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作者: 円宮模人
少女と武装警備員と冴えない現実
〇開拓星ウラシェ 黒曜樹海こくようじゅかい

 開拓星ウラシェは、人類が縋るように逃げてきた希望の星だ。

 温度、気圧、成分のどれもが居住に適した人類第二の故郷である。惑星全部を包む厚い雲は、なぜか一時も晴れる事は無い。

 曇天下には黒の森がどこまでも広がっている。風が吹き込んで波打つ木々は、まるで黒い海のようだった。黒の波が打ち寄せる畔に、巨大なドームが建っている。

 ドームは開拓中継基地と呼ばれる施設だ。

 ウラシェ開拓は極僅かしか進んでおらず、都市も数えるほど。都市から開拓地点が離れている事も良くある。その際に、必要な資材を都市から輸送するのでは手間も掛かった。

 そうした不便を解消するため、各事業主が相乗りできる開拓中継基地が設けられていた。あるトレーラーはドームを目指し、あるトレーラーは出発する。そんな光景が繰り返されていた。

 ウラシェの開拓は今日も進んでいく。新天地には幸運があると信じて。





〇開拓星ウラシェ 黒曜樹海 開拓中継基地 武装警備員用休憩スペース 

 ドーム内の一角にある休憩スペースは、行き交う人もまばらだった。

 膝、腰、肘、肩、頸椎に緩衝パッドが入った武骨な戦闘服を着た少女が一人、ショートの黒髪を揺らしながら灰色の廊下を歩き回っている。

 少女はアオイだ。

 ゴツゴツとした戦闘服の上からでも分かるくらい手足は細い。気弱そうな垂れ気味の丸目が困惑に曇っていた。その手には空のボトルが握りしめられている。

 アオイは、手に持ったボトルを眺めた後に、決意を持って歩き始めた。

 アオイの視線の先で、偉丈夫たちがドアの前で雑談をしている。

 荒くれ者特有の迫力に押されそうになるが、勇気を出して恐る恐る声をかけた。

「ぁ、あの」

 アオイが絞り出した声は、男たちには聞こえないようだった。もじもじと戸惑い気味にたじろいだ後、覚悟を決めて息を吸い込む。

「あの!」
「あ?」

 威嚇を込めた声と共に、険しい顔がこちらに向けられる。

(ひぃ!)

 内心の悲鳴を抑えて、辛うじて踏みとどまった。不審そうに見つめる男たちの一人が口を開く。

「なんだ? 早く言えよ」
「その、水を汲みたくて……」

 男たちは少しだけ道を開けた。素早く水を汲んで来た道を戻る。

(一時間くらい待ってようやく汲めた……)

 水を汲む様子を不思議そうに見ていた男が尋ねてきた。

「別に、武装警備員専用って訳じゃねえけどよ、どうしてここ使ってるんだ?」
「ボ……」
「ボ?」
「いえ、ワタシも武装警備員で」
「はぁ? お前が?」

 刺すような疑いのまなざし。それから逃れるように、休憩所へ向かった。

 休憩所のドアを開けると、そこにも男たちがたむろしていた。誰もが迫力を纏っているように見える。自分とはまるで違う人々の間を抜けて、隅っこの席へ座る。

(騙された! 女の子でも平気って聞いたのに! いや……)

 水をすすりながら横目で人々を伺う。多くはないが女性もいた。

 受け取る相手がいないとわかっていても、つい呟きが零れてしまう。

「男の人ばかりって訳じゃない。ボクが武装警備員っぽくないってだけか……」

 武装警備員に成ろうと思って調べた事を、振り返る。

 武装警備員とは、人戦機に乗って攻性獣などの障害から開拓事業主を警備する職業だ。

 攻性獣は、攻性を冠するとおり攻撃的だ。高い戦闘能力も有しており、開拓事業団が襲われて壊滅したのは一度や二度ではない。ゆえに、開拓事業主を守る戦力が求められた。

 一方、世界では軍縮が進んでおり、多方面に展開する開拓事業を軍隊が守るのは不可能だった。その需要を満たすため、警備を専門とする民間業者が現れ、警備事業は瞬く間に一大産業となった。

 昨今のとある事情も相まって、武装警備員を志望するものは多い。事実、休憩室には予想以上の人数がいた。

「いろんな人がいるけど……。みんなボクとは違うなぁ」

 職務の特性上、武装警備員は荒くれ者に分類される者が多く、それが一般的なイメージだった。つまり、気弱で臆病そうな者はいない。

「求人では、どんな人でも大丈夫って言ってたんだけどなぁ……」

 ため息をついて視線を上げると、窓に映る自分が見えた。

 垂れ気味の丸目、低い鼻の見慣れた丸顔だ。泣き黒子だけが、平凡な顔立ちにアクセントを添えている。

 ヘッドギアで潰れた髪を直しながら、再度ため息を付く。

「間抜け。武装警備員って感じじゃないよね……」

 だが、それでも武装警備員を選択したのは理由があった。

 机に置いた情報端末に通知が入る。そこには、返済期日の案内、平たく言えば借金の催促が届いていた。

 顔が思わずひきつってしまう。

「まずい……。また返済が遅れたら、信用スコアが」

 信用スコアは、巨大企業が始めた顧客信用度を点数化したものだ。提携企業は増え、実質的な社会評点と化している。

 当然、借金の返済が遅れる等と言った行為は、スコア低下につながる。もしもそうなった時にどうなるか、携帯型の情報端末を操作して信用ランクが落ちた先を調べた。

「この下のランクだと……。うわ、家も仕事も買い物も、まともなところには……。そうなったら二度と……。いやいや、悪い事ばっかり考えちゃダメだ」

 黒髪のショートヘアを揺らしながら頭を振って、気持ちを切り替える。

「たくさん面接で落とされたけど、なんとか仕事は見つけられたんだ」

 入植船から降り立ち、直面したのが就職難だった。入植者の急増は人手余りを招いている。加えて、とある理由からカネが必要で、借金せざるを得なかった。

 必要だったのは稼げる職業だった。稼げさえすればよかった。

「こんなにおカネをもらえる仕事、武装警備員以外には」

 だからこそ、安全と引き換えに高給を約束された武装警備員になった。

 最初は武装警備員の荒々しいイメージを敬遠していたが、求人の謳い文句を思い出す。

「誰でもできるって書いてあったんだし。ボクだって」

 やむにやまれぬ事情をひっくるめ、消去法で武装警備会社の門を叩いた苦労を思い出し、決意を込めて顔を上げる。

「よし! 次のシフトも頑張るぞ!」

 やる気を絞り出して拳を握りしめると、不意に腹の虫の音が聞こえた。

「こんな時でも、お腹は空くのか……。なんか食べよ。おカネはかけられないけど……」

 休憩所から廊下へ出た。途中に売店が見えたが、自分の信用スコアでは入れない事を思い出す。

「ここのお店のお菓子、好きだったんだけどなぁ……。まぁ、おカネがないからどっちにしろ買えないけどさ……」

 ため息をつきながら、廊下を進む。

 やがて見えてきた無人販売コーナーでは、武装警備員が買ったばかりの食品を頬張っていた。いかにも美味しそうな食事に唾を飲む。

 だが、立ち止まらず歩き続ける。そして、人気のないフードペースト販売機で足を止めた。

「今日もこれにするか……。安いから助かっているけど、さすがに飽きるなぁ」

 カップにボタボタと垂れる茶色がかった緑のペースト。それはオキアミとミドリムシを混ぜた低価格、高栄養食品だった。

 食欲をそそらない悲しい内容ではあるが、金欠のため選択肢はない。ため息をつきながら休憩室へ向かう。

 道中、廊下の端にうずくまっている人影があった。

「……あれ? あの人は?」

 ふわふわとした長い巻き毛を見て、女性のようだと察した。道行く人々は気に掛ける様子もない。迷いながらも女性に近づき、声をかける。

「あの……、大丈夫ですか? 誰か呼びましょうか?」

 女性が顔を上げた。

 穏やかで淑やかな面持ちだった。片目が前髪に隠れており、露になっているもう片目は垂れ気味の切れ長だ。濡れるような長いまつげと泣き黒子が印象に残る。

 自分と同じ泣き黒子にわずかばかりの親近感を抱くが、顔の出来栄えは別格だった。

(わぁ……。美人)

 だが整った顔立ちに、疲れのような翳りも見えた。

「あら……。ごめんなさい……。ちょっと頭痛が……」
「ど、どうしましょう? 何かした方が?」
「大丈夫。少しこうしていれば……」
「わかりまし――」

 背後から足音が聞こえたと思った直後、誰かがぶつかったような圧が背中を襲う。

「わわ!?」

 不意に押され、姿勢を崩してしまう。女性に倒れこむ事はなかったが、持っていたカップを見て血の気が引いた。

 カップの中身のほとんどが消えている。

「あ、あ!?」

 嫌な予感に従って女性を見れば、ペーストで服をひどく汚してしまっていた。血の気が更に引いていく。

(ど、どうしよう。これって弁償しないといけない? でも、おカネが……)

 自分のせいではないと言い訳も考えた。だが、相手に迷惑をかけてしまった。その二つがぐるぐると頭の中で混ざり合う。

 だが、最後の最後で腹を括り、覚悟と共に頭を下げた。

「ごめんなさい! その、洗うためのおカネを――」
「え? いいわよ?」
「ぅえ?」
「わざとじゃないんでしょ?」
「は、はい」

 女性の一言で覚悟が溶けていく。だが、服を汚してしまった事実には変わらない。申し訳なさが声に滲んだ。

「でも、服が」
「いいのよ。どうせ汚れてもいい戦闘服なんだから」

 女性が着ている服は、操縦士を守るため詰め込まれた緩衝パッドがゴツゴツとした印象を与える戦闘服だった。

(この人も武装警備員なのかな?)

 穏やかそうな面持ちを見て意外に思う。武装警備員の荒っぽい一般像とはまるで異なる印象だった。

 疑問のまなざしで女性を見ていると、淑やかな切れ長の瞳がこちらを向いた。じろじろと見過ぎて気分を害してしまったかと身構えるが、女性はニコリと優しい微笑みを浮かべる。

「あなた、いい人ね」

 意外な一言だった。

「え? どうしてです?」
「わざわざ声をかけてくれたし、すごく迷っていたけど弁償も口にした。今時珍しいわ」
「そ、そうでしょうか?」

 照れくささで頬を掻いていると、女性は申し訳なさそうに頭を下げた。緩やかな巻き髪が揺れる。

「ごめんなさい。私に構ったばかりにせっかくの食事を……。お詫びに新しいのを買わせて」
「い、いえ! そんな!」

 反射的に断ろうとしたタイミングで、腹の虫が鳴く。

 頬が熱くなるのを感じながら顔をあげると、女性は優しくウィンクした。

「おごらせて。なんだか困っていたみたいだし」
「助かります……」
「じゃあ、あっちへ」
「分かりまし――!」

 歩き出そうとした時、足元でペーストを拭いていた清掃ロボットに引っ掛かりそうになる。

「わわ!? っと!」

 なんとか転ばずに済んだが、大声を上げてしまった。顔が真っ赤になりそうな熱が頬に籠もる。

 嘲笑われるのではないか。

 そんな予想とは裏腹に、女性はただ優しく微笑んでいた。

「大丈夫だった?」
「は、はい」

 二人で販売所まで戻り、女性がフードペーストを買った。貴重な食事にありつけたことに感謝しつつ頭を下げる。

「ありがとうございます。えっと……」
「ああ、私の名前? そうね……、ヨウコって呼んでちょうだい。あなたのお名前は?」
「アオイです」
「アオイさんね。どういたしまして」

 ペーストを受け取って休憩室に戻ろうとすると、ヨウコも同じタイミングで同じ方向に歩き出した。それに気づいて隣を見ると、ヨウコの意外そうな顔が目に入る。

 ヨウコは、気さくな口調で問いかけてきた。

「もしかして、同じ方向?」
「はい。ヨウコさんも休憩室ですか?」
「違うけど、途中まで一緒ね」
「じゃあ、一緒に」

 そういうと、ヨウコが販売所にたむろする人影を見回す。

「いいの? 邪魔になったりしないかしら? お友達とか」
「大丈夫です。まだこの仕事を始めたばかりだから、一人なので」

 寂しさが零れない様に苦笑いでせき止める。

 入植後、意図せずに唐突に訪れたのは孤独だった。それを初対面の人間にぶちまけないだけの分別はあるつもりだ。

「そうなの。もしかして、アオイさんは武装警備員?」
「分かりますか? それっぽくないって言われますけど」
「ちょっと迷ったけど、戦闘服を着ていればね」

 込み上げた苦笑いに、弱気が加わった。

「それでも、そうは見られないみたいですけどね……」

 チラリとヨウコを見る。

 少しだけ寂しそうな瞳を向けた後、微笑みに激励の力強さが混じった。

「頼れる仲間ができるといいわね」
「仲間……ですか」
「この仕事、誰と組むかで全然違うから」
「そう言う人が、見つかるといいんですけどね」

 ヨウコが肩を包むように手を置いた。

「あなた、いい人だからきっと大丈夫よ」

 戦闘服越しのはずなのに、ヨウコの手のひらがとても暖かかった。

「ありがとうございます」

 ヨウコと話し込む横を、男二人が通り過ぎる。

「おい。あのシドウ一式、見たか?」

 シドウ一式とは、アオイの乗っていた型式だ。自らの醜態を噂されているかも知れない。そんな懸念が頭を掠(かす)め、思わず振り向く。

(ボ、ボクのこと?)

 男たちは視線に気づく事もなく、歩き続ける。

「すげえ撃破数だったな。あんな腕なのに、なんでオンボロを?」
「サクラダ警備の新人らしい。お前も最初の頃は、お古だろ?」
「新人であそこまで?」
「すげえよなぁ。相当稼げるぞ」
「全く才能のあるやつは――」

 去って行く男二人を見ていると、ヨウコが不思議そうに首を傾げる。

「どうしたの?」
「いえ。シドウ一式って聞こえたので、ボ……」
「ボ?」
「いえ、ワタシの事かと」

 シドウ一式は、人戦機の在り方を示した傑作機と聞いている。しかしそれは遥か昔で、いまではすっかり旧式の代名詞とも聞いていた。

 シドウ一式で撃破数を稼ぐという事は、腕が卓越している事だ。その技量に感心していると、ヨウコのしみじみとした声。

「シドウ一式ね。懐かしいわ」
「ヨウコさんも乗ってたんですか?」
「今は八式だけどね。立ち話もなんだし、行きましょうか」
「はい」

 その後も他愛もない話をしているうちに、二人は休憩室前に着いた。

(ここで、お別れか……)

 同性で、親切で、大人な同業との時間が終わってしまう。その寂しさに負けそうになるが、引き留めて迷惑をかける訳にはいかないと思い直した。

「ヨウコさん。ありがとうございました。じゃあ、ここで」
「お仕事、上手くいくといいわね。私、頑張り屋さんが好きなの。応援しているわ」
「分かりました。頑張ります」

 微笑みながら、ヨウコがひらひらと手を振った。ぺこりと頭を下げた後、ヨウコの姿が廊下の雑踏に消えるまで手を振り返す。

「……あんな人と一緒に仕事ができたら良かったのに」

 ため息が出てしまった。束の間の会話を思い返し、優しい笑顔が頭に浮かぶ。

「頑張り屋さんが好き、か……」

 その言葉を口の中で転がし、下を向いてばかりではいられないと気合を入れた。

「そうだよね。あんな素敵な人もいるんだ。頑張らないと!」

 張り切って休憩室のドアを開ける。途端に怒鳴り声が耳を打った。

「おい。てめえなんて言った!」
「復唱が必要か? 内容に利益があると思えない。そう言った」
「新人だろう? せっかく教えてやっているのに」
「オレはサクラダ警備で、お前の指揮系統下にはない。時間の浪費だ」
「なめ腐ってんのか?」

 ただならぬ雰囲気に視線を向ける。

 そこでは三人の少年が言い争っていた。二人は会社の先輩だった。そして、相対する一人の少年に目に留まる。

 逆巻く髪は人を拒絶するかのごとく刺々しい。何より特徴的なのは、影のある切れ長の三白眼だった。言い争いにあっても仏頂面を貫く姿勢は、独特の存在感を放っていた。

(うわ。あの人、怖そう)

 三白眼の少年の声を聴いて、ある事に気づく。

(あの声は、さっき助けてくれた? サクラダ警備の新人ってところもさっきの噂話と同じだし……。同い年くらいかな?)

 しげしげと見る間に、事態はエスカレートした。三白眼の少年が胸倉をつかまれる。だが、少年は平静に切れ長の三白眼を相手に向けていた。

(うちの先輩さんたちがあんなに怒ってるけど、眉一つ動かさないなんて……。すごい度胸)

 言い争いに長身の女性が割って入ってきた。そこまで見届けて、情報端末に映る担当時間の通知に気づく。

「まぁ、関わらないようにしとこう……。違う会社だし、そんなこともないと思うけど」

 任務に備え、そそくさと片づけを進める。

「よし! 次の任務も元気よくやらないと!」

 精いっぱいの気合を入れて、休憩室を後にした。

 他人に構っている余裕はない。自分の一寸先の運命すら分からないのだ。次の任務で、どんな幸運や不幸が待っているかについても。





〇開拓星ウラシェ 開拓中継基地周辺 黒曜樹海こくようじゅかい

 アオイの眼前に映るのは樹冠がつくる暗がりだった。

 木々があっという間に後ろへ抜ける。足元からの激しい振動と戦闘服が伝える感触は、まるで自分の肉体が走っていると錯覚させた。

「急いで! もっと早く走って!」

 焦れったい気持ちが叫びに乗った。モニターの端に映るリアビューには、軽甲蟻けいこうありと呼ばれる数匹の攻性獣が映っている。

 軽甲蟻は休憩前にアオイに襲い掛かった攻性獣だ。盾のような頭部に赤い三つ目を灯らせて、六脚で器用に木立を抜けてくる。

 軽甲蟻が追うのはただ一機、アオイの機体だ。

 アオイは必死の思いを伝え、少しでも早く機体を走らせようとする。だが、画面端のリアビュー用ミニウィンドウに映る軽甲蟻は一向に小さくならない。

 縋る思いで、インカムに向かって声を荒げる。

「こちらアオイ! こちらアオイ!」

 が、反応はない。

「ダメだ! やっぱりだけど通信圏外!」

 焦りに加えて、嘆きが籠もる。

「初心者でもできる簡単な任務だって言ってたのに!」

 攻性獣の大群は突然来た。

 中継基地警備任務で大群は滅多に現れない。一帯の混乱は相当なものになり、その中で見捨てられ、取り残された。

「みんなで置いていくなんて! なんでボクだけ一人!?」

 勝算もなく必死に逃げる。とうとう、迫る脅威に耐えかねて振り返ってしまった。

 ヘッドギアの動きを忠実にトレースして人戦機も振り返る。それは後退速度を下げるだけの行為だと悟ったのは、振り返った後だった。

 暗闇に浮かぶ攻性獣の赤い三つ目が、これ以上なく鮮明に映し出される。顔も体も凍り付き、縋るような呟きが漏れ出た。

「おね――」

 呟きを遮ったのは、いくつもの風切り音だった。

「な!?」

 直後、盾のような頭部甲殻に次々と穴が穿たれ、ヒビが広がる。とうとう、黄色い血肉が飛び散った。

 次々と軽甲蟻が沈黙していく。

「……な、何が」

 あたりを見回すと、自分と同じシドウ一式がサブマシンガンを携えていた。肩に桜と盾をあしらった社章がペイントされている。目の前の機体が休憩前に助けてもらった機体と同一であると、直感した。

「また……、あの人?」

 思い出されるのは冷淡な声。だが今は、誰かがいる幸運に感謝せざるを得なかった。
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