残酷な描写あり
16-1 4年前の話
「いいかい、師隼。お前の道は私が作る。だからそれまでは私に任せて、しっかり休んでおきなさい」
病弱で体の線が細い師隼とは違って体格が大きく、中に引き籠るよりは外で活発に動く方が似合いそうなその男。
自分と似ても似つかぬ風貌、精々似てるとしたら自分と同じ、資料を読むには眼鏡を使用する所だろうか。
自身の白い髪は先祖返りの証。
自分と同じ光の力を持つ兄は、淡い金色の髪を靡かせる。
親の顔を知っていれば、父や母が居れば、その系譜が少しでも分かったかもしれない。
だが兄と言っても10歳も離れた程遠い存在はどこか一線を置いたように、そして一人で全てを抱えてしまったように離れた場所に居た。
性格は明るく、全体を見渡し調律を保つような、術士からの信頼は厚い人間だったようだ。
置野佐艮と金詰蛍の三人でよく笑い合いながら話している姿は目にしていたし、夏樹の父・小鳥遊総一郎ともよく話している姿も見ていた。
それもあってか正也や夏樹も自分よりは兄の方によく懐いていたかもしれない。
先代の中でも重鎮として扱われていた水鏡重俊曰く、信頼の置ける人間性だったらしい。
波音の母もきっと同じであっただろう。
そんな親しまれていた兄は3年前、光に焼けて消えてしまった。
自分が気付いた時には遅く、駆けつけた時には薄らと笑みを溢して、悔恨を抱えて、光の中に消えてしまった。
肉親を知らず、知っている血の繋がりが兄しかいない。
それなのに、家族というものが分からないまま全てを終えてしまった。
彼は負けてしまったのだ。
妖などではない、自身の心に。
当時の資料が手元にある。
4年ほど前、夏樹が精神的な問題で一時期術士として戦えなくなってしまった。
その代わりとして兄が手配したのは、東京から派遣されてきた小さな術士。
名を和音みこ、という。
磁力を使う術士で、技術としては当時の波音たちと比べて若干判断力等が劣る程度。
元気でハツラツとした小学校6年生――波音や正也と同年代の少女だった。
友好関係も悪くなく、波音と仲良くしていた少女にはもう一人仲良くしている少女が居たらしい。
そんな彼女はその仲良くしていた少女と共に妖に遭遇、みこは殺されてしまった。
来て半年ほどだったというのに、幼い命を失ってしまった事を兄は悔いていた。
もう一人の少女の名を奥村弥生と言う。
置野家、正也の双子の妹だった。
その少女もあの事件を境に行方不明となって消息を絶ってしまった。
同時に幼い二人の犠牲者を出してしまった事に、兄は責任者である自分のせいだと、術士が傷つかぬように配慮していたのに、と自我を傷つけて苦しんでいた。
笑顔に蓋された表情がこびりついたように今でも覚えている。
一方で波音がずっと夏樹に付いていたようだが、1年近くが経ってやっとなんとか術士として戻ってきた。
それが引き金だったのだろうか。
夏樹からの復帰報告を受けた兄はその後一人になった時、安堵と一緒に心に残った悔しさが爆発し、この執務室で字の通りに蒸発して消えてしまった。
妖にはならず、自身の光に焼けて死んでしまった。
誰もが可哀想だった。
兄も、みこも、弥生という少女も、そして表情をあまり変えなかった正也、復帰した夏樹、夏樹を看ていた波音も。
だから私が統治者となったからには、被害を出す訳にはいかない。
術士を、術士に関わる人間を、術士が守るこの町の全てを、何もかも……私が背負って守らねばならない。
「はあーー……」
神宮寺師隼は特大の深いため息を吐いた。
それは金詰日和が練如の素顔を見てしまったから、ではなく。
大平海人以外にも校内で被害者が出てしまった事、でもなく。
"大平海人に成り代わっていたモノ"が消えたテストで玲が赤点を取ってしまった事、でもなく。
「よりにもよって10月……明らかに女王の動きが出てきている。波音は今から調子づいても下降期、水となると玲も状態が良いとは言えない。金詰日和の誕生日が竜牙の呪いの制限、まるで狙ったかのように嫌な重なりようだな……」
迫りくる脅威が分かりやすく可視化された事で、脅威への対処方法に問題が山積みである。
特に術士が通う学校にまで被害が出たとなると、明らかに女王が近くに居ることを示唆していた。
そこには日和もいる。
いや、だからこそか。
「ふふふ、師隼が頭を悩ませてる」
くすくすと楽しそうに笑う魔女は隣で紅茶を飲んでいる。
それを訝しむように、師隼は手に持つ湯呑から麗那に視線を移した。
「時期が悪すぎるんだ。こうも悪く重なるものか……?」
「あら、逆に今までが良い様に進んでるように思わされていたのかもしれないわよ?」
「というと?」
にこりと微笑む麗那を、師隼は子供の様に口を歪ませ睨む。
「今まで襲ってきた妖、ある程度は女王の教育を受けていたりして。案外そういう所も、計算ずくかもしれないわよ? 今まで契約によって護衛していた玲が倒した妖、全部見直してみる必要があるんじゃないかしら。何か共通点があるかもしれないわね」
「少なくとも13年生きている女王……やはり術士を取り込んでいる分、知恵もあるか……」
師隼の表情が真面目なものに変わり、麗那はくすくすと笑う。
まるで占い師、或いは預言師のように話す麗那の言葉は殆どが正しい。
師隼は信頼を感じてその言葉に従う。
しかしすでに倒した妖の調査となると……"東京"に調査を頼むべきかもしれない。
「私の闇は影とお友達なの。影はなぁんでも教えてくれるわ。……そういえば師隼」
「……なんだ?」
「もう夏ね。夏なら……やっぱり定番は"怖い話"かしら?」
「怪奇現象なら私たちの仕事ではないよ」
くすくすと笑い、話す麗那は機嫌が良いらしい。
不可思議な上機嫌さはどちらかというと躁の気もするが、多分夏の明るさが原因だろう。
こういう時の麗那は話を軽く流す程度に聞くしかない。
「分かっているわ。でも、違うの。友達が言っているのよ。"夏の怖い話には、気をつけろ"……って」
「……」
師隼は肩を竦め、息を吐く。
何かの予兆なのかもしれないが、確信が持てない以上は何もできない。
麗那の言う友達――影は、この魔女に一体何を伝えようとしているのだろうか。
***
くすくす、くすくす。
鬱蒼とした暗い空間の中で、甘く高い笑い声が響いた。
「あーあ、やっと……やっとよ? 私、頑張って耐えたと思うわ。もう少し……あと少しね」
玉座ともとれる大きな椅子に、まさに女王のように少女は脚を組んで座る。
胸に手を当て、思いを馳せる少女のように恍惚とした目が目の前を映す。
「私、この時をずぅーー……っと待ってたんだから。隠れるのも飽きてきちゃった。……ねえ、そろそろ貴女も動きたいわよね? だって何年前かしら。4年前?それからずっと、私にくっついているものね?」
小学生少女の様な容姿をした何かが、少女の前で静かに立っている。
その姿に少女はにんまりと笑うと、楽しげな声で囁いた。
「ねぇ、知ってる? 人って夏は怖い話を聞くんだよ。話を聞いたら涼しくなるんだって! 最近暑いもんねえ。……ねえ、貴女の怖い話を聞いたら皆涼しくなるかなぁ?」
くすくすと仄暗い空間の中で、少女の笑い声が再び響く。
その周囲にはまるでホルマリン漬けのように並べられた何かが液体の中に沈み、ぽこぽこと小さな泡を浮かべている。
「もうそろそろよね。丁度貴女を私が殺した日。せっかくだから、会いに行ってらっしゃいな。私の愛するお友達に」
笑顔を浮かべる少女の声に掻き消えるように『何か』は姿を隠した。
病弱で体の線が細い師隼とは違って体格が大きく、中に引き籠るよりは外で活発に動く方が似合いそうなその男。
自分と似ても似つかぬ風貌、精々似てるとしたら自分と同じ、資料を読むには眼鏡を使用する所だろうか。
自身の白い髪は先祖返りの証。
自分と同じ光の力を持つ兄は、淡い金色の髪を靡かせる。
親の顔を知っていれば、父や母が居れば、その系譜が少しでも分かったかもしれない。
だが兄と言っても10歳も離れた程遠い存在はどこか一線を置いたように、そして一人で全てを抱えてしまったように離れた場所に居た。
性格は明るく、全体を見渡し調律を保つような、術士からの信頼は厚い人間だったようだ。
置野佐艮と金詰蛍の三人でよく笑い合いながら話している姿は目にしていたし、夏樹の父・小鳥遊総一郎ともよく話している姿も見ていた。
それもあってか正也や夏樹も自分よりは兄の方によく懐いていたかもしれない。
先代の中でも重鎮として扱われていた水鏡重俊曰く、信頼の置ける人間性だったらしい。
波音の母もきっと同じであっただろう。
そんな親しまれていた兄は3年前、光に焼けて消えてしまった。
自分が気付いた時には遅く、駆けつけた時には薄らと笑みを溢して、悔恨を抱えて、光の中に消えてしまった。
肉親を知らず、知っている血の繋がりが兄しかいない。
それなのに、家族というものが分からないまま全てを終えてしまった。
彼は負けてしまったのだ。
妖などではない、自身の心に。
当時の資料が手元にある。
4年ほど前、夏樹が精神的な問題で一時期術士として戦えなくなってしまった。
その代わりとして兄が手配したのは、東京から派遣されてきた小さな術士。
名を和音みこ、という。
磁力を使う術士で、技術としては当時の波音たちと比べて若干判断力等が劣る程度。
元気でハツラツとした小学校6年生――波音や正也と同年代の少女だった。
友好関係も悪くなく、波音と仲良くしていた少女にはもう一人仲良くしている少女が居たらしい。
そんな彼女はその仲良くしていた少女と共に妖に遭遇、みこは殺されてしまった。
来て半年ほどだったというのに、幼い命を失ってしまった事を兄は悔いていた。
もう一人の少女の名を奥村弥生と言う。
置野家、正也の双子の妹だった。
その少女もあの事件を境に行方不明となって消息を絶ってしまった。
同時に幼い二人の犠牲者を出してしまった事に、兄は責任者である自分のせいだと、術士が傷つかぬように配慮していたのに、と自我を傷つけて苦しんでいた。
笑顔に蓋された表情がこびりついたように今でも覚えている。
一方で波音がずっと夏樹に付いていたようだが、1年近くが経ってやっとなんとか術士として戻ってきた。
それが引き金だったのだろうか。
夏樹からの復帰報告を受けた兄はその後一人になった時、安堵と一緒に心に残った悔しさが爆発し、この執務室で字の通りに蒸発して消えてしまった。
妖にはならず、自身の光に焼けて死んでしまった。
誰もが可哀想だった。
兄も、みこも、弥生という少女も、そして表情をあまり変えなかった正也、復帰した夏樹、夏樹を看ていた波音も。
だから私が統治者となったからには、被害を出す訳にはいかない。
術士を、術士に関わる人間を、術士が守るこの町の全てを、何もかも……私が背負って守らねばならない。
「はあーー……」
神宮寺師隼は特大の深いため息を吐いた。
それは金詰日和が練如の素顔を見てしまったから、ではなく。
大平海人以外にも校内で被害者が出てしまった事、でもなく。
"大平海人に成り代わっていたモノ"が消えたテストで玲が赤点を取ってしまった事、でもなく。
「よりにもよって10月……明らかに女王の動きが出てきている。波音は今から調子づいても下降期、水となると玲も状態が良いとは言えない。金詰日和の誕生日が竜牙の呪いの制限、まるで狙ったかのように嫌な重なりようだな……」
迫りくる脅威が分かりやすく可視化された事で、脅威への対処方法に問題が山積みである。
特に術士が通う学校にまで被害が出たとなると、明らかに女王が近くに居ることを示唆していた。
そこには日和もいる。
いや、だからこそか。
「ふふふ、師隼が頭を悩ませてる」
くすくすと楽しそうに笑う魔女は隣で紅茶を飲んでいる。
それを訝しむように、師隼は手に持つ湯呑から麗那に視線を移した。
「時期が悪すぎるんだ。こうも悪く重なるものか……?」
「あら、逆に今までが良い様に進んでるように思わされていたのかもしれないわよ?」
「というと?」
にこりと微笑む麗那を、師隼は子供の様に口を歪ませ睨む。
「今まで襲ってきた妖、ある程度は女王の教育を受けていたりして。案外そういう所も、計算ずくかもしれないわよ? 今まで契約によって護衛していた玲が倒した妖、全部見直してみる必要があるんじゃないかしら。何か共通点があるかもしれないわね」
「少なくとも13年生きている女王……やはり術士を取り込んでいる分、知恵もあるか……」
師隼の表情が真面目なものに変わり、麗那はくすくすと笑う。
まるで占い師、或いは預言師のように話す麗那の言葉は殆どが正しい。
師隼は信頼を感じてその言葉に従う。
しかしすでに倒した妖の調査となると……"東京"に調査を頼むべきかもしれない。
「私の闇は影とお友達なの。影はなぁんでも教えてくれるわ。……そういえば師隼」
「……なんだ?」
「もう夏ね。夏なら……やっぱり定番は"怖い話"かしら?」
「怪奇現象なら私たちの仕事ではないよ」
くすくすと笑い、話す麗那は機嫌が良いらしい。
不可思議な上機嫌さはどちらかというと躁の気もするが、多分夏の明るさが原因だろう。
こういう時の麗那は話を軽く流す程度に聞くしかない。
「分かっているわ。でも、違うの。友達が言っているのよ。"夏の怖い話には、気をつけろ"……って」
「……」
師隼は肩を竦め、息を吐く。
何かの予兆なのかもしれないが、確信が持てない以上は何もできない。
麗那の言う友達――影は、この魔女に一体何を伝えようとしているのだろうか。
***
くすくす、くすくす。
鬱蒼とした暗い空間の中で、甘く高い笑い声が響いた。
「あーあ、やっと……やっとよ? 私、頑張って耐えたと思うわ。もう少し……あと少しね」
玉座ともとれる大きな椅子に、まさに女王のように少女は脚を組んで座る。
胸に手を当て、思いを馳せる少女のように恍惚とした目が目の前を映す。
「私、この時をずぅーー……っと待ってたんだから。隠れるのも飽きてきちゃった。……ねえ、そろそろ貴女も動きたいわよね? だって何年前かしら。4年前?それからずっと、私にくっついているものね?」
小学生少女の様な容姿をした何かが、少女の前で静かに立っている。
その姿に少女はにんまりと笑うと、楽しげな声で囁いた。
「ねぇ、知ってる? 人って夏は怖い話を聞くんだよ。話を聞いたら涼しくなるんだって! 最近暑いもんねえ。……ねえ、貴女の怖い話を聞いたら皆涼しくなるかなぁ?」
くすくすと仄暗い空間の中で、少女の笑い声が再び響く。
その周囲にはまるでホルマリン漬けのように並べられた何かが液体の中に沈み、ぽこぽこと小さな泡を浮かべている。
「もうそろそろよね。丁度貴女を私が殺した日。せっかくだから、会いに行ってらっしゃいな。私の愛するお友達に」
笑顔を浮かべる少女の声に掻き消えるように『何か』は姿を隠した。