残酷な描写あり
6-2 第二回・波音とご飯
「それで?日和、何買うの?」
「んー、どうしよう……」
放課後、商店街まで買い物に来ていた日和は早速小さな壁に衝突していた。
家にあるものは"あるもの"として作って食べたが、今から買うものは"日和が食べたい物"だ。
自分というたった一人の食事の為に『今から買い物をする』という行為は、自分が食べたいから購入し、作り、食べるものである。
しかし残念ながらこの金詰日和という人間は、好物も無ければ食べたい物や作りたい物があるという欲もない。
つまり予め決められた献立ならば作れるが、そうでなければまず買うものすら選べないという問題に直面していた。
「……どうしたのよ?」
「えっと、何を作ったらいいか、その、自分の食事は何でもいいやって思ってしまって……」
「ふぅん。じゃあ私、麻婆豆腐が良いわ」
「えっ?」
悩む日和に波音は眉間に皺を寄せた顔を向ける。
それから放たれた突然のリクエストに、日和は波音に見開いた視線を向けた。
「何よ。今日は貴女送って、町を回って、帰って夕食にするから、先に貴女の家で食事してしまえば楽に終わるでしょう? 貴女も気兼ねなく食事を作ってハイ終わり、良いじゃない」
隣の波音があまりにも真面目な表情で言うので少し驚いた。
それと同時に日和の口元が少し緩んだ。
「じゃ、じゃあ……麻婆豆腐なら豆腐と挽肉と……あ、葱いるよね! あと――」
波音は買い物に意欲を見せ始めた日和の姿をじっくりと見る。
夕食の献立の提案をしたら心なしか、日和の動きが早くなった。
波音も買い物カゴに自分の物を少し混ぜながら日和についていく。
そんな日和はどことなく嬉しそうで、楽しそうで、その姿を見ている自分は思っている以上にこの状況を楽しんでいる。
気難しい波音の性格に、この日和とかいう不思議な少女は友達として合っているのかもしれない。
「一袋、持つわよ?」
「大丈夫ですよ。手伝ってくれてありがとうございます」
日和の声が敬語ではあるが、いつもより少し高めに感じる。
今までは感情を抑えつけているのかと思ったが、案外出てこないだけなのかもしれない。
自分が高圧的に抑えつけてしまうので、そう感じるだけなのかもしれないが。
買い物を終えて日和と歩きながら、視線や意識は周囲に向く。
今の所怪しい気配や影は無い。
夕方は既に妖が蔓延ってもおかしくない時間だ。
意識はできるだけ遠く、しかし日和には悟られない範囲で、じんわりと熱くなっていく手を気にしながら歩く。
術士はこうして移動しながら妖の気配を探る。
術士の中では『巡回』と呼ばれる仕事の一つであり誰もがやる事だが、波音はこれが一番苦手だった。
「あっ、波音」
「うっ、ん?どうしたのよ、日和……」
唐突に名前を呼ばれた波音は驚いて声が上ずった。
思わず何事も無かったかのように取り繕う。
「麻婆豆腐は辛い方が好きですか?」
「そ、そうね、辛い方が好みよ」
「分かりました。麻婆豆腐ならすぐに出来るので、じゃあご飯を先に炊いて……――」
――ふぅ。
小さいため息が口から洩れた。
もしかしたら強い力を出すと日和は術士としての活動をしていると気付いてしまうかもしれない。
一応今は友人として隣に立っているつもりなのに。
そう思ってついつい隠れて仕事をしてしまっているが、こういう事を幼少の時から玲がやっていたと思うと、気が遠くなる。
そもそも波音は事前に用意して動くよりも、最初から居るのを前提に動いた方が格段に速いし、意識も威力も上がる。
元々火の力とは均一性に配慮した持続が難しい。
よって、こうして話しかけられたりすると一気に集中が削げてしまって、再点火に時間がかかってしまう。
正直一番苦手とする範囲ではある為に、中々に難しい。
一度掻き消えてしまった範囲を半径30m程、やっと伸ばした。
先ほどまでは200mほどは捕らえたのにやはり遅く、時間がかかってしまう。
思わずため息が漏れそうだ。
そこへ、何かが触れた。
(……妖!?)
後方35mほど先、不意に波音は後ろを振り向く。
「……?波音、どうかした?」
道の先には、誰もいない。
脚の止まる波音に気付いた日和は波音を見ていた。
「……ごめんなさい、なんでもないわ。気のせいだったみたい」
「そうですか、なら良かったです」
また力の意識が消えてしまった。
(後は安全に日和を送って、ご飯をご馳走になってもう一度意識を張ろう……)
抱えそうになった頭を振り払って、波音は揚々と歩く日和を眺めたところでスマートフォンが鳴った。
鞄から取り出し画面を見ると、連絡が一つ入っている。
『あとは僕達に任せてくれればいいから、そのまま日和ちゃんをよろしくね』
どうやらさっきの気配は玲だったらしい。
しかし地図画面に玲のアイコンは無かった。
一体あいつはどこからその気配を張り巡らせているんだか。
どうせ規格外に違いない。
安堵からか、少しだけ波音の心が温かく、ぼわりと燃え広がった。
無事、日和の家に着くと彼女は早速お米を焚く準備を始めた。
「あぁー……やっぱり良いねぇ。台所で料理をする、若いお母さん!」
いつの間にか式が勝手に前回座っていた椅子に腰かけていた。
しかも食べる気満々。
ちゃっかり大きな姿になっている。
「そんな事ないですよ。そういうのって、良いんですか?」
「日和、こんな頭オジサンの奴の耳を貸さなくていーの。何か手伝いましょうか?」
「いえ、大丈夫です。よし、あとはお米炊いてる間に作ってしまいましょうか」
手慣れているのか、日和の準備は早い。
これなら炊ける前に出来るだろう、と波音は椅子に腰かけた。
その姿を見る焔はくすりと笑う。
「ところで波音、さっきのだけど……駄目だろう? 集中を切らしたら」
「う゛っ、わ、わかってるわよ……! 切れちゃったんだもの、仕方ないじゃない……!!」
焔に指摘され、図星である為に少しだけ苛立ちが出た。
苦手な物は苦手ではいられない。
特に焔の役目が終わるまでには、少しだけでも苦手を削らなければならない。
特に自分は、周りの術士とは少し違うのだから。
「あまりにも難しいなら蓮深様にお伝えしようか?」
にこりと気持ち悪く微笑む焔にぞわりと寒気がした。
脳裏には厳しい表情で着物に身を包む母の姿がちらつく。
「冗談じゃないわ。なんでそこでお母様が出てくるのよ。このお母様びいきめ」
「そうやってトゲトゲしてる間ならまだ頑張れそうだね。日和ちゃんの為に力をつけるんだろう? 良い機会じゃん」
「は? 黙ってなさいよ。どうでもいいけどなんで今回も手料理を食べようとしているの? 少し図々しいんじゃなくて?」
図星からの苛立ちが半分と、八つ当たりがもう半分弱、残りが母上の名前が挙がった事で、思いっきり言葉がきつくなってしまった。
でもこの男はその全てを受け取るので余計に腹が立つ。
「良いじゃないか。波音の好きな麻婆豆腐、美味しいと良いね。俺も食べたいよ……――あ、もしかして独り占めしたかった?」
「はっ!?ばっかじゃないの!?黙らないと消すわよ!!」
煽ってると分かっていても、苛立ちに乗せられ思わず立ち上がる。
まずい、声を上げ過ぎた。
「ん、どうしたんですか?波音……あ、焔さんこんばんは」
日和は料理に集中していたらしく、焔にやっと気付いて朗らかに笑いかける。
寧ろさっき普通にお話してたじゃない?
そう言いたくなったが、それほどまでに日和は夢中になって料理をしていたのかもしれない。
心の中で突っ込みを抑え込むと、ふわりと中華独特の少し刺激のある匂いが漂ってきた。
日和が作る麻婆豆腐はそこそこに辛みがあることを訴えている。
もしかしたらかなり本格的なものなのかもしれない、口の中の唾液がすぐに溢れた。
「ごめんごめん。こんばんは、日和ちゃん。波音で遊んでたらちょっと怒らせちゃっただけだから気にしないで」
「焔さんと波音は仲が良いんですね」
「どこをどう取ったらそうなるのかしら……?」
日和の言い方もどことなく気に入らなかったが、今は気にする必要はない。
それよりも私の式のクセして人の神経を逆撫でするような態度は相変わらず気に入らない。
私の力のどの部分を取ったらそんなくそったれな性格になるのか、誰か説明して欲しいくらいだ。
……麻婆豆腐、美味しそうだな。
「ん、しょと。あとはご飯出来るの待つだけですね」
あらかた作業を終えたのか、日和はフライパンにかかる火を止めた。
そして小さく微笑みながらこっちにやってくる。
「本当に作るの早いわね」
「何度も作ってるので。波音は何時に……その、街に出ます?」
「んー、さっき、今日は休むよう言われちゃったから適当に帰るわ。ついでに軽く見回る程度にするつもりよ」
嘘を言っても仕方がない。
ここは正直に伝えておこう。
すると心なしか日和の表情が笑った気がした。
「そっか……じゃあゆっくりできるね。いつも何時くらいに家に戻るの?」
「その日によるわ。早ければ20時か21時、遅くて日が変わる手前くらい、長引いて2時くらいかしら?」
「そんな真夜中まで……」
日和の表情が歪んだ。
思ったより忙しい、そう思われているのだろうか。
「あいつらは大体夕方に出るからそんな遅くなることは滅多にないわよ。遅く出てくる妖は大体大人が出すもので、基本的に雑魚だしね」
「そうなの?大人だと弱いの?」
「ほら、大人はもう色々経験してるから感情そこまで溜め込まないし、溜め込んでも自分である程度は発散できるでしょう? だから基本生まれても雑魚なのよ。
一方子供や思春期くらいの私達はそういうものを中々認められないから溜め込んで、そのまま妖を生むんじゃないか、って師隼は言ってるわね」
日和は「なるほど……」と言葉を漏らす。
納得はしているようで、確認するように何度も頷いている。
「ここで生まれる妖はそこそこ強いけど、他所から来た妖はもっと強いわよ。何せ他所が殺り損ねた妖だから」
「他所から? 出てくるのはここだけじゃないんだ……」
「そりゃ、人間がいる場所ならどこにでも出るわよ。ただ、この地がちょっと特殊なだけね」
「特殊?」
首を傾げる日和に説明の続きをしようとしたら、隣の影が揺れた。
人差し指を立てて焔が口を開く。
「この地は妖の集まる場所なんだ。勿論さっきも言った通り、ここでも妖は生まれるよ。でも各地で生まれ、討伐されずここまで流れてくる妖はその過程で成長し、最終的に女王へ成長する。この地には一番強い術士と妖の存在しかいないんだよ」
にこりと隣で微笑む焔がなんとも腹立たしい。
まったく、コイツは……。
「女王……前も聞いたけど、波音は出会った事あるの?」
「昔、一度だけ会ったわ。私がまだ小学生の頃で……まだお母様がまだギリギリ現役をしていた頃に、ね」
苦しい過去を少し思い出して傷心に浸りかけた。
こんなもの、即行で記憶の奥底に沈めなくてはいけない。
気持ちを入れ替えていると、丁度炊飯器から軽快な音楽が鳴った。
「――あ、鳴りましたね。今よそいますね」
日和は炊飯器を開け、ご飯をよそうとそのまま机に並べていく。
そして大きな深皿に麻婆豆腐を入れ、中央に置いた。
セットで準備していたらしいスープ餃子も3皿準備し、それもご飯と一緒に並び……見事な中華セットが出来上がったようだ。
「お待たせしました。では食べましょうか」
「いただきます」「いただきまーす」
日和の声に合わせて、私と焔の声が被った。
些か気に食わないが、平然を装って日和特製の麻婆豆腐を口に入れる。
「ん――!」
「わぁ……これは美味しい」
口に入れた瞬間、花椒と黒胡椒の香りがふわりと鼻を通った。
すぐにコクのある深い味わいが来た、と思ったら唐辛子特有の痛みに似た辛みが襲う。
挽肉も粗挽きの物を選んだからか、ごろごろと食感が楽しく、一方豆腐は絹なので優しく喉を通っていく。
見た目も真っ赤で辛そうだが、葱の緑が良い色合いで散りばめられている。
とろっとした熱々の餡がさらに食欲を増加させ、期待以上の麻婆豆腐が目の前にあった。
正直に店に出てても可笑しくないレベルである。
隣では焔がいつも以上に笑顔になって頬張っていた。
「すごいわね、とても美味しいわ」
「本当?嬉しい! おじいちゃんにはいつもここまで辛くしないからどうかなって。好評みたいで良かった」
素直に褒めると日和はにこりと笑顔を見せていた。
思った以上に美味しかったのもあり、皆無言で食べ進める。
ご飯に合う味なのもあり、あっという間に焔と並んでおかわりをしてしまった。
「……なんか、一瞬で無くなったね。いつもはおじいちゃんと食べてたから、ありがとう」
そう言って満足そうな日和はぺこりと頭を下げた。
やはり素直に店に出てくるレベルだった。
こうなると他の料理も美味しいのだろうか……?とつい期待にあふれてしまう。
「ううん、こちらこそ良いご馳走だったわ。ありがとう。……日和が良かったら、また食べたいわ」
「えっ……! じゃあ食べたくなったら言ってね、また作るから」
「ふふふ、楽しみにしているわ」
目の前の日和はいつも以上に嬉しそうだ。
思えば、今日一日は朝から珍しい姿ばかりを見ていたかもしれない。
まだ見たこともない一面を見ている気持ちになって、それはそれで私も楽しい気分だ。
「んー、どうしよう……」
放課後、商店街まで買い物に来ていた日和は早速小さな壁に衝突していた。
家にあるものは"あるもの"として作って食べたが、今から買うものは"日和が食べたい物"だ。
自分というたった一人の食事の為に『今から買い物をする』という行為は、自分が食べたいから購入し、作り、食べるものである。
しかし残念ながらこの金詰日和という人間は、好物も無ければ食べたい物や作りたい物があるという欲もない。
つまり予め決められた献立ならば作れるが、そうでなければまず買うものすら選べないという問題に直面していた。
「……どうしたのよ?」
「えっと、何を作ったらいいか、その、自分の食事は何でもいいやって思ってしまって……」
「ふぅん。じゃあ私、麻婆豆腐が良いわ」
「えっ?」
悩む日和に波音は眉間に皺を寄せた顔を向ける。
それから放たれた突然のリクエストに、日和は波音に見開いた視線を向けた。
「何よ。今日は貴女送って、町を回って、帰って夕食にするから、先に貴女の家で食事してしまえば楽に終わるでしょう? 貴女も気兼ねなく食事を作ってハイ終わり、良いじゃない」
隣の波音があまりにも真面目な表情で言うので少し驚いた。
それと同時に日和の口元が少し緩んだ。
「じゃ、じゃあ……麻婆豆腐なら豆腐と挽肉と……あ、葱いるよね! あと――」
波音は買い物に意欲を見せ始めた日和の姿をじっくりと見る。
夕食の献立の提案をしたら心なしか、日和の動きが早くなった。
波音も買い物カゴに自分の物を少し混ぜながら日和についていく。
そんな日和はどことなく嬉しそうで、楽しそうで、その姿を見ている自分は思っている以上にこの状況を楽しんでいる。
気難しい波音の性格に、この日和とかいう不思議な少女は友達として合っているのかもしれない。
「一袋、持つわよ?」
「大丈夫ですよ。手伝ってくれてありがとうございます」
日和の声が敬語ではあるが、いつもより少し高めに感じる。
今までは感情を抑えつけているのかと思ったが、案外出てこないだけなのかもしれない。
自分が高圧的に抑えつけてしまうので、そう感じるだけなのかもしれないが。
買い物を終えて日和と歩きながら、視線や意識は周囲に向く。
今の所怪しい気配や影は無い。
夕方は既に妖が蔓延ってもおかしくない時間だ。
意識はできるだけ遠く、しかし日和には悟られない範囲で、じんわりと熱くなっていく手を気にしながら歩く。
術士はこうして移動しながら妖の気配を探る。
術士の中では『巡回』と呼ばれる仕事の一つであり誰もがやる事だが、波音はこれが一番苦手だった。
「あっ、波音」
「うっ、ん?どうしたのよ、日和……」
唐突に名前を呼ばれた波音は驚いて声が上ずった。
思わず何事も無かったかのように取り繕う。
「麻婆豆腐は辛い方が好きですか?」
「そ、そうね、辛い方が好みよ」
「分かりました。麻婆豆腐ならすぐに出来るので、じゃあご飯を先に炊いて……――」
――ふぅ。
小さいため息が口から洩れた。
もしかしたら強い力を出すと日和は術士としての活動をしていると気付いてしまうかもしれない。
一応今は友人として隣に立っているつもりなのに。
そう思ってついつい隠れて仕事をしてしまっているが、こういう事を幼少の時から玲がやっていたと思うと、気が遠くなる。
そもそも波音は事前に用意して動くよりも、最初から居るのを前提に動いた方が格段に速いし、意識も威力も上がる。
元々火の力とは均一性に配慮した持続が難しい。
よって、こうして話しかけられたりすると一気に集中が削げてしまって、再点火に時間がかかってしまう。
正直一番苦手とする範囲ではある為に、中々に難しい。
一度掻き消えてしまった範囲を半径30m程、やっと伸ばした。
先ほどまでは200mほどは捕らえたのにやはり遅く、時間がかかってしまう。
思わずため息が漏れそうだ。
そこへ、何かが触れた。
(……妖!?)
後方35mほど先、不意に波音は後ろを振り向く。
「……?波音、どうかした?」
道の先には、誰もいない。
脚の止まる波音に気付いた日和は波音を見ていた。
「……ごめんなさい、なんでもないわ。気のせいだったみたい」
「そうですか、なら良かったです」
また力の意識が消えてしまった。
(後は安全に日和を送って、ご飯をご馳走になってもう一度意識を張ろう……)
抱えそうになった頭を振り払って、波音は揚々と歩く日和を眺めたところでスマートフォンが鳴った。
鞄から取り出し画面を見ると、連絡が一つ入っている。
『あとは僕達に任せてくれればいいから、そのまま日和ちゃんをよろしくね』
どうやらさっきの気配は玲だったらしい。
しかし地図画面に玲のアイコンは無かった。
一体あいつはどこからその気配を張り巡らせているんだか。
どうせ規格外に違いない。
安堵からか、少しだけ波音の心が温かく、ぼわりと燃え広がった。
無事、日和の家に着くと彼女は早速お米を焚く準備を始めた。
「あぁー……やっぱり良いねぇ。台所で料理をする、若いお母さん!」
いつの間にか式が勝手に前回座っていた椅子に腰かけていた。
しかも食べる気満々。
ちゃっかり大きな姿になっている。
「そんな事ないですよ。そういうのって、良いんですか?」
「日和、こんな頭オジサンの奴の耳を貸さなくていーの。何か手伝いましょうか?」
「いえ、大丈夫です。よし、あとはお米炊いてる間に作ってしまいましょうか」
手慣れているのか、日和の準備は早い。
これなら炊ける前に出来るだろう、と波音は椅子に腰かけた。
その姿を見る焔はくすりと笑う。
「ところで波音、さっきのだけど……駄目だろう? 集中を切らしたら」
「う゛っ、わ、わかってるわよ……! 切れちゃったんだもの、仕方ないじゃない……!!」
焔に指摘され、図星である為に少しだけ苛立ちが出た。
苦手な物は苦手ではいられない。
特に焔の役目が終わるまでには、少しだけでも苦手を削らなければならない。
特に自分は、周りの術士とは少し違うのだから。
「あまりにも難しいなら蓮深様にお伝えしようか?」
にこりと気持ち悪く微笑む焔にぞわりと寒気がした。
脳裏には厳しい表情で着物に身を包む母の姿がちらつく。
「冗談じゃないわ。なんでそこでお母様が出てくるのよ。このお母様びいきめ」
「そうやってトゲトゲしてる間ならまだ頑張れそうだね。日和ちゃんの為に力をつけるんだろう? 良い機会じゃん」
「は? 黙ってなさいよ。どうでもいいけどなんで今回も手料理を食べようとしているの? 少し図々しいんじゃなくて?」
図星からの苛立ちが半分と、八つ当たりがもう半分弱、残りが母上の名前が挙がった事で、思いっきり言葉がきつくなってしまった。
でもこの男はその全てを受け取るので余計に腹が立つ。
「良いじゃないか。波音の好きな麻婆豆腐、美味しいと良いね。俺も食べたいよ……――あ、もしかして独り占めしたかった?」
「はっ!?ばっかじゃないの!?黙らないと消すわよ!!」
煽ってると分かっていても、苛立ちに乗せられ思わず立ち上がる。
まずい、声を上げ過ぎた。
「ん、どうしたんですか?波音……あ、焔さんこんばんは」
日和は料理に集中していたらしく、焔にやっと気付いて朗らかに笑いかける。
寧ろさっき普通にお話してたじゃない?
そう言いたくなったが、それほどまでに日和は夢中になって料理をしていたのかもしれない。
心の中で突っ込みを抑え込むと、ふわりと中華独特の少し刺激のある匂いが漂ってきた。
日和が作る麻婆豆腐はそこそこに辛みがあることを訴えている。
もしかしたらかなり本格的なものなのかもしれない、口の中の唾液がすぐに溢れた。
「ごめんごめん。こんばんは、日和ちゃん。波音で遊んでたらちょっと怒らせちゃっただけだから気にしないで」
「焔さんと波音は仲が良いんですね」
「どこをどう取ったらそうなるのかしら……?」
日和の言い方もどことなく気に入らなかったが、今は気にする必要はない。
それよりも私の式のクセして人の神経を逆撫でするような態度は相変わらず気に入らない。
私の力のどの部分を取ったらそんなくそったれな性格になるのか、誰か説明して欲しいくらいだ。
……麻婆豆腐、美味しそうだな。
「ん、しょと。あとはご飯出来るの待つだけですね」
あらかた作業を終えたのか、日和はフライパンにかかる火を止めた。
そして小さく微笑みながらこっちにやってくる。
「本当に作るの早いわね」
「何度も作ってるので。波音は何時に……その、街に出ます?」
「んー、さっき、今日は休むよう言われちゃったから適当に帰るわ。ついでに軽く見回る程度にするつもりよ」
嘘を言っても仕方がない。
ここは正直に伝えておこう。
すると心なしか日和の表情が笑った気がした。
「そっか……じゃあゆっくりできるね。いつも何時くらいに家に戻るの?」
「その日によるわ。早ければ20時か21時、遅くて日が変わる手前くらい、長引いて2時くらいかしら?」
「そんな真夜中まで……」
日和の表情が歪んだ。
思ったより忙しい、そう思われているのだろうか。
「あいつらは大体夕方に出るからそんな遅くなることは滅多にないわよ。遅く出てくる妖は大体大人が出すもので、基本的に雑魚だしね」
「そうなの?大人だと弱いの?」
「ほら、大人はもう色々経験してるから感情そこまで溜め込まないし、溜め込んでも自分である程度は発散できるでしょう? だから基本生まれても雑魚なのよ。
一方子供や思春期くらいの私達はそういうものを中々認められないから溜め込んで、そのまま妖を生むんじゃないか、って師隼は言ってるわね」
日和は「なるほど……」と言葉を漏らす。
納得はしているようで、確認するように何度も頷いている。
「ここで生まれる妖はそこそこ強いけど、他所から来た妖はもっと強いわよ。何せ他所が殺り損ねた妖だから」
「他所から? 出てくるのはここだけじゃないんだ……」
「そりゃ、人間がいる場所ならどこにでも出るわよ。ただ、この地がちょっと特殊なだけね」
「特殊?」
首を傾げる日和に説明の続きをしようとしたら、隣の影が揺れた。
人差し指を立てて焔が口を開く。
「この地は妖の集まる場所なんだ。勿論さっきも言った通り、ここでも妖は生まれるよ。でも各地で生まれ、討伐されずここまで流れてくる妖はその過程で成長し、最終的に女王へ成長する。この地には一番強い術士と妖の存在しかいないんだよ」
にこりと隣で微笑む焔がなんとも腹立たしい。
まったく、コイツは……。
「女王……前も聞いたけど、波音は出会った事あるの?」
「昔、一度だけ会ったわ。私がまだ小学生の頃で……まだお母様がまだギリギリ現役をしていた頃に、ね」
苦しい過去を少し思い出して傷心に浸りかけた。
こんなもの、即行で記憶の奥底に沈めなくてはいけない。
気持ちを入れ替えていると、丁度炊飯器から軽快な音楽が鳴った。
「――あ、鳴りましたね。今よそいますね」
日和は炊飯器を開け、ご飯をよそうとそのまま机に並べていく。
そして大きな深皿に麻婆豆腐を入れ、中央に置いた。
セットで準備していたらしいスープ餃子も3皿準備し、それもご飯と一緒に並び……見事な中華セットが出来上がったようだ。
「お待たせしました。では食べましょうか」
「いただきます」「いただきまーす」
日和の声に合わせて、私と焔の声が被った。
些か気に食わないが、平然を装って日和特製の麻婆豆腐を口に入れる。
「ん――!」
「わぁ……これは美味しい」
口に入れた瞬間、花椒と黒胡椒の香りがふわりと鼻を通った。
すぐにコクのある深い味わいが来た、と思ったら唐辛子特有の痛みに似た辛みが襲う。
挽肉も粗挽きの物を選んだからか、ごろごろと食感が楽しく、一方豆腐は絹なので優しく喉を通っていく。
見た目も真っ赤で辛そうだが、葱の緑が良い色合いで散りばめられている。
とろっとした熱々の餡がさらに食欲を増加させ、期待以上の麻婆豆腐が目の前にあった。
正直に店に出てても可笑しくないレベルである。
隣では焔がいつも以上に笑顔になって頬張っていた。
「すごいわね、とても美味しいわ」
「本当?嬉しい! おじいちゃんにはいつもここまで辛くしないからどうかなって。好評みたいで良かった」
素直に褒めると日和はにこりと笑顔を見せていた。
思った以上に美味しかったのもあり、皆無言で食べ進める。
ご飯に合う味なのもあり、あっという間に焔と並んでおかわりをしてしまった。
「……なんか、一瞬で無くなったね。いつもはおじいちゃんと食べてたから、ありがとう」
そう言って満足そうな日和はぺこりと頭を下げた。
やはり素直に店に出てくるレベルだった。
こうなると他の料理も美味しいのだろうか……?とつい期待にあふれてしまう。
「ううん、こちらこそ良いご馳走だったわ。ありがとう。……日和が良かったら、また食べたいわ」
「えっ……! じゃあ食べたくなったら言ってね、また作るから」
「ふふふ、楽しみにしているわ」
目の前の日和はいつも以上に嬉しそうだ。
思えば、今日一日は朝から珍しい姿ばかりを見ていたかもしれない。
まだ見たこともない一面を見ている気持ちになって、それはそれで私も楽しい気分だ。