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作者: 柊 雪鐘
残酷な描写あり
7-1 別ればかりの人生
 昨日、初めて友達に手料理を振る舞った。
 本当に久しぶりに作った麻婆豆腐はとても喜んでくれてすごく嬉しかった。
 料理を教えてくれたおじいちゃんには本当に感謝しないと。
 人に振る舞うとこんな気持ちになるなんて、知らなかった。
 料理を初めて楽しいと思ってしまった。
 もっと勉強して、他の友人に振る舞ってみるのも良いんじゃないかなって波音と別れた後に思った時、自分は正気なのかと疑ってしまった。
 今まで、料理に対してそんなように思ったことはなかった。
 私の過去は、私にとって祖父と玲だけの世界だったからだ。
 だから、昨日の出来事はそれほど嬉しかったんだと……初めて実感した。
 そうして友達と過ごした時間が本当に楽しかった。
 宝物のようにキラキラと輝くような記憶とその気持ち。
 ……もう一度、誰かが自分の料理を食べて笑ってる姿を見たい。



「……今日の帰り、誰だろう……」

 日和はそわそわしていた。
 昨日作った麻婆豆腐をとても喜んでくれたのが心底嬉しくて、舞い上がっていた。
 ただし、舞い上がっているというのは無自覚だ。
 昨日の買い物で今日の分も準備はしてある。
 日和は再び料理を作る楽しみな気持ちを抑え込みつつ、校舎を出た。

「今日は、竜牙ですか?」

 校門の柱に身を預けるように、竜牙は目を瞑り腕を組んで寄りかかっている。
 日和は横から顔を覗くように竜牙の顔を見た。

「ああ。おかえり、日和」

 竜牙は目を開け日和の姿を確認すると、体を起こし微笑む。
 いつもの着物に袴、よく動いているのにシワも汚れもない立派な羽織をした竜牙の衣服は学校には全く相応しくはないが、それをとがめる者は何処にもいない。
 寧ろ誰もが帰宅し始める時間なのに、辺りに生徒の姿もなければ校門の前を通る通行人の影すらもない。
 どうやら既に結界の範囲にいるようだ。
 つまり今は誰も竜牙を、日和を、視認できる者はいない。

「はい、ただ今戻りました。今日もよろしくお願いします」

 日和はぺこりと丁寧に頭を下げる。
 その姿に竜牙は小さく笑いかけ、何も言わずに歩き出した。
 その後ろを、日和はただ静かについていく。
 目の前を歩く御仁は出会った最初こそ少し話をしたが、竜牙は日和から話しかけない限りは何も話さない。
 本来なら前に一瞬だけ見た焔のように小さな姿にもなれるらしいが、日和は憑依換装した竜牙しか知らない。
 そもそも日和は、竜牙をよく知らない。
 竜牙どころか、その主さえ。

「あの……、竜牙!」

 居ても経っても居られず、名前を口に出した勢いで日和は竜牙の袂を掴む。
 竜牙は静かに振り向いた。

「ん、どうした?」
「し、式は……その、お腹空きませんか?」
「お腹……? ……基本は、ならない。不思議な事を聞くな?」

 立ち止まった竜牙は手を顎に当て悩む。
 式神は普段食事など摂らないのだろう、日和の質問が心底意外だったようだ。

「その、よかったら……そのまま家で食事しませんか? できたら竜牙達の事を、もっと知りたいです。
 ……あっ、味付けは濃くした方が良いですか!?」

 確か前に式神の味覚、特に竜牙は味覚が弱いと言っていた。
 もしかしたら濃い味付けにすれば美味しく食べられるだろうか。
 しかし竜牙は日和の思考などよりも、その表情と仕草に固まりくつくつと笑い出した。

「……分かった。味とかは、気にしなくて良い」

 竜牙は微笑んで頷く。
 その姿に日和の心は温かくなり、声をかけて良かったと余計に楽しみが増えた。



 学校から日和の家には10分かかる。
 といってもほぼ一本道で非常に分かりやすい、単純な通学路だ。
 住宅街に入ると家の前の道幅は多少狭くはなるものの、それでも車はなんとか2台は通れる広さ。
 日和はそんな道を竜牙と共に行き、家の前までやってきた。

「ちょっと待って下さいね」

 竜牙をちらりと見てポケットから鍵を取り出した日和は、鍵穴に差し込んで回す。
 しかし、横に傾いたのは日和の頭の方だった。

「あれ? 鍵が、開いてる……」
「……っ!」

 竜牙はすぐに不自然な状況を察知し、門から日和の背中を見て警戒をした。
 日和はドアに手をかけ、ゆっくりと開け放つ。
 いつもの廊下、いつもの2階へ続く階段。
 見慣れた景色の中で日和は一カ所の異質を見抜き、たじろぐ。
 その姿に竜牙は心配になり、共に中を覗いた。
 玄関には一足だけ、靴が置いてある。
 当たり前のように置かれているが、それは日和がよく履く通学用のローファーとは違って厚底で立派、頑丈そうなブーツのようなものだった。

「お……おかあ、さん……」

 呟く日和。
 その顔は見事真っ青に染まっている。

「ひよ……――」
「――日和ぃぃっ!!」

 心配になった竜牙が声をかけようとした途端、家の奥から怒声にも近い声が響く。
 次の瞬間床を大きく鳴らして足音が近付き、日和の体が弾かれるように道路へ投げ出された。
 日和の体はそのまま背面と後頭部を激しく打ちつけ、仰向けに倒れ込む。

「あぐっ……!」

 加害者本人は倒れた日和に馬乗りになり、酷い剣幕で胸ぐらを掴んで叫んだ。

「日和!! ねえ、お父さんはどこよ!? あなた今まで一緒に住んでたんでしょう!? どうしてどこにも居ないの!? ちゃんと家の事してたんでしょうね!?」

 一瞬だった。
 日和の体が投げ出されて、その上にまたがる女は目を吊り上げて娘に威喝いかつしている。
 それが母親のする行為ではないことは、目に見えて明らかだ。

「ぐ……ぅ、離して! してた……ちゃんとしてたよ!」
「だったらどこに行ったって言うのよ! ずっと待ってるのに戻ってこないじゃない!!」

 気道が狭くなって苦しさを感じながらも日和は叫ぶ。
 今まで傍に居なかった分と、祖父を失った分で心の奥底から怒りが沸々と湧いた。

「戻って……来る訳無いでしょ、死んじゃったんだから!! いつも仕事だって海外へ逃げてる人なんかに言って、分かる訳ないよ!!」
「はぁっ!? それが母親に対する態度なの!? 夫の次は、お父さんだって事なの!? ふざけないで、また私への当て付けって訳!?」
「ふっ、ふざけてるのはどっち!? 何っ……も、知らない、くせにっ!!」

 胸ぐらを掴む手を握り、日和も苦しげに叫ぶ。
 母親の表情は真っ赤になり、激情していく。

「こんの……――!」

 馬乗りの女性日和の母は右手を振り上げ、日和は反射的に目を強く瞑り縮こまった。

「――やめろ。それが母親のやることか?」
「なっ!? 離っ……!」

 振り上げた手を握り、竜牙はそのまま腕を引っ張り上げる。
 女性の体は軽々と持ち上がり、日和の体が解放された。
 視線だけ日和に合わせると、驚きと恐怖の入り交じった顔を浮かべ、わずかだが体が震えている。
 化け物を見るような目で女性が睨んでくるので竜牙はそのまま地面に降ろし、また日和に危害を加えないよう腕を拘束した。

「何よ! 誰なの!? なんなのあなた、離しなさいよ! 家庭の話をしているの、邪魔をしないで!」
「娘の体に馬乗りになって、殴りかかる行為の何処に家庭の話がある。あんたの娘が泣きそうになってるのが見えないのか?」

 強く睨んでくる女性は一向に落ち着く気配はない。
 一方の日和は体を起こしたが、まだ震えて警戒したままだ。

「あなたには何の関係も無いわ! そもそもあなたはなんなのよ、警察を呼ぶわよ!!」

 きゃんきゃんと吠える犬のように女性は叫ぶ。
 一度激昂すると落ち着けない性格なのか、竜牙はため息を吐いて一段低い声で口を開いた。

「あんたの夫の同僚だ。残念ながらあんたが捜している父親か? ここの家主は妖に食われて死んでいる。この家に残ってるのは日和と、あんただけだ」
「な……っ!」

 竜牙の言葉に女性は黙り、静かになった。
 そして立て続けに言葉を発する。

「本人の希望ではこの家に住むことだったが、今の醜態を見て「良し」とは言えない。悪いが、金詰日和の身柄はこちらで保護する」

 冷たい声と言葉で女性に言い放つ竜牙は拘束を解き、手を離す。
 そして日和の許に近付き、小さく座り込む姿に手を差し伸べた。
 今の今まで怒っていたが、それでも日和に向かう竜牙の表情は極力笑顔をつくろう。
 笑顔は竜牙が自分を安心させてくれるんだと感じ、日和はその手を取って立ち上がる。

「なっ……、……ひっ、日和……!」

 地べたに座り込む、先ほどの日和と真逆の状態になった母親がその名を呼ぶ。
 先に歩き出した竜牙は振り返り、表情を失った少女に声を掛けた。

「行くぞ、日和。大丈夫か」
「……はい、竜牙」
「まっ、待ちなさい! 日和、日和!!!」

 空っぽだった。
 今はただ、竜牙から向けられる助けに縋る気持ちだけ。
 それを邪魔する人間に、日和は何度も心に念じて一週間ほど前に師隼にも言った言葉を、再び口にする。

「わっ、私には……母なんて、いません……さようなら」

 母だった人間に背を向けたまま、日和の口から出たのは別れの一言。
 合わせて流れ出た一滴だけの涙を拭うことなく、竜牙の許へと歩き出した。
 家に居場所なんてやはりなかったのだ。
 いつかこうなることだったのだろう。
 日和の心のどこかで渦を巻いていた気持ちは意外とすっきりしている。
 それよりも手を握ってくれる竜牙の手が温かい。
 一瞬のような出来事だったが、子供の頃を思い出すようなこの不安定な心を少しだけ支えてくれた。

「……日和、ごめん」
「えっ?」

 角を曲がり、母親の視界から離れた竜牙は隣で不安そうな少女に声を掛ける。

「無理に、連れてきてしまった。……やっぱり、このまま保護されてくれないか……?」

 振り向いた竜牙の表情は玲が心配している時の表情と被る。
 日和は竜牙も日和の事を本気で心配しているのだと、本能的に理解した。

「……御厄介になっても、良いんですか?」
「ああ、構わない。寧ろ俺は……助かる」

 即答する竜牙に日和は眉をハの字にして、困ったように笑う。
 そして小さく頭を下げた。

「じゃあ……よろしくお願いします」
「……ああ。じゃあ、悪いが……場所が逆なんだ。急いでもいいか?」

 日和が返事をするよりも早く日和の体が浮く。
 背中に手が回り膝の裏からもすくわれて、日和の体抱えられた。

「ひゃっ!?」
「しばらく、大人しくしていてくれ」

 所謂お姫様抱っこと呼ばれる物だが、竜牙は日和を抱えたまま軽々しく近くにあった家の屋根に乗り、屋根伝いに飛ぶ。
 風を切り、街並みが前から後ろに流れていき、あっという間に日和の家は離れていく。
 景色を見るよりも今の状態に少しの恐怖と恥かしさが相まった日和は目をぎゅっと瞑り、竜牙の首に回した腕に自然と力を込めた。

「――ついたぞ、日和」

 竜牙は目的地の前で日和に声をかけ、日和の体を降ろす。
 着地に少しよろけそうな体を堪えて目を開くと、そこには師隼の家とほぼ変わらない大きな門がそびえ立っていた。

『置野』

 門の横に書かれた厚みのある木の板で書かれた表札は、しっかりと置野正也の家であることを示している。

「ここが……?」
「ああ。……あまり期待はしないでくれ」
金詰雪羅(かなつめ せつら)
日和の母親で個展を開く程度にそこそこ有名な写真家で、樫織(かしおり)雪羅として仕事をしている。
ただし日和はその写真も興味がないので溝は深まるばかり。
特に写真に映るのは良いけど撮るのは好きじゃない様子。
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