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作者: 柊 雪鐘
残酷な描写あり
3-3 術士の統率者
 日和が住む柳ヶ丘から学校を挟んだ
 大きな屋敷が立ち並び、更に最奥の一番立派な屋敷の門前で日和は立ち尽くす。
 そもそも安月大原と呼ばれるこの地域は日和にとって一切の接点もない場所だ。
 地主・金持ち・権力者の住む高級な大地。
 古くからずっと変わらず住むような人間しかいないとされる地。
 仮に接点があるとすれば、精々玲が住んでいる程度にしか分からない。
 それなのに祖父が残酷な姿で見つかったのも束の間、何故この地に連れて来られたのか……なんて、日和には謎のままだった。

「あの……?」

 日和は後ろに立つ波音と玲に声をかける。
 しかし波音はつんとした態度で「行けば分かる」、玲には「ごめんね」とどこか寂しげな表情で言われてしまった。
 日和は渋々足を進めると高さ2人分程の立派すぎる門が音を立てて開いた。
 門の先は庭園が広がっており、足元の石の道は途中で枝分かれしている。
 これは敷地内には建物が一軒だけではない、ということだろう。
 今居る家は十分過ぎるほどの大豪邸だという事がよく分かった。
 何も言わない二人を予想して、日和も何も言わず真っ直ぐに伸びた石畳を歩く。
 先には築何十年で済むのかも分からないような、どっしりとした日本家屋の豪邸がそびえ立っている。
 1段上にあがった4枚の引き戸がある玄関の前に、日和は足を踏み入れた。
 途端、中央の引き戸が左右に開いて旅館のように広く真っ直ぐに伸びた廊下が視界に埋まった。
 衝撃はそれだけではない。
 入り口から奥の廊下に続くまで、何十人もの人がずらりと並び頭を下げている圧巻の光景だ。
 皆パーカーを着込み、白い顔に赤墨の狐の面をしていることだけは随分と異様な光景に思えたが、日和にとってはそもそもこの屋敷に踏み入れること自体が異様なのでそこまで思考は回らない。
 それよりも威圧的にも感じる、この圧倒されるような雰囲気に日和は息を飲む。

「行先はわかりやすいけど、こっちよ」

 玲と波音は慣れたように靴を脱ぎ、端に揃える様子に日和も続く。
 波音を先頭に玲、日和と続いて狐面の間を通り先に伸びる廊下を歩いている。
 途中には立派な縁側に庭、時折洋風の部屋を通り過ぎ、波音は足を止めた。

「ここよ。入りなさい」

 真っ直ぐ歩いた先にあったのは正面に一際大きな襖が2枚。
 波音は両手でそれを左右に開き、中へと入っていった。

 視界に広がる部屋は一体何畳ほどだろうか。
 普通に見ても30畳以上はありそうだ。
 その中央奥に一人男性が座り、側面には先ほど居なくなっていた竜牙と少年が一人、その横に並んだ二枚の座布団に玲と波音が加わる。
 日和はそのまま男性の前に置かれた座布団に「どうぞ」と言われ、その上に正座をした。

「初めまして、私は神宮寺じんぐうじ師隼しじゅんと申す者だ。突然だけど、君がここに来る事になった理由は分かるかい?」

 黒に浮き柄模様の入った和服に身を包んだ男性はあぐらを掻き、片膝に肘を立てながら日和を見ている。
 老人のように真っ白な髪が年齢を把握させづらくしているが、肌といい、表情といい、20代ほどの男性のようだ。
 内面を覗き込むような蒼い目が随分と印象的だ。

「……いいえ」
「んー……まぁ、そうだろうね。は喋らないから」

 師隼と名乗る男性はふぅ、と小さく息を吐き、周りをちらりと見渡すと再び日和に視線を戻す。
 彼らと呼ばれた玲も、波音も、首に深緑色のマフラーを巻いた少年はどうやら羽根の人のようだが、皆静かに正座をしている。
 そこに並んで座る竜牙だけは、しっかりと日和を見てあぐらをかいていた。

「こちらから説明しよう。これでも彼らの責任者だからね。まずは君のおじいさんは残念だった。守る事ができず申し訳ない」

 師隼は姿勢を正し、丁寧な所作で深々と頭を下げる。
 どうやらこの男が竜牙の言っていた世話人なのだろう。
 師隼の動きに合わせて玲も頭を下げた。

「いえ……」

 日和は伏し目がちになるが、首を振って師隼のに視線を合わせる。
頭を上げた師隼は見据えた目で日和に向けて口を開いた。

「ところで、今回亡くなられた君のおじいさんは、母方かい?」
「えっ?そう、ですね……」

 なんで、と日和が言いかけたところで、師隼は「やはりか」と小さく呟く。
 同時に深々と頭を下げていた玲が頭を上げたが、その表情はなんとも悔しそうに映る。
 一体何があるというのだろう。

「私を含めた、彼らの仕事だが……この世にはあやかしという魔の存在があってね。
 彼らは人の感情を餌にするのだが、面倒な事に人々に怪我はさせるし殺しもする。なんならその人間に成りすましてその後を人として生きることもできる。
 それを討伐しているのが術士、そこにいる四人なんだ。この子達は代々血筋で仕事をしていてね、先代は五人でやっていた」
「五人……?」

 昼食時、集まるようになった四人は仕事をしていると言っていた。
 その内容を聞くことは無かったが、それぞれに持つ特別な力を使っているのだろう。
 そう思っていたのだけど、数が合わない。
 疑問を持つ日和に師隼は頷き、指を立てる。

「そう、五人。この四人は彼らの親に当たる先代だが、残りの一人は……君のお父さんだよ」

 それはあまりにも衝撃的な言葉だった。
 日和の脳裏に血を飛ばし倒れる姿が鮮明に映し出される。
 それと同時に、初めて一緒に昼食をしたときの会話を思い出した。
 『血縁がいる』
 その時は濁されていたようだが、まさかそんな身近にいるとは思わなかった。
 もしやあの時の父は、術士として戦っていたのだろうか。

「お父、さんが……」
「その様子だと、ご家族から何も聞かされてないのだろうね。……ねえ、玲?」

 師隼の冷ややかな視線が玲を刺し、一瞬だけ玲の体が震えた。

「……ええ、こちらに個人的な仕事として現れたのは、先ほど亡くなられた彼女の祖父ですから。
 また、彼が私を知っているのは私の祖父と同級だからであって、彼女の父が術士をしている事等は知らないと思います」

 淡々と答える玲の姿に、日和は不安な気持ちに包まれる。
 そこにいつもよく知る姿はなく、これが玲の術士としての姿なのだろか。
 拒絶だろうか、玲は日和と視線がぶつかると遮断するように目を瞑ってしまった。

「そうか。その件は後ほど詳しく聞くよ。しかしまぁ……血違いとはいえ、親子で妖に襲われて亡くなるとはな……」
 (やはり……?)

 顎に手を伸ばし、息をつく師隼は間髪を入れず日和に視線を向ける。

「ところで、金詰日和。君の家族には極力内容を隠して伝えたいが……他にご家族は?母等いるだろう」
「いえ、居ません。母は父が亡くなった半年後くらいに国外逃亡しました。
 ……といっても写真家をしていて仕事だと言って出ているだけですが、片手ほどしか会ったことがありません」
「……そうか。ならば、うら若い君を一人で生活させる訳にもいくまい。君がよければこちらで君の今後の生活を引き受けるが、どうする?」

 日和の言葉を聞いて師隼は驚きの表情を浮かべるものの、何も言わずに一つ提案を出す。
 日和はしばらく考え込むと、首を横に振った。

「いえ、ご迷惑をおかけする訳にはいきません。一人で生活することに困ってもないです」
「強くは言わないよ。今後の君を心配しただけだ。何かあれば頼りなさい。私でも、周りにでも」
「はい、ありがとうございます」

 優しく笑う師隼に、日和は頭を下げる。

「突然こんな所に呼び出してすまなかった。送りを出そうか?」
「いいえ、大丈夫です……。では……」

 師隼は左腕を上げ玲達を手のひらで指す。
 日和は首を横に振って立ち上がると、深々と頭を下げて大広間を出た。



「――……日和ちゃん!」

 来た道を真っ直ぐに戻り、屋敷を出ていく。
 前庭を進むと後ろから追いかけてきたであろう、玲が走って声をかけてきた。

「兄さん……」
「ごめん、日和ちゃん」
「えっ……?」

 振り返りざまに玲は日和に向けて頭を下げる。
 驚いた日和の表情には疑問符が浮かんだ。

「さっき言った通りだけど、僕は日和ちゃんを騙していた。仕事で君を守っていたんだ。
 勿論日和ちゃんの兄になってあげたいって気持ちは嘘じゃないけど、隆幸さんも守れず、君を傷つけてばかりで……」
「えっと……お、落ち着いて……!」

 頭を下げたまま言葉を続ける玲に日和は困惑しか浮かばない。
 正直に言えば、まだ色々と実感が湧かなくて、全てを受け入れた訳ではないからだ。

「でも、僕は……」
「私は今までの兄さんに感謝してるよ。そばにいてくれたのもそうだし、今まで何かしら連絡してた時も守ってくれてたんだよね……?」
「日和ちゃん……。それでも――」
「――それに……今回は私、兄さんに外食の予定を伝えてなかったの。私、兄さんに連絡しなければどうなるのか、今回でとても思い知った。だから本当に、感謝だけ……。謝るのは、私の方……ごめんなさい」
「日和、ちゃん……」
「兄さん。関係がどうであれ、私の兄は貴方で、高峰玲は……血は繋がってなくても、私の家族だと思ってる。それじゃ……だめ?」

 真っ直ぐな日和の目が玲に映る。
 小さな頃から何度も見た日和の真っ直ぐな目は、いくつになっても変わりが無い。
 玲の中の今までの記憶を思い出し、表情が柔らかくなった。

「…………いや、それでいいよ。ありがとう……」

 玲の体がゆっくりと崩れ、日和の肩に頭が乗る。

(こういう時、何をすることが正解なんだろう……)

 日和の心は迷った。
 そもそも自分にも他人にも興味を持てず、ただあるがままに過ごしてきたような人間だ。
 今日一日で沢山感情が揺れただけでも十分、体も心もかなりの疲労を感じた。
 それでも。
 この状況では何かするべきだ、と脳が告げる。
 動かなければ後悔するだろう、と心が告げる。
 日和は玲の背中に手を伸ばし、そのまま優しく抱き締めた。
 すると小さく玲が笑い出して、日和の頭を撫で顔を上げた。

「……こういう事、日和ちゃんは苦手なのにね……ごめん、ありがとう。もう遅いし、家まで送るよ」
「なんか、中学までの頃に戻ったみたい。じゃあ、お願いします」
「ふふ、そうかも。1年も経ったからそんなものかもしれないけど、なんだか懐かしいね」

 玲の表情がいつもの元気そうな顔に戻ったのを見て、日和は少しだけ安心した。
 それがまだ玲の得意な仮面の笑顔である事を、日和は知らない。
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