残酷な描写あり
4-2 日常的な術の使い方。
「えっと……何作るの?」
買い物袋を広げ、やる気に満ちた波音に向けて日和は問う。
「とりあえず食パンと野菜類、それから鶏肉を買ったわ。サンドイッチでいいかしら?」
「分かった。野菜を洗って、切るね」
「僕は邪魔しない様にこっちで座って見てるね。華ある女性二人が並んで料理してると可愛らしくて良いね」
「外野は黙ってなさい。燃やすわよ」
波音の買い物袋からレタスを手に取った所で、焔はにこにこと祖父がよく座っていた席に座る。
ついでに焔のヤジは波音が視線で殺し、燃やした。
「二人って仲良しだね」
「私の力から作り出されたけど、あいつは性格が悪いのよ」
「うん。波音を焚き付けるの、上手そう」
波音は口を尖らせ、明らかに不機嫌な表情だ。
それなのに言わずにいられなくて口から零れてしまった。
けれど波音は食パンを買い物袋から取り出し、外装を開けて口を開く。
「そうね。でも式って、そういうものみたいよ。術士の心のどこかで足りない物を補うような……そんな存在。戦う時以外でもサポートしてくるのは腹立たしいけど」
「……そっか、あの人が波音の式なんだ。兄さんにもいるんだよね?」
「とびっきりのがね。今度、いつか会うわ。
……ああ、あと一人。この前、下校前に会ったけどあの子にも会っておきなさい。ウチの風使いだから」
波音も日和も手を止めることなく淡々と作業をしながら会話をしている。
内容もまるっきり聞こえてくるが、あんなにベラベラと喋る波音を中々見ない焔は、二人の姿を見るだけでとても楽しい気分に浸る。
ついでに気付いてるのかいないのか、自分が座る場所に何も言わない日和はある程度は落ち着いたのだろう、と焔は確信していた。
時間は15分を過ぎ、波音は指を組んで体を伸ばす。
「さーて、あとはこの辺の準備ね!」
波音が取り出したのはパックに入ってる鶏肉だ。
「これは……どうするの?」
「照り焼きにして挟みましょ。……あ、昨日コンロ使おうと思ったのだけど、私のと違うからやり方が分からなかったわ。教えてくれる?」
波音は首を傾げて普通に接するが、日和はぴたりと止まる。
脳裏に噛んだのは、昨日玲と話していた焼き魚の焼き目のムラの話だ。
「えっと……うち、魚焼きグリルは確かに無いけど、どうやって焼いたの?」
「ああ、昨日のアレ? 私が燃やしたわ」
「……」
想定外の返事に、日和は固まった。
明らかに顔を歪めてしまって、波音の表情は眉をハの字にして焦りを見せる。
「……し、仕方ないじゃない……。玲は他の作ってたし……。それに、あいつだって皿を洗うのに自分の水を操って洗っていたわよ!」
「……」
とんでもない力の使い方ではないか。
まさか日常生活で使われるとは。
確かに綺麗にはなっていたが、そんな使い方をして色々と大丈夫なのか?
思わず無言でじっと見てしまった。
睨んでると思われたらどうしよう、と日和の中で少しの不安が募る。
「そ、そっか……。あ、使い方説明するね。まず、ここをこうして……」
日和はこれがカルチャーショックか、と無理矢理納得せざるを得ない状況に立たされた。
こうなると家事に向かない置野正也はどう、土を操るのだろうか。
やはり園芸なのだろうか…。
そんな勝手な思考がいつの間にか頭に浮かんでいた。
日和は思った。
波音の火の扱い方は料理で練習しているのかもしれない、と。
照り焼きチキンはコンロで作ったのだが、卵焼きは波音の火の力で作ってもらってしまった。
というのも、日和は波音がどのように魚を焼いていたのか興味を持ってしまったからだ。
つい口に出してしまったことで、波音が「見せてあげるわよ」と力を使ってくれた。
どうやら力の調節は直接火力に響いているらしい。
波音は手のひらを開いたり閉じたりして火力を操り、見事美味しそうな卵焼きを作っていた。
正直見ててとても楽しかった。
焼けた卵はバットの上に乗せて冷まし、いよいよパンに具材を挟んでいく。
レタスやキャベツの千切り、ハム、胡瓜、マヨネーズにチーズ、そして卵焼きと照り焼きチキン……沢山の具材をそれぞれ好みと感覚で挟んでは、半分に切っていく。
波音とは感覚が似ているのか、互いに「合わない」という言葉は全く無い。
更には思い思いの美味しそうなサンドイッチが出来上がった。
「結構できたね」
「そうね。運んで食べましょ」
「うん」
家の一番大きいプレート2枚には食パンを半分に切った種類豊富なサンドイッチが並んでいる。
それをテーブルの上に並べると、焔はにっこりと微笑んだ。
「わぁ、美味しそうだね。二人とも料理上手ー」
「ふざけて言ってんじゃないわよ。食べるわよ」
「いただきます」
「いただきます」
楽しそうな焔にぴしゃりと言い放つ波音は座り、手を合わせる。
波音の動きに合わせて日和も手を合わせ、サンドイッチを手に取った。
レタスのシャキシャキとした歯切れの良さ、照り焼きチキンの脂とタレが混ざり合って、じゅわりと美味しい。
波音の方は卵焼きが入ったサンドイッチを口にし、もぐもぐと咀嚼している。
一見表情ではよく分からなかったが、徐々に口角が上がっているのを見ると……美味しかったようだ。
出来たてのサンドイッチを頬張りながら、ふと思ったことが口に出た。
「ねぇ、焔って『嫉妬』の事じゃないの?」
「え?まぁ、嫉妬の炎みたいなやつの意味でも使われてるわね……」
視線だけを日和に向ける波音は頭にクエスチョンマークを浮かべる。
それはもう、『突然どうしたの?』と言わんばかりに。
「何でそんな名前にしたの?」
「ふふ、波音っぽいでしょ?」
「何で焔は嬉しそうにしてるのよ……」
日和の質問に焔はにこにこと笑っている。
眉間に皺を寄せる波音の口から小さく息が漏れた。
「別に。他に火を表す言葉が思いつかなかっただけよ」
「陽炎とか?」
「ふふ、それだと竜牙みたいだねぇ」
「やだ、男くさい……」
「竜牙さんが悲しみますよ……」
名前なんて考えた事がない。
だからこそそれっぽい単語を出してみただけなのだが、焔はにこにこと笑うだけ。
竜牙にはとんでもない風評被害を与えてしまった。
「名前なんて相手を個識するだけの暗号よ。通じれば良いのよ」
結局この話は波音のその一言でまとめられてしまった。
「いいなー。俺もサンドイッチ、食べていい?」
「食べればいいじゃない。聞く必要ある?」
そうして話している内にまた一つ食べ終わった。
そこへ焔がにこにこと羨ましそうに頼んできた。
寧ろ波音は当然とでも言うように焔を睨む。
一方の焔は波音の反応を察知していたらしく、「ありがとう」と笑いながらサンドイッチを手に取って頬張り、もぐもぐと咀嚼を始める。
笑みは崩れることなく、楽しそうだ。
「波音の式は食べるんですね?」
焔の視線が、日和に向く。
そしてゆっくりと口からサンドイッチを離した。
「うーん、なんで?」
「えっ、あー……竜牙さんが食べないのを昼に見るので……」
「ああ、なるほど。俺達式神も普通に食べられるよ。術士から力を貰ってるから食べる必要がないだけ。
竜牙の場合は、多分味覚が人間の半分以下らしいから、余計口に入れようとしないだけじゃないかな」
「ふむ……?」
焔の説明に日和は首を傾げる。
人間以下、とは何を基準にしているのだろうか。
「竜牙は特別製なの。式の作り方は私が知っている手法で3通り。
私や風使いのように自分の力から練り出すか、玲の式のように先祖代々継がれる術士の力をかけ合わせていくか、竜牙のように降霊するか、よ」
指を立て、波音は丁寧に教えてくれる。
それぞれの方法を想像してみるものの、残念ながらあまりピンと来ない。
それよりも一番最後の説明の言葉が強すぎて理解というものすら頭から消えた。
「降霊……えっ、降霊?」
「どうせ本人は自分から言わないだろうから僕が言っちゃうけど、竜牙は置野家初代の兄で……ずっと式になってるおじいちゃんなんだよ。
古い時代から使われて、途中で封印されていたらしいけど正也の祖父が再び使って、父、孫、と流れてきたんだね」
「おいくつなんでしょう……?」
「さあ、どれだけ昔の話なのかは全く知らないわ」
説明ににこりとした笑顔を添える焔だが、内容は明らかに人智を越えている。
波音もさらっと答えているが、とりあえずかなり古い人であることは理解できた。
「まあ、竜牙も咲栂も異次元の式よ。簡単には扱えないわ」
「咲栂は水。玲君の式だよ」
波音は疲れた表情でため息を吐く。
すかさず焔が補足をくれた。
「竜牙さんに咲栂さん、焔さん……式って不思議。咲栂さんには会ったことはないけど、皆こうして見ると普通の人みたいなのに……っ!?」
日和はじっと焔を見て、焔は一層にっこり笑う。
その瞬間、ぶわりと悪寒が走った。
「そんな見つめられると照れちゃうなぁ」
「その笑顔、いっそ胡散臭いわ。地が出てるわよ」
「うっ……なんか、寒気が……」
「ふふ、ごめんね。分かってくれた?」
頬を赤く染めて照れる焔がなんとなく怖く感じる。
にこにこと笑顔を向けているのに何故か寒い感覚がした。
いや、実際に鳥肌が立っている。
「焔、気を付けなさい。日和は一般人よ」
「その一般人を屋上から落とした人が言うことではないかな」
「い、今は関係ないでしょー!?」
「あんたねぇ……」と、波音は呆れた様子を見せる。
しかし次の瞬間には威嚇する猫のように立ち上がり、焔を睨み付けた。
「まあでもごめん、いきなりだったよね。大丈夫だった?」
焔は両手を合わせて、簡単な謝罪を日和に向ける。
多少威圧的なものを感じた日和はこくこくと頷いた。
「大丈夫です。一瞬殺されるかと思った……」
「さっきのはそういう笑顔だからよ」
「えっ?」
波音は苛立ちを見せながらもゆっくり腰を降ろす。
その間に焔は後頭部に手を当てながら口を開いた。
「僕は暗殺向きでね……その感覚は合ってるよ。ね?普通の人じゃないでしょ?」
最早トレードマークとも言える焔の笑顔。
一瞬、彼の燃え上がるような朱色の瞳が揺らめいた気がした。
「暗殺……誰かを殺すんですか?」
「いや、相手は妖だから効かないよ。『女の子』の波音じゃ力が足りないから、体術的な技術向上。力も技術も無ければ何も出来ないからね。この町では」
ちら、と波音を横目で覗くとサンドイッチを両手で持ちながら悔しそうな表情をしていた。
焔を式にしたのだ、少しは気にしているのかもしれない。
だからだろうか。
「波音って立派に頑張ってるんだね」
自然と口から褒め言葉が出た。
「はっ、はぁ!? 突然何よ……!」
日和の突然の言葉に、波音は口をぱくぱくとして、驚く。
その顔は真っ赤だ。
「そっ、そんな事…! 何言ってんの!? 頭大丈夫!? 目ん玉ついてる!?」
わたわたとあからさまに照れている波音の様子が可愛らしく見えて、日和はくすくすと笑う。
ひどい事を言われている気がするが、気にしないし気にならない。
「あの、波音はとっても頑張ってると思う」
「まだ言うか!」
「何に対しても、一生懸命なんだなと思って」
日和の笑みと共に出た言葉に、波音の動きがぴたりと止まった。
「そ、そりゃ……死にたくないもの。何にだって、悔いなんて残したく、ないじゃない……」
波音は口先を小さく口出し、弱弱しく睨みつけてくる。
その感覚は日和には知らないもので、それもまた少しだけ羨ましく感じた。
「私、もっと術士の事を知りたい。波音だけじゃなくて、兄さんも。竜牙や置野君……はまだ先かもしれないけど、もう一人の子のことも。
お父さんが何をしていて、何を守っていたのか。波音は、教えてくれる?」
日和は真っ直ぐに波音を見る。
その視線に波音は目を瞑り小さく息を吐き出すと、真っ直ぐ日和に視線を返した。
「あなたが望むのなら、こちら側にいらっしゃい。ただし私達は常に命がけ、最悪今日までの命だってあり得るの。こちら側に踏み込むってことは……分かってるわね?」
「…………うん。私はもう、波音達の見ている世界を知らないでは居られない。おじいちゃんが死んだ時から……ううん、お父さんが死んだ日には知っておかないといけなかったものだから……」
日和の視線から、言葉から、決意を感じた。
波音も焔も口角を上げる。
「分かったわ。その意志を明日の昼に、皆に伝えましょ」
「……ありがとう、波音」
日和と波音で微笑み、次のサンドイッチを手に取る。
波音との仲が一層、深まった気がした。
買い物袋を広げ、やる気に満ちた波音に向けて日和は問う。
「とりあえず食パンと野菜類、それから鶏肉を買ったわ。サンドイッチでいいかしら?」
「分かった。野菜を洗って、切るね」
「僕は邪魔しない様にこっちで座って見てるね。華ある女性二人が並んで料理してると可愛らしくて良いね」
「外野は黙ってなさい。燃やすわよ」
波音の買い物袋からレタスを手に取った所で、焔はにこにこと祖父がよく座っていた席に座る。
ついでに焔のヤジは波音が視線で殺し、燃やした。
「二人って仲良しだね」
「私の力から作り出されたけど、あいつは性格が悪いのよ」
「うん。波音を焚き付けるの、上手そう」
波音は口を尖らせ、明らかに不機嫌な表情だ。
それなのに言わずにいられなくて口から零れてしまった。
けれど波音は食パンを買い物袋から取り出し、外装を開けて口を開く。
「そうね。でも式って、そういうものみたいよ。術士の心のどこかで足りない物を補うような……そんな存在。戦う時以外でもサポートしてくるのは腹立たしいけど」
「……そっか、あの人が波音の式なんだ。兄さんにもいるんだよね?」
「とびっきりのがね。今度、いつか会うわ。
……ああ、あと一人。この前、下校前に会ったけどあの子にも会っておきなさい。ウチの風使いだから」
波音も日和も手を止めることなく淡々と作業をしながら会話をしている。
内容もまるっきり聞こえてくるが、あんなにベラベラと喋る波音を中々見ない焔は、二人の姿を見るだけでとても楽しい気分に浸る。
ついでに気付いてるのかいないのか、自分が座る場所に何も言わない日和はある程度は落ち着いたのだろう、と焔は確信していた。
時間は15分を過ぎ、波音は指を組んで体を伸ばす。
「さーて、あとはこの辺の準備ね!」
波音が取り出したのはパックに入ってる鶏肉だ。
「これは……どうするの?」
「照り焼きにして挟みましょ。……あ、昨日コンロ使おうと思ったのだけど、私のと違うからやり方が分からなかったわ。教えてくれる?」
波音は首を傾げて普通に接するが、日和はぴたりと止まる。
脳裏に噛んだのは、昨日玲と話していた焼き魚の焼き目のムラの話だ。
「えっと……うち、魚焼きグリルは確かに無いけど、どうやって焼いたの?」
「ああ、昨日のアレ? 私が燃やしたわ」
「……」
想定外の返事に、日和は固まった。
明らかに顔を歪めてしまって、波音の表情は眉をハの字にして焦りを見せる。
「……し、仕方ないじゃない……。玲は他の作ってたし……。それに、あいつだって皿を洗うのに自分の水を操って洗っていたわよ!」
「……」
とんでもない力の使い方ではないか。
まさか日常生活で使われるとは。
確かに綺麗にはなっていたが、そんな使い方をして色々と大丈夫なのか?
思わず無言でじっと見てしまった。
睨んでると思われたらどうしよう、と日和の中で少しの不安が募る。
「そ、そっか……。あ、使い方説明するね。まず、ここをこうして……」
日和はこれがカルチャーショックか、と無理矢理納得せざるを得ない状況に立たされた。
こうなると家事に向かない置野正也はどう、土を操るのだろうか。
やはり園芸なのだろうか…。
そんな勝手な思考がいつの間にか頭に浮かんでいた。
日和は思った。
波音の火の扱い方は料理で練習しているのかもしれない、と。
照り焼きチキンはコンロで作ったのだが、卵焼きは波音の火の力で作ってもらってしまった。
というのも、日和は波音がどのように魚を焼いていたのか興味を持ってしまったからだ。
つい口に出してしまったことで、波音が「見せてあげるわよ」と力を使ってくれた。
どうやら力の調節は直接火力に響いているらしい。
波音は手のひらを開いたり閉じたりして火力を操り、見事美味しそうな卵焼きを作っていた。
正直見ててとても楽しかった。
焼けた卵はバットの上に乗せて冷まし、いよいよパンに具材を挟んでいく。
レタスやキャベツの千切り、ハム、胡瓜、マヨネーズにチーズ、そして卵焼きと照り焼きチキン……沢山の具材をそれぞれ好みと感覚で挟んでは、半分に切っていく。
波音とは感覚が似ているのか、互いに「合わない」という言葉は全く無い。
更には思い思いの美味しそうなサンドイッチが出来上がった。
「結構できたね」
「そうね。運んで食べましょ」
「うん」
家の一番大きいプレート2枚には食パンを半分に切った種類豊富なサンドイッチが並んでいる。
それをテーブルの上に並べると、焔はにっこりと微笑んだ。
「わぁ、美味しそうだね。二人とも料理上手ー」
「ふざけて言ってんじゃないわよ。食べるわよ」
「いただきます」
「いただきます」
楽しそうな焔にぴしゃりと言い放つ波音は座り、手を合わせる。
波音の動きに合わせて日和も手を合わせ、サンドイッチを手に取った。
レタスのシャキシャキとした歯切れの良さ、照り焼きチキンの脂とタレが混ざり合って、じゅわりと美味しい。
波音の方は卵焼きが入ったサンドイッチを口にし、もぐもぐと咀嚼している。
一見表情ではよく分からなかったが、徐々に口角が上がっているのを見ると……美味しかったようだ。
出来たてのサンドイッチを頬張りながら、ふと思ったことが口に出た。
「ねぇ、焔って『嫉妬』の事じゃないの?」
「え?まぁ、嫉妬の炎みたいなやつの意味でも使われてるわね……」
視線だけを日和に向ける波音は頭にクエスチョンマークを浮かべる。
それはもう、『突然どうしたの?』と言わんばかりに。
「何でそんな名前にしたの?」
「ふふ、波音っぽいでしょ?」
「何で焔は嬉しそうにしてるのよ……」
日和の質問に焔はにこにこと笑っている。
眉間に皺を寄せる波音の口から小さく息が漏れた。
「別に。他に火を表す言葉が思いつかなかっただけよ」
「陽炎とか?」
「ふふ、それだと竜牙みたいだねぇ」
「やだ、男くさい……」
「竜牙さんが悲しみますよ……」
名前なんて考えた事がない。
だからこそそれっぽい単語を出してみただけなのだが、焔はにこにこと笑うだけ。
竜牙にはとんでもない風評被害を与えてしまった。
「名前なんて相手を個識するだけの暗号よ。通じれば良いのよ」
結局この話は波音のその一言でまとめられてしまった。
「いいなー。俺もサンドイッチ、食べていい?」
「食べればいいじゃない。聞く必要ある?」
そうして話している内にまた一つ食べ終わった。
そこへ焔がにこにこと羨ましそうに頼んできた。
寧ろ波音は当然とでも言うように焔を睨む。
一方の焔は波音の反応を察知していたらしく、「ありがとう」と笑いながらサンドイッチを手に取って頬張り、もぐもぐと咀嚼を始める。
笑みは崩れることなく、楽しそうだ。
「波音の式は食べるんですね?」
焔の視線が、日和に向く。
そしてゆっくりと口からサンドイッチを離した。
「うーん、なんで?」
「えっ、あー……竜牙さんが食べないのを昼に見るので……」
「ああ、なるほど。俺達式神も普通に食べられるよ。術士から力を貰ってるから食べる必要がないだけ。
竜牙の場合は、多分味覚が人間の半分以下らしいから、余計口に入れようとしないだけじゃないかな」
「ふむ……?」
焔の説明に日和は首を傾げる。
人間以下、とは何を基準にしているのだろうか。
「竜牙は特別製なの。式の作り方は私が知っている手法で3通り。
私や風使いのように自分の力から練り出すか、玲の式のように先祖代々継がれる術士の力をかけ合わせていくか、竜牙のように降霊するか、よ」
指を立て、波音は丁寧に教えてくれる。
それぞれの方法を想像してみるものの、残念ながらあまりピンと来ない。
それよりも一番最後の説明の言葉が強すぎて理解というものすら頭から消えた。
「降霊……えっ、降霊?」
「どうせ本人は自分から言わないだろうから僕が言っちゃうけど、竜牙は置野家初代の兄で……ずっと式になってるおじいちゃんなんだよ。
古い時代から使われて、途中で封印されていたらしいけど正也の祖父が再び使って、父、孫、と流れてきたんだね」
「おいくつなんでしょう……?」
「さあ、どれだけ昔の話なのかは全く知らないわ」
説明ににこりとした笑顔を添える焔だが、内容は明らかに人智を越えている。
波音もさらっと答えているが、とりあえずかなり古い人であることは理解できた。
「まあ、竜牙も咲栂も異次元の式よ。簡単には扱えないわ」
「咲栂は水。玲君の式だよ」
波音は疲れた表情でため息を吐く。
すかさず焔が補足をくれた。
「竜牙さんに咲栂さん、焔さん……式って不思議。咲栂さんには会ったことはないけど、皆こうして見ると普通の人みたいなのに……っ!?」
日和はじっと焔を見て、焔は一層にっこり笑う。
その瞬間、ぶわりと悪寒が走った。
「そんな見つめられると照れちゃうなぁ」
「その笑顔、いっそ胡散臭いわ。地が出てるわよ」
「うっ……なんか、寒気が……」
「ふふ、ごめんね。分かってくれた?」
頬を赤く染めて照れる焔がなんとなく怖く感じる。
にこにこと笑顔を向けているのに何故か寒い感覚がした。
いや、実際に鳥肌が立っている。
「焔、気を付けなさい。日和は一般人よ」
「その一般人を屋上から落とした人が言うことではないかな」
「い、今は関係ないでしょー!?」
「あんたねぇ……」と、波音は呆れた様子を見せる。
しかし次の瞬間には威嚇する猫のように立ち上がり、焔を睨み付けた。
「まあでもごめん、いきなりだったよね。大丈夫だった?」
焔は両手を合わせて、簡単な謝罪を日和に向ける。
多少威圧的なものを感じた日和はこくこくと頷いた。
「大丈夫です。一瞬殺されるかと思った……」
「さっきのはそういう笑顔だからよ」
「えっ?」
波音は苛立ちを見せながらもゆっくり腰を降ろす。
その間に焔は後頭部に手を当てながら口を開いた。
「僕は暗殺向きでね……その感覚は合ってるよ。ね?普通の人じゃないでしょ?」
最早トレードマークとも言える焔の笑顔。
一瞬、彼の燃え上がるような朱色の瞳が揺らめいた気がした。
「暗殺……誰かを殺すんですか?」
「いや、相手は妖だから効かないよ。『女の子』の波音じゃ力が足りないから、体術的な技術向上。力も技術も無ければ何も出来ないからね。この町では」
ちら、と波音を横目で覗くとサンドイッチを両手で持ちながら悔しそうな表情をしていた。
焔を式にしたのだ、少しは気にしているのかもしれない。
だからだろうか。
「波音って立派に頑張ってるんだね」
自然と口から褒め言葉が出た。
「はっ、はぁ!? 突然何よ……!」
日和の突然の言葉に、波音は口をぱくぱくとして、驚く。
その顔は真っ赤だ。
「そっ、そんな事…! 何言ってんの!? 頭大丈夫!? 目ん玉ついてる!?」
わたわたとあからさまに照れている波音の様子が可愛らしく見えて、日和はくすくすと笑う。
ひどい事を言われている気がするが、気にしないし気にならない。
「あの、波音はとっても頑張ってると思う」
「まだ言うか!」
「何に対しても、一生懸命なんだなと思って」
日和の笑みと共に出た言葉に、波音の動きがぴたりと止まった。
「そ、そりゃ……死にたくないもの。何にだって、悔いなんて残したく、ないじゃない……」
波音は口先を小さく口出し、弱弱しく睨みつけてくる。
その感覚は日和には知らないもので、それもまた少しだけ羨ましく感じた。
「私、もっと術士の事を知りたい。波音だけじゃなくて、兄さんも。竜牙や置野君……はまだ先かもしれないけど、もう一人の子のことも。
お父さんが何をしていて、何を守っていたのか。波音は、教えてくれる?」
日和は真っ直ぐに波音を見る。
その視線に波音は目を瞑り小さく息を吐き出すと、真っ直ぐ日和に視線を返した。
「あなたが望むのなら、こちら側にいらっしゃい。ただし私達は常に命がけ、最悪今日までの命だってあり得るの。こちら側に踏み込むってことは……分かってるわね?」
「…………うん。私はもう、波音達の見ている世界を知らないでは居られない。おじいちゃんが死んだ時から……ううん、お父さんが死んだ日には知っておかないといけなかったものだから……」
日和の視線から、言葉から、決意を感じた。
波音も焔も口角を上げる。
「分かったわ。その意志を明日の昼に、皆に伝えましょ」
「……ありがとう、波音」
日和と波音で微笑み、次のサンドイッチを手に取る。
波音との仲が一層、深まった気がした。