残酷な描写あり
10-4 玲の焦り
玲は学校の授業を終えると部活には行かず帰宅にした。
ここ最近は頭が痛いことばかりだからだ。
「ただいま戻りました。……先生?」
昨日、祖父から言われた言葉があった。
自分としては大変気に入らなかったその言葉に警戒して、巡回へ出る前に一度家に戻ってきたものの、玄関を見ただけで分かる。
祖父の靴は無くなっていた。
『金詰日和嬢と結婚しろ』
突然言われた祖父の言葉、そして外出中の祖父。
嫌な予感しかしない。
間に合わなかったか、と頭痛がする程不安に駆られた。
「ただいま戻った」
「先生! どこに行ってたんですか!?」
会えなかったと信じたくて、つい語気が強くなってしまう。
しかし帰宅した祖父はいつもと変わらない表情で「街に出ていた」と平然と言いのけた。
「……」
「金詰日和嬢にも会えた。……昨日も言ったが玲、家を継ぐためにも金詰日和嬢と結婚をしろ。高峰の血を継ぎ、水鏡と名乗れる日の為にも」
冷たい視線でさらりと言われた言葉に酷い苛立ちを覚える。
この祖父は自分の努力を全て水に流すというのか。
「……っ! だから、その為にも日和さんに会いに行ったと言うんですか!」
「お前のことだ。どうせ簡単にそういう話があるかもしれないと曖昧に話すか、そもそも相手に伝えるべき言葉すら濁すのみだろう。高峰の意向も伝えねば、日和嬢は突然言われたかとて納得し、良しとは言わんだろう」
あまりにも自分勝手すぎる。
今までなんの為に術士と離れた生活をさせ、触れられないように守っていたと思っていたのか。
過去全ての苦労や思いを踏みにじられた気分だ。
「それでも、まだ彼女は家族を失ったばかりです! 父のこともある、まだ立ち直れたとは言えない状態なんです! 何を勝手に……」
「日和嬢からは近い内返事が来るだろう。お前も一介の術士として、そして庵を継ぐ立場としての準備をしておけ」
「先生!!」
心も無い、家に縛られた祖父は表情を一切変える事なく家の奥へと消えていく。
なんでこんなことになるんだ。
気が気でない。
明日、一番に日和の元へ行って確認しないと……!
***
いつの間にか寝ていたらしい。
目を覚ますと身体は思っていた以上にすっきりとしていて、とても軽い。
部屋の中に竜牙は既にいなかった。
外を覗くと空は白んでいる。どうやら朝のようだ。
「んん……!!」
日和は体を伸ばし制服に着替える。
スマートフォンで時刻を確認すると、まだ4時半だった。
朝食にはあまりにも早すぎるが、昨日華月が準備してくれていたらしい夕食がテーブルの上にラップをされて置かれていた。
「……いただきます」
日和はテーブルの前に座ると器から一つずつラップを外し、手を合わせる。
体調がよくない日和に合わせてうどんにしてくれたようだ。
更にいつでも食べれる様に麺と出汁が分けられている。
なんて細やかな気配りだろうか。
日和はつけ麺の要領で出汁に麺をつけて啜る。
ひんやりと喉を通っていく感覚が体調不良から落ち着いた身体によく沁みて、全てあっという間に食べきってしまった。
もう少し食べたいという欲を持ちつつ、食器を持って下へ降りる。
流石に迷惑だろうから食器を置いて戻ろうと思っていたが、まだ5時前だと言うのにもう人が居た。
「日和様、お体はもう大丈夫なんですか?」
「はい、おかげさまで……ありがとうございました」
「お食事は足りました? よかったら追加で温かい物でも準備しますよ?」
おっとりとした初老の女中と渋みのあるがたいの良い料理人が並んで、日和を心配する。
時間もあるし準備してもらえるなら嬉しい。
「じゃあ……お願いしても、いいですか?」
日和のお願いに二人はにこりと笑い、準備を始める。
個人用の食事部屋に通され、静かに待つ。
しばらくして女中が盆の上に食事を乗せて運んできた。
こんがり焼いた食パンに、コンソメベースの野菜が細かく刻まれたスープは美味しそうに湯気を立てている。
噛めばサクサクと音の立つパン、食感が残らない程柔らかく煮込まれた野菜スープは優しい味だ。
温かい気持ちになって、少しだけほっとする。
「私には分かりませんが、力を消費した後はお腹が空くんだそうです。佐艮様もですが、坊ちゃんもたまに夕食や朝食を2度摂られたりするんですよ」
女中はにこにこと嬉しそうにしている。
その姿を見て、竜牙が『世話焼きが多い』と言っていたことを思い出した。
正也は今食べられない状況だが、こうやって頼られるのは嬉しいのかもしれない。
「そう、なんですか……。あの、美味しいです」
「うふふ、日和さんの好みを教えて頂ければ、すぐにお作りするように致しますよ?」
「あ……えっと、すみません、何でも食べられるので……」
日和には、未だに好みが無い。
どうしようか悩む日和は手元に視線を向けた。
「あ――このスープ、また食べたいです。良いですか?」
「これで良いんですか?ふふ、もちろんですよ」
女中が目を丸くして、すぐににこりと微笑む。
その様子では何があるのかは分からないが、とても嬉しそうだ。
「あの…、おかわりが欲しいです。いいですか……?」
「畏まりました、少しお待ちくださいね」
「……日和?」
嬉しそうに皿を受け取る女中は調理場の方へと去っていく。
そこへ入れ違いに女中を追いかけた視線が日和に向き、竜牙が入ってきた。
ここを使っている人物が日和であることが意外に思ったのか、目を丸くしている。
「竜牙、おはようございます」
「あ、ああ……。体はもう良いのか?」
「はい。その……すみません、またお世話になってしまって……」
「いや、楽になったのなら、良い。学校には行けそうか?」
「大丈夫みたいです。ありがとうございました」
頭を下げる日和に竜牙は頷き、短く「よかった」と答える。
しかし、日和の表情は少し心ここに非ずといった感じでどこか遠くを見ていた。
「――」
「――日和さん、お待たせしまし……あら、竜牙様、おはようございます」
「あ、ああ……」
竜牙が聞こうとした所で先ほどおかわりを準備していた女中が戻ってきた。
受け取る日和は小さく微笑み、会釈を返す。
「すみません、ありがとうございます。……いただきます」
日和は嬉しそうに飲み始め、女中はそのまま自分の仕事へ戻っていく。
それから学校へ向かうまで、日和の表情は一切曇らなかった。
学校へ行く為に家を出て、日和の抱える不安の理由が判明する。
「――日和ちゃん!」
門の前で待っていたように男子高生が立っていた。
その表情はいつもの笑顔ではなく、酷く狼狽している。
「兄、さん?」
「ごめん、昨日出掛けたのに気付かなくて……! 余計な事は言われてない!? 変な事はされてない!? 大丈夫!?」
「えっ、あ、の……」
日和の両肩をがっしりと掴み動揺している玲は、いつもより声も強く心痛の面持ちだ。
「――玲、落ち着け。どうした?」
「……あ、ご、ごめん、突然……」
気圧されて何も言えなくなる日和の代わりに竜牙が玲の肩を軽く叩いて諫める。
我に返ったように玲は日和から手を離すと深くため息を吐き、気持ちを落ち着かせた。
「一体どうしたんだ?」
「その……昨日、祖父が日和ちゃんに会いに行ったって聞いて……。へ、変な事、言われなかった?」
玲の表情は分かりやすいほど辟易している。
しかし日和は首を横に振って、口を開いた。
「いえ、特に何も。兄さんが今まで私を守っていた仕事は祖父が頼んでいた、とか……兄さんと結婚して欲しいって言われた、くらいで……」
けろりと無表情で答える日和に、玲と竜牙はそれこそ岩のように固まった。
玲はわなわなと震え始め、表情がみるみる青くなっていく。
「え、っと……それって」
「兄さんは見合いよりも、身近で力のある人と結婚した方が良いって……だから、兄さんを私の結婚相手にどうですか?と……」
「……日和、それが玲の言う、『変な事』や『余計な事』だと思う、ぞ……」
「そう、なんですか?」
あまりにもさらりと答える日和に流石の竜牙も青い顔で答える。
しかし日和は首を傾げて不思議そうにしたままだ。
「ひ、日和ちゃんは、なんて答えたの……?」
「兄さんと相談しますって答えて……あ、返事は今度家に来てって言われてるけど、どうしよう……」
「いやいやいや、しなくていいから! 祖父が勝手に言い出しただけだから!」
「日和、結婚を簡単に見過ぎだ。すぐさま答えを出そうとするな」
「え、ええ……? でも、ちゃんと答え出さないといけませんよね……?」
玲は分かりやすく頭を抱え深くため息を吐く。
これには内容が内容なだけに、竜牙も頭痛がしそうな気がした。
特に、一切気にも留めていない日和が一番質が悪い。
「えーっと……日和ちゃん、今日の放課後大丈夫? ちょっと屋上で話をしたいんだけど」
「放課後ですか? 分かりました」
「……私は居た方が良いのか?」
「僕だけじゃ絶対無理だから、お願いするよ……」
玲は頭を抱え、日和は終始キョトンとしている。
確かにこの日和を理解させるのは骨が折れそうだ、と竜牙は感じた。
ここ最近は頭が痛いことばかりだからだ。
「ただいま戻りました。……先生?」
昨日、祖父から言われた言葉があった。
自分としては大変気に入らなかったその言葉に警戒して、巡回へ出る前に一度家に戻ってきたものの、玄関を見ただけで分かる。
祖父の靴は無くなっていた。
『金詰日和嬢と結婚しろ』
突然言われた祖父の言葉、そして外出中の祖父。
嫌な予感しかしない。
間に合わなかったか、と頭痛がする程不安に駆られた。
「ただいま戻った」
「先生! どこに行ってたんですか!?」
会えなかったと信じたくて、つい語気が強くなってしまう。
しかし帰宅した祖父はいつもと変わらない表情で「街に出ていた」と平然と言いのけた。
「……」
「金詰日和嬢にも会えた。……昨日も言ったが玲、家を継ぐためにも金詰日和嬢と結婚をしろ。高峰の血を継ぎ、水鏡と名乗れる日の為にも」
冷たい視線でさらりと言われた言葉に酷い苛立ちを覚える。
この祖父は自分の努力を全て水に流すというのか。
「……っ! だから、その為にも日和さんに会いに行ったと言うんですか!」
「お前のことだ。どうせ簡単にそういう話があるかもしれないと曖昧に話すか、そもそも相手に伝えるべき言葉すら濁すのみだろう。高峰の意向も伝えねば、日和嬢は突然言われたかとて納得し、良しとは言わんだろう」
あまりにも自分勝手すぎる。
今までなんの為に術士と離れた生活をさせ、触れられないように守っていたと思っていたのか。
過去全ての苦労や思いを踏みにじられた気分だ。
「それでも、まだ彼女は家族を失ったばかりです! 父のこともある、まだ立ち直れたとは言えない状態なんです! 何を勝手に……」
「日和嬢からは近い内返事が来るだろう。お前も一介の術士として、そして庵を継ぐ立場としての準備をしておけ」
「先生!!」
心も無い、家に縛られた祖父は表情を一切変える事なく家の奥へと消えていく。
なんでこんなことになるんだ。
気が気でない。
明日、一番に日和の元へ行って確認しないと……!
***
いつの間にか寝ていたらしい。
目を覚ますと身体は思っていた以上にすっきりとしていて、とても軽い。
部屋の中に竜牙は既にいなかった。
外を覗くと空は白んでいる。どうやら朝のようだ。
「んん……!!」
日和は体を伸ばし制服に着替える。
スマートフォンで時刻を確認すると、まだ4時半だった。
朝食にはあまりにも早すぎるが、昨日華月が準備してくれていたらしい夕食がテーブルの上にラップをされて置かれていた。
「……いただきます」
日和はテーブルの前に座ると器から一つずつラップを外し、手を合わせる。
体調がよくない日和に合わせてうどんにしてくれたようだ。
更にいつでも食べれる様に麺と出汁が分けられている。
なんて細やかな気配りだろうか。
日和はつけ麺の要領で出汁に麺をつけて啜る。
ひんやりと喉を通っていく感覚が体調不良から落ち着いた身体によく沁みて、全てあっという間に食べきってしまった。
もう少し食べたいという欲を持ちつつ、食器を持って下へ降りる。
流石に迷惑だろうから食器を置いて戻ろうと思っていたが、まだ5時前だと言うのにもう人が居た。
「日和様、お体はもう大丈夫なんですか?」
「はい、おかげさまで……ありがとうございました」
「お食事は足りました? よかったら追加で温かい物でも準備しますよ?」
おっとりとした初老の女中と渋みのあるがたいの良い料理人が並んで、日和を心配する。
時間もあるし準備してもらえるなら嬉しい。
「じゃあ……お願いしても、いいですか?」
日和のお願いに二人はにこりと笑い、準備を始める。
個人用の食事部屋に通され、静かに待つ。
しばらくして女中が盆の上に食事を乗せて運んできた。
こんがり焼いた食パンに、コンソメベースの野菜が細かく刻まれたスープは美味しそうに湯気を立てている。
噛めばサクサクと音の立つパン、食感が残らない程柔らかく煮込まれた野菜スープは優しい味だ。
温かい気持ちになって、少しだけほっとする。
「私には分かりませんが、力を消費した後はお腹が空くんだそうです。佐艮様もですが、坊ちゃんもたまに夕食や朝食を2度摂られたりするんですよ」
女中はにこにこと嬉しそうにしている。
その姿を見て、竜牙が『世話焼きが多い』と言っていたことを思い出した。
正也は今食べられない状況だが、こうやって頼られるのは嬉しいのかもしれない。
「そう、なんですか……。あの、美味しいです」
「うふふ、日和さんの好みを教えて頂ければ、すぐにお作りするように致しますよ?」
「あ……えっと、すみません、何でも食べられるので……」
日和には、未だに好みが無い。
どうしようか悩む日和は手元に視線を向けた。
「あ――このスープ、また食べたいです。良いですか?」
「これで良いんですか?ふふ、もちろんですよ」
女中が目を丸くして、すぐににこりと微笑む。
その様子では何があるのかは分からないが、とても嬉しそうだ。
「あの…、おかわりが欲しいです。いいですか……?」
「畏まりました、少しお待ちくださいね」
「……日和?」
嬉しそうに皿を受け取る女中は調理場の方へと去っていく。
そこへ入れ違いに女中を追いかけた視線が日和に向き、竜牙が入ってきた。
ここを使っている人物が日和であることが意外に思ったのか、目を丸くしている。
「竜牙、おはようございます」
「あ、ああ……。体はもう良いのか?」
「はい。その……すみません、またお世話になってしまって……」
「いや、楽になったのなら、良い。学校には行けそうか?」
「大丈夫みたいです。ありがとうございました」
頭を下げる日和に竜牙は頷き、短く「よかった」と答える。
しかし、日和の表情は少し心ここに非ずといった感じでどこか遠くを見ていた。
「――」
「――日和さん、お待たせしまし……あら、竜牙様、おはようございます」
「あ、ああ……」
竜牙が聞こうとした所で先ほどおかわりを準備していた女中が戻ってきた。
受け取る日和は小さく微笑み、会釈を返す。
「すみません、ありがとうございます。……いただきます」
日和は嬉しそうに飲み始め、女中はそのまま自分の仕事へ戻っていく。
それから学校へ向かうまで、日和の表情は一切曇らなかった。
学校へ行く為に家を出て、日和の抱える不安の理由が判明する。
「――日和ちゃん!」
門の前で待っていたように男子高生が立っていた。
その表情はいつもの笑顔ではなく、酷く狼狽している。
「兄、さん?」
「ごめん、昨日出掛けたのに気付かなくて……! 余計な事は言われてない!? 変な事はされてない!? 大丈夫!?」
「えっ、あ、の……」
日和の両肩をがっしりと掴み動揺している玲は、いつもより声も強く心痛の面持ちだ。
「――玲、落ち着け。どうした?」
「……あ、ご、ごめん、突然……」
気圧されて何も言えなくなる日和の代わりに竜牙が玲の肩を軽く叩いて諫める。
我に返ったように玲は日和から手を離すと深くため息を吐き、気持ちを落ち着かせた。
「一体どうしたんだ?」
「その……昨日、祖父が日和ちゃんに会いに行ったって聞いて……。へ、変な事、言われなかった?」
玲の表情は分かりやすいほど辟易している。
しかし日和は首を横に振って、口を開いた。
「いえ、特に何も。兄さんが今まで私を守っていた仕事は祖父が頼んでいた、とか……兄さんと結婚して欲しいって言われた、くらいで……」
けろりと無表情で答える日和に、玲と竜牙はそれこそ岩のように固まった。
玲はわなわなと震え始め、表情がみるみる青くなっていく。
「え、っと……それって」
「兄さんは見合いよりも、身近で力のある人と結婚した方が良いって……だから、兄さんを私の結婚相手にどうですか?と……」
「……日和、それが玲の言う、『変な事』や『余計な事』だと思う、ぞ……」
「そう、なんですか?」
あまりにもさらりと答える日和に流石の竜牙も青い顔で答える。
しかし日和は首を傾げて不思議そうにしたままだ。
「ひ、日和ちゃんは、なんて答えたの……?」
「兄さんと相談しますって答えて……あ、返事は今度家に来てって言われてるけど、どうしよう……」
「いやいやいや、しなくていいから! 祖父が勝手に言い出しただけだから!」
「日和、結婚を簡単に見過ぎだ。すぐさま答えを出そうとするな」
「え、ええ……? でも、ちゃんと答え出さないといけませんよね……?」
玲は分かりやすく頭を抱え深くため息を吐く。
これには内容が内容なだけに、竜牙も頭痛がしそうな気がした。
特に、一切気にも留めていない日和が一番質が悪い。
「えーっと……日和ちゃん、今日の放課後大丈夫? ちょっと屋上で話をしたいんだけど」
「放課後ですか? 分かりました」
「……私は居た方が良いのか?」
「僕だけじゃ絶対無理だから、お願いするよ……」
玲は頭を抱え、日和は終始キョトンとしている。
確かにこの日和を理解させるのは骨が折れそうだ、と竜牙は感じた。