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作者: 円宮模人
少女と新天地と幸運な出会い
〇開拓星ウラシェ 地表 黒曜樹海こくようじゅかい

 仰ぎ見れば切れ目のない曇天がどこまでも続く。惑星全部を包む厚い雲が、今日も空一面を覆っていた。

 ここは開拓星ウラシェ。

 灰色の空の下には、黒に近い暗緑色の葉が生い茂る巨木の森が広がっていた。鬱蒼(うっそう)とした森に人の手が入っている様子はなく、家も路も見られない。

 未開の森林地帯は 黒曜樹海こくようじゅかいと呼ばれている。

 巨大な木立と高層の樹冠が形作る黒の天井の底に、暗い木陰が広がっていた。か弱い木漏れ日が幾筋もの光条となって、微かに木立を照らしている。

 明暗が揺らめく光のカーテンの奥を、数メートルの人影がゆっくりと歩いていた。黒の天井から漏れる光条に照らされて、巨影の細部が暴かれる。

巨人は装甲をよろう搭乗式人型兵器だった。

 肩と腰の大型装甲板はモノノフの大鎧を思わせる。鉄兜に似た頭部装甲も、同様のおもむきだった。人型兵器は、体格に見合ったサイズのサブマシンガンを手に携え、背面マウンターに大型ライフルを格納している。

 人型兵器胸部の狭く暗いコックピットに、ゴーグル一体式のヘッドギアを被った少女がいた。半透明ゴーグルの向こうに見えるのは気弱そうな垂れ気味の丸目だ。

 少女の名はアオイ。

 アオイがコックピットの天井を仰ぎ見て、ぽつりとつぶやく。

「雲ばっかり……」

 アオイの視野を覆うゴーグルには、人型兵器が眺めるままの雲が投影されていた。開拓星に入植してから初めて見る空だ。

「本当に青空って見えないんだ」

 ほんの少しは青空が見えるかも。そんな希望は叶わなかった。小さい口から、ため息が漏れた。

「と……景色だけじゃなくて、警戒しないと」

 前を向くと、眼前の映像が首の動きと完璧にリンクして流れる。広がったのは暗い木立だった。

「本当に自分で見てるみたい……」

 眼前から映し出される映像が巨人に成り代わったような臨場感を生み、臨場感が未開の森へ挑む不安を駆り立てた。暗い樹海の奥を覗くと、自然と不安が零れる。

「うう。何か出てきそう……」

 湧き上がる恐怖に反応したのか、人型兵器の手が恐る恐ると言った風情でサブマシンガンを構える。

「ああ、こういうのも読み取られちゃうんだ」

 ヘッドギアが思考を読み取って人型兵器を動かす。そんな、勤務開始前に受けた説明を思い出した。

 意識を画面に戻すと、銃口から伸びる青く輝く緩やかな放物線、つまり弾道予測線が見えた。

 輝線の伸びる暗がりに何かが潜んでいないか覗く。幸いなことに、動く物はなかった。

「よし……。ゆっくり進んで……」

 歩行するイメージを思い浮かべると共に、木立が後ろへ流れていく。同時に、足元から重い足音が聞こえてきた。

「ゆっくり……。警戒しながら……」

 足音と共に、押し返すような感触が足裏から伝わってくる。

「触られているみたいで……やだな」

 湧き上がる不快感が頬を歪めた。

 慣れれば平気と言われた戦闘服からのフィードバックシステムだったが、それでも嫌なものは嫌だった。

 戦闘服に仕込まれた低出力人工筋肉が圧迫する違和感を我慢していた時、耳元から茂みが揺れる音が聞こえた。

「ひっ! なに!?」

 思わず肩を跳ね上げる。

 精巧に作り込まれた三次元音は、すぐ隣に何かが潜んでいると錯覚させた。何もないはずの空間を振り返る。

「まさか!?」

 ゴーグルには変哲もない茂みしか映っていなかった。

「違ったか……」

 予想していた脅威はいない。風のせいかと安堵していると、ヘッドホンから疲れた中年男性の声が聞こえた。

「おい、新人。えーと、なんだったか」
「は、はい! アオイです!」
「そんな名前だったな。定時連絡だったんだが……。どうした? がいたのか?」
「いえ。勘違いでした」

 直後に相手がため息をついた。思わず、心の中で謝る。相手の声に、これ見よがしの面倒臭さが乗った。

「交代の時間まであと少しだ」
「はい! それまで頑張って警備します!」

 少しでも好印象を持ってもらえるように、声に精いっぱいの元気を込める。

「まぁ、期待してないがな」

 返ってきたのは嫌味すら籠っていない平坦な返事だった。自分のやる気など求められていなかったと悟ると、途端に元気は鎮火される。

 通信が切れて沈黙が戻ると、思わずため息が出た。

「そんな事、言わなくても……」

 首を振って込み上げかけた暗さをかき消して、決意を込めて顔を上げる。

「ちゃんとやらないと! せっかく見つけた仕事なんだ!」

 生真面目なやる気を読み取ったのか、ゴーグルモニターに映る機械の手が拳を作った。

「素人でもそれなりに人戦機じんせんきを動かせるんだから、頑張りさえすれば」

 人戦機。正式名称である人型戦闘機の略称だ。

 巨人へ生まれ変わったような感覚的な操作性が利点で、とある事情から安価と聞いた。開拓星ウラシェでは、アオイのような素人にでも躊躇ちゅうちょなく貸与できるほどに一般化しているらしい。

 二、三回深呼吸して、前を見つめる。

「よし。歩いて」

 木立が再び後ろへ流れていく。

 そびえ立つ大樹の陰から何かが飛び出すのではないかと思うと、自然と息が荒くなる。神経を削る緊張がただひたすらに続いた。

 不意のそよ風が樹冠に吹き込んだ。見上げると、涼やかな音色を奏でる黒曜の葉が揺れている。

「わぁ……」

 キラキラとした木漏れ日に見とれてしまう。

 しかし、視界の端にアラートが灯った。画面端のリアビューを巨影が掠(かす)める。嫌な気配と感じて機体を反転させると、正面からの衝撃が襲いかかる。

「ぐぅぅ!?」

 直後のふわりとした感覚。次いで背中から衝撃が突き抜けた。

「がふっ!」

 きゅう、と肺が縮まる苦痛にうめいていると、胸元から叩き付けるような轟音が聞こえた。次いで戦闘服から圧迫感が伝わってくる。

「何か、乗ってる!?」

 視線を向けると、機体と同サイズの影が眼前に映っていた。生身の体に猛獣が覆いかぶさった様な錯覚に背筋が凍る。

「こ、攻性獣こうせいじゅう! 本物!?」

 目の前に迫るのは、赤い三つ目。

 分厚い甲殻に包まれた盾の様な頭部。背後に潜むは、凶悪な力を匂わせる太い六本足と、甲殻と毛皮の入り混じった異様な体表。

 遠目であれば蟻の様にも見えるが、そんな平和な生き物でないことは一目瞭然だ。

 視界の端に、準危機的警告イエローアラートが灯る。それが無くても危険な状況と言う事は、嫌でも分かった。

「サブマシンガンはどこ!? さっきので落とした!? じゃあ、えっと……! 武器変更! 対甲殻ライフル!」

 背中のライフルが自動的に取り出されるはずだった。しかし、背後から何かが動こうとしてぶつかる音が聞こえるだけだ。

「なんで!? 地面に引っ掛かってる!?」

 もがくが抜け出せない。一方の攻性獣は、極太の脚部を振り上げた。

「まずい!?」

 攻性獣が、鉄槌の如き脚部を打ち下ろす。コックピットに轟音が響いた。破損を伝える危機的警告レッドアラートが表示される。

「このままだと!?」

 操縦士の恐怖を読み取って人戦機の手足が懸命に足掻く。しかし、抜け出せる気配はない。全身の血の気が引いていき、寒気がはっきりと感じられた。

「死ぬ!? 死んじゃうの!?」

 コックピットが潰されれば、当然ながら命はない。

 攻性獣がコックピットを打ち付けるたび、命の限界点がひたひたと忍び寄ってくる。

「まずい、まずい、まずい……」

 何度も呟いて、どうにかしようとして、どうにもできなかった。とうとう押し黙り、息を呑み、身をすくめる。

 きっと死ぬ。

 目をつむりかけた時、攻性獣の頭が唐突に爆ぜた。

「え!?」

 閉じかけた目を見開く。

 毒々しい黄色を帯びた、血と骨と肉の花が咲いていた。続いて、主を失った身体が機体の上へ力なく伏せる。

「な、な、何が……」

 声を震わせながら、死骸ごと機体を起こす。あたりを見回すと、一体の人戦機がライフルを携えていた。

「同じ機体……」

 肩と腰の大型装甲板がモノノフの大鎧を思わせる、アオイが乗る機体と瓜二つのシルエットだった。肩正面には桜と盾をあしらった社章がペイントされている。見たことのない会社のマークだった。

「もしかして……、あの人が助けてくれた?」

 攻性獣の死骸をのけて、すぐさまそちらへ機体を走らせた。礼を述べるため、外部スピーカーを入れようとする。

 手が震えて、何度もやり直した末にようやっとインカムが繋がった。

「あ、あ、あの。ありがとうございました」

 震え気味の感謝が、外部スピーカーを通じて森へ響く。

 しかし、返事はない。

 聞こえなかったのかと思い、声を張る。

「すごいです! 一発で――」
「想定以上ではない」
「ぅえ?」

 あまりに冷淡な口調に面食らい、思わず変な声を出してしまった。

「次の区域に行く。会話の終了を提案する」

 時間の無駄とばかりに、相手の機体は仄暗い森の中へ駆け出す。唐突な反応に呆気を取られ、相手機の背中を見送るしかなかった。

 走り去る機影が見えなくなった。そこまで経ってようやく気力を取り戻す。

「なんか……疲れたな……」

 ため息を一つ吐き、樹冠からわずかに見える灰色の空を仰いだ。

「せめて、誰か一緒ならなぁ……」

 何気ない呟きは、誰にも拾われず静かな森へ溶けていく。本当は、誰かに返して欲しかった。

 気兼ねなく、頼り合う、理想の仕事仲間。果たして自分の人生にそんな相手が現れるのか。その兆しは、影すらもない。

「誰でもいいから――」

 そこまで言い掛けて、先ほどの無愛想な声を思い出した。

「いや……、はちょっとな……」

 彼と組んだらきっと大変な目に遭う。そんな人間には同情してしまうだろうと思いながら、暗い森の中を進んでいった。
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