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作者: 柊 雪鐘
残酷な描写あり
23-1 ナヅチミツカヤ
 夏樹によって師隼の屋敷に送られた日和はそわそわしていた。
 あの気持ち悪い妖はただの妖じゃない。
 何か嫌な予感がして、気が気でなかった。
 特にあの声は、――多分術士が関係しているではない気がする。

「日和、心配なのは分かるが……」
「分かっています。だけど、ずっと変な感覚なんです……! すごく嫌な感じがして……もし皆に何かあったら……!」
(嫌な予感、か……。それは日和自身のものか、それとも……)

 日和の表情は今にも泣き出しそうになっている。
 師隼は珍しく、見て分かる程に不安がる日和に何も言えなかった。

「――師隼様!! 師隼様どこですかっ!?」

 その時、突然開いた玄関の戸から夏樹が飛び込んできた。

「夏樹!? 竜牙と玲は?」

 青ざめた夏樹に師隼の背でじわりと嫌な汗が流れる感覚がした。
(まさか――)

 外に視線を向けると玲に肩を借りた竜牙が門からゆっくりと歩いてくる。
 脇腹を押さえ、首はがくりと項垂うなだれていた。

「お、い……どうした。何があった!?」
「竜牙……っ!」

 やっと玄関に現れた竜牙の様子に日和も気付き、駆け寄る。

「ぐっ、う……」
「大丈夫ですか!? 血が……っ!」

 竜牙は呻き声を漏らし、今にも倒れそうな勢いだ。
 見るに堪えない竜牙の姿。
 脇腹はかなりの範囲が赤く染まり、押さえる手も血塗れになっている。
 日和の不安は的中したか、その顔は真っ青だ。

「さわ、るな……汚れる……」
「何を言ってるんですか! 早く手当てを……!」
「――とりあえずこの部屋に竜牙を!」

 師隼は竜牙の様子を見て直近の部屋へと誘導する。
 この部屋は使用されていないが、最低限ベッドがある。
 昔には使用人が住んでいた過去の産物であるが、こういった緊急の場合に使われることが多い。

「玲と夏樹は?」
「僕達なら大丈夫です。竜牙は妖を倒した途端に怪我を負って……」
「それでここまで担いで来たのか……」

 竜牙を運んでいた玲はベッドに竜牙を転がし、答える。
 塞がれた手を退かすと傷口は深く、黒い気が漏れていた。
 明らかに普通の怪我ではない。

「この傷、なんですか!? 竜牙は治るんですか!?」

 必死な声を上げる日和も感づいていたらしい。
 師隼は「ふむ……」と考え込む。

「くっ……!」

 その間にも黒い気が竜牙を蝕むように、傷口は広がっていき、竜牙の額には汗が浮かんでいる。
 玲、夏樹、日和、師隼、誰もが目の前の緊急事態に焦りを感じていた。

「僕達の癒しの力では治らないんだ。師隼、どうしたらいい!?」
「まるで呪いだな……でも女王のものとは違う、呪詛かな……。――時間をしばしかける。夏樹は私と共に調べ物を手伝ってくれ。玲はとりあえず波音の様子を、日和はそのまま竜牙の様子を見ていてくれないか?」
「分かった」「はい」
「……わかりました!」

 師隼の声掛けにより夏樹は師隼の背を追って執務室へと向かい、玲は庵の許へ移動していく。
 残った日和は目の前でぐったりと倒れる竜牙に寄った。

「竜牙、痛いですよね……。辛いですか? 苦しいですか?」

 日和は竜牙の傍で汗を拭う。
 その表情は辛そうで、顔もどこかしら真っ青だ。
 見るだけで痛々しい。

「……がっ、うっ……!!」 
「竜牙……!」

 竜牙は傷口を押さえ、呼吸で大きく体を揺らす。
 じわりじわりと黒い気が傷口を浸食していき、その度に呻き声が上がった。

「ぐ、う……」

 あまりにも痛々しいその様子に心配する日和だが、その肩に竜牙の手がかかる。
 しかしその苦しそうな表情は、別の顔をしていた。

「ひ、より……この気は、竜牙を……、この呪いを、解けないか……?」
「貴方は……置野君ですか!? とりあえず、傷口を……」

 脇腹はかなり大きく削れているが、真っ黒になって見えない。
 しかし部分的に浸食を受けていない箇所があった。

「こ、れは……?」

 場所はたもとに隠れて見えない。
 気になった日和は袂を動かすと、黒い靄が揺れて浸食が始まった。

「ぐうぅ……!」
「あ……っ!」

 袂の中に何かがある。
 日和は袂に手を突っ込んだ。
 取り出したそれは、以前日和が渡したハンカチだった。

(もしかして……!)

 日和は急いでハンカチを広げ、傷口を覆うようにかける。
 お守りにするとは言っていたが、なにか効果はあるのだろうか?

「どうですか……? 大丈夫ですか……?」
「……っ」

 竜牙の様子を見るも、既にぐったりして返事はない。
 もう残された時間は無いように感じた。

「お願い、竜牙に悪い事をしないで! 消えて……!」

 ハンカチに手を当て、祈る。
 目に浮かぶ涙を気にする事なく、必死に。
 目の前でまた大事な人が死ぬのは、嫌だ。

「もう、誰の死も見たくない……! 大切な人を奪おうとするあなたを、許さないっ!!」

 黒い気がぞわぞわと揺れる。
 脳にまた、声が聞こえた。

――辛い。痛い。苦しい。
――死ね。殺す。殺してくれ。

 おぞましく、それでいてうとましく思った。
 これは、さっきあの大きな妖を見つける時に聞いた声だ。
 この声が竜牙を苦しめている。
 なんとなく、それが分かった。

「私が助けなきゃ……私が、私が守らなきゃ……!」

 勉強の時よりも、女王を説得した時よりも集中していた。
 気持ちは必死で、ただ目の前で倒れている人の無事だけを祈る。

「ひよ――っ、これは……!?」

 部屋に戻ってきた師隼に気付くことなく、日和は必死で祈る。
 自身の体が光り、強い力が漏れている事も気付かず、体温が少しだけ上昇していることも知らず、本当に無我夢中だった。

「……ナヅチミツカヤの名にいて、この者の命むしばむ呪いを解かん……!」
「えっ、日和さん……」

 日和の髪は淡く栗色となり、日和を包む光が顔立ちを全くの別人に変える。
 ハンカチから漏れている黒い気は竜牙から離れ、ざわざわとゆっくり立ち上がる日和の周りを舞う。

「――成る程。呪詛の正体はお前達か。ナヅチミツカヤが半身を食らうとは……死せよ!」

 日和の影を持つ女は冷えた声上げた。
 そして一塊になった黒い気を握り、潰す。

「……っ!」

 その姿にごくり、と師隼は生唾を飲む。
 見覚えのある光。
 過去一度、自分を葬った浄化の光。
 何が起こったのかはよくわからない。
 ただ、目の前にいる人物が人ではないことは、よく分かった。
 女の表情は見えない。
 ただ恐ろしく声はかけづらく、見ている事しか出来ない。
 そうこうしている内に、女の体は突然光が弾け、日和の姿に戻り竜牙の傍で倒れた。

「日和さん! 師隼様、今のは……!?」
「……神様の、降臨だ」

 夏樹は日和に駆け寄り介抱する。
 その間に師隼は竜牙にかけられたままのハンカチをゆっくり外した。
 しかしそこは異常な程に血も、傷もなかった。



***
白夜はくや様、無理をしてはいけません』

 耳障りの良い声が響く。
 か細く、弱々しい、それでいて芯のある声。
 遠い昔に何度聞いた事だろう。

『私が付いてます』

 倒れる自分の傍で手を握り、祈られている。
 そんな気がする。
 重い瞼を持ち上げると……ああ、やっぱりそこに居るのは君だったか。
 ずっと心の支えだった。
 だからこそ、その恩を返すつもりでずっと守らねばと思っていた。
 彼女には、私しか居ないのだから。

『ごめんなさい、これが……最後の祈りです』

 温かい何かが体に流れていく。
 懐かしく、それでいて……少し寂しささえ感じるような。
 目を瞑り、開くと……――そこにはもう、誰も居なかった。

「……」

 懐かしい夢を見た気がした。
 栗色の髪に赤いリボンをつけた女性が傷を癒してくれる夢だった。
 ただ、女性の顔は見られずどんな表情をしていたのかは分からない。
 笑っていたのか、泣いていたのか。
 ただ一つ分かることは、どこか心の奥底で感じる"もう二度と会うことはない"という事実。

 目を開けると、かたわらに少女が眠っていた。
 何度も守っていた、術士ではない少女。
 あの女性の面影を持った少女。
 体は痛くない。苦しくもない。
 死んだと思った。
 だがあの化け物のような妖によって受けた傷は、癒えて跡形も無くなくなっていた。

「…………日和が、助けてくれたのか……?」

 まだ眠気が残っているのか、頭ははっきりしない。
 そんな中で日和の髪を撫でる。

「ん、竜牙……?」

 触れた手により目を覚ましたらしい。
 少女は眠たそうに目を擦ってゆっくりと起き上がる。

「もう、大丈夫なんですか……?」
「……ああ、大丈夫だ。ありがとう」

 頬に手を伸ばす。
 白くて、柔らかな肌。
 自然と顔を近付けて、唇に口づけをしていた。

「……っ!」

 手に力が篭りそうになるのを抑えながら、顔を離す。

「あ、の、竜牙……」

 辺りは暗いのに、日和の顔が赤くなっている様子が見えた。

「……腹が減った。日和の力が欲しい」
「えっ……あ、はい……」

 再度、体ごと抱き寄せて口づけをする。

「んっ……!」

 全身には日和が持っている術士の力が流れ込んで、滲みていく。
 温かな気が巡って、段々と意識がはっきりしてきて……――
 それが証拠のように、日和の体は脱力したようにぐったりとなった。

「……はっ! す、すまない」

 そこで初めて、自分の行為に気付いた。
 寧ろ、気付くのが遅すぎた。

「……むぅ」

 日和に顔を向けると頬を染め、口先を突きだして拗ねている。
 完全に自分が悪い事をしていた。

「竜牙……」
「……えっと」

 じっと向けられる視線は心が痛く、思わず言葉に詰まる。
 自分でも何でそんなことをしてしまったのか分からず、返す言葉もない。

「い、今のは……どういう事、ですか……?」

 説明を求められた。

「そっ……、れは……」
「――二人共起きたか……って、何をしているんだ?」
「……ッ!」
「師隼……」

 突然師隼が入ってきて、体が飛び上がりそうになった。
 心臓に悪い。
 寧ろ自分が思いきり後ろめたい事をしたせいでもある。

「二人共起きたのなら、一応検査させてくれ」
「私は大丈夫です。竜牙をお願いします」
「いや……二人共検査したい。いいか?」

 師隼の頼みに日和は首を振る。
 しかし師隼はしっかり日和も見て言い切った。

「……師隼がそう言うなら」
「ああ……」

 一体何があったというのか。
 日和は別室に移され、俺はそのまま師隼の相手を受けた。
 鳴る心臓を少し気にしながら検査を受ける。

「……何事も無かったかのように綺麗だな」

 眉間に皺を寄せ、師隼は攻撃を食らった箇所を見る。
 それにしてもぺたぺたと触れて、やけに念入りだ。

「……じろじろと気持ち悪いのだが。どうした」
「お前は何も憶えていないのか」

 驚いた顔をされたが、一体なんだというのか。

「傷口にハンカチをかけられていたが……四術妃、ナヅチミツカヤが現れてあの黒い呪いを解いた。結局あれは何だったのか、分からず終いだ。日和も力が減っていたようだが、何ともないようだし……」
「……ああ、そうか。それで……」

 師隼の言葉でやっと夢に見た理由が分かった。

「どうした。何か分かったのか?」
「ああ、夢で会った。もう、会えないらしい」
「は?どういう……」
「……そのままの意味だ」
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