いを掛ける程見境を無くしてはいませんでしたから。ですので、今夜一晩お身体をお休めになって、アンダーイーヴズを後になさるのは明日になさる……如何でしょうか?」
「それは……」
サニーは迷った。シェイドが厚意で言ってくれているのは分かる。客観的に見て、自分がこれ以上この街に居ない方が良いという事も、理屈では理解出来る。
しかしその一方で、サニーの好奇心や冒険心、あるいは良心が、彼女に囁きかけてくるのだ。
『こんな機会を逃す手は無い。この街が抱えていた秘密は思った以上だった。最後まで見届け、自分の作品に活かすべき!』
『それに、呪いで苦しむ人々の姿を実際にこの目で見たのだ。このまま見捨てるように尻尾を巻いて逃げ出したら、きっと後悔する。自分にも、呪いを解く為に出来る事が何かあるかも知れない。だったら……!』
打算や野心も大いに混じった不純な動機。しかしながら、そこには間違いなくサニー自身の良心も少なからず含まれている。
しばらく自問自答を続けるサニーを、シェイドは静かに見守っている。
そして、サニーがようやく心の中で答えを出して、それを口にしようとした時だ。
「シェイド様、そろそろお時間でございます」
セレンが、懐中時計を取り出しながらシェイドに近づき、彼にそれを見せる。
「ああ、もうそんな時間ですか。皆さんも、もうレーメ川の畔に集まっている頃ですね」
「あ、あのっ! これから何かあるんですか!?」
腰を浮かせたシェイドに、サニーは慌てて食いついた。
そんなサニーと対照的に、シェイドは静かに、そして哀悼するかのように答えた。
「《影送りの儀》が始まります。今日消えたアングリッドの『影』を、これから街の皆さんで追悼するのです」