残酷な描写あり
10-1 高峰玲の憂鬱
今日は弓道部の大会だと言うのに、応援に行く気は全くしなかった。
それほどまでに今の自分は気持ちが落ち込んでるのだと思うと、自嘲が出る。
そういう時に限って外は雨。
こんな時は大概、外に出ると一番楽な気持ちになる。
雨は好きだ。
まず喜んで雨の中を歩く人が少なく、誰かに出会う可能性が限りなく低い。
次に雑魚になるが、季節柄少し妖が増える。
これには『雨に対しての憂鬱が絡み、気持ちのブレが強くなるから』だと師隼は予想していた。
八つ当たりにはなるが、出てきてくれたならそれはそれで気分を発散させられる。
そして最後に雨水を直接扱うことは無いが、水を使う自分にとっては仕事道具にも等しい存在だからだ。
残念なのは、こんなにも激しい音を立てて降り注ぐ雨の中に居ても、体が濡れない事だろうか。
自身には水の守りがある。
身体の表面に薄らとまとわりつく力が水を弾くのか、雨は体に当たることなく落ちてしまう。
本来なら肌が透けてしまっているだろうシャツや、べたべたと張り付きそうな髪は一切濡れていないし、制服のズボンや靴だって、水に跳ねた試しも無い。
少しだけでも汚れてくれた方が気分も楽なのに。
「……兄さん?」
ふと声を掛けられ振り向くと、正面から良く知る姿が歩いてきていた。
傘を差してはいるが、髪の下の方や腕、私服の可愛らしいワンピースの裾が濡れてしまっている。
「……日和、ちゃん。何してるの? こんな所で」
「私より、兄さんです! こんな雨の中で、なんで傘すら差してないんですか!?」
むっ、と眉間に皺を寄せる日和は手に持っていた傘の中に自分を入れてきた。
おかげで日和は頭の上から濡れ始めている。
「僕なら濡れないから平気だって、何度も言ってるじゃないか。こら、日和ちゃんが濡れるよ。風邪引いちゃうから、いらない」
「……駄目。この前私、兄さんの傘……無視した、から…………」
「あ……」
数日前、狐面の少女が余計な事をしたせいで日和はまた、閉鎖的になった。
どうやらあの時、僕の傘を受け取らず学校に向かったことを気にしていたらしい。
それだけでも日和は昔と比べて十分に人らしくはなったのだが。
それが嬉しいのか、可笑しいのか、思わずくすっと笑いが込み上げてきた。
「わかったから傘、持つよ。……竜牙は一緒じゃないの?」
「師隼が、私に何かあればすぐ連絡するようになったから……。竜牙は多分、休んでる」
傘を受け取りながら周囲を探知するが、いくつか怪しい気配がある。
どうやら狐面がその辺で日和を見ているようだ。
その分竜牙に少しの休息と、日和が一々誰かと行動しないと身動きができなくなる心配はなくなったらしい。
そもそも竜牙にしても、正也にしても、基本的にスペックが高いのか志が高いのか、働きすぎる傾向にあるのだ。
休めるなら休んだ方が良いに決まってる。
「……日和ちゃんはちゃんと休めてる?」
「え?」
「だって、僕は行ったことがないから詳しく知らないけど……置野家って大きいし、人もいるでしょ」
「あ、えっと……」
明らかに日和は表情を歪ませ、言葉を濁す。
言葉にしなくても分かる。
慣れてない、と表情と態度が訴えていた。
「日和ちゃんは昔から、人の多い所は苦手だもんね」
「でも、皆さん良い人なのは分かるよ。気にかけてくれるし、気になる事があればすぐ相談させてくれるし……」
多分、日和の言う事は本当なのだろう。
問題なのは日和自身で、多分今までの積み重ねが良心的なそれらを拒否してしまっている。
逆に言うと日和をここまで周りに興味を持たせる為に、どれほどその固い扉を開けてやったか……という話になるのだが。
正直に言えば、これでもかなり無理矢理こじ開けた方だ。
「……ゆっくりで良いんじゃないかな。無理にすぐ慣れる必要は無いし。……本当はうちにおいで、と言えればよかったんだけど、多分行く先は師隼か、波音か、正也の家だから……」
「兄さんは昔から家が厳しいんだよね? 夏樹君も、厳しいの?」
「うちは、祖父の力がまだ強いからね……。父さんにもあまり世話になりたくはないし……。夏樹の家は単純に家族の人数が多いだけだよ。その分ギクシャクしてるけど」
自分で口に出しておいてなんだけど、さっきまでの憂鬱がぶり返して少し気持ちが重たくなった。
「人数が多いと、ギクシャク……?」
一方の日和は首を傾げている。
術士の家特有の考え方なんて理解しなくて良い。
そう、薄らと思いながら……日和だって一種の考え方を押し付けられているのだと気付いた。
「……日和ちゃん、ちょっとそこで休憩しない?」
「……うん」
偶然か、公園を見つけ屋根のあるベンチを指差す。
一瞬だけ嫌な不安を過ったが、杞憂だと感じる程日和は素直に答えた。
「このベンチに座るの、久しぶり。おじいちゃんが死んじゃった日、以来かな……」
「うん……そう、だね……」
腰かけるベンチを撫で、日和は視線を落としている。
その件に関してはもう何も言えることは無い。
日和にとって大事な人を守れなかった僕は、適当に相槌を打つしかなかった。
「まだ、2週間なんだね……。毎日ばたばたしてるのに、全然経ってない……」
くす、と笑う日和の目は一切笑っていなくて、自嘲なのだとすぐに分かる。
術士を知ってからも彼女は周りに翻弄されてばかり。
僕はまだ、彼女を助けられる術を知らない。
「あのね、兄さん。私、多分だけど……まだまだ周りの人に心を開けてないんだと思う。興味を持つようにはしてるんだよ? でも、まだ色んなところで気にしてる事もあって……。
あとね……聞いて、兄さん。私、やっぱりお母さんにも嫌われてたよ……っ!」
こちらを向いて、懸命に笑顔を作った日和の顔が一瞬で歪む。
目からぼろぼろと大粒の涙が落ちて、日和の膝を濡らした。
胸がぎゅっと締め付けられるような気分だ。
腕を伸ばしその体を抱き寄せて、胸の中で泣かせた。
まるで唯一の家族を失ったあの夜にしてもらったことの逆だ。
日和にとっては祖父が死んでしまった事は勿論ショックだろう。
だが、母親が居なくなったことも、先日の狐面の少女にだってショックを受けた筈だ。
「……日和ちゃんは、強くなったね。真っ直ぐに受け止めて、こうやって気持ちを伝えてくれる事も昔は無かった。
……日和ちゃん、今も『こんな事なら誰にも会わない方が良い』って、思う?」
それは、幼少の日和が言った言葉だ。
父を亡くし、母親に棄てられた、まだ3,4歳の日和が吐いた悲しみと苦しみの言葉。
まだ親が恋しくて、見てもらいたくて仕方ない年齢の筈なのに、日和は小さな体でそう口にしていた。
「ううん、思わない……。思わない、けど……胸が苦しい、痛い……」
「皆、そうなんだ。だから一緒に過ごして、支え合おうとしてる。日和ちゃんはやっとそれを知ったけど……まだ、それが怖いだけ。だから、僕にこうやって伝えてくれるんでしょ?」
ざああ、と小屋の外では強い雨が地面を打ち付ける。
今の空が夜なら、きっと日和の心に一番近い景色なんだろう。
小さな日和を照らして傘を差してくれる人物は集まっていて、あとは日和が頼るだけ。
今はまだ、選べるのは僕だけらしい。
「……この前、竜牙にも似たようなことを言われた。そのもうちょっと前に、おじいちゃんにも……」
少し落ち着いたのか、体を離す日和は不満気に言う。
お節介焼きは増えていたようだ。
これだけは何度言われても、日和にはハードルが高いのだろう。
「そっか。皆それだけ日和ちゃんのことを心配しているんだよ。……もちろん、僕もだよ」
「……兄さんはいつも心配してくれてるのは知ってる」
自分の気持ちを伝えたつもりだが、日和はくすっと笑う。
そうして自然な笑みを見せてくれる、それだけでも十分ではあるのだけど。
「そう言うのなら、もう少し自覚して欲しいな。今のままじゃまだ、僕は心配で過労死しそうだから」
「そ、それは兄さんが心配性なだけです……!」
顔を上げた日和は頬が少し膨らんで拗ねている。
目の周りを真っ赤にして、中々見ない姿に笑いが込み上げて少しイジメたくなった。
「どうかなぁ? でも、現に今泣きじゃくってる妹分は、誰?」
「うっ……兄さんは時々、意地悪です……」
拗ねた日和は怒られて拗ねる波音に少し似ていて、余計に可笑しく感じた。
正反対に見える二人だけど、類は友を呼ぶのだろうか。
それほどまでに今の自分は気持ちが落ち込んでるのだと思うと、自嘲が出る。
そういう時に限って外は雨。
こんな時は大概、外に出ると一番楽な気持ちになる。
雨は好きだ。
まず喜んで雨の中を歩く人が少なく、誰かに出会う可能性が限りなく低い。
次に雑魚になるが、季節柄少し妖が増える。
これには『雨に対しての憂鬱が絡み、気持ちのブレが強くなるから』だと師隼は予想していた。
八つ当たりにはなるが、出てきてくれたならそれはそれで気分を発散させられる。
そして最後に雨水を直接扱うことは無いが、水を使う自分にとっては仕事道具にも等しい存在だからだ。
残念なのは、こんなにも激しい音を立てて降り注ぐ雨の中に居ても、体が濡れない事だろうか。
自身には水の守りがある。
身体の表面に薄らとまとわりつく力が水を弾くのか、雨は体に当たることなく落ちてしまう。
本来なら肌が透けてしまっているだろうシャツや、べたべたと張り付きそうな髪は一切濡れていないし、制服のズボンや靴だって、水に跳ねた試しも無い。
少しだけでも汚れてくれた方が気分も楽なのに。
「……兄さん?」
ふと声を掛けられ振り向くと、正面から良く知る姿が歩いてきていた。
傘を差してはいるが、髪の下の方や腕、私服の可愛らしいワンピースの裾が濡れてしまっている。
「……日和、ちゃん。何してるの? こんな所で」
「私より、兄さんです! こんな雨の中で、なんで傘すら差してないんですか!?」
むっ、と眉間に皺を寄せる日和は手に持っていた傘の中に自分を入れてきた。
おかげで日和は頭の上から濡れ始めている。
「僕なら濡れないから平気だって、何度も言ってるじゃないか。こら、日和ちゃんが濡れるよ。風邪引いちゃうから、いらない」
「……駄目。この前私、兄さんの傘……無視した、から…………」
「あ……」
数日前、狐面の少女が余計な事をしたせいで日和はまた、閉鎖的になった。
どうやらあの時、僕の傘を受け取らず学校に向かったことを気にしていたらしい。
それだけでも日和は昔と比べて十分に人らしくはなったのだが。
それが嬉しいのか、可笑しいのか、思わずくすっと笑いが込み上げてきた。
「わかったから傘、持つよ。……竜牙は一緒じゃないの?」
「師隼が、私に何かあればすぐ連絡するようになったから……。竜牙は多分、休んでる」
傘を受け取りながら周囲を探知するが、いくつか怪しい気配がある。
どうやら狐面がその辺で日和を見ているようだ。
その分竜牙に少しの休息と、日和が一々誰かと行動しないと身動きができなくなる心配はなくなったらしい。
そもそも竜牙にしても、正也にしても、基本的にスペックが高いのか志が高いのか、働きすぎる傾向にあるのだ。
休めるなら休んだ方が良いに決まってる。
「……日和ちゃんはちゃんと休めてる?」
「え?」
「だって、僕は行ったことがないから詳しく知らないけど……置野家って大きいし、人もいるでしょ」
「あ、えっと……」
明らかに日和は表情を歪ませ、言葉を濁す。
言葉にしなくても分かる。
慣れてない、と表情と態度が訴えていた。
「日和ちゃんは昔から、人の多い所は苦手だもんね」
「でも、皆さん良い人なのは分かるよ。気にかけてくれるし、気になる事があればすぐ相談させてくれるし……」
多分、日和の言う事は本当なのだろう。
問題なのは日和自身で、多分今までの積み重ねが良心的なそれらを拒否してしまっている。
逆に言うと日和をここまで周りに興味を持たせる為に、どれほどその固い扉を開けてやったか……という話になるのだが。
正直に言えば、これでもかなり無理矢理こじ開けた方だ。
「……ゆっくりで良いんじゃないかな。無理にすぐ慣れる必要は無いし。……本当はうちにおいで、と言えればよかったんだけど、多分行く先は師隼か、波音か、正也の家だから……」
「兄さんは昔から家が厳しいんだよね? 夏樹君も、厳しいの?」
「うちは、祖父の力がまだ強いからね……。父さんにもあまり世話になりたくはないし……。夏樹の家は単純に家族の人数が多いだけだよ。その分ギクシャクしてるけど」
自分で口に出しておいてなんだけど、さっきまでの憂鬱がぶり返して少し気持ちが重たくなった。
「人数が多いと、ギクシャク……?」
一方の日和は首を傾げている。
術士の家特有の考え方なんて理解しなくて良い。
そう、薄らと思いながら……日和だって一種の考え方を押し付けられているのだと気付いた。
「……日和ちゃん、ちょっとそこで休憩しない?」
「……うん」
偶然か、公園を見つけ屋根のあるベンチを指差す。
一瞬だけ嫌な不安を過ったが、杞憂だと感じる程日和は素直に答えた。
「このベンチに座るの、久しぶり。おじいちゃんが死んじゃった日、以来かな……」
「うん……そう、だね……」
腰かけるベンチを撫で、日和は視線を落としている。
その件に関してはもう何も言えることは無い。
日和にとって大事な人を守れなかった僕は、適当に相槌を打つしかなかった。
「まだ、2週間なんだね……。毎日ばたばたしてるのに、全然経ってない……」
くす、と笑う日和の目は一切笑っていなくて、自嘲なのだとすぐに分かる。
術士を知ってからも彼女は周りに翻弄されてばかり。
僕はまだ、彼女を助けられる術を知らない。
「あのね、兄さん。私、多分だけど……まだまだ周りの人に心を開けてないんだと思う。興味を持つようにはしてるんだよ? でも、まだ色んなところで気にしてる事もあって……。
あとね……聞いて、兄さん。私、やっぱりお母さんにも嫌われてたよ……っ!」
こちらを向いて、懸命に笑顔を作った日和の顔が一瞬で歪む。
目からぼろぼろと大粒の涙が落ちて、日和の膝を濡らした。
胸がぎゅっと締め付けられるような気分だ。
腕を伸ばしその体を抱き寄せて、胸の中で泣かせた。
まるで唯一の家族を失ったあの夜にしてもらったことの逆だ。
日和にとっては祖父が死んでしまった事は勿論ショックだろう。
だが、母親が居なくなったことも、先日の狐面の少女にだってショックを受けた筈だ。
「……日和ちゃんは、強くなったね。真っ直ぐに受け止めて、こうやって気持ちを伝えてくれる事も昔は無かった。
……日和ちゃん、今も『こんな事なら誰にも会わない方が良い』って、思う?」
それは、幼少の日和が言った言葉だ。
父を亡くし、母親に棄てられた、まだ3,4歳の日和が吐いた悲しみと苦しみの言葉。
まだ親が恋しくて、見てもらいたくて仕方ない年齢の筈なのに、日和は小さな体でそう口にしていた。
「ううん、思わない……。思わない、けど……胸が苦しい、痛い……」
「皆、そうなんだ。だから一緒に過ごして、支え合おうとしてる。日和ちゃんはやっとそれを知ったけど……まだ、それが怖いだけ。だから、僕にこうやって伝えてくれるんでしょ?」
ざああ、と小屋の外では強い雨が地面を打ち付ける。
今の空が夜なら、きっと日和の心に一番近い景色なんだろう。
小さな日和を照らして傘を差してくれる人物は集まっていて、あとは日和が頼るだけ。
今はまだ、選べるのは僕だけらしい。
「……この前、竜牙にも似たようなことを言われた。そのもうちょっと前に、おじいちゃんにも……」
少し落ち着いたのか、体を離す日和は不満気に言う。
お節介焼きは増えていたようだ。
これだけは何度言われても、日和にはハードルが高いのだろう。
「そっか。皆それだけ日和ちゃんのことを心配しているんだよ。……もちろん、僕もだよ」
「……兄さんはいつも心配してくれてるのは知ってる」
自分の気持ちを伝えたつもりだが、日和はくすっと笑う。
そうして自然な笑みを見せてくれる、それだけでも十分ではあるのだけど。
「そう言うのなら、もう少し自覚して欲しいな。今のままじゃまだ、僕は心配で過労死しそうだから」
「そ、それは兄さんが心配性なだけです……!」
顔を上げた日和は頬が少し膨らんで拗ねている。
目の周りを真っ赤にして、中々見ない姿に笑いが込み上げて少しイジメたくなった。
「どうかなぁ? でも、現に今泣きじゃくってる妹分は、誰?」
「うっ……兄さんは時々、意地悪です……」
拗ねた日和は怒られて拗ねる波音に少し似ていて、余計に可笑しく感じた。
正反対に見える二人だけど、類は友を呼ぶのだろうか。