次のステップって……? ②
――その翌日。わたしは仕事のお休みをもらって(学校は元々春休みだったし)、里歩と二人で渋谷までショッピングに来ていた。「おめでとう」の言葉は前日の夜にLINEでもらっていたけれど、その時に「絢乃の誕プレ、どうせなら一緒に買いに行こうよ」ということになり、母に出社を代わってもらって出かけてきたのである。
「――あ、春の新作ルージュもう発売されてんじゃん♪ これって絢乃がCMのオファー断ったヤツだよね?」
デパートのコスメ売り場で、〈Sコスメティックス〉のブースの前を通りかかった里歩が口紅を一本手に取ってわたしに問うてきた。
「……そうだけど。イヤなこと思い出させないでよ」
わたしは露骨に顔をしかめた。
貢と付き合い始める前、もしもCM出演を断っていなければファーストキスを奪われていたかもしれない相手。その小坂リョウジさんはCMで共演していたモデルの女性とすぐに男女の関係になったらしいけれど、三月のうちに破局したのだと里歩から聞いた。
里歩はその報道を目にするなり彼のファンをやめた。女性に対して節操のない彼に幻滅したのかもしれない。
「じゃあこれ、買わないの? 小坂リョウジのことはアレだけど、口紅に罪はないでしょうよ」
「そうなんだけど、それを塗るたびに小坂さんとキスしてるような気持ちになるのがイヤなの。何だか浮気してるみたいで、貢に申し訳ないっていうか」
もちろんわたしは貢ひとすじだし、浮気心なんてかけらもないけど。わたしが気にしすぎているだけかもしれないけれど……。
「それってアンタの考えすぎじゃないの? ……まぁいいや。どうしてもイヤだって言うなら別のにするかー」
「ごめんねー。せっかく選んでくれようとしてたのに」
「いいってことよ。んじゃあー……、こっちにしよっか。桜色リップグロスとチーク。あとアイシャドウとクッションファンデもね」
気にするなとばかりに肩をすくめ、次々にコスメを選んでくれた親友に、わたしは「うん、それでいいよ。ありがとね」とお礼を言った。
「――ねえ里歩。『次のステップ』ってどういう意味だと思う?」
渋谷センター街のバーガーショップで一休みしていた時、わたしはオレンジジュースをストローですすってから里歩に訊ねた。
「は? 何をいきなり」
大真面目に訊ねたわたしに、コーラを飲んでいた里歩がポカンとして訊ね返してきた。
「昨日、貢が呟いてたの。来月の連休中に、彼の部屋でお誕生祝いしようってわたしが言ったらすごく取り乱してて。『そろそろ次のステップか……』って。これって恋愛で次のステップ、ってこと……だよね?」
「そう……なんでない? っていうか待って。『彼の部屋に行く』って言ったの、アンタ?」
「うん、言った」
「待って待って。となるとさ、彼の言ってた意味合い変わってくるよ」
里歩はポテトをつまみ、うーんと唸ってからそう言った。
「え、そうなの?」
「うん。それが恋愛における次の段階って意味だったら……。キスの次、ってことになるよ」
「それって……、そういうこと?」
わたしだって小さな子供じゃないので、それがどういう行為を表しているのかくらいはちゃんと分かっていた。ただ、口に出すのは少々憚られるけれど。
「あれでしょ。女性は恋愛に心の安定を求めるけど、男性はそれ以上のものを求めてるっていう、男女間における恋愛観の違いみたいな」
「そうそう、それ。……アンタさぁ、まだ付き合い始めて二ヶ月くらいでしょ? いきなり彼の部屋に行くとか無防備すぎ。まぁ、桐島さんなら大丈夫だろうけど」
「大丈夫、って何が?」
「小坂リョウジみたいに女にだらしなかったら危ないけど、彼はちゃんと節操あるし。何より絢乃のこと大事にしてくれてるみたいだからさ。そのネックレス、桐島さんからもらったんでしょ? アンタ愛されてるじゃん♪」
「…………うん。愛されてるし、わたしも彼のこと愛してるから」
わたしは照れながら里歩にそう答えて、ダブルチーズバーガーにかぶりついた。ちなみに里歩が食べていたのはえびフィレオバーガーだ。
「あらあら、ごちそうさま♪ ってことは、もしかしたら二人の関係で次のステップに進みたい、ってことかもね」
「……っていうと?」
「結婚も視野に入れて、ってことかなぁ」
「結婚か……。そういえば貢、初めて会った時からそんなこと言ってたなぁ」
思えばそこから遡ること約半年前、彼は自分もわたしのお婿さん候補の一人に……というようなことを言っていた。あれはやっぱり冗談なんかじゃなく、本気だったのだ。もちろん逆玉狙いでもない。断じて。
「っていってもまだ実感湧かないよね。あたしたちまだ高校生だし、絢乃はお父さん亡くしてまだ三ヶ月くらいだし」
「うん。パパの納骨はもう済ませたけどね、どっちみち喪が明けるまでは無理だもん。……でも、彼がウチの家族になってくれたらいいなぁとは思ってる。すぐにじゃなくてもいいから」
「そうだね。あたしも桐島さんだったら安心してアンタのこと任せられるよ。むしろ不安要素が一コも見当たらないわ」
「うん、ホントにね。あんなにいい人、他にはなかなかいないと思う」
だから、わたしはこっそり思っていた。もし万が一彼とそういうことになったとしても、絶対に後悔しないだろうな、と。
「でもさぁ、彼とイチャイチャはしてるんでしょ?」
「……まぁ、適度には」
わたしもそこは素直に認めた。
キスはもう毎日の日課みたいなものだったし、彼からのスキンシップはしょっちゅうのことだった。とはいっても頭をポンポンされたり、頬に触って「お肌キレイですね」と褒めてくれたり、肩こりがひどい時に肩を揉んでくれたり、その程度。あまりベタベタしてくるわけじゃないけれど、それだけでも彼からの愛を感じられて嬉しかった。
「いいなぁ、大人の彼氏。めっちゃ憧れる~」
「いいなぁ……って、里歩の彼氏も年上じゃない。今年ハタチでしょ?」
羨ましげに目を細めた親友に、わたしはすかさずツッコミを入れた。何を贅沢言っているんだか。
専門学校生である里歩の恋人だって法律上では立派な成人だし、もうすぐお酒が飲める年齢になろうとしていたのだ。
「確かに年齢だけならもう立派な大人なんだけどさぁ、桐島さんに比べたらまだお子ちゃまだよ。落ち着きはないし、余裕もないし」
「いやいや! 貢だってそこまで〝ザ・大人〟って感じでもないよ? あれで意外とおっちょこちょいだし、プライベートでは甘えん坊なところもあったりして」
仕事の時はバリバリ頼りになる秘書の顔をしていた彼だけれど、オンの時とオフの時でギャップというか落差がすごい。その事実は限られた人数しか知らないだろう。
「あら、そうなん? でもさぁ、桐島さんには絶対にブレない信念みたいなのがあるじゃん? 絢乃のことを支えたい、守りたいっていうね。そういうところが大人なんだと思うな」
「なるほど……」
彼の性格は一言で表すと「一本気」、もしくは「一途」。確かに、ひとりの人間としての芯はもうできあがっていると言ってもよかった。そういう意味では「大人」と里歩が評価したのも頷けた。
「あのね、わたしが手作りのお料理で彼をお祝いしたいと思ったのは、彼からもらった愛のお返しをしたいって思ってるからなの。彼に求められたら、できるだけどんなことでも叶えてあげたいなって」
「それが、たとえ際どいことでも? アンタ拒まない自信ある?」
「それは……どうだろ? その状況になってみないと分かんないけど」
わたしは首を傾げながらフライドポテトをつまんだ。たとえそうなったとしても後悔しない自信はあったけれど、絶対に拒まないと言い切れるか、と訊かれたらそこはあまり自信がなかった。
「――あ、春の新作ルージュもう発売されてんじゃん♪ これって絢乃がCMのオファー断ったヤツだよね?」
デパートのコスメ売り場で、〈Sコスメティックス〉のブースの前を通りかかった里歩が口紅を一本手に取ってわたしに問うてきた。
「……そうだけど。イヤなこと思い出させないでよ」
わたしは露骨に顔をしかめた。
貢と付き合い始める前、もしもCM出演を断っていなければファーストキスを奪われていたかもしれない相手。その小坂リョウジさんはCMで共演していたモデルの女性とすぐに男女の関係になったらしいけれど、三月のうちに破局したのだと里歩から聞いた。
里歩はその報道を目にするなり彼のファンをやめた。女性に対して節操のない彼に幻滅したのかもしれない。
「じゃあこれ、買わないの? 小坂リョウジのことはアレだけど、口紅に罪はないでしょうよ」
「そうなんだけど、それを塗るたびに小坂さんとキスしてるような気持ちになるのがイヤなの。何だか浮気してるみたいで、貢に申し訳ないっていうか」
もちろんわたしは貢ひとすじだし、浮気心なんてかけらもないけど。わたしが気にしすぎているだけかもしれないけれど……。
「それってアンタの考えすぎじゃないの? ……まぁいいや。どうしてもイヤだって言うなら別のにするかー」
「ごめんねー。せっかく選んでくれようとしてたのに」
「いいってことよ。んじゃあー……、こっちにしよっか。桜色リップグロスとチーク。あとアイシャドウとクッションファンデもね」
気にするなとばかりに肩をすくめ、次々にコスメを選んでくれた親友に、わたしは「うん、それでいいよ。ありがとね」とお礼を言った。
「――ねえ里歩。『次のステップ』ってどういう意味だと思う?」
渋谷センター街のバーガーショップで一休みしていた時、わたしはオレンジジュースをストローですすってから里歩に訊ねた。
「は? 何をいきなり」
大真面目に訊ねたわたしに、コーラを飲んでいた里歩がポカンとして訊ね返してきた。
「昨日、貢が呟いてたの。来月の連休中に、彼の部屋でお誕生祝いしようってわたしが言ったらすごく取り乱してて。『そろそろ次のステップか……』って。これって恋愛で次のステップ、ってこと……だよね?」
「そう……なんでない? っていうか待って。『彼の部屋に行く』って言ったの、アンタ?」
「うん、言った」
「待って待って。となるとさ、彼の言ってた意味合い変わってくるよ」
里歩はポテトをつまみ、うーんと唸ってからそう言った。
「え、そうなの?」
「うん。それが恋愛における次の段階って意味だったら……。キスの次、ってことになるよ」
「それって……、そういうこと?」
わたしだって小さな子供じゃないので、それがどういう行為を表しているのかくらいはちゃんと分かっていた。ただ、口に出すのは少々憚られるけれど。
「あれでしょ。女性は恋愛に心の安定を求めるけど、男性はそれ以上のものを求めてるっていう、男女間における恋愛観の違いみたいな」
「そうそう、それ。……アンタさぁ、まだ付き合い始めて二ヶ月くらいでしょ? いきなり彼の部屋に行くとか無防備すぎ。まぁ、桐島さんなら大丈夫だろうけど」
「大丈夫、って何が?」
「小坂リョウジみたいに女にだらしなかったら危ないけど、彼はちゃんと節操あるし。何より絢乃のこと大事にしてくれてるみたいだからさ。そのネックレス、桐島さんからもらったんでしょ? アンタ愛されてるじゃん♪」
「…………うん。愛されてるし、わたしも彼のこと愛してるから」
わたしは照れながら里歩にそう答えて、ダブルチーズバーガーにかぶりついた。ちなみに里歩が食べていたのはえびフィレオバーガーだ。
「あらあら、ごちそうさま♪ ってことは、もしかしたら二人の関係で次のステップに進みたい、ってことかもね」
「……っていうと?」
「結婚も視野に入れて、ってことかなぁ」
「結婚か……。そういえば貢、初めて会った時からそんなこと言ってたなぁ」
思えばそこから遡ること約半年前、彼は自分もわたしのお婿さん候補の一人に……というようなことを言っていた。あれはやっぱり冗談なんかじゃなく、本気だったのだ。もちろん逆玉狙いでもない。断じて。
「っていってもまだ実感湧かないよね。あたしたちまだ高校生だし、絢乃はお父さん亡くしてまだ三ヶ月くらいだし」
「うん。パパの納骨はもう済ませたけどね、どっちみち喪が明けるまでは無理だもん。……でも、彼がウチの家族になってくれたらいいなぁとは思ってる。すぐにじゃなくてもいいから」
「そうだね。あたしも桐島さんだったら安心してアンタのこと任せられるよ。むしろ不安要素が一コも見当たらないわ」
「うん、ホントにね。あんなにいい人、他にはなかなかいないと思う」
だから、わたしはこっそり思っていた。もし万が一彼とそういうことになったとしても、絶対に後悔しないだろうな、と。
「でもさぁ、彼とイチャイチャはしてるんでしょ?」
「……まぁ、適度には」
わたしもそこは素直に認めた。
キスはもう毎日の日課みたいなものだったし、彼からのスキンシップはしょっちゅうのことだった。とはいっても頭をポンポンされたり、頬に触って「お肌キレイですね」と褒めてくれたり、肩こりがひどい時に肩を揉んでくれたり、その程度。あまりベタベタしてくるわけじゃないけれど、それだけでも彼からの愛を感じられて嬉しかった。
「いいなぁ、大人の彼氏。めっちゃ憧れる~」
「いいなぁ……って、里歩の彼氏も年上じゃない。今年ハタチでしょ?」
羨ましげに目を細めた親友に、わたしはすかさずツッコミを入れた。何を贅沢言っているんだか。
専門学校生である里歩の恋人だって法律上では立派な成人だし、もうすぐお酒が飲める年齢になろうとしていたのだ。
「確かに年齢だけならもう立派な大人なんだけどさぁ、桐島さんに比べたらまだお子ちゃまだよ。落ち着きはないし、余裕もないし」
「いやいや! 貢だってそこまで〝ザ・大人〟って感じでもないよ? あれで意外とおっちょこちょいだし、プライベートでは甘えん坊なところもあったりして」
仕事の時はバリバリ頼りになる秘書の顔をしていた彼だけれど、オンの時とオフの時でギャップというか落差がすごい。その事実は限られた人数しか知らないだろう。
「あら、そうなん? でもさぁ、桐島さんには絶対にブレない信念みたいなのがあるじゃん? 絢乃のことを支えたい、守りたいっていうね。そういうところが大人なんだと思うな」
「なるほど……」
彼の性格は一言で表すと「一本気」、もしくは「一途」。確かに、ひとりの人間としての芯はもうできあがっていると言ってもよかった。そういう意味では「大人」と里歩が評価したのも頷けた。
「あのね、わたしが手作りのお料理で彼をお祝いしたいと思ったのは、彼からもらった愛のお返しをしたいって思ってるからなの。彼に求められたら、できるだけどんなことでも叶えてあげたいなって」
「それが、たとえ際どいことでも? アンタ拒まない自信ある?」
「それは……どうだろ? その状況になってみないと分かんないけど」
わたしは首を傾げながらフライドポテトをつまんだ。たとえそうなったとしても後悔しない自信はあったけれど、絶対に拒まないと言い切れるか、と訊かれたらそこはあまり自信がなかった。