放課後トップレディ、誕生! ①
――その二日後、臨時株主総会で新会長を決める決選投票が行われ、わたしは大叔父に大差をつけて無事会長就任が決まった。
「――桐島さん! わたし、新会長に決まったよ」
『本当ですか? おめでとうございます! では、僕の会長秘書拝命も無事に決まったということですね』
帰りのクルマの中で貢に電話をかけると、彼はわたしの会長就任を心から喜んでくれた。
「うん。明後日にも人事部から正式な辞令が下りると思う。というわけで改めて、これからよろしくお願いします」
わたしはそこから自分が行ったスピーチの内容や、社長であり本部の役員でもある村上さんの応援演説がいかに素晴らしかったかを彼に話した。そして、株主総会前の二日間で練りに練った、本社幹部の人事についても。
社長は村上さん留任で、常務は秘書室長の広田妙子さん、専務は人事部長の山崎修さんがそれぞれ兼任してもらうことにした。三人とも父のよき理解者で、協力者でもあった人たちで、わたしにとっても強い味方になってくれることは間違いないと思ったのだ。
『そうですか、社長が味方について下さったのは大きかったですね。村上社長は確か、お父さまの同期組でしたよね。営業部でいいライバルだったとか』
「そうなの。彼を社長に任命したのもパパだったんだって。若い頃はどっちがママのハートを射止められるか争ってたらしいよ」
『へぇ……、そんなことが』
電話口にそんな話をしていたら、隣に座っていた母に「その話はもう時効だから、あんまり続けないで」と苦笑いされた。
『それはともかく、明後日は朝十時から就任会見が開かれるんですね。スピーチの原稿は用意しておいた方がよろしいですか?』
彼はさっそく秘書の業務として、そんな提案をしてくれた。わたし自身会見なんて初めてのことだったので、それはとてもありがたい提案だと思った。
「そうだなぁ、わたしとしてはあった方が気持ち的に助かるけど。大まかな内容で作っておいてくれたら、あとは自分で考えて話すから」
『かしこまりました。では、簡単な内容の原稿だけ、僕の方で作成しておきます』
「ありがと。じゃあよろしく」
――何はともあれ、母が会長代行、貢が秘書、そして強力な首脳陣という万全な体制で、この二日後にわたしのトップレディ生活は幕を開けることとなった。
* * * *
――そしてやって来た、会長・篠沢絢乃のお披露目の日。
その朝、わたしはある決意を胸に秘め、自室の洗面台の前に立った。
丁寧に泡立てた洗顔フォームで顔を洗い、自慢のロングヘアーをブラッシングして、ウォークインクローゼットに足を踏み入れた。
「――よし!」
勇ましい気持ちで手にしたのは学校の制服である白いブラウスとブルーグレーのプリーツスカート、クリーム色のブレザーに赤いリボンの一式と、黒のハイソックス。制服姿で就任会見に臨むことで、〝女子高生と大財閥の会長〟の二刀流に挑むわたしの並々ならぬ決意を示すことにしていたのだ。
神聖な気持ちで身支度を整え、姿見に全身を映すと、同じ制服姿だけれど普段と違うわたしが見えた気がした。
「――おはよう、絢乃。もう支度できてる?」
廊下から母の声がした。どうやら史子さんではなく、母自らわざわざ呼びに来たらしい。
「は~い、もうバッチリだよ! 今行くね!」
わたしはウォークインクローゼットを出ると、大きな声で呼びかけに答えた。
通学用の黒いピーコートとスクールバッグを手に廊下へ出ると、グレーのパンツスーツ姿の母が軽く眉をひそめた。
「あなた、その格好で会見をやるってことは……。何を言われても覚悟はできてるってことでいいのね?」
その言い方は、非難しているというよりむしろ母親としてわたしのことを心配しているようだった。
「うん。わたしなら大丈夫だよ。後継者として指名された時から決めてたことだから」
わたしの覚悟の大きさを感じ取ったらしい母は、「分かった」と納得してくれた。
「じゃあ、朝ゴハンにしましょう。九時ごろに桐島くんが迎えに来るから」
「そうだね。彼も今日、本格的に秘書デビューだもんね。きっと張り切って迎えに来るよ」
彼の話になるたびに、わたしの表情はついつい緩んでしまう。やっぱりこれって、恋の魔力のせい……?
「――それにしても、その潔すぎる性格といい、一度決めたら絶対に曲げない意志の強さといい。絢乃はホント、パパにそっくりだわ」
「そうかなぁ? じゃあ、ママにそっくりなところってどこだと思う?」
わたしが首を傾げると、母は大まじめな顔で「顔かしらね」と答えた。
* * * *
――九時少し前。わたしと母が朝食を済ませ、優雅にコーヒー(わたしは父に似てコーヒー好きなのだ)と紅茶を飲んでいると、インターフォンが鳴った。
『――おはようございます。桐島です。お迎えに上がりました!』
「はーい。すぐ出られるから待ってて」
心なしか弾んだ声の彼に、わたしもウキウキと元気よく応じた。
「じゃあママ、行こっか」
「ええ。――史子さん、行ってきます」
史子さんに「行ってらっしゃいませ」と笑顔で見送られながら、わたしたち親子は出陣したのだった。
「――絢乃会長、加奈子さん。おはようございます」
「おはよう、桐島さん。……あ、そのスーツ……」
カーポートで待ってくれていた貢に挨拶を返したわたしは、彼が真新しいネイビーのスーツに身を包んでいることに気がついた。
「ああ、これですか。絢乃さんがプレゼントして下さったネクタイに合わせて新調したんですよ。どうです、似合いますか?」
彼は嬉しそうに、ストライプ柄の赤いネクタイに手をやった。
「……うん、すごくカッコいいよ。でも、このためにわざわざ新しいスーツまで買うとは思ってなかったから、ちょっとビックリしちゃって。それ高かったんじゃない?」
「いえ、量産品なのでそんなにかかりませんでしたよ。ですからご心配なく」
「それならいいんだけど。桐島くん、その時の領収書かレシートがあったら、その分絢乃に清算してもらえるわよ」
「えっ、そうなんですか?」
突如会話に割って入った母のアドバイスに、彼は目を丸くした。そして、わたし自身も、そんな仕組みがあったと知ったのはその前日のことだった。
「そうらしいよ。わたしも昨日まで知らなかったんだけど。あと送迎にかかったガソリン代も、レシートがあったらちゃんと清算するから」
「しかも経理部を通さずに、絢乃個人がね。これ、会長秘書だけの特権なのよ。衣服代とか交通費は会長から直接清算されるシステムなの。夫が始めたことなのよ」
「へぇ……、それは助かります。会長秘書って仕事量も多そうですけど、それに見合ったメリットもあるわけですね」
彼はこの時ほど、「会長秘書になってよかった」と思ったことはなかっただろう。激務に追われる分月給も他の部署より高く、好待遇なのだから。そうでなければ、好きこのんで選ぶ職種ではないと思う。貢はどうだか知らないけれど。
「そう。だからこれから一緒に頑張ろうね!」
「はいっ! では、車内へどうぞ。ここでは寒いですから」
後部座席のドアを開けてくれた彼にお礼を言い、わたしたち親子は暖房の効いた車内のシートに腰を下ろしたのだった。
「――桐島さん! わたし、新会長に決まったよ」
『本当ですか? おめでとうございます! では、僕の会長秘書拝命も無事に決まったということですね』
帰りのクルマの中で貢に電話をかけると、彼はわたしの会長就任を心から喜んでくれた。
「うん。明後日にも人事部から正式な辞令が下りると思う。というわけで改めて、これからよろしくお願いします」
わたしはそこから自分が行ったスピーチの内容や、社長であり本部の役員でもある村上さんの応援演説がいかに素晴らしかったかを彼に話した。そして、株主総会前の二日間で練りに練った、本社幹部の人事についても。
社長は村上さん留任で、常務は秘書室長の広田妙子さん、専務は人事部長の山崎修さんがそれぞれ兼任してもらうことにした。三人とも父のよき理解者で、協力者でもあった人たちで、わたしにとっても強い味方になってくれることは間違いないと思ったのだ。
『そうですか、社長が味方について下さったのは大きかったですね。村上社長は確か、お父さまの同期組でしたよね。営業部でいいライバルだったとか』
「そうなの。彼を社長に任命したのもパパだったんだって。若い頃はどっちがママのハートを射止められるか争ってたらしいよ」
『へぇ……、そんなことが』
電話口にそんな話をしていたら、隣に座っていた母に「その話はもう時効だから、あんまり続けないで」と苦笑いされた。
『それはともかく、明後日は朝十時から就任会見が開かれるんですね。スピーチの原稿は用意しておいた方がよろしいですか?』
彼はさっそく秘書の業務として、そんな提案をしてくれた。わたし自身会見なんて初めてのことだったので、それはとてもありがたい提案だと思った。
「そうだなぁ、わたしとしてはあった方が気持ち的に助かるけど。大まかな内容で作っておいてくれたら、あとは自分で考えて話すから」
『かしこまりました。では、簡単な内容の原稿だけ、僕の方で作成しておきます』
「ありがと。じゃあよろしく」
――何はともあれ、母が会長代行、貢が秘書、そして強力な首脳陣という万全な体制で、この二日後にわたしのトップレディ生活は幕を開けることとなった。
* * * *
――そしてやって来た、会長・篠沢絢乃のお披露目の日。
その朝、わたしはある決意を胸に秘め、自室の洗面台の前に立った。
丁寧に泡立てた洗顔フォームで顔を洗い、自慢のロングヘアーをブラッシングして、ウォークインクローゼットに足を踏み入れた。
「――よし!」
勇ましい気持ちで手にしたのは学校の制服である白いブラウスとブルーグレーのプリーツスカート、クリーム色のブレザーに赤いリボンの一式と、黒のハイソックス。制服姿で就任会見に臨むことで、〝女子高生と大財閥の会長〟の二刀流に挑むわたしの並々ならぬ決意を示すことにしていたのだ。
神聖な気持ちで身支度を整え、姿見に全身を映すと、同じ制服姿だけれど普段と違うわたしが見えた気がした。
「――おはよう、絢乃。もう支度できてる?」
廊下から母の声がした。どうやら史子さんではなく、母自らわざわざ呼びに来たらしい。
「は~い、もうバッチリだよ! 今行くね!」
わたしはウォークインクローゼットを出ると、大きな声で呼びかけに答えた。
通学用の黒いピーコートとスクールバッグを手に廊下へ出ると、グレーのパンツスーツ姿の母が軽く眉をひそめた。
「あなた、その格好で会見をやるってことは……。何を言われても覚悟はできてるってことでいいのね?」
その言い方は、非難しているというよりむしろ母親としてわたしのことを心配しているようだった。
「うん。わたしなら大丈夫だよ。後継者として指名された時から決めてたことだから」
わたしの覚悟の大きさを感じ取ったらしい母は、「分かった」と納得してくれた。
「じゃあ、朝ゴハンにしましょう。九時ごろに桐島くんが迎えに来るから」
「そうだね。彼も今日、本格的に秘書デビューだもんね。きっと張り切って迎えに来るよ」
彼の話になるたびに、わたしの表情はついつい緩んでしまう。やっぱりこれって、恋の魔力のせい……?
「――それにしても、その潔すぎる性格といい、一度決めたら絶対に曲げない意志の強さといい。絢乃はホント、パパにそっくりだわ」
「そうかなぁ? じゃあ、ママにそっくりなところってどこだと思う?」
わたしが首を傾げると、母は大まじめな顔で「顔かしらね」と答えた。
* * * *
――九時少し前。わたしと母が朝食を済ませ、優雅にコーヒー(わたしは父に似てコーヒー好きなのだ)と紅茶を飲んでいると、インターフォンが鳴った。
『――おはようございます。桐島です。お迎えに上がりました!』
「はーい。すぐ出られるから待ってて」
心なしか弾んだ声の彼に、わたしもウキウキと元気よく応じた。
「じゃあママ、行こっか」
「ええ。――史子さん、行ってきます」
史子さんに「行ってらっしゃいませ」と笑顔で見送られながら、わたしたち親子は出陣したのだった。
「――絢乃会長、加奈子さん。おはようございます」
「おはよう、桐島さん。……あ、そのスーツ……」
カーポートで待ってくれていた貢に挨拶を返したわたしは、彼が真新しいネイビーのスーツに身を包んでいることに気がついた。
「ああ、これですか。絢乃さんがプレゼントして下さったネクタイに合わせて新調したんですよ。どうです、似合いますか?」
彼は嬉しそうに、ストライプ柄の赤いネクタイに手をやった。
「……うん、すごくカッコいいよ。でも、このためにわざわざ新しいスーツまで買うとは思ってなかったから、ちょっとビックリしちゃって。それ高かったんじゃない?」
「いえ、量産品なのでそんなにかかりませんでしたよ。ですからご心配なく」
「それならいいんだけど。桐島くん、その時の領収書かレシートがあったら、その分絢乃に清算してもらえるわよ」
「えっ、そうなんですか?」
突如会話に割って入った母のアドバイスに、彼は目を丸くした。そして、わたし自身も、そんな仕組みがあったと知ったのはその前日のことだった。
「そうらしいよ。わたしも昨日まで知らなかったんだけど。あと送迎にかかったガソリン代も、レシートがあったらちゃんと清算するから」
「しかも経理部を通さずに、絢乃個人がね。これ、会長秘書だけの特権なのよ。衣服代とか交通費は会長から直接清算されるシステムなの。夫が始めたことなのよ」
「へぇ……、それは助かります。会長秘書って仕事量も多そうですけど、それに見合ったメリットもあるわけですね」
彼はこの時ほど、「会長秘書になってよかった」と思ったことはなかっただろう。激務に追われる分月給も他の部署より高く、好待遇なのだから。そうでなければ、好きこのんで選ぶ職種ではないと思う。貢はどうだか知らないけれど。
「そう。だからこれから一緒に頑張ろうね!」
「はいっ! では、車内へどうぞ。ここでは寒いですから」
後部座席のドアを開けてくれた彼にお礼を言い、わたしたち親子は暖房の効いた車内のシートに腰を下ろしたのだった。