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作者: 京泉
ほどける
 虫の声が幾重にも重なり、風に乗って微かに音楽が聞こえる。
 まるで虫の声がその音楽に合わせて歌っているかのような初夏の夜。

 ⋯⋯なんて逃避を許さないとアーテナの表情が語っている。

「⋯⋯何と嘆かわしい」

 私達の話を聞き終え、そう呟いたアーテナは席を立つと窓辺に歩み寄った。

「つまり、王女殿下はルセウス殿を手に入れたいが為、アメディアとリシア家に嫌がらせをしていると言うのだな?」

 ルセウスをチラリとみて再び「嘆かわしい」と頭を押さえたアーテナに私とアイオリア様は苦笑する。

「おまけに王女殿下は嫌がらせを越えた事にまで手を染めている⋯⋯その証拠を手に入れる為、王女殿下を好きに行動させてアメディアが囮になる事にしたと」

 今度は私を見て優しく微笑んだ。

「アメディア、囮とは危険な事だと分かっているのか? アメディアは騎士でも無ければ訓練を受けているわけでもない」
「危険でもリシア家を守るには私が恨まれているのだから私だけに目を向けさせる事が最適だと思うの。それがルセウスにもアイオリア様にも迷惑をかけてしまっているけれど⋯⋯」
「そうか⋯⋯本来なら私がリシア家を背負うものだったのに、アメディアに背負わせてしまって、すまない」

 私は慌てて首を横に振った。

 確かに貴族の娘として生まれたなら政略結婚をして家の為に生きるのかもしれないけど、それでも私の気持ちとしてはアーテナが愛する人に出会い、寄り添えている事を喜んでいる。

 そんな私の心を見透かすようにアーテナはルセウスには少し厳しい視線を向けた。

「ルセウス殿はアメディアと幼少の頃より共にあり、私も信頼している男だ。だからこそリシア家を継ぐ二人に政略が絡まない事を嬉しく思っている。ルセウス殿、この子を決して裏切るなよ」
「勿論です。リシア家とディアを護るのは私の望みです。それに、王女殿下のなさりよう⋯⋯王族だからと許される範疇を超えています」

 腰をさすりながらの少し情けない姿勢から発せられた強いルセウスの言葉を聞いて安心したようにアーテナは微笑んだ。
 私はこの微笑みがとても好きだったの。
 
 アーテナは優しい姉だった。ただ甘やかす優しさではなく、道理が通らない事を叱る厳しさがあり叱った後には必ず微笑んでくれた。
 私はその微笑みにアーテナが厳しいのは愛情があるからだと幼心に感じていた。

「今回の呼び出しは王太子殿下。不思議に思っていたがこれで合点がいく⋯⋯なるほど王女殿下に甘過ぎる陛下では話しにならない、と言う事か⋯⋯ところで、話に出ていたセオス、とは誰だ」
「あっ、ええっと」

 しまった。
 遠縁の子だとセオス様の力でリシア家の者とルセウス達には思い込まされているけれどアーテナはセオス様を知らない。
 どう説明したら良いか悩んで言葉を探していると、良いタイミングでゴウト辺境伯がアーテナを迎えに来たと呼ばれて私は「助かった」と思ってしまった。

「ああ、長居してしまったな。明日リシア家へ行く。その時にゆっくりと話そう」
「エントランスまでエスコートいたします」
「うむ、アイオリア殿。今夜はそなたの婚約者探しを兼ねていると聞いているが私なぞエスコートしてもよろしいのか」
「探しているのは俺ではありませんから」
「ほう⋯⋯アイオリア殿もなかなか苦しいお立場なのだな。ならば私は健闘を祈ろう」
「──っ、お心違い、痛み入ります」

 アーテナの妙な言い回しにアイオリア様が一瞬息を飲んだ。
 アイオリア様は慕う相手が居る。先の濁された言葉から察するにそれは互いの身分違いが障害なのかな。
 もし、そうならアーテナはアイオリア様に自分を重ねたのかも知れない。アーテナも辺境伯家に嫁ぐには子爵家では身分が違うと反対されていたから。
 アーテナとゴウト辺境伯はそれらを黙らせる為に努力だけではなく様々な手を打ち婚姻を認めさせたのよね。今では最強の守護夫婦と呼ばれるほどになったけれど。

 二人の姿がパタリと閉じた扉で見えなくなって私とルセウスはお互いに顔を見合わせ一息ついた。
 
「ルセウス⋯⋯嫌な事、させてごめんなさい。それから、ありがとう。リシア家を護るって言ってくれて」
「当然だ。私はディアを護ると誓った。それはリシア家を護る事でもある」

 ルセウスは私を護ると言ってくれる。それがこんなにも嬉しい。
 
やり直しなのだからディーテ様に憎まれたり嫌がらせをされたりと同じ出来事が起きる。
 そして、ディーテ様がルセウスを気に入ったように人の心も前回と同じ⋯⋯なのだ。

 はっきりとした説明をしなさいと言われても難しいけれど何となく、分かって来た気がする。
 前回のように偽物聖女にさせられないようにしている私と、前回のように後悔しないようにしているルセウス。
 ルセウスの後悔。それは⋯⋯神殿へ押し込められ独りで終わりを迎えた私の事。
 セオス様の奇跡に救われた私は今ここに居られるけれど、奇跡が起きなかったら私はあのまま独りで終わっていた。
 前回の記憶は夢でしかないのにそれを後悔しているルセウスはディーテ様に傾心して私を捨てたのではなく、何らかの事情で会いに来れなかったのではないか、手紙が届かなかったのではないか、前回のルセウスは私を助けようとしてくれていたのではないかと。

「私達も帰ろう」

 ルセウスは立ち上がって私に手を差し伸べてくれる。

 たった独りの神殿。挨拶が返って来ない朝。祈りが届かない昼。空虚な夕方。寂しさに泣いた夜。思い出される前回の景色。

 未来の一年間。私はこの手をずっと待っていた。

「ルー⋯⋯ス」
「!?」
「帰ったら、話したい事があるの⋯⋯信じられないかも知れない、呆れるかも知らない。けれど話さないといけない事なの」
「ディア、今⋯⋯」
「私が体験した事、私の本当の気持ち、聞いて欲しいの」

 私は差し出されたルセウスの手を取って立ち上がると、ルセウスはその手をしっかりと握り締めてくれた。

「聞こう。どんな話でも私は信じる」
「ありがとう」

 信じる。
 そう言ってくれたルセウスを私は信じようと思う。

 私が握った手に力を込めるとルセウスも応えるように握り返してくれた。
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