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作者: 柊 雪鐘
残酷な描写あり
7-2 置野家へ
 目の前にそびえる豪邸に呆気にとられていると、竜牙はため息を溢しながら先に門を潜り、日和もその背をついていく。
 師隼の屋敷とは違い、門の中は立派な前庭はあるもののそこまでの広さはない。
 寧ろすぐ目の前には大きな一棟だけがその迫力を放っている。
 神宮寺家も旅館かと思ってしまう程に広そうだとは思っていたが、この家も屋敷と呼べそうな程には大きく感じられる。
 まずは玄関も立派で空間がとても広い。
 左には階段、その隣には立派な扉があるが、その前に広がる空間から廊下は奥の方に向けて続いている。
 玄関先のホールに上がると右にも廊下が伸びていて、迷ってしまいそうだ。

「……竜牙、あの奥は何ですか?」

 左側の奥に伸びる廊下を覗くと先に庭が見えた。
 よく見ると、その奥には更に建物があるように見える。

「あっちは使用人達の居住区だ。皆住み込みで働いてもらっている」

 竜牙が言うには、奥の棟は使用人達の生活区域らしい。
 つまり二つある家を渡り廊下で繋げたような形になっているようだ。
 やはり一棟だけじゃなかった。
 更に『これでも小さくなった』という呟 きが聞こえた気がするが、聞かなかったことにしておこう。

 「こっちへ」と竜牙は階段横の立派な扉へ案内してくれた。
 どうやらここは応接間らしく、座るようにうながされて今は家主が来るのを待っている。

「やあやあ竜牙、お疲れ様! 元気だった?」

 しばらくすると扉が開きその家主が現れたかと思うと、陽気な声で少し痩せこけた風貌の中年男性が入って来た。
 銀縁眼鏡をかけて少し骨ばっている顔立ちだが、どことなく竜牙に似ている。

「……まあ。しばらくこの姿で出入りをする事にした」

 男性は話を聞きながら竜牙と日和の正面にある椅子に腰掛け、にかっと笑う。

「ははぁ、忙しそうだねぇ。良いよ! ただし、しっかり身体を休めるんだよ。それで、こちらのお嬢さんは?」

 日和に視線を向け、感慨深そうに男性は笑う。

「あ、えと……金詰日和、です……」
「へぇー、ウチの息子と同じ高校1年生でしょ? 綺麗だね、可愛いね。うちに住まない??」
「えっ」

 頭を下げると、男性は更に興味を持ったようでとてもニコニコとしている。
 竜牙は片手で頭を抱え大きなため息を吐いた。

「日和、構うな。……それと、こっちの主題を言うな。疲れる」
「そりゃ15年の付き合いが…って、え、住んでくれるの?? 娘が一人増えて嬉しいねぇ。大事にしないと。おぉーい、ハルー、ハルー!!」

 男性は笑顔を見せると応接間から顔を出し、さも嬉しそうに新しい名前を叫ぶ。
 その姿に竜牙は再びため息を吐いた。
 賑やかな人間ではあるが、どうやらこの人となりが苦手らしい。
 確かに失礼ではあるが、煩いと紙一重な気配はする。

「そんなに大声立てなくても聞こえていますよ、旦那様。全く、折角のお客様が引いてしまわれます。自己紹介、ちゃんとなさいました?」

 少しすると、今度は落ち着いた声の女性が部屋に入ってきた。
 肩にかかるほどの髪は雲のようにふわりとしていて、身動きも話し方も優雅だ。

「ほらほら、こっちこっち! 君を抜いて自己紹介なんてできないよ! ……では待たせたね。私は置野家の当主、置野佐艮さこん。こちらは妻のハルだ。ハル、こちらは金詰日和さんだよ」

 ハルが座ると同時に優しい表情が日和に向き、にこやかに自己紹介をする佐艮。
 紹介されたハルは優しく微笑んで、軽く会釈する。

「よろしくお願いいたします」
「それで? 竜牙、どうして日和ちゃんがウチに?」

 佐艮の笑みが薄らと引いて、真面目な表情に変わる。
 優しい目をしてはいるが、声は少し低く変わった。
 地味にさん付けからちゃん付けに変わっているが、雰囲気の変わり様で突っ込むタイミングは損ねてしまった。
 竜牙は横目に日和の状態を確認しながら口を開く。

「先日、彼女の祖父が襲われ亡くなった。ここ一週間は見張りながらの生活している状態だったが、今後の危険を考え保護することにした。本人からの了承も得ている」
「そうかそうか。一人は心細いから、懸命な判断だよ。それに……どうやら『金詰』に執着する奴がいるらしい。気をつけて」

 佐艮の言葉に竜牙の眉がぴくりと動く。

「女王か」
「その辺りなら君の方が詳しそうだけどねぇ」
「それなら一度失敗している。……他にもいるのか?」
「ほらほら、その話はあとで二人でなさいな。こちらに来たばかりのお嬢様の前で仕事の話はよしなさい。折角住んでもらうのだから、まずは家の案内からでしょう?」

 ハルは両手を合わせパンパンと打ち鳴らすと、会話の腰を折り立ち上がる。
 その目はぎらりと光り、佐艮と竜牙は静かになった。

「あ、私は……」
「――そうか、そうだね。じゃあここで今後についての相談をする事として、その間に日和ちゃん用の部屋を準備させよう。いいかい?」
「いえ、そんな……お構いなく……」

 自分の部屋?居候という立場なのに?
 日和は佐艮に向けて首を振るがその姿にくすくすと笑い出す。

「なんだか親友が戻ってきた気がしちゃうねぇ。あいつもそうやって、何か誘うと首振って拒否するんだよ」

 懐かしむような佐艮の表情に日和は竜牙に視線を向ける。

「……親友?」
「ああ、この男は日和の父の親友でもあった人なんだ」
「お父さん、の……」
「その話もあとでしようね」

 にこりと佐艮は笑って、ハルと共に部屋を出ていく。
 日和は父をよく知らないし、覚えていない。
 一体どんな話が待ち受けているのだろうか。



 竜牙と日和、二人が残った部屋で日和は竜牙に視線を向けた。
 そこには疲れきったように座り込む竜牙がいて、日和は心配になりその顔を覗く。

「竜牙、大丈夫ですか?」
「ああ……。大丈夫だ……」

 竜牙はいつものように冷静を保った雰囲気をしているが、何処となく様子が変だ。
 珍しくぐったりとしている姿が普段とは違う気がして、日和は首を傾げる。
 そして竜牙の前に立ち上がり、両手を前に差し出した。

「……?」

 突然目の前に立たれ、竜牙は日和の行動が理解できずに首を傾げる。
 日和は心配した表情でおずおずと口を開いた。

「……大丈夫ではないように見えます。あの、私の力を取ったら……良くなりますか?」
「いや、必要ない。……余計に疲れるぞ」
「それで竜牙の体が良くなるなら、大丈夫です」
「……大丈夫じゃない。自分の体は大切にしろ」
「その言葉……そ、そのままお返しします!先程からいつもと違って……調子が良くないように見えますっ」

 どこか不機嫌そうな竜牙に、日和は唇を突出し不満げな表情を見せる。
 竜牙は少しだけ眉を持ち上げるとため息をひとつ吐いて立ち上がり、日和の手を握った。
 風が日和と竜牙を囲むように吹き、悪寒のように日和の体は全身から震え上がる。
 併せて何かを抜かれた感覚が、全身を走った。



---
「うぐっ……」
「危ないぞ」

 一度、目眩を起こしたように日和の体がふらついた。
 片手を離し背中に腕を回した竜牙は日和の体を支え、そのまま背後のソファーへ降ろした。

「全く、言わんこっちゃない。ちゃんと忠告はしたぞ」
「でも……竜牙、顔色がよくなった気がします」

 眉を寄せ、心配そうに見つめる竜牙に日和は微笑む。
 その様子に素で大きなため息が零れた。

「……必要になったら私から頼むから、溜めて待っててくれ……。ありがとう」

 まだ握っている手を額に当て、感謝する竜牙の表情は日和からは見えない。
 呪いのせいとはいえ打ち明ける心苦しさを日和の手で濁す自分に、少しの自己嫌悪が織り交ざる。
 竜牙の酷く困惑した、複雑な気持ちは包み隠した。
 それからしばらく沈黙を作り、竜牙は日和の様子を見る。
 意外と体はまだ丈夫そうで、体調はそこまで酷くはなっていないように見えた。

「日和、部屋は佐艮達に任せているが……荷物はどうする?」
「あ……そう、ですね……。今日が金曜日でよかったです。明日、取りに行ってもいいですか……?」
「ああ。同行しよう」

 日和の瞼が重そうに下がり、先ほどの出来事を思い出させてしまったようだった。
 固く繋がれた手に、一層力が入った気がする。
 揃って初めて昼食をしていた時、師隼の前で、日和は何度も母を父と同等のように扱っていた事を竜牙は思い出した。

「……前から、言っていたな」
「え?」
「母はいない、と」

 竜牙の言葉に小さく「ああ……」と日和は言葉を漏らし、小さく頷く。

「……はい。私に、母はいません……。確かにあの人は私を産んだ母と呼ぶべき人ですが……母は父が死んでしばらくして、家を出ました。あの人は、ああいう人です……」
「……今まで会っても、ああいう態度か?」
「あの頃はもう、祖父が居たので。私は、極力さわらないように近付きませんでした」

 日和の顔は完全に表情を失い、ただつらつらと言葉を落としている。
 思った以上に、日和と母親の壁が高いように感じた。

「何故?」
「昔からああなんです。私と母の仲は良くありません。その原因は……私が父の傍に居ながら、父を殺してしまったからでしょうか?」
「……? 日和が父を殺した、とは?」

 日和の言葉をよく理解できなかった。
 聞き返すと日和は目を瞑り、淡々と答えていく。

「私の目の前で父は死にました。あの時は死ぬ直前の父の表情しか覚えていませんが、父は私を庇って死んだのだと思います。死んだのが父ではなく私だったら……母は消えたりなどしなかったと思います。母は、父が好きなので。……父が死ぬ前、母の元に出かけていたんです。その日母は個展を開いていて……人気らしいですよ、母の撮る写真は」

 再び目を開いた日和の口元が弧線を描く。
 しかし笑っているのは口元だけで、目元は変わらず重く苦しそうに瞼を持ち上げている。

「……そう、か。すまない、言いづらい事を聞いたな」
「いえ。もう、関係なくなった事です」

 今度こそ笑った日和の表情は目元も笑っていた。
 その影はどことなく寂しげで、儚い。
 もう関係ない、日和の血の繋がった家族は一人も居なくなってしまったのだと、実感した。


◇◆◇◆◇


「日和ちゃん、お待たせ」

 佐艮に呼ばれ、屋敷内を案内される事になった。
 まず最初に案内されたのは階段を上がってすぐの角部屋で、日和の部屋だという。
 隣は正也の部屋だが、今は出ている為に基本的には竜牙が居るので何かあれば呼ぶように言われた。
 階段を折り返した先は佐艮とハルの部屋、それから書斎があるらしい。
 書斎には基本佐艮が居るようだが、書斎自体は常に鍵がかけられているらしい。
 日和が世話になることは無さそうなので、特に用事もないだろう。

 2階はそれほど広くなく、次の案内は下の階へと移る。
 浴室やトイレ等生活に必要な場所や、女中の休憩室まで教えられた。
 困った事があれば大抵一人はいるとのことで一応覚えるよう言われたが、まずクラスの人間も覚えてない日和が使用人を覚えられる自信は皆無に等しい。
 そんなただでさえ広い屋敷の中、特に日和が困惑したのは、食事をする部屋が3部屋あることだ。

「ここは主に宴会ぐらいでしか使わないから使うならこっちかなぁ? 正也君とか仕事から戻ったらよく使う部屋なんだけど、ここでもご飯食べられるから、お腹空いたら言ってね」

 そう説明した佐艮だが、広さがそれぞれ違う。
 屋敷内での宴会用・家族間での食事用・個人での食事用と分けられているらしい。
 中を覗けば確かにそれぞれの場面で過ごしやすい広さを保っているようで、今晩は宴会用の一番広い部屋を使うようだ。
 広さは師隼と初めて会った部屋の半分ほどだろうか。
 それでも尻込みしそうな広さではある。
 自分は一番こじんまりとした部屋で十分だ。

 次案内されたのは台所……と佐艮は言うが、どう見ても立派な調理場だった。
 このままだと一般感覚がずれてしまいそうだ。
 更についでのように案内されたのは中庭。
 中庭はぐるりと屋敷を囲んで屋敷から先の建物を繋ぐ橋がある。
 先程竜牙も言っていたが、やはり使用人達の生活区分との境界線として機能しているらしい。
 案内している間にも、何人もの使用人を見たのに同じ顔を一切見ない。
 それだけ師隼並の大きい家ではないのかと日和は推測したが、竜牙を見れば納得の範囲。
 波音達が『竜牙は置野家初代の兄』と言っていた。
 代々続く大きい家なのだから、使用人が多く居るのも当然なのだろう。
 さて、日和は無事この家に馴染むことができるだろうか?

置野ハル
3月31日・女・41歳
身長:165cm
髪:焦げ茶
目:茶色

一般人なので特筆するような見た目では無いけれど、強いて言うなら肩までのふんわりパーマの奥様ヘアでいつものほほんと嫋やかに笑っている。
お金関係の管理に強く地味に一番権力が高い。
元置野家女中。今は当主の妻なので身だしなみと美しさには一切の手を抜かないし余念も無い。
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