R-15
二人の日常
数日後、私と先輩は制服姿のまま、薄暗い住宅街の一角に並び立っていた。
時間は午後七時半過ぎ。
学校帰りに迷路が発生したというメールを受け、帰宅途中の先輩にも来てもらったのだ。そして住宅街の中を歩き回って、ようやく迷路の入り口を見つけたところだ。
「ここに入り口があるの?」
そう尋ねる先輩には、蜃気楼のように揺らぐゲートは見えていないのだろう。
「はい。丁度、大きめのドアくらいですね」
先輩は目を細めたりしているけど、やはり何も見えないようだ。
「ここで踏み出せばすぐに迷路に入りますけど、いいですか?」
「うん、いいよ」
私が先輩の手を握ると、先輩は緊張した様子で、強く握り返してくる。何も分からない迷路の中で彷徨ったことを考えれば、無理もない。
でも今度は私と一緒だから。怖い思いなんて絶対にさせないから。
私は心の中で約束する。
「行きますよ。 ・・・せーのっ!」
二人が同時に一歩踏み出せば、そこは迷路の中。薄暗い中、同じような家と塀と街灯がどこまでも延々と続いている。
先輩と二人での迷路攻略のスタートだ。
先輩は不思議そうに辺りを見回している。
私も辺りを警戒しながら目を閉じ、深呼吸をすると、引かれるような感じがある。
「とりあえず、こっちですね」
「あーちゃんは迷路の道順とか分かるの?」
「道順は分かりませんけど、引かれるような感覚があるんです。それに従って行けば、ゴールがあるはずなので」
「ふ~ん・・・」
先輩は辺りを見回しながら、私についてくる。
「逆に先輩には、この中はどう見えてるんですか? あれなんかは見えませんよね?」
私はたまたま道端を跳ねるように通り過ぎて行った、黒いモヤモヤを指差す。
「ただ家が立ち並んでるようにしか見えないけど・・・ 何かいるの?」
「いえ、怖いものじゃなくて、子猫みたいなものですよ」
不安そうにする先輩を、そう言ってなだめる。
確かに私にとっては子猫みたいなものだけど、それが先輩にとってもそうだとは限らない。一応、先輩にくっついたりしないように注意しておこう。
そう考えていると、先輩はすっと手を握って来る。
「これで安心」
先輩はにこりと笑う。
あー、くそ、かわいいなぁ!
私は顔が熱くなるのを感じた。
私たちは恋人同士になったけど、人前ではそのことは隠している。学校の廊下ですれ違う時も、全くの他人として無視することになっている。だから、こんなふうに二人きりになれる時間というのは貴重なのだ。
動揺を隠すために、さりげなく手を放して、カバンから乳酸菌飲料を取り出すと、一口飲む。
落ち着いて・・・ 深呼吸・・・
そうやって胸の高鳴りを押さえようとするけど、なかなか治まるものではない。
その時、先輩が突然、声をあげる
「あー、アメ持ってる。一個ちょうだい」
そう言うと、先輩はペットボトルを取り出すために開けていた私のカバンに手を入れると、アメを一つ取り出す。
迷路内で歩く時間がさらに長くなるだろうと考え、途中のコンビニで飲み物やおやつを買っておいたのだ。
前回の教訓から、私のカバンには常に水のペットボトルと応急処置セットも入れてある。
そして先輩にも予め、迷路の特徴、中で長時間歩き回らなければならないことと、攻略後はどこに出るか分からないことは伝えてある。
帰りの交通費の分担をどうするかでは少しもめたけど、私が協力してもらってるんだからと、全額私の負担にすることで決着させた。
今回も、急がないのでコンビニとかで準備して来てくださいと伝えたから、おやつくらいは用意していると思っていたけど。
そう思っている間に、先輩は包みを取って、アメを口に放り込む。
「ん? ダメだった?」
「いえ、いいですけど・・・」
「返そうか?」
そう言って先輩は唇でアメを咥えて、見せてくる。そして早く取れと言わんばかりに、顔を近づけてくる。
「何てことしてるんですか・・・」
私は先輩の肩を抱いて、突き出した唇を覆う。先輩の口にあったアメは、私の口の中に収まった。
「えへへ・・・ ちょっとわざとらしかったかな?」
先輩が顔を赤くしながら笑う。
「先輩、やりすぎです」
「一回やってみたかったんだよね」
そう言って先輩は再び手を繋いでくる。
「なんか、ごめんね。 ・・・こんなふうに好きな人できたことなかったから、はしゃいじゃってるよね」
「いえ、いいですけど」
本当は先輩以上にはしゃいでいる私は、平静を装って歩き出す。
「でも先輩、ホントに今まで誰とも付き合ったことないんですか?」
「うん、ないよ~」
先輩はそう言って嬉しそうに微笑む。
「別に恋愛に憧れとかなんてなかったし、無理に恋人作ろうとも思わなかったしね。でもね、図書委員であーちゃんのこと呼びに行ったときに、ビビッて来たんだよね。もう、絶対この人って」
「そうなんですか」
「うん。一目惚れだよね。だから、あーちゃんの気を引きたくて、ずっとしゃべってたし」
そうだったのか・・・
話の内容はよく覚えていないけど、その口調や声に惹かれた部分もあるから、先輩の思惑通りともいえるだろう。
「あーちゃんは? 今まで誰かと付き合ったことある?」
「ありませんよ」
先輩の問いに、思わず苦笑する。それは私に最も縁遠いことだった。
「まず、友達と呼べる人間がいませんからね。誰かと付き合うなんて、想像も出来ませんでしたよ」
「じゃあ、どうして私を選んでくれたの?」
「初めてまともに話せた人だから、でしょうか・・・」
私はずっと人間関係を避けて、他人をシャットアウトしてきた。
友情だの恋愛だの、バカバカしいとさえ思っていた。
先輩は、初めてそのラインを越えてきた人だ。
「私は今までずっと、言葉の通じない遠い外国を、一人で旅していたようなものなんですよ。その時に偶然、話の通じる人と出会ったら、好きになって当然じゃないですか」
「ふ~ん・・・」
そう応えた先輩には、あまりピンと来てないようだった。
まぁ、誰とでも話せる先輩には分からないかもね。
「そのくらい先輩は特別な人ってことですよ」
「うん、ありがと」
照れたように笑う先輩は可愛いかった。
そんな先輩と、この迷路の中で二人きり。邪魔するものは誰もいない。そうなれば、時が経つのも忘れようというものだ。
どのくらい歩いた時か、目の前に黒い壁が現れる。前回はこれのせいで酷い目に遭ったけど、先輩がいれば、物の数ではない。
念のため先輩には少し下がってもらってから、私は白く輝くハンマーで軽々と、それを叩き壊す。
「今、黒い壁っていうのを壊したの?」
何も見えない先輩は、不思議そうに言う。先輩には私の動きは、パントマイムのように見えるだろう。
「そうですね。私の手から、大きなハンマーみたいなのが出て、それで叩き壊すんです」
「それって疲れないの?」
「全然平気ですよ。見た目はハンマーでも重さとかはありませんし、壁を壊すのだって、力を入れてるわけじゃないんで」
「そうなんだ」
私も詳しいことまで知っているわけじゃないのでうまく説明できないけど、先輩はそれで納得してくれたようだ。
途中、また黒い壁があったので、同じようにハンマーで叩き壊す。
その時、注意していれば、ハンマーを出せるかどうか分かることに気が付いた。前回のハンマーの使用限度は二回半といったところだったけど、今回は二回で終わりのようだった。
多分、迷路も強化されていて、壁を叩き壊すのに必要な福の量が増えているんだろう。
この中で急ぐようなことは起こらないとは思うけど、それでもいざという時に福がないというのは、心許ない。
「あの、先輩。福の補充、いいですか?」
「あ、うん」
先輩はぎゅっと私の手を握る。
「じゃあいきますよ」
私は先輩の声に集中する。
「うん、いいよ」
先輩が答えると同時に、私たちの思考が交錯し、頭の中に流れ込んでくる。
『先輩の手、柔らかくて気持ちいい』
『私、役に立ってるかな?』
『この中で怖くないかな』
『恋人になれてよかった』
『少し疲れたな・・・』
『真剣なあーちゃん、かっこいい・・・』
その一瞬で私の福は全回復する。
そして私は何となく照れ臭くて、視線を逸らす。普通に言ってくれればそうではないのだろうけど、予期せず伝わってしまうというのがネックだ。
「えっと、少し休んでいく?」
「あ、はい、そうですね」
そうして私たちは街灯の下のアスファルトに腰を下ろす。
一見、住宅街のようだけど、ここは迷路の中。汚れも人目もないけど、やっぱりこんなふうに地面に座り込むのは変な感じがする。
「ストレッチするだけで、大分違うよ」
先輩は地面につま先と膝を付けた状態で、深く腰を下ろしていく。真似をしてみると、太腿の前の辺りが引き延ばされて気持ちいい。
「今、一人エッチだと思ったでしょ」
「思いませんよ」
そんなことも言ってくるけど、さすが運動部だけあって、こういうことには詳しい。
先輩と一緒に屈伸運動をして、体を捻って、肩や首を回して、リフレッシュする。
「あと、ふくらはぎは特に念入りにね」
そう言って先輩は私の足首を掴んでくる。
「え、ちょ・・・」
先輩はアキレス腱を摘まむようにすると、グッグッと指の腹で押しながらふくらはぎの方へスライドさせていく。
痛気持ちいい感覚が走り、思わず声が出てしまう。
「んっ・・・ んん・・・」
「これ気持ちいいでしょ」
「は、はい・・・ 気持ちいいです・・・」
先輩は丁寧にマッサージをしてくれるけど、どうしても気持ちよさから声が出てしまう。
でもおかげで私の足はすっかり軽くなった。
「ありがとうございます」
これならまだまだ歩けそうだ。
「じゃあ、お礼はあーちゃんのチューね」
そう言いながら、先輩は私の肩に手を置いてくる。
「え?」
「私は真面目にマッサージしてたのに、あーちゃんがそんな声出すのがいけないんだよ」
そう言うと同時に、先輩の唇が私の口を塞ぐ。
「せ、先輩・・・」
「ん?」
ここでは何が起こるか分からないので、と抗議しようとするけど、そのかわいい笑顔を見ると、何も言えなくなってしまう。
そんな感じで、私たちは黒い壁を叩き壊しながら、危なげなく進んでいく。
そうしているうちに、私はあることに気付く。
迷路の中では小さな禍、黒いモヤモヤと出会うことも多い。
普通に歩いていれば通り過ぎていくので、ぶつからないようにだけ注意していたけど、先輩もそれを避けるような素振りをしているのだった。
今も黒いモヤモヤが先輩の側を通り過ぎていったけど、その時に先輩は少し私の方に寄って来ていた。
「先輩、もしかして何か感じます?」
「ん? 何が?」
「今、黒いモヤモヤがいたんですけど、避けてませんでした?」
「そうなの? あーちゃんがそっち見てたから、何かいるんだろうなと思っただけだよ」
「え? それだけで?」
先輩には黒いモヤモヤは見えていないはずだけど、私の視線だけでそこまで的確に動けるものだろうか。
「私には何も見えないけどさ。だからって全部あーちゃん任せじゃ、足手まといにしかならないでしょ? 見えないからこそ、あーちゃんのちょっとした反応で状況を推察しないとね」
先輩は普通のことのように言う。
「あーちゃんも危なくないように、いろいろ気を遣ってくれてるでしょ? それと同じだよ」
「そう、かなぁ」
目に見えるものに備えている私と、目に見えないものに備えている先輩とでは、負担が大分違うように思えるけど。
「私はね、あーちゃんの足手まといにだけはなりたくないの」
「そんなことありません! 私には先輩が必要です! 今だけじゃなくて、その、ずっと・・・」
「ありがと。あーちゃんもずっと私のそばにいてね」
そう言って、先輩が手を握ってくる。
もちろん!
そう答える代わりに、私はその手に力を込めた。
そうしているうちに、私たちは乳白色の光に包まれた広場に出る。その中央には黒い目玉が浮いている。
「先輩には、ここはどう見えてます?」
「今までと同じ住宅街にしか見えないけど、ここがゴールなの?」
「はい。広場みたいになってて、上には黒い目玉が浮いてます」
「それを叩き壊すんだね」
「そうです」
私は迷路から出る時に備え、先輩とはぐれないように、しっかりと手を握る。
そして片手で長柄のハンマーを振り上げて、目玉を叩き壊した。
目玉が粉々になると同時に、周りの景色は薄れていき、代わりに実際の住宅街が現れてくる。
迷路の攻略完了だ。
迷路が完全に消えてからスマホを見ると、7時40分前。迷路に入ってから、五分程しか経っていない。
そして今度は地図を開き、GPSを作動させる。
「あちゃぁ・・・」
私は思わず声が出る。
現在地は県外。しかも、今までで一番遠い。この時間からでは、今日中に帰ることはできないだろう。せめて明日が休日なのが救いだ。
「先輩、ごめんなさい」
「ううん、いいよ。あーちゃんのせいじゃないから」
先輩は笑顔で答えてくれる。
私一人なら何も気にしないけど、先輩も外泊させるのは気が引ける
とりあえず近くの駅まで行って、帰れるか確認するだけしてみようか。
そう思って地図を見ていると、先輩はすっすっとスマホを操作している。
「ん? もう親には友達の家に泊まるって入れたよ」
「・・・いいんですか?」
「いいよいいよ。あーちゃんも歩き通しで疲れたでしょ? ゆっくり休んでから帰ろ?」
「まぁ、先輩がいいなら・・・ 今からどこか取れるかな・・・」
私が宿泊施設を検索していると、先輩が自分のスマホを見せてくる。
「ここでいいんじゃない? 近いし、他よりは安いと思うけど」
そこに表示されていたのは、駅の近くのラブホだった。
ラブホ女子会とかは聞いたことがあるから、女二人でも入れないわけじゃないだろうけど・・・
「先輩、それって・・・」
「こういうところは嫌?」
嫌と言うか、多分先輩と一緒にそんなところに行ったら、抑えが効かなくなる。
「私は、あーちゃんと入ってみたいな・・・」
先輩が上目遣いで言う。
これは完全に先輩からのお誘いだ。イエス以外の答えはない。
「じゃあ、そこでいいですよ」
「やったー。じゃあ、まずコンビニ行こ」
「コンビニ?」
「夕食と、明日の朝食買って行かないと」
「そうなんですか・・・」
先輩はラブホだけでなくコンビニも検索していたのか、さっさと歩きだす。
こういう要領のよさは、さすが先輩だなと思う。
夕食と朝食を選び、先輩の勧めで替えの下着も買う。スキンケアはどうしようかと迷っていると、そういった基礎化粧品はラブホに置いてあるから、こだわりがなければそれを使えばいいと言われた。
中には朝食が無料で提供されるところもあるらしいけど、これから行くところにはそこまでのサービスはないようだ。
先輩はラブホ女子会経験者のようで、頼りになる。
その後、タクシーを呼んで、駅前のラブホへ直行する。タクシーの運転手は、この時間、制服姿の女子高生二人がタクシーでラブホ、という状況に変な顔をしていたけど、何も言われなかったので、気にしないことにする。
そこは一見、お洒落なホテルのような外装だったけど、狭い入り口を抜けると、無人のロビーがあって、部屋の内装の写真パネルが並んでいる。
「どれにする?」
先輩は気軽に聞いてくるけど、私はこんなところ初めてなので、何も分からない。
「お任せします・・・」
「じゃあ、ここ」
先輩はパネルを選び、その下の『宿泊』というボタンを押すと、そのまま歩いて行く。
そして目的の部屋のピンク色のドアを開けると、そこは思っていたよりもずっと広くて明るく、清潔な印象の部屋だった。
大きなベッドと何かの自販機、テレビ、ゲーム機、カラオケまであった。ガラス張りの浴室には大きなエアーマットが立て掛けられていた。
私は全てが物珍しくキョロキョロしていたけど、先輩は慣れているのか、浴室のパネルでお風呂の準備をしてくる。
そうして、ベッドの端に座って固まっている私の隣に腰を下ろす。
「今日は疲れたね。またマッサージしてあげよっか」
「あ、はい、お願いします・・・」
にっこりとした笑みに気を取られていると、いきなりベッドに押し倒され、ソックスを剥ぎ取られる。
「ちょっ!?」
「マッサージだよ」
何をされるのかと思ったけど、確かにそれはマッサージだった。しかも、かなり気持ちのいい。
「あ・・・ ん・・・ んん・・・」
「ふふん、もっと声出してもいいよ」
得意気に言う先輩の手は、足首、ふくらはぎから、太腿へと伸びてくる。
「せ、先輩・・・」
「ん? 普通のマッサージだよ、これ」
先輩は私の足を取ると、膝の曲げ伸ばしをしたり、内側外側に捻ったりしている。
確かに気持ちいいし、普通のマッサージかもしれないけど、スカート姿でマッサージを受けたりはしないはずだ。私のパンツは先輩に丸見えだろう・・・
先輩の顔を見ると、何事もないかのように、ニコニコと笑顔を浮かべている。それが逆に恥ずかしい・・・
先輩は、たっぷりと時間をかけて、丁寧にマッサージしていく。
「はい、おしまい」
そう言われ、ようやく終わったと起き上がろうとすると、その前に先輩がのしかかってくる。
「マッサージのお礼はチューだったよね」
先輩は体を密着させたままキスを求めてくる。私は急に体温が上がるのを感じ、恥ずかしくなる。
「私、汗臭くないですか・・・?」
「全然。あーちゃんの汗はいい匂いがするよ」
そう言いながら先輩は私の腋に顔を埋めようとする。
「ちょ、やめて下さいよ!」
「人間のフェロモンは汗に一番多く含まれてるんだってね」
「知りませんよ、そんなこと」
私が抵抗すると、先輩は諦めてくれたようで、普通にキスしてくれる。
そんなことをしていると、浴室の方からお風呂の準備ができたというお知らせが流れる。
「行こっか」
先輩はごく普通にベッドの所で服を脱ぎ始める。
恥ずかしかったけど、そういうものなのだと思って、私もその場で服を脱いでいく。
そして先輩に手を引かれて、浴室に入る。
こういう場所だけあって浴室は広く、二人で並んで体を洗ってもまだ余裕がある。
棚には見たこともない外国製のシャンプーやコンディショナーがずらりと並んでいる。どれがいいのか全く分からないので、先輩と同じものを使う。微かな上品な香りが、いかにも高級品といった感じだった。
「あ、これ、全身に使えるスキンケアローションだって」
先輩が見慣れない大きめのボトルから、とろりとした液を手のひらに取る。
「あーちゃん、手、出してみて」
「え、はい・・・」
先輩はそのぬるぬるした液を私の腕に塗り広げていく。
「どう?」
「え、まぁ、普通じゃないですか?」
そう平静を装って答えたけど、内心はかなり焦っていた。
なにこれ・・・ すっごいぬるぬるしてる・・・ でもスキンケアだっていうし・・・
「私にも塗ってくれる?」
「あ、はい・・・」
私もそのスキンケアローションを手に取って、先輩の腕に塗ってあげる。先輩の顔が少し赤くなっている気もするけど、お風呂の中だからかな。
そして先輩は両手にローションを取って、腕以外にも塗り広げてくる。
「そこのエアーマット敷いて、横になってみてよ」
私がうつ伏せになると、背中に大量のローションが垂らされる。
「ほら、これであーちゃんのお肌はつるつるになっちゃうよ」
先輩はなぜか楽しそうに声を弾ませる。
つるつるというより、ぬるぬるなんですが・・・
そう思いながら、これは美容のため、と自分に言い聞かせる。
気持ちいいとか思っちゃダメ・・・ これは美容のためのマッサージなんだから・・・
そうして二人とも全身にスキンケアローションを塗った後、シャワーで流して、湯船に浸かる。
浴室とはいえ、クーラーの効いた中で思ったより体が冷えていたようで、お湯に浸かっていると、体の芯からじんわりと熱が戻って来るようで、心地よい。
まぁ、それはお湯だけではなく、先輩のお陰かもしれないけど。
そうして体が十分に温まると、きれいに体を拭き、下着姿で夕食を摂る。
最初は恥ずかしかったけど、先輩に「こういうところではこれが普通」と言われ、そうなんだ、と先輩に倣う。
先輩は和風パスタとストレートティー、私はブロック栄養食と乳酸菌飲料だ。
他県のテレビ番組はどんなものかと思ってテレビを付けると、アダルト放送が大音量で流れ出してしまい、慌ててテレビを消す。
そうして、かなり歩き回った疲れもあって、大きなベッドで一緒に寝ることになった。
先輩はすぐに寝てしまったようだったけど、私は先輩の体温や寝息が気になってしまって、いつ眠ったのか覚えていない。
朝、目を覚ますと、すでに先輩は起きていて、スマホを眺めていた。
私たちは軽くシャワーを浴びてから、朝食を摂った。先輩はサンドイッチとフレーバーティー、私はブロック栄養食と乳酸菌飲料だ。
そしてチェックアウトして、駅まで歩く。
先輩と腕を組むと、先輩の髪からは私の髪と同じ匂いがした。そこに一体感を覚え、私は嬉しくなる。
帰りの電車は半ば旅行気分で、駅弁を分け合ったり、遠くの景色の写真を取ったり、先輩にもたれて居眠りしたりした。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、午後には最寄り駅に到着する。
そこからタクシーで住宅街の近くの公園に行き、停めてあった自転車のところに行く。
これで迷路の攻略は本当に完了だ。
私たちは分かれ道の所まで、自転車を引いて歩いた。
名残惜しい気もするけど、学校に行けば、先輩には会える。もう恋人同士になったのだから、学校の外でも会えるかもしれない。
「あーちゃん、また月曜日ね」
先輩は辺りを見回すと、そっと唇を重ね、自転車で帰って行った。
月曜日・・・
学校のある日がこんなに待ち遠しく思えるのは、いつ以来だろうか。
時間は午後七時半過ぎ。
学校帰りに迷路が発生したというメールを受け、帰宅途中の先輩にも来てもらったのだ。そして住宅街の中を歩き回って、ようやく迷路の入り口を見つけたところだ。
「ここに入り口があるの?」
そう尋ねる先輩には、蜃気楼のように揺らぐゲートは見えていないのだろう。
「はい。丁度、大きめのドアくらいですね」
先輩は目を細めたりしているけど、やはり何も見えないようだ。
「ここで踏み出せばすぐに迷路に入りますけど、いいですか?」
「うん、いいよ」
私が先輩の手を握ると、先輩は緊張した様子で、強く握り返してくる。何も分からない迷路の中で彷徨ったことを考えれば、無理もない。
でも今度は私と一緒だから。怖い思いなんて絶対にさせないから。
私は心の中で約束する。
「行きますよ。 ・・・せーのっ!」
二人が同時に一歩踏み出せば、そこは迷路の中。薄暗い中、同じような家と塀と街灯がどこまでも延々と続いている。
先輩と二人での迷路攻略のスタートだ。
先輩は不思議そうに辺りを見回している。
私も辺りを警戒しながら目を閉じ、深呼吸をすると、引かれるような感じがある。
「とりあえず、こっちですね」
「あーちゃんは迷路の道順とか分かるの?」
「道順は分かりませんけど、引かれるような感覚があるんです。それに従って行けば、ゴールがあるはずなので」
「ふ~ん・・・」
先輩は辺りを見回しながら、私についてくる。
「逆に先輩には、この中はどう見えてるんですか? あれなんかは見えませんよね?」
私はたまたま道端を跳ねるように通り過ぎて行った、黒いモヤモヤを指差す。
「ただ家が立ち並んでるようにしか見えないけど・・・ 何かいるの?」
「いえ、怖いものじゃなくて、子猫みたいなものですよ」
不安そうにする先輩を、そう言ってなだめる。
確かに私にとっては子猫みたいなものだけど、それが先輩にとってもそうだとは限らない。一応、先輩にくっついたりしないように注意しておこう。
そう考えていると、先輩はすっと手を握って来る。
「これで安心」
先輩はにこりと笑う。
あー、くそ、かわいいなぁ!
私は顔が熱くなるのを感じた。
私たちは恋人同士になったけど、人前ではそのことは隠している。学校の廊下ですれ違う時も、全くの他人として無視することになっている。だから、こんなふうに二人きりになれる時間というのは貴重なのだ。
動揺を隠すために、さりげなく手を放して、カバンから乳酸菌飲料を取り出すと、一口飲む。
落ち着いて・・・ 深呼吸・・・
そうやって胸の高鳴りを押さえようとするけど、なかなか治まるものではない。
その時、先輩が突然、声をあげる
「あー、アメ持ってる。一個ちょうだい」
そう言うと、先輩はペットボトルを取り出すために開けていた私のカバンに手を入れると、アメを一つ取り出す。
迷路内で歩く時間がさらに長くなるだろうと考え、途中のコンビニで飲み物やおやつを買っておいたのだ。
前回の教訓から、私のカバンには常に水のペットボトルと応急処置セットも入れてある。
そして先輩にも予め、迷路の特徴、中で長時間歩き回らなければならないことと、攻略後はどこに出るか分からないことは伝えてある。
帰りの交通費の分担をどうするかでは少しもめたけど、私が協力してもらってるんだからと、全額私の負担にすることで決着させた。
今回も、急がないのでコンビニとかで準備して来てくださいと伝えたから、おやつくらいは用意していると思っていたけど。
そう思っている間に、先輩は包みを取って、アメを口に放り込む。
「ん? ダメだった?」
「いえ、いいですけど・・・」
「返そうか?」
そう言って先輩は唇でアメを咥えて、見せてくる。そして早く取れと言わんばかりに、顔を近づけてくる。
「何てことしてるんですか・・・」
私は先輩の肩を抱いて、突き出した唇を覆う。先輩の口にあったアメは、私の口の中に収まった。
「えへへ・・・ ちょっとわざとらしかったかな?」
先輩が顔を赤くしながら笑う。
「先輩、やりすぎです」
「一回やってみたかったんだよね」
そう言って先輩は再び手を繋いでくる。
「なんか、ごめんね。 ・・・こんなふうに好きな人できたことなかったから、はしゃいじゃってるよね」
「いえ、いいですけど」
本当は先輩以上にはしゃいでいる私は、平静を装って歩き出す。
「でも先輩、ホントに今まで誰とも付き合ったことないんですか?」
「うん、ないよ~」
先輩はそう言って嬉しそうに微笑む。
「別に恋愛に憧れとかなんてなかったし、無理に恋人作ろうとも思わなかったしね。でもね、図書委員であーちゃんのこと呼びに行ったときに、ビビッて来たんだよね。もう、絶対この人って」
「そうなんですか」
「うん。一目惚れだよね。だから、あーちゃんの気を引きたくて、ずっとしゃべってたし」
そうだったのか・・・
話の内容はよく覚えていないけど、その口調や声に惹かれた部分もあるから、先輩の思惑通りともいえるだろう。
「あーちゃんは? 今まで誰かと付き合ったことある?」
「ありませんよ」
先輩の問いに、思わず苦笑する。それは私に最も縁遠いことだった。
「まず、友達と呼べる人間がいませんからね。誰かと付き合うなんて、想像も出来ませんでしたよ」
「じゃあ、どうして私を選んでくれたの?」
「初めてまともに話せた人だから、でしょうか・・・」
私はずっと人間関係を避けて、他人をシャットアウトしてきた。
友情だの恋愛だの、バカバカしいとさえ思っていた。
先輩は、初めてそのラインを越えてきた人だ。
「私は今までずっと、言葉の通じない遠い外国を、一人で旅していたようなものなんですよ。その時に偶然、話の通じる人と出会ったら、好きになって当然じゃないですか」
「ふ~ん・・・」
そう応えた先輩には、あまりピンと来てないようだった。
まぁ、誰とでも話せる先輩には分からないかもね。
「そのくらい先輩は特別な人ってことですよ」
「うん、ありがと」
照れたように笑う先輩は可愛いかった。
そんな先輩と、この迷路の中で二人きり。邪魔するものは誰もいない。そうなれば、時が経つのも忘れようというものだ。
どのくらい歩いた時か、目の前に黒い壁が現れる。前回はこれのせいで酷い目に遭ったけど、先輩がいれば、物の数ではない。
念のため先輩には少し下がってもらってから、私は白く輝くハンマーで軽々と、それを叩き壊す。
「今、黒い壁っていうのを壊したの?」
何も見えない先輩は、不思議そうに言う。先輩には私の動きは、パントマイムのように見えるだろう。
「そうですね。私の手から、大きなハンマーみたいなのが出て、それで叩き壊すんです」
「それって疲れないの?」
「全然平気ですよ。見た目はハンマーでも重さとかはありませんし、壁を壊すのだって、力を入れてるわけじゃないんで」
「そうなんだ」
私も詳しいことまで知っているわけじゃないのでうまく説明できないけど、先輩はそれで納得してくれたようだ。
途中、また黒い壁があったので、同じようにハンマーで叩き壊す。
その時、注意していれば、ハンマーを出せるかどうか分かることに気が付いた。前回のハンマーの使用限度は二回半といったところだったけど、今回は二回で終わりのようだった。
多分、迷路も強化されていて、壁を叩き壊すのに必要な福の量が増えているんだろう。
この中で急ぐようなことは起こらないとは思うけど、それでもいざという時に福がないというのは、心許ない。
「あの、先輩。福の補充、いいですか?」
「あ、うん」
先輩はぎゅっと私の手を握る。
「じゃあいきますよ」
私は先輩の声に集中する。
「うん、いいよ」
先輩が答えると同時に、私たちの思考が交錯し、頭の中に流れ込んでくる。
『先輩の手、柔らかくて気持ちいい』
『私、役に立ってるかな?』
『この中で怖くないかな』
『恋人になれてよかった』
『少し疲れたな・・・』
『真剣なあーちゃん、かっこいい・・・』
その一瞬で私の福は全回復する。
そして私は何となく照れ臭くて、視線を逸らす。普通に言ってくれればそうではないのだろうけど、予期せず伝わってしまうというのがネックだ。
「えっと、少し休んでいく?」
「あ、はい、そうですね」
そうして私たちは街灯の下のアスファルトに腰を下ろす。
一見、住宅街のようだけど、ここは迷路の中。汚れも人目もないけど、やっぱりこんなふうに地面に座り込むのは変な感じがする。
「ストレッチするだけで、大分違うよ」
先輩は地面につま先と膝を付けた状態で、深く腰を下ろしていく。真似をしてみると、太腿の前の辺りが引き延ばされて気持ちいい。
「今、一人エッチだと思ったでしょ」
「思いませんよ」
そんなことも言ってくるけど、さすが運動部だけあって、こういうことには詳しい。
先輩と一緒に屈伸運動をして、体を捻って、肩や首を回して、リフレッシュする。
「あと、ふくらはぎは特に念入りにね」
そう言って先輩は私の足首を掴んでくる。
「え、ちょ・・・」
先輩はアキレス腱を摘まむようにすると、グッグッと指の腹で押しながらふくらはぎの方へスライドさせていく。
痛気持ちいい感覚が走り、思わず声が出てしまう。
「んっ・・・ んん・・・」
「これ気持ちいいでしょ」
「は、はい・・・ 気持ちいいです・・・」
先輩は丁寧にマッサージをしてくれるけど、どうしても気持ちよさから声が出てしまう。
でもおかげで私の足はすっかり軽くなった。
「ありがとうございます」
これならまだまだ歩けそうだ。
「じゃあ、お礼はあーちゃんのチューね」
そう言いながら、先輩は私の肩に手を置いてくる。
「え?」
「私は真面目にマッサージしてたのに、あーちゃんがそんな声出すのがいけないんだよ」
そう言うと同時に、先輩の唇が私の口を塞ぐ。
「せ、先輩・・・」
「ん?」
ここでは何が起こるか分からないので、と抗議しようとするけど、そのかわいい笑顔を見ると、何も言えなくなってしまう。
そんな感じで、私たちは黒い壁を叩き壊しながら、危なげなく進んでいく。
そうしているうちに、私はあることに気付く。
迷路の中では小さな禍、黒いモヤモヤと出会うことも多い。
普通に歩いていれば通り過ぎていくので、ぶつからないようにだけ注意していたけど、先輩もそれを避けるような素振りをしているのだった。
今も黒いモヤモヤが先輩の側を通り過ぎていったけど、その時に先輩は少し私の方に寄って来ていた。
「先輩、もしかして何か感じます?」
「ん? 何が?」
「今、黒いモヤモヤがいたんですけど、避けてませんでした?」
「そうなの? あーちゃんがそっち見てたから、何かいるんだろうなと思っただけだよ」
「え? それだけで?」
先輩には黒いモヤモヤは見えていないはずだけど、私の視線だけでそこまで的確に動けるものだろうか。
「私には何も見えないけどさ。だからって全部あーちゃん任せじゃ、足手まといにしかならないでしょ? 見えないからこそ、あーちゃんのちょっとした反応で状況を推察しないとね」
先輩は普通のことのように言う。
「あーちゃんも危なくないように、いろいろ気を遣ってくれてるでしょ? それと同じだよ」
「そう、かなぁ」
目に見えるものに備えている私と、目に見えないものに備えている先輩とでは、負担が大分違うように思えるけど。
「私はね、あーちゃんの足手まといにだけはなりたくないの」
「そんなことありません! 私には先輩が必要です! 今だけじゃなくて、その、ずっと・・・」
「ありがと。あーちゃんもずっと私のそばにいてね」
そう言って、先輩が手を握ってくる。
もちろん!
そう答える代わりに、私はその手に力を込めた。
そうしているうちに、私たちは乳白色の光に包まれた広場に出る。その中央には黒い目玉が浮いている。
「先輩には、ここはどう見えてます?」
「今までと同じ住宅街にしか見えないけど、ここがゴールなの?」
「はい。広場みたいになってて、上には黒い目玉が浮いてます」
「それを叩き壊すんだね」
「そうです」
私は迷路から出る時に備え、先輩とはぐれないように、しっかりと手を握る。
そして片手で長柄のハンマーを振り上げて、目玉を叩き壊した。
目玉が粉々になると同時に、周りの景色は薄れていき、代わりに実際の住宅街が現れてくる。
迷路の攻略完了だ。
迷路が完全に消えてからスマホを見ると、7時40分前。迷路に入ってから、五分程しか経っていない。
そして今度は地図を開き、GPSを作動させる。
「あちゃぁ・・・」
私は思わず声が出る。
現在地は県外。しかも、今までで一番遠い。この時間からでは、今日中に帰ることはできないだろう。せめて明日が休日なのが救いだ。
「先輩、ごめんなさい」
「ううん、いいよ。あーちゃんのせいじゃないから」
先輩は笑顔で答えてくれる。
私一人なら何も気にしないけど、先輩も外泊させるのは気が引ける
とりあえず近くの駅まで行って、帰れるか確認するだけしてみようか。
そう思って地図を見ていると、先輩はすっすっとスマホを操作している。
「ん? もう親には友達の家に泊まるって入れたよ」
「・・・いいんですか?」
「いいよいいよ。あーちゃんも歩き通しで疲れたでしょ? ゆっくり休んでから帰ろ?」
「まぁ、先輩がいいなら・・・ 今からどこか取れるかな・・・」
私が宿泊施設を検索していると、先輩が自分のスマホを見せてくる。
「ここでいいんじゃない? 近いし、他よりは安いと思うけど」
そこに表示されていたのは、駅の近くのラブホだった。
ラブホ女子会とかは聞いたことがあるから、女二人でも入れないわけじゃないだろうけど・・・
「先輩、それって・・・」
「こういうところは嫌?」
嫌と言うか、多分先輩と一緒にそんなところに行ったら、抑えが効かなくなる。
「私は、あーちゃんと入ってみたいな・・・」
先輩が上目遣いで言う。
これは完全に先輩からのお誘いだ。イエス以外の答えはない。
「じゃあ、そこでいいですよ」
「やったー。じゃあ、まずコンビニ行こ」
「コンビニ?」
「夕食と、明日の朝食買って行かないと」
「そうなんですか・・・」
先輩はラブホだけでなくコンビニも検索していたのか、さっさと歩きだす。
こういう要領のよさは、さすが先輩だなと思う。
夕食と朝食を選び、先輩の勧めで替えの下着も買う。スキンケアはどうしようかと迷っていると、そういった基礎化粧品はラブホに置いてあるから、こだわりがなければそれを使えばいいと言われた。
中には朝食が無料で提供されるところもあるらしいけど、これから行くところにはそこまでのサービスはないようだ。
先輩はラブホ女子会経験者のようで、頼りになる。
その後、タクシーを呼んで、駅前のラブホへ直行する。タクシーの運転手は、この時間、制服姿の女子高生二人がタクシーでラブホ、という状況に変な顔をしていたけど、何も言われなかったので、気にしないことにする。
そこは一見、お洒落なホテルのような外装だったけど、狭い入り口を抜けると、無人のロビーがあって、部屋の内装の写真パネルが並んでいる。
「どれにする?」
先輩は気軽に聞いてくるけど、私はこんなところ初めてなので、何も分からない。
「お任せします・・・」
「じゃあ、ここ」
先輩はパネルを選び、その下の『宿泊』というボタンを押すと、そのまま歩いて行く。
そして目的の部屋のピンク色のドアを開けると、そこは思っていたよりもずっと広くて明るく、清潔な印象の部屋だった。
大きなベッドと何かの自販機、テレビ、ゲーム機、カラオケまであった。ガラス張りの浴室には大きなエアーマットが立て掛けられていた。
私は全てが物珍しくキョロキョロしていたけど、先輩は慣れているのか、浴室のパネルでお風呂の準備をしてくる。
そうして、ベッドの端に座って固まっている私の隣に腰を下ろす。
「今日は疲れたね。またマッサージしてあげよっか」
「あ、はい、お願いします・・・」
にっこりとした笑みに気を取られていると、いきなりベッドに押し倒され、ソックスを剥ぎ取られる。
「ちょっ!?」
「マッサージだよ」
何をされるのかと思ったけど、確かにそれはマッサージだった。しかも、かなり気持ちのいい。
「あ・・・ ん・・・ んん・・・」
「ふふん、もっと声出してもいいよ」
得意気に言う先輩の手は、足首、ふくらはぎから、太腿へと伸びてくる。
「せ、先輩・・・」
「ん? 普通のマッサージだよ、これ」
先輩は私の足を取ると、膝の曲げ伸ばしをしたり、内側外側に捻ったりしている。
確かに気持ちいいし、普通のマッサージかもしれないけど、スカート姿でマッサージを受けたりはしないはずだ。私のパンツは先輩に丸見えだろう・・・
先輩の顔を見ると、何事もないかのように、ニコニコと笑顔を浮かべている。それが逆に恥ずかしい・・・
先輩は、たっぷりと時間をかけて、丁寧にマッサージしていく。
「はい、おしまい」
そう言われ、ようやく終わったと起き上がろうとすると、その前に先輩がのしかかってくる。
「マッサージのお礼はチューだったよね」
先輩は体を密着させたままキスを求めてくる。私は急に体温が上がるのを感じ、恥ずかしくなる。
「私、汗臭くないですか・・・?」
「全然。あーちゃんの汗はいい匂いがするよ」
そう言いながら先輩は私の腋に顔を埋めようとする。
「ちょ、やめて下さいよ!」
「人間のフェロモンは汗に一番多く含まれてるんだってね」
「知りませんよ、そんなこと」
私が抵抗すると、先輩は諦めてくれたようで、普通にキスしてくれる。
そんなことをしていると、浴室の方からお風呂の準備ができたというお知らせが流れる。
「行こっか」
先輩はごく普通にベッドの所で服を脱ぎ始める。
恥ずかしかったけど、そういうものなのだと思って、私もその場で服を脱いでいく。
そして先輩に手を引かれて、浴室に入る。
こういう場所だけあって浴室は広く、二人で並んで体を洗ってもまだ余裕がある。
棚には見たこともない外国製のシャンプーやコンディショナーがずらりと並んでいる。どれがいいのか全く分からないので、先輩と同じものを使う。微かな上品な香りが、いかにも高級品といった感じだった。
「あ、これ、全身に使えるスキンケアローションだって」
先輩が見慣れない大きめのボトルから、とろりとした液を手のひらに取る。
「あーちゃん、手、出してみて」
「え、はい・・・」
先輩はそのぬるぬるした液を私の腕に塗り広げていく。
「どう?」
「え、まぁ、普通じゃないですか?」
そう平静を装って答えたけど、内心はかなり焦っていた。
なにこれ・・・ すっごいぬるぬるしてる・・・ でもスキンケアだっていうし・・・
「私にも塗ってくれる?」
「あ、はい・・・」
私もそのスキンケアローションを手に取って、先輩の腕に塗ってあげる。先輩の顔が少し赤くなっている気もするけど、お風呂の中だからかな。
そして先輩は両手にローションを取って、腕以外にも塗り広げてくる。
「そこのエアーマット敷いて、横になってみてよ」
私がうつ伏せになると、背中に大量のローションが垂らされる。
「ほら、これであーちゃんのお肌はつるつるになっちゃうよ」
先輩はなぜか楽しそうに声を弾ませる。
つるつるというより、ぬるぬるなんですが・・・
そう思いながら、これは美容のため、と自分に言い聞かせる。
気持ちいいとか思っちゃダメ・・・ これは美容のためのマッサージなんだから・・・
そうして二人とも全身にスキンケアローションを塗った後、シャワーで流して、湯船に浸かる。
浴室とはいえ、クーラーの効いた中で思ったより体が冷えていたようで、お湯に浸かっていると、体の芯からじんわりと熱が戻って来るようで、心地よい。
まぁ、それはお湯だけではなく、先輩のお陰かもしれないけど。
そうして体が十分に温まると、きれいに体を拭き、下着姿で夕食を摂る。
最初は恥ずかしかったけど、先輩に「こういうところではこれが普通」と言われ、そうなんだ、と先輩に倣う。
先輩は和風パスタとストレートティー、私はブロック栄養食と乳酸菌飲料だ。
他県のテレビ番組はどんなものかと思ってテレビを付けると、アダルト放送が大音量で流れ出してしまい、慌ててテレビを消す。
そうして、かなり歩き回った疲れもあって、大きなベッドで一緒に寝ることになった。
先輩はすぐに寝てしまったようだったけど、私は先輩の体温や寝息が気になってしまって、いつ眠ったのか覚えていない。
朝、目を覚ますと、すでに先輩は起きていて、スマホを眺めていた。
私たちは軽くシャワーを浴びてから、朝食を摂った。先輩はサンドイッチとフレーバーティー、私はブロック栄養食と乳酸菌飲料だ。
そしてチェックアウトして、駅まで歩く。
先輩と腕を組むと、先輩の髪からは私の髪と同じ匂いがした。そこに一体感を覚え、私は嬉しくなる。
帰りの電車は半ば旅行気分で、駅弁を分け合ったり、遠くの景色の写真を取ったり、先輩にもたれて居眠りしたりした。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、午後には最寄り駅に到着する。
そこからタクシーで住宅街の近くの公園に行き、停めてあった自転車のところに行く。
これで迷路の攻略は本当に完了だ。
私たちは分かれ道の所まで、自転車を引いて歩いた。
名残惜しい気もするけど、学校に行けば、先輩には会える。もう恋人同士になったのだから、学校の外でも会えるかもしれない。
「あーちゃん、また月曜日ね」
先輩は辺りを見回すと、そっと唇を重ね、自転車で帰って行った。
月曜日・・・
学校のある日がこんなに待ち遠しく思えるのは、いつ以来だろうか。