R-15
白い巨塔
ある日の午前中、あたし達は市内の比較的大きな総合病院に来ていた。最初は内科を受診するも,一通り症状を話したところ心療内科と言うところに行くことを勧められた。あたしはお母さんの手を取って
「大丈夫?すぐ診てもらえるみたいだから安心してね。」
お母さんは気分がすぐれないのであろう、片手で軽く口を押さえて
「ありがとう。ごめんね、優江。」
と、か細い声で返事をした。お母さんいないところでお父さんから聞いた話だが、昨晩のお母さんはずっとずっと泣いていたらしい。先日のお通夜や告別式では涙はちらつかせる程度にしか見せなかったが、あたしと同じ様に抑え込んでいた気持ちが爆発してしまったのだろう。お父さんと一緒に布団に入っても眠れなかったようで、夜中にリビングのソファにもたれかかって泣いているところをお父さんが見つけたらしい。そこからは我が子が事故にあった不運さ、事故を起こした男への怒り、そして、長い間愛し続けた我が子への想いと思い出を涙しながら、お父さんに吐露し続けたらしい。
朝食の時間になっても自分の作った料理を口にしては嘔吐を続けた。さすがにお父さんが見かねて一緒に病院へ行こうとなって今、こうして心療内科の待合室で診察の順番を待っているといった具合だ。いよいよお母さんの名前が呼ばれてお母さんはひとりで診察室に入って行った。
ここは真っ白ばかりが目につく病院。この病院だけではないのだろうけど、どうして病院というものはこんなにも白を基調とした作りにしているのだろうか。あたしは最近になってから白が嫌いになってきた。ワンポイント的に白が存在するのは平気なのだけど、あまりにも真っ白が目立つ配色は嫌いだ。どうしてだろう。なんとなく白という色はどこまでも続いていそうな果てしのない印象を与えるから嫌だったのかもしれない。そんなしようもないことを考えているときに診察室のドアが再び開いた。
「ご家族の方もどうぞ。」
そう診察室の中の看護師さんに言われてお父さんと一緒にその部屋の中に入った。あたしなんかも一緒に入っていいのかな?と思ったけど、お父さんはなにも言わなかった。診察室の奥からお母さん、お父さん、そしてあたしの順番に並んで座って医者の話を聞いたの。
「息子さんを亡くされたショックで一時的なうつ状態になっていると考えられます。うつは心と体の病気です。今まで当たり前に出来ていた色々な作業が出来ないからといって怠けているのではありません。ストレスや大きな悲しみなどで心の器がいっぱいいっぱいになっている状態です。安定剤と睡眠剤を1カ月分処方致します。調子が上向いてきたからといって決して途中で服用を中断しないで下さい。」
そこまで話をして医者はお父さんとあたしに小冊子を手渡した。「うつ病の治療を行うために」というタイトルだった。
「多くのうつ病の患者さんは元来、生真面目な人が多いです。ですからまだ、治療や療養が必要である状態であるにも関わらず、無理をして頑張ってしまうことがよくあります。ですからお母さんに、頑張って。など追い込むようなアドバイスをするのは避けてあげて下さいね。」
分かりやすい様で、何となく腑に落ちない話を聞いた後、3人で医者に頭を下げて診察室を出た。
お母さん。とっても辛いけど無理しないで少しずつ元気になってね。
次の日の朝は、学校に行くのがとても億劫だった。きっとクラスのみんなは心配してくれているとは思うけど。逆にそのことが煩わしくも感じていたわ。出来れば、あの悪夢のような出来事を誰も知らないでいるかのように触れないでいて欲しかった。学校に行きたくない言い訳に家でお母さんのお手伝いでもしていようか、ともちかけた。しかし、
「ありがとう。優江。でも大丈夫よ。優江も少しでも早くいつもの生活に戻れるようになってね。」
と切り返された。そうなんだよな。あたしもいつまでも学校を休んではいられないのよね。しっかり立ち直らないと家族にもその他の周りの人にも迷惑をかけることになるんだよな。立ち直ったふりでもいいからそうしないとね。
外は僅かに雨が降っていた。夏の雨なのになんだか冷たかった。途中何度か躊躇ったけどなんとか学校まで来てしまった。恐らく思い込みなのだろうがみんなの視線が自分に集まっているように感じた。その視線はとても鋭いのよ。視線の針をすり抜けてなんとか自分のクラスに辿り着いた。でも、ここでもまた特別な針を刺し向けられるだろう。しかも今度は逃げ場もない。スーッと大きく息を吸い込んでゆっくりとドアを開けて教室に入っていった。
「おはよう、優江。」
潜めていた息がフーッと音を立てて一気に体外に放出された。元気な声の主は」彼女以外には想像もつかない。。
「おはよう。美羽ちゃんもわたしも優江のこと待っていたよ。」
通学用のバッグを自分の席に置く間もなくあたしは教室の後ろの隅っこにあるいつもの3人の溜まり場に引っ張って連れてこられた。なんだかやや強引にあたしの日常に戻されたような気がしたわ。かえってありがたいと感じたわ。
いつもは笑顔だけが似合うこの場所で、果歩ちゃんも美羽ちゃんも真面目な顔をしている。
「今は色々辛いよね。出来ることがあったらふたりでなんでもするから遠慮なく言ってね。」
傍でその会話を聞いていた男子達数人も
「俺達も手伝えることあったらなんでもやるから、ゆっくり元気出してな。」
そう言ってもらうことで、あたしは朝から感じていた緊張感と動悸を体から大分取り除くことが出来たわ。ありがとう。
あたしが教室に入って数分後、教室の前方のドアから大葉先生が入ってきた。先日は岳人のお通夜に来てくれたこの人にとても感謝したはずなのに、今日はやっぱりこの人の顔を見るのがとても嫌だったわ。その瞬間からあたしの顔は再び強張り、肩の筋肉にも力が入った。肩が痛く感じたので2,3回軽く回してみる。するとまたゴリゴリ、ギョリギョリと鈍い音を出す。体の錆はまだ落ちてはいない。心の垢もまだ当然落ちてはいない。
今日の先生の装束は彼のお気に入りの上下共に緑色のジャージ姿。夏草のような緑色の中に蛍光の黄色のラインが入っているというあたしには考えられないセンスの恰好をしているわ。日直の生徒の挨拶で朝のホームルームが始まる。先生は淡々と出席をとり、それが終えた後も先日あたしの身の周りで起こった悪夢にはなにも触れないでいてくれた。あたしはホッとしたが、先生があのような態度をとってくれたのはあの人なりの気遣いなのか、気が利かないだけなのか。何事も無く朝のホームルームが終了すると思っていた。しかし、不幸な知らせは最後にやってきた。
「以前から連絡していたように今日から放課後に個別の進路相談を始める。日程と順番についてはこれからプリントを配布するので、それに従って進路相談を受けるように。」
あたしがまず疑問なのは相談って言うのは困っている人から「相談をしたい。」って助けを求めるものではないの?相談員が先に存在して人を勝手に呼び出して、「頑張れ!」とか「お前ならきっと出来る!」なんて言葉を並べられるのは果たして相談と言えるのだろうか。一言言ってやりたい。「頑張れ。」なんて言葉は軽々しく使っちゃいけないんだよ。それで心が傷付くうちのお母さんみたいな人もいるかもしれないのだから。まあこの手の進路相談なんてものは教師や一部の大人が自己満足を得るために行う儀式の様なものだろう。配られてきたプリントに目を通すと、そこにはまた気味の悪くなる文字になるようなことが書かれていた。「1日目 6人目 的間優江」最悪。よりにもよって先生の気合いが十分に入っていそうな初日に面談なんて。寒々しいため息があたしの口から出た。
「大丈夫?すぐ診てもらえるみたいだから安心してね。」
お母さんは気分がすぐれないのであろう、片手で軽く口を押さえて
「ありがとう。ごめんね、優江。」
と、か細い声で返事をした。お母さんいないところでお父さんから聞いた話だが、昨晩のお母さんはずっとずっと泣いていたらしい。先日のお通夜や告別式では涙はちらつかせる程度にしか見せなかったが、あたしと同じ様に抑え込んでいた気持ちが爆発してしまったのだろう。お父さんと一緒に布団に入っても眠れなかったようで、夜中にリビングのソファにもたれかかって泣いているところをお父さんが見つけたらしい。そこからは我が子が事故にあった不運さ、事故を起こした男への怒り、そして、長い間愛し続けた我が子への想いと思い出を涙しながら、お父さんに吐露し続けたらしい。
朝食の時間になっても自分の作った料理を口にしては嘔吐を続けた。さすがにお父さんが見かねて一緒に病院へ行こうとなって今、こうして心療内科の待合室で診察の順番を待っているといった具合だ。いよいよお母さんの名前が呼ばれてお母さんはひとりで診察室に入って行った。
ここは真っ白ばかりが目につく病院。この病院だけではないのだろうけど、どうして病院というものはこんなにも白を基調とした作りにしているのだろうか。あたしは最近になってから白が嫌いになってきた。ワンポイント的に白が存在するのは平気なのだけど、あまりにも真っ白が目立つ配色は嫌いだ。どうしてだろう。なんとなく白という色はどこまでも続いていそうな果てしのない印象を与えるから嫌だったのかもしれない。そんなしようもないことを考えているときに診察室のドアが再び開いた。
「ご家族の方もどうぞ。」
そう診察室の中の看護師さんに言われてお父さんと一緒にその部屋の中に入った。あたしなんかも一緒に入っていいのかな?と思ったけど、お父さんはなにも言わなかった。診察室の奥からお母さん、お父さん、そしてあたしの順番に並んで座って医者の話を聞いたの。
「息子さんを亡くされたショックで一時的なうつ状態になっていると考えられます。うつは心と体の病気です。今まで当たり前に出来ていた色々な作業が出来ないからといって怠けているのではありません。ストレスや大きな悲しみなどで心の器がいっぱいいっぱいになっている状態です。安定剤と睡眠剤を1カ月分処方致します。調子が上向いてきたからといって決して途中で服用を中断しないで下さい。」
そこまで話をして医者はお父さんとあたしに小冊子を手渡した。「うつ病の治療を行うために」というタイトルだった。
「多くのうつ病の患者さんは元来、生真面目な人が多いです。ですからまだ、治療や療養が必要である状態であるにも関わらず、無理をして頑張ってしまうことがよくあります。ですからお母さんに、頑張って。など追い込むようなアドバイスをするのは避けてあげて下さいね。」
分かりやすい様で、何となく腑に落ちない話を聞いた後、3人で医者に頭を下げて診察室を出た。
お母さん。とっても辛いけど無理しないで少しずつ元気になってね。
次の日の朝は、学校に行くのがとても億劫だった。きっとクラスのみんなは心配してくれているとは思うけど。逆にそのことが煩わしくも感じていたわ。出来れば、あの悪夢のような出来事を誰も知らないでいるかのように触れないでいて欲しかった。学校に行きたくない言い訳に家でお母さんのお手伝いでもしていようか、ともちかけた。しかし、
「ありがとう。優江。でも大丈夫よ。優江も少しでも早くいつもの生活に戻れるようになってね。」
と切り返された。そうなんだよな。あたしもいつまでも学校を休んではいられないのよね。しっかり立ち直らないと家族にもその他の周りの人にも迷惑をかけることになるんだよな。立ち直ったふりでもいいからそうしないとね。
外は僅かに雨が降っていた。夏の雨なのになんだか冷たかった。途中何度か躊躇ったけどなんとか学校まで来てしまった。恐らく思い込みなのだろうがみんなの視線が自分に集まっているように感じた。その視線はとても鋭いのよ。視線の針をすり抜けてなんとか自分のクラスに辿り着いた。でも、ここでもまた特別な針を刺し向けられるだろう。しかも今度は逃げ場もない。スーッと大きく息を吸い込んでゆっくりとドアを開けて教室に入っていった。
「おはよう、優江。」
潜めていた息がフーッと音を立てて一気に体外に放出された。元気な声の主は」彼女以外には想像もつかない。。
「おはよう。美羽ちゃんもわたしも優江のこと待っていたよ。」
通学用のバッグを自分の席に置く間もなくあたしは教室の後ろの隅っこにあるいつもの3人の溜まり場に引っ張って連れてこられた。なんだかやや強引にあたしの日常に戻されたような気がしたわ。かえってありがたいと感じたわ。
いつもは笑顔だけが似合うこの場所で、果歩ちゃんも美羽ちゃんも真面目な顔をしている。
「今は色々辛いよね。出来ることがあったらふたりでなんでもするから遠慮なく言ってね。」
傍でその会話を聞いていた男子達数人も
「俺達も手伝えることあったらなんでもやるから、ゆっくり元気出してな。」
そう言ってもらうことで、あたしは朝から感じていた緊張感と動悸を体から大分取り除くことが出来たわ。ありがとう。
あたしが教室に入って数分後、教室の前方のドアから大葉先生が入ってきた。先日は岳人のお通夜に来てくれたこの人にとても感謝したはずなのに、今日はやっぱりこの人の顔を見るのがとても嫌だったわ。その瞬間からあたしの顔は再び強張り、肩の筋肉にも力が入った。肩が痛く感じたので2,3回軽く回してみる。するとまたゴリゴリ、ギョリギョリと鈍い音を出す。体の錆はまだ落ちてはいない。心の垢もまだ当然落ちてはいない。
今日の先生の装束は彼のお気に入りの上下共に緑色のジャージ姿。夏草のような緑色の中に蛍光の黄色のラインが入っているというあたしには考えられないセンスの恰好をしているわ。日直の生徒の挨拶で朝のホームルームが始まる。先生は淡々と出席をとり、それが終えた後も先日あたしの身の周りで起こった悪夢にはなにも触れないでいてくれた。あたしはホッとしたが、先生があのような態度をとってくれたのはあの人なりの気遣いなのか、気が利かないだけなのか。何事も無く朝のホームルームが終了すると思っていた。しかし、不幸な知らせは最後にやってきた。
「以前から連絡していたように今日から放課後に個別の進路相談を始める。日程と順番についてはこれからプリントを配布するので、それに従って進路相談を受けるように。」
あたしがまず疑問なのは相談って言うのは困っている人から「相談をしたい。」って助けを求めるものではないの?相談員が先に存在して人を勝手に呼び出して、「頑張れ!」とか「お前ならきっと出来る!」なんて言葉を並べられるのは果たして相談と言えるのだろうか。一言言ってやりたい。「頑張れ。」なんて言葉は軽々しく使っちゃいけないんだよ。それで心が傷付くうちのお母さんみたいな人もいるかもしれないのだから。まあこの手の進路相談なんてものは教師や一部の大人が自己満足を得るために行う儀式の様なものだろう。配られてきたプリントに目を通すと、そこにはまた気味の悪くなる文字になるようなことが書かれていた。「1日目 6人目 的間優江」最悪。よりにもよって先生の気合いが十分に入っていそうな初日に面談なんて。寒々しいため息があたしの口から出た。