少女と敵と本能の闘い
〇黒曜樹海 資源採取戦 指定区域付近
時は資源採取戦が始まる前まで遡る。トモエはこれからの戦いについて、重々しく口を開いた。
「いや、わかっていない。なぜなら資源採取戦では、今までの経験は半分しか役に立たない」
半分とはどういうことか。その疑問をトモエが先回りした。
「よく聞け。これからお前たちは人戦機と、人間と戦うことにもなるだろう」
「え!? 人間と人間が戦うんですか!?」
「アオイは、ウラシェ育ちではなかったな。あちらでは、人間同士の戦闘なんて無かっただろう。そんな余裕なんてなかったからな」
母恒星系での生活は、争いを許さないほど過酷だった。
「しかし、ここ、惑星ウラシェでは違う。トレージオンを巡り、日々戦闘が起こっている」
そして今、人類は豊かな新天地を手に入れた。
「な、なんで?」
「地表のほとんどが、私有地どころか、どの国の領土にすらなっていない。牽制の結果だな。そんなところに希少資源が現れたら、誰のものになる?」
「誰のものでもない。つまり……」
「そう、早い者勝ちだ。一時的にしか取れないものならなおさらだ。」
「でも、だからって、戦闘になるなんて!? ルールとか法律とかないんですか!? 国家連盟が何か対策したって……」
「その国家連盟が黙認しているんだよ」
「どうして……」
「国家連盟を牛耳る列強国にとって、都合が良いからだ」
トモエの説明が続く。
国際協調を謳う国家連盟だが、実態は列強国の支配装置だ。列強国がもっとも恐れるのは、弱小国の成り上がりによる地位低下だ。
弱小国が正当な権利を得るのは避けなければならない。その点、争奪戦となれば話は早い。経済力で用意した武力で奪えば、下剋上を潰せる。下手なルールや法律など無い方が磐石だ。
加えて兵器を供給しているのは、イナビシなど少数の例外を除けば、殆どが列強所属の企業だ。兵器産業の裾野は広く、経済を支えている。
そうして、列強国の地位は確固たるものとなっていた。
「我々に戦闘を投げれば、あとは兵器売買とトレージオン採取でボロ儲けだ。フソウ人にとって目がくらむような高給でも、彼らには端金だからな」
弱小国としては、技術も教育も大規模投資も要らない産業が出来上がる。それは麻薬のようなもので、貧困という激痛にあえぐ弱小国にとっては即効性のある痛み止めだ。実に合理的な経済システムが出来上がっている。
武装警備員の安全と生命を無視すれば。その言葉を頭の中で補完する。
「殺し合いをしなきゃならないんですか?」
「……大丈夫だ。今はな」
「今は?」
「私が生まれた頃までは、お互いに殺し合った。委託元が変われば昨日の味方が今日の敵になる。そんな中でもな」
「そんな! そんなこと……」
「みんなが耐えられなかった。そして少しずつ殺し合いを避ける様になった。今では様々なセーフティがある。滅多な事は無い」
それは、人が進化の歴史で得た同族殺しへの忌避と言うセーフティゆえのものだった。だが、兵器に乗り込み、互いに銃火を向け合う以上、百パーセントの安全は存在しない。
(でも、死ぬことは滅多にない、と言うのは、裏を返せば……)
バイザーからはみ出る傷跡を見て、トモエが目を失った日を想像していると、薄い唇がゆっくりと開く。
「辞めてもいいぞ?」
「え……」
トモエは襟元の社章バッチを触りながら、さも当然のように言い放った。
「事前説明や訓練無しに参加するハメになったのは、私の見積もりの甘さが原因だ。強制受注規約に触れるほどの不運を引くと思っていなかったからな……」
トモエは社章を触り続けている。
「自信が付く前に下手なことを言って、退社されると困るという保身があったのも事実だ。稼動可能な社員を参加させないというのは規約に反するから、退社してもらわないといけないのが心苦しいが……。それでも、今が最後のチャンスだ」
トモエが自らの評価を下げる発言を述べる必要が無い事に気づいた。
トモエの誠実さが痛かった。少し調べれば、実態など分かっていたはずだ。
(ちゃんと調べなかったボクの方が悪いのに……)
武装警備員になった理由を思い出す。
(生きて、おカネを稼いで、お姉ちゃんを探すんだ)
サクラダ警備の門戸を叩いた日を思い出す。
(変わるんだ。ボクは、変わるんだ)
ソウとの誓いの言葉を思い出す。
(ソウと一緒に戦うんだ)
そして、セゴエの言葉を思い出す。
(自分にできる事をするんだ)
今がまさにその時だと、小さい手を握りしめる。それをトモエの手が包み込んだ。ハッと見上げると、無機質なバイザーが目に入った。
「どうする?」
「迷惑をかけるつもりはありません。参加します」
「その言葉、信じるぞ」
トレーラーが進み、黒煙が立ち上る様が見えてくる。硝煙と生木が焼ける匂いに、思わずむせる。しかし、アオイの目はまっすぐと戦場を見ている。
(準備がまったく出来ていない訳じゃないんだ)
精一杯の覚悟を決める。それが足りないとは知らずに。
〇黒曜樹海 資源採取戦 指定区域 最前線
資源採取戦開始前の会話を振り返り、いまだにボヤける意識を目の前に戻す。
ゴーグルモニターに映るのは、黒曜の森を背景に浮かび上がる赤の被弾アラートだった。
油断によって無様に撃たれた失態を、覚悟の甘さと共に噛み締める。
「ボクは馬鹿だ……。いつもの任務と同じようにしちゃった」
どんな人間でも持っている心の作用ではあるが、今は堪えた。
「これから、頑張らないと!」
失地回復の意気込みを読み取って、シドウ一式が巨木から半身を出して銃を構えた。
モニターに人戦機が映る。システムは冷酷に、最も高い命中率が期待できる部位、つまり胸部へ照準を定めた。
青い輝線がコックピットへピタリと定まる。後はトリガーを引くだけだ。
「う、撃てない」
だが、指が凍り付いたように動かない。
「まるで……。まるで人」
人戦機は、中に巨人が入っているかのような人間臭い動きを取る。その動きは相対する操縦士に副次的な効果をもたらす。
それは、人を撃つという恐怖を錯覚させることだ。
震える唇を無理矢理に開く。
「あれは人じゃない! 撃っても殺しはしない!」
発砲が即殺害に繋がる訳ではない。現に自分は生きている。
だが、そんな理屈を本能は理解しない。本能に刻み込まれた、同族殺しへのブレーキは簡単には外れない。
その間にも、奥でソウがもう一機と格闘戦を繰り広げている。相対する敵機がこちらを見つつソウへにじり寄っているのが見えた。ソウの撃破を優先しているのは明らかだった。
どうせお前は何もできない。そう言われているようだった。
「撃たないと! ……撃たないと!」
だが、撃てなかった。
相手はとうとう、ソウの背後へ対甲殻ライフルを向けた。
「……さっきのがソウに!」
自分のためではなく、仲間のため。それが、最後のブレーキを外した。
身体の内に燃える炎が、口から飛び出た。
「うああ!」
引き金に意志の力を込めると、銃弾の雨が相手に向かって飛んだ。相手は怯むように巨木へ身を隠す。
「やれる! やれるんだ!」
殺害の恐怖を、暴力の興奮が徐々に塗り潰していく。
身体が熱い。燃えるように熱い。
熱に気づいた次の瞬間に、機体が駆け出した。
「アオイ! 突っ込むな! もどれ!」
トモエの叱責が飛ぶ。
聞こえる。分かる。でも、機体が言う事を聞かない。
相手が巨木から半身を出して、ライフルを発砲した。障害物の無いただ中を駆ければ迎撃されるという、当然の結果だった。
放たれた弾丸がアオイ機の肩を掠める。
「ぐぅ!? でも!」
「すぐに退避だ! アオイ!」
トモエの命令は耳から入り、耳から抜けた。その間も機体は突進を続ける。相手は再度の迎撃を試みた。相手の銃口が、まっすぐにこちらを向く。
その時、ソウの声が意識を引き戻す。
「ガラ空きだ!」
相手機の背後に、ソウ機の飛び蹴りが突き立てられた。
くの字に折れて吹っ飛ぶ敵機。こちらへ向けて転げてきた機体は、格好の的と化した。倒すべき敵へ、夢中で銃口を向ける。
「この! この! このぉぉ!」
消す。消す。消す。
その思いを込めた銃弾を浴びせる。
人戦機の装甲が砕け、破片が宙を舞い、毒々しい緑の筋肉状駆動機構が露出する。
筋肉状駆動機構から緑の煙が立ち上った直後、システムメッセージがコックピットに響く。
「機能停止確認」
次の瞬間、銃撃が強制的に止んだ。いくらトリガーを引いても反応は無い。
「どうして!? 故障!?」
「アオイ! 落ち着け! もうおしまいだ!」
「え!?」
意識にかかった真っ白な霧が晴れていくと、射撃不可の文字に気づいた。
「え? どうして? 敵なのに?」
「任務前に話しただろう。これが安全装置だ」
貧しき者同士の空しい殺し合いを積み重ね、それに嫌気が差した歴史を思い出す。
「そ、そうでした……」
そして、ソウがここにいる事に今更気づく。
「あ! ソウ! もう一機は!?」
「既に撃破した」
「じゃあ、もしかして」
「アオイの撃破が遅れていたので、救援に来た」
「そ、その……。ごめ――」
「謝罪は非効率だ。周囲の警戒を」
「……分かった」
敵残党がいないか、戦闘の熱気が消えぬまま周囲を見渡す。
警戒が解かれると、無力感だけが残った。今までの任務で感じていた、役に立っているというわずかな誇りはかき消えていた。
「ソウ。その……」
「なんだ」
「……いや。なんでもない」
「そうか」
謝罪をしても受け取られないだろう。働きで返すしかないが、対人戦機戦でそんな事ができる自信はなかった。
そこへトモエの通信が入る。
「アオイ、ソウ。ここはもう大丈夫だろう」
「……この機体。見た感じからすると、まだ動きそうですが」
先ほど機能停止した機体へ視線を向ける。破壊されてはいるが、人間でいえば一部を負傷した程度であり、立って歩けそうな気配がする。
だが、トモエからの返事は否定だった。
「機能停止処理は物理的に動けなくなる前のソフトウェアリミットだから動けるには動ける。リブート処理を行えば再稼働は可能だ」
「でも、禁止されているんですよね? お互いのために」
「そうだ。その歴史については話したな。殺す前に止めておこうと言う訳だ」
トモエから聞いた共食いとも呼べる凄惨な過去を思い出す。その過去に恐怖する横で、ソウが声を上げる。
「不正にリブートする警備員も存在するのでは?」
「多重検証で間違いなくバレる。監視体制を抜ける賢さと、死ぬほど後悔する罰則を覚悟する勇気を持っているやつなら、普通は真っ当に稼ぐ」
「可能性はゼロに近い」
「裏稼業の人間でもない限り心配は無駄だ。非効率は嫌いだろう?」
「了解」
トモエがそう断言するならば、心配は実際的ではないのだろうと自分に言い聞かせた。
「では、次のエリアへ移動しろ」
転送されたマップに従い、二機が歩き出す。いまだに人戦機を撃った恐怖を反芻する一方で、ミニウィンドウに映るソウは相変わらずの仏頂面だった。動じた様子は全くない。
「ソウは平気なの? まるで人みたいな物を撃つのが」
「シミュレーター上でそう言った状況も経験しているからな」
「初めて人戦機を撃つとき、怖くなかったの?」
「理由がない」
トモエから連絡が入る。
「気にするな。それは自然な反応だ。一度撃てれば問題ないだろう」
「……了解」
そこで、自分がトモエにも無用の心配をかけていることに気づく。
(気遣いしてもらっちゃった。ダメだ。任務に集中しないと)
そして、息を吸い気迫をかき集めた。
(迷惑をかける訳にはいかない! まずはできる事だけを!)
気合を入れ直し、セゴエの言葉を思い出す。ソウに任せられるところはソウに任せて、とにかく足を引っ張らない様に。
決意を固めると同時にトモエが口を開く。
「よし、引き続き警戒任務に……、いや待て。イナビシからだ」
トモエとチサトの声が遠くに聞こえる。そのうち、段々とトモエの口調が険しくなった。
「それは! ……いえ、失礼しました」
一瞬聞こえたトモエの怒声に、ビクリと肩を震わす。
「……分かりました。弊社単独ではなく、他社と合流のうえのこと。十分な戦力を用意してくださるんですね? ありがとうございます。こちらがそういったことを言う立場でないことは承知しています。ただ、社員の安全確保も私の義務なので」
その後、チサトの音声は消えた。トモエが疲れと苛立ちを吐き出す音が聞こえる。
しばしの沈黙の後、トモエが語りだす。
「お前たち。我々は後方警戒の任務を解かれた」
「え? 安全が確保されたんですか?」
「いや。逆だ。この先の噴出ポイントが占領された。以降、他社と合流して奪還を行う」
噴出ポイントの奪還。つまりそれは、最前線での戦闘を意味していた。
噴出ポイントに黒煙が幾筋か立ち上っている。その光景は、戦闘はいまだ始まったばかりであることを示していた。
時は資源採取戦が始まる前まで遡る。トモエはこれからの戦いについて、重々しく口を開いた。
「いや、わかっていない。なぜなら資源採取戦では、今までの経験は半分しか役に立たない」
半分とはどういうことか。その疑問をトモエが先回りした。
「よく聞け。これからお前たちは人戦機と、人間と戦うことにもなるだろう」
「え!? 人間と人間が戦うんですか!?」
「アオイは、ウラシェ育ちではなかったな。あちらでは、人間同士の戦闘なんて無かっただろう。そんな余裕なんてなかったからな」
母恒星系での生活は、争いを許さないほど過酷だった。
「しかし、ここ、惑星ウラシェでは違う。トレージオンを巡り、日々戦闘が起こっている」
そして今、人類は豊かな新天地を手に入れた。
「な、なんで?」
「地表のほとんどが、私有地どころか、どの国の領土にすらなっていない。牽制の結果だな。そんなところに希少資源が現れたら、誰のものになる?」
「誰のものでもない。つまり……」
「そう、早い者勝ちだ。一時的にしか取れないものならなおさらだ。」
「でも、だからって、戦闘になるなんて!? ルールとか法律とかないんですか!? 国家連盟が何か対策したって……」
「その国家連盟が黙認しているんだよ」
「どうして……」
「国家連盟を牛耳る列強国にとって、都合が良いからだ」
トモエの説明が続く。
国際協調を謳う国家連盟だが、実態は列強国の支配装置だ。列強国がもっとも恐れるのは、弱小国の成り上がりによる地位低下だ。
弱小国が正当な権利を得るのは避けなければならない。その点、争奪戦となれば話は早い。経済力で用意した武力で奪えば、下剋上を潰せる。下手なルールや法律など無い方が磐石だ。
加えて兵器を供給しているのは、イナビシなど少数の例外を除けば、殆どが列強所属の企業だ。兵器産業の裾野は広く、経済を支えている。
そうして、列強国の地位は確固たるものとなっていた。
「我々に戦闘を投げれば、あとは兵器売買とトレージオン採取でボロ儲けだ。フソウ人にとって目がくらむような高給でも、彼らには端金だからな」
弱小国としては、技術も教育も大規模投資も要らない産業が出来上がる。それは麻薬のようなもので、貧困という激痛にあえぐ弱小国にとっては即効性のある痛み止めだ。実に合理的な経済システムが出来上がっている。
武装警備員の安全と生命を無視すれば。その言葉を頭の中で補完する。
「殺し合いをしなきゃならないんですか?」
「……大丈夫だ。今はな」
「今は?」
「私が生まれた頃までは、お互いに殺し合った。委託元が変われば昨日の味方が今日の敵になる。そんな中でもな」
「そんな! そんなこと……」
「みんなが耐えられなかった。そして少しずつ殺し合いを避ける様になった。今では様々なセーフティがある。滅多な事は無い」
それは、人が進化の歴史で得た同族殺しへの忌避と言うセーフティゆえのものだった。だが、兵器に乗り込み、互いに銃火を向け合う以上、百パーセントの安全は存在しない。
(でも、死ぬことは滅多にない、と言うのは、裏を返せば……)
バイザーからはみ出る傷跡を見て、トモエが目を失った日を想像していると、薄い唇がゆっくりと開く。
「辞めてもいいぞ?」
「え……」
トモエは襟元の社章バッチを触りながら、さも当然のように言い放った。
「事前説明や訓練無しに参加するハメになったのは、私の見積もりの甘さが原因だ。強制受注規約に触れるほどの不運を引くと思っていなかったからな……」
トモエは社章を触り続けている。
「自信が付く前に下手なことを言って、退社されると困るという保身があったのも事実だ。稼動可能な社員を参加させないというのは規約に反するから、退社してもらわないといけないのが心苦しいが……。それでも、今が最後のチャンスだ」
トモエが自らの評価を下げる発言を述べる必要が無い事に気づいた。
トモエの誠実さが痛かった。少し調べれば、実態など分かっていたはずだ。
(ちゃんと調べなかったボクの方が悪いのに……)
武装警備員になった理由を思い出す。
(生きて、おカネを稼いで、お姉ちゃんを探すんだ)
サクラダ警備の門戸を叩いた日を思い出す。
(変わるんだ。ボクは、変わるんだ)
ソウとの誓いの言葉を思い出す。
(ソウと一緒に戦うんだ)
そして、セゴエの言葉を思い出す。
(自分にできる事をするんだ)
今がまさにその時だと、小さい手を握りしめる。それをトモエの手が包み込んだ。ハッと見上げると、無機質なバイザーが目に入った。
「どうする?」
「迷惑をかけるつもりはありません。参加します」
「その言葉、信じるぞ」
トレーラーが進み、黒煙が立ち上る様が見えてくる。硝煙と生木が焼ける匂いに、思わずむせる。しかし、アオイの目はまっすぐと戦場を見ている。
(準備がまったく出来ていない訳じゃないんだ)
精一杯の覚悟を決める。それが足りないとは知らずに。
〇黒曜樹海 資源採取戦 指定区域 最前線
資源採取戦開始前の会話を振り返り、いまだにボヤける意識を目の前に戻す。
ゴーグルモニターに映るのは、黒曜の森を背景に浮かび上がる赤の被弾アラートだった。
油断によって無様に撃たれた失態を、覚悟の甘さと共に噛み締める。
「ボクは馬鹿だ……。いつもの任務と同じようにしちゃった」
どんな人間でも持っている心の作用ではあるが、今は堪えた。
「これから、頑張らないと!」
失地回復の意気込みを読み取って、シドウ一式が巨木から半身を出して銃を構えた。
モニターに人戦機が映る。システムは冷酷に、最も高い命中率が期待できる部位、つまり胸部へ照準を定めた。
青い輝線がコックピットへピタリと定まる。後はトリガーを引くだけだ。
「う、撃てない」
だが、指が凍り付いたように動かない。
「まるで……。まるで人」
人戦機は、中に巨人が入っているかのような人間臭い動きを取る。その動きは相対する操縦士に副次的な効果をもたらす。
それは、人を撃つという恐怖を錯覚させることだ。
震える唇を無理矢理に開く。
「あれは人じゃない! 撃っても殺しはしない!」
発砲が即殺害に繋がる訳ではない。現に自分は生きている。
だが、そんな理屈を本能は理解しない。本能に刻み込まれた、同族殺しへのブレーキは簡単には外れない。
その間にも、奥でソウがもう一機と格闘戦を繰り広げている。相対する敵機がこちらを見つつソウへにじり寄っているのが見えた。ソウの撃破を優先しているのは明らかだった。
どうせお前は何もできない。そう言われているようだった。
「撃たないと! ……撃たないと!」
だが、撃てなかった。
相手はとうとう、ソウの背後へ対甲殻ライフルを向けた。
「……さっきのがソウに!」
自分のためではなく、仲間のため。それが、最後のブレーキを外した。
身体の内に燃える炎が、口から飛び出た。
「うああ!」
引き金に意志の力を込めると、銃弾の雨が相手に向かって飛んだ。相手は怯むように巨木へ身を隠す。
「やれる! やれるんだ!」
殺害の恐怖を、暴力の興奮が徐々に塗り潰していく。
身体が熱い。燃えるように熱い。
熱に気づいた次の瞬間に、機体が駆け出した。
「アオイ! 突っ込むな! もどれ!」
トモエの叱責が飛ぶ。
聞こえる。分かる。でも、機体が言う事を聞かない。
相手が巨木から半身を出して、ライフルを発砲した。障害物の無いただ中を駆ければ迎撃されるという、当然の結果だった。
放たれた弾丸がアオイ機の肩を掠める。
「ぐぅ!? でも!」
「すぐに退避だ! アオイ!」
トモエの命令は耳から入り、耳から抜けた。その間も機体は突進を続ける。相手は再度の迎撃を試みた。相手の銃口が、まっすぐにこちらを向く。
その時、ソウの声が意識を引き戻す。
「ガラ空きだ!」
相手機の背後に、ソウ機の飛び蹴りが突き立てられた。
くの字に折れて吹っ飛ぶ敵機。こちらへ向けて転げてきた機体は、格好の的と化した。倒すべき敵へ、夢中で銃口を向ける。
「この! この! このぉぉ!」
消す。消す。消す。
その思いを込めた銃弾を浴びせる。
人戦機の装甲が砕け、破片が宙を舞い、毒々しい緑の筋肉状駆動機構が露出する。
筋肉状駆動機構から緑の煙が立ち上った直後、システムメッセージがコックピットに響く。
「機能停止確認」
次の瞬間、銃撃が強制的に止んだ。いくらトリガーを引いても反応は無い。
「どうして!? 故障!?」
「アオイ! 落ち着け! もうおしまいだ!」
「え!?」
意識にかかった真っ白な霧が晴れていくと、射撃不可の文字に気づいた。
「え? どうして? 敵なのに?」
「任務前に話しただろう。これが安全装置だ」
貧しき者同士の空しい殺し合いを積み重ね、それに嫌気が差した歴史を思い出す。
「そ、そうでした……」
そして、ソウがここにいる事に今更気づく。
「あ! ソウ! もう一機は!?」
「既に撃破した」
「じゃあ、もしかして」
「アオイの撃破が遅れていたので、救援に来た」
「そ、その……。ごめ――」
「謝罪は非効率だ。周囲の警戒を」
「……分かった」
敵残党がいないか、戦闘の熱気が消えぬまま周囲を見渡す。
警戒が解かれると、無力感だけが残った。今までの任務で感じていた、役に立っているというわずかな誇りはかき消えていた。
「ソウ。その……」
「なんだ」
「……いや。なんでもない」
「そうか」
謝罪をしても受け取られないだろう。働きで返すしかないが、対人戦機戦でそんな事ができる自信はなかった。
そこへトモエの通信が入る。
「アオイ、ソウ。ここはもう大丈夫だろう」
「……この機体。見た感じからすると、まだ動きそうですが」
先ほど機能停止した機体へ視線を向ける。破壊されてはいるが、人間でいえば一部を負傷した程度であり、立って歩けそうな気配がする。
だが、トモエからの返事は否定だった。
「機能停止処理は物理的に動けなくなる前のソフトウェアリミットだから動けるには動ける。リブート処理を行えば再稼働は可能だ」
「でも、禁止されているんですよね? お互いのために」
「そうだ。その歴史については話したな。殺す前に止めておこうと言う訳だ」
トモエから聞いた共食いとも呼べる凄惨な過去を思い出す。その過去に恐怖する横で、ソウが声を上げる。
「不正にリブートする警備員も存在するのでは?」
「多重検証で間違いなくバレる。監視体制を抜ける賢さと、死ぬほど後悔する罰則を覚悟する勇気を持っているやつなら、普通は真っ当に稼ぐ」
「可能性はゼロに近い」
「裏稼業の人間でもない限り心配は無駄だ。非効率は嫌いだろう?」
「了解」
トモエがそう断言するならば、心配は実際的ではないのだろうと自分に言い聞かせた。
「では、次のエリアへ移動しろ」
転送されたマップに従い、二機が歩き出す。いまだに人戦機を撃った恐怖を反芻する一方で、ミニウィンドウに映るソウは相変わらずの仏頂面だった。動じた様子は全くない。
「ソウは平気なの? まるで人みたいな物を撃つのが」
「シミュレーター上でそう言った状況も経験しているからな」
「初めて人戦機を撃つとき、怖くなかったの?」
「理由がない」
トモエから連絡が入る。
「気にするな。それは自然な反応だ。一度撃てれば問題ないだろう」
「……了解」
そこで、自分がトモエにも無用の心配をかけていることに気づく。
(気遣いしてもらっちゃった。ダメだ。任務に集中しないと)
そして、息を吸い気迫をかき集めた。
(迷惑をかける訳にはいかない! まずはできる事だけを!)
気合を入れ直し、セゴエの言葉を思い出す。ソウに任せられるところはソウに任せて、とにかく足を引っ張らない様に。
決意を固めると同時にトモエが口を開く。
「よし、引き続き警戒任務に……、いや待て。イナビシからだ」
トモエとチサトの声が遠くに聞こえる。そのうち、段々とトモエの口調が険しくなった。
「それは! ……いえ、失礼しました」
一瞬聞こえたトモエの怒声に、ビクリと肩を震わす。
「……分かりました。弊社単独ではなく、他社と合流のうえのこと。十分な戦力を用意してくださるんですね? ありがとうございます。こちらがそういったことを言う立場でないことは承知しています。ただ、社員の安全確保も私の義務なので」
その後、チサトの音声は消えた。トモエが疲れと苛立ちを吐き出す音が聞こえる。
しばしの沈黙の後、トモエが語りだす。
「お前たち。我々は後方警戒の任務を解かれた」
「え? 安全が確保されたんですか?」
「いや。逆だ。この先の噴出ポイントが占領された。以降、他社と合流して奪還を行う」
噴出ポイントの奪還。つまりそれは、最前線での戦闘を意味していた。
噴出ポイントに黒煙が幾筋か立ち上っている。その光景は、戦闘はいまだ始まったばかりであることを示していた。