ひとつひとつに意味がある?
ゆるやかな坂になり、カーブを曲がると日当たりがよくなった。
白い花まるで満開。梅だ。たぶん梅だと思う。梅なんじゃないかな。桜にはまだ早いから。よく考えたら梅と桜の違いってなんだっけ。知ってるよ知ってる。でも、あらためて説明しなければならなくなったとしたら、なんて説明する?
受験勉強と似ている。
だいたい、わかった。わかってる。じゃあ、いざ『説明してごらん』って言われて説明できないことが本当に多かった。授業を聞いて、ノートをとって、週末のテストを受けて、答え合わせと解説も聞いて復習する。そこまでしていても説明できないことは多々あった。
はーっ。白い息。
『マスクつけなさい』って言われるんだけど、マスクつけてるとできなくなることって、いろいろある。
鼻水ツツーってなったとき、ティッシュで迅速に対処できなくなる。
よほど意識してコントロールしていないと、自然な呼吸スタイルのままではマスク内部に水滴が発生する。
それも、一滴や二滴なんてレベルじゃない。どっと、つととととーって水流レベルだ。
だかんらマスクをつけたり、はずしたり。
で、うっかり「あ!」って落としてしまったりって最悪だよ。
ごめん、おれそういうの気にしたくないんだ。
だからマスクは常に複数枚数を持ち歩いている。
もしも、うっかり「あ!」っていう事態になったとしても。
気に病むより早く新しいマスクを取り出すために。
「うわっ。落としちゃったよ最悪こんなの縁起悪いよ」って思うよりも早くマスクを取り出せるように。
スピーディーに行動すれば、最悪だなんて思わずに済む。
清潔なマスクなら安心だし。
だけどさ、だけどな?
いままでいったい何回そういうミスを繰り返したんだっけな。
つまり。
おれは、よく落とした。マスクを。雑踏で駅のホームで改札口を通過するとき。塾のロビーで会談で教室で。なにげなく油断した喫茶店の席で。
あのときの絶望といったらもう。
しっかりマスクをしてスーハー呼吸いつものようにしているだけ、なのにマスクの内側がびっしょり。しかも、なんだろう、なんていうのかな。マスク生地そのものなのか唾液の匂い?
もしかして濡れちゃったのか。
と、マスクを片耳にかけた状態でティッシュで拭くと湿る。マスクの内側は見た目なんともないのに。薄いティッシュペーパーでササッとこすると、ほんのり湿る。なんなら部分的に、びしょ濡れだ。
外出するとき、いつもマスクは一枚だけ渡されていた。
これじゃ足りないんだよ、と説明しても納得してもらえなかったけど。
いまではこうしてポケットにもカバンにも予備がある。
根気よく両親と交渉し続けたおかげだ。
もちろん、おれだけの成果ではない。実際に中学受験を体験していた姉の応援が大きい。姉がおれに味方してくれるとき、両親は初めて聞く耳を持ってくれるのだから。
ひどいよホントまったく。
って、なんだか地図で見て想像していたのと違う感じがしてきたな。
日当たりのいい坂道が直線になって、目指す方向の先に巨大なゲートが見えてきた。
たしかに、学校の隣が寺院ではあるけれど。
なぜだろう、なぜかわからないが。
とてつもなく巨大きわまりなく見える。
お寺なら、うちの近所にもある。たくさん。そみこそこ大きな寺院や長い階段だって歩いたことがある。けれども、その比ではない。
比較対象外級に圧倒されてしまう。しかもまだ、こんなに離れているというのに。
目の前に着いたら、どんだけ大きいことやら。
おれは目をそらした。足元に注意する。なんていうことのない舗装された道路になっていた。アスファルトの段差で、そっちが車。こっちが歩行者。あらためて確認している自分がいた。ほとんど注意することなく無意識に足が自動的に進んで進んで進んでいる。もはや、おれの気持ちも意志もおかまいなしに。
あ。
なんかビルっぽいのが見えた。
と、認識すると、それはもうハッキリと校舎だと理解できる。
徒歩15分、じゃなかったっけ?
気分的には5分くらいしか歩いていないはず。
それとももうすでに時間が経過している?
左腕に時計があるけれど、よそ見をしたくなくてそのまま歩いた。
白い花まるで満開。梅だ。たぶん梅だと思う。梅なんじゃないかな。桜にはまだ早いから。よく考えたら梅と桜の違いってなんだっけ。知ってるよ知ってる。でも、あらためて説明しなければならなくなったとしたら、なんて説明する?
受験勉強と似ている。
だいたい、わかった。わかってる。じゃあ、いざ『説明してごらん』って言われて説明できないことが本当に多かった。授業を聞いて、ノートをとって、週末のテストを受けて、答え合わせと解説も聞いて復習する。そこまでしていても説明できないことは多々あった。
はーっ。白い息。
『マスクつけなさい』って言われるんだけど、マスクつけてるとできなくなることって、いろいろある。
鼻水ツツーってなったとき、ティッシュで迅速に対処できなくなる。
よほど意識してコントロールしていないと、自然な呼吸スタイルのままではマスク内部に水滴が発生する。
それも、一滴や二滴なんてレベルじゃない。どっと、つととととーって水流レベルだ。
だかんらマスクをつけたり、はずしたり。
で、うっかり「あ!」って落としてしまったりって最悪だよ。
ごめん、おれそういうの気にしたくないんだ。
だからマスクは常に複数枚数を持ち歩いている。
もしも、うっかり「あ!」っていう事態になったとしても。
気に病むより早く新しいマスクを取り出すために。
「うわっ。落としちゃったよ最悪こんなの縁起悪いよ」って思うよりも早くマスクを取り出せるように。
スピーディーに行動すれば、最悪だなんて思わずに済む。
清潔なマスクなら安心だし。
だけどさ、だけどな?
いままでいったい何回そういうミスを繰り返したんだっけな。
つまり。
おれは、よく落とした。マスクを。雑踏で駅のホームで改札口を通過するとき。塾のロビーで会談で教室で。なにげなく油断した喫茶店の席で。
あのときの絶望といったらもう。
しっかりマスクをしてスーハー呼吸いつものようにしているだけ、なのにマスクの内側がびっしょり。しかも、なんだろう、なんていうのかな。マスク生地そのものなのか唾液の匂い?
もしかして濡れちゃったのか。
と、マスクを片耳にかけた状態でティッシュで拭くと湿る。マスクの内側は見た目なんともないのに。薄いティッシュペーパーでササッとこすると、ほんのり湿る。なんなら部分的に、びしょ濡れだ。
外出するとき、いつもマスクは一枚だけ渡されていた。
これじゃ足りないんだよ、と説明しても納得してもらえなかったけど。
いまではこうしてポケットにもカバンにも予備がある。
根気よく両親と交渉し続けたおかげだ。
もちろん、おれだけの成果ではない。実際に中学受験を体験していた姉の応援が大きい。姉がおれに味方してくれるとき、両親は初めて聞く耳を持ってくれるのだから。
ひどいよホントまったく。
って、なんだか地図で見て想像していたのと違う感じがしてきたな。
日当たりのいい坂道が直線になって、目指す方向の先に巨大なゲートが見えてきた。
たしかに、学校の隣が寺院ではあるけれど。
なぜだろう、なぜかわからないが。
とてつもなく巨大きわまりなく見える。
お寺なら、うちの近所にもある。たくさん。そみこそこ大きな寺院や長い階段だって歩いたことがある。けれども、その比ではない。
比較対象外級に圧倒されてしまう。しかもまだ、こんなに離れているというのに。
目の前に着いたら、どんだけ大きいことやら。
おれは目をそらした。足元に注意する。なんていうことのない舗装された道路になっていた。アスファルトの段差で、そっちが車。こっちが歩行者。あらためて確認している自分がいた。ほとんど注意することなく無意識に足が自動的に進んで進んで進んでいる。もはや、おれの気持ちも意志もおかまいなしに。
あ。
なんかビルっぽいのが見えた。
と、認識すると、それはもうハッキリと校舎だと理解できる。
徒歩15分、じゃなかったっけ?
気分的には5分くらいしか歩いていないはず。
それとももうすでに時間が経過している?
左腕に時計があるけれど、よそ見をしたくなくてそのまま歩いた。