少女と激務と訓練成果
〇黒曜樹海 開拓事業設備付近
人戦機でも見上げるほどに、黒曜の樹冠は高い。黒の葉を茂らせる巨木の間で、アオイとソウの機体が銃を構えている。
暗闇のコックピットに、ヘッドギアと半透明ゴーグルを被ったアオイがいた。ゴーグルに投影される光によって垂れ気味の丸目が浮かび上がる。
アオイの表情は真剣そのものだった。
アオイが眼前に映る情報を懸命に読み取っていると、視界の端に通信用ミニウィンドウが開く。そこには半透明ゴーグル越しの三白眼、つまりソウが見えた。
「第二群が来る。十秒後に有効射程圏内に入る」
「トモエさんは平和な方が普通だっていってたのに!」
「考察不要の情報だ。集中しろ」
「それもそうだけど……。いや、そのとおりか。よし」
呼吸を整える。
意識をモニターに向ければ、森の暗がりと薄らぼんやり浮かぶ赤い三つ目。攻性獣が、赤い四角でマークされていく。機体に搭載された拡張知能が、敵性存在と判断したためだ。
巨大な木立を抜けながら、多数の敵性存在表示が迫りくる。しかし、アオイの顔に焦りはない。銃は構え終えており、引き金を絞るだけだった。
満を持して、ソウの掛け声が聞こえた。
「アオイ! 撃て!」
「このぉ!」
トリガーを絞ると同時に、無数の曳光弾が暗闇の木立を照らしながら、攻性獣めがけて飛翔した。攻性獣の甲殻と黄色い血肉が飛び散る。
数秒もしない間に、決着がついた。
「とりあえず片付いたけど……」
「今のうちに準備を。アオイは、銃身の交換も推奨する」
「そうだね。銃身を交換」
指示通りにシドウ一式が銃身を自動交換する。僅かな小休止の中、思わずため息を漏らした。
「どうして、いきなり」
「それがウラシェだ。この星にはオレたちが把握できていない事が多すぎる」
「雲が邪魔だし、レーダーも効かないからね。何か起こっているのかなぁ?」
「不明だ。考えても業務の効率化にはつながらない。集中しろ」
「わかったよ。……待って。あっちから反応」
「了解。討伐した方がいいな」
「ボクもそう思う。……銃身交換が完了したよ。マウンターへ格納して」
銃がアオイ機の背面マウンターへしまわれると、ソウ機が駆け出す。その背面には、二対四翼の偏向スラスター、通称アサルトウィングがついていた。
煌めきを吐き出しながら、アサルトウィングが機体を推す。
「待って! もう! アサルトウィング起動!」
弾かれるように機体が駆け出した。
モニターに映る樹海が高速で後ろへ流れていく。疾走の爽快さに、感嘆の声が思わず出た。
「このアサルトウィングって装備、すごく速いね!」
「機動力重視の突撃兵装固有装備だ。攻性獣侵攻に対応するためには、効率的な兵装だ」
「兵装システムだっけ? 後ろを交換するだけで、まるで別の機体みたいだ!」
兵装とは、人戦機の拡張システムである。
多様な局面に対応するために、人戦機に背負う形で取り付け可能な、さまざまな装置がセットなっている。背嚢を背負い代えるように、僅かな時間での換装を目指した結果だ。
これにより、戦局の変化に対して柔軟な対応ができるようになった。
突撃兵装はその一種で、武器マウンターに加え非推進剤形式偏向スラスターであるアサルトウィングをパッケージ化してある。現目的である、あらゆる方向から押し寄せる攻性獣の個別撃破にもっとも適した機動力重視の兵装である。
トモエの説明を思い出していると、ソウの声が聞こえた。
「別機体を用意するより、格段のコストパフォーマンスで状況に対応できる。合理的だ」
「だけど、持てる装備が少ないから気を付けないと。軽機関銃以外はハンドガンだけか……」
尽きない不安の中、縋るように視界の端へ視線を送る。だが、トモエが映っているはずのミニウィンドウにはノイズだけが映っていた。
「やっぱり通じない。……オクムラ警備のドローンって本当に役に立たない!」
「相当旧式でメンテナンス状態も悪い。我々は下請けだから仕方なく使っているが」
「ボク、サクラダ警備に来てびっくりしたよ。あの会社って、おカネのかけどころを間違っている!」
「その分だけ、スピードを上げて進めればいい」
「ちょっと! 待って!」
美しいフォームはそのままに、ソウ機の駆け足が一層速くなる。集中して、精一杯ついていく。刹那、視界に人型のシルエットがちらりと映った。
「あれ? 今、人戦機が見えたような?」
「こちらのセンサーには反応がない」
「ごめん。ちょっと神経質になっていたかも」
「適度な緊張は推奨されるが、度を越せば不利益が多い」
「トモエさんに習った内容だよね。分かった」
深呼吸をして気を鎮める。そして、索敵結果に目を通した。
「ソウ! もうそろそろで会敵!」
「武器変更! アサルトライフル!」
「こっちも! えっと、軽機関銃へ!」
速度を落とし、銃を構える。同時に、樹冠の隙間から空へ立ち上る光球が見えた。
「信号弾だ。救援要請?」
それは、オクムラ警備に危機が迫っていることを示すものだった。いら立ちのあまり声を荒げてしまう。
「こんな時に? もう!」
「アオイ、どうする? こちらを撃破した後に、二機で向かうか?」
「でも、万一あっちが戦闘不能になったら……。ボクたちだけじゃカバーできない」
「二手に分かれるしか選択肢が無い訳か。どちらが残る?」
目の前から迫る攻性獣の量を確認し、冷や汗が噴き出た。
(ボクの腕じゃ、あの量は無理だ……。でも、ソウに押し付ける訳にも……)
迷う心情を珍しく察したのか、ソウが口を開く。
「オレが残るか。アオイ。救援に行ってくれ」
「……分かった。ここは頼ってもいい?」
「問題ない」
心苦しさに、奥歯を噛み締める。
「では急ぐぞ」
ソウは意気込む様子もなく淡々と答えた。ソウ機が森の暗がりへと消える。
「ボクも、いかないと」
自分も別方向へ機体を駆けさせる。信号弾を見上げながら黒曜樹海を進むうちに、ノイズだらけだった通信ウィンドウにトモエの顔が映った。
「アオイ! 聞こえるか!?」
「トモエさん!? 聞こえます! 通信が回復したんですね!?」
「ああ。早速だが、オクムラがまずい。二手に分かれて救援を頼む。ソウはどこだ?」
「もう分かれています! ワタシが救援です!」
「いい判断だ。予測位置を転送する。当然、状況は動いている。周辺の確認を」
「了解!」
トモエの指令どおりに確認を進めていると、光る何かを確認した。
「トモエさん! チラって光りました!」
「アオイ! すぐそこへ行け!」
「了解!」
森の中で光る物は、誰かの銃火であろう。
光に導かれて進むにつれ、見えてきたのは悪夢のような光景だった。攻性獣の大群が、赤い瞳を揺らしながら森の中にひしめいている。
「うわ……。あんなに……」
思わず二の足を踏みそうになる。だが、対象救出と設備防衛のために逃げる訳にはいかない。
銃口を群れに向け、トリガーを絞る。
「このぉ!」
携えた軽機関銃が火を噴き、軽甲蟻の甲殻と中身をまとめて粉砕していく。攻性獣特有の黄色い血肉が、霧のようにあたりに飛び散った。
群れを削る一方でオクムラ警備の行方も探る。
「どこにいる? きっとこの群れの向かっていた先に……」
集団が向かう先を推測し、機影や銃火がないか注意深くモニターを眺めた。持てる限りの集中力で戦場を見続ける。
「……ん?」
キラリとした何かが映ったと思った次の瞬間、光弾が暗闇を横一閃に切り裂いた。
「あそこだ!」
牽制(けんせい)を続けながら森を進む。群れの先に、二機の人型を発見した。
即座にトモエへの通信を開く。
「対象を発見!」
「よくやった!」
接近している間にも、攻性獣の進撃は続く。先頭群は二機の目の前まで迫っていた。攻性獣の一匹が、オクムラ警備の機体に飛びかかろうとする。
「危ない!?」
軽機関銃を向けてトリガーを引く。
放たれた弾丸は攻性獣を砕いた。咄嗟の射撃が予想以上に上手くいった事に一息つきそうになったが、すぐに通信を繋ぐ。
「こちらサクラダ警備所属機! 応答を!」
ミニウィンドウに、歓喜に浮かれる二人の青年が映った。
「やった!」
「た、助かった!」
「支援します! こちらの火線に入らないように注意してください!」
追加射撃で先頭群の攻性獣を砕いていく。しかし、依然として状況は危機的であり、オクムラ警備の両機から泣き言が聞こえた。
「し、死ぬかと思った!」
「おい! 早く逃げるぞ!」
「あの……」
「なんだ!? 早く言えよ!」
一瞬だけ言葉に詰まる。しかし、流されてはダメと言い聞かせ、あえて口調を強くした。
「ちょっと待ってください。いま、社長の指示を確認します」
状況を手短に報告し、射撃を続けながら指示を待つ。返答はすぐに来た。
「設備防衛のため、この群れを近づけさせないように指示が出ています」
「はぁ!? 無理だろこんなの!? お前のところの上司は何考えてんだ!?」
「これはワタシたちの委託元、つまりそちらの指示に従った結果とのことです」
「……ち」
彼らの上司からとなれば、それ以上の文句は出なかった。ただ不満は収まらなかったらしく、矛先は別に向く。
「もう一人のやつはどうしたんだよ!」
「別方向から来る敵を抑えています!」
「くそが! 使えねえ!」
的外れな悪態に、思わず眉をひそめた。
(一人で抑えているソウの方が大変なんだけど……。言っても無駄か)
とにかく状況の改善が急務と割り切り、意識を目の前の攻性獣に向ける。
攻性獣の群れが、鳴き声も上げずに迫り来る。無数の赤い瞳が森の中に揺らめいた。
「く、くるなぁぁぁ!」
オクムラ警備会社の二人は、意味のない叫び声をあげ、銃を乱射する。ほとんどの弾が攻性獣に当たる事は無かった。
それを横目に、深呼吸を繰り返す。
「訓練どおり。訓練どおり……」
恐怖で鼓動が早くなるのが分かる。
だが、初回任務の失敗以降、何もしてこなかった訳ではない。ソウやトモエからの手ほどきを受け、自分なりに訓練を重ねていた。その内容を必死に思い出す。
〇フソウ ドーム都市内 サクラダ警備 格納庫
任務一週間前の格納庫の一角。その日は珍しく座学だった。トモエが端末を見ながら話しかけてきた。
「今日は戦闘時の生理反応について教えよう。早速だが、怒鳴られた経験は?」
「結構あります」
「では、殺されかけた経験は?」
「それはないです。攻性獣だけですね」
貧困国フソウと言えど、治安の良い区画で過ごしていればそんな目に遭うことはあまりない。
「だろうな。都市で生死に関わる暴力にさらされることはほとんどない。だから戦闘時に体がどうなるか知らない」
「どんな事が起きるんですか?」
「前回の任務では弾切れ後も発射しようとしていたが、なぜだ?」
「えっと、夢中だったからです」
「それだけか?」
そう言われて、顎に指を添えて記憶を掘り返す。
「後は……いつ打ち終わったか、分からなかったからです」
「なぜだ?」
「打つ音だけが聞こえませんでした。他の音は違って……。それで、撃ててないんじゃないかと思って」
「それは、特定の音だけシャットアウトする、選択的聴覚抑制と呼ばれる現象だな。戦闘では、日常で体験しない現象に襲われる。それで、何も知らないやつはパニックになる」
失態ばかりの任務を思い出し、思わず苦笑いが浮かんだ。
「心当たりがあるようだな? 続けよう」
そう言ってトモエが情報端末を操作すると、手元の端末に人体のアイコンが表示された。
「戦闘ではストレスによって心拍数が急上昇し、それに応じた生理反応が現れる。まず、通常時をグリーンゾーンとしようか。そこから、心拍数が増えると、イエローゾーンと呼ばれる領域になる。微細な運動、例えば字を書くのが難しくなる。代わりに、反応速度が上昇するため、戦闘に適した状態だ。更に心拍数が上昇するとレッドゾーン。判断ミスや操縦ミスにより人戦機戦闘には向かない。これを過ぎるとグレーゾーンと呼ばれる領域に入り、それで――」
トモエの説明を食い入るように聞く。それを満足げに見るトモエ。
「つまり、いかに自分をコントロールし、戦闘に適した状態をキープするかが肝になる」
「そんなことできるんですか?」
「できる。呼吸、ルーティーン、自己暗示、さまざまな方法がある。訓練さえすれば、ほとんどの人間が習得可能だ」
「分かりました。頑張ります」
うなずいていると、トモエが感慨深げな笑みを浮かべた。
「……やっぱりお前を採用してよかったよ」
「え? どうしてです」
唐突な賛辞に驚きを隠せないでいると、トモエは理由を答えた。
「自分は普通と自覚していて、なおかつ弱点を克服しようとしている人間というは貴重なんだ。案外な」
そして、微笑みながら語りかける。
「お前がいてよかったと思っている。だから、忘れるな。戦場でどうすればよいかを」
トモエの期待に応えるべく、その後も真剣に座学を聞いた。
いつか役に立つだろう。その時が来るのを信じながら。
人戦機でも見上げるほどに、黒曜の樹冠は高い。黒の葉を茂らせる巨木の間で、アオイとソウの機体が銃を構えている。
暗闇のコックピットに、ヘッドギアと半透明ゴーグルを被ったアオイがいた。ゴーグルに投影される光によって垂れ気味の丸目が浮かび上がる。
アオイの表情は真剣そのものだった。
アオイが眼前に映る情報を懸命に読み取っていると、視界の端に通信用ミニウィンドウが開く。そこには半透明ゴーグル越しの三白眼、つまりソウが見えた。
「第二群が来る。十秒後に有効射程圏内に入る」
「トモエさんは平和な方が普通だっていってたのに!」
「考察不要の情報だ。集中しろ」
「それもそうだけど……。いや、そのとおりか。よし」
呼吸を整える。
意識をモニターに向ければ、森の暗がりと薄らぼんやり浮かぶ赤い三つ目。攻性獣が、赤い四角でマークされていく。機体に搭載された拡張知能が、敵性存在と判断したためだ。
巨大な木立を抜けながら、多数の敵性存在表示が迫りくる。しかし、アオイの顔に焦りはない。銃は構え終えており、引き金を絞るだけだった。
満を持して、ソウの掛け声が聞こえた。
「アオイ! 撃て!」
「このぉ!」
トリガーを絞ると同時に、無数の曳光弾が暗闇の木立を照らしながら、攻性獣めがけて飛翔した。攻性獣の甲殻と黄色い血肉が飛び散る。
数秒もしない間に、決着がついた。
「とりあえず片付いたけど……」
「今のうちに準備を。アオイは、銃身の交換も推奨する」
「そうだね。銃身を交換」
指示通りにシドウ一式が銃身を自動交換する。僅かな小休止の中、思わずため息を漏らした。
「どうして、いきなり」
「それがウラシェだ。この星にはオレたちが把握できていない事が多すぎる」
「雲が邪魔だし、レーダーも効かないからね。何か起こっているのかなぁ?」
「不明だ。考えても業務の効率化にはつながらない。集中しろ」
「わかったよ。……待って。あっちから反応」
「了解。討伐した方がいいな」
「ボクもそう思う。……銃身交換が完了したよ。マウンターへ格納して」
銃がアオイ機の背面マウンターへしまわれると、ソウ機が駆け出す。その背面には、二対四翼の偏向スラスター、通称アサルトウィングがついていた。
煌めきを吐き出しながら、アサルトウィングが機体を推す。
「待って! もう! アサルトウィング起動!」
弾かれるように機体が駆け出した。
モニターに映る樹海が高速で後ろへ流れていく。疾走の爽快さに、感嘆の声が思わず出た。
「このアサルトウィングって装備、すごく速いね!」
「機動力重視の突撃兵装固有装備だ。攻性獣侵攻に対応するためには、効率的な兵装だ」
「兵装システムだっけ? 後ろを交換するだけで、まるで別の機体みたいだ!」
兵装とは、人戦機の拡張システムである。
多様な局面に対応するために、人戦機に背負う形で取り付け可能な、さまざまな装置がセットなっている。背嚢を背負い代えるように、僅かな時間での換装を目指した結果だ。
これにより、戦局の変化に対して柔軟な対応ができるようになった。
突撃兵装はその一種で、武器マウンターに加え非推進剤形式偏向スラスターであるアサルトウィングをパッケージ化してある。現目的である、あらゆる方向から押し寄せる攻性獣の個別撃破にもっとも適した機動力重視の兵装である。
トモエの説明を思い出していると、ソウの声が聞こえた。
「別機体を用意するより、格段のコストパフォーマンスで状況に対応できる。合理的だ」
「だけど、持てる装備が少ないから気を付けないと。軽機関銃以外はハンドガンだけか……」
尽きない不安の中、縋るように視界の端へ視線を送る。だが、トモエが映っているはずのミニウィンドウにはノイズだけが映っていた。
「やっぱり通じない。……オクムラ警備のドローンって本当に役に立たない!」
「相当旧式でメンテナンス状態も悪い。我々は下請けだから仕方なく使っているが」
「ボク、サクラダ警備に来てびっくりしたよ。あの会社って、おカネのかけどころを間違っている!」
「その分だけ、スピードを上げて進めればいい」
「ちょっと! 待って!」
美しいフォームはそのままに、ソウ機の駆け足が一層速くなる。集中して、精一杯ついていく。刹那、視界に人型のシルエットがちらりと映った。
「あれ? 今、人戦機が見えたような?」
「こちらのセンサーには反応がない」
「ごめん。ちょっと神経質になっていたかも」
「適度な緊張は推奨されるが、度を越せば不利益が多い」
「トモエさんに習った内容だよね。分かった」
深呼吸をして気を鎮める。そして、索敵結果に目を通した。
「ソウ! もうそろそろで会敵!」
「武器変更! アサルトライフル!」
「こっちも! えっと、軽機関銃へ!」
速度を落とし、銃を構える。同時に、樹冠の隙間から空へ立ち上る光球が見えた。
「信号弾だ。救援要請?」
それは、オクムラ警備に危機が迫っていることを示すものだった。いら立ちのあまり声を荒げてしまう。
「こんな時に? もう!」
「アオイ、どうする? こちらを撃破した後に、二機で向かうか?」
「でも、万一あっちが戦闘不能になったら……。ボクたちだけじゃカバーできない」
「二手に分かれるしか選択肢が無い訳か。どちらが残る?」
目の前から迫る攻性獣の量を確認し、冷や汗が噴き出た。
(ボクの腕じゃ、あの量は無理だ……。でも、ソウに押し付ける訳にも……)
迷う心情を珍しく察したのか、ソウが口を開く。
「オレが残るか。アオイ。救援に行ってくれ」
「……分かった。ここは頼ってもいい?」
「問題ない」
心苦しさに、奥歯を噛み締める。
「では急ぐぞ」
ソウは意気込む様子もなく淡々と答えた。ソウ機が森の暗がりへと消える。
「ボクも、いかないと」
自分も別方向へ機体を駆けさせる。信号弾を見上げながら黒曜樹海を進むうちに、ノイズだらけだった通信ウィンドウにトモエの顔が映った。
「アオイ! 聞こえるか!?」
「トモエさん!? 聞こえます! 通信が回復したんですね!?」
「ああ。早速だが、オクムラがまずい。二手に分かれて救援を頼む。ソウはどこだ?」
「もう分かれています! ワタシが救援です!」
「いい判断だ。予測位置を転送する。当然、状況は動いている。周辺の確認を」
「了解!」
トモエの指令どおりに確認を進めていると、光る何かを確認した。
「トモエさん! チラって光りました!」
「アオイ! すぐそこへ行け!」
「了解!」
森の中で光る物は、誰かの銃火であろう。
光に導かれて進むにつれ、見えてきたのは悪夢のような光景だった。攻性獣の大群が、赤い瞳を揺らしながら森の中にひしめいている。
「うわ……。あんなに……」
思わず二の足を踏みそうになる。だが、対象救出と設備防衛のために逃げる訳にはいかない。
銃口を群れに向け、トリガーを絞る。
「このぉ!」
携えた軽機関銃が火を噴き、軽甲蟻の甲殻と中身をまとめて粉砕していく。攻性獣特有の黄色い血肉が、霧のようにあたりに飛び散った。
群れを削る一方でオクムラ警備の行方も探る。
「どこにいる? きっとこの群れの向かっていた先に……」
集団が向かう先を推測し、機影や銃火がないか注意深くモニターを眺めた。持てる限りの集中力で戦場を見続ける。
「……ん?」
キラリとした何かが映ったと思った次の瞬間、光弾が暗闇を横一閃に切り裂いた。
「あそこだ!」
牽制(けんせい)を続けながら森を進む。群れの先に、二機の人型を発見した。
即座にトモエへの通信を開く。
「対象を発見!」
「よくやった!」
接近している間にも、攻性獣の進撃は続く。先頭群は二機の目の前まで迫っていた。攻性獣の一匹が、オクムラ警備の機体に飛びかかろうとする。
「危ない!?」
軽機関銃を向けてトリガーを引く。
放たれた弾丸は攻性獣を砕いた。咄嗟の射撃が予想以上に上手くいった事に一息つきそうになったが、すぐに通信を繋ぐ。
「こちらサクラダ警備所属機! 応答を!」
ミニウィンドウに、歓喜に浮かれる二人の青年が映った。
「やった!」
「た、助かった!」
「支援します! こちらの火線に入らないように注意してください!」
追加射撃で先頭群の攻性獣を砕いていく。しかし、依然として状況は危機的であり、オクムラ警備の両機から泣き言が聞こえた。
「し、死ぬかと思った!」
「おい! 早く逃げるぞ!」
「あの……」
「なんだ!? 早く言えよ!」
一瞬だけ言葉に詰まる。しかし、流されてはダメと言い聞かせ、あえて口調を強くした。
「ちょっと待ってください。いま、社長の指示を確認します」
状況を手短に報告し、射撃を続けながら指示を待つ。返答はすぐに来た。
「設備防衛のため、この群れを近づけさせないように指示が出ています」
「はぁ!? 無理だろこんなの!? お前のところの上司は何考えてんだ!?」
「これはワタシたちの委託元、つまりそちらの指示に従った結果とのことです」
「……ち」
彼らの上司からとなれば、それ以上の文句は出なかった。ただ不満は収まらなかったらしく、矛先は別に向く。
「もう一人のやつはどうしたんだよ!」
「別方向から来る敵を抑えています!」
「くそが! 使えねえ!」
的外れな悪態に、思わず眉をひそめた。
(一人で抑えているソウの方が大変なんだけど……。言っても無駄か)
とにかく状況の改善が急務と割り切り、意識を目の前の攻性獣に向ける。
攻性獣の群れが、鳴き声も上げずに迫り来る。無数の赤い瞳が森の中に揺らめいた。
「く、くるなぁぁぁ!」
オクムラ警備会社の二人は、意味のない叫び声をあげ、銃を乱射する。ほとんどの弾が攻性獣に当たる事は無かった。
それを横目に、深呼吸を繰り返す。
「訓練どおり。訓練どおり……」
恐怖で鼓動が早くなるのが分かる。
だが、初回任務の失敗以降、何もしてこなかった訳ではない。ソウやトモエからの手ほどきを受け、自分なりに訓練を重ねていた。その内容を必死に思い出す。
〇フソウ ドーム都市内 サクラダ警備 格納庫
任務一週間前の格納庫の一角。その日は珍しく座学だった。トモエが端末を見ながら話しかけてきた。
「今日は戦闘時の生理反応について教えよう。早速だが、怒鳴られた経験は?」
「結構あります」
「では、殺されかけた経験は?」
「それはないです。攻性獣だけですね」
貧困国フソウと言えど、治安の良い区画で過ごしていればそんな目に遭うことはあまりない。
「だろうな。都市で生死に関わる暴力にさらされることはほとんどない。だから戦闘時に体がどうなるか知らない」
「どんな事が起きるんですか?」
「前回の任務では弾切れ後も発射しようとしていたが、なぜだ?」
「えっと、夢中だったからです」
「それだけか?」
そう言われて、顎に指を添えて記憶を掘り返す。
「後は……いつ打ち終わったか、分からなかったからです」
「なぜだ?」
「打つ音だけが聞こえませんでした。他の音は違って……。それで、撃ててないんじゃないかと思って」
「それは、特定の音だけシャットアウトする、選択的聴覚抑制と呼ばれる現象だな。戦闘では、日常で体験しない現象に襲われる。それで、何も知らないやつはパニックになる」
失態ばかりの任務を思い出し、思わず苦笑いが浮かんだ。
「心当たりがあるようだな? 続けよう」
そう言ってトモエが情報端末を操作すると、手元の端末に人体のアイコンが表示された。
「戦闘ではストレスによって心拍数が急上昇し、それに応じた生理反応が現れる。まず、通常時をグリーンゾーンとしようか。そこから、心拍数が増えると、イエローゾーンと呼ばれる領域になる。微細な運動、例えば字を書くのが難しくなる。代わりに、反応速度が上昇するため、戦闘に適した状態だ。更に心拍数が上昇するとレッドゾーン。判断ミスや操縦ミスにより人戦機戦闘には向かない。これを過ぎるとグレーゾーンと呼ばれる領域に入り、それで――」
トモエの説明を食い入るように聞く。それを満足げに見るトモエ。
「つまり、いかに自分をコントロールし、戦闘に適した状態をキープするかが肝になる」
「そんなことできるんですか?」
「できる。呼吸、ルーティーン、自己暗示、さまざまな方法がある。訓練さえすれば、ほとんどの人間が習得可能だ」
「分かりました。頑張ります」
うなずいていると、トモエが感慨深げな笑みを浮かべた。
「……やっぱりお前を採用してよかったよ」
「え? どうしてです」
唐突な賛辞に驚きを隠せないでいると、トモエは理由を答えた。
「自分は普通と自覚していて、なおかつ弱点を克服しようとしている人間というは貴重なんだ。案外な」
そして、微笑みながら語りかける。
「お前がいてよかったと思っている。だから、忘れるな。戦場でどうすればよいかを」
トモエの期待に応えるべく、その後も真剣に座学を聞いた。
いつか役に立つだろう。その時が来るのを信じながら。