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作者: 柊 雪鐘
残酷な描写あり
19-1 天空の女王
 夏の盛りが傾き始めた9月頭。
夏服を久しぶりに着込み、まだ炎天下に近い日差しの中を日和は学校へ向かう。
始業式、そして授業が始まって、日常に戻ったなとしみじみ思う。

「日和ひっさしぶりー! 夏休みどうだった?楽しめた?」
「え? うーん、まあまあ、かな……。弥生は……とても楽しめたみたいだね」

 にぱ、とトレードマークのように眩しい笑顔を見せる弥生の肌はじんわりと焼けている。
外に出ても図書館、殆どを家で過ごした日和とは正反対な生活を満喫したようだ。

「ふふーん、バイト三昧でしたから! いつかこの稼いだお金で日和に沢山お洒落させたいです!」
「せっかく自分で稼いだお金なんだから、自分の為に使おう?」

 相変わらずと言えば相変わらずだが、どうして弥生は人に使おうとするのだろう。
 日和もハルや佐艮からお小遣いを貰いかけるが毎度拒否している。
 そもそも基本物を増やさない日和にお金を渡されても、正直どう使えばいいのか分からない。
 物も困るけどお金はもっとダメだ。
 居候の身なのにご迷惑はかけられない。

「私は好き放題色々買ってるから良いんですよーだ。日和はこの前どっさり洋服買ったのに、代わり映えしないのだめだよー? 可愛い子が可愛い恰好をするのは義務です!」
「義務って言われても……」
「はいはい、まだ興味出てないんでしょ?知ってまーす。指輪を買っただけでも、進歩だねぇ」

 ふくれっ面をして同調しながらも、弥生はいつの間にか日和の髪をいじっている。
 多分編み込みをしているのだろう、独特な引っ張られ方を感じた。
 なんだろう。
 この感覚も久しぶりで、本当に日常に戻ってきたなという感じがする。
 だけど編み込みを入れたポニーテールをされたのに、珍しく髪は違和感しかなかった。



***
 波音と共に階段を駆け上がった久しぶりの昼食会、その片鱗は既に見えていた。

「――っていう事があってね。日和はどう思う?」
「え? うん……うん?」
「どうしたの? 日和」

 波音に呼ばれ、振り返った際にちらりと視界の端で何かが映った気がしたが、一瞬でそれが何かは分からなかった。
 波音は日和の顔を覗き込む。

「んー……気のせいみたい。なんでもないよ」
「そう?」

 授業を終え、また髪を解いて弥生にヘアゴムを返し、校舎を出るとまた空にちらりと何かが見えた。
 日和はどうしても気になって、反射的に走り出した。
 それはまだ、竜牙が向かえに来る前だった。

 (私を、呼んでる……?)

 そんな気がした。
 日和は校門を出てから無我夢中で走る。
 いつの間にか目の前で鷹のような空色の綺麗な鳥が、日和を案内するように飛んでいた。
 それを追いかけるのに、必死だった。
 追いかければ何か分かるかもしれない。
 そこに妖という発想は完全に抜け落ちていて、いつの間にか日和は境界線を超えて女王のテリトリーへ足を踏み入れていたことも気付かず。

「えっ! なに、これ……」

 思わず驚きの声を上げた。
 ちかちかと部分的に光っていたのは、目の前に浮いている大きな城だ。
 洋風の塔をいくつもはべらせた、空に溶けたような青色の王城は童話や欧州にありそうな豪奢な見た目をしている。
 重苦しい城門が開き、興味本位で手を伸ばせば先ほどまで案内した鳥がその手を引く。
 どんどん城が近付いて、あっという間に中へといざなわれていった。
 …………。
 ……。
 …。
 真っ白な光に導かれ、あまりの眩しさに目を瞑る。
 少しずつ目が慣れて開いたその場所は、芝生の生えた美しいテラスの中心に真珠色のテーブルと2脚の椅子、テーブルの上には沢山のデザートに紅茶を添えた、小さなお茶会が広がっている。
 まるで本の世界、或いは中世貴族の絵画にありそうな景色だ。
 その主は先に紅茶を飲み、優雅にくつろいでいる。

「いらっしゃい。そちらへどうぞ」

 その令嬢のような人物もまた、絵画に似合いそうな風貌と声で日和を見る。
 空色の髪に鳥の翼を模した耳、睫は長く、可憐で優艶、優雅に振る舞うその姿に一つの可能性を感じながら、思わず見惚れた。

「ふふ、取って食べたりはしないわ。まずはご挨拶をしましょう。……その為に、そちらの席へ来て下さらないかしら?」

 くすりと笑う令嬢は小鳥がさえずるような、可愛らしい声をしている。
 日和は言われるがまま、残された椅子に腰掛けた。

「突然お呼びしたから、驚いているかしら。でも……私の贈り物は受け取ってくれたようね」

 空色の主は優しくにこりと微笑む。
 しかし、日和の何もない指に何か気付いたように、「あら……?」と首を傾げた。

「貴女、指輪の石を取り替えたの?……ああ、違うわね。ふふ、優秀な騎士様達ね?」

 令嬢が何を言っているかは分からなかった。
 それでも指輪を取り替えたと聞いて、夏休みに買ったお気に入りの指輪を思い出す。

「もしかしてあの指輪……! あの、すごく綺麗で……私が手に取って良かったんでしょうか?」

 日和の問いに主はくすくすと笑う。

「あれは……招待状。『近々お茶会を催しますよ』ってお伝えしたかったの。あなたはちゃんと受け取ってくれたのね。お名前は?」
「あ……か、金詰日和です……」
「……そう、日和さん。可愛らしい名前ね。私は……後に天空の女王なんて、呼ばれるのかしらね? 『ラニア』でいいわ」
「ラニア……やっぱり、妖……ですか?」

 ラニアと名乗った女王は隠すことなく、にこりと微笑む。

「ええ。私の感情は『出会い』よ。貴女とこうしてお話する為だけに生まれて来たの。……ねぇ、あなたの騎士様達が気付くまで、ここで毎日お茶会してくれない?」

 こうしている間にも、皆に気付かれれば盛大に怒られるだろう。
 だけど今は、このラニアという城の主から目を背けられなかった。
 寧ろこの出会いは後に大事なものになるのではないか、と思う気さえする。

「……分かりました。よろしくお願いします、ラニア」

 日和はラニアの誘いを受けた。
 改めてお茶会が始まり、最初の質問をラニアは投げる。

「あなたの趣味や好みはあるかしら?」
「あまりない、です……」
「そう。静かな子なのね。もうしばらくしたら、好きなことを探すといいわ」
「え?」
「おすすめは、編み物よ。ああ、料理なんかも良いわね。甘いものは好きでしょう? そういったものを作るのも素敵だと思うわ」

 ふわりとした笑顔を浮かべるラニアの言葉は、不思議だ。
 まるで占い師が言うような、そんな言葉。
 編み物と聞いて波音が浮かんだ。

「日和さんはきっと、黄色や橙色が似合うわ。それからあなたのイメージは……蝶かしら」
「勉強に励むのなら、かなり先の事まで予習しておくといいわね」
「あなたはずいぶんと起伏が激しいのね……でも大丈夫。最後にはきっと、楽しく過ごせると思うわ。その為にも、強い心を持てるようにならなきゃね」

 ラニアは口々に、そう言う。
 占いの館にでも来てしまったか?
 そう感じてしまう程には多分、まだ先の話をしている。

「ラニアは先が、未来が見えるんですか?」

 つい、口から漏れた。
 女王は上を見上げると目を瞑り、ゆっくりと優雅に小さな口を開く。

「未来……そうね、今はまだ、未来の話。でも覚えていて。運命は必ず存在していて、あなたはそれにまだ暫く振り回されないといけない。自分の気持ちを大事になさい」
「運命……自分の、気持ち……」

 視線を落とすと残り少ない紅茶の水面が揺れて、竜牙らしき人物が映った。

「えっ……?」
「あら、もうお迎えが来ちゃったのね、残念。……ああ、これはお土産よ」

 ラニアはため息をつくとどこからか赤いリボンを取り出し、日和の横髪に括りつける。
 赤いリボンがお土産?
 そんな疑問が湧いた瞬間、いつの間にか城を出され、地面に座っていた。

「――……わっ!?」
「日和!?」

 驚き戸惑っているとほぼ同時に背後から名を呼ばれ、振り向いた。
 そこには息を切らした竜牙がいて、目が合った途端に目を見開く。

「なっ……え、と、どこに……行っていた?」

 竜牙は明らかに日和を見て動揺している。
 居なかった日和を見つけた……かと思ったが、明らかにそれとは違う動揺だ。

「す、すみません……えっと、ねっ、猫! 猫を追いかけてたら、迷子になってました……」

 苦し紛れの嘘を言い、日和は立ち上がろうとする。
 すると竜牙から腕が伸びて、その手を取り立ち上がった。

「……迎えに行ったら既に出た後だと言われた。あまり心配させるな」
「すみません……」

 竜牙の顔を覗く。
 すると珍しく思いつめたような、心ここにあらずといった表情をしている。
 そんな様子のおかしい竜牙に声をかける。

「……竜牙?」

いつもの大きく逞しい体はぴくりと震えた。

「――……っ! ……すまない。その赤いリボンは?」
「これ、ですか? ……あ」

 少し青い表情をした竜牙は空いた手で頭を抑えている。
 何か嫌な物を思い出したのだろうか。
 日和は赤いリボンに触れると、ボロボロと崩れて消えてしまった。

「……竜牙、帰りましょう。道を、教えてくれませんか?」
「す――……私はだめだな。ああ、帰ろう」

 何か言おうとしていた竜牙は自嘲していた。
 どこか心が寂しくなって、日和はつい、口から零れた。

「全然、駄目じゃないです……」
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