残酷な描写あり
22-4 呪詛
苦悶する術士達の姿を、二軒ほど離れた家屋の屋根から覗かせる姿があった。
「沢山の姿を無理矢理詰め込んだの。良い表現でしょ?――」
瓦屋根の上に座った弥生はくすくすと笑い、化け物の前で立ち尽くす術士を見つめる。
「――誰がくたばっても良いの。楽しくなればそれでいいのよ」
「……へぇ、随分と悪趣味じゃない?」
妖艶な笑みを浮かべる魔女が、女王の影から現れる。
弥生はそれに驚くこともなく卑しく微笑んだ。
「あ、見つかっちゃったー?でも残念。私、まだ捕まる気はないのよね」
「そんな事は分かってるのよ。とんでもないもの作っちゃって、どう収拾つけようって言うの?」
「収拾? そんなもの付ける必要ないじゃない。私は日和さえ美味しく頂ければそれでいいの」
「それだと、私達が困るのよ。これだから勝手な妖は困るわ」
はぁ、と身勝手な女王を麗那は見下し、深いため息を吐く。
「感情を表す妖。本来持っている感情が分からなくなるくらいに知らない物を、沢山叩き込まれたらどうなるのかな? 自分の本質を失ったら、どうなるのかな? ……貴女には、分かる?」
巨大な悍ましい妖を見て、弥生は目を見開いてにたりと笑う。
背後の魔女には一切目を向けず、目の前に広がる実験場に興味津々だった。
「……そう、長く居過ぎたのが原因なのね。悪いけど、あんなもの処理させてもらうわ。折角貴女達を見つけたのに、腹立たしい限りね」
苛立たしく言う麗那の言葉に弥生は俯き、再び顔を上げる。
そこに、先ほどの様な悪意の篭った天真爛漫な娘の姿はない。
「――残念だね、君の力は妖を殺せない。そして君は私に手出しできない、か。仕方ないね、君は愛情の深い生徒だから……」
「死んだと思っていたのに、こんな所で何をなさっているの? 貴方の目的は?」
「どうしてもやり残したことと、やりたい事があったんだ。やり残したことはもうすぐ終わるけど、やりたい事はこの妖が手伝ってくれるんだよ」
弥生は全く悪びれることなく、ははは、と笑ってやっと麗那に顔を向けた。
どこか大人びたその表情に込められているのは、慈愛と狂気だ。
「だからって、人様の妹を巻き込まないで下さいな。私達の術士を、師隼を……何より自分の娘を巻き込まないでもらえますか?」
「あはは、成長しても君の言葉はお厳しい。君の感受性の高さは評価しているんだけどね、こういう時に痛いなぁ。……だけど君は、君達ならなんとか出来るだろう? もしかしたら……面白い物も、見られるかもしれないよ?」
低い声を出す弥生の表情は一気に悪人顔になった。
麗那はそれを顰め、再び師隼のようにため息を漏らす。
「……それで私達に収拾をつけろ、と?」
弥生は頭をかき、あははと笑う。
そして妖の背中を指差した。
「いやぁ、思った以上に酷いものを作ったと我ながら思うよ。あれの……見えるかい?背中の赤い石。あれが核だ。あれを叩き割れば倒せる。だけど気を付けるんだよ、『呪詛』を食らうから」
「……分かりました。竜牙に倒させます」
苛立たしげに答える麗那にくすくすと弥生は笑う。
「君も酷いものだね。簡単にそうやって人柱を出すんじゃないよ」
「貴方には、言われたくありませんわ……先生」
くるりと背を向け、麗那は影に溶ける。
残った弥生は再び正面に姿勢を戻し、くすりと笑う。
「皆立派になったね。高峰さんの娘を見られないのは残念だが、大きくなった。早く日和に会いたいなぁ」
誰も居なくなった虚空へ向けて、ぼそりと呟いた。
***
ばしゃりと咲栂を纏った水が溶けて玲に戻る。
「あまり無理をするな」
「今日はもう、咲栂を出せないな……」
なんとか抗ってみたものの、巨大な妖は依然として攻撃を受け付けない。
寧ろ攻撃をしても周囲全体に影響を及ぼす様な反撃を起こし、新たな動物の姿に再生してしまう。
咲栂を操るにもかなりの力を使う玲は、一度憑依換装を解いた。
「随分と大物を相手にしているのね」
「……麗那」
「先輩!」
ふらりと現れた憂い顔をする麗那に術士三人が顔を向け、夏樹は頭を下げた。
麗那は術士にくすりと妖艶な笑みを見せる。
「どう、倒せそう?」
「再生能力がある。攻撃は通るが嫌なカウンターを食らう」
「僕の速射じゃ限界があるし、咲栂でも中々……」
竜牙は唸り、玲は首を振る。
麗那は小さくため息を吐き、向き直った。
「あいつの背中……気持ちの悪い翼の生え際に赤い石があるわ。それを壊しなさい。背中に回るのは難しいでしょうから、私が手伝ってあげるわよ」
「背中か……」
「なら正面は僕が囮となるよ。夏樹は風で竜牙のサポート、竜牙が壊しに行った方が上手くいかないかな?」
「僕はそれで大丈夫です」
三人の会話に麗那は少しだけ口角があがる。
やはり人柱はどうしても竜牙になるらしい。
麗那はスカートの裾を持ち、ふぅ、と呼吸を整えた。
「――じゃあ、送り届けてあげる」
言うが早いか、麗那のスカートから獰猛な黒い手が伸び夏樹と竜牙を叩き潰す。
二人を握ると連れ去るようにスカートの中に消えた。
「……じゃあ、行きます」
その様子を見届けた玲は弓を準備し、構える。
その間に麗那は近くにあった影に溶けて消えた。
「……ふっ! ……っ!」
一射、二射、足と蝙蝠の翼に矢を当て、赤い目がギョロリと玲に向く。
一歩、また一歩と恐竜の様に地響きを立て、ゆっくりと妖が近付いてくる。
(――まだだ、まだ足りない)
玲は弓を再び構え三射、四射と撃っていく。
巨大な妖の影が、ぞわりと揺れた。
「――射る!!」
玲の目の色が深くなって、更に水量の増した矢が妖の熊に変わった右目を射した。
「グオアアアアアアア……――!!」
妖は大きな悲鳴にも似た雄たけびを上げ、大きく体をのけ反らせる。
「――さあ、行きなさい」
その背後では麗那が姿を現し、スカートをたくし上げた。
黒い塊が二つ落ち、中から竜牙と夏樹が姿を現して構える。
「竜牙さん、行きます!」
「ああ!」
夏樹は竜牙の背中に触れ、突風を起こす。
風に押された竜牙は妖の腰を踏みしめ、飛び上がった。
渾身の力で背中に見える赤い石に向けて槍を突き立てる。
――パキィィン!!
甲高い音を立てて石が砕け散り、全身に罅が入るように化け物の体の中から光が漏れる。
足の先から、角の先から霧散し、崩れる砂の様に消え、歪な妖の終息が始まった。
――同時に、割れた石からはいくつもの悲鳴が上がる。
「ギャアアアアアア!!」「ウオオオオオオ!!」
「な……っ、んだ……?」
一瞬何が起こったのか分からなかった。
竜牙の思考は停止し、ただそれをじっと見つめるだけ。
黒い霧のようなものが動き、風の様にふわりと移動する。
そして妖の姿が完全に消え、宙に浮いて残された黒い霧が靄となった。
空中から地上へと落ちていく中、靄は竜牙に襲いかかる。
「竜牙!!」「竜牙さん!!」
---
まるで深く暗い海の底に沈むように、体は重たく沈んでいく。
体には錆び付いた鎖がカラカラと音を立てて巻き付いていき、体の自由が奪われていく。
光さえも射さない孤独の空間に声は響いた。
――外のバケモノはこいつの仕業だ!殺せ、殺せ!!
(……!)
聞き覚えのある声に身震いさえする。
なんとも嫌な記憶だ。
――やめて、助けて!呪われる!
――こんな姿は嫌だ!殺してくれ……!!
背後のどこかでは悲痛な声を聴いた。
人間の姿から溶かされた存在の声だ。
――痛い、苦しい、死にたい。
またどこかで違う声がする。
自身が苦しむのは、あろうことか自身を救ってくれた神を手にかけようとしたからだ。
自分に何が起こっているのかはよく分からない。
だけど一つだけ理解できることがある。
この呪詛は、最初の妖に呪われてしまった人間の声だ。
どれだけの時が経っても永遠に助かる事のない、呪われてしまった罪人の声だ。
――辛い。悲しい。
いくつもの声の中に、悲しみに暮れる声も混ざっている。
可哀想に、信仰の心がある人間までも呪われてしまっていたというのか。
自分にもっと力があれば。
自分にもっと彼女を助けられる何かがあれば。
自分がもっと傍に居られれば、こんなことにはならなかったかもしれないのに。
悔恨が滲む。
後悔が膨らむ。
絶望に暮れる。
自分を沈めるこの海自体が呪詛であることも理解しないまま、自分は堕ちていく。
自分という存在も、永遠の海に、この呪われた声と共に消えて尽きるのだろうか。
「沢山の姿を無理矢理詰め込んだの。良い表現でしょ?――」
瓦屋根の上に座った弥生はくすくすと笑い、化け物の前で立ち尽くす術士を見つめる。
「――誰がくたばっても良いの。楽しくなればそれでいいのよ」
「……へぇ、随分と悪趣味じゃない?」
妖艶な笑みを浮かべる魔女が、女王の影から現れる。
弥生はそれに驚くこともなく卑しく微笑んだ。
「あ、見つかっちゃったー?でも残念。私、まだ捕まる気はないのよね」
「そんな事は分かってるのよ。とんでもないもの作っちゃって、どう収拾つけようって言うの?」
「収拾? そんなもの付ける必要ないじゃない。私は日和さえ美味しく頂ければそれでいいの」
「それだと、私達が困るのよ。これだから勝手な妖は困るわ」
はぁ、と身勝手な女王を麗那は見下し、深いため息を吐く。
「感情を表す妖。本来持っている感情が分からなくなるくらいに知らない物を、沢山叩き込まれたらどうなるのかな? 自分の本質を失ったら、どうなるのかな? ……貴女には、分かる?」
巨大な悍ましい妖を見て、弥生は目を見開いてにたりと笑う。
背後の魔女には一切目を向けず、目の前に広がる実験場に興味津々だった。
「……そう、長く居過ぎたのが原因なのね。悪いけど、あんなもの処理させてもらうわ。折角貴女達を見つけたのに、腹立たしい限りね」
苛立たしく言う麗那の言葉に弥生は俯き、再び顔を上げる。
そこに、先ほどの様な悪意の篭った天真爛漫な娘の姿はない。
「――残念だね、君の力は妖を殺せない。そして君は私に手出しできない、か。仕方ないね、君は愛情の深い生徒だから……」
「死んだと思っていたのに、こんな所で何をなさっているの? 貴方の目的は?」
「どうしてもやり残したことと、やりたい事があったんだ。やり残したことはもうすぐ終わるけど、やりたい事はこの妖が手伝ってくれるんだよ」
弥生は全く悪びれることなく、ははは、と笑ってやっと麗那に顔を向けた。
どこか大人びたその表情に込められているのは、慈愛と狂気だ。
「だからって、人様の妹を巻き込まないで下さいな。私達の術士を、師隼を……何より自分の娘を巻き込まないでもらえますか?」
「あはは、成長しても君の言葉はお厳しい。君の感受性の高さは評価しているんだけどね、こういう時に痛いなぁ。……だけど君は、君達ならなんとか出来るだろう? もしかしたら……面白い物も、見られるかもしれないよ?」
低い声を出す弥生の表情は一気に悪人顔になった。
麗那はそれを顰め、再び師隼のようにため息を漏らす。
「……それで私達に収拾をつけろ、と?」
弥生は頭をかき、あははと笑う。
そして妖の背中を指差した。
「いやぁ、思った以上に酷いものを作ったと我ながら思うよ。あれの……見えるかい?背中の赤い石。あれが核だ。あれを叩き割れば倒せる。だけど気を付けるんだよ、『呪詛』を食らうから」
「……分かりました。竜牙に倒させます」
苛立たしげに答える麗那にくすくすと弥生は笑う。
「君も酷いものだね。簡単にそうやって人柱を出すんじゃないよ」
「貴方には、言われたくありませんわ……先生」
くるりと背を向け、麗那は影に溶ける。
残った弥生は再び正面に姿勢を戻し、くすりと笑う。
「皆立派になったね。高峰さんの娘を見られないのは残念だが、大きくなった。早く日和に会いたいなぁ」
誰も居なくなった虚空へ向けて、ぼそりと呟いた。
***
ばしゃりと咲栂を纏った水が溶けて玲に戻る。
「あまり無理をするな」
「今日はもう、咲栂を出せないな……」
なんとか抗ってみたものの、巨大な妖は依然として攻撃を受け付けない。
寧ろ攻撃をしても周囲全体に影響を及ぼす様な反撃を起こし、新たな動物の姿に再生してしまう。
咲栂を操るにもかなりの力を使う玲は、一度憑依換装を解いた。
「随分と大物を相手にしているのね」
「……麗那」
「先輩!」
ふらりと現れた憂い顔をする麗那に術士三人が顔を向け、夏樹は頭を下げた。
麗那は術士にくすりと妖艶な笑みを見せる。
「どう、倒せそう?」
「再生能力がある。攻撃は通るが嫌なカウンターを食らう」
「僕の速射じゃ限界があるし、咲栂でも中々……」
竜牙は唸り、玲は首を振る。
麗那は小さくため息を吐き、向き直った。
「あいつの背中……気持ちの悪い翼の生え際に赤い石があるわ。それを壊しなさい。背中に回るのは難しいでしょうから、私が手伝ってあげるわよ」
「背中か……」
「なら正面は僕が囮となるよ。夏樹は風で竜牙のサポート、竜牙が壊しに行った方が上手くいかないかな?」
「僕はそれで大丈夫です」
三人の会話に麗那は少しだけ口角があがる。
やはり人柱はどうしても竜牙になるらしい。
麗那はスカートの裾を持ち、ふぅ、と呼吸を整えた。
「――じゃあ、送り届けてあげる」
言うが早いか、麗那のスカートから獰猛な黒い手が伸び夏樹と竜牙を叩き潰す。
二人を握ると連れ去るようにスカートの中に消えた。
「……じゃあ、行きます」
その様子を見届けた玲は弓を準備し、構える。
その間に麗那は近くにあった影に溶けて消えた。
「……ふっ! ……っ!」
一射、二射、足と蝙蝠の翼に矢を当て、赤い目がギョロリと玲に向く。
一歩、また一歩と恐竜の様に地響きを立て、ゆっくりと妖が近付いてくる。
(――まだだ、まだ足りない)
玲は弓を再び構え三射、四射と撃っていく。
巨大な妖の影が、ぞわりと揺れた。
「――射る!!」
玲の目の色が深くなって、更に水量の増した矢が妖の熊に変わった右目を射した。
「グオアアアアアアア……――!!」
妖は大きな悲鳴にも似た雄たけびを上げ、大きく体をのけ反らせる。
「――さあ、行きなさい」
その背後では麗那が姿を現し、スカートをたくし上げた。
黒い塊が二つ落ち、中から竜牙と夏樹が姿を現して構える。
「竜牙さん、行きます!」
「ああ!」
夏樹は竜牙の背中に触れ、突風を起こす。
風に押された竜牙は妖の腰を踏みしめ、飛び上がった。
渾身の力で背中に見える赤い石に向けて槍を突き立てる。
――パキィィン!!
甲高い音を立てて石が砕け散り、全身に罅が入るように化け物の体の中から光が漏れる。
足の先から、角の先から霧散し、崩れる砂の様に消え、歪な妖の終息が始まった。
――同時に、割れた石からはいくつもの悲鳴が上がる。
「ギャアアアアアア!!」「ウオオオオオオ!!」
「な……っ、んだ……?」
一瞬何が起こったのか分からなかった。
竜牙の思考は停止し、ただそれをじっと見つめるだけ。
黒い霧のようなものが動き、風の様にふわりと移動する。
そして妖の姿が完全に消え、宙に浮いて残された黒い霧が靄となった。
空中から地上へと落ちていく中、靄は竜牙に襲いかかる。
「竜牙!!」「竜牙さん!!」
---
まるで深く暗い海の底に沈むように、体は重たく沈んでいく。
体には錆び付いた鎖がカラカラと音を立てて巻き付いていき、体の自由が奪われていく。
光さえも射さない孤独の空間に声は響いた。
――外のバケモノはこいつの仕業だ!殺せ、殺せ!!
(……!)
聞き覚えのある声に身震いさえする。
なんとも嫌な記憶だ。
――やめて、助けて!呪われる!
――こんな姿は嫌だ!殺してくれ……!!
背後のどこかでは悲痛な声を聴いた。
人間の姿から溶かされた存在の声だ。
――痛い、苦しい、死にたい。
またどこかで違う声がする。
自身が苦しむのは、あろうことか自身を救ってくれた神を手にかけようとしたからだ。
自分に何が起こっているのかはよく分からない。
だけど一つだけ理解できることがある。
この呪詛は、最初の妖に呪われてしまった人間の声だ。
どれだけの時が経っても永遠に助かる事のない、呪われてしまった罪人の声だ。
――辛い。悲しい。
いくつもの声の中に、悲しみに暮れる声も混ざっている。
可哀想に、信仰の心がある人間までも呪われてしまっていたというのか。
自分にもっと力があれば。
自分にもっと彼女を助けられる何かがあれば。
自分がもっと傍に居られれば、こんなことにはならなかったかもしれないのに。
悔恨が滲む。
後悔が膨らむ。
絶望に暮れる。
自分を沈めるこの海自体が呪詛であることも理解しないまま、自分は堕ちていく。
自分という存在も、永遠の海に、この呪われた声と共に消えて尽きるのだろうか。