残酷な描写あり
第35話 一発殴ってやる
状況は、シンプルでありながら複雑な形に変わった。
暴走する五十嵐さん──彼方の厄介ファン──を退けたかと思えば、そこにもかさんが、そして同じタイミングで、あの『ドグラマグラ』が現れた。五十嵐さんも持っているであろう例の機械を回収しようというタイミングにだ。
一つ確かで幸いなのは、もかさんは『ドグラマグラ』の能力者ではない点。だからやる事はシンプル、目の前の『ドグラマグラ』を倒せばいい。ただ──繁華街から大きく外れたこの廃倉庫を、それもピンポイントに同じタイミングで現れた、それを偶然の一言で済ませることはどうしてもできなかった。
「タマキ……アンタ、リンカー能力者だったワケ!?」
「そういうもかさんこそ、僕が探してた人材にピッタリ当てはまってたなんて」
「あー、変な人探しってそういう……。変人扱いされてなくて何よりっていうか……」
「お前ら、そんな事でオレに白羽の矢を立てたワケ?」
「あっ、あの僕はそういう訳で探してた訳じゃなくてあっ、いや……」
そこでもかさん一人のせいにするのはちょっとヤなヤツだ……!
「アナタたち、少しはシリアスな空気になってくれないかしら。少なくともタマキ、アナタはヤツに集中すべきよ」
ずっと臨戦態勢を崩さなかったヒカリ。正直、上手い役割分担になったと思う。
本当にもかさんがリンカー能力者なら。そしてもし、目の前の──『ドグラマグラ』と敵対してくれるなら。そんな事を考える。
どうあれ、やることは変わらない。『ドグラマグラ』と対峙する。そして、できればここで、倒す。
その『ドグラマグラ』が、ニチャリと不気味な笑みを浮かべ、口をパックリと開く。
『気づかなければ良かったのニ。内緒ノままデ、ワタシヲ見逃してリャ。きっと後悔するゾォ~』
「随分と馴れ馴れしいな。ようやくちゃんと話せる機会に、勝手に盛り上がってるのか?」
『冷たいこと言うなヨ。私ト君ノ仲だロ?』
「お前とお友達なんて、死んでもやだね」
『なら試しニ死んでみるかイ?』
「友達ならジョークとして聞き流してやるけど。笑えないジョークだね」
『おおそうかイ。なラ、ちょっと遊んでやろうカ……?』
沈黙──。
呼吸すら、許されないかのような、静かな──間。
「ったぁっ!!」
最初に動いたのはヒカリだ。砂埃を巻き上げ力強く地面を蹴り『ドグラマグラ』との距離を一気に縮める!
眼前に迫っての先制連撃。拳のラッシュにさらに距離を縮める為の助走と同時に膝蹴り。しかし『ドグラマグラ』はその全てを見切り捌いていく。
そう捉えた場合、敵との練度の差が圧倒的だと見えてしまうかもしれない。
だがヒカリからの攻撃を捌く為に、『ドグラマグラ』は手のひらを上手く使えていない。ヒカリには事前に手のひらに注意するように共有してあるからだ。
ヤツが能力を使う為には、手のひらを使う必要があると考えてる。僕らの光線、『ニンヒト』もそうやって防がれてきた。
ヒカリはがむしゃらに攻撃している訳じゃない。胴体や前腕を敢えて狙っている。手のひらが来ようものならソレを受け流している。ヤツの能力を使われないようにだ。
『挑発してた割ニ、戦うのはお人形さんだもんナ。何もできない無力ナ本体!』
「そう言うお前は、本体の姿も見せられない臆病者だな。見えているから分かる事がある、僕らが相棒だから分かる事がな」
『ビビって口数増えたかナァ?』
まだ余裕でいられるか。いや、むしろ焦って逃げないのは好都合か。
このパワーとスピード、そして攻撃を捌ききる正確な動き。リンカーに目でも付いてるのか、そうじゃない。本体が近くにいるんだ。シンプルな手品なら、ヤツの能力と考えられる『異次元に潜る』能力で近くに隠れている筈だ。
「──いま!」
「『ニンヒト』!」
『ドグラマグラ』と腕を絡ませ、ガードのスキマを縫い、差された指から放たれる強い光! ヒカリの合図で放たれたソレはしかし、頭を軽く反らして回避されてしまう。
『おっト! 惜しい惜し……』
光。さっきよりは弱く、細くて、けれど確かな光線が『ドグラマグラ』のアゴを打った。
「あら。おっきい姿なら詠唱なくても撃てるの、知らなかったかしら? 異次元ストーカーさん」
『クソ人形ッ!!』
そう吼え絡ませた腕を解きながら、ヒカリへキックをし後退した。その次の瞬間、『ドグラマグラ』の姿が影の中へ消える。
「彼方! もかさんも! 今のうちに五十嵐さんを!」
「は、アタシ!?」
「タマキ! さっきのヤツとの会話……」
「話は後だよ彼方! アイツは逃げた訳じゃない!」
「なら話は早い!」
その時気配を感じた、僕の真後ろだ。『ドグラマグラ』は背後を取って不意打ちをしようとしている。
僕は咄嗟に、肘打ちで対抗を試みる──!
『──何ィ!?』
「痛……くない、これは?!」
気付かぬうちに僕の右腕に盾が装着されていて、攻撃を逸らしていた。『5』の数字を象ったエンブレム、すぐに気づいた。
「『ジョニー・B・グッディーズ』をお前ら2人に託す! オレはボロボロだからさ、上手く使いなよ!」
「彼方!」
『……ドモ』
盾になった『五弦』が軽く会釈をする。その『五弦』をそのまま『ドグラマグラ』へ押し付けてアタックし、その反作用で僕は後退した。
そのスキにヒカリが躍り出る。それを見て『ニンヒト』を唱える!
『小癪ナ……ガキどもガッ!』
「聞こうか、『超克の教団』の目的を。あの機械をバラまいて、イタズラにリンカー能力者を増やして、それで何がしたい!」
僕の質問にしめたとばかりにしたり顔したのを、僕は見逃さなかった。余裕を無くしたかに見えた『ドグラマグラ』は、調子を取り戻して嬉々として語る。
『教えてあげようカ? あの機械ハ「テクノ」というんダ。気取った名前だロ?』
挑発に乗せるつもりか? だったら熱くならないさ、単純な奴め!
『黙るなヨ、ノリ悪いヤツだナァ~』
「質問の答えになってないから黙ってるんだ。続けなよ。『テクノ』とやらをバラ撒いて、その目的は?」
『それヲ言って私ニなんノ得ガあるのかナ?』
「惜しいな。ギャフンと言わせてやったから、今回は見逃してやってもよかったのに」
『ちょっとマウント取ってイキっちゃったかイ?』
しまった、タイミングをミスったか。『ドグラマグラ』はすっかりいつものニヤニヤ顔に戻ってしまった。もっと痛めつけてやるべきだった。
その薄ら笑いを浮かべたまま『ドグラマグラ』が主導権を握ったとばかりに話し続ける。
『終わってみれバ……くだらない理由デ戦っていたナ、お前たチ……』
「くだらない……?」
『つまらなイ、そう言い換えようカ? つまらない感情ニ流されて、無関係ノ他人ヲ巻き込んデ、そしてお前らト殺し合いごっこしテ。本当ニつまらなイ』
僕はムっとした、それもかなりだ。
僕だけじゃなくて、彼方や五十嵐さんも小馬鹿にしてるのか?
そう聞こえて腹を立てた。
『我妻 タマキ、お前モ首ヲ突っ込まなけれバ、こんなくだらない事ニ巻き込まれずニ済んだものヲ。ほんとニくだらないよナァ~?』
「けど、どう捉えようがお前の仕業には違いない、お前が諸悪の根源。そうだろ? 『ドグラマグラ』……!」
『だガ、そいつガお前らヲ襲った事ニ変わりなイ。助ける価値ガあるかナ……?』
「人の価値をお前が計るなよ。ましてやお前が唆したんだろうに。こないだ再寧さんと戦ったあの人といい。そうだ、その人はどうした」
『おまわりさんから聞いてないのかナァ? 殺したヨ』
あっさりと、そう喋った。そこらを飛んでたハエでも潰したみたいに。潰して一息ついたみたいに。
「人を殺した」。その事を、適当な調子で、そう言ったのだ。
目の前のゲスがさらに続ける。
『本当ニ情けないヤツらだよナァ? あのおまわりさんガヘタれてなかったラ? お前ガ倒れてモそっちノお人形さんガちゃ〜んと役割分担できていたラ? あのクズヲしっかり逮捕できてたかもナァ?』
「……許せない」
一言漏れて。
『おいおイ……。まさかあんなクズ野郎のことまで気にかけテ、英雄気取りかイ?』
頭に血が上って。
「……そうじゃない。それも、あるかもな──!」
僕の怒りは──爆発した。
「許せるワケがないだろっ!! お前たちが吹き込んだせいで、どれだけ多くの人が苦しんでるのか分かってないだろっ!」
『おいおイ、やめてくれヨ。人ノ悪意ハそいつノ性格ノ問題だロ? ワタシ達ハ退屈ナ人生ガちょっと豊かニなる手段ヲ教えてるだけじゃあないカ』
「都合のいい言葉を並べて……! 自分の行いに目を向ける事もできないのか!?」
『今言ってんのハ自制モ出来ない畜生どもノ話だゼ? 一緒ニ悪口言ってスッキリしてやろうってのにヨォ〜』
怒りが、湧き上がる。ここで本当に感情的になったら、それこそヤツの思うツボだ。あくまで、冷静に見極めるんだ。
「そうかい、だったらそっちの土壌で語ってやるよ……! 確かに五十嵐さんは僕らへ理不尽に襲いかかった、いい迷惑だったよ!」
『ドグラマグラ』は口の端を吊り上げた。思い通りにしたつもりか、ますます腸が煮えくり返る。
思いを、ぶつけてやる──。
「けど元はと言えば、お前が『テクノ』とかいう機械で五十嵐さんをリンカー能力者にして弄んだからだ。そうでなければもっとマトモに彼方とコンタクト取れたかもしれないのに、責任取りようもない過剰な力をお前が与えた! 五十嵐さんの願いを歪ませた! その一点には変わりない!」
自然、拳を握っていた。また、怒りだ。悲しみも、ある。みんなを否定された悲しさ。そして、真秀呂場を目の前で殺されたときの、恐怖と絶望。『ドグラマグラ』に対する感情が、僕の中でふつふつと湧き上がってきていた。
「……それを棚に上げて、僕のみならず、五十嵐さんに彼方、再寧さんも、ヒカリの心まで嘲笑う『ドグラマグラ』ッ!! 僕は絶対に、許さないっ!」
感情をぶつける。怒りの理由が、許せない理由がむしろスッキリまとまった。
『アー、ダメダメ。話ニなんなイ。読書感想文ナラ冬休みニやれヨ』
対して『ドグラマグラ』は興ざめだという反応だった。再び姿を消す。また不意打ちをしようという魂胆か。
「んっんぅ〜、ホント最高ね、タマキ。守りたいものの為に素直なアナタの心、こっちが守ってあげたくなるわ」
「うん、ありがとヒカリ。じゃあ、お言葉に甘えて」
ヒカリと背中を合わせる。目の端に倒れる五十嵐さんを収め、彼方と目を合わせる。
「『五弦』、彼方! コイツに対してシールドは有効じゃない、やるなら捕縛しやすい形態だ!」
「……うん、捕縛?」
行動はすぐだった。僕の目の前に堂々と『ドグラマグラ』は現れる。
右腕を引いてきた。さっき防がれた盾を前にして一撃で仕留めようとばかりの動きだった。
僕もまた『五弦』が装備された右腕で、その腕を狙う!
『ッ!? うッ、腕ガ!?』
的中だ。『ドグラマグラ』の腕を、盾だった筈の物が、二本の長さの異なる棒となって捕えた!
「すまん、手錠かコレしか思い浮かばなかった!」
「十手か、良いセンス!」
棍棒の根元にもう一本短い棒、鉤の付いた、江戸時代の捕縛武具、十手!
そのまま屈んで捻り、絡ませ、僕の背中を乗ってヒカリがキックをお見舞いする!
『ナメるなヨッ!!』
ガゴォンッ!!
『ドグラマグラ』が左腕で自分の右腕を覆ったかと思えば、捻って止められていた右腕が十手からスッポリ抜けていた。ヤツのリンカー能力だ。キックされたのを逆利用され、距離を取られる。
その『ドグラマグラ』に、僕は凄んで話し始める。
「お前のリンカー能力、段々と細かいとこまで分かってきた。能力発動のキーは『手』だ。一つに、僕らの光線、攻撃をその中へ消したりできる。二つに、その手ですり抜けなんかもできる。けどバトル漫画によくあるような、別地点への空間・瞬間移動はムリみたいだな。だからわざわざ僕らに近づいて攻撃してる」
『だかラ?』
「三つ目だ、重要なのは。手のひらの中に物を隠す、なんてのもできる筈。お前がさっきから消えてるのもそれだよ、まるで四次元ポケットみたいに」
『ドグラマグラ』がピクリと眉を歪める。──これで確信だ。
「そこに本体が隠れてる。ずっと疑問だった。リンカーがこうして直接戦闘をしてるのに、周りに本体の影が見えないならまだしもパワーを保ったまま、しかも見えてるみたく正確に動く。それは他ならぬ、四次元空間の中に本体が隠れてるからだ!」
指を突きつけて、宣言してやった。しばらく『ドグラマグラ』は静止していたが、ハッ、と鼻で笑い、口をニタリと開く。
『カマヲかけた……つもりカ? お前、自分ガさっきから憶測デものヲ語ってるのが分かってないのカ?』
「こりゃ参った、図星当てられて反論もできないか。正体不明の存在──幽霊や宇宙人、妖怪なんかだ。昔の人はそれを恐れ、だから名前をつけてせめて存在をハッキリさせようとしたらしい。けれど、科学の進歩した現代では、それらは自然現象として片づけられてる。『ドグラマグラ』、お前もただのちっぽけな人間が正体なんだから、なるほど大したことないな」
『イキるノハ勝手ダ。けド、目的忘れてないかナァ?』
「──っ! タマキ、五十嵐が!」
ヒカリが声を荒らげた。
『ドグラマグラ』の真後ろだった。出入り口付近で気を失っていた五十嵐さんが引きずられて、さらわれようとしていた。何者かに、肩を持って引かれて。
『私トノ遊びニ夢中ニなってくれてありがとウ! 結局ハあのガキさえ回収できりゃそれでいいからナァ!!』
「そっか。彼方!」
目を丸くする彼方。その表情のまま、手はしっかり動いていた。
手には何がモチーフかも分からない簡単なライフルを持ち、鈍い音を鳴らして弾丸を二発、五十嵐さんがさらわれた方向へ発射。
先に撃たれた一発目になんと腕が生え、二発目をキャッチしたかと思えばソレを蹴って出入り口へ放つ。外ではシュコンっ、と軽い風きり音が響いた。
詳細にすると訳の分からない状況だが、一連の流れはつまり、彼方のリンカー『ジョニー・B・グッディーズ』が変型し、五十嵐さんをさらった何者かを撃ったのだ。
「これでいい?」
「ナイス!」
気づけば僕は彼方に微笑みかけていた。彼方が僕に合わせてくれるのが、そして僕もそれを望んでるのが、繋がる喜びを感じられた、それが本当に嬉しい。
『なんダ……そリャ、無いだロ!?』
「少しは理不尽に巻き込まれる人の気持ちが分かったか」
『ハッ。バカメ、自分デ理不尽ト言うカ』
「おっと、説明不足だった。僕らのは理不尽に対する報復だ。お前は恨まれる側の人間だ、分かったか」
愕然とする『ドグラマグラ』。ついに余裕が崩れた。そこへ容赦なく『ニンヒト』を唱えて撃ち込む。
平静を取り戻した『ドグラマグラ』は、腕を振って光線を弾いたり手のひらの亜空間へ消滅させる。
そこへヒカリが距離を詰め、再びコブシのラッシュで畳み掛ける。アイツへの有効打は遠距離じゃなく、近距離だ。『ニンヒト』はあくまで牽制、願わくばゼロ距離による高火力攻撃。
「ニンヒト!」
頭を狙ったゼロ距離射撃が避けられる。それが隙になった。左指で撃ったからだ。ヒカリはそのまま左腕を鈍器のようにして叩きつけ、怯んだ『ドグラマグラ』の脇腹を狙って右腕を──!
パァンっ!!
「ヒカっ──いや閃光、弾!?」
隠してたのか、四次元ポケットに!
突然の強い閃光と、耳を貫かんばかりの大音量。閃光弾だ。
直接のダメージはない、確かにそうだ。だけど間近で強い閃光と騒音を感じたヒカリはモロに影響を受けてしまったらしい、感覚の共有で目眩と音響外傷の影響が僕にも微かにある。目がボヤけて耳鳴りもひどい。
『──見えないよナァ、リンカーノ背中でサァッ!!』
わずかに聞こえた声。ボヤける戦闘。
空振りだ、ヒカリのコブシは当たっていない、平衡感覚も乱れて踏み込めてもない。
対して『ドグラマグラ』は得意げな顔でジャブをヒカリの顔へ二発、それが僕にも伝わる。腕を引いて──!
「ヒカリィッ!!」
叫んでた、僕は。
右足を踏み込み、滑らせる。前へ滑っていく。
靴の底がローラースケートになっていた。彼方に貸し出しされた『グッディーズ』は計2体。それらが変型した。滑ってるというより、乗せてもらってるだけど。
放たれた矢のように、矢に乗せてもらってるように。弾かれた僕の体は『ドグラマグラ』へ急速に近づき、そして──
──バギィ。
『ウ、ゲェ』
『ドグラマグラ』の顔面に、僕のコブシが当たっていた。
本当に、当たってた、とするのが正しい。
「ァア、マ、キィ!!」
ヒカリだった。思いっきり『ドグラマグラ』の胴部へミドルキックをブチかました。ガードはされたが、再び距離を取る。
「……願いが叶ったよ。『一発殴ってやる』。ずっとそう思ってた。真秀呂場を目の前で殺された、あの日から……!」
『ドグラマグラ』への怒りを、改めて向ける。ヤツのコブシが真秀呂場を貫いた。理不尽にも命を奪ったその手が許せない。何より、これ以上の被害を許せなかった。
「……真秀呂場、が?」
僕はハッとした。思わずハッキリ、この口で言ってしまっていた。彼方の表情に、困惑の色が浮かぶ。
『スキだらけなんだよナァ!』
「そう思うかよっ!」
迫ってくる、『ドグラマグラ』が! まだやるつもりか、ならば……!
キィーッ!!
耳が痛くなるほどの、大きな摩擦音。そして、心臓にまで響くんじゃないかと思わせる、地響きのような聞き慣れないエンジン音。
同時に、僕らと『ドグラマグラ』の間に割り込んできたのだ。『リムジン』が。
おおよそこの寂れた廃倉庫に似つかわしくない、その『リムジン』のドアが開く。顔を出したのはもかさんだった。
「さっさと乗りなさい!」
「もかさん!? これは一体、いや急に何を!」
「バカっ!! アンタとっくに限界超えてんでしょうが! ずっと血が滲んでんの、気づいてないワケ!?」
言われてようやく意識した。足がガクガクだ。先の戦闘で受けた左足のスネと右腕のぽっかり空いた刺創が鈍く痛み始める。ていうか、スゴく痛い。
「あっ、ダメだ! 意識したら痛たたたっ! 痛いよ、さっき顔も殴られた!」
「なんなのよアンタ……あぁもうっ! ヒカリ、タマキ担ぎなさい!」
「恩に着るわ」
ヒカリにひょいっ、と担がれ、雑にリムジンの中へ放り込まれすぐさま発進した。
もかさんの他、困惑した様子の彼方と気を失った五十嵐さんがいて、そして知らない人が運転を、外では『ドグラマグラ』と知らない人達が交戦を……。
「誰この人達!?」
「安心なさい。今はとりあえず、意思のない人形とでも思っとけばいいわ」
「い、意思の無い……? リンカー能力?」
「みなまで言うな。ともかく逃げるわよ。このままじゃ収集つかないし、アンタらだって殺されるわよ!」
心臓が跳ねる。『殺される』。冷静になったら、急にその事実に恐怖を感じてしまった。
「……それは、うん。オシマイの概念、だもんね」
「なによソレカッコつけてんじゃないわよ」
「いやあのっ、でも死んだらそれでオシマイですから。……つい、衝動的になったけど、結局ちょっと殴って逃げて、僕は何のために戦ったんだろうって……」
「……おかしいわよ、アンタ」
そうは言ったけど。思ったけど。真秀呂場とか、『ドグラマグラ』とか、彼方とか、もかさんの事だって。色んな事が、想いや願いが、あったんだ。あの瞬間、確かに。
牽制できてるといいけど。『ドグラマグラ』や、超克の教団を。……僕にしては、楽観的すぎるな。
*
『やれやレ。ちょっと遊びすぎたカ』
大げさに肩を竦める『ドグラマグラ』。独り言だ。
ふと出入口の方にある落とし物に気づく。タマキ達がリムジンに乗って消えた方だ。陽の当たらない場所、黒い物だったから見落としそうになった。
機嫌良さげにスタスタと歩く。手のひらを前へ、ヌゥッ、と影が建物のスキマから差す光に照らされ、塗りつぶされるように──『ドグラマグラ』と入れ替わりに、本体である丹羽 ネルが現れる。
「意外といいじゃん。……タマちゃ〜ん」
落ちていた物、『テクノ』と呼んでいた例の機械を拾いながら、それに全く興味の無い様子だった。
丹羽はタマキ達が逃走した方向を見つめ、ジィッ、と紫の瞳を覗かせる。
「救済は心に宿る〜」
ポツリ。手首を回しておどけたようにそう呟いた。
暴走する五十嵐さん──彼方の厄介ファン──を退けたかと思えば、そこにもかさんが、そして同じタイミングで、あの『ドグラマグラ』が現れた。五十嵐さんも持っているであろう例の機械を回収しようというタイミングにだ。
一つ確かで幸いなのは、もかさんは『ドグラマグラ』の能力者ではない点。だからやる事はシンプル、目の前の『ドグラマグラ』を倒せばいい。ただ──繁華街から大きく外れたこの廃倉庫を、それもピンポイントに同じタイミングで現れた、それを偶然の一言で済ませることはどうしてもできなかった。
「タマキ……アンタ、リンカー能力者だったワケ!?」
「そういうもかさんこそ、僕が探してた人材にピッタリ当てはまってたなんて」
「あー、変な人探しってそういう……。変人扱いされてなくて何よりっていうか……」
「お前ら、そんな事でオレに白羽の矢を立てたワケ?」
「あっ、あの僕はそういう訳で探してた訳じゃなくてあっ、いや……」
そこでもかさん一人のせいにするのはちょっとヤなヤツだ……!
「アナタたち、少しはシリアスな空気になってくれないかしら。少なくともタマキ、アナタはヤツに集中すべきよ」
ずっと臨戦態勢を崩さなかったヒカリ。正直、上手い役割分担になったと思う。
本当にもかさんがリンカー能力者なら。そしてもし、目の前の──『ドグラマグラ』と敵対してくれるなら。そんな事を考える。
どうあれ、やることは変わらない。『ドグラマグラ』と対峙する。そして、できればここで、倒す。
その『ドグラマグラ』が、ニチャリと不気味な笑みを浮かべ、口をパックリと開く。
『気づかなければ良かったのニ。内緒ノままデ、ワタシヲ見逃してリャ。きっと後悔するゾォ~』
「随分と馴れ馴れしいな。ようやくちゃんと話せる機会に、勝手に盛り上がってるのか?」
『冷たいこと言うなヨ。私ト君ノ仲だロ?』
「お前とお友達なんて、死んでもやだね」
『なら試しニ死んでみるかイ?』
「友達ならジョークとして聞き流してやるけど。笑えないジョークだね」
『おおそうかイ。なラ、ちょっと遊んでやろうカ……?』
沈黙──。
呼吸すら、許されないかのような、静かな──間。
「ったぁっ!!」
最初に動いたのはヒカリだ。砂埃を巻き上げ力強く地面を蹴り『ドグラマグラ』との距離を一気に縮める!
眼前に迫っての先制連撃。拳のラッシュにさらに距離を縮める為の助走と同時に膝蹴り。しかし『ドグラマグラ』はその全てを見切り捌いていく。
そう捉えた場合、敵との練度の差が圧倒的だと見えてしまうかもしれない。
だがヒカリからの攻撃を捌く為に、『ドグラマグラ』は手のひらを上手く使えていない。ヒカリには事前に手のひらに注意するように共有してあるからだ。
ヤツが能力を使う為には、手のひらを使う必要があると考えてる。僕らの光線、『ニンヒト』もそうやって防がれてきた。
ヒカリはがむしゃらに攻撃している訳じゃない。胴体や前腕を敢えて狙っている。手のひらが来ようものならソレを受け流している。ヤツの能力を使われないようにだ。
『挑発してた割ニ、戦うのはお人形さんだもんナ。何もできない無力ナ本体!』
「そう言うお前は、本体の姿も見せられない臆病者だな。見えているから分かる事がある、僕らが相棒だから分かる事がな」
『ビビって口数増えたかナァ?』
まだ余裕でいられるか。いや、むしろ焦って逃げないのは好都合か。
このパワーとスピード、そして攻撃を捌ききる正確な動き。リンカーに目でも付いてるのか、そうじゃない。本体が近くにいるんだ。シンプルな手品なら、ヤツの能力と考えられる『異次元に潜る』能力で近くに隠れている筈だ。
「──いま!」
「『ニンヒト』!」
『ドグラマグラ』と腕を絡ませ、ガードのスキマを縫い、差された指から放たれる強い光! ヒカリの合図で放たれたソレはしかし、頭を軽く反らして回避されてしまう。
『おっト! 惜しい惜し……』
光。さっきよりは弱く、細くて、けれど確かな光線が『ドグラマグラ』のアゴを打った。
「あら。おっきい姿なら詠唱なくても撃てるの、知らなかったかしら? 異次元ストーカーさん」
『クソ人形ッ!!』
そう吼え絡ませた腕を解きながら、ヒカリへキックをし後退した。その次の瞬間、『ドグラマグラ』の姿が影の中へ消える。
「彼方! もかさんも! 今のうちに五十嵐さんを!」
「は、アタシ!?」
「タマキ! さっきのヤツとの会話……」
「話は後だよ彼方! アイツは逃げた訳じゃない!」
「なら話は早い!」
その時気配を感じた、僕の真後ろだ。『ドグラマグラ』は背後を取って不意打ちをしようとしている。
僕は咄嗟に、肘打ちで対抗を試みる──!
『──何ィ!?』
「痛……くない、これは?!」
気付かぬうちに僕の右腕に盾が装着されていて、攻撃を逸らしていた。『5』の数字を象ったエンブレム、すぐに気づいた。
「『ジョニー・B・グッディーズ』をお前ら2人に託す! オレはボロボロだからさ、上手く使いなよ!」
「彼方!」
『……ドモ』
盾になった『五弦』が軽く会釈をする。その『五弦』をそのまま『ドグラマグラ』へ押し付けてアタックし、その反作用で僕は後退した。
そのスキにヒカリが躍り出る。それを見て『ニンヒト』を唱える!
『小癪ナ……ガキどもガッ!』
「聞こうか、『超克の教団』の目的を。あの機械をバラまいて、イタズラにリンカー能力者を増やして、それで何がしたい!」
僕の質問にしめたとばかりにしたり顔したのを、僕は見逃さなかった。余裕を無くしたかに見えた『ドグラマグラ』は、調子を取り戻して嬉々として語る。
『教えてあげようカ? あの機械ハ「テクノ」というんダ。気取った名前だロ?』
挑発に乗せるつもりか? だったら熱くならないさ、単純な奴め!
『黙るなヨ、ノリ悪いヤツだナァ~』
「質問の答えになってないから黙ってるんだ。続けなよ。『テクノ』とやらをバラ撒いて、その目的は?」
『それヲ言って私ニなんノ得ガあるのかナ?』
「惜しいな。ギャフンと言わせてやったから、今回は見逃してやってもよかったのに」
『ちょっとマウント取ってイキっちゃったかイ?』
しまった、タイミングをミスったか。『ドグラマグラ』はすっかりいつものニヤニヤ顔に戻ってしまった。もっと痛めつけてやるべきだった。
その薄ら笑いを浮かべたまま『ドグラマグラ』が主導権を握ったとばかりに話し続ける。
『終わってみれバ……くだらない理由デ戦っていたナ、お前たチ……』
「くだらない……?」
『つまらなイ、そう言い換えようカ? つまらない感情ニ流されて、無関係ノ他人ヲ巻き込んデ、そしてお前らト殺し合いごっこしテ。本当ニつまらなイ』
僕はムっとした、それもかなりだ。
僕だけじゃなくて、彼方や五十嵐さんも小馬鹿にしてるのか?
そう聞こえて腹を立てた。
『我妻 タマキ、お前モ首ヲ突っ込まなけれバ、こんなくだらない事ニ巻き込まれずニ済んだものヲ。ほんとニくだらないよナァ~?』
「けど、どう捉えようがお前の仕業には違いない、お前が諸悪の根源。そうだろ? 『ドグラマグラ』……!」
『だガ、そいつガお前らヲ襲った事ニ変わりなイ。助ける価値ガあるかナ……?』
「人の価値をお前が計るなよ。ましてやお前が唆したんだろうに。こないだ再寧さんと戦ったあの人といい。そうだ、その人はどうした」
『おまわりさんから聞いてないのかナァ? 殺したヨ』
あっさりと、そう喋った。そこらを飛んでたハエでも潰したみたいに。潰して一息ついたみたいに。
「人を殺した」。その事を、適当な調子で、そう言ったのだ。
目の前のゲスがさらに続ける。
『本当ニ情けないヤツらだよナァ? あのおまわりさんガヘタれてなかったラ? お前ガ倒れてモそっちノお人形さんガちゃ〜んと役割分担できていたラ? あのクズヲしっかり逮捕できてたかもナァ?』
「……許せない」
一言漏れて。
『おいおイ……。まさかあんなクズ野郎のことまで気にかけテ、英雄気取りかイ?』
頭に血が上って。
「……そうじゃない。それも、あるかもな──!」
僕の怒りは──爆発した。
「許せるワケがないだろっ!! お前たちが吹き込んだせいで、どれだけ多くの人が苦しんでるのか分かってないだろっ!」
『おいおイ、やめてくれヨ。人ノ悪意ハそいつノ性格ノ問題だロ? ワタシ達ハ退屈ナ人生ガちょっと豊かニなる手段ヲ教えてるだけじゃあないカ』
「都合のいい言葉を並べて……! 自分の行いに目を向ける事もできないのか!?」
『今言ってんのハ自制モ出来ない畜生どもノ話だゼ? 一緒ニ悪口言ってスッキリしてやろうってのにヨォ〜』
怒りが、湧き上がる。ここで本当に感情的になったら、それこそヤツの思うツボだ。あくまで、冷静に見極めるんだ。
「そうかい、だったらそっちの土壌で語ってやるよ……! 確かに五十嵐さんは僕らへ理不尽に襲いかかった、いい迷惑だったよ!」
『ドグラマグラ』は口の端を吊り上げた。思い通りにしたつもりか、ますます腸が煮えくり返る。
思いを、ぶつけてやる──。
「けど元はと言えば、お前が『テクノ』とかいう機械で五十嵐さんをリンカー能力者にして弄んだからだ。そうでなければもっとマトモに彼方とコンタクト取れたかもしれないのに、責任取りようもない過剰な力をお前が与えた! 五十嵐さんの願いを歪ませた! その一点には変わりない!」
自然、拳を握っていた。また、怒りだ。悲しみも、ある。みんなを否定された悲しさ。そして、真秀呂場を目の前で殺されたときの、恐怖と絶望。『ドグラマグラ』に対する感情が、僕の中でふつふつと湧き上がってきていた。
「……それを棚に上げて、僕のみならず、五十嵐さんに彼方、再寧さんも、ヒカリの心まで嘲笑う『ドグラマグラ』ッ!! 僕は絶対に、許さないっ!」
感情をぶつける。怒りの理由が、許せない理由がむしろスッキリまとまった。
『アー、ダメダメ。話ニなんなイ。読書感想文ナラ冬休みニやれヨ』
対して『ドグラマグラ』は興ざめだという反応だった。再び姿を消す。また不意打ちをしようという魂胆か。
「んっんぅ〜、ホント最高ね、タマキ。守りたいものの為に素直なアナタの心、こっちが守ってあげたくなるわ」
「うん、ありがとヒカリ。じゃあ、お言葉に甘えて」
ヒカリと背中を合わせる。目の端に倒れる五十嵐さんを収め、彼方と目を合わせる。
「『五弦』、彼方! コイツに対してシールドは有効じゃない、やるなら捕縛しやすい形態だ!」
「……うん、捕縛?」
行動はすぐだった。僕の目の前に堂々と『ドグラマグラ』は現れる。
右腕を引いてきた。さっき防がれた盾を前にして一撃で仕留めようとばかりの動きだった。
僕もまた『五弦』が装備された右腕で、その腕を狙う!
『ッ!? うッ、腕ガ!?』
的中だ。『ドグラマグラ』の腕を、盾だった筈の物が、二本の長さの異なる棒となって捕えた!
「すまん、手錠かコレしか思い浮かばなかった!」
「十手か、良いセンス!」
棍棒の根元にもう一本短い棒、鉤の付いた、江戸時代の捕縛武具、十手!
そのまま屈んで捻り、絡ませ、僕の背中を乗ってヒカリがキックをお見舞いする!
『ナメるなヨッ!!』
ガゴォンッ!!
『ドグラマグラ』が左腕で自分の右腕を覆ったかと思えば、捻って止められていた右腕が十手からスッポリ抜けていた。ヤツのリンカー能力だ。キックされたのを逆利用され、距離を取られる。
その『ドグラマグラ』に、僕は凄んで話し始める。
「お前のリンカー能力、段々と細かいとこまで分かってきた。能力発動のキーは『手』だ。一つに、僕らの光線、攻撃をその中へ消したりできる。二つに、その手ですり抜けなんかもできる。けどバトル漫画によくあるような、別地点への空間・瞬間移動はムリみたいだな。だからわざわざ僕らに近づいて攻撃してる」
『だかラ?』
「三つ目だ、重要なのは。手のひらの中に物を隠す、なんてのもできる筈。お前がさっきから消えてるのもそれだよ、まるで四次元ポケットみたいに」
『ドグラマグラ』がピクリと眉を歪める。──これで確信だ。
「そこに本体が隠れてる。ずっと疑問だった。リンカーがこうして直接戦闘をしてるのに、周りに本体の影が見えないならまだしもパワーを保ったまま、しかも見えてるみたく正確に動く。それは他ならぬ、四次元空間の中に本体が隠れてるからだ!」
指を突きつけて、宣言してやった。しばらく『ドグラマグラ』は静止していたが、ハッ、と鼻で笑い、口をニタリと開く。
『カマヲかけた……つもりカ? お前、自分ガさっきから憶測デものヲ語ってるのが分かってないのカ?』
「こりゃ参った、図星当てられて反論もできないか。正体不明の存在──幽霊や宇宙人、妖怪なんかだ。昔の人はそれを恐れ、だから名前をつけてせめて存在をハッキリさせようとしたらしい。けれど、科学の進歩した現代では、それらは自然現象として片づけられてる。『ドグラマグラ』、お前もただのちっぽけな人間が正体なんだから、なるほど大したことないな」
『イキるノハ勝手ダ。けド、目的忘れてないかナァ?』
「──っ! タマキ、五十嵐が!」
ヒカリが声を荒らげた。
『ドグラマグラ』の真後ろだった。出入り口付近で気を失っていた五十嵐さんが引きずられて、さらわれようとしていた。何者かに、肩を持って引かれて。
『私トノ遊びニ夢中ニなってくれてありがとウ! 結局ハあのガキさえ回収できりゃそれでいいからナァ!!』
「そっか。彼方!」
目を丸くする彼方。その表情のまま、手はしっかり動いていた。
手には何がモチーフかも分からない簡単なライフルを持ち、鈍い音を鳴らして弾丸を二発、五十嵐さんがさらわれた方向へ発射。
先に撃たれた一発目になんと腕が生え、二発目をキャッチしたかと思えばソレを蹴って出入り口へ放つ。外ではシュコンっ、と軽い風きり音が響いた。
詳細にすると訳の分からない状況だが、一連の流れはつまり、彼方のリンカー『ジョニー・B・グッディーズ』が変型し、五十嵐さんをさらった何者かを撃ったのだ。
「これでいい?」
「ナイス!」
気づけば僕は彼方に微笑みかけていた。彼方が僕に合わせてくれるのが、そして僕もそれを望んでるのが、繋がる喜びを感じられた、それが本当に嬉しい。
『なんダ……そリャ、無いだロ!?』
「少しは理不尽に巻き込まれる人の気持ちが分かったか」
『ハッ。バカメ、自分デ理不尽ト言うカ』
「おっと、説明不足だった。僕らのは理不尽に対する報復だ。お前は恨まれる側の人間だ、分かったか」
愕然とする『ドグラマグラ』。ついに余裕が崩れた。そこへ容赦なく『ニンヒト』を唱えて撃ち込む。
平静を取り戻した『ドグラマグラ』は、腕を振って光線を弾いたり手のひらの亜空間へ消滅させる。
そこへヒカリが距離を詰め、再びコブシのラッシュで畳み掛ける。アイツへの有効打は遠距離じゃなく、近距離だ。『ニンヒト』はあくまで牽制、願わくばゼロ距離による高火力攻撃。
「ニンヒト!」
頭を狙ったゼロ距離射撃が避けられる。それが隙になった。左指で撃ったからだ。ヒカリはそのまま左腕を鈍器のようにして叩きつけ、怯んだ『ドグラマグラ』の脇腹を狙って右腕を──!
パァンっ!!
「ヒカっ──いや閃光、弾!?」
隠してたのか、四次元ポケットに!
突然の強い閃光と、耳を貫かんばかりの大音量。閃光弾だ。
直接のダメージはない、確かにそうだ。だけど間近で強い閃光と騒音を感じたヒカリはモロに影響を受けてしまったらしい、感覚の共有で目眩と音響外傷の影響が僕にも微かにある。目がボヤけて耳鳴りもひどい。
『──見えないよナァ、リンカーノ背中でサァッ!!』
わずかに聞こえた声。ボヤける戦闘。
空振りだ、ヒカリのコブシは当たっていない、平衡感覚も乱れて踏み込めてもない。
対して『ドグラマグラ』は得意げな顔でジャブをヒカリの顔へ二発、それが僕にも伝わる。腕を引いて──!
「ヒカリィッ!!」
叫んでた、僕は。
右足を踏み込み、滑らせる。前へ滑っていく。
靴の底がローラースケートになっていた。彼方に貸し出しされた『グッディーズ』は計2体。それらが変型した。滑ってるというより、乗せてもらってるだけど。
放たれた矢のように、矢に乗せてもらってるように。弾かれた僕の体は『ドグラマグラ』へ急速に近づき、そして──
──バギィ。
『ウ、ゲェ』
『ドグラマグラ』の顔面に、僕のコブシが当たっていた。
本当に、当たってた、とするのが正しい。
「ァア、マ、キィ!!」
ヒカリだった。思いっきり『ドグラマグラ』の胴部へミドルキックをブチかました。ガードはされたが、再び距離を取る。
「……願いが叶ったよ。『一発殴ってやる』。ずっとそう思ってた。真秀呂場を目の前で殺された、あの日から……!」
『ドグラマグラ』への怒りを、改めて向ける。ヤツのコブシが真秀呂場を貫いた。理不尽にも命を奪ったその手が許せない。何より、これ以上の被害を許せなかった。
「……真秀呂場、が?」
僕はハッとした。思わずハッキリ、この口で言ってしまっていた。彼方の表情に、困惑の色が浮かぶ。
『スキだらけなんだよナァ!』
「そう思うかよっ!」
迫ってくる、『ドグラマグラ』が! まだやるつもりか、ならば……!
キィーッ!!
耳が痛くなるほどの、大きな摩擦音。そして、心臓にまで響くんじゃないかと思わせる、地響きのような聞き慣れないエンジン音。
同時に、僕らと『ドグラマグラ』の間に割り込んできたのだ。『リムジン』が。
おおよそこの寂れた廃倉庫に似つかわしくない、その『リムジン』のドアが開く。顔を出したのはもかさんだった。
「さっさと乗りなさい!」
「もかさん!? これは一体、いや急に何を!」
「バカっ!! アンタとっくに限界超えてんでしょうが! ずっと血が滲んでんの、気づいてないワケ!?」
言われてようやく意識した。足がガクガクだ。先の戦闘で受けた左足のスネと右腕のぽっかり空いた刺創が鈍く痛み始める。ていうか、スゴく痛い。
「あっ、ダメだ! 意識したら痛たたたっ! 痛いよ、さっき顔も殴られた!」
「なんなのよアンタ……あぁもうっ! ヒカリ、タマキ担ぎなさい!」
「恩に着るわ」
ヒカリにひょいっ、と担がれ、雑にリムジンの中へ放り込まれすぐさま発進した。
もかさんの他、困惑した様子の彼方と気を失った五十嵐さんがいて、そして知らない人が運転を、外では『ドグラマグラ』と知らない人達が交戦を……。
「誰この人達!?」
「安心なさい。今はとりあえず、意思のない人形とでも思っとけばいいわ」
「い、意思の無い……? リンカー能力?」
「みなまで言うな。ともかく逃げるわよ。このままじゃ収集つかないし、アンタらだって殺されるわよ!」
心臓が跳ねる。『殺される』。冷静になったら、急にその事実に恐怖を感じてしまった。
「……それは、うん。オシマイの概念、だもんね」
「なによソレカッコつけてんじゃないわよ」
「いやあのっ、でも死んだらそれでオシマイですから。……つい、衝動的になったけど、結局ちょっと殴って逃げて、僕は何のために戦ったんだろうって……」
「……おかしいわよ、アンタ」
そうは言ったけど。思ったけど。真秀呂場とか、『ドグラマグラ』とか、彼方とか、もかさんの事だって。色んな事が、想いや願いが、あったんだ。あの瞬間、確かに。
牽制できてるといいけど。『ドグラマグラ』や、超克の教団を。……僕にしては、楽観的すぎるな。
*
『やれやレ。ちょっと遊びすぎたカ』
大げさに肩を竦める『ドグラマグラ』。独り言だ。
ふと出入口の方にある落とし物に気づく。タマキ達がリムジンに乗って消えた方だ。陽の当たらない場所、黒い物だったから見落としそうになった。
機嫌良さげにスタスタと歩く。手のひらを前へ、ヌゥッ、と影が建物のスキマから差す光に照らされ、塗りつぶされるように──『ドグラマグラ』と入れ替わりに、本体である丹羽 ネルが現れる。
「意外といいじゃん。……タマちゃ〜ん」
落ちていた物、『テクノ』と呼んでいた例の機械を拾いながら、それに全く興味の無い様子だった。
丹羽はタマキ達が逃走した方向を見つめ、ジィッ、と紫の瞳を覗かせる。
「救済は心に宿る〜」
ポツリ。手首を回しておどけたようにそう呟いた。