R-15
家族
「んん~・・・」
私は目を閉じて、椅子の上で伸びをする。
夏休みに入り、今日は一日中、次回作のプロットを考えていた。
印象的なシーンやセリフを思い付くままに書き連ね、それらをパズルのようにあれこれと組み合わせていく。いい組み合わせがあれば、そこにさらに別のピースが付くか試してみるし、いい組み合わせがなければ、他のシーンやセリフを追加していく。
今は高校二年生。特段焦っているわけではないけど、のんびりもしていられない。今のうちにどんどん書いて、SF作家としての足場を固めておきたい。担当の桧原さんも、今は数を出すことが重要だと言ってくれた。その中で良作があれば、掲載してもらえる。
そう言えば、桧原さんの変わりようは、何だったのだろうか。いつから入院していたかは分からないけど、多分一か月ほどだろう。
ずっと親身になってくれていたのに、あの日の迷路の中での、ふいっと見捨てるような態度。
私が受賞できたのも、掲載してもらえるようになったのも、桧原さんのおかげだ。
「はぁ~・・・」
私は溜息を吐いて、息抜きのためにスマホを手に取る。先輩から教えてもらった、育成ゲームだ。
そんなにやり込んでいるわけではないけど、かわいいキャラが動き回るのが見たくて、ちょくちょく手を出している。
画面内ではメインとして使っているキャラがくるりと回り、敵の群れを一掃する。初めたての頃は敵一体にも苦戦していたのに、今では大技が出れば楽勝だ。
そして今の戦闘で経験値が溜まり、レベルアップのセクシー演出が挿入される。
ゲームでは戦闘を繰り返し、レベルアップすることで、より強敵とも戦えるようになる。
それを見ていると、自分の場合はどうなのだろうと考えてしまう。
自分の場合、敵というのは迷路の中心にいる、あの目玉だろう。でも何回攻略しても、自分がレベルアップしたようには感じられない。ただ、先輩から福を受け取って、壁や目玉を壊しての繰り返しだ。
反面、迷路の方は確実に強化されていっている。
迷路の出現する頻度は高まり、その攻略にかかる時間も長くなっている。この分だと、現実世界で過ごす時間よりも迷路の中で過ごす時間の方が長くなるのではないか、という恐れもある。
迷路の中と現実世界とでは時間の流れが違い、中で何時間過ごそうが、現実世界に戻ってくれば、それはほんの数分の出来事だ。
でも、迷路の中でも代謝は止まっているわけではない。
迷路の中に入っている私と先輩は、他の人よりもほんの僅か、累計で数日程は余計に加齢しているということだ。
別に若さにこだわるわけではないけど、そう考えると嫌なものだ。
この世界の危機というのは、いつまで続くのだろう。
迷路の攻略は、いつまで続くのだろう。
「やっほ~」
そんな時に、能天気な声と共に、私Bが現れる。
「またぁ?」
「そだよ~」
最近では連続して迷路が出現することも珍しくはないので、慣れたものだ。
「禍が増えてる理由は分かった?」
私はダメ元でいつもの質問をする。
迷路は、この世界で急速に増加している禍が凝り固まったような集積体によって作られる。だからいくら迷路を壊しても、その原因を断たなければ、根本的な解決にはならない。
でも、その返事はいつも同じものだ。
「情報不足」
「・・・まぁ、いいけどさ。場所は?」
「ここ」
スマホに座標が表示されるので、地図アプリにその座標を移すと、駅前の辺りだった。
「先輩の都合、大丈夫かな・・・」
時間は午後九時過ぎ。こんな時間に呼び出すのは申し訳ないけど、私一人ではどうしようもない。
『こんな時間に申し訳ありません。迷路が出現しました。駅前のコンビニまで来られますか?』
そうメッセージを送ると、数秒後には返信が来る。
『迷路の場所はどの辺?』
『駅前のようなので、コンビニから歩いて探そうと思います』
『おっけー』
先輩にも迷惑かけてるよなぁ、と思いながら、私は迷路攻略用に準備してあるカバンを持って、家を出る。
とりあえず駅前で先輩と合流してから、迷路への入り口を探そう。
駅前までは自転車で15分程だ。
私は『修復機構の一部だ』などと言われる前から学校はサボってたし、夜中に出歩くことも無かったわけじゃない。
でも先輩は違うだろう。あの様子だと家でも学校でも優等生として通っていたはずだ。それなのに夏休みを前にして、突然の外泊、サボり、夜間外出。
私には何も言わないけど、グレたとか思われてるんだろうなぁ。
迷路の出現時間が土日の昼に限定できればいいのに・・・
駅前に着くと、明るいコンビニの前で、先輩が手を振っていた。
まだ飲み屋などは営業しているため、アーケードも明るいことは明るいけど、外に人通りはない。
「先輩、お待たせしました。申し訳ありません、こんな時間に」
「いいよいいよ」
先輩は慣れた様子で笑う。
「ちょっと寄ってから行きましょう」
そう言って二人で駅前のコンビニに入る。
私のカバンの中には応急処置セットや水のペットボトル、ブロック栄養食やチョコなどが入っている。
急ぎの時はそのまま迷路に突入するけど、時間がある時には準備してある水とは別に、飲み物を買い足すようにしている。何しろ、迷路の中での時間は長い。快適さ優先というわけだ。
私はいつもの乳酸菌飲料を、先輩は紅茶のペットボトルを買った。
あとは私Bに指定された座標の辺りをぶらぶらしていれば、迷路への入り口が見つかるはずだ。
「すみませんね。こんな時間に来てもらって」
私はもう一度先輩に謝る。
「ううん、それは全然いいんだけどさ。あの、今日、泊めてもらえるかな?」
「え?」
先輩のカバンはいつもより大きいなとは思ったけど、もしかしてその中にはお泊りセットが入っているのか?
「ダメ?」
「え、い、いいですけど・・・」
突然の展開に、私は心の準備ができないまま、了承する。
「よかった。ほら、迷路の中で時間が経っても、現実世界じゃ数分じゃない? こんな時間に出てきて、すぐに帰るのも不自然でしょ? なんか、ケンカして帰って来たみたいだし」
それって、私とケンカしてってこと・・・?
「あの、先輩は何て言って出て来たんですか?」
「え? 普通にあーちゃんからの呼出しって言ったよ」
先輩は当たり前のように言う。
「・・・え? ご両親に私のこと言ってるんですか?」
「うん。学校では秘密にしてるけど、家族には言ってるよ」
「えぇ~・・・」
私はてっきり、誰にも内緒で付き合ってるものとばかり思っていた。
「・・・それでご両親は?」
「行っといでって。ここまで送ってくれたよ」
確かに先輩の自転車は見当たらなかった。ここに来た時にすぐに気付くべきだった・・・
「でも、こんな時間で何か言われませんでした?」
「あーちゃんのことはよく話してるから、もう信用されてるんだよね。ほら、あーちゃんの写真も見せてるし」
そう言って先輩はスマホの画面を見せてくる。そこには図書室で真面目に作業している時の私の写真があった。先輩の腕がいいのか、この写真だけを見ると、いかにも真面目そうないい娘に見える。
「・・・てかこれ、隠し撮りですよね」
「そうだよ。あーちゃんの自然な表情が出てるでしょ?」
先輩は悪びれることなく言う。
「他の人は彼氏のこと隠したりするみたいだけど、ウチでは普通に話してるよ。弟の彼女のことも知ってるし」
そういうことは今まで考えたことも無かったけど、そういうものなのか。
でも、まさかご両親公認だったとは・・・
何か言いようのない責任感というかプレッシャーを感じる。
「あと、お母さんにだけは、あーちゃんとエッチしたことも言ってあるよ」
流石にそれは行き過ぎでは・・・
「何だったら、今度ご挨拶に来る? 喜ぶよ~」
「・・・どう考えても無理です」
ただでさえ人と会うのは苦手なのだ。そんなことになったら、絶対に何もしゃべれなくなるに決まっている。
「うん。もう少し経ったらね」
先輩はニコニコしながら言う。
やがて、居酒屋の看板の横に、蜃気楼のようなものがモヤモヤしているのを見つける。迷路の入り口だ。
「ありました。先輩も見えます?」
「うん、あのモヤモヤしたのでしょ?」
先輩はゲートをしっかりと指差した。この前、私Bが調整したとかで、先輩も禍福を見ることができるようになっているのだ。
「はい。行きましょう」
そうして私たちは手を繋いで、せーので迷路に侵入する。
中は夜の商店街で、建物の隙間や大きな立て看板など、死角はいくらでもある。そして、前回のように、大量の目玉が湧いて出るはずだ。
でも私の力も進化したと言っていたし、何より、先輩も目玉が見えるようになっている。こっちの戦力は大幅増だろう。
そうしてまずは周りを確認していると、早速目玉がやって来る。
「先輩、あれです」
「え、あれ?」
私がスーッと寄って来る目玉を指差すと、先輩は少し驚いたような顔をする。
「もっとグロテスクで気持ち悪いものだと思ってた・・・」
いや、十分グロテスクですけど?
まぁ、先輩が怖がったりしないのなら、それはいいことだ。
「じゃあ、あーちゃん、お願いね」
「はい!」
先輩からの福の供給を受けて、私がハンマーで目玉を叩き壊す。
目玉のスピードが少し早くなったかな、という程度で、前回とあまり変わっていない。今のところ、追加のギミックもなし。
よし、油断しなければ大丈夫だ。
私たちは辺りを警戒しながら、引かれるような感覚に従って歩き出す。
黒い壁がそこら中にあったり、大量の目玉が寄ってきたりもするけど、前回のようなピンチにはならない。
「あの、先輩のご両親は、私のこと何か言ってます?」
迷路の攻略が順調に進む中、私は思い切って先輩に尋ねる。
「ふ~ん・・・ 気になる?」
「・・・ええ、まぁ」
他人の評価など全く気にしないけど、先輩のご両親となれば、話は別だ。
「お母さんは、優しくてしっかりした子だねって。すごい褒めてたよ。お父さんは、私が選んだんだったら誰でもいいみたい」
そんな褒められるようなことしたかな・・・ まぁ、先輩の伝え方なんだろうけど・・・
それから先輩は家族のことをいろいろと話してくれた。
お父さんが酔っぱらって床で寝た後で、原因不明の腰痛があると言い出したこと。
お母さんが料理が上手で、小さい頃から憧れていたこと。
弟に彼女が出来た時に、みんなでお祝いしたこと。
私にはどれも実感のないことだけど、『先輩の家族は面白いなぁ』という印象で、笑いながら聞いていた。
そんな話をしながら歩いていたせいか、気付けば、迷路の中心部だ。
大きな目玉の周りからは大量の目玉が湧き出してくるけど、対処法が分かれば、どうということはない。
まずは本体の周りを叩いて目玉の湧き出しを止めたあと、本体に一撃。これで完了だ。
そして、大きな白い気流を辿って、現実世界の入った場所に出てくる。正直、これが一番助かる。
そこで私は、あ、と思う。
先輩はここまで送って来てもらったので、私の家までの足がないのだ。
「自転車ここに置いておくので、一緒にタクシーで帰りましょうか」
「そんなもったいないことしなくていいよ。私がこぐから乗って」
そう言うと先輩はカバンを体の前に担ぐと、私の自転車のハンドルを持つ。
「え、だって家まで結構ありますよ」
「運動部の体力を甘く見てるね?」
先輩は自信たっぷりで自転車に跨る。
「じゃあ、お願いします」
「行くよー」
私が自転車の後ろに跨ると、先輩は勢いよく自転車をこぎ出す。
「しっかり掴まっててね」
「はい」
私は思い切って、先輩の腰に腕を回し、しっかりと抱き着く。
先輩が言ったように、その体力はなかなかのもので、私一人で乗ってるときより速いのではと思うほどだ。
密着させた体から、先輩の体の動きや呼吸が伝わってくる。
その時、私は小さい頃、これとよく似た経験をしたことを思い出した。
父のこぐ自転車に乗って、どこかに出かけたのだった。あれは確か、母へのプレゼントを買うためだったと思う。
その頃は確か私が自転車に乗り始めた頃で、父も練習に付き合ったりするために自転車に乗っていた。
車だと外出がバレるからと、父はいたずらっぽく笑っていたのだ。
父のこぐ自転車のスピードは驚くほど速く、その背中にぎゅっとしがみ付いていた覚えがある。
私には家族らしい思い出はあまりないけど、忘れているだけで、そんな頃もあったのだ・・・
一人で生きていくと決めたのは、いつのことだったか・・・
懐かしさから、私は先輩の背中で目を閉じていた。
家に着くと私はすぐにお風呂の準備をして、先輩に先に入ってもらう。
先輩は、他の人の家で先に入るわけにはいかないと言っていたけど、今日一番疲れたのは先輩だ。先に入る権利がある。
そうして先輩をお風呂に送り出すと、先輩が上がってくるまでと思い、ベッドに横になる。
先輩の家族は仲がいいんだな・・・ 私にも小さい頃の思い出があったんだな・・・
そんなことを考えている間に、私は眠ってしまったようだ。
ふと気づくと、部屋の明かりは消され、布団が掛けられている。
カーテンの隙間から漏れるかすかな光で、私の隣で先輩が向こうを向いて横になっているのが分かった。
暗く静かな部屋の中で、先輩の静かな寝息だけが聞こえてくる。
私は無性に寂しさを感じ、そっと先輩の背中に体を寄せる。
「・・・先輩」
「なぁに」
思いもしなかった返事が返ってくる。
「え、起きてたんですか?」
「うん」
先輩は向こうを向いたまま、黙っている。
「・・・あの、変なこと言っちゃうかもしれないんですけど」
私はそう前置きして話し出す。
「この家、父も母もいないんですよね」
私はぽつりぽつりと話し出した。
「二人とも他所に愛人作って、ここには寄り付かないんです。はっきりとは言ってませんけど、私が高校卒業するのを待って、離婚するはずです。二人とも私とは暮らしたがらないでしょうから、その時にまとまったお金をもらって、一人暮らしを始めるつもりです。もう行く大学も決めてるんですよ。SF作家の夢もありますけど、無理だったら、どっちか一本に絞ればいいわけですし。結構、計画的にやってたんです。これなら一人で生きていけるなって。でも・・・」
なんだろう。なぜか声が震えてくる。でも話し出したこの気持ちは止められなかった。
「先輩に会ってから、なんだか寂しくなるんです。一人が一番いいって思ってたのに。一番楽だって思ってたのに。今は、一人でいることがたまらなく悲しくなるんです」
「・・・あーちゃんは、お父さんやお母さんに戻って来てほしいの?」
「・・・いいえ。父も母も、私の中ではもういない人です。多分、今、会ってもしゃべれないと思います」
「じゃあさ、」
先輩がこちらを向いて、私と見つめ合う。
「私と家族になろうよ」
「・・・え?」
「すぐにじゃなくても、もう少し大人になってからでも。二人だけの結婚、しよ」
「先輩・・・」
「返事はいつでもいいよ。私は待ってるから。 ・・・おやすみ」
「・・・おやすみなさい」
私は先輩のぬくもりを感じながら、ゆっくりと目を閉じた。
『先輩と家族に・・・』
そう考えると、なぜだかとても安心した。
そのせいか、私はまたすぐに寝入ってしまったようだ。
翌朝、私たちは並んでキッチンに立っていた。
先輩は食材や調味料などの場所を聞くと、手際よく朝食を作っていく。これがあのお弁当を作る実力か・・・
それを横目に見ながら、私も負けじと料理を開始する。
「あーちゃん、私がやるからいいよ」
「先輩、もしかして私は料理が出来ないと思ってます? 先輩程じゃありませんけど、人並みのことは出来ますからね」
「う、うん。それは分かったから・・・」
いーや、分かってない。その顔は『あーちゃんの胃袋鷲掴みだぜ、ぐへへ』って顔だ。私だって先輩においしいご飯作ってあげられるんだ!
その結果、出来上がったのは、ふかふかのだし巻き卵、絶妙な焼き加減の鮭の塩焼き、出汁の効いた豆腐のお味噌汁、一部生焼けのフレンチトースト、不揃いなサーモンのマリネ、少し焦げているソーセージとほうれん草の炒め物という、何ともちぐはぐな朝食だった。
「これは、ちょっと多すぎましたかね」
「だから言ったのに・・・ じゃあ、残ったらお弁当にしようか」
先輩は苦笑しながら言う。
「どこ行きます?」
今日は朝一で本屋さん巡りをして、ペアリングを買うところまでは決めてある。
「今の時期だと、植物園の丘陵公園なんてどうかな。上の方まで行けば人もいないだろうし、いい眺めだよ」
「ふ~ん、じゃあそこで」
そう応えながら、私はちらっと、先輩のきれいな左の薬指に目をやる。
そこに私とお揃いの指輪がはまるのだと思うと、どうしようもなく幸せな気持ちになる。
「あーちゃんってば朝からにやにやして気持ち悪い・・・」
「気持ち悪いは言いすぎじゃないですか?」
「じゃあ、」
先輩がすっと隣に並んで、ほっぺたにキスをする。
「朝から素敵」
私は目を閉じて、椅子の上で伸びをする。
夏休みに入り、今日は一日中、次回作のプロットを考えていた。
印象的なシーンやセリフを思い付くままに書き連ね、それらをパズルのようにあれこれと組み合わせていく。いい組み合わせがあれば、そこにさらに別のピースが付くか試してみるし、いい組み合わせがなければ、他のシーンやセリフを追加していく。
今は高校二年生。特段焦っているわけではないけど、のんびりもしていられない。今のうちにどんどん書いて、SF作家としての足場を固めておきたい。担当の桧原さんも、今は数を出すことが重要だと言ってくれた。その中で良作があれば、掲載してもらえる。
そう言えば、桧原さんの変わりようは、何だったのだろうか。いつから入院していたかは分からないけど、多分一か月ほどだろう。
ずっと親身になってくれていたのに、あの日の迷路の中での、ふいっと見捨てるような態度。
私が受賞できたのも、掲載してもらえるようになったのも、桧原さんのおかげだ。
「はぁ~・・・」
私は溜息を吐いて、息抜きのためにスマホを手に取る。先輩から教えてもらった、育成ゲームだ。
そんなにやり込んでいるわけではないけど、かわいいキャラが動き回るのが見たくて、ちょくちょく手を出している。
画面内ではメインとして使っているキャラがくるりと回り、敵の群れを一掃する。初めたての頃は敵一体にも苦戦していたのに、今では大技が出れば楽勝だ。
そして今の戦闘で経験値が溜まり、レベルアップのセクシー演出が挿入される。
ゲームでは戦闘を繰り返し、レベルアップすることで、より強敵とも戦えるようになる。
それを見ていると、自分の場合はどうなのだろうと考えてしまう。
自分の場合、敵というのは迷路の中心にいる、あの目玉だろう。でも何回攻略しても、自分がレベルアップしたようには感じられない。ただ、先輩から福を受け取って、壁や目玉を壊しての繰り返しだ。
反面、迷路の方は確実に強化されていっている。
迷路の出現する頻度は高まり、その攻略にかかる時間も長くなっている。この分だと、現実世界で過ごす時間よりも迷路の中で過ごす時間の方が長くなるのではないか、という恐れもある。
迷路の中と現実世界とでは時間の流れが違い、中で何時間過ごそうが、現実世界に戻ってくれば、それはほんの数分の出来事だ。
でも、迷路の中でも代謝は止まっているわけではない。
迷路の中に入っている私と先輩は、他の人よりもほんの僅か、累計で数日程は余計に加齢しているということだ。
別に若さにこだわるわけではないけど、そう考えると嫌なものだ。
この世界の危機というのは、いつまで続くのだろう。
迷路の攻略は、いつまで続くのだろう。
「やっほ~」
そんな時に、能天気な声と共に、私Bが現れる。
「またぁ?」
「そだよ~」
最近では連続して迷路が出現することも珍しくはないので、慣れたものだ。
「禍が増えてる理由は分かった?」
私はダメ元でいつもの質問をする。
迷路は、この世界で急速に増加している禍が凝り固まったような集積体によって作られる。だからいくら迷路を壊しても、その原因を断たなければ、根本的な解決にはならない。
でも、その返事はいつも同じものだ。
「情報不足」
「・・・まぁ、いいけどさ。場所は?」
「ここ」
スマホに座標が表示されるので、地図アプリにその座標を移すと、駅前の辺りだった。
「先輩の都合、大丈夫かな・・・」
時間は午後九時過ぎ。こんな時間に呼び出すのは申し訳ないけど、私一人ではどうしようもない。
『こんな時間に申し訳ありません。迷路が出現しました。駅前のコンビニまで来られますか?』
そうメッセージを送ると、数秒後には返信が来る。
『迷路の場所はどの辺?』
『駅前のようなので、コンビニから歩いて探そうと思います』
『おっけー』
先輩にも迷惑かけてるよなぁ、と思いながら、私は迷路攻略用に準備してあるカバンを持って、家を出る。
とりあえず駅前で先輩と合流してから、迷路への入り口を探そう。
駅前までは自転車で15分程だ。
私は『修復機構の一部だ』などと言われる前から学校はサボってたし、夜中に出歩くことも無かったわけじゃない。
でも先輩は違うだろう。あの様子だと家でも学校でも優等生として通っていたはずだ。それなのに夏休みを前にして、突然の外泊、サボり、夜間外出。
私には何も言わないけど、グレたとか思われてるんだろうなぁ。
迷路の出現時間が土日の昼に限定できればいいのに・・・
駅前に着くと、明るいコンビニの前で、先輩が手を振っていた。
まだ飲み屋などは営業しているため、アーケードも明るいことは明るいけど、外に人通りはない。
「先輩、お待たせしました。申し訳ありません、こんな時間に」
「いいよいいよ」
先輩は慣れた様子で笑う。
「ちょっと寄ってから行きましょう」
そう言って二人で駅前のコンビニに入る。
私のカバンの中には応急処置セットや水のペットボトル、ブロック栄養食やチョコなどが入っている。
急ぎの時はそのまま迷路に突入するけど、時間がある時には準備してある水とは別に、飲み物を買い足すようにしている。何しろ、迷路の中での時間は長い。快適さ優先というわけだ。
私はいつもの乳酸菌飲料を、先輩は紅茶のペットボトルを買った。
あとは私Bに指定された座標の辺りをぶらぶらしていれば、迷路への入り口が見つかるはずだ。
「すみませんね。こんな時間に来てもらって」
私はもう一度先輩に謝る。
「ううん、それは全然いいんだけどさ。あの、今日、泊めてもらえるかな?」
「え?」
先輩のカバンはいつもより大きいなとは思ったけど、もしかしてその中にはお泊りセットが入っているのか?
「ダメ?」
「え、い、いいですけど・・・」
突然の展開に、私は心の準備ができないまま、了承する。
「よかった。ほら、迷路の中で時間が経っても、現実世界じゃ数分じゃない? こんな時間に出てきて、すぐに帰るのも不自然でしょ? なんか、ケンカして帰って来たみたいだし」
それって、私とケンカしてってこと・・・?
「あの、先輩は何て言って出て来たんですか?」
「え? 普通にあーちゃんからの呼出しって言ったよ」
先輩は当たり前のように言う。
「・・・え? ご両親に私のこと言ってるんですか?」
「うん。学校では秘密にしてるけど、家族には言ってるよ」
「えぇ~・・・」
私はてっきり、誰にも内緒で付き合ってるものとばかり思っていた。
「・・・それでご両親は?」
「行っといでって。ここまで送ってくれたよ」
確かに先輩の自転車は見当たらなかった。ここに来た時にすぐに気付くべきだった・・・
「でも、こんな時間で何か言われませんでした?」
「あーちゃんのことはよく話してるから、もう信用されてるんだよね。ほら、あーちゃんの写真も見せてるし」
そう言って先輩はスマホの画面を見せてくる。そこには図書室で真面目に作業している時の私の写真があった。先輩の腕がいいのか、この写真だけを見ると、いかにも真面目そうないい娘に見える。
「・・・てかこれ、隠し撮りですよね」
「そうだよ。あーちゃんの自然な表情が出てるでしょ?」
先輩は悪びれることなく言う。
「他の人は彼氏のこと隠したりするみたいだけど、ウチでは普通に話してるよ。弟の彼女のことも知ってるし」
そういうことは今まで考えたことも無かったけど、そういうものなのか。
でも、まさかご両親公認だったとは・・・
何か言いようのない責任感というかプレッシャーを感じる。
「あと、お母さんにだけは、あーちゃんとエッチしたことも言ってあるよ」
流石にそれは行き過ぎでは・・・
「何だったら、今度ご挨拶に来る? 喜ぶよ~」
「・・・どう考えても無理です」
ただでさえ人と会うのは苦手なのだ。そんなことになったら、絶対に何もしゃべれなくなるに決まっている。
「うん。もう少し経ったらね」
先輩はニコニコしながら言う。
やがて、居酒屋の看板の横に、蜃気楼のようなものがモヤモヤしているのを見つける。迷路の入り口だ。
「ありました。先輩も見えます?」
「うん、あのモヤモヤしたのでしょ?」
先輩はゲートをしっかりと指差した。この前、私Bが調整したとかで、先輩も禍福を見ることができるようになっているのだ。
「はい。行きましょう」
そうして私たちは手を繋いで、せーので迷路に侵入する。
中は夜の商店街で、建物の隙間や大きな立て看板など、死角はいくらでもある。そして、前回のように、大量の目玉が湧いて出るはずだ。
でも私の力も進化したと言っていたし、何より、先輩も目玉が見えるようになっている。こっちの戦力は大幅増だろう。
そうしてまずは周りを確認していると、早速目玉がやって来る。
「先輩、あれです」
「え、あれ?」
私がスーッと寄って来る目玉を指差すと、先輩は少し驚いたような顔をする。
「もっとグロテスクで気持ち悪いものだと思ってた・・・」
いや、十分グロテスクですけど?
まぁ、先輩が怖がったりしないのなら、それはいいことだ。
「じゃあ、あーちゃん、お願いね」
「はい!」
先輩からの福の供給を受けて、私がハンマーで目玉を叩き壊す。
目玉のスピードが少し早くなったかな、という程度で、前回とあまり変わっていない。今のところ、追加のギミックもなし。
よし、油断しなければ大丈夫だ。
私たちは辺りを警戒しながら、引かれるような感覚に従って歩き出す。
黒い壁がそこら中にあったり、大量の目玉が寄ってきたりもするけど、前回のようなピンチにはならない。
「あの、先輩のご両親は、私のこと何か言ってます?」
迷路の攻略が順調に進む中、私は思い切って先輩に尋ねる。
「ふ~ん・・・ 気になる?」
「・・・ええ、まぁ」
他人の評価など全く気にしないけど、先輩のご両親となれば、話は別だ。
「お母さんは、優しくてしっかりした子だねって。すごい褒めてたよ。お父さんは、私が選んだんだったら誰でもいいみたい」
そんな褒められるようなことしたかな・・・ まぁ、先輩の伝え方なんだろうけど・・・
それから先輩は家族のことをいろいろと話してくれた。
お父さんが酔っぱらって床で寝た後で、原因不明の腰痛があると言い出したこと。
お母さんが料理が上手で、小さい頃から憧れていたこと。
弟に彼女が出来た時に、みんなでお祝いしたこと。
私にはどれも実感のないことだけど、『先輩の家族は面白いなぁ』という印象で、笑いながら聞いていた。
そんな話をしながら歩いていたせいか、気付けば、迷路の中心部だ。
大きな目玉の周りからは大量の目玉が湧き出してくるけど、対処法が分かれば、どうということはない。
まずは本体の周りを叩いて目玉の湧き出しを止めたあと、本体に一撃。これで完了だ。
そして、大きな白い気流を辿って、現実世界の入った場所に出てくる。正直、これが一番助かる。
そこで私は、あ、と思う。
先輩はここまで送って来てもらったので、私の家までの足がないのだ。
「自転車ここに置いておくので、一緒にタクシーで帰りましょうか」
「そんなもったいないことしなくていいよ。私がこぐから乗って」
そう言うと先輩はカバンを体の前に担ぐと、私の自転車のハンドルを持つ。
「え、だって家まで結構ありますよ」
「運動部の体力を甘く見てるね?」
先輩は自信たっぷりで自転車に跨る。
「じゃあ、お願いします」
「行くよー」
私が自転車の後ろに跨ると、先輩は勢いよく自転車をこぎ出す。
「しっかり掴まっててね」
「はい」
私は思い切って、先輩の腰に腕を回し、しっかりと抱き着く。
先輩が言ったように、その体力はなかなかのもので、私一人で乗ってるときより速いのではと思うほどだ。
密着させた体から、先輩の体の動きや呼吸が伝わってくる。
その時、私は小さい頃、これとよく似た経験をしたことを思い出した。
父のこぐ自転車に乗って、どこかに出かけたのだった。あれは確か、母へのプレゼントを買うためだったと思う。
その頃は確か私が自転車に乗り始めた頃で、父も練習に付き合ったりするために自転車に乗っていた。
車だと外出がバレるからと、父はいたずらっぽく笑っていたのだ。
父のこぐ自転車のスピードは驚くほど速く、その背中にぎゅっとしがみ付いていた覚えがある。
私には家族らしい思い出はあまりないけど、忘れているだけで、そんな頃もあったのだ・・・
一人で生きていくと決めたのは、いつのことだったか・・・
懐かしさから、私は先輩の背中で目を閉じていた。
家に着くと私はすぐにお風呂の準備をして、先輩に先に入ってもらう。
先輩は、他の人の家で先に入るわけにはいかないと言っていたけど、今日一番疲れたのは先輩だ。先に入る権利がある。
そうして先輩をお風呂に送り出すと、先輩が上がってくるまでと思い、ベッドに横になる。
先輩の家族は仲がいいんだな・・・ 私にも小さい頃の思い出があったんだな・・・
そんなことを考えている間に、私は眠ってしまったようだ。
ふと気づくと、部屋の明かりは消され、布団が掛けられている。
カーテンの隙間から漏れるかすかな光で、私の隣で先輩が向こうを向いて横になっているのが分かった。
暗く静かな部屋の中で、先輩の静かな寝息だけが聞こえてくる。
私は無性に寂しさを感じ、そっと先輩の背中に体を寄せる。
「・・・先輩」
「なぁに」
思いもしなかった返事が返ってくる。
「え、起きてたんですか?」
「うん」
先輩は向こうを向いたまま、黙っている。
「・・・あの、変なこと言っちゃうかもしれないんですけど」
私はそう前置きして話し出す。
「この家、父も母もいないんですよね」
私はぽつりぽつりと話し出した。
「二人とも他所に愛人作って、ここには寄り付かないんです。はっきりとは言ってませんけど、私が高校卒業するのを待って、離婚するはずです。二人とも私とは暮らしたがらないでしょうから、その時にまとまったお金をもらって、一人暮らしを始めるつもりです。もう行く大学も決めてるんですよ。SF作家の夢もありますけど、無理だったら、どっちか一本に絞ればいいわけですし。結構、計画的にやってたんです。これなら一人で生きていけるなって。でも・・・」
なんだろう。なぜか声が震えてくる。でも話し出したこの気持ちは止められなかった。
「先輩に会ってから、なんだか寂しくなるんです。一人が一番いいって思ってたのに。一番楽だって思ってたのに。今は、一人でいることがたまらなく悲しくなるんです」
「・・・あーちゃんは、お父さんやお母さんに戻って来てほしいの?」
「・・・いいえ。父も母も、私の中ではもういない人です。多分、今、会ってもしゃべれないと思います」
「じゃあさ、」
先輩がこちらを向いて、私と見つめ合う。
「私と家族になろうよ」
「・・・え?」
「すぐにじゃなくても、もう少し大人になってからでも。二人だけの結婚、しよ」
「先輩・・・」
「返事はいつでもいいよ。私は待ってるから。 ・・・おやすみ」
「・・・おやすみなさい」
私は先輩のぬくもりを感じながら、ゆっくりと目を閉じた。
『先輩と家族に・・・』
そう考えると、なぜだかとても安心した。
そのせいか、私はまたすぐに寝入ってしまったようだ。
翌朝、私たちは並んでキッチンに立っていた。
先輩は食材や調味料などの場所を聞くと、手際よく朝食を作っていく。これがあのお弁当を作る実力か・・・
それを横目に見ながら、私も負けじと料理を開始する。
「あーちゃん、私がやるからいいよ」
「先輩、もしかして私は料理が出来ないと思ってます? 先輩程じゃありませんけど、人並みのことは出来ますからね」
「う、うん。それは分かったから・・・」
いーや、分かってない。その顔は『あーちゃんの胃袋鷲掴みだぜ、ぐへへ』って顔だ。私だって先輩においしいご飯作ってあげられるんだ!
その結果、出来上がったのは、ふかふかのだし巻き卵、絶妙な焼き加減の鮭の塩焼き、出汁の効いた豆腐のお味噌汁、一部生焼けのフレンチトースト、不揃いなサーモンのマリネ、少し焦げているソーセージとほうれん草の炒め物という、何ともちぐはぐな朝食だった。
「これは、ちょっと多すぎましたかね」
「だから言ったのに・・・ じゃあ、残ったらお弁当にしようか」
先輩は苦笑しながら言う。
「どこ行きます?」
今日は朝一で本屋さん巡りをして、ペアリングを買うところまでは決めてある。
「今の時期だと、植物園の丘陵公園なんてどうかな。上の方まで行けば人もいないだろうし、いい眺めだよ」
「ふ~ん、じゃあそこで」
そう応えながら、私はちらっと、先輩のきれいな左の薬指に目をやる。
そこに私とお揃いの指輪がはまるのだと思うと、どうしようもなく幸せな気持ちになる。
「あーちゃんってば朝からにやにやして気持ち悪い・・・」
「気持ち悪いは言いすぎじゃないですか?」
「じゃあ、」
先輩がすっと隣に並んで、ほっぺたにキスをする。
「朝から素敵」