うろうろしたいや
もしも窓に近づいたなら、地上までの高さがわかるだろう。
わかったからといって、どうというわけでも。知りたいわけでもないけれど。
気分うろうろ、自由気まま。
体まで放浪しちゃうと不自然になるよな。場合によると目をつけられる。
誰に?
と脳内で疑問符。誰に目をつけられるって?
目をつけられたら困ることでも?
あるよ。
そりゃ、ある。目をつけられて、いいことなんてあったっけ。さまざまな反省点が断片的によみがえり冷静なおれを狂わせようとする。
ああ、そうだ。そうなんだよ。
もったいない…っていうのとも違うけど、まっすぐ自分の席に行きたくない。
目的地は明確。ここは入学試験の会場。自分の席が決まってる。わりふられている受験番号は記憶してある。仮に記憶が違っていても、数値的には誤差の範囲。
いまカバンから受験票を取り出して確認してもいいだろう。
覚えていたのと違っていたなら、いまこそ訂正すればいい。
それだけのことさ。
窓から陽射しが入ってくるわけじゃないのに、解放感あふれる眺めだった。
葉を散らして枝と幹だけの姿は、おおきな木であればあるほどカッコいい。
おおきくて圧倒的だが、細く伸びている無数の枝ぶりは繊細に思える。
あの木、登ったら気持ちいいだろうな。
入学できたら、そんなこともできるのか。
いや、そもそも木登りは禁止されているかもしれない。
それに。
制服で木に登る状況をイメージできなかった。
できなかったけど、やれたらいいな。やれたらいいのに。と少し思った。思いながら、
『あ。そこ、おれの席』
と発見する。
まだ誰も座っていないのは当然として、教室全体的にも人まばら。パラパラだよ。少ないね。
おれの席ここかあ、と少しだけ通り過ぎる。そのままゆっくり階段教室の傾斜を登っていく。いきつくところで振り返れば、騒々しいくらいに広々とした教室空間だった。
誰かが話しているわけでもなく、機器がうねりをあげているわけでもない。なのに騒々しい。
無言の静寂が、けたたましく感じられて。急に呼吸が苦しくなった。胃が焼けそう、なにやら熱いものを感じる。不調でもなく不具合でもない、いたって正常稼働の体。
そうだ。
おれは緊張している。
なのにリラックスしてもいる。
相反することが同時に、この体ひとつに発生中。
息を吐くのがツライ。誰かに見られている気がしたけれど、おれが階段教室いちばん高い場所ひとりいるだけだ。根拠のない視線。見渡す空間。
こうしていても時間はリズム刻んで過ぎている。
試験開始まで余裕ありずきて、なにがなにやらもてあましそう。
ひとつ、傾斜を逆戻り。板張り小さ目の段差つまづかないように意識しながら戻る。
ほら、そこ。そこだよ、おれの席は。
ああ、でもまた座りたくない。このまま通り過ぎてしまいたい。
と脳内ひとりごと状態のまま、本当に通り過ぎた。
ふーっ
深呼吸。ためいきじゃないよ。ふーっ。深く長い吐息ひとつ。黒板の前で立ち止まり、ふたたび振り返った。
すでにもう座っている受験生がいる。目が合わない。誰も、おれなんて気にしてないか。おれは気にしてる?
気にしてるっていうか、誰か知ってる顔ないかなって。
たとえば塾で一緒だった誰か。模試会場で隣になって、ひとことふたことだけ会話したことのある誰か。とか。
知ってるひと、いないかなって。いない、ってすぐわかった。
まだ来ていないだけかもしれない。
黒板まわりにチョークが転がっている。無言のイレイサーもある。当たり前かもだけど窓が閉められているから風が入ってくるはずない。
なのに風を、ときどき感じた。なぜだろう。
さっき教室いちばん後ろに行ったとき、わずかながら上昇気流を感じた。
黒板のところまで降りてきた瞬間も、背中に冷ややかな空気の流れがあったし。
カメラがあるなら写真に撮りたい。メガホンあるなら、わめきたい。
おれは黙って自分の席、と思われる場所に。
着席した。
カバンから受験票を取り出す。
間違ってないよ、記憶と番号。ここでいい。この席が、おれの戦うスペース。
隣、ひとりぶん、いや、ふたりぶんくらい離れているな。
広い。広いというより、狭くない。つまり、息苦しさがなくて心地いい。
なにげな呼吸ひとつ、息を吸うとき吐くとき、音がする。おれの耳にも届く。自分の呼吸と足から骨伝いに頭蓋骨まで届く振動。
筆箱、出しておくか。
まだ早い気がするけどさ。
カバンから筆箱を取り出すとき、鉛筆と鉛筆がこすれる音が小さく聞こえた。
ますます耳が研ぎ澄まされる。耳だけ敏感になって、皮膚呼吸の音さえ感じられそうだった。
が!
教室ここにいる誰からも、こういう音は聞こえてこなかった。
まるで無音に調整されていくように。吸収されて平坦化し、なんの問題も存在しない清浄な空間に落ち着こうとしているみたいだった。
広げてもいいように机の上を整える。たとえばノート、豆サイズの参考書。いちおう持ってきた。持ってきたけれど見るためではない。読むためでもない。むしろカバンからは取り出さずに済ませるつもり、それくらいの気持ち。
おまもりみたいなものか。
おれは、やれるだけのことをやってきて今ここにいる。
じゅうぶんだろう?
いまから新しく覚えても。
いまさら新たに疑問が出ても。
奇跡的に試験問題と重なるんだとしても。
じゅうぶんだよ、もう。おれはノートも参考書も取り出さない。
筆箱を持ち、軽く振った。からから音がした。
わかったからといって、どうというわけでも。知りたいわけでもないけれど。
気分うろうろ、自由気まま。
体まで放浪しちゃうと不自然になるよな。場合によると目をつけられる。
誰に?
と脳内で疑問符。誰に目をつけられるって?
目をつけられたら困ることでも?
あるよ。
そりゃ、ある。目をつけられて、いいことなんてあったっけ。さまざまな反省点が断片的によみがえり冷静なおれを狂わせようとする。
ああ、そうだ。そうなんだよ。
もったいない…っていうのとも違うけど、まっすぐ自分の席に行きたくない。
目的地は明確。ここは入学試験の会場。自分の席が決まってる。わりふられている受験番号は記憶してある。仮に記憶が違っていても、数値的には誤差の範囲。
いまカバンから受験票を取り出して確認してもいいだろう。
覚えていたのと違っていたなら、いまこそ訂正すればいい。
それだけのことさ。
窓から陽射しが入ってくるわけじゃないのに、解放感あふれる眺めだった。
葉を散らして枝と幹だけの姿は、おおきな木であればあるほどカッコいい。
おおきくて圧倒的だが、細く伸びている無数の枝ぶりは繊細に思える。
あの木、登ったら気持ちいいだろうな。
入学できたら、そんなこともできるのか。
いや、そもそも木登りは禁止されているかもしれない。
それに。
制服で木に登る状況をイメージできなかった。
できなかったけど、やれたらいいな。やれたらいいのに。と少し思った。思いながら、
『あ。そこ、おれの席』
と発見する。
まだ誰も座っていないのは当然として、教室全体的にも人まばら。パラパラだよ。少ないね。
おれの席ここかあ、と少しだけ通り過ぎる。そのままゆっくり階段教室の傾斜を登っていく。いきつくところで振り返れば、騒々しいくらいに広々とした教室空間だった。
誰かが話しているわけでもなく、機器がうねりをあげているわけでもない。なのに騒々しい。
無言の静寂が、けたたましく感じられて。急に呼吸が苦しくなった。胃が焼けそう、なにやら熱いものを感じる。不調でもなく不具合でもない、いたって正常稼働の体。
そうだ。
おれは緊張している。
なのにリラックスしてもいる。
相反することが同時に、この体ひとつに発生中。
息を吐くのがツライ。誰かに見られている気がしたけれど、おれが階段教室いちばん高い場所ひとりいるだけだ。根拠のない視線。見渡す空間。
こうしていても時間はリズム刻んで過ぎている。
試験開始まで余裕ありずきて、なにがなにやらもてあましそう。
ひとつ、傾斜を逆戻り。板張り小さ目の段差つまづかないように意識しながら戻る。
ほら、そこ。そこだよ、おれの席は。
ああ、でもまた座りたくない。このまま通り過ぎてしまいたい。
と脳内ひとりごと状態のまま、本当に通り過ぎた。
ふーっ
深呼吸。ためいきじゃないよ。ふーっ。深く長い吐息ひとつ。黒板の前で立ち止まり、ふたたび振り返った。
すでにもう座っている受験生がいる。目が合わない。誰も、おれなんて気にしてないか。おれは気にしてる?
気にしてるっていうか、誰か知ってる顔ないかなって。
たとえば塾で一緒だった誰か。模試会場で隣になって、ひとことふたことだけ会話したことのある誰か。とか。
知ってるひと、いないかなって。いない、ってすぐわかった。
まだ来ていないだけかもしれない。
黒板まわりにチョークが転がっている。無言のイレイサーもある。当たり前かもだけど窓が閉められているから風が入ってくるはずない。
なのに風を、ときどき感じた。なぜだろう。
さっき教室いちばん後ろに行ったとき、わずかながら上昇気流を感じた。
黒板のところまで降りてきた瞬間も、背中に冷ややかな空気の流れがあったし。
カメラがあるなら写真に撮りたい。メガホンあるなら、わめきたい。
おれは黙って自分の席、と思われる場所に。
着席した。
カバンから受験票を取り出す。
間違ってないよ、記憶と番号。ここでいい。この席が、おれの戦うスペース。
隣、ひとりぶん、いや、ふたりぶんくらい離れているな。
広い。広いというより、狭くない。つまり、息苦しさがなくて心地いい。
なにげな呼吸ひとつ、息を吸うとき吐くとき、音がする。おれの耳にも届く。自分の呼吸と足から骨伝いに頭蓋骨まで届く振動。
筆箱、出しておくか。
まだ早い気がするけどさ。
カバンから筆箱を取り出すとき、鉛筆と鉛筆がこすれる音が小さく聞こえた。
ますます耳が研ぎ澄まされる。耳だけ敏感になって、皮膚呼吸の音さえ感じられそうだった。
が!
教室ここにいる誰からも、こういう音は聞こえてこなかった。
まるで無音に調整されていくように。吸収されて平坦化し、なんの問題も存在しない清浄な空間に落ち着こうとしているみたいだった。
広げてもいいように机の上を整える。たとえばノート、豆サイズの参考書。いちおう持ってきた。持ってきたけれど見るためではない。読むためでもない。むしろカバンからは取り出さずに済ませるつもり、それくらいの気持ち。
おまもりみたいなものか。
おれは、やれるだけのことをやってきて今ここにいる。
じゅうぶんだろう?
いまから新しく覚えても。
いまさら新たに疑問が出ても。
奇跡的に試験問題と重なるんだとしても。
じゅうぶんだよ、もう。おれはノートも参考書も取り出さない。
筆箱を持ち、軽く振った。からから音がした。