R-15
感情
翌朝、本当は体の痛みでサボりたいところだけど、先輩と話をするために学校に行く。
昨日のことは口留めしておいたけど、もう一度早めに、しっかりと言っておいた方がいいだろう。
今後どうするかは、その時にでも決めればいい。
現在時刻は10時少し前。
念のために病院で左膝の処置を受けてから学校に来たのだ。目立つところでもあるし、跡になったら嫌だから行ったのだけど、処置内容は、昨日自分でしたのとほぼ一緒で、がっかりした。
そして教室には行かずに、先に体育教官室に向かう。
そのドアをノックすると、中から「お~ぅ」と返事がある。
「失礼します」
中に入ると、やはり田沢先生一人だった。
「おう、奥只見か。ん? その膝、どうした?」
田沢先生はとっくに授業が始まっている時間なのに、それについては何も言わない。学校に来ているだけマシだとか思っているのだろうか。
「ちょっと自転車で転んでしまって」
「そうか。それで遅刻したのか?」
「そんなとこです」
「そういう時はあらかじめ連絡入れとけよ~」
そう言いながら田沢先生は日誌に遅刻内容を記入する。
「それで、聞きたいことがありまして。三年の図書委員の諏訪さんって、何組か分かりますか?」
そう、私は先輩の顔と、諏訪という苗字しか知らない。行きたくはないけど、昼休みに先輩のクラスにまで突撃する覚悟で来たのだ。
「諏訪は確か四組だな」
そう言いながら、田沢先生は体育の時の名簿で確認してくれる。
「丁度いい。その諏訪からお前に伝言があってな」
なるほど。朝、探してもいなかったから担任に伝言、という感じだろうか。さすがに先輩は要領がいい。
みんなから怖がられ、嫌厭されている田沢先生に伝言を頼めるくらいの仲、というのは意外な感じもしたけど。
「お前、図書委員に顔出すようになったんだってな。つまらんと思っていたのかもしれんが、いろいろやってみるのはいいことだぞ」
田沢先生はなぜか嬉しそうに話し出す。
「人生は長い。今の経験がどんな風に生きてくるかは誰にも分からん。熱中できるものを見つけられればいいが、そうでなくても、とにかくやってみることだ。失敗しても、いくらでもやり直しは効く」
「あの・・・」
「もう無理だと思ったら、やり直せばいい。いくらでも道はある。どんな道だっていいんだ」
「あの、伝言っていうのは」
「おう。今日の放課後、必ず図書室に来てくれだとよ。お前の働きが期待されてるんじゃないのか?」
「そうですか、ありがとうございます」
さらに話が続きそうだったので、私はさっさと体育教官室を後にした。
とにかく、図書室で待っているというなら、話は早い。
知らない人の沢山いる教室に突撃しなくて済むと分かり、急に気が楽になる。
他にやることも無いので、授業中の教室にのんびりと入っていく。
教師は無言で入ってきた生徒に何か言おうとしたけど、それが私だと分かると、何も言わずに授業に戻った。
クラスの人間だけでなく、教師たちからもこんなふうな扱いを受けていると、とても気楽でありがたい。
そして六時間目の終わり。図書室に行く準備をしながらふと廊下を見ると、そこには先輩が待っていた。
図書室で待ち合わせのような感じだったけど、待ちきれずに迎えに来たというところだろう。
私はいつものように、先輩の後について図書室に向かう。
先輩は昨日の迷路のことをどれだけ分かっているのだろうか。現実のこととして受け止めているのだろうか。
見た感じ、落ち着いているようなので大丈夫だとは思うけど、出来事全てをなかったことにしている可能性も捨てきれない。
先輩は図書室の鍵を開けると、いつものように道具箱を取りに行かずに、テーブルに着く。
今日は委員会の仕事よりも、昨日の説明ということだろう。
私もカバンを置いて、先輩の向かいに腰掛ける。
「まずこれ、昨日のタクシー代ね。ありがとう」
そう言ってきっちり半分の額を差し出してくる。そんなのはいいのに、と思いながら、受け取っておく。
「で。奥只見さん、昨日のことだけど、説明してもらえる?」
早速、先輩の質問、というか詰問が始まる。
私はどこまで言っていいものかと思うけど、考えてみれば、今の状況は私にとっても分からないことだらけだ。何かしっかりと理解しているわけでもない。
それに、隠し事を不審に思われて、昨日の『心を読む力』を使われれば、どうせ全部ばれてしまうだろう。
私は思い切って全てを話すことにする。
「あのへんな空間、私は迷路って言ってますけど、あれは『禍』っていう災いみたいなものが集まってできたものらしいです。先輩がその中に入っちゃったのは、多分、偶然です。助けようとして私もすぐに入ったんですけど、あの迷路の中と外じゃ時間の流れが違うので、先輩はかなりの時間、一人でいることになったと思います。そして私はその中で、途中でエネルギー切れになりました。それでどうにもならないところで、先輩が心を読む力を使ったら、先輩のエネルギーをもらえて、迷路を壊して脱出することができました。脱出して行き付く先はランダムなので、昨日は他の高校に出てしまいました」
自分でもよく分からない展開だけど、自分の知っていることはこの程度だ。
先輩も少し考えながら、状況を理解しようとするけど、途中で諦めたようだ。とりあえず、『よく分からないことが起きた』程度でいいから、現実だと分かってもらえればそれでいい。
「私の力には驚かないの?」
先輩は気を取り直して尋ねてくる。
「もちろん驚きました。でも、私にも人の心を読む力があるんです。私のはその人の声に集中すると、本心が聞こえてくるってものですけど。だから、そういう力もあるだろうな、とは・・・ 迷路の中では、そのせいで、先輩からエネルギーがもらえたらしいです」
「そのエネルギーって何?」
難しいことを聞いてくる。私にもピンときていなんだけど・・・
「あの迷路は『禍』からできていて、それを壊すためには反対の力である『福』が必要になるんです」
「禍福の禍と福ね」
「多分、そうです。私にはその『福』の力が少ないんだけど、先輩には『福』の力が大量にあるらしいんです。昨日は先輩の力をもらったおかげで、何とかなりました」
「私も福の力で何かできるの?」
「いえ、先輩にはいくら福の力があっても、自分では使えないらしいです」
そう答えると、先輩は少しがっかりしたようだった。
「宝の持ち腐れってわけね。それは誰が言ってるの?」
また難しいことを・・・
「その、私そっくりの、なんだろう、変なのがいて・・・」
「その人と会える?」
「多分、会えません。ソイツは自分のことを、私の幻覚、妄想の類だって言ってるので・・・ 私も見たり話したりはできるんですけど、触ることはできません」
「・・・奥只見さんは自分の幻覚と話しているの?」
先輩の視線が疑わしいものになる。
それはそうだ。突然そんなことを言われたら、私だって同じ目をするだろう。
「・・・はい、そうです」
でも、そう答えるよりなかった。
「・・・ふぅ」
納得したのかしなかったのか、先輩は大きく溜息を吐く。
「それで、私は誰にも言わずに、秘密にしておけばいいの?」
来た。本題だ。
「それなんですけど・・・ 今度からあの迷路の攻略に協力してもらえると、とても助かるんですが・・・」
私は危険なことと承知の上で、そう頼んだ。
「あの迷路、他にもあるの?」
「あります。と言うか、多分、また出てきます」
「協力って何をするの?」
「あ、別に何かしてもらうわけじゃありません。ただ一緒に来てもらって、時々手をつなぐ程度です。先輩のことは私が守りますから」
そのお願いに、先輩は少し肩を落とした。
「ふーん・・・ 学校の友達みたいに?」
その言葉に皮肉を感じ、私は思わず拳を握り締めた。
「そんな軽いつもりで言ってるんじゃありません! 先輩は私のことをただの後輩だと思ってるでしょうけど、私は違いますから!」
「じゃあどうして応えてくれないの!?」
意外にも、先輩も大きな声を出して立ち上がった。
「私は奥只見さんのこと、誘ったよね! 奥只見さんともっと仲良くなりたいって思って、誘ったよね!」
先輩が、私と仲良く?
そう聞いてドキッとしてしまうけど、私は思わず目を逸らしてしまう。
「・・・そ、そんなこと誰にでも言ってるんでしょう? そんなの誘ったうちに入らな・・・」
私のか細い言葉の途中で、先輩は強引に私を引き寄せる。
そして、二人の唇が触れた。
私は頭が真っ白になり、動けなくなった。一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
心臓だけがまだ跳ねている。
唇を離した先輩の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「これなら誘ったうちに入る? 私の初めてだよ」
「自分だけ、そんな!」
私は勢いのままに、先輩に唇を重ね返していた。
「私だって初めてですから! キスも、こんな気持ちになったのも! 人のこと、好きって思ったのも・・・」
あぁ、ついに言ってしまった。
自分で認めてしまった。
緊張の糸が切れたせいか、今まで押し殺していた感情が湧きあがり、私の目からも涙が溢れてくる。
肩を震わせている私を、先輩はそっと抱きしめてくれた。
「私も奥只見さんのことが大好き」
「先輩・・・」
「私たち、両思いだったんだね」
「はい・・・」
私たちは涙を拭い、今度は少し長めのキスをする。
そうして先輩は、私の感情が落ち着くまで、そうして抱きしめていてくれた。
それは柔らかい感触と甘い匂いに包まれた、至福の時だった。
「ねぇ、あーちゃんって呼んでいい?」
私が落ち着いてきた頃、先輩は少し笑いながら尋ねてくる。
もしかしたら先輩は甘えたがりなのかもしれない。
奥只見あすかだから、あーちゃん。
安直すぎるけど、先輩にそう呼ばれるのは不思議と心地よかった。
それに大人びた先輩だと思っていたのが、こんな甘えた声を出してくるなんて・・・
逆に私の方がしっかりとリードしていかなければと思ってしまう。
「他の人の前では呼ばないでくださいね」
そう返すと、先輩はにっこりと笑う。
「私のことはなんて呼んでくれるの?」
「先輩は『先輩』ですよ」
「先輩なんて大勢いるでしょ? 私、京子って名前あるんだけど」
「『先輩』じゃだめですか? 私が声かけるのは、先輩だけなんですけど」
そう言うと先輩は相好を崩して、しなだれかかって来る。
「しょうがないなぁ。じゃあ、もう一回キスして」
先輩の求めに応じて、私はそっと唇を触れさせる。
「・・・先輩、ファーストキスって嘘ですよね?」
「嘘じゃないよ! 正真正銘のファーストキス。あーちゃんが初めての人だよ」
先輩は心外だと言わんばかりに反論する。
そんな顔もかわいいなぁ・・・
「あーちゃんこそ本当に初めてなの? すごく上手だけど」
「もちろん初めてですよ。今まで好きな人なんていませんでしたから。 ・・・先輩が初めて好きになった人です」
私は照れ臭く思いながらも、そう繰り返した。
「うん、私も好き。あーちゃんのこと大好き」
それは今まで味わったことのないほど、甘く、刺激的で、快感と興奮に満ちたものだった。
「ねぇ、連絡先、交換しよ?」
「はい」
先輩に促され、スマホを取り出す。誰かと連絡先を交換するなど初めてのことだった。
画面をタップする指先がぎこちなくなってしまう。
先輩のQRコードを読み取り、登録されたことを確認する。
ふとその時に、連絡先の一覧に、田沢先生の番号が入っているのに気付く。
あれ、こんなの登録したっけ? でも名前の付け方は私だし・・・
「登録された?」
「あ、はい」
先輩に言われ、なんとなくアプリを閉じる。
「一応、委員会の仕事もしよっか」
「はい」
そう答えたものの、なかなか仕事は捗らない。
気が付けば先輩の後ろ姿を見詰め、先輩の声に耳を澄ましていた。そのどれもが、秘密の宝物のように思える。
私の好きな人、諏訪京子先輩。さっきまで私を抱きしめてくれた人。ファーストキスの人。
「あーちゃん、手、止まってるよ」
「あ、はい・・・」
先輩はごく普通に言ってくるけど、『あーちゃん』と呼ばれるだけで、ドキドキしてしまう。
今まで、友達の一人だっていたことはなかったのに。
そんな私に恋人ができるなんて。
そんなの、夢のまた夢だと思っていたのに。
そんなふうにぼーっと考えていたので、その日の作業はほとんど進まなかった。
そして帰る時間になり、私たちは一緒に図書室を出る。
先輩が自然に指を絡めてきて、ドキッとしてしまう。
今までは渡り廊下で分かれていたけど、今日は先輩が職員室に鍵を返して戻って来るのを待つ。
そして再び手を繋いで少し歩けば、生徒玄関への分かれ道になる。先輩はここから出て、私は体育館横の出入り口に向かう。
二人とも自転車通学だけど、家の方向は違うので、ここで分かれることになる。
私たちはそこで、辺りを確かめてから、今日最後のキスをする。
「改めてよろしくね、あーちゃん」
「よろしくお願いします、先輩」
私たちは笑顔で別れ、それぞれの帰路についた。
その夜は、幸せな気分で眠りにつくことができた。
昨日のことは口留めしておいたけど、もう一度早めに、しっかりと言っておいた方がいいだろう。
今後どうするかは、その時にでも決めればいい。
現在時刻は10時少し前。
念のために病院で左膝の処置を受けてから学校に来たのだ。目立つところでもあるし、跡になったら嫌だから行ったのだけど、処置内容は、昨日自分でしたのとほぼ一緒で、がっかりした。
そして教室には行かずに、先に体育教官室に向かう。
そのドアをノックすると、中から「お~ぅ」と返事がある。
「失礼します」
中に入ると、やはり田沢先生一人だった。
「おう、奥只見か。ん? その膝、どうした?」
田沢先生はとっくに授業が始まっている時間なのに、それについては何も言わない。学校に来ているだけマシだとか思っているのだろうか。
「ちょっと自転車で転んでしまって」
「そうか。それで遅刻したのか?」
「そんなとこです」
「そういう時はあらかじめ連絡入れとけよ~」
そう言いながら田沢先生は日誌に遅刻内容を記入する。
「それで、聞きたいことがありまして。三年の図書委員の諏訪さんって、何組か分かりますか?」
そう、私は先輩の顔と、諏訪という苗字しか知らない。行きたくはないけど、昼休みに先輩のクラスにまで突撃する覚悟で来たのだ。
「諏訪は確か四組だな」
そう言いながら、田沢先生は体育の時の名簿で確認してくれる。
「丁度いい。その諏訪からお前に伝言があってな」
なるほど。朝、探してもいなかったから担任に伝言、という感じだろうか。さすがに先輩は要領がいい。
みんなから怖がられ、嫌厭されている田沢先生に伝言を頼めるくらいの仲、というのは意外な感じもしたけど。
「お前、図書委員に顔出すようになったんだってな。つまらんと思っていたのかもしれんが、いろいろやってみるのはいいことだぞ」
田沢先生はなぜか嬉しそうに話し出す。
「人生は長い。今の経験がどんな風に生きてくるかは誰にも分からん。熱中できるものを見つけられればいいが、そうでなくても、とにかくやってみることだ。失敗しても、いくらでもやり直しは効く」
「あの・・・」
「もう無理だと思ったら、やり直せばいい。いくらでも道はある。どんな道だっていいんだ」
「あの、伝言っていうのは」
「おう。今日の放課後、必ず図書室に来てくれだとよ。お前の働きが期待されてるんじゃないのか?」
「そうですか、ありがとうございます」
さらに話が続きそうだったので、私はさっさと体育教官室を後にした。
とにかく、図書室で待っているというなら、話は早い。
知らない人の沢山いる教室に突撃しなくて済むと分かり、急に気が楽になる。
他にやることも無いので、授業中の教室にのんびりと入っていく。
教師は無言で入ってきた生徒に何か言おうとしたけど、それが私だと分かると、何も言わずに授業に戻った。
クラスの人間だけでなく、教師たちからもこんなふうな扱いを受けていると、とても気楽でありがたい。
そして六時間目の終わり。図書室に行く準備をしながらふと廊下を見ると、そこには先輩が待っていた。
図書室で待ち合わせのような感じだったけど、待ちきれずに迎えに来たというところだろう。
私はいつものように、先輩の後について図書室に向かう。
先輩は昨日の迷路のことをどれだけ分かっているのだろうか。現実のこととして受け止めているのだろうか。
見た感じ、落ち着いているようなので大丈夫だとは思うけど、出来事全てをなかったことにしている可能性も捨てきれない。
先輩は図書室の鍵を開けると、いつものように道具箱を取りに行かずに、テーブルに着く。
今日は委員会の仕事よりも、昨日の説明ということだろう。
私もカバンを置いて、先輩の向かいに腰掛ける。
「まずこれ、昨日のタクシー代ね。ありがとう」
そう言ってきっちり半分の額を差し出してくる。そんなのはいいのに、と思いながら、受け取っておく。
「で。奥只見さん、昨日のことだけど、説明してもらえる?」
早速、先輩の質問、というか詰問が始まる。
私はどこまで言っていいものかと思うけど、考えてみれば、今の状況は私にとっても分からないことだらけだ。何かしっかりと理解しているわけでもない。
それに、隠し事を不審に思われて、昨日の『心を読む力』を使われれば、どうせ全部ばれてしまうだろう。
私は思い切って全てを話すことにする。
「あのへんな空間、私は迷路って言ってますけど、あれは『禍』っていう災いみたいなものが集まってできたものらしいです。先輩がその中に入っちゃったのは、多分、偶然です。助けようとして私もすぐに入ったんですけど、あの迷路の中と外じゃ時間の流れが違うので、先輩はかなりの時間、一人でいることになったと思います。そして私はその中で、途中でエネルギー切れになりました。それでどうにもならないところで、先輩が心を読む力を使ったら、先輩のエネルギーをもらえて、迷路を壊して脱出することができました。脱出して行き付く先はランダムなので、昨日は他の高校に出てしまいました」
自分でもよく分からない展開だけど、自分の知っていることはこの程度だ。
先輩も少し考えながら、状況を理解しようとするけど、途中で諦めたようだ。とりあえず、『よく分からないことが起きた』程度でいいから、現実だと分かってもらえればそれでいい。
「私の力には驚かないの?」
先輩は気を取り直して尋ねてくる。
「もちろん驚きました。でも、私にも人の心を読む力があるんです。私のはその人の声に集中すると、本心が聞こえてくるってものですけど。だから、そういう力もあるだろうな、とは・・・ 迷路の中では、そのせいで、先輩からエネルギーがもらえたらしいです」
「そのエネルギーって何?」
難しいことを聞いてくる。私にもピンときていなんだけど・・・
「あの迷路は『禍』からできていて、それを壊すためには反対の力である『福』が必要になるんです」
「禍福の禍と福ね」
「多分、そうです。私にはその『福』の力が少ないんだけど、先輩には『福』の力が大量にあるらしいんです。昨日は先輩の力をもらったおかげで、何とかなりました」
「私も福の力で何かできるの?」
「いえ、先輩にはいくら福の力があっても、自分では使えないらしいです」
そう答えると、先輩は少しがっかりしたようだった。
「宝の持ち腐れってわけね。それは誰が言ってるの?」
また難しいことを・・・
「その、私そっくりの、なんだろう、変なのがいて・・・」
「その人と会える?」
「多分、会えません。ソイツは自分のことを、私の幻覚、妄想の類だって言ってるので・・・ 私も見たり話したりはできるんですけど、触ることはできません」
「・・・奥只見さんは自分の幻覚と話しているの?」
先輩の視線が疑わしいものになる。
それはそうだ。突然そんなことを言われたら、私だって同じ目をするだろう。
「・・・はい、そうです」
でも、そう答えるよりなかった。
「・・・ふぅ」
納得したのかしなかったのか、先輩は大きく溜息を吐く。
「それで、私は誰にも言わずに、秘密にしておけばいいの?」
来た。本題だ。
「それなんですけど・・・ 今度からあの迷路の攻略に協力してもらえると、とても助かるんですが・・・」
私は危険なことと承知の上で、そう頼んだ。
「あの迷路、他にもあるの?」
「あります。と言うか、多分、また出てきます」
「協力って何をするの?」
「あ、別に何かしてもらうわけじゃありません。ただ一緒に来てもらって、時々手をつなぐ程度です。先輩のことは私が守りますから」
そのお願いに、先輩は少し肩を落とした。
「ふーん・・・ 学校の友達みたいに?」
その言葉に皮肉を感じ、私は思わず拳を握り締めた。
「そんな軽いつもりで言ってるんじゃありません! 先輩は私のことをただの後輩だと思ってるでしょうけど、私は違いますから!」
「じゃあどうして応えてくれないの!?」
意外にも、先輩も大きな声を出して立ち上がった。
「私は奥只見さんのこと、誘ったよね! 奥只見さんともっと仲良くなりたいって思って、誘ったよね!」
先輩が、私と仲良く?
そう聞いてドキッとしてしまうけど、私は思わず目を逸らしてしまう。
「・・・そ、そんなこと誰にでも言ってるんでしょう? そんなの誘ったうちに入らな・・・」
私のか細い言葉の途中で、先輩は強引に私を引き寄せる。
そして、二人の唇が触れた。
私は頭が真っ白になり、動けなくなった。一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
心臓だけがまだ跳ねている。
唇を離した先輩の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「これなら誘ったうちに入る? 私の初めてだよ」
「自分だけ、そんな!」
私は勢いのままに、先輩に唇を重ね返していた。
「私だって初めてですから! キスも、こんな気持ちになったのも! 人のこと、好きって思ったのも・・・」
あぁ、ついに言ってしまった。
自分で認めてしまった。
緊張の糸が切れたせいか、今まで押し殺していた感情が湧きあがり、私の目からも涙が溢れてくる。
肩を震わせている私を、先輩はそっと抱きしめてくれた。
「私も奥只見さんのことが大好き」
「先輩・・・」
「私たち、両思いだったんだね」
「はい・・・」
私たちは涙を拭い、今度は少し長めのキスをする。
そうして先輩は、私の感情が落ち着くまで、そうして抱きしめていてくれた。
それは柔らかい感触と甘い匂いに包まれた、至福の時だった。
「ねぇ、あーちゃんって呼んでいい?」
私が落ち着いてきた頃、先輩は少し笑いながら尋ねてくる。
もしかしたら先輩は甘えたがりなのかもしれない。
奥只見あすかだから、あーちゃん。
安直すぎるけど、先輩にそう呼ばれるのは不思議と心地よかった。
それに大人びた先輩だと思っていたのが、こんな甘えた声を出してくるなんて・・・
逆に私の方がしっかりとリードしていかなければと思ってしまう。
「他の人の前では呼ばないでくださいね」
そう返すと、先輩はにっこりと笑う。
「私のことはなんて呼んでくれるの?」
「先輩は『先輩』ですよ」
「先輩なんて大勢いるでしょ? 私、京子って名前あるんだけど」
「『先輩』じゃだめですか? 私が声かけるのは、先輩だけなんですけど」
そう言うと先輩は相好を崩して、しなだれかかって来る。
「しょうがないなぁ。じゃあ、もう一回キスして」
先輩の求めに応じて、私はそっと唇を触れさせる。
「・・・先輩、ファーストキスって嘘ですよね?」
「嘘じゃないよ! 正真正銘のファーストキス。あーちゃんが初めての人だよ」
先輩は心外だと言わんばかりに反論する。
そんな顔もかわいいなぁ・・・
「あーちゃんこそ本当に初めてなの? すごく上手だけど」
「もちろん初めてですよ。今まで好きな人なんていませんでしたから。 ・・・先輩が初めて好きになった人です」
私は照れ臭く思いながらも、そう繰り返した。
「うん、私も好き。あーちゃんのこと大好き」
それは今まで味わったことのないほど、甘く、刺激的で、快感と興奮に満ちたものだった。
「ねぇ、連絡先、交換しよ?」
「はい」
先輩に促され、スマホを取り出す。誰かと連絡先を交換するなど初めてのことだった。
画面をタップする指先がぎこちなくなってしまう。
先輩のQRコードを読み取り、登録されたことを確認する。
ふとその時に、連絡先の一覧に、田沢先生の番号が入っているのに気付く。
あれ、こんなの登録したっけ? でも名前の付け方は私だし・・・
「登録された?」
「あ、はい」
先輩に言われ、なんとなくアプリを閉じる。
「一応、委員会の仕事もしよっか」
「はい」
そう答えたものの、なかなか仕事は捗らない。
気が付けば先輩の後ろ姿を見詰め、先輩の声に耳を澄ましていた。そのどれもが、秘密の宝物のように思える。
私の好きな人、諏訪京子先輩。さっきまで私を抱きしめてくれた人。ファーストキスの人。
「あーちゃん、手、止まってるよ」
「あ、はい・・・」
先輩はごく普通に言ってくるけど、『あーちゃん』と呼ばれるだけで、ドキドキしてしまう。
今まで、友達の一人だっていたことはなかったのに。
そんな私に恋人ができるなんて。
そんなの、夢のまた夢だと思っていたのに。
そんなふうにぼーっと考えていたので、その日の作業はほとんど進まなかった。
そして帰る時間になり、私たちは一緒に図書室を出る。
先輩が自然に指を絡めてきて、ドキッとしてしまう。
今までは渡り廊下で分かれていたけど、今日は先輩が職員室に鍵を返して戻って来るのを待つ。
そして再び手を繋いで少し歩けば、生徒玄関への分かれ道になる。先輩はここから出て、私は体育館横の出入り口に向かう。
二人とも自転車通学だけど、家の方向は違うので、ここで分かれることになる。
私たちはそこで、辺りを確かめてから、今日最後のキスをする。
「改めてよろしくね、あーちゃん」
「よろしくお願いします、先輩」
私たちは笑顔で別れ、それぞれの帰路についた。
その夜は、幸せな気分で眠りにつくことができた。