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作者: 柊 雪鐘
残酷な描写あり
10-5 術士の価値観
 昼食時は朝の話題を一切出さず、訪れた放課後の屋上には四人が集まった。
 日和、玲、竜牙、そして最上級生の黒髪の女性。
 日和は初対面だが、何故か日和の事を知っている口ぶりだ。
 ちなみに波音と夏樹に巡回を頼んでいるので、今はいない。

「ふふふ、面白い話の気配があったから来てみたわ。貴女が日和ちゃんね、よろしく」
「えっと……」
「私は有栖ありす麗那れいな、3年よ。いつも師隼や術士の皆がお世話になってるわね」

 ふわりとした空気を纏う麗那は、にこりと日和に微笑む。
 その笑みは優しく美しいがその奥で妖美さも感じる、まるで魔女のような表情で印象的だ。

「どうして有栖先輩が来るんだろう……」
「言うな。うちの中では一番に結婚が近いのだし、日和への勉強だな……」
「そう、だね……」

 男2名は小声で話し、深いため息を吐く。
 どこから噂を聞いて来たのかは知らないが、一人増えた人員に妙な居心地の悪さと頭痛を感じる。
 楽しそうにくすくすと笑う麗那は座り直すと首を傾げた。

「それで、一体何があったのかしら?」
「え……っと、祖父が、日和ちゃんに直接会いに行った挙句、僕と結婚するよう迫ったみたいで……」

 麗那に向けて玲は答えるが、その表情はげっそりとしている。
 少し考える様子を見せる麗那は小さく頷き、口を開いた。

「そう。ところで聞くけど、まずは家の状況や空気を知ることが大事だわ。貴方たちの家では、条件はどうしてるのかしら?」

 麗那は人差し指を立て、取り仕切り始める。
 最初に口を開けたのは玲だ。

「基本的には術士の血を潰したくないので、力のある人が来てくれればいいですが……無理なら見合いでしょうね」
「佐艮は多分一切気にしていない。仲良く家庭を築けるなら何も言わないだろうな」
「だそうよ。ちなみに私は特殊な力だから、術士同士の相性で選ばれるわ。だから私は師隼との結婚が決まっている。……どう?日和ちゃん、何か分かったかしら?」

 竜牙は腕を組み、冷淡に答える。
 麗那は手のひらに真っ黒な球体を出しながら答え、日和に視線を向けた。
 真っ黒な球体は音も無く静かに小さくなって、消えていった。

「皆、バラバラ……あ、波音や夏樹君はどうなんでしょう?」
「波音なら、とりあえず術士ではないと思うよ。あの家に婿入りする男性は術士にはなれないから。波音のお父さんも、力を持ってない人だからね」
「夏樹は分からん。まずは無事に相手が認められればいいが……」

 波音ならともかく、夏樹はかなり厳しい家らしい。
 玲と竜牙の言葉に思案に暮れる。
 とにかく夏樹の事が心配になってきた。

「術士にもね、家の方向性等で結婚相手を真剣に考えていたり、そうでなかったりするの。勿論その時代の当主で変わりはするけど、今の条件として日和ちゃんが候補にあるとしたら、置野家と、高峰家ね。……でもね、その前に確認することがあるの」
「……?」
「日和ちゃん。貴女は結婚、したい?」

 じっと麗那の見つめる視線に、日和は首を傾げる。
 そこへ更に質問を投げつけられた。

「ぴんと来ませんね……」
「日和ちゃん、お願いされたら受けるつもりだったでしょう? 皆『家の為』『術士の為』って言うけど、気をつけてね。大体の家ではそういう言い方をしているけど、実際には物として扱うのと一緒よ。結婚なんて一般の感覚では好き同士でやるものだけど、私達の世界でそれはほぼ、あり得ないの」

 いっそのこと、物扱いしてくれた方が楽なのでは――。
 一瞬、そんな発想が日和の脳内に浮かんだ。

「日和ちゃん、だめだよ。日和ちゃんは物じゃないんだから、ちゃんと選ばないといけないよ」

 しかしその考えを読むように、玲は厳しい視線で日和を見て、釘を刺してきた。

「うっ……」

 思わず口に出してしまい、ちらりと周りに視線を向ける。
 すると竜牙は深いため息をし、麗那はくすくすと笑い出した。

「でも、その……そもそも私は人を好きになるとかも、あまり分からないですし……」
「日和ちゃん、今答え出さないといけないと思ってるでしょ。別に今答えを出す必要なんてないのよ」
「そう、ですか?」
「そうよ。だって貴女にはこれから先、様々な出会いがあって色々な事がきっと起こるわ。その中で、記憶や意識の端で気になる人がきっと浮かんでくると思うの。だったらそういう人を選ばなきゃ」

 諸々理解のない日和の表情に、麗那はそれこそ魔女のような妖艶な笑みを浮かべて話す。
 そして先ほどから静かにしている男二人と見て、にこりと笑う。

「これに関しては男の人よりも女性わたしたちの方がアドバイスとして合ってるんじゃないかしら。波音はまだまだ経験も出会いも足りないんですもの、私が来て正解だったんじゃない?」

 竜牙と玲は互いの顔を見て、同時に麗那を見て頷く。

「違いない」
「流石先輩、お世話になります」
「……それでね、日和ちゃん。うちの師隼はいかが?」
「は?」「え?」

 頷く竜牙に頭を下げる玲。
 そこに突然麗那の口から自身の婚約者が売りに出され、二人の声が見事に揃った。

「えっ、師隼ですか? で、でも有栖さんが結婚されるんじゃないんですか?」
「あら、そんなもの親が勝手に決めたことだもの。師隼の結婚相手の条件で言うなら日和ちゃんだって範囲のはずよ。寧ろ喜ぶんじゃないかしら?」
「そ、そんな……。でも私、多分迷惑になるだけです。以前波音に術士を知りたいから教えて、とは言いましたけど、そういう理由で一緒に居てはいけない気がします……」

 身振り手振りをつけながら全力で拒否する日和に、麗那は玩具を見るような目で笑う。

「そう。それでいいと思うわ。合格よ」
「え?」
「理由が何であれ、まずはちゃんと拒否するところからよ。今まで流されたり、乗せられてきたり、相談に持ち込んでいたのでしょう? 駄目なものは駄目、嫌なものは嫌って、はっきり言わないといけないんじゃないかしら?」
「うっ、確かに、そうかもしれません……」

 日和の記憶の節々に、ぐさりと麗那の言葉が突き刺さる。
 そう言われれば、そうかもしれない。
 寧ろ、やっと先日自分の居場所を選んだ日和が拒否するなんて、出来る訳がなかった。
 そもそもそんな事が出来ていれば櫨倉命の件は無かったかもしれない。
 しかし櫨倉命の存在は日和から抜かれたので今は範囲外の話になる。
 日和が今置野家に世話になっているのだって、そこに竜牙が居て手を伸ばしてくれたからだ。
 もしそれが玲や波音、夏樹だったら、どうなっていたのだろう。
 日和は同じ様に、ついてきていたかもしれない。

「日和ちゃん、自分の事は、自分で決めないとだめよ。生憎貴女の周りには自身で決める力が強い人が多いから流されてしまうかもしれないけど、それでも自身が強くあるということは、とても大事なコトなの。特に、結婚なんて今の人生に大きく関わることでしょう?」
「……未来なんて、考えたことがありませんでした」

 日和の中で、未来なんて存在していなかった。
 流れに合わせて学校へ行き、卒業すれば仕事をして、適当にのたれ死ぬ程度にしか考えていなかった。
 日和の生存意欲はそれほどまで意味を失っていた事に、どうして気付かなかったのだろう。

「日和ちゃん、貴女は人生で何度でも言われているはずよ。貴女は支えられて生きている。貴女のその認識はまだ、独りで生きようとしている証拠よ」

 麗那の言葉は日和の今までの人生を知っているようで、耳が痛い。
 そして今までどんな気持ちで生活していたかも知っているようで、言葉が痛い。
 空気は玲の相談から、いつの間にか日和へのお説教に変わっていた。
 そもそも玲の相談どうこうの問題ではなく、その前に日和自身がまだその準備を始めてすらいなかった。
 麗那の話は、そういう事だろう。

「そうね、日和ちゃんがもっと人に興味が出てから……かしら。今はまだ、私達を術士としか見ていないでしょう?」
「え……」
「術士ではなく、玲にしても、"兄さん"という肩書ではなく、"高峰玲"として見てあげられるといいわね」

 麗那は満足したようににこりと微笑むと、立ち上がって「先に帰るわ」と姿を消して行った。
 日和はしばらく、そのまま座ってどこか遠くを見ていた。



***
「兄さんの家、初めて……」

 数日後、日和は少しだけ緊張していた。
 ハルから新しい服を強制的に貰い、それを着て玲の家まで来ていた。
 神宮寺家や置野家ほど大きくはないが、十分に立派で迫力のある日本家屋が目の前にそびえ立っている。

「そこまで緊張はしなくていいよ。上がって」
「うん……」

 玲は優しく微笑むと引き戸の玄関を開け中に入る。
 平屋のようだが、中だって十分に広そうだ。

「いつも奥に居るんだ。その……あまり周りを見ないでついてきて?」

 玲は笑顔ではいるが難しい表情をしていた。
 今まで呼ぶつもりも一切なかった玲の家だ。
 きっと気恥ずかしいのかもしれないと日和は感じ、言う通りに玲の背中だけを見て歩く。
 そして少し歩いた先で、玲は障子戸の部屋で足を止めた。

「失礼します。日和さんをご案内しました」
「うむ。どうぞ」

 祖父の前では玲は『ちゃん』とは付けずに取り繕っている。
 日和は部屋の中に入り、重俊の前に敷かれた座布団に座った。

「……あの、こんにちはっ! 先日のお話の返事を、伝えに来ました」
「ああ。こんなに早く返事が貰えるとは思わなんだ」

 心なしか、重俊の纏う空気が前よりも柔らかい気がする。
 まだ緊張し続けているが、日和は勇気を出してはっきりと言うことにした。

「すみません、私……まだ結婚は考えられません。私のことも、兄さんの事も案じて下さるのは嬉しいのですが……私はまだ、自分の事で一杯です。寧ろ、それすら難しい、事があります。ですから……」
「……そうか、分かった。何、こうなるとはある程度予測していたから問題はない。今後も高峰は日和さんを守ろう。勿論契約ではなく、家族として。扱いは玲の妹、で良いかな?」

 玲は少し目を見開き、祖父を見た。
 重俊の優しく微笑む姿は和やかに微笑む日和の祖父を思い出す。
 日和はくすりと笑って、頭を下げた。

「ありがとうございます。その……これからもよろしくお願いします、"おじいちゃん"」

 日和の最後の言葉に重俊は目を丸くすると、今までに見せた事のない笑顔が出た。

「おじいちゃん、か……。ああ、何か困った事があれば頼りなさい」
「はい」

 一瞬の時間だったが話は落ち着いて、小さな雑談を10分ほどした。
 自分の祖父の事、今までの生活の事、玲の世話になった事、今どうしているか、報告のような雑談に重俊はたまにくつくつと笑いながら話を聞いてくれた。
 重俊からは祖父・隆幸についての話をしてくれた。
 学生の頃がどうだったとか、それからホテルで清掃業をしていて日和が高校になる前まで続いていた、とか。
 話せば親しみのある玲の祖父は思っていたより柔らかな人間で、思ったよりも会話が弾んだ。
 隣で静かにしていた玲はずっと表情を取り繕っている。
 それでも楽しげに話す祖父のその姿は玲も知らない姿だったのか、時々驚いた表情をして。
 そんな小さな玲の悩みは丸く収まり、玲は日和を置野家へ送っていた。

「なんか、本当に妹みたいに落ち着いたね」

 玲は無事に終わった事に安堵しつつ、苦笑している。
 日和は不思議そうに首を傾げていた。

「そうですか? ……なんだかおじいちゃん、嬉しそうでしたね」
「そりゃ……僕もそう呼んでないから、嬉しいんだと思うよ」
「ふぇ? 何がですか?」
「ん? 『おじいちゃん』って」
「……なんで呼ばないんですか?」

 「それは……」と玲が言いかけて、言葉が詰まる。
 適当な言葉が浮かばなかったようで、しばらくしてから玲は顔を上げた。

「――僕にとっては、術士の師匠だから。かな……」
「なるほど。じゃあこれからも、玲のお爺ちゃんの事を『おじいちゃん』と呼ぶことにします」
「ふふふ、そうしてあげて」

 玲の中では頭の固い、頑固で、人を型に嵌めてくる術士の師匠としか思えなかった。
 それで、納得していた。
 それがまさか、日和がそう呼ぶことで柔らかくなるなんて、思いもしなくて。
 家族付き合いの苦手な自分よりも、家族にあらぬ形で嫌われてしまった少女の方が付き合い方は上手いらしい。
 あとはもう少し自分の事を考えてくれればそれでいい――。
 玲の心配は、止みそうにない。

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