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作者: 柊 雪鐘
残酷な描写あり
4-3 帰宅
 月曜日。
 いつものように学校の準備を済ませて家を出ると、日和はいつもと違う朝の光景にぎょっと目を丸くした。
 玄関を開けた先、向かいの家を囲う塀に竜牙が道の先を見ながら両腕を互いの袖に突っ込んで立っている。
 朝日にきらきらと輝く銀糸の髪は梅雨前の風になびき、凛々しい顔立ちとがっしりとした体躯はあまりにも浮世離れした美しさで、一瞬違う世界に居るのではと疑ってしまう程だ。
 何故か日和は出会いを思い出し、心臓が早鐘はやがねになる。
 まだ竜牙がこちらに気付いてない内に、気持ちを入れ替えて声をかけた。

「た、竜牙さんっ……おはようございます」
「ああ……おはよう。玲に頼まれて来たが、よかったか?」
「はい、大丈夫です。えっと……兄さん、どうかしたんですか?」
「いや、大会が近いらしく朝練だと言っていた。昨日もそれで早く帰っていたから……。毎朝、迎えに来ているのだろう?」
「そうですね……最近は毎日来てくれてました」
「そうか」

 そういえば玲は弓道部に入っているが、大会後には校舎に垂れ幕が下がる程の腕らしい。
 ただ、全国には絶対行かないと前にボヤいていた気がする。
 もしかして仕事を気にしていたのだろうか。

「兄さんは何で弓道部に入ってるんだろ……」

 つい最近まで玲の実情を知らなかった日和は、ふと口から疑問が漏れた。
 竜牙は視線だけを日和に向け、また道に戻して口を開く。

「玲はいつも弓を扱っている。仕事している分では不安なのだろう」
「え?」
「……独り言だ。あいつの家はかんばしくない。あいつはいつも焦りと不安で必死になっている。出来る限り手を広げたい……自分が安心できる範囲を確実にしたい、そういう奴だ」

 竜牙の言葉、それは日和にとっては意外に感じた。
 日和が知る限りでは、今までの玲に対してそういうものは一切感じたことはない。
いつも『にこにこと笑って、』――そんな人物像の人間だ。

「未だに無理をしているのを誰も止められない。止めても多分まだ続けるつもりだろう。面倒事だけは回避させたい所だが……」
「兄さん、どこか悪いんですか……?」
「――式を扱うのは16になる誕生日まで。この町ではそう決められている」
「えっ? 兄さん、とっくに17ですよ?」
「そうだ。そろそろむしばまれてもおかしくない状況にいる」

 突然の不穏な言葉に日和の心が重くなった。
 『蝕まれる』
 そう聞くと玲の事が心配でならない。

「……そういえば、咲栂さんって特別な式なのですよね?」

 昨日波音が言っていた事を思い出し、日和は口に出す。
 すると竜牙は即座に反応し、声のトーンを変えて日和を見た。
 その目は、何処か不審な様子だ。

「誰に聞いた?」
「え、な、波音に昨日――」
「――そう、か。……ああ、そうだ」

 一瞬、竜牙の表情が硬くなった気がする。
 きっと気のせいだと紛らわすように頷くが、視線は思いきり外された。

「すみません、もしかして聞いたらダメな事でしたか……?」
「いや。……あいつらは変なところで口が軽いのを失念していた。どこまで聞いた?」
「式の作り方が3通りあって、その方法と……竜牙さんがとても長い間式をしているのも聞きました」

 何も考えず素直に口を開いて答えてしまい、口に出して大丈夫かと心配になったが……遅かったらしい。
 言い終えた直後に竜牙は小さく吹き出し呆れた表情をする。

「はあ、個人情報守秘のかけらもないな」
「す、すみませ……! 竜牙さんはそういうの言わないからって……」
「分かった、後で波音の相手をしてやろう」

 フォローしたつもりだったが、逆に追いやってしまったらしい。
 竜牙は笑顔で言ったが、綺麗な青い目はとても笑っていなかった。
 小さく心の中で波音に謝罪しておこう。

「さて、ついたな」

 いつの間にか学校の近くまで来ていたようだ。
 周囲には人の歩く姿が全くないので気付かなかった。
 結界とは不思議なものだ。

「すみません、ありがとうございます」
「謝るな。師隼からも日和の様子を見るよう言われている」
「神宮寺さんが……?」
「術士家系の娘だし、お前の家族の事もある。目をかけるのは当然だと思うが?」

 竜牙に言われて納得した。
 これは過保護じゃない。
 それほど自分が今危険な所にいるんだ、と。
 いっそこのまま終わらせてほしい、なんて言えない立場にいつの間にかなっていたようだ。
 寧ろ最初からそんな事を言わせて貰う立場にはなかったのかもしれない。

「えっと……ありがとうございます。神宮寺さんにも……そう伝えてください」
「分かった。その校門を超えると結界の外だ。じゃあ、また昼に」
「はい。行ってきます」
「ああ、行ってらっしゃい……あと、竜牙、と呼び捨てで良い」
「あ……はい、竜牙。行ってきます!」

 日和は立ち止まっていた足を進め、校門を踏む。
 最後に頷いた竜牙の気配が消え、周囲に生徒の姿が浮かんで現れた。
 今まで周囲に人が居ないのは結界の効果なのだろう。
 同時に周囲からは自分がどう見えるのか、と思ったが、それは今度にしようと心の奥底に閉まった。


◇◆◇◆◇


 家の門をまたぐと、むわりと人の気配が溢れた。
 自分が生きていた頃と比べれば規模は大分減ったが、それでも二十人は居る。
 逆に金詰日和のように家にほぼ一人なのも考えようだとは思うが、人が多いよりは気が楽かもしれない、と思わずため息が出た。
 玄関の戸を開けるとずらりと人の道が出来ている。
 正也も自分も常にこの出迎えを「必要ない」と言うのだが、ここの人間は家主共にそれを理解してはくれないらしい。

「竜牙、おかえり。正也は元気かい?」

 自分の前に現れた男はにこりと笑顔を見せている。
 しかし、それは戯れの意味もあるだろう。
 竜牙は大きなため息を吐いて呆れたように、道の先に立つ男に言葉を向ける。

「お前は本当に人の話を聞かん。『年長者の言う事は聞くものだ』と息子に言うのに、私の言う事は一切聞かんな?」
「あっはっは、生後からずっと共に付き合ってる奴なんて兄弟くらいにしか思ってないよ。私の生前から生きていても、そんな事知らないなぁー」

 にっこりと笑う家主に竜牙は再びため息を吐き、手で目を塞ぐ。
 この置野佐艮さこんという男は術士としてはとても強い人間だが、楽天家で子供っぽい所がある。
 正直これが現在の当主である事実はかなり不服ではあるが、歴代で考えればしっかり勤まってはいるので余計に腹立たしい。
 そしてこの歓迎ぶりは多分、いつもの悪戯イタズラというやつだ。
 思考するだけでため息が出そうになる。

「竜牙、『年長者は敬う』ものだぞ」

 再びこの男はにんまりと笑う。
 まるでガキ大将そのものだ。やっぱり意地が悪い。
 竜牙は手を上げて払うと、並んでいた使用人達はそれぞれの仕事に戻っていった。

「しばらくは戻れない、と言った筈だが?」
「いやぁ、正也が心配だったのでね。そんな呪いを付けて言う人の言葉なんて聞けないよ」

 この佐艮という人間は、鋭い。
 仕事が原因ではあるだろうが、言わずとも理解するとは大した嗅覚だ。

「やはり見破るか。正也が泣くぞ」
「それはかけた妖しか解呪できないのが残念だなぁ。よほど強い妖が居るのかい? ……もしかして、女王かな?」
「ああ、だが今は無理だ。他の家が気付いているかは知らん。正也は近づいたら呪いをかけられて煙に巻かれた」

 いつになく真面目な表情の佐艮に竜牙も本気の目になって答える。

「目星は?」
「……金詰の娘、誕生日を知っているか?」
「金詰かい?確か10月の頭くらいだった気がするよ」
「その日に姿を現すと踏んでいる」

 竜牙の言葉に佐艮の表情が変わった。
 娘が狙われていると聞いて怒りを覚えたか、久々の友の名を聞いて嬉しくなったか、両極端な感情が伝わる。

「できれば私が行きたいところだね」

 にこりと笑う男は、銀縁眼鏡の奥で全ての感情に蓋をして答えた。
 (復讐か――)

「やめておけ。悪い予感しかしない」

 今かけられている呪いの効果か、妖の姿や情報を思い出せないのが残念な所だ。
 だが、その時にならないと正体すら現さないであろうくだんの妖に、今思考を巡らせても仕方ない。
今はまだ、情報を探し金詰日和の安全を確保するだけだ。

「そっかぁ。じゃあ今はこちらでも極力情報を得られるよう探るよ。あとは、そうだなぁ…その金詰の娘さんに会ってみたい」
「……善処する」

 金詰日和の父と、この置野佐艮――置野正也の父親はこの代の術士の中でも特段仲が良かった。
 勿論自分もよく顔を合わせてはいたし会話もしたが、その娘に会うことで特別な感情を抱くのは誰でもそうなのかもしれない。
 特に、親友と言うべき友人を失ったこの男からすれば、見たこともないのに日和の事を既に娘だと思っていそうだが。

「ああ竜牙、お弁当はこっちで準備するから毎日取りに来るように。既に今日の分は用意しているから!」

 突然佐艮がウキウキ気分で発した言葉に竜牙は怪訝な顔を浮かべた。

「待て、その話は誰から聞いた?」
「ふふふ、情報通をなめるなよ?波音ちゃんから聞いた」

 町で偶然見かけた女中の一人しか話していないのに、違う場所から情報を得られている。
 本当によく喋るな……と思ったが、多分ここ一週間の行動は割れているだろう。
 特に突っ込む気も起きなかった。

「それにしても今代は皆仲良しだねぇ。羨ましいよ」
「……まぁ、そうだな。しっかりやっている」

 しみじみと佐艮は呟く。
 その言葉に対して色々思う所はあるが、佐艮の含みは自分も良く知っているので口は出さない。
 それよりも、今言っておかないとならない言葉ができた。

「佐艮、今日はもう手遅れだから諦めるが、明日からはちゃんと作ってくれ」

 人差し指を思いっきり佐艮に向け、竜牙は釘をさすように強い口調で言う。
 対し佐艮は、言葉の意味をしっかりと受け止めると子供のように頬を膨らませた。

「えーー!! なんでそんな事言っちゃうのー!? 竜牙君ひどーい!」
「君をつけるな気持ち悪い」
「やだ!! 僕は皆にウチのご飯を食べてほしい! ウチのお手伝いさんが丹精込めて作ってくれたご飯をあの子に食べてほしい!」

 ぶすーと子供のように駄々をこねる佐艮の本音が見えた。
 とは金詰日和だろう。
 多分名前を知らないので呼べないだけだろうが、誰向けてるかはなんとなくはっきり聞こえた。

「一体自分を幾つだと思っているんだ……嫌な大人になっているぞ」
「ふっ、子供の心を忘れず大事に持ってこその大人だよ。そして好きな子に対しては一切の愛情を忘れてはいけない。是非うちの食事を食べて欲しい!」

 腕を組み、自信たっぷりに佐艮は見下ろす。
 互いの背など数センチしか変わらない。
 なのに体を逸らして自分の大きさを出している。
 あまりにも子供じみ過ぎていて、人格を疑いたくなる程に痛々しく腹立たしい姿だ。

「正也が聞いたら悪夢を見た様にげっそりした顔をしそうだ。やめてくれ」
「そんな事言われたら妻にすら何もできないじゃないか。娘にも、何もできていないのに」
「だから今日は諦めると言っただろう。あとで取りに行くから、もう黙れ」

 一瞬、佐艮に寂しさの影が差したが、見ぬふりをする竜牙はため息を噛み殺した。
 佐艮は苦笑いを返し、背を向けた竜牙に一言告げる。

「竜牙!今日はとびっきり頑張るからね!」
「本ッ当にやめろ」

 何か言うとは思ったが、竜牙の中で今季最大に腹立たしくなっただけだ。
 家を出て、早速ため息が出た。
 それは佐艮と一緒だと身が持たない、とさえ思ってしまう程。
 正也といると、まだ学生だった佐艮とよく一緒に居られたなと苦労に感じてしまいそうだ。
 それほどに正也は喋らず大人しい訳だが、困ったことに今はまだ呼べない。
 あの日、屋上で金詰日和に接触した日から正也と意思疎通ができていない状態が続いている。
 朝なのに妖と接触し戦闘したが、逃げられた挙句呪われてしまった影響だろうか。
 早く体を返さなければならないというのに。
 正也が、消えてしまう前に…――。
置野佐艮
6月13日・男・35歳
身長:183cm
髪:砂色
目:土色
職業:解呪師
好きなもの:家族。特に妻。極度の愛妻家だと自負している。
嫌いなもの:ギスギスした空気。息詰まった空気。


清潔感のある髪型。前は7:3くらいで軽く流してる感じ。
後ろは一つに束ねて肩甲骨くらいまで尻尾感覚でちょろっと。髪の毛が細くて柔らかいので抜け毛が少し気になるお年頃。
正也と違ってあまり動かず術に頼るタイプ。
元々着流しに羽織るのが好きなので家でも外でも和装一筋。
視力0.2の為、トレードマークの銀縁眼鏡は必須アイテム。
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