残酷な描写あり
68 「別れの挨拶に、心の内を」
ミリオンクラウズ警備隊に囲まれた時にどういう仕組みなのかわからなかったが、パラリスという名の魔女が小瓶を持って入ってきた。
「ライザ様、毒疫の魔女とは長くいない方が賢明です」
メリィの毒を懸念したマルタが提案する。
いくら全身を布で纏っているとはいえ、普通の人間にどれほど影響があるのか実際のところはわかっていない。
ヴァルゴが安全だと主張しようと、メリィの毒疫の危険性を魔女達は何よりも警戒していた。
「メリィの毒疫に関しては、私も色々と仮説を立てているので心配はいりません」
「それでもライザ様に何かあっては公王様が悲しまれます」
「毒疫の魔女の移送は我々が行ないますので、ライザ様は別の場所で新鮮な空気を」
丁重に扱われる聡慧の魔女ライザと、あくまで危険人物扱いされている毒疫の魔女メランコリン。その差にヴァルゴの心中は穏やかではなかった。
ぐっと拳に力が入る。今すぐに諫めてやりたい。メリィも一人の人間なのだと、悪く言えば傷付く普通の少女なのだと。
しかし先に彼女を突き放したのは自分自身だ。今さらそんな正義面が出来るはずもない。そんな資格はないのだ。そう思うと悔しくてたまらなかった。
ヴァルゴが一人黙っているので、ライザは最後だからと気遣う。
「ヴァルゴ殿、メリィのことを見送ってあげてください」
「……俺なんかが見送ったところで」
「いいえ、きっとメリィも喜んでくれます。……お友達なのでしょう? なら、お別れの挨拶はすべきです」
「……」
このまま本当に、何も言わずに永遠の別れになるのかと思うと胸が張り裂けそうな気持ちになった。
ライザの言葉に、ヴァルゴは意を決して立ち上がり、駆け出すように魔女達を……メリィを追いかける。
その大きな背を見送りながらライザが満足そうに微笑むので、ラガサはつい口を出す。
「いいんですかぁ? あのデカ猫さん、冷静そうに見えて案外すぐ暴走しそうな感じしますけど」
「ラガサにも大切な人が出来たら、その気持ちがきっとわかりますよ」
「ほえ? いやいやいや、私が言ってるのはそういうことじゃなくてですね?」
「ふふっ……、若いって素晴らしいですね」
(……なんだかおばあちゃんみたい)
頭が良すぎる人間とは会話が成立しないのかな、とラガサは直感して黙ったが……やはりライザの許可に納得はしていなかった。
それでもライザの命令には従わなければいけない。自分が何を言ったところで、その決定を覆させる権限などラガサにはないのだから。
(せめて私の環で縛ってから挨拶させればいいのに。そんなに賢くない私でも、それくらいわかるんですけどねぇ)
***
ヴァルゴが休憩所から出て行くと、広場の真ん中に魔女達が集まっていた。
全員が当然のようにメリィから距離を取り、囲むように立っている。何かあればすぐにでも対応出来るよう身構えていた。
パラリスが小瓶を持って、メリィと向かい合わせになって立っているのが見える。
メリィは大人しく立ち尽くしていたので、慌てて声をかけるヴァルゴ。
「ちょっと待ってくれないか!」
ヴァルゴの低い声が響き渡る。
緊張感で溢れていた場が乱され、全員がヴァルゴを睨みつけた。
「邪魔をするな、御仁!」
「聡慧の魔女ライザ殿の許可が下りた。最後にメリィと……、別れの挨拶をさせてほしい」
「はぁ? ライザ様が?」
魔女達は顔を見合わせてざわついた。
すると休憩所から遅れて出て来たライザが、声高らかに魔女達に説明する。
「メリィとヴァルゴ殿に、しばしの猶予を与えてあげてください」
その声に全員はすぐさま杖を下ろして敬礼する。
「ライザ様がそうおっしゃるなら、……承知いたしました」
杖を下ろしても、それぞれその場を動こうとはしない。警戒を怠っていない証拠だ。
魔女達はじっと二人を監視する。
ヴァルゴは背中を向けているメリィの方へ近付こうとするが、それ以上近付くことを咎められてしまう。
「あまり毒疫の魔女と距離を縮めないでいただきたい。別れの挨拶はその場でしてもらう」
「……わかった」
手を伸ばしても届かない距離に、メリィが静かに立っている。
きっといつもならすぐさま振り向いていたはずだ。なぜかその確信がある。
振り向いてもらえないのは、ヴァルゴがメリィとの約束を反故にしたから……。
信頼を裏切ったのだから当然だと、深くため息を漏らし、声をかける。
「メリィ、期待に応えられなくて本当に申し訳ない。このまま君が森へ帰ることこそ最善だとされているが、……信じてくれ。俺は決してそうは思わない」
魔女達が反応するが、ヴァルゴは無視して続けた。
「君から発せられる毒疫の対処法を見つけることこそ、最善のはずなんだ」
「……」
「開発された薬が、その第一歩だろう? 君の毒を直接調べて、毒疫を発生させない手段がきっとあるはず。魔女が魔法を扱うように、君の毒疫もまたコントロール出来るはずだ」
「毒を……、コントロール……」
メリィは両手で自身を抱きしめるように、腕を掴んで震えた。
ずっと抱え苦しんできた原因を取り除くことこそ、メリィが自由を手に入れる為の条件なのだとヴァルゴは示す。
誰もが敬遠し、閉じ込めることでしか防ぐことが出来ないとされた中で、ヴァルゴだけが唯一希望を提示したのだ。
「俺に対しては君の毒が遅効性となっている。それが手掛かりになるかもしれない。幸い、あのライザ殿は見識が深いと言っていただろう。ならその方法を見つけることなんて、容易いことかもしれない」
「ダメ……ですよ。ライザ様の貴重なお時間を……、私なんかの為に費やすわけには……」
「それでもやってもらう。メリィもミリオンクラウズ公国の民なんだろう? なら、民の為に労力を費やすことは当然の義務だ。少なくとも王族はそうでなくてはならない」
ヴァルゴは必死に語り掛ける。
せめて、最後にメリィのあの柔らかな微笑みを拝むまでは……。
「俺は君を決して見捨てない。約束しただろう? 君と俺はずっと一緒だ。いつかきっと、必ず君を連れていく。外の世界を見て回ろう、一緒に」
「……ヴァルゴさんっ!」
その言葉に嘘はない。
絶対に、二人一緒に世界を巡る旅をする為に。
ヴァルゴの気持ちに嘘がないことを察したメリィは、泣きながら振り向いた。
両の瞳から大粒の涙を零しながら、メリィが口元の部分だけウィンプルを外す。
驚いた魔女達が杖を構えるが、そうしたところで意味がないことはわかっている。
構えながら後退し、少しでも自分達に毒が風に乗って来ないよう風向きばかりを気にし始めた。
マルタはすぐにライザの側について、いつでも浄化の魔法が使えるように準備する。
しかしライザは二人の様子を微笑ましく眺めているだけだった。
「ヴァルゴさん、時間がないんでしょう? ライザ様と、私の毒の研究をしている暇なんてないですよ……」
「君と一緒でなければ、世界を見て回る意味などない」
「……そうやって、すぐに私を甘やかしてくれるんですね」
「当然だ。俺にとって君は何より大切なんだからな」
ヴァルゴの優しい言葉に、声音に、今にも泣き崩れそうになりながらメリィは口元に両手を当てて声を押し殺した。
少しでも吐息が外に漏れないように、本当なら声を出してしまいそうなところを必死で堪えた。
そんなメリィの嬉しそうな泣き顔に、ヴァルゴはほんの少しだけ安堵した。
自分はまだ嫌われていない。きっとまだやり直せるはずだと確信する。
ふっと笑みをこぼしたヴァルゴの優しい顔に、メリィは胸の高鳴りが抑えられなかった。
これほど安心したのはどれ位ぶりだろうと考える。
ヴァルゴを見ていると、心の底から安心できる。
彼なら自分のことを乱暴に扱ったりはしないと、信じられた。
人として接してくれる相手だと、確信が持てた。
何より、それ以上に、メリィの中に芽生えた確かな感情が、ヴァルゴの存在を求めていた。
「ヴァルゴさん……」
これだけは他の魔女達に聞かれたくない。
声を出来るだけ小さくして、ほとんど囁くように口にする。
ヴァルゴの耳がぴくぴくと動いて反応していた。
きっと彼になら聞こえるはずだと、メリィは信じて心の内を明かす。
これが最後になるかもしれないから。
せめて、今……伝えておきたい。
「私……、多分……初恋です……」
「……っ!」
満面の笑顔だった。
輝くような、澄み切った微笑みで心の底から美しいと思えた。
その瞬間、ヴァルゴにあった理性は消え失せた――。
「ライザ様、毒疫の魔女とは長くいない方が賢明です」
メリィの毒を懸念したマルタが提案する。
いくら全身を布で纏っているとはいえ、普通の人間にどれほど影響があるのか実際のところはわかっていない。
ヴァルゴが安全だと主張しようと、メリィの毒疫の危険性を魔女達は何よりも警戒していた。
「メリィの毒疫に関しては、私も色々と仮説を立てているので心配はいりません」
「それでもライザ様に何かあっては公王様が悲しまれます」
「毒疫の魔女の移送は我々が行ないますので、ライザ様は別の場所で新鮮な空気を」
丁重に扱われる聡慧の魔女ライザと、あくまで危険人物扱いされている毒疫の魔女メランコリン。その差にヴァルゴの心中は穏やかではなかった。
ぐっと拳に力が入る。今すぐに諫めてやりたい。メリィも一人の人間なのだと、悪く言えば傷付く普通の少女なのだと。
しかし先に彼女を突き放したのは自分自身だ。今さらそんな正義面が出来るはずもない。そんな資格はないのだ。そう思うと悔しくてたまらなかった。
ヴァルゴが一人黙っているので、ライザは最後だからと気遣う。
「ヴァルゴ殿、メリィのことを見送ってあげてください」
「……俺なんかが見送ったところで」
「いいえ、きっとメリィも喜んでくれます。……お友達なのでしょう? なら、お別れの挨拶はすべきです」
「……」
このまま本当に、何も言わずに永遠の別れになるのかと思うと胸が張り裂けそうな気持ちになった。
ライザの言葉に、ヴァルゴは意を決して立ち上がり、駆け出すように魔女達を……メリィを追いかける。
その大きな背を見送りながらライザが満足そうに微笑むので、ラガサはつい口を出す。
「いいんですかぁ? あのデカ猫さん、冷静そうに見えて案外すぐ暴走しそうな感じしますけど」
「ラガサにも大切な人が出来たら、その気持ちがきっとわかりますよ」
「ほえ? いやいやいや、私が言ってるのはそういうことじゃなくてですね?」
「ふふっ……、若いって素晴らしいですね」
(……なんだかおばあちゃんみたい)
頭が良すぎる人間とは会話が成立しないのかな、とラガサは直感して黙ったが……やはりライザの許可に納得はしていなかった。
それでもライザの命令には従わなければいけない。自分が何を言ったところで、その決定を覆させる権限などラガサにはないのだから。
(せめて私の環で縛ってから挨拶させればいいのに。そんなに賢くない私でも、それくらいわかるんですけどねぇ)
***
ヴァルゴが休憩所から出て行くと、広場の真ん中に魔女達が集まっていた。
全員が当然のようにメリィから距離を取り、囲むように立っている。何かあればすぐにでも対応出来るよう身構えていた。
パラリスが小瓶を持って、メリィと向かい合わせになって立っているのが見える。
メリィは大人しく立ち尽くしていたので、慌てて声をかけるヴァルゴ。
「ちょっと待ってくれないか!」
ヴァルゴの低い声が響き渡る。
緊張感で溢れていた場が乱され、全員がヴァルゴを睨みつけた。
「邪魔をするな、御仁!」
「聡慧の魔女ライザ殿の許可が下りた。最後にメリィと……、別れの挨拶をさせてほしい」
「はぁ? ライザ様が?」
魔女達は顔を見合わせてざわついた。
すると休憩所から遅れて出て来たライザが、声高らかに魔女達に説明する。
「メリィとヴァルゴ殿に、しばしの猶予を与えてあげてください」
その声に全員はすぐさま杖を下ろして敬礼する。
「ライザ様がそうおっしゃるなら、……承知いたしました」
杖を下ろしても、それぞれその場を動こうとはしない。警戒を怠っていない証拠だ。
魔女達はじっと二人を監視する。
ヴァルゴは背中を向けているメリィの方へ近付こうとするが、それ以上近付くことを咎められてしまう。
「あまり毒疫の魔女と距離を縮めないでいただきたい。別れの挨拶はその場でしてもらう」
「……わかった」
手を伸ばしても届かない距離に、メリィが静かに立っている。
きっといつもならすぐさま振り向いていたはずだ。なぜかその確信がある。
振り向いてもらえないのは、ヴァルゴがメリィとの約束を反故にしたから……。
信頼を裏切ったのだから当然だと、深くため息を漏らし、声をかける。
「メリィ、期待に応えられなくて本当に申し訳ない。このまま君が森へ帰ることこそ最善だとされているが、……信じてくれ。俺は決してそうは思わない」
魔女達が反応するが、ヴァルゴは無視して続けた。
「君から発せられる毒疫の対処法を見つけることこそ、最善のはずなんだ」
「……」
「開発された薬が、その第一歩だろう? 君の毒を直接調べて、毒疫を発生させない手段がきっとあるはず。魔女が魔法を扱うように、君の毒疫もまたコントロール出来るはずだ」
「毒を……、コントロール……」
メリィは両手で自身を抱きしめるように、腕を掴んで震えた。
ずっと抱え苦しんできた原因を取り除くことこそ、メリィが自由を手に入れる為の条件なのだとヴァルゴは示す。
誰もが敬遠し、閉じ込めることでしか防ぐことが出来ないとされた中で、ヴァルゴだけが唯一希望を提示したのだ。
「俺に対しては君の毒が遅効性となっている。それが手掛かりになるかもしれない。幸い、あのライザ殿は見識が深いと言っていただろう。ならその方法を見つけることなんて、容易いことかもしれない」
「ダメ……ですよ。ライザ様の貴重なお時間を……、私なんかの為に費やすわけには……」
「それでもやってもらう。メリィもミリオンクラウズ公国の民なんだろう? なら、民の為に労力を費やすことは当然の義務だ。少なくとも王族はそうでなくてはならない」
ヴァルゴは必死に語り掛ける。
せめて、最後にメリィのあの柔らかな微笑みを拝むまでは……。
「俺は君を決して見捨てない。約束しただろう? 君と俺はずっと一緒だ。いつかきっと、必ず君を連れていく。外の世界を見て回ろう、一緒に」
「……ヴァルゴさんっ!」
その言葉に嘘はない。
絶対に、二人一緒に世界を巡る旅をする為に。
ヴァルゴの気持ちに嘘がないことを察したメリィは、泣きながら振り向いた。
両の瞳から大粒の涙を零しながら、メリィが口元の部分だけウィンプルを外す。
驚いた魔女達が杖を構えるが、そうしたところで意味がないことはわかっている。
構えながら後退し、少しでも自分達に毒が風に乗って来ないよう風向きばかりを気にし始めた。
マルタはすぐにライザの側について、いつでも浄化の魔法が使えるように準備する。
しかしライザは二人の様子を微笑ましく眺めているだけだった。
「ヴァルゴさん、時間がないんでしょう? ライザ様と、私の毒の研究をしている暇なんてないですよ……」
「君と一緒でなければ、世界を見て回る意味などない」
「……そうやって、すぐに私を甘やかしてくれるんですね」
「当然だ。俺にとって君は何より大切なんだからな」
ヴァルゴの優しい言葉に、声音に、今にも泣き崩れそうになりながらメリィは口元に両手を当てて声を押し殺した。
少しでも吐息が外に漏れないように、本当なら声を出してしまいそうなところを必死で堪えた。
そんなメリィの嬉しそうな泣き顔に、ヴァルゴはほんの少しだけ安堵した。
自分はまだ嫌われていない。きっとまだやり直せるはずだと確信する。
ふっと笑みをこぼしたヴァルゴの優しい顔に、メリィは胸の高鳴りが抑えられなかった。
これほど安心したのはどれ位ぶりだろうと考える。
ヴァルゴを見ていると、心の底から安心できる。
彼なら自分のことを乱暴に扱ったりはしないと、信じられた。
人として接してくれる相手だと、確信が持てた。
何より、それ以上に、メリィの中に芽生えた確かな感情が、ヴァルゴの存在を求めていた。
「ヴァルゴさん……」
これだけは他の魔女達に聞かれたくない。
声を出来るだけ小さくして、ほとんど囁くように口にする。
ヴァルゴの耳がぴくぴくと動いて反応していた。
きっと彼になら聞こえるはずだと、メリィは信じて心の内を明かす。
これが最後になるかもしれないから。
せめて、今……伝えておきたい。
「私……、多分……初恋です……」
「……っ!」
満面の笑顔だった。
輝くような、澄み切った微笑みで心の底から美しいと思えた。
その瞬間、ヴァルゴにあった理性は消え失せた――。