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作者: 尾久沖 千尋
残酷な描写あり R-15
#26 聖騎士の嗅覚
 オキガエルの串焼きを頬張りながら、その後も街を散策していると――

「ダス――お兄様、あの人は……!」

 見覚えのある顔に気付き、ダスクの服の袖を引っ張って報せる。

「あいつ……大聖堂で見た聖騎士だな」
「はい。確か名前は……ザッキス……!」

 彼については、ジェフやオズガルドから少し話を聞いた。

 栄耀教会関係者を多く輩出する名門ズンダルク家の出身、ザッキス・エルハ・ズンダルク。
 驚いた事に、ラモン教皇と現皇帝という、栄耀教会とウルヴァルゼ帝国のトップ二人を祖父に持つという、この国に於ける最上位のサラブレッドだという。
 しかし血筋は立派でも、人間としては最低である事を私は身を以て知っている。

 私達に気付いてやって来た訳ではなく、単なる見回りで偶然こちらへ向かって来ているようだ。

「どうしましょう?」
「下手に動くと怪しまれる。このまま串焼きを食べながら、何食わぬ顔をしてやり過ごせばいい」

 今の私達は変装して、一見しただけではそうと気付かれない姿になっている。
 ほんの一度か二度対面しただけの、傲岸不遜な若輩者に見破られるとは思えない。
 ダスクに言われた通り、動揺を表情に出さないように食事を続ける。

 ザッキスと、彼に従う聖騎士達がすぐ横を通り過ぎた。

「ふぅ……」

 気付かれなかった、と小さく安堵の息を吐き出したその時、

「――臭い」

 そんな一言と共に、ザッキスがピタリと足を止めた。

「この場にそぐわない悪臭がする。――そこのお前達から」

 振り返った卑劣な聖騎士の眼が私達と合った。

「香水か何かの匂いに混じって、お前達の体から微かにドブの臭いがプンプンしてくる。まるでつい先程、地下水路を通ってきて、それを誤魔化そうとしているような感じだ」

 昨夜の聖宮殿の客室で、私が熱湯を浴びせて出来た顔の火傷。
 それが目の前の私に反応しているとでも言いた気に、ザッキスが顔を撫でながらにじり寄って来る。

「……恐れながら、それはこの串焼きの香りでは? お一つ如何です?」

 平静を装ったダスクが間に割り込み、オキガエルの串焼きを差し出す。
 しかし、ザッキスはフンと鼻を鳴らし、腕を振り抜いてパァンとその手を払い除けた。

「私もズンダルク家出身の聖騎士として、これまで数多くのアンデッドを滅してきた。お陰で奴らの『臭い』がそれと無く分かるようになった。鼻で感じるドブ臭さなんかじゃない。太陽に怯えて闇にうごめく怪物達の、どす黒く汚らわしい気配がな」

 弾き飛ばされ、地面に転がった串焼きを、芋虫でも殺すようにザッキスがグシャリと踏み付ける。
 人間性は想像以下だが、聖騎士としての能力や経験は想像以上だった。

「とは言え、所詮は単なる勘だ。勘だけで決め付けるのは愚か者のする事。よってお前達に潔白を証明するチャンスをやろう」

 そう言ってザッキスは懐から何かを取り出し、それをダスクの靴へポンと放り当てた。

「見て分かるように、それは聖水だ。それを飲み干せたのなら、私の勘違いという事で、お前達の身の潔白を信じようではないか」
「……ッ」

 アンデッドにとって、聖水は硫酸も同じ。
 聖水に多少は耐性があるダスクでも、一瓶の量を体に入れれば命は無いだろう。

「どうした? 早く飲んでみろよ。一日の労働が終わった庶民が、安っぽいビールで疲れと渇きを癒すようにな……!」

 躊躇うダスクの様子を見て、己の勘を正しさを証明したザッキスが、ニタリと残忍な笑みを浮かべる。

 彼に従っていた聖騎士達が私達をぐるりと取り囲み、抜剣して臨戦態勢に突入。
 殺伐とした空気に気付いた市民達が、潮が引くように一斉に逃げ出した。

「――やはり地下水路に潜伏していたのか。しかし、昨日の今日で、二人揃って呑気に街中を見物しているとは……馬鹿なのか?」

 返す言葉も無かった。

「……確かに迂闊だったようだ。それから貴様の事も少しみくびっていた。今夜の事は大いに反省しなくてはな」

 正体を見破られたダスクが、鋭利な牙を見せ付けて唸る。

「なあに、反省の必要など無いさ。した所でもう貴様らに次の夜は訪れない。貴様らが今すべきは後悔と絶望、それだけだ」
「生憎、その二つなら三百年前に済ませている……ッ!」

 ダスクが足元に転がっていた聖水の小瓶を爪先で蹴り付け、正確にザックスの顔面へと飛ばす。
 だが、その動きをザッキスは読んでいた。

「『蛇行する輝鎖スネーク・チェーン』」

 飛んで来た聖水を事も無げにキャッチすると、空へ跳び上がった私達へ魔法を発射した。
 魔法で生み出された鎖が、大蛇の如くくねりながら私達へ巻き付き、あっと言う間に拘束した。

「ぬぐ……ッ」
「これは……ッ!?」

 他の聖騎士も同じく『蛇行する輝鎖スネーク・チェーン』を放ち、私達は二重三重に締め上げられ、完全に身動きを封じられた状態で石畳の上へ落下する。

「フハハッ、まるで漁船の甲板に釣り上げられた魚だな。手も足も出ず、ただビチビチと体を跳ねさせる事しかできない。これならば昨夜見せたような謎の転移による離脱もできまい」

 勝利を確信したザッキスが剣を抜き、小瓶から滴る聖水で剣身を濡らし始めた。
 あれでとどめを刺す気だ。

「さて、どちらから先に始末して欲しい? ヴァンパイアか? それとも女か? 貴様らで決めてくれよ」

 ニタニタと笑いながら残酷な選択肢を突き付ける。
 どこまでも癇に障る男だ。

「決められないのなら、仲良く同時に首を刎ねてやろう……!!」

 聖水で濡れた剣が来る。
 拘束を破る術も、身を躱す術も無い。

「死ねぇぇぇぇえええええええええええええええええええッ!!」

 歓喜で歪み切った表情で、ザッキスが剣を振り抜き、そして――

「えっ……」
「これは……ッ」
〈あれ……?〉

 ――私達三人は、だだっ広い草原の真ん中に横たわっていた。

「まただ! あの時と同じ、カグヤの能力……!」

 時間と空間が飛んだように、一瞬にして遠く離れた場所へ移動している。
 ダスクとセレナーデも一緒で、全身を絞め付けていた『蛇行する輝鎖スネーク・チェーン』すら解けている。

「どこかへ転移したみたいですが……ここはどこでしょうか……?」
〈具体的な場所は分からないけど、多分あそこが帝都だ〉

 セレナーデの尻尾が示した先には街灯り。
 ここは帝都から数キロ離れた、無人の草原らしい。

「ジェフ、ザッキス達の様子はどうだ? ノクターンはまだ向こうに居るんだろう?」
〈観てみるよ。どれどれ……ああ、うん、彼らも呆気に取られているよ。あの時と同じだ、どこへ消えたと言って、付近をウロウロキョロキョロしてる〉

 有り難い事に、全身の動きを封じれば転移できない、という彼らの読みは見事に外れた訳だ。

「でも、どうしましょう。彼らから逃げられたのは幸運ですが、帝都から遠く離れてしまいました……」
〈朝までには問題無く着ける距離だけど、入都する際には検閲がある。指名手配されている君達では間違い無く気付かれて、聖騎士団を呼ばれるのがオチだ〉
「地下水路を通って入る事はできませんか?」
〈地下水路を使っている事がザッキスにバレた以上、そっちの警戒も厳しくなっているはずだ。今僕が居る地下室に着く前に見つかってしまう〉

 フェンデリン家の関与が発覚すれば、匿ってくれたオズガルドやエレノア、サリーにも迷惑が掛かってしまう。

「……カグヤ、今の転移をもう一度できるか?」

 考え込んでいたダスクが訊ねる。

「できる、とは思いますけど……」

 私の魔力の解放条件は未だ不明だが、こうして転移できた以上、今はそれが満たされているのは間違い無い。

「ではこれまでとは違い、行き先を指定する事は……?」
「それは、分かりません……」

 冥獄墓所への転移も、サウレリオン大聖堂からの脱出も、今の離脱も、敵の居ない場所へ避難できればいいという気持ちだけで、特定の場所を目指す意思は働いていなかった。

「では試してみてくれ。行き先はフェンデリン家の地下室だ」
「はい……」

 私に触れており、かつ許可した相手であれば共に転移できる。
 セレナーデを抱き上げ、ダスクが肩に触れたのを確認してから、フェンデリン家の地下室を思い浮かべながら念じる。

 危険な状況ではないのに、場所の指定など初めてなのに、果たして上手くいくのだろうか、という不安が波のように押し寄せる。

 ――だが、それは杞憂だった。

「きゃっ……!?」
「うわ……ッ!?」

 気付けばそこは草原ではなく、思い浮かべた通りの場所に私達は立っていた。

 目の前で驚いた声を上げたのは、サリーとジェフ。
 まばたきよりも短い時間の内に、パッと現れたのだから。

「や、やあ、お帰り……」

 戻って来たセレナーデを撫でて、ジェフが苦笑いする。

「えっ? えっ? い、いつの間にお帰りに……!?」

 事情を知らないサリーが、突然現れた私達を見て困惑していた。

「た、ただいま戻りました……」

 上手くいった事に驚きと安堵を感じながら、帰って来た落ち着ける場所で、見知った人々に挨拶する。

「早速で悪いがサリー、エレノアを修練場まで連れて来てくれないか。鑑定水晶も持って来るように言ってくれ」
「か、畏まりました……」

 ダスクに頼まれて、サリーが速やかに退室する。

「どうしてエレノア様を?」

 てっきり今回の件の報告と謝罪かと思ったが、ダスクの答は意外なものだった。

「君の魔力の解放条件が分かった」
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