残酷な描写あり
173.淵緑の魔女VS教皇3
サピエル7世の傷が回復していくのを見て、私は考えるよりも先に行動した。
今ダメージを回復されてしまったら、戦いが振り出しに戻されてしまう。それだけは阻止しないと!
とにかく様々な錬金術を発動して、何か有効的な攻撃はないか手当たり次第に探す。
……だけどそのどれもが、先ほどの岩石攻撃と同じ結果に終わった。
ならばと思い、私は次に錬金術で雷雲を生成し始める。
生半可な攻撃だとあの水の防御を突破することすら出来ないようだ。だったら出し得る限りの最大威力ならどうだろう?
水は電気をよく通す。それは魔術で作られた水であろうと同じだ。そして錬金術で生み出せる電気の中でも最も威力の高いのは雷だ。
1億Vを越える雷撃を耐えられる生物などいない。
雷雲が大きくなり空が暗くなっていく。
ゴロゴロと不気味な雷鳴が鳴り始め、雷雲にエネルギーが蓄積していくのを感じる。
(あと少し……強力な雷を落とすにはあと少しエネルギーが欲しい!)
雷は非常に強力な攻撃手段だ。だけどこの攻撃には二つ、大きな欠点がある。
それはエネルギーの蓄積に時間が掛かること、そしてその間は集中し続ける必要があって無防備になることだ。
雷のエネルギー量はあまりにも膨大なため、完全なコントロールには細心の注意を払わなければいけない。
途中で集中力が乱れてしまったら、蓄積されたエネルギーはどうなってしまうか分からない。
本来だったら雷を落とすまで守ってくれる前衛の護衛が必須だけど、今はそんな贅沢を言っていられない。
私は更に集中しエネルギーを蓄積させていく。サピエル7世が回復しきってしまう前に、一秒でも早く雷を落とせるように。
この時の私の思考は、その事に集中していた。だけどそれは言い換えるなら“思考の固着”だ。
……それがどれほど危険なことなのか、この時の私はそんな簡単なことすら頭の中から抜け落ちていた。
――だから私は、サピエル7世が既に行動していたことに気付けなかった。
ボコッ!
突然私の足元から、何かが地面を突き破って飛び出してきた。だけどそれに気付いた時にはもう遅かった。
その何かは私の足に素早く絡み付くと、凄まじい力で私の身体を引っ張って持ち上げる。私は抵抗する暇もなく空中に逆さ吊りにされてしまった。
私はすぐに足元に視線を移し、絡み付いてきた物の正体を確かめる。
「これは……水!?」
私の足に絡み付いていたのは透明な液体……「水」だった。触手のように細く伸びた水が、まるで鞭のように私の足に巻き付いていたのだ。
私はすぐにこの水の正体に気付いたが、次の瞬間には更に地面から二本の水が飛び出して来て私の体に巻き付いてきた。私はあっという間に完全に拘束されてしまった。
これはサピエル7世の水魔術だ。魔術で作った水だからどんな形状も、どんな動きも術者の思いのままに出来る。
サピエル7世の足元をよく見たら、小さな穴が空いていた。
どうやら私に気付かれないようにこっそりと、地中に水を潜り込ませていたようだ。私はまんまと意表を突かれてしまったようだ。
……完全にやられた。攻撃に固執しすぎて視野が狭くなっていたようだ。
拘束されて集中力が切れ、せっかく集めた雷雲のエネルギーが拡散していくのを、苦虫を噛み潰すような気持ちで見ているしかなかった。
「……油断大敵。全くもってその通りじゃ。いくら強大な力を手にしようと、少しの油断が命取りになる。今後の教訓じゃな」
私をしっかり拘束したことを確認したサピエル7世が、自分を守っていた水魔術を解除して出てきた。
しかし私を拘束している水は消えない。器用なことに、自分を守っていた分だけ解除したようだ。
そして未だに傷が癒えきっていないサピエル7世は、ゆっくりと私の方に歩いてきて、十分な間合いに入ったところで立ち止まる。
……視線が交錯する。
こうして近くで見ると、サピエル7世は相当な重症だったことが分かる。
純白だった法衣は真っ黒に焦げ、枯れた葉っぱの様にボロボロに崩れ、もはや衣服としての役割を果たしていない。
全身の皮膚は火傷で真っ赤に腫れ上がり、髪の毛は焼けて燻り、肉の焼ける不快な臭いが漂っている。
だけどその重症も、回復魔術で徐々に治りつつあった。おそらくあと数分もすれば完全に回復してしまうだろう。
「お前が使ったあの特殊な魔術、“魔力の無い魔術”とでも呼ぼうか。原理は知らんが、あれはワシを殺せる魔術じゃ。現にワシはこうして死にかけた。最大の脅威はすぐにでも排除しなければならない。そうは思わんか?」
そう問いかけながら、サピエル7世は『聖光槍』を発動させて発射準備を整える。
その矛先は私の顔を捕らえていた。
「……そうね、脅威を排除する意見には同意するわ。私にとってもあなた存在は私の平穏を破壊する脅威だもの」
「ふん、無様に吊し上げられているこの状況でも威勢だけは達者じゃな。諦めて命乞いでもしてみたらどうじゃ?」
「手足を拘束されても魔術は発動出来るわ。それが魔術の良いところでしょう?」
魔術の発動には魔法陣を描く必要がある。普通の魔術師なら杖や手を筆代わりにして魔法陣を描く。
しかし熟練の魔術師になれば、頭の中で思い描くだけで魔法陣を完成させる事が出来るようになる。私とサピエル7世は勿論後者だ。
つまり私に対してこんな拘束をしても、攻撃手段を封じたことにはならない。そんなことはサピエル7世にもわかっているはずだ。
「私に反撃されないとでも思っているのかしら?」
「お前こそ何も分かっていないようじゃな。お前が攻撃するよりも早く、この『聖光槍』がお前を貫ける」
「随分となめられたものね。いくら拘束されていたとしても、私は手負いの相手に早打ちで負けたりしないわよ?」
「……どうやらお前は二つ勘違いをしているようだ」
勘違い? 一体どういうこと?
サピエル7世が何を言いたいのかわからず、私は訝しげな表情をする。
「まず一つ、ワシがお前の特殊な魔術の弱点に気付いていないと思っている事じゃ。あの特殊な魔術の原理は分からぬが、普通の魔術に比べて発動までに時間がかかるのじゃろう?」
「――ッ!?」
「どうして気付いたんだという顔をしておるな。あれだけ色々な攻撃を見せられたんじゃ、気付かない方がどうかしておるわ」
……しまった。どうやらサピエル7世の観察眼を甘くみていたようだ。
錬金術は自然科学の法則に基づいた新しい魔術で、術に魔力が宿らないという特性がある。それは魔力を奪う敵、つまり魔獣やサピエル7世に対抗できるということだ。
これに気付かれて対策されないように、私は錬金術で普通の魔術と同じものを作って、それを大量の普通の魔術の中に混ぜることで偽装した。
だけどサピエル7世が水魔術で防御を固めた時、私は形振り構わず錬金術だけで攻撃した。そのせいで『魔術と同じことをしようとすると発動に手間が掛かる』という、錬金術の弱点を見破られてしまう隙を与えてしまったみたいだ。
サピエル7世には、もうこの手のハッタリは通用しなくなってしまった。
「そしてもう一つ、ワシが手負いの状態だということじゃ」
一体何を言っているの……?
サピエル7世は回復魔術で徐々に回復しているとはいえ、どう見てもまだ手負いだ。完全回復にはまだ数分は掛かる。
サピエル7世が何を言いたいのか分からない。だけど私は、背筋が凍りつくような不気味な寒気を感じたのは確かだ。
「分からないといった様子じゃな。つまりこういうことじゃ。――『瞬間回復魔術』!」
……私は、絶句した。
魔術が発動すると同時にサピエル7世が魔力の光に包まれた。だけどそれは一瞬の出来事で、次の瞬間には綺麗な体のサピエル7世が現れた。
傷なんてどこにも残っていない。火傷も燻った髪も焼けた肉体も……まるで最初からそんなものは無かったようにサピエル7世は堂々と立っている。
「あ、ありえない! だって回復魔術には制限があるはず!?」
回復魔術の術式には、ある制限が掛けられている。それは治癒速度の鈍足化だ。
回復魔術は万能だ。どんな傷や怪我でも治すことが出来る。それは回復魔術が、肉体を再生させる魔術だからだ。
ただし肉体を強制的に再生させることは、自然治癒力よりも早い速度で回復させるということを意味している。それは肉体にとてつもなく大きな負荷を掛け、強烈な痛みと苦痛となり対象者に襲い掛かる。
場合によっては強烈な痛みに耐えられずショック死してしまうこともあり得るのだ。
それを防ぐために、回復魔術の治癒速度を極限まで遅くすることで、肉体への負荷を最小限にしている。
それが、回復魔術の魔法陣に仕掛けられている制限なのだ。
「数百年前、数多くの魔術の魔法陣を記した魔術書を世に出した魔術の開祖と呼ばれる魔術師“ノルン”。回復魔術もその一つじゃ。だがこれには痛みに苦しむものを瞬時に救うことが出来ない、悲しき制限が仕掛けられていた。何人もの高名な魔術師がこの制限を取り払い、より完成された完璧な回復魔術の開発にその生涯を捧げたと言われている。だが、誰もその偉業を達成することが出来なかった」
それはそうだ。回復魔術の治癒能力は万能だ。その万能性を損なうこと無く対象者に負荷を与えない最適解として、治癒速度の鈍足化を制限として取り入れているのだ。
そのあまりの完成度に、あのミューダですら回復魔術の研究の匙を投げた程だった。そこら辺の高名なだけの魔術師にどうこう出来る訳がない。
「だが、ついにその開発に成功した者が現れた。それが初代サピエル法国教皇“サピエル1世”じゃ。痛みなく瞬時に癒す秘術、これこそまさに神の御業よ! そしてこの秘術と神の涙の二つを受けぐ者が教皇であり、神に認められた者である証なのじゃ!」
……サピエル7世がまだこんな秘密を隠していたなんて、完全に予想外だった。
人の最高到達点である神人に進化し、魔力を吸収する特性を持ち、そして瞬時に傷を治す回復魔術を使える相手。
いくら考えても、今の私に勝てる未来が見えなかった……。
「さて、語らいもそろそろ終いにしようか。最期に何か言い残したいことがあれば聞いてやらんでもないぞ」
完全に勝ち誇っている様子だが、全くもってその通りなので言い返せる言葉がない。
だから私は素直に一つだけ、気になっていたことを質問した。
「……それじゃあ聞かせてくれるかしら。どうして最初からあなたが戦わなかったの?」
今ダメージを回復されてしまったら、戦いが振り出しに戻されてしまう。それだけは阻止しないと!
とにかく様々な錬金術を発動して、何か有効的な攻撃はないか手当たり次第に探す。
……だけどそのどれもが、先ほどの岩石攻撃と同じ結果に終わった。
ならばと思い、私は次に錬金術で雷雲を生成し始める。
生半可な攻撃だとあの水の防御を突破することすら出来ないようだ。だったら出し得る限りの最大威力ならどうだろう?
水は電気をよく通す。それは魔術で作られた水であろうと同じだ。そして錬金術で生み出せる電気の中でも最も威力の高いのは雷だ。
1億Vを越える雷撃を耐えられる生物などいない。
雷雲が大きくなり空が暗くなっていく。
ゴロゴロと不気味な雷鳴が鳴り始め、雷雲にエネルギーが蓄積していくのを感じる。
(あと少し……強力な雷を落とすにはあと少しエネルギーが欲しい!)
雷は非常に強力な攻撃手段だ。だけどこの攻撃には二つ、大きな欠点がある。
それはエネルギーの蓄積に時間が掛かること、そしてその間は集中し続ける必要があって無防備になることだ。
雷のエネルギー量はあまりにも膨大なため、完全なコントロールには細心の注意を払わなければいけない。
途中で集中力が乱れてしまったら、蓄積されたエネルギーはどうなってしまうか分からない。
本来だったら雷を落とすまで守ってくれる前衛の護衛が必須だけど、今はそんな贅沢を言っていられない。
私は更に集中しエネルギーを蓄積させていく。サピエル7世が回復しきってしまう前に、一秒でも早く雷を落とせるように。
この時の私の思考は、その事に集中していた。だけどそれは言い換えるなら“思考の固着”だ。
……それがどれほど危険なことなのか、この時の私はそんな簡単なことすら頭の中から抜け落ちていた。
――だから私は、サピエル7世が既に行動していたことに気付けなかった。
ボコッ!
突然私の足元から、何かが地面を突き破って飛び出してきた。だけどそれに気付いた時にはもう遅かった。
その何かは私の足に素早く絡み付くと、凄まじい力で私の身体を引っ張って持ち上げる。私は抵抗する暇もなく空中に逆さ吊りにされてしまった。
私はすぐに足元に視線を移し、絡み付いてきた物の正体を確かめる。
「これは……水!?」
私の足に絡み付いていたのは透明な液体……「水」だった。触手のように細く伸びた水が、まるで鞭のように私の足に巻き付いていたのだ。
私はすぐにこの水の正体に気付いたが、次の瞬間には更に地面から二本の水が飛び出して来て私の体に巻き付いてきた。私はあっという間に完全に拘束されてしまった。
これはサピエル7世の水魔術だ。魔術で作った水だからどんな形状も、どんな動きも術者の思いのままに出来る。
サピエル7世の足元をよく見たら、小さな穴が空いていた。
どうやら私に気付かれないようにこっそりと、地中に水を潜り込ませていたようだ。私はまんまと意表を突かれてしまったようだ。
……完全にやられた。攻撃に固執しすぎて視野が狭くなっていたようだ。
拘束されて集中力が切れ、せっかく集めた雷雲のエネルギーが拡散していくのを、苦虫を噛み潰すような気持ちで見ているしかなかった。
「……油断大敵。全くもってその通りじゃ。いくら強大な力を手にしようと、少しの油断が命取りになる。今後の教訓じゃな」
私をしっかり拘束したことを確認したサピエル7世が、自分を守っていた水魔術を解除して出てきた。
しかし私を拘束している水は消えない。器用なことに、自分を守っていた分だけ解除したようだ。
そして未だに傷が癒えきっていないサピエル7世は、ゆっくりと私の方に歩いてきて、十分な間合いに入ったところで立ち止まる。
……視線が交錯する。
こうして近くで見ると、サピエル7世は相当な重症だったことが分かる。
純白だった法衣は真っ黒に焦げ、枯れた葉っぱの様にボロボロに崩れ、もはや衣服としての役割を果たしていない。
全身の皮膚は火傷で真っ赤に腫れ上がり、髪の毛は焼けて燻り、肉の焼ける不快な臭いが漂っている。
だけどその重症も、回復魔術で徐々に治りつつあった。おそらくあと数分もすれば完全に回復してしまうだろう。
「お前が使ったあの特殊な魔術、“魔力の無い魔術”とでも呼ぼうか。原理は知らんが、あれはワシを殺せる魔術じゃ。現にワシはこうして死にかけた。最大の脅威はすぐにでも排除しなければならない。そうは思わんか?」
そう問いかけながら、サピエル7世は『聖光槍』を発動させて発射準備を整える。
その矛先は私の顔を捕らえていた。
「……そうね、脅威を排除する意見には同意するわ。私にとってもあなた存在は私の平穏を破壊する脅威だもの」
「ふん、無様に吊し上げられているこの状況でも威勢だけは達者じゃな。諦めて命乞いでもしてみたらどうじゃ?」
「手足を拘束されても魔術は発動出来るわ。それが魔術の良いところでしょう?」
魔術の発動には魔法陣を描く必要がある。普通の魔術師なら杖や手を筆代わりにして魔法陣を描く。
しかし熟練の魔術師になれば、頭の中で思い描くだけで魔法陣を完成させる事が出来るようになる。私とサピエル7世は勿論後者だ。
つまり私に対してこんな拘束をしても、攻撃手段を封じたことにはならない。そんなことはサピエル7世にもわかっているはずだ。
「私に反撃されないとでも思っているのかしら?」
「お前こそ何も分かっていないようじゃな。お前が攻撃するよりも早く、この『聖光槍』がお前を貫ける」
「随分となめられたものね。いくら拘束されていたとしても、私は手負いの相手に早打ちで負けたりしないわよ?」
「……どうやらお前は二つ勘違いをしているようだ」
勘違い? 一体どういうこと?
サピエル7世が何を言いたいのかわからず、私は訝しげな表情をする。
「まず一つ、ワシがお前の特殊な魔術の弱点に気付いていないと思っている事じゃ。あの特殊な魔術の原理は分からぬが、普通の魔術に比べて発動までに時間がかかるのじゃろう?」
「――ッ!?」
「どうして気付いたんだという顔をしておるな。あれだけ色々な攻撃を見せられたんじゃ、気付かない方がどうかしておるわ」
……しまった。どうやらサピエル7世の観察眼を甘くみていたようだ。
錬金術は自然科学の法則に基づいた新しい魔術で、術に魔力が宿らないという特性がある。それは魔力を奪う敵、つまり魔獣やサピエル7世に対抗できるということだ。
これに気付かれて対策されないように、私は錬金術で普通の魔術と同じものを作って、それを大量の普通の魔術の中に混ぜることで偽装した。
だけどサピエル7世が水魔術で防御を固めた時、私は形振り構わず錬金術だけで攻撃した。そのせいで『魔術と同じことをしようとすると発動に手間が掛かる』という、錬金術の弱点を見破られてしまう隙を与えてしまったみたいだ。
サピエル7世には、もうこの手のハッタリは通用しなくなってしまった。
「そしてもう一つ、ワシが手負いの状態だということじゃ」
一体何を言っているの……?
サピエル7世は回復魔術で徐々に回復しているとはいえ、どう見てもまだ手負いだ。完全回復にはまだ数分は掛かる。
サピエル7世が何を言いたいのか分からない。だけど私は、背筋が凍りつくような不気味な寒気を感じたのは確かだ。
「分からないといった様子じゃな。つまりこういうことじゃ。――『瞬間回復魔術』!」
……私は、絶句した。
魔術が発動すると同時にサピエル7世が魔力の光に包まれた。だけどそれは一瞬の出来事で、次の瞬間には綺麗な体のサピエル7世が現れた。
傷なんてどこにも残っていない。火傷も燻った髪も焼けた肉体も……まるで最初からそんなものは無かったようにサピエル7世は堂々と立っている。
「あ、ありえない! だって回復魔術には制限があるはず!?」
回復魔術の術式には、ある制限が掛けられている。それは治癒速度の鈍足化だ。
回復魔術は万能だ。どんな傷や怪我でも治すことが出来る。それは回復魔術が、肉体を再生させる魔術だからだ。
ただし肉体を強制的に再生させることは、自然治癒力よりも早い速度で回復させるということを意味している。それは肉体にとてつもなく大きな負荷を掛け、強烈な痛みと苦痛となり対象者に襲い掛かる。
場合によっては強烈な痛みに耐えられずショック死してしまうこともあり得るのだ。
それを防ぐために、回復魔術の治癒速度を極限まで遅くすることで、肉体への負荷を最小限にしている。
それが、回復魔術の魔法陣に仕掛けられている制限なのだ。
「数百年前、数多くの魔術の魔法陣を記した魔術書を世に出した魔術の開祖と呼ばれる魔術師“ノルン”。回復魔術もその一つじゃ。だがこれには痛みに苦しむものを瞬時に救うことが出来ない、悲しき制限が仕掛けられていた。何人もの高名な魔術師がこの制限を取り払い、より完成された完璧な回復魔術の開発にその生涯を捧げたと言われている。だが、誰もその偉業を達成することが出来なかった」
それはそうだ。回復魔術の治癒能力は万能だ。その万能性を損なうこと無く対象者に負荷を与えない最適解として、治癒速度の鈍足化を制限として取り入れているのだ。
そのあまりの完成度に、あのミューダですら回復魔術の研究の匙を投げた程だった。そこら辺の高名なだけの魔術師にどうこう出来る訳がない。
「だが、ついにその開発に成功した者が現れた。それが初代サピエル法国教皇“サピエル1世”じゃ。痛みなく瞬時に癒す秘術、これこそまさに神の御業よ! そしてこの秘術と神の涙の二つを受けぐ者が教皇であり、神に認められた者である証なのじゃ!」
……サピエル7世がまだこんな秘密を隠していたなんて、完全に予想外だった。
人の最高到達点である神人に進化し、魔力を吸収する特性を持ち、そして瞬時に傷を治す回復魔術を使える相手。
いくら考えても、今の私に勝てる未来が見えなかった……。
「さて、語らいもそろそろ終いにしようか。最期に何か言い残したいことがあれば聞いてやらんでもないぞ」
完全に勝ち誇っている様子だが、全くもってその通りなので言い返せる言葉がない。
だから私は素直に一つだけ、気になっていたことを質問した。
「……それじゃあ聞かせてくれるかしら。どうして最初からあなたが戦わなかったの?」