大切な人の守り方 ②
オフィスへ向かうレクサスの助手席で、わたしはため息ばかりついていた。
「――会長、今日は元気ないですね」
そんなわたしの様子を気にかけ、運転席から貢が労わる言葉をかけてくれた。
「うん、まぁ……ね」
「もしかして、会長もご覧になったんですか? Xの、あの書き込み」
「…………もしかして、貴方も見たの?」
彼はわたしの長い沈黙を肯定と受け取ったらしく、「やっぱりそうでしたか」と頷いた。
「はい。僕だけじゃなくて、お母さまもご一緒に。お母さま、もうカンカンでしたよ。『今すぐ阿佐間先生に連絡して! こんなヤツ、訴えてやる!』って鬼の形相で。〝怒り心頭に発する〟ってこういうことなのかと思いました」
「へぇ……」
もしくは〝怒髪天を衝く〟も可だろう。……それはさておき。
「……何か責任感じちゃって。ごめんね、桐島さん。わたしのせいで、貴方がこんな目に遭うなんて」
「会長が責任を感じられることはないでしょう。僕なら大丈夫ですから。あんな誹謗中傷、痛くも痒くもないですから」
「え? ホントに大丈夫なの?」
「ええ、本当です。僕のメンタルが強いことは、会長がよくご存じのはずでしょう?」
「…………そうでした」
わたしは思い出した。入社二年目からのハラスメント地獄を、彼はずっと耐え抜いてきたのだ。精神的にタフでなければ、彼はとっくに会社を辞めていたはずである。
「それに、僕は自分のことよりあなたのことの方が心配です。もしかしたら、あの投稿を目にした時にご自身のことのように心を痛められたんじゃないかと。お父さまのご病気が分かった時もそうでしたもんね」
「……うん」
わたしがよく知っている彼は、大好きな彼はそういう人だ。いつも自分のことよりわたしや他の人のことを考える。わたしに元気がない時や、落ち込んでいる時にはちゃんと気にかけてくれる、優しい人。お嬢さまのわたしにも、打算抜きで接してくれる純粋でまっすぐな人だ。
「桐島さん、わたし無性に腹が立ったし、それと同時に怖くなったの。相手が見えないのをいいことにして、あんなに他人に悪意を向けられるものなのか、って。でも、同時にこうも思った。こんなことをした人を絶対に許さないって。わたし、貴方を守るって約束したよね? だから、誹謗中傷犯を絶対に見つけて、貴方に謝罪させるから。わたしを敵に回したこと、絶対に後悔させてやるんだから!」
鼻息も荒く宣言したわたしに、彼は呆れ半分思いやり半分という声で言った。
「そのお言葉は大変頼もしい限りですが……、あまり無茶なことはなさらないで下さいね。僕だって守られてばかりではいられませんから。あなたを守りたい気持ちは、僕も同じなんですよ。いざとなったら、あなたをお守りするためには手段も選ばない覚悟です」
「桐島さん……」
わたしはこの時まで、彼の覚悟を見くびっていたのかもしれない。父の葬儀の時、彼が確かに里歩から秘書としての覚悟を問われていたことは憶えていたけれど。そこまで強い覚悟を持って働いてくれていたなんて。
「心配してくれてありがと。貴方はホントに優しいね。でも大丈夫! そんなに危ない橋は渡らないから。……多分」
「多分? 多分って何ですか多分って」
「何でもないよー。さあ、今日も頑張ろう!」
「……はーい」
彼からの鋭いツッコミを見事にスルーして、わたしはごまかすように彼の肩をポンと叩いた。
* * * *
――その日の夕食後、自室で学校の予習復習を終えたわたしは、ふと思い立って机の上のノートPCを起動させた。
ネット犯罪や、SNSでの嫌がらせなどの調査に特化した調査会社はないものか――。それも、正規のルートでは特定できないようなことまで独自のルートで調べ上げてしまえるような。
検索エンジンに「調査会社 ネット関係」というキーワードを打ち込み、エンターキーを叩くと数多くの業者がヒットしたけれど、そこからさらに「独自ルート」というワードで絞り込むと、いくつかの会社や個人事務所だけが残った。
「……あ、ここなんかいいかも」
わたしがそこで目をつけたのは、新宿にある一軒の個人事務所。WEBサイトのPRコメントには「独自のコネクションを駆使して、警察にも特定できないありとあらゆるネットトラブルの原因を特定します!」と強気な内容が書かれていて、興味をそそられた。
サイトにアクセスすると、そこは一組の男女だけで切り盛りしている零細企業らしく、所長さんは元警視庁捜査一課の警部補だったという、元刑事さんの事務所なのに、堂々と警察組織にケンカを売っているのが何だか面白いなと思った。
「まずはお気軽に、相談内容をメールで送って下さい」とあったので、サイトに記載されているメールアドレス宛てに相談したい内容を送信した。連絡先を書き込んでおけば、後から直接電話がかかってくるらしい。
『サイトを拝見しました。わたしは篠沢絢乃と申します。
実は、わたしの大切な人が現在、Xで誹謗中傷の被害に遭っています。それはすでにかなり拡散されているようで、彼のプライバシーを特定しようとする動きもあるみたいです。犯人は裏アカウントを使っているようで、警察や他の調査会社では特定するのが難しそうです。
この件での調査を、ぜひそちらでお願いできないでしょうか。わたしはどうしても、彼を助けたいんです。
このメールを読んで頂けたら、連絡をお願いします。詳しいお話は電話でさせて頂こうと思います。携帯番号は 090―〇〇××― …………』
「――今日中には電話かかってこないだろうから、明日かな……」
とりあえず翌日まで連絡待ち、ということにして、PCを閉じてからスマホでLINEのアプリを開くといくつかの業者の公式アカウントと、貢から新着通知が来ていた。
〈絢乃さん、今日は僕のことを心配して下さってありがとうございます。
僕は本当に大丈夫です。兄からも電話がかかってきて、「あんな書き込み気にすんな!」って言われました。言われるまでもないですけど(笑)
絢乃さんはあれから、何か動きがありました?〉
〈さっき、ネットで見つけた調査会社に相談内容をメールした。今連絡待ち。
場合によっては、わたし明日は会社休むかも。また連絡するね!〉
返信を終えたところで、登録外の番号から電話がかかってきた。番号からして固定電話ではなく、携帯電話らしい。
「――はい、篠沢ですけど……。どちらさまでしょうか?」
『篠沢絢乃さんの番号で間違いないですよね。こちら、〈U&Hリサーチ〉です。先ほどご相談のメール、下さいましたよね?』
「ああ……、はい」
電話の声は、まだ若い女性のようだった。二十歳前後くらいだろうか。
『メール、拝見しました。それで、詳しい相談内容なんですけど。かなりお困りのようなので、明日にでも一度事務所に来て頂けないかと。そこで所長も交えて詳しいお話をしましょうか。調査料金についても』
「はい。……あの、わたし、学校があるので伺うのは夕方になると思うんですけど」
『大丈夫ですよ。所長にもそう伝えます。事務所の場所は分かります?』
「ええ、分かります。ホームページに住所が載ってましたから。では明日、よろしくお願いします。失礼します」
やっぱり会社は休むことになりそうだ。――わたしは急いで母のいるリビングへと下りて行った。
「――会長、今日は元気ないですね」
そんなわたしの様子を気にかけ、運転席から貢が労わる言葉をかけてくれた。
「うん、まぁ……ね」
「もしかして、会長もご覧になったんですか? Xの、あの書き込み」
「…………もしかして、貴方も見たの?」
彼はわたしの長い沈黙を肯定と受け取ったらしく、「やっぱりそうでしたか」と頷いた。
「はい。僕だけじゃなくて、お母さまもご一緒に。お母さま、もうカンカンでしたよ。『今すぐ阿佐間先生に連絡して! こんなヤツ、訴えてやる!』って鬼の形相で。〝怒り心頭に発する〟ってこういうことなのかと思いました」
「へぇ……」
もしくは〝怒髪天を衝く〟も可だろう。……それはさておき。
「……何か責任感じちゃって。ごめんね、桐島さん。わたしのせいで、貴方がこんな目に遭うなんて」
「会長が責任を感じられることはないでしょう。僕なら大丈夫ですから。あんな誹謗中傷、痛くも痒くもないですから」
「え? ホントに大丈夫なの?」
「ええ、本当です。僕のメンタルが強いことは、会長がよくご存じのはずでしょう?」
「…………そうでした」
わたしは思い出した。入社二年目からのハラスメント地獄を、彼はずっと耐え抜いてきたのだ。精神的にタフでなければ、彼はとっくに会社を辞めていたはずである。
「それに、僕は自分のことよりあなたのことの方が心配です。もしかしたら、あの投稿を目にした時にご自身のことのように心を痛められたんじゃないかと。お父さまのご病気が分かった時もそうでしたもんね」
「……うん」
わたしがよく知っている彼は、大好きな彼はそういう人だ。いつも自分のことよりわたしや他の人のことを考える。わたしに元気がない時や、落ち込んでいる時にはちゃんと気にかけてくれる、優しい人。お嬢さまのわたしにも、打算抜きで接してくれる純粋でまっすぐな人だ。
「桐島さん、わたし無性に腹が立ったし、それと同時に怖くなったの。相手が見えないのをいいことにして、あんなに他人に悪意を向けられるものなのか、って。でも、同時にこうも思った。こんなことをした人を絶対に許さないって。わたし、貴方を守るって約束したよね? だから、誹謗中傷犯を絶対に見つけて、貴方に謝罪させるから。わたしを敵に回したこと、絶対に後悔させてやるんだから!」
鼻息も荒く宣言したわたしに、彼は呆れ半分思いやり半分という声で言った。
「そのお言葉は大変頼もしい限りですが……、あまり無茶なことはなさらないで下さいね。僕だって守られてばかりではいられませんから。あなたを守りたい気持ちは、僕も同じなんですよ。いざとなったら、あなたをお守りするためには手段も選ばない覚悟です」
「桐島さん……」
わたしはこの時まで、彼の覚悟を見くびっていたのかもしれない。父の葬儀の時、彼が確かに里歩から秘書としての覚悟を問われていたことは憶えていたけれど。そこまで強い覚悟を持って働いてくれていたなんて。
「心配してくれてありがと。貴方はホントに優しいね。でも大丈夫! そんなに危ない橋は渡らないから。……多分」
「多分? 多分って何ですか多分って」
「何でもないよー。さあ、今日も頑張ろう!」
「……はーい」
彼からの鋭いツッコミを見事にスルーして、わたしはごまかすように彼の肩をポンと叩いた。
* * * *
――その日の夕食後、自室で学校の予習復習を終えたわたしは、ふと思い立って机の上のノートPCを起動させた。
ネット犯罪や、SNSでの嫌がらせなどの調査に特化した調査会社はないものか――。それも、正規のルートでは特定できないようなことまで独自のルートで調べ上げてしまえるような。
検索エンジンに「調査会社 ネット関係」というキーワードを打ち込み、エンターキーを叩くと数多くの業者がヒットしたけれど、そこからさらに「独自ルート」というワードで絞り込むと、いくつかの会社や個人事務所だけが残った。
「……あ、ここなんかいいかも」
わたしがそこで目をつけたのは、新宿にある一軒の個人事務所。WEBサイトのPRコメントには「独自のコネクションを駆使して、警察にも特定できないありとあらゆるネットトラブルの原因を特定します!」と強気な内容が書かれていて、興味をそそられた。
サイトにアクセスすると、そこは一組の男女だけで切り盛りしている零細企業らしく、所長さんは元警視庁捜査一課の警部補だったという、元刑事さんの事務所なのに、堂々と警察組織にケンカを売っているのが何だか面白いなと思った。
「まずはお気軽に、相談内容をメールで送って下さい」とあったので、サイトに記載されているメールアドレス宛てに相談したい内容を送信した。連絡先を書き込んでおけば、後から直接電話がかかってくるらしい。
『サイトを拝見しました。わたしは篠沢絢乃と申します。
実は、わたしの大切な人が現在、Xで誹謗中傷の被害に遭っています。それはすでにかなり拡散されているようで、彼のプライバシーを特定しようとする動きもあるみたいです。犯人は裏アカウントを使っているようで、警察や他の調査会社では特定するのが難しそうです。
この件での調査を、ぜひそちらでお願いできないでしょうか。わたしはどうしても、彼を助けたいんです。
このメールを読んで頂けたら、連絡をお願いします。詳しいお話は電話でさせて頂こうと思います。携帯番号は 090―〇〇××― …………』
「――今日中には電話かかってこないだろうから、明日かな……」
とりあえず翌日まで連絡待ち、ということにして、PCを閉じてからスマホでLINEのアプリを開くといくつかの業者の公式アカウントと、貢から新着通知が来ていた。
〈絢乃さん、今日は僕のことを心配して下さってありがとうございます。
僕は本当に大丈夫です。兄からも電話がかかってきて、「あんな書き込み気にすんな!」って言われました。言われるまでもないですけど(笑)
絢乃さんはあれから、何か動きがありました?〉
〈さっき、ネットで見つけた調査会社に相談内容をメールした。今連絡待ち。
場合によっては、わたし明日は会社休むかも。また連絡するね!〉
返信を終えたところで、登録外の番号から電話がかかってきた。番号からして固定電話ではなく、携帯電話らしい。
「――はい、篠沢ですけど……。どちらさまでしょうか?」
『篠沢絢乃さんの番号で間違いないですよね。こちら、〈U&Hリサーチ〉です。先ほどご相談のメール、下さいましたよね?』
「ああ……、はい」
電話の声は、まだ若い女性のようだった。二十歳前後くらいだろうか。
『メール、拝見しました。それで、詳しい相談内容なんですけど。かなりお困りのようなので、明日にでも一度事務所に来て頂けないかと。そこで所長も交えて詳しいお話をしましょうか。調査料金についても』
「はい。……あの、わたし、学校があるので伺うのは夕方になると思うんですけど」
『大丈夫ですよ。所長にもそう伝えます。事務所の場所は分かります?』
「ええ、分かります。ホームページに住所が載ってましたから。では明日、よろしくお願いします。失礼します」
やっぱり会社は休むことになりそうだ。――わたしは急いで母のいるリビングへと下りて行った。