R-15
あくまの進化論
前向きに生きていこうと誓ったからといって、心身は急には快復しない。なんとかなったのは、死を怖れるばかりではなく残された時間を愛おしいものとする気構えだけ。
病に侵される以前のあたしに戻るにはまだたくさんの時間が必要だ。少しずつ行動を修正して慣らしていかなければいけない。まずはベッドの上でゴロゴロとしながら考えにふけることから始めよう。ただし、死を意識してはいけない。つまらないことでもいいから他のことを考えなければならない。気になるのはあたしに死の宣告をしてくれたあの気味の悪い生物のことだ。ヤツはなんの為にあたしに憑依するのか。これまでどんな人間に憑依してきたのか。憑依された人間はどんな人生を送ったのか。あまりの恐怖に狂ってしまうことはなかったのだろうか。
名前を呼べばまた現れるのだろうか。異様な存在ではあるけれどヤツを受け容れようと腹を括っている。昔どこかで会ったことでもあるのだろうか。なんだか懐かしいような気さえする。
「デッド。出ておいで。」
ヤツに名前をつけることに迷いはなかった。相応しいと思ったし、最も似合っているような気がしたのだ。
デッドは半透明のまま天井から降りてきて、あたしの前に立つと姿を鮮やかにさせた。
天井裏にでも隠れていたのかと尋ねたが、そういうわけではないらしい。演出をしただけで、天井裏に隠れていたのではなく、実は姿を隠したままあたしのすぐ傍にいたらしい。別にそんな気の利いた演出いらないから。
「デッド。いい名前を付けてくれて有難うな。」
いいえ、お構いなく。ソイツはとても人懐っこい。それが憎み切れない原因かもしれない。ソイツの姿形を確認する為に眺めていたら、
「あんまり見つめられると照れるんだけどさあ。」
人間の餓鬼みたいなことを言う。思わず吹き出してしまう。
ねえ。色んな話を聞かせてよ。生まれてきたときの話でも、どんな人間に憑依してきたのか。それらの人間はどうやって残された時間を過ごしてきたのかのでもなんでもいい。あたしは悪魔の存在なんて未だに信じられないのだから。
「そうか。いいぜ。これまでに張り付いた人間達もオレに興味を持ってくれた。同じようなことをみんなに聞かれたものさ。」
ソイツは俯いて軽く舌打ちをした。仕方ねえなあ、みたいな感じで。こいつの所作はどこか女の子を意識した男の子みたいで癪に障る。デッドは天を仰ぐような仕草でゆっくりと語り始めた。格好つけんな。
「優江はオレのことを悪魔と呼ぶけれど、オレ達デモンは悪魔とは異なるものなんだよね。オレは悪魔に出会ったことはないけれど、悪魔とは人間の身体を乗っ取ってしまうらしい。人間の身体から魂を追い出してしまうと聞いた。それは人間に限ったことではなく、地球上のどんな生物の身体を乗っ取ることも可能なんだそうだ。」
なぜそんなことをするの?
「優江がその質問をするのは二回目だな。なぜオレがおまえに張り付くのかと聞いた。そして、優江以外の人間も必ずそれを尋ねるものだな。すべての存在や営みに目的を求める。そらが造った自然の成り行きに身を任せるのが苦手なんだろうな。」
この世に存在する意味のない生物などいるはずがない。言い換えれば、なにか意味があって生きているのではないだろうか。
「悪魔が生物の身体を乗っ取ることの意味も、オレがおまえに張り付く意味も分からないけどデモンの目的は死期の見える人間に張り付くことなんだ。それ以上を求められても応えられないし、ましてや別の目的を探そうとは絶対にしない。そらに与えられた使命をまっとうすることだけが有意義なことなのさ。」
それだ。デッドがよく口にするそらというものの存在があたしには解せない。想像すらつかない。デッドはそらに会ってそらから直接、人間に憑依しなさいと命令されたのか。
「そうだね。オレは生まれたときにはっきりと人間を見守りなさいと言いつけられたことを覚えているよ。」
あたしはそらからなにかを為し遂げなさいなどと命令されたことはないよ。あたしだけじゃない。他の人間もみんな同じだと思うけど。人間という単語を口にするのは抵抗を感じた。
「デモンと人間には大きな違いがある。人間は生殖によって子を残す。デモンは生殖が行えない。だから、必要になればそらがデモンを造ってくれるのさ。だから、そらの話を聞くことが出来る。人間はそういうものではない。おそらくこの世に最初に造られた人間はそらの声を聞いているはずだ。なにを為すべきだと指示を与えられたはずなんだ。それを子に伝えてこなかっただけなんじゃないかな。」
この世に初めて生まれた人間とはなんなの。人間とは猿が進化したものじゃないの。その猿もずっと昔はねずみだったり、海の微生物だったのではないの。
「進化というものだね。本当のところは知らないけど、オレはあまりその理論を信じてはいない。海の中の微生物がすべて進化をしてねずみになって猿になってやがて人間になるとしたら、どうして微生物は存在し続けるのだろう。段階を踏んで人間になることが宿命なら、もうとっくにすべての微生物は人間に近付いているのではないかな。微生物が人間になるための通過点であるねずみや猿の数がたいして変わらないのはなぜだろう。」
やばい。軽い気持ちで話を聞こうと思っただけなのに、デッドの思慮はとても深い。ヤツの話を面白いと感じた。話すことが人間離れしている。さすがあたし達とは違う生き物だけある。
「実はオレなりにちょっとした答えを持っているんだ。例えば猿は二十代子供を生み続けると、二十一代目の子供は人間として生まれるんだ。厳密にいうとそらが猿を人間に変えるんだ。同じように二十一代目のねずみはそらによって猿に変えられる。そうするとすべての生きものの原点である微生物が減っていく。猿やねずみの数が足りなくなることがあるかもしれない。それは困るからそらは無から微生物や猿やねずみを造るんだ。そうすることによって人間に近い猿と、程遠い猿が存在することになるんだ。」
ちょっと待ってよ。どうして微生物がいなくなったら困るのよ。どうしてすべてが人間になったら困るのよ。
「種にはバランスが必要だろう。微生物を餌としている生き物が窮するだろう。そして、人間ばかりの世界をそらが望んでいないのだろうな。」
随分隙のある理論かもしれないけど、それはあたしの常識を当てはめようとするからだろう。意外と真実というのはそういうものかもしれない。あたしはちょっと話題を変えた。デッドは死というものをどう捉えているのだろう。怖くはないのだろうか。
「死に怯えたことはないかな。でも人間達はみんな震えるよな。もちろん優江も。それを見ると死に対する意識が足りないのかと疑ったりはするな。むしろ教えて欲しい。優江はなぜ死が怖いと感じるんだい。」
それはあたしにも分からない。だからこそデッドに聞いたのだ。おじいちゃんのことをよく想い出す。きっとおじいちゃんも怖かっただろう。あたしは亡くなったおじいちゃんを可哀想だと思ったけど、間もなく死ななければならない自分を可哀想だとはあまり思わない。ただただ怖いだけなのだ。怖い思いをしなければならないあたしは可哀想かもしれないけど、それはちょっと死ぬことが可哀想というのとは意味が違う。
恐怖もない、誰も泣かない状況であるのならば、死に従順でいられるかもしれない。ああ、お迎えがきたのだなとおじいちゃんのときと同じように受け容れられるのかもしれない。
「なるほど。優江の言うことが僅かだけど飲み込めるな。オレは死は怖くはないし、死んでいく自分が可哀想だとも勘えない。ただ、消えていく命を惜しんだことはある。優江の前に張り付いた人間は幼い男の子だった。その子は十歳で死ぬことが定められていた。人間の十歳はまだあどけない。あまりに死が早すぎると哀れんだものさ。」
むっとした。あたしだって十五歳でこの世を去らなければならないのだ。その男の子と大差ない。なんでデッドはあたしのことを哀れむことをしないのか。
病に侵される以前のあたしに戻るにはまだたくさんの時間が必要だ。少しずつ行動を修正して慣らしていかなければいけない。まずはベッドの上でゴロゴロとしながら考えにふけることから始めよう。ただし、死を意識してはいけない。つまらないことでもいいから他のことを考えなければならない。気になるのはあたしに死の宣告をしてくれたあの気味の悪い生物のことだ。ヤツはなんの為にあたしに憑依するのか。これまでどんな人間に憑依してきたのか。憑依された人間はどんな人生を送ったのか。あまりの恐怖に狂ってしまうことはなかったのだろうか。
名前を呼べばまた現れるのだろうか。異様な存在ではあるけれどヤツを受け容れようと腹を括っている。昔どこかで会ったことでもあるのだろうか。なんだか懐かしいような気さえする。
「デッド。出ておいで。」
ヤツに名前をつけることに迷いはなかった。相応しいと思ったし、最も似合っているような気がしたのだ。
デッドは半透明のまま天井から降りてきて、あたしの前に立つと姿を鮮やかにさせた。
天井裏にでも隠れていたのかと尋ねたが、そういうわけではないらしい。演出をしただけで、天井裏に隠れていたのではなく、実は姿を隠したままあたしのすぐ傍にいたらしい。別にそんな気の利いた演出いらないから。
「デッド。いい名前を付けてくれて有難うな。」
いいえ、お構いなく。ソイツはとても人懐っこい。それが憎み切れない原因かもしれない。ソイツの姿形を確認する為に眺めていたら、
「あんまり見つめられると照れるんだけどさあ。」
人間の餓鬼みたいなことを言う。思わず吹き出してしまう。
ねえ。色んな話を聞かせてよ。生まれてきたときの話でも、どんな人間に憑依してきたのか。それらの人間はどうやって残された時間を過ごしてきたのかのでもなんでもいい。あたしは悪魔の存在なんて未だに信じられないのだから。
「そうか。いいぜ。これまでに張り付いた人間達もオレに興味を持ってくれた。同じようなことをみんなに聞かれたものさ。」
ソイツは俯いて軽く舌打ちをした。仕方ねえなあ、みたいな感じで。こいつの所作はどこか女の子を意識した男の子みたいで癪に障る。デッドは天を仰ぐような仕草でゆっくりと語り始めた。格好つけんな。
「優江はオレのことを悪魔と呼ぶけれど、オレ達デモンは悪魔とは異なるものなんだよね。オレは悪魔に出会ったことはないけれど、悪魔とは人間の身体を乗っ取ってしまうらしい。人間の身体から魂を追い出してしまうと聞いた。それは人間に限ったことではなく、地球上のどんな生物の身体を乗っ取ることも可能なんだそうだ。」
なぜそんなことをするの?
「優江がその質問をするのは二回目だな。なぜオレがおまえに張り付くのかと聞いた。そして、優江以外の人間も必ずそれを尋ねるものだな。すべての存在や営みに目的を求める。そらが造った自然の成り行きに身を任せるのが苦手なんだろうな。」
この世に存在する意味のない生物などいるはずがない。言い換えれば、なにか意味があって生きているのではないだろうか。
「悪魔が生物の身体を乗っ取ることの意味も、オレがおまえに張り付く意味も分からないけどデモンの目的は死期の見える人間に張り付くことなんだ。それ以上を求められても応えられないし、ましてや別の目的を探そうとは絶対にしない。そらに与えられた使命をまっとうすることだけが有意義なことなのさ。」
それだ。デッドがよく口にするそらというものの存在があたしには解せない。想像すらつかない。デッドはそらに会ってそらから直接、人間に憑依しなさいと命令されたのか。
「そうだね。オレは生まれたときにはっきりと人間を見守りなさいと言いつけられたことを覚えているよ。」
あたしはそらからなにかを為し遂げなさいなどと命令されたことはないよ。あたしだけじゃない。他の人間もみんな同じだと思うけど。人間という単語を口にするのは抵抗を感じた。
「デモンと人間には大きな違いがある。人間は生殖によって子を残す。デモンは生殖が行えない。だから、必要になればそらがデモンを造ってくれるのさ。だから、そらの話を聞くことが出来る。人間はそういうものではない。おそらくこの世に最初に造られた人間はそらの声を聞いているはずだ。なにを為すべきだと指示を与えられたはずなんだ。それを子に伝えてこなかっただけなんじゃないかな。」
この世に初めて生まれた人間とはなんなの。人間とは猿が進化したものじゃないの。その猿もずっと昔はねずみだったり、海の微生物だったのではないの。
「進化というものだね。本当のところは知らないけど、オレはあまりその理論を信じてはいない。海の中の微生物がすべて進化をしてねずみになって猿になってやがて人間になるとしたら、どうして微生物は存在し続けるのだろう。段階を踏んで人間になることが宿命なら、もうとっくにすべての微生物は人間に近付いているのではないかな。微生物が人間になるための通過点であるねずみや猿の数がたいして変わらないのはなぜだろう。」
やばい。軽い気持ちで話を聞こうと思っただけなのに、デッドの思慮はとても深い。ヤツの話を面白いと感じた。話すことが人間離れしている。さすがあたし達とは違う生き物だけある。
「実はオレなりにちょっとした答えを持っているんだ。例えば猿は二十代子供を生み続けると、二十一代目の子供は人間として生まれるんだ。厳密にいうとそらが猿を人間に変えるんだ。同じように二十一代目のねずみはそらによって猿に変えられる。そうするとすべての生きものの原点である微生物が減っていく。猿やねずみの数が足りなくなることがあるかもしれない。それは困るからそらは無から微生物や猿やねずみを造るんだ。そうすることによって人間に近い猿と、程遠い猿が存在することになるんだ。」
ちょっと待ってよ。どうして微生物がいなくなったら困るのよ。どうしてすべてが人間になったら困るのよ。
「種にはバランスが必要だろう。微生物を餌としている生き物が窮するだろう。そして、人間ばかりの世界をそらが望んでいないのだろうな。」
随分隙のある理論かもしれないけど、それはあたしの常識を当てはめようとするからだろう。意外と真実というのはそういうものかもしれない。あたしはちょっと話題を変えた。デッドは死というものをどう捉えているのだろう。怖くはないのだろうか。
「死に怯えたことはないかな。でも人間達はみんな震えるよな。もちろん優江も。それを見ると死に対する意識が足りないのかと疑ったりはするな。むしろ教えて欲しい。優江はなぜ死が怖いと感じるんだい。」
それはあたしにも分からない。だからこそデッドに聞いたのだ。おじいちゃんのことをよく想い出す。きっとおじいちゃんも怖かっただろう。あたしは亡くなったおじいちゃんを可哀想だと思ったけど、間もなく死ななければならない自分を可哀想だとはあまり思わない。ただただ怖いだけなのだ。怖い思いをしなければならないあたしは可哀想かもしれないけど、それはちょっと死ぬことが可哀想というのとは意味が違う。
恐怖もない、誰も泣かない状況であるのならば、死に従順でいられるかもしれない。ああ、お迎えがきたのだなとおじいちゃんのときと同じように受け容れられるのかもしれない。
「なるほど。優江の言うことが僅かだけど飲み込めるな。オレは死は怖くはないし、死んでいく自分が可哀想だとも勘えない。ただ、消えていく命を惜しんだことはある。優江の前に張り付いた人間は幼い男の子だった。その子は十歳で死ぬことが定められていた。人間の十歳はまだあどけない。あまりに死が早すぎると哀れんだものさ。」
むっとした。あたしだって十五歳でこの世を去らなければならないのだ。その男の子と大差ない。なんでデッドはあたしのことを哀れむことをしないのか。