残酷な描写あり
17-4 夏休みの苦闘
ふう、と息をつく師隼は日和が眠っている部屋から出てきた。
日和は神宮寺家に運ばれ、ずっと師隼の手によりあの指輪を外す作業をしていた。
師隼の様子からして、しっかり外すことはできたのだろう。
未だ陰りがあるが、作業を終えてすっきりした表情をしている。
「待たせたね、竜牙。判明したよ」
「本当か、師隼」
「あれは力を増幅させるためのブースター。都会の術士なら知っている、うちの管轄では回していない代物だ」
「なんだと?」
竜牙は怪訝な表情を見せる。
その反応にも納得できる師隼は、疑問を持つように言葉を続けた。
「波音が昨日出かけた先で、日和が一目惚れして購入したのだと言っていたが……おかしいね。術士どころか一般人が知るところでは一切目にすることは無い代物なのに」
「そんな物が何故日和の手に……」
考え込む竜牙の前で、師隼は大きなため息を吐く。
「このままでは本格的に日和を外に出せなくなってしまうな……。ひとまず指輪の石が原因だから割ったよ。今急ぎで代わりの似た石を手配中だ」
「そう、か……」
「……心配かい?」
「いや、私は……」
「本心で言えばいいのに。そんなに彼女が君の知っている女性と被るのが嫌か? その為に毎日無理して外に出ているんだものな?」
師隼はにたり、と意地の悪そうな表情を浮かべる。
その様子に苛立ちを覚えた竜牙はぎらりと師隼を睨み、眉間に皺を寄せて口を開く。
「被せば、それこそ失礼に値する。それと、そういう言い方は気に食わない」
「律儀だけど後々苦しいだけだぞ」
「お前には言われたくない……」
「あはは、言えてる」
師隼は自分の放った言葉が自分のことのように突き刺さると、自嘲するように笑った。
竜牙は一つ、大きなため息を零す。
「師隼様」
その背後を、前髪を目の下で切り揃えた女が跪いた。
「ん?早いね、ありがとう」
気配に気付いた師隼は女性から紙と袋を受け取る。
竜牙は練如へと振り向くが、そこには既に誰もいなかった。
「……それで?」
師隼へ声をかけると、「入ろうか」と日和のいる部屋へ促された。
薄暗い部屋の中は蝋燭が1本灯っている。
ベッドには黒地に金糸で刺繍された布がひかれ、その上に日和は横たわっていた。
つん、と変わった匂いが竜牙の嗅覚を刺激する。
「あ、分かるかい? 私は式になったことがないから感覚がわからないが、そうか……まだするか……」
手をぱたぱたと動かし、師隼は匂いを飛ばそうとしているらしい。
どうやら生身では感知できないレベルのものだったようだ。
「あの石を壊すには技術が必要みたいで、奥の手を使ったんだ」
先程練如から受け取った袋から石を取り出し、日和の指輪に嵌め込む師隼はにこりと笑う。
何をしたのかは大体察しがつくが、多分笑顔で済ませられる事じゃないだろう。
かなり昔に敵対をした相手だが、不本意な事に今は何でも相談できる人間だ。
無理をさせたことに少しばかり申し訳なくなった。
「師隼――」
「竜牙、お前はもうこちらの領域の人間じゃない。『昔』に縛られていないで、お前のやれる事をしろ。正也の事を忘れてやるな」
声をかけたところで、その思考を読んだか、拒否された。
色々と気にされているらしい。
どうも心がむずむずしてしまう。
「さて、石についての追加情報だ」
ぱちん、と軽々しい音が響いた。
日和の指には石が嵌められた指輪がある。
どうやら師隼は作業を終えたらしい、ゆっくりと立ち上がった。
「追加情報?」
「石の原料は、妖の核だそうだよ。ほら、あの稀に出る結晶体だ。他所では毎度のように獲れるからそう言われているらしいね」
妖は倒すとたまに結晶体を落とすことがある。
出たら師隼に渡すようにしていたが、まさかそんな事に使われているとは思いもしない。
「そんなもの……」
「獲れる妖はまだ成長途中でね、だからこっちでは少ない。そんな結晶を術士が使って自分の容量自体を増幅させるんだ。
私達術士の力は、妖の一部だから術士には理にかなってるね。……力だけを持つ一般人には、どうなるかな」
未だに眠り続ける日和に師隼は視線を向ける。
日和は眠っているが、まるで死んだように動かない。
その姿に竜牙は動揺を隠しきれなかった。
それを見透かすように、師隼の目は青色に光る。
「かなり魂が傷ついたみたいで、未だに起きない。無理矢理許容量を上げさせられて、更に力を溢れさせれば壊れもするだろうね。
流れてくる水を塞き止めない限りはいくら容量を増やしたって溢れていくだけだ。それが今の彼女だよ。……見覚えのある姿を、しているかい?」
師隼の言い方は竜牙を煽って言っている。
何を言いたいのか察しているのに、ふっと頭に靄がかかった様に思考が、感覚が止まる。
併せて薄暗さがあって分かりづらいが、日和の顔色が青白く感じた。
完全に無意識で、竜牙はその頬に触れていた。
「……っ!」
息が詰まる。
思った以上にその体は冷たくて、ついに感覚まで狂ったかと不安に駆られた。
手を離したがったが、繋がれたように離せない。
「怖いか? それとも、懐かしい……か?」
「やめろ」
「だけど一番重ねているのは竜牙自身だろう。それとも、昔の名で呼んでやろうか?」
「やめろと言っている!」
心臓の鼓動が早くなった。
今は煽られている。乗るべきではない。
頭では分かっているのに、振り切れない。
目の前の少女はゆらりと、違う姿へと変化したように映った。
「う、あ……」
それは昔、一度死ぬ前に自分が殺した女性。
生涯を共にした、妻。
自分が支え、支えて貰った、永い時を共にした、女性の姿。
最期に自分が、その白くか細い首を絞めた、妖の大元となった女性の姿。
「しん、じゅ……」
どうして忘れていたのだろうか。
懐かしい名を呼び、自分は認めてしまった。
もう戻ることは出来ない。
また再び、自分が彼女を殺した。
もう愛する事も出来ない。
そもそも資格が無い。
この少女はあの花ではないと、何度も言い聞かせたのに。
「ぐ……うっ……!」
胸が酷く痛く苦しい。
立っていることさえ辛くなり、竜牙は膝を折る。
「竜牙、女王の解呪はできないが、白夜の解呪はしてやろう」
背中に回った師隼が何かを言った気がする。
しかし聞き取る余裕は無かった。
ただ足下が光り、いつの間にか感覚として感じていた鎖がカシャン、と音を立てて外れたような気がした。
「……?」
「外れたぞ、師隼」
聞き覚えのない声が背後からかかる。
そこにはこの屋敷では滅多に見ない、この家に住み込んでいる男が立っていた。
「何……?」
「竜牙は知らんか。この和田朋貴という男は少し特殊な力を持っているんだ」
にまりと性格の悪そうな笑みを師隼が浮かべ、思い出した。
確かこの男は人のトラウマに付け込んで楽しんでいた、とんでもない変態野郎だったはずだ――。
「俺をこんな気持ちにさせないと、その"解呪"とやらは出来ないのか?」
今まで、式として生きていた中では感じなかった怒りが沸々と湧き上がる。
「いや、無事に解呪できたから別に良いだろ……? あの、竜牙、そこまで怒るなよ。な?」
「人の記憶を根掘り葉掘りと抉られて、素直にありがとうと言える奴がいるのか?」
人助けしたとでも思っているのだろうか?
どこか誇らしげにしながらも不安を覚える師隼。
そこへしれっと口にする朋貴に、師隼の表情は更に青くなる。
「えぇ……でも弱らせないと外せないんだろう?」
「あそこまでやれとは言ってない」
どうやら師隼は何かしらの画策をしていたらしい。
長い腐れ縁ではあるが、流石に何かぶつけないと気が済まなくなった。
竜牙は腕を振り上げ、部屋の外にちらりと見えた庭の土を持ち上げる。
「ちょっ、竜牙……悪かったって!」
「昔のよしみだ。一度死んでその性格を潰してしまえ、星龍」
また少し、昔を思い出す。
元々この性格の悪さがこいつの元々の性格だった。
余計に腹立たしくなって、師隼の頭だけを外に出して残りは中庭に埋めた。
「竜牙、だったか。今、その娘は術士の力を抜いて今は仮死状態になっている。俺に力を譲渡するような技術はない。だからあんたの力を入れてやってくれ。それで目を覚ますだろう」
「……わかった」
朋貴はそのまま何処かへ歩き去って行く。
一人残って、冷静になって、やっと取り乱し過ぎたことに恥ずかしさが湧いた。
「正也もいるのに、情けない……」
大きなため息が口から出る。
すると心の底からぷかりともう一人の意識が浮かんで、久しぶりに接触をしてきた。
(さっきのは師隼が悪い)
怒っている訳ではなさそうだが、とても強く正也は言い切る。
「正也、悪いが替わって日和を起こしてほしい」
(嫌だ)
今度はきっぱりと断られた。
今まで組んだ中ではあまりない経験に、竜牙は純粋に驚いた。
「……駄目か?」
(何で俺に頼む? 金詰には竜牙が相手してやるべきだ)
「いや、俺は……」
(ここで俺が替われば、金詰の前には出ないでしょ。だから、嫌だ)
ぷつん、と正也の意識が消えた。
あまり話さない正也らしい抗議の仕方だ。
「……そう、か」
頭の中に考えた事、思った事を全て詰め込んで、ため息をもう一度だけ吐く。
目の前にある横たわった体に触れれば先ほどと変わらず、ひやりと人とは思えない冷たさが伝わってくる。
手を握り、この手を通して力を送った。
体はゆっくりと色を戻す。
次第に温かくなっていく手が、ぴくりと動いた。
---
体に血が流れていくような、温かいものが巡る感覚。
手の先や脚の先まで流れて、本能的な何かがそれを『生きている』感覚だと伝える。
(ああ、そっか……気持ち悪くて倒れたんだっけ……。手が、温かい……)
重たい瞼を持ち上げる。
うっすら開いた視界の先に、悲痛な顔をした竜牙がこちらを見ていた。
「ん……た、が……?」
声をかけようとするが、思うように体は動かず、声も出ない。
視界もどこかぼやけて、だけどそこにいる人物はしっかり自分を見ている。
「……ああ。おはよう、日和」
竜牙は優しく微笑んでくれた。
それだけで、心のどこかで安心できる。
段々と周囲がはっきりして、辺りを見回してみた。
だけど辺りは、知らない部屋だ。
ここは、どこだろう。
そもそも置野家ではないような気がする。
窓の無い部屋は、もう蝋燭の短い火だけが灯っているのみだ。
「すみま、せん。長く……寝ていた、ような……」
「大丈夫だ。今、師隼の家にいる。落ち着いたら、帰ろう」
優しく微笑む竜牙の姿に影が差して、一瞬別の人間に見えた。
この不安は、なんだろう。
いつもの優しい竜牙だけど、何かが違う。
だけど何が違うのかは分からない。
もしかしたら、疲れているのだろうか。
迷惑をかけてしまった?またため息を吐いてる?
その『大丈夫』は、安心していいものなの……?
「はい、竜牙……」
不安が残るまま、返事をしてしまった。
いつからか握られていた手が離れ、どこか寂しい気持ちになった。
――体を起こそう……。
「わっ」
ゆっくりと体を起こしたつもりだったが、視界がぐるりと暗転した。
硬い物に当たり、気付けば目の前は竜牙の体しか見えなくなって、急に顔が熱を持つ。
倒れそうな体は竜牙によって抱き留められたようだが、背中に腕を回されて動けなかった。
「たっ、竜……――!」
「――すまない、しばらくこうさせてくれ……」
恥ずかしいまま声をかけ、気付いた。
耳に響く、早く打つ心臓の音。
体に伝わる鼓動。
今の私と同じだ。
「……はい」
今度は嬉しくなって、安心してしまった。
多分竜牙が違うんじゃなくて、私が違うんだ……――。
この気持ちは、なんと言うのだろうか。
日和は神宮寺家に運ばれ、ずっと師隼の手によりあの指輪を外す作業をしていた。
師隼の様子からして、しっかり外すことはできたのだろう。
未だ陰りがあるが、作業を終えてすっきりした表情をしている。
「待たせたね、竜牙。判明したよ」
「本当か、師隼」
「あれは力を増幅させるためのブースター。都会の術士なら知っている、うちの管轄では回していない代物だ」
「なんだと?」
竜牙は怪訝な表情を見せる。
その反応にも納得できる師隼は、疑問を持つように言葉を続けた。
「波音が昨日出かけた先で、日和が一目惚れして購入したのだと言っていたが……おかしいね。術士どころか一般人が知るところでは一切目にすることは無い代物なのに」
「そんな物が何故日和の手に……」
考え込む竜牙の前で、師隼は大きなため息を吐く。
「このままでは本格的に日和を外に出せなくなってしまうな……。ひとまず指輪の石が原因だから割ったよ。今急ぎで代わりの似た石を手配中だ」
「そう、か……」
「……心配かい?」
「いや、私は……」
「本心で言えばいいのに。そんなに彼女が君の知っている女性と被るのが嫌か? その為に毎日無理して外に出ているんだものな?」
師隼はにたり、と意地の悪そうな表情を浮かべる。
その様子に苛立ちを覚えた竜牙はぎらりと師隼を睨み、眉間に皺を寄せて口を開く。
「被せば、それこそ失礼に値する。それと、そういう言い方は気に食わない」
「律儀だけど後々苦しいだけだぞ」
「お前には言われたくない……」
「あはは、言えてる」
師隼は自分の放った言葉が自分のことのように突き刺さると、自嘲するように笑った。
竜牙は一つ、大きなため息を零す。
「師隼様」
その背後を、前髪を目の下で切り揃えた女が跪いた。
「ん?早いね、ありがとう」
気配に気付いた師隼は女性から紙と袋を受け取る。
竜牙は練如へと振り向くが、そこには既に誰もいなかった。
「……それで?」
師隼へ声をかけると、「入ろうか」と日和のいる部屋へ促された。
薄暗い部屋の中は蝋燭が1本灯っている。
ベッドには黒地に金糸で刺繍された布がひかれ、その上に日和は横たわっていた。
つん、と変わった匂いが竜牙の嗅覚を刺激する。
「あ、分かるかい? 私は式になったことがないから感覚がわからないが、そうか……まだするか……」
手をぱたぱたと動かし、師隼は匂いを飛ばそうとしているらしい。
どうやら生身では感知できないレベルのものだったようだ。
「あの石を壊すには技術が必要みたいで、奥の手を使ったんだ」
先程練如から受け取った袋から石を取り出し、日和の指輪に嵌め込む師隼はにこりと笑う。
何をしたのかは大体察しがつくが、多分笑顔で済ませられる事じゃないだろう。
かなり昔に敵対をした相手だが、不本意な事に今は何でも相談できる人間だ。
無理をさせたことに少しばかり申し訳なくなった。
「師隼――」
「竜牙、お前はもうこちらの領域の人間じゃない。『昔』に縛られていないで、お前のやれる事をしろ。正也の事を忘れてやるな」
声をかけたところで、その思考を読んだか、拒否された。
色々と気にされているらしい。
どうも心がむずむずしてしまう。
「さて、石についての追加情報だ」
ぱちん、と軽々しい音が響いた。
日和の指には石が嵌められた指輪がある。
どうやら師隼は作業を終えたらしい、ゆっくりと立ち上がった。
「追加情報?」
「石の原料は、妖の核だそうだよ。ほら、あの稀に出る結晶体だ。他所では毎度のように獲れるからそう言われているらしいね」
妖は倒すとたまに結晶体を落とすことがある。
出たら師隼に渡すようにしていたが、まさかそんな事に使われているとは思いもしない。
「そんなもの……」
「獲れる妖はまだ成長途中でね、だからこっちでは少ない。そんな結晶を術士が使って自分の容量自体を増幅させるんだ。
私達術士の力は、妖の一部だから術士には理にかなってるね。……力だけを持つ一般人には、どうなるかな」
未だに眠り続ける日和に師隼は視線を向ける。
日和は眠っているが、まるで死んだように動かない。
その姿に竜牙は動揺を隠しきれなかった。
それを見透かすように、師隼の目は青色に光る。
「かなり魂が傷ついたみたいで、未だに起きない。無理矢理許容量を上げさせられて、更に力を溢れさせれば壊れもするだろうね。
流れてくる水を塞き止めない限りはいくら容量を増やしたって溢れていくだけだ。それが今の彼女だよ。……見覚えのある姿を、しているかい?」
師隼の言い方は竜牙を煽って言っている。
何を言いたいのか察しているのに、ふっと頭に靄がかかった様に思考が、感覚が止まる。
併せて薄暗さがあって分かりづらいが、日和の顔色が青白く感じた。
完全に無意識で、竜牙はその頬に触れていた。
「……っ!」
息が詰まる。
思った以上にその体は冷たくて、ついに感覚まで狂ったかと不安に駆られた。
手を離したがったが、繋がれたように離せない。
「怖いか? それとも、懐かしい……か?」
「やめろ」
「だけど一番重ねているのは竜牙自身だろう。それとも、昔の名で呼んでやろうか?」
「やめろと言っている!」
心臓の鼓動が早くなった。
今は煽られている。乗るべきではない。
頭では分かっているのに、振り切れない。
目の前の少女はゆらりと、違う姿へと変化したように映った。
「う、あ……」
それは昔、一度死ぬ前に自分が殺した女性。
生涯を共にした、妻。
自分が支え、支えて貰った、永い時を共にした、女性の姿。
最期に自分が、その白くか細い首を絞めた、妖の大元となった女性の姿。
「しん、じゅ……」
どうして忘れていたのだろうか。
懐かしい名を呼び、自分は認めてしまった。
もう戻ることは出来ない。
また再び、自分が彼女を殺した。
もう愛する事も出来ない。
そもそも資格が無い。
この少女はあの花ではないと、何度も言い聞かせたのに。
「ぐ……うっ……!」
胸が酷く痛く苦しい。
立っていることさえ辛くなり、竜牙は膝を折る。
「竜牙、女王の解呪はできないが、白夜の解呪はしてやろう」
背中に回った師隼が何かを言った気がする。
しかし聞き取る余裕は無かった。
ただ足下が光り、いつの間にか感覚として感じていた鎖がカシャン、と音を立てて外れたような気がした。
「……?」
「外れたぞ、師隼」
聞き覚えのない声が背後からかかる。
そこにはこの屋敷では滅多に見ない、この家に住み込んでいる男が立っていた。
「何……?」
「竜牙は知らんか。この和田朋貴という男は少し特殊な力を持っているんだ」
にまりと性格の悪そうな笑みを師隼が浮かべ、思い出した。
確かこの男は人のトラウマに付け込んで楽しんでいた、とんでもない変態野郎だったはずだ――。
「俺をこんな気持ちにさせないと、その"解呪"とやらは出来ないのか?」
今まで、式として生きていた中では感じなかった怒りが沸々と湧き上がる。
「いや、無事に解呪できたから別に良いだろ……? あの、竜牙、そこまで怒るなよ。な?」
「人の記憶を根掘り葉掘りと抉られて、素直にありがとうと言える奴がいるのか?」
人助けしたとでも思っているのだろうか?
どこか誇らしげにしながらも不安を覚える師隼。
そこへしれっと口にする朋貴に、師隼の表情は更に青くなる。
「えぇ……でも弱らせないと外せないんだろう?」
「あそこまでやれとは言ってない」
どうやら師隼は何かしらの画策をしていたらしい。
長い腐れ縁ではあるが、流石に何かぶつけないと気が済まなくなった。
竜牙は腕を振り上げ、部屋の外にちらりと見えた庭の土を持ち上げる。
「ちょっ、竜牙……悪かったって!」
「昔のよしみだ。一度死んでその性格を潰してしまえ、星龍」
また少し、昔を思い出す。
元々この性格の悪さがこいつの元々の性格だった。
余計に腹立たしくなって、師隼の頭だけを外に出して残りは中庭に埋めた。
「竜牙、だったか。今、その娘は術士の力を抜いて今は仮死状態になっている。俺に力を譲渡するような技術はない。だからあんたの力を入れてやってくれ。それで目を覚ますだろう」
「……わかった」
朋貴はそのまま何処かへ歩き去って行く。
一人残って、冷静になって、やっと取り乱し過ぎたことに恥ずかしさが湧いた。
「正也もいるのに、情けない……」
大きなため息が口から出る。
すると心の底からぷかりともう一人の意識が浮かんで、久しぶりに接触をしてきた。
(さっきのは師隼が悪い)
怒っている訳ではなさそうだが、とても強く正也は言い切る。
「正也、悪いが替わって日和を起こしてほしい」
(嫌だ)
今度はきっぱりと断られた。
今まで組んだ中ではあまりない経験に、竜牙は純粋に驚いた。
「……駄目か?」
(何で俺に頼む? 金詰には竜牙が相手してやるべきだ)
「いや、俺は……」
(ここで俺が替われば、金詰の前には出ないでしょ。だから、嫌だ)
ぷつん、と正也の意識が消えた。
あまり話さない正也らしい抗議の仕方だ。
「……そう、か」
頭の中に考えた事、思った事を全て詰め込んで、ため息をもう一度だけ吐く。
目の前にある横たわった体に触れれば先ほどと変わらず、ひやりと人とは思えない冷たさが伝わってくる。
手を握り、この手を通して力を送った。
体はゆっくりと色を戻す。
次第に温かくなっていく手が、ぴくりと動いた。
---
体に血が流れていくような、温かいものが巡る感覚。
手の先や脚の先まで流れて、本能的な何かがそれを『生きている』感覚だと伝える。
(ああ、そっか……気持ち悪くて倒れたんだっけ……。手が、温かい……)
重たい瞼を持ち上げる。
うっすら開いた視界の先に、悲痛な顔をした竜牙がこちらを見ていた。
「ん……た、が……?」
声をかけようとするが、思うように体は動かず、声も出ない。
視界もどこかぼやけて、だけどそこにいる人物はしっかり自分を見ている。
「……ああ。おはよう、日和」
竜牙は優しく微笑んでくれた。
それだけで、心のどこかで安心できる。
段々と周囲がはっきりして、辺りを見回してみた。
だけど辺りは、知らない部屋だ。
ここは、どこだろう。
そもそも置野家ではないような気がする。
窓の無い部屋は、もう蝋燭の短い火だけが灯っているのみだ。
「すみま、せん。長く……寝ていた、ような……」
「大丈夫だ。今、師隼の家にいる。落ち着いたら、帰ろう」
優しく微笑む竜牙の姿に影が差して、一瞬別の人間に見えた。
この不安は、なんだろう。
いつもの優しい竜牙だけど、何かが違う。
だけど何が違うのかは分からない。
もしかしたら、疲れているのだろうか。
迷惑をかけてしまった?またため息を吐いてる?
その『大丈夫』は、安心していいものなの……?
「はい、竜牙……」
不安が残るまま、返事をしてしまった。
いつからか握られていた手が離れ、どこか寂しい気持ちになった。
――体を起こそう……。
「わっ」
ゆっくりと体を起こしたつもりだったが、視界がぐるりと暗転した。
硬い物に当たり、気付けば目の前は竜牙の体しか見えなくなって、急に顔が熱を持つ。
倒れそうな体は竜牙によって抱き留められたようだが、背中に腕を回されて動けなかった。
「たっ、竜……――!」
「――すまない、しばらくこうさせてくれ……」
恥ずかしいまま声をかけ、気付いた。
耳に響く、早く打つ心臓の音。
体に伝わる鼓動。
今の私と同じだ。
「……はい」
今度は嬉しくなって、安心してしまった。
多分竜牙が違うんじゃなくて、私が違うんだ……――。
この気持ちは、なんと言うのだろうか。